日本のポピュラー音楽史
1970〜1975年(昭和45〜50年) ロック百花繚乱
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1970年 エルビス・プレスリーが「この胸のときめきを」で復活を遂げたこの年、ビートルズは「レット・イット・ビー」を最後に6年間の活動に終止符を打った。 70年代に入って、AMラジオではオールナイト・ニッポン、パックイン・ミュージック、セイ・ヤングなどの深夜放送が若者の間に浸透し、連日FENでしか聞けなかったような洋楽ヒットを流すようになった。 この当時FMはまだNHKしかなくクラシック音楽が中心の番組構成だった。 エレキブームに代わり、和製フォークソングがブームとなり、誰もがフォークギターを手にするようになったのもこの頃である。 この年のヒット曲はショッキング・ブルー「ヴィーナス」、マンゴ・ジェリー「イン・ザ・サマータイム」、男性化粧品マンダムのCMで使われて大ヒットしたジェリー・ウォーレス「男の世界」などがあった。 AMラジオの深夜放送が若者の間で広まる一方で、テレビでは「ジス・イズ・トム・ジョーンズ」の放送が始まり、ジャニス・ジョプリンやフィフス・ディメンションなど、それまでレコードでしか知ることのできなかったアーティストのパフォーマンスを映像で見ることができるようになった。
「ジス・イズ・トム・ジョーンズ」の後を引き継いで登場したのがMTVの元祖「ナウ・エクスプロージョン」であった。この番組では海外のアーティストのプロモーション映像やライブ映像が流された。ちょうど外国人アーティストの来日ブームが到来して番組の中でブラッド、スウェット&ティアーズやシカゴなどの来日公演の様子が紹介された。また、グランド・ファンク・レイルロードやスリー・ドッグ・ナイト、ピンク・フロイド、バニラファッジ等など、この時代を築き上げ後世に語り継がれるアーティストがぞくぞくと登場して、そのパフォーマンスを披露した。 カーペンターズは第一回世界歌謡際のゲストに招かれて初来日をはたし、会場で「遥かなる影」を演奏している。この年の大賞はヘドバとダビデの「ナオミの夢」であった。 ヒットチャートに目をやると、それまでのティーンエイジャー向けの洋楽ポップスはドーンやパートリッジ・ファミリーなど一部を除けば影をひそめ、エルトン・ジョンやキャロル・キング、シカゴやサンタナ、そしてカーペンターズなどアーティスト自身がレコード作りの主導権を握る新しいタイプのアーティスト(ビートルズの影響を直接受けた世代)の曲がベストテンに顔を出すようになっていった。 キャロル・キングはこの年、不朽の名盤「つづれおり」を発表している。 この年4月のベスト10は1位がポール・マッカートニーの「アナザー・デイ」、2位がジョージ・ハリスンの「美しき人生」、3位がリン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」、4位がマイク・ネスミスとファースト・ナショナル・バンドの「シルバー・ムーン」、5位がグラス・ルーツの「燃ゆる瞳」、6位がC.C.R.の「雨を見たかい」、7位がトム・ジョーンズの「シーズ・ア・レディ」、8位がカプリコーンの「ハロー・リバプール」、9位がジョン・レノンの「人々に勇気を」、それて10位がシカゴの「自由になりたい」であった。 11位以下は11位がジョン・レノンの「マザー」、12位がドーンの「ノックは3回」、13位がスリー・ドッグ・ナイトの「喜びの世界」、14位がマジック・ランタンの「孤独の夜明け」、15位がアース・アンド・ファイヤーの「明日への叫び」、16位がパートリッジ・ファミリーの「悲しき青春」、17位がキャツの「ひとりぼっちの野原」、18位がカーペンターズの「二人の誓い」、19位がアイク・アンド・ティナ・ターナーの「プラウド・メアリー」、そして20位がレターメンの「悲しきヤング・ラブ」であった。 この他に、カーペンターズ「遥かなる影」、サンタナ「ブラック・マジック・ウーマン」、チェイス「黒い炎」、クリスティー「イエロー・リバー」、ハミルトン・ジョーフランク&レイノルズ「恋のかけひき」、スリー・ドッグ・ナイトも「喜びの世界」の後、「ライアー」、「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」と立て続けにヒットを飛ばしている。 まさに70年代ポップス全盛の年であった。
1972年と1973年は、ビッグ・ネームのロック・グループが後世に名を残す名作アルバムを次々に発表した年であり、ロックという音楽の質が頂点を極め、ジャズやクラシックと対等に肩を並べた年でもあった。ピンク・フロイドの「狂気」、イエスの「危機」、サンタナの「キャラバン・サライ」、レッド・ツェッペリンの「IV」、ディープ・パープルの「マシン・ヘッド」、グランド・ファンクの「アメリカン・バンド」などなど列挙に暇が無いほどの名盤がこの時期に生まれた。この動きによりロック音楽はアルバム中心の大作志向となりシングル盤を軽視した結果、次第にベストテン番組からは遠ざかっていった。 この時期、ポピュラー音楽シーンにはブラック・ミュージックの新しい波が押し寄せていた。それはファンクと呼ばれる黒人独自の16ビートのダンス・グルーヴ・ミュージックである。 モータウンで活躍していたスティービー・ワンダーは音楽的成長を遂げ、アルバム「トーキング・ブック」とシングル・カットされた「迷信」は自作自演でシンセサイザーやクラビネットなど当時の最先端テクノロジーを駆使し、その後のポピュラー音楽界に多大な影響を与えた。このエレクトリック・ファンクはジャズ・ミュージシャンにも影響を与えて、クロスオーバーとかフュージョンとか呼ばれる音楽が世に出現することになる。 72年のヒット曲にはカーペンターズ「愛のプレリュード」、「スーパースター」、アメリカ「名前のない馬」、ドーン「幸せの黄色いリボン」、スリー・ディグリーズ「天使のささやき」、オージェイズ「裏切者のテーマ」、ギルバート・オサリバン「アローン・アゲイン」、ニルソン「ウィザウト・ユー」があった。 73年にはアルバート・ハモンド「カリフォルニアの青い空」、「落ち葉のコンチェルト」、カーペンターズ「イエスタデイ・ワンスモア」、カリー・サイモン「うつろな愛」、グラデス・ナイト&ピップス「夜汽車よジョージアへ」などのヒット曲があった。
前年に頂点を極めたロック・アーティスト達は次回作をつくるのに苦悩していた。そして多くのアーティストは行き詰まり活動停止状態になる。一方ファンク・ミュージックは大きく裾野を広げてあらゆる音楽にその影響を及ぼしていた。ブラック・ミュージックはファンクにより強烈なビートを手に入れる一方で、流麗なストリングの響きを前面に出しゴージャスで洗練されたフィラデルフィア・サウンドがモータウン・サウンドに変わる新しい波として押し寄せていた。このあたりからブラック・ミュージックは現在に繋がるポピュラー音楽の主流となり、あらゆるポピュラー音楽に多大な影響を与えることになる。 こんな中、テレビに登場したのが伝説の音楽番組、「ソウル・トレイン」と「ミッドナイト・スペシャル」である。とくに「ソウル・トレイン」はディスコに足を向ける若者の教祖番組となった。 この年のヒット曲に、スリー・ディグリーズ「荒野のならず者」、スタイリスティックス「誓い」、「16小節の恋」、「愛がすべて」などがある。
この時期になると、もはやクリームに代表されるような延々とギター・ソロを聞かせるような音楽は時代の潮流にはそぐわなくなり、チープ・トリックやキッスのようなロックのエッセンスを巧みに取り込んだポップス・バンドやベイ・シティ・ローラーズのようなアイドル・バンドがベストテンを賑わしていた。ちょうどビートルズ登場の60年代初期の光景であり、まさに「歴史は繰り返す」である。 ディスコで取り上げられることの多いファンク・ミュージックやフィラデルフィア・サウンドのエッセンスを取り込んだ、いわゆるディスコ・ミュージックが登場したのもこの頃である。ディスコ・ミュージックの多くは白人プロデューサーがでっちあげたその場しのぎの音楽であった。今、当時を振り返ってみるとまさに粗製濫造の時代であったことが分かる。 この年のヒット曲には、ベイシティ・ローラーズ「バイバイ・ベイビー」、オリビア・ニュートン・ジョン「そよ風の誘惑」、KC&ザ・サンシャイン・バンド「ザッツ・ザ・ウェイ」、ヴァン・マッコイ「ザ・ハッスル」などがある。
70年代後半なるとポピュラー・ミュージックは商業的なノウハウを手に入れて、完全にコントロールされた楽曲を世に出すことが出来るようになった。 70年代後半のビージーズやピーター・フランプトン、フリードウッドマック、80年代に入ってマイケル・ジャクソン、マドンナ、プリンス、そして90年代のマライア・キャリーなど商業的に大成功を収めるいわゆるメガヒット・アーティストが出現しポップス・ファンの裾野を広げることに貢献した。 しかし反面、60年代、70年代のような永く歌い継がれる楽曲が少なくなったようにも思える。 80年代以降、70年代には存在していた音楽ジャンルの境界線はあいまいになり、そのことは自体は良いことなのかもしれないが、反面、ビッグ・ビジネスになったポピュラー音楽は画一化し、大衆におしつけがましい音楽になっているように感じる。 90年代に入り、ビートルズ・サウンドに回帰するサウンドが聴かれるようになるが、それとて、何か嘘臭さを感じてしまう。 21世紀、大衆はポップスに何を望むのであろうか。 ポップスよ、永遠あれ
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