4月2日ドラマのテーマはしっかりと!
『あすか』(NHK)を見る。終わってみてふと気が付いたら、最初の目的とは全く違うところに辿り着いていたなんてことがある。最初の目的はそこではなかったはずなのに、どうしてこんなところに来てしまったのだろう。そんなことに気が付いて唖然とするなんてことがある。これぞまさに私の今の心境で、これが昨日『あすか』の最終回を見終えた正直な感想だ。「和菓子職人を目指す女性を描く」。確か『あすか』の最初に目指していた目的地はそこではなかったか。それが終わってみたら…あれあれ?(@幹てつや)
細かいところをひとつひとつ突っ込んでいくときりがないので、どうして私がそう思ったのか端的にまとめたいと思う。まず最初に、いくらドラマといってもストーリー展開に無理がありすぎた。「どうしてそうなっちゃうかなあ?」という場面など数限りなくあった。そして随所に散りばめられている、まるでコントみたいなシーン。コント自体は悪いことではないし、場合によっては面白いこともあった。でも、それが上手にストーリーと交わっている訳ではないから、まるで質の悪いコントを見ているようだ。お笑いのコントだって、きちんと締めるところは締めたストーリー展開になっているんだから、コントなんて言葉を使ったら、コントにも失礼だぜ。とにかく物語的にも、きちんと締めて感動させるべきシーンなのに、中途半端に笑いの要素なんぞをいれてしまうからドラマがおかしくなってしまうのだ。おまけに場面場面の設定にも不自然な部分があまりにも多すぎた。「一体どうなってんだ?」と突っ込まずにはいられなくなる。このドラマ、言うなれば「3分に1回は突っ込めるドラマ」だったと言っても過言ではないだろう。例えば「何で喫茶店で、自分で持ち込んだお菓子を食べてるんだよ!」とか、まさに3分に一度は突っ込めるようなドラマだった。
そして一番残念だったのが、主人公のあすかちゃんにあまり魅力を感じられなかったということだ。「優しい女の子」という設定だったようだが(どうしてそれが分かるかといえば、ナレーションでそう言っていたから)私にはあすかちゃんの優しさがあまり伝わってこなかった。どちらかといえば「あ!あすかちゃん嫌かも!」と思うシーンの方が多かったような気がする。結構長いことNHKの朝の連ドラは見てきたけど、こんなにも主人公に魅力が感じられないドラマは初めてだった。これはいかん、致命的だ。これじゃあすかちゃんを演じる竹内結子ちゃんが可哀相だ。
和菓子自体にはとっても魅力あるドラマだったのだから、あんな妙に苦しいストーリー展開にする必要などなかったのではないだろうか。もし昔気質の体質と、新しい体質の融合みたいな部分を描きたいのだったら、もっと別な視点から描くことだって出来ただろうに…。男性ばかりの職人の世界に女性が飛び込んでいくという視点でいえば、一昨年放送されていた同じ朝ドラの『天うらら』もそうだった。女性がいない男性ばかりの世界に飛び込むために髪の毛を短く切って…という展開も非常に似通っていた。でも私は『天うらら』という作品は非常に良く出来ていたと今でも思っている。『天うらら』の最終回を見て書いた鑑賞日記があったはずだと過去の日記を検索してみたら、まるで『あすか』を見た後とは反対の良い感想が書かれていた。その一部を引用したい。
「何が良かったかというと、脚本がとても良く出来ていた。登場人物全てに共通していたのが前向きな姿勢。物事は全て上手く行くことばかりではない、だからといって全て後ろ向きになってしまって考えたのではだめだ。前向きに生きていかなければ…ということがきちんと描かれていた。」そうなのだ。そこに「登場人物全てに共通していたのが前向きな姿勢。」と記されているように、このドラマの登場人物にはみんな魅力があった。(魅力という観点で言えば、前作の『すずらん』の中村旅館の人々も同じことがいえる。)それに『天うらら』の主人公うららちゃんが、大工を目指す苦労も丁寧に描かれていたし、そういった意味でも本当に良く出来ていたドラマだったと思う。残念ながら『あすか』を見ていて、職人としての苦労が描かれていたのは、最初のほんの少しだった。と言っても粉袋を持つのが重いとか、餡を作るのが大変だとかその程度なんだけどね。その後は職人の世界の厳しさ云々という問題よりも、周りの人々との確執の方ばかりに焦点が当てて描かれ、「和菓子職人を目指す女性を描く」ドラマとしては確実に物足りなかった。
おまけに何と言っても不快だったのは、38歳になったあすかちゃんの描き方だ。「おばさんになったおばさんになった」っていう設定があまりにもしつこすぎて、実際の38歳の人がみたら、気分を害すんではないだろうかと心配になるくらいだった。「決して耳触りのいい言葉ではない『おばさん』という呼び方を連発して、人を一括りにするな!」と、ほらまた突っ込みながら、何度叫んでいたことか。
私自身の思いとしては、少なくとも「このドラマを見てあすかちゃんに憧れて和菓子職人になった」という女の子がたくさん出現するくらい、厳しいなかにも魅力がいっぱい詰まったドラマに仕上げて欲しかった。中途半端な人間関係のいざこざだけでなく、和菓子職人としての苦労もきちんと描いて欲しかった。そういう土台があってこそ初めてまわりのいざこざも付け加えられるというものなのだ。
結局、当初の目的だった「和菓子職人を目指す女性を描く」というより、「京都はいけずな人が多いところで、明日香村はいいところ。この上なく素晴らしいところ!」という印象だけを残して終わったような気がする。でも、そんなにもいい明日香村に住む人々なのに、登場人物の誰にも感情移入を出来ないまま終わってしまったのは、本当に変なドラマだったと思う。脚本に問題ありっていうことかな。でもま、ラストシーンのナレーションが以前、私が予想した通りの終わり方だったから、それだけでもよしとするか。「それではまたいつか。」
ところで、途中から全然出なくなってしまった、三郎太さんは一体どこにいってしまったのだろう。結構重要な役どころだと思ったのに、いきなり消えていなくなっていた。最終回間近の茶会にもいなかったし。もしやドラマを超えた何らかのトラブル?「もうこんなドラマ出てらんないよ!」と三郎太さんを演じた役者さんが怒ってしまったとか?なんて、そんなことじゃないとは思うけど、いきなりいなくなって、気になるなあ。「また、いつか」描いてくれるのかな?あれあれ(@幹てつや)souiya,mikitetuyamo,dokoitta?
4月3日期待に押しつぶされるとき
『ニュースステーション』(テレ朝)を見る。9時54分スタートになって、早1週間。『ニュースステーション』の視聴者も、そうでない人も、9時54分スタートには慣れただろうか。「『ニュースステーション』が始まったからもう10時になったの?」なんて慌ててはいないでしょね。番組というものは、ときに時計代わりにもなるものだ。それに伴い『世界の車窓から』(ちなみに静岡ではオンエアされていません)以前の番組も少しづつ繰り上がって始まっているので、例えば「『ミュージックステーション』が始まったからもう8時?」なんて勘違いしないようにね。と、そんなことを考えつつ、久米さんが始球式に登板したニュースを見た。
きちんとユニホームを着て始球式を行う久米さんの背番号は、ナント「9:54」そう!まさに番組開始時刻なのである。番組PRもちゃっかり兼ねての始球式。「流石だ!」というしかないだろう。番組の中では始球式に備え、もくもくと練習する様子が流されていた。久米さんは何度もストライクを出すような、それはそれは素晴らしい投球練習風景だった。そして本番当日。いつになく緊張した面持ちで登板した久米さん。球を投げる瞬間、一気に盛り上がった客席からの声援に動揺した久米さんは、練習のときとは裏腹に、まさにあさっての方向に球を投げてしまった。「弘法も筆の誤り」というか、練習ではあんなに上手く行っていたのに、状況によっては失敗するっていうこともあるんだなあと思わずにはいられなかった。なんだかこれじゃまるで、オリンピックで期待されすぎたせいで、期待に押しつぶされてしまった多くの選手たちのようだ。まさに、「期待の新人黒岩彰」を思い出させるような一場面だった。
期待がただのプレッシャーに変わったとき、人はそれに押しつぶされてしまうのだと思う。必要以上に期待されて来なかった私には、あまり縁のない話なんだけど、結構辛いと思う。期待されても、ちゃんとその期待に応えて活躍できる人って、どのくらいの精神力の持ち主なんだろうか。つくづく凄いと思う。
それにしても昨今の始球式はウエディングドレス姿やバレリーナ姿で登場する芸能人がいて驚かされる。好きとか嫌いとかの個人の好みの問題もあるだろうが、私自身はあまり感じのいいものには思えない。「やる方もお願いする方も誰か止めろよ!」と思うのだが如何なものだろうか。「女性である」ただそれだけのことで、土俵にすら上がることのできない相撲とは偉い違いだ。って一概に比較できる問題じゃないけどね。でも、やっぱり似つかわしくはないと思う。
それが例え番組PRであるにせよ、きちんとユニホームを着てマウンドに立った久米さんは随分と爽やかなものだった。ただユニホームを着た久米さんが随分と痩せて見えたのが、少しだけ気になったけど。そういえば最近は髭こそそのままだけど、きちんと背広を着て番組に出演するようになった。何か心の変化でもまたあったのだろうか。それとも視聴者からの指摘があまりにもうるさかったからなのだろうか。必要以上にクレームをつけたがる、そんな視聴者でも、見てくれなきゃ夜10時のニュース対決にも勝てないんだから、嫌になっちゃうよね。全く。
蛇足&疑問点・久米さんの背番号は「9:54」。これは番組開始時刻にちなんでと、さっき書いた。ってことは、もし番組開始時刻が2時50分だったら、背番号は「2:50」だったのだろうか。って、なんだかこれじゃまるで、江頭2:50みたいなんだけど。久米さん上半身はだかで、黒いスパッツだけ履いて、いきなり客席から登場するか?…って、それじゃ背番号意味ないじゃん!なんだかね。(失礼!)
4月4日今も昔も
ニュースを見る。ここのところ静岡の某ローカルニュース番組のなかで「映像話題コーナー」と題して、昔放送したニュース映像の中からいくつかをピックアップして放送してくれている。今日放送分の内容がとても興味深かったので、ここでも紹介したい。
終戦直後の昭和20年代に「交換写真」というものがあったのをご存知だろうか。終戦直後の学生が、こぞって写真店に行き、自分の写真を撮って、その撮った写真を交換するのが流行っていたのだと言う。女子生徒が写真を撮る日は、写真店のまわりに男子生徒が集まってくるほど賑わっていたそうだ。女生徒が沢山集まる場所に、戯れる男子の図。そういうことは今昔も変わらないんだなと微笑ましく思う。昭和20年代に学生といえば、現在では還暦をとうに超えている年齢層の人々だ。そんな人々にも確かにあった青春時代。好きな異性と写真を交換する時なんぞは、さぞかし緊張したことだろう。あの胸のドキドキ感は今も昔も変わらずに存在するものだけれど、今よりもっと昔の人々のほうが緊張感はあったように思う。
VTRが終わった後、スタジオに移り、その話題を振られた某キャスターが「今で言えばプリクラみたいなものですね!」と、このVTRを見た感想をこんなふうに述べていた。あえて言おう。私だったらこの話題を振られた時に、こういうコメントはしない。なぜならば「交換写真」が「プリクラみたいなもの」だとは決して思わないからだ。写真という形態をとって、友達と交換できるということでは同じかもしれないけど、その根本にあるものは「プリクラ」なんかとは明らかに違うものだと私は思う。
交換写真が流行った時代の背景に、それほど詳しい訳ではない。でも私なりに終戦直後の人々の気持ちを精一杯想像してみるに…やっと戦争が終わった。苦しいけどもう空襲に襲われることもない生活になって、そして心の中に余裕が生まれて流行ったのだと思われる「交換写真」。女子生徒が写真を撮る日に、ついつい行っちゃう男子生徒の心理は、ある意味いたいけだ。今ほど写真が一般的でなく、それよりもう少し前までは、写真を撮るときはしばらくそのままの姿勢でいなければならず、写真に撮られると魂を吸い取られるなんて思っていた人もいたような時代だ。そんな時代の写真が貴重でないはずがないだろう。だからこそ「今で言えばプリクラみたいなものですね!」なんて決して思えないのだ。
交換写真は、言うなればラブレターのようなものだと私は思う。写真を交換するときの胸の高鳴りというのは、ラブレターを渡すときの心境により近いものがあるような気がしてならない。「交換しよう!」と言って断られたらどうしよう…とか思い巡らず感情は、ラブレターそのものだ。そして上手く交換できたら、好きな相手の顔をいつでも好きなときに見ることが出来る訳だし、絶対に宝物になったはずだ。貴重な写真。貴重な宝物。大好きな人。
ラブレター以上に似ているものをあえてあげるとするならば、中学時代のこれ、だろうか。「修学旅行などに行った後、その時の写真が廊下に張り出されて、欲しい人はその番号で申し込んで買う。」時に、何故か自分の映っている写真だけではなく、好きな人が映っている写真も一緒に買って大切にしちゃう心境(分かるかな?)に。
交換写真は、久しぶりに見た凄くいいニュースだった。それなのに、番組の顔であるキャスターが「今で言えばプリクラみたいなものですね!」というお粗末なコメントしか出来なかったのは、何とも残念なことだ。この人がお粗末なのは、まあ、この一件に限ったことではないのだけど、こうもお粗末なコメントばかりだと流石に嫌になってくる。それに何も「今で言えば…」なんて例える必要なんか全くないんだし。さもありなん顔で、「プリクラ」なんて例えちゃったばっかりにお粗末になってしまって、なんとも言い難い心境だ。それともあのキャスターはこういう人間の切ない気持ちに鈍感なんだろうか。胸の高鳴りとか、ドキドキ感とか。年を重ねて、もう忘れてしまったのだろうか。
女子生徒が写真を撮る日についつい行っちゃう男子生徒の想い。そして写真を交換するときの胸の高鳴り具合。これが「プリクラ」との決定的な違いだ。プリクラにここまでの想いと胸の高鳴りがあるのだろうか。プリクラのように、どこにでも貼り捨てられてしまうような軽さは、交換写真には有り得ないことなのだ。これが私が「決してプリクラみたいなものだとは思わない」理由だ。
あの頃交換された写真を今でも大切に持っている人はいるのだろうか。後生大事に抱えていて、その後結婚した相手に見つかって「これ誰なの?」なんて怒られ、捨てられちゃったりなんかしたら…ほら!写真というより昔貰ったラブレターが見つかっちゃったみたいな、その瞬間、照れくさけど懐かしい心境にきっと駆られることだろう。懐かしい写真。懐かしい宝物。大好きだったあの人は今どこにいるのだろうか…でも、こんな切ない気持ちもあのキャスターにはなかなか理解してもらえないんだろうな。きっと。
4月5日12年振りに見たドラマ
『武田信玄』(NHK)を見る。1988年に放映されて、高視聴率を誇った『武田信玄』の再放送が今日から始まった。武田信玄といえば、山梨県の歴史の中で最も有名な人と言っても過言ではなく、甲府駅前にはその銅像も飾られているほどである。私がまだ山梨にいた頃、この信玄像の前を通って職場に通勤しており、毎朝必ず信玄の顔を見るのが私の日常だった。雨の日も風の日も雪の日も、そして真夏日も、いつも変わらぬ姿勢でそこに居座り続ける信玄の前を、いろんな思いを抱えながら通り過ぎたことを思い出す。あれからまだ何年も経っていないのに、これを書いていたら急にノスタルジックな気分になってしまった。とはいえ、あの頃に戻りたいなんて絶対に思わないけどね。
毎年4月の第2土曜日には「信玄公まつり」が行われ、毎年多くの人々で賑わう。近年ではこのお祭りに芸能人が参加することも多く、聞くところによると今年は舞の海が信玄公役を務めるのだとか。「腐っても舞の海」になるか否かは疑問だが、それでもある程度の人出にはなるんだろうね。(後日談:ナント!去年より5万人多い25万人の人出だったとか。「腐っても舞の海?」いやいやあのリストにはまだまだいれられませぬ。)
『武田信玄』がリアルタイムで放映されていた当時私は高校生だった。大河ドラマの舞台になった県や場所は一気に観光名所と化すので、県はゆかりの地は観光PRに必死になる。1988年の山梨県もこの例に漏れずで、大河ドラマに便乗して観光客に来て貰うためにPRに躍起になっていた。当時の甲府駅は、まるで武田家に占領されたが如く、動かざること山の如しだった(ん?)。高校生の私は学校に通うために毎日甲府駅を利用していたので、観光客がいつもの年より増えていることくらいは手に取るように分かった。よく観光地などにありがちな、立て看板に顔の部分だけ穴が空いていてそこに顔を入れると、「さあ!あなたもこれで信玄様に!」…って、なれる訳ないだろ。あー恥ずかし!それが、甲府駅にも設置されていたので「写真を撮って下さい!」なんて観光客に頼まれた暁にゃあ、撮る方も恥ずかしいことこの上なかった。
1988年の信玄公まつりに来た芸能人は中井貴一さんと紺野美沙子さんだった。つまり大河ドラマで信玄と三条夫人を演じていたふたりがそのまま信玄公まつりにも来たと言う訳だ。この年は、大河ドラマも相俟って凄い人出だった。あれから12年経っても色褪せることなく活躍しているふたりを再放送で改めて見て「こいつは近年稀に見る凄い名作の大河ドラマだったのかも。」と思わされることになった。今日第1回放送分を見て、これが実質TVドラマ初出演だった真木蔵人さんの初々しい演技が話題になったことを思い出した。若き日の晴信を演じ、いわばその後演じる中井貴一さんに繋げていかなければならないという役どころなのだが、この変化振りも素晴らしく自然だったので改めて感動させられた。そして小川真由美さんの悪役(?)振りも素晴らしかったし、「今宵はここまでにしとうございます。」と最後に必ず語る若尾文子さんのナレーションも趣き深くいとよし。(余談:『あすか』の「続きはまた明日」はこれのパクリか?)そして何といっても、「おここ」と後に「湖衣姫」を演じる南野ちゃんの可愛らしさといったら…いやいやそれはもう。
この『武田信玄』はNHKで国会中継等で放送されない日もあるけれど、基本的に午後3時10分から平日毎日再放送されることになっている。12年ぶりの大河ドラマでも真剣に見て、苦手な歴史を克服するための足掛かりを作るのもオツなものかもしれないね。
4月6日こどもにみせたくないてれび
TV番組について考える。番組の切り替え時にはスペシャル番組が目白押しになる。そんな中、今日は特記出来るような番組がないので、ネタとしてあたためていたことを書きたいと思う。
以前、どっかのPTAなんとかが選んだ子供に見せたくない(というか教育上よろしくない)番組に『稲妻!ロンドンハーツ』(テレ朝)が選ばれたというニュースがあったのをご存知の方も多いだろう。あなたはこのニュースを聞いてどう思っただろうか。「その通り!」と思っただろうか。それとも…
鑑賞日記を書き始めてこの7月22日がくれば2年になる。その間膨大な番組について私は思うところを述べてきた。だからこういう形で槍玉にあがる番組があると、私はこの日記を過去に遡って槍玉にあがった番組について書いた日記を改めて読み直すことにしている。良いとか悪いとかの先入観なしに書いた日記が、どんな内容なのか知る必要があるからだ。どんなに日記の数が膨大になろうとも、幸いなことに書いた番組については殆ど覚えているので、『稲妻!ロンドンハーツ』についても過去に何度か書いていることくらいすぐに分かった。で、検索。あったぞ!うんうん。何回かこの番組については取り上げて書いているけれども、初めて取り上げた時が一番象徴的な内容の日記だった。
その日の日記のところにリンクを貼ろうかな?と思ったけれど今回は止めておこう!(興味のある方は探してごらん!)この日の日記を改めて読んで、私は随分驚かされた。まるでこうなることを予想していたかの内容だったからだ。番組の形態がその当時とは少し変わってしまったので、すべてが今と同じという訳ではないけれど、PTA云々から叩かれたと思われる部分は今も変わってはいない。結論から言えば、私は『稲妻!ロンドンハーツ』はそれほど嫌な番組とは思っていない。全体を読んだ印象も嫌なものを見て書いたという印象は受けない。過去に書いた日記とはいえ自分で書いた文章なので、読めばその日記をどういう心境で書いたかくらいは分かる。目に余るような番組は最初から見る気もしないので、ここに登場するはずもないのだが、それでも場合によっては登場することもある。だけど『稲妻!ロンドンハーツ』に限って言えばその後の鑑賞日記のも何度か登場しているし、ある日の日記などには「見て!」だなんて勧める言葉まで書いてあるくらいなのだから…。そんなことからも、私がこの番組をどんなふうに捕えていたかが良く分かる。
『稲妻!ロンドンハーツ』を見た印象として「下品の基準は人それぞれだから、下品の基準って難しい。」というようなことを書いている。つまり私自身はこの程度では下品だと思わないけど、他の人が見たらもしかすると下品かもしれない。だからその判断は非常に難しいと思うということなのだ。「カラッとした下品」と「じめっとした下品」。私が思う「下品さ」には、だいたい2パターンあると思う。『稲妻!ロンドンハーツ』の下品さは私には前者のように思える。一昔前に子供に見せたくない云々で騒がれた『8時だよ!全員集合!』(TBS)などもこの部類に属すると思う。(そういえば、この番組が「低俗だ!食べ物を粗末にして!」と叩かれた当時を振り返ったドリフターズのとあるひとりのメンバーが「食べ物を粗末にしたシーンの後で必ず怒るシーンがある。この怒るシーンを激しくすることにより、食べ物を粗末にしてはいけないということのメッセージを送っていたんです。」と言っていたのふいに思い出した。)それに対して後者の下品さは、例えばモザイクをいれなければ放送できないような出演者を集めた番組だったり、ワイドショーで放送されることが多いすったもんだの類だったり、日曜日にやっている某番組だったり、と私は思うのだけれど、困ったことにこのテの番組は、どっかのPTAなんとかが大好きな番組だったりする訳だから、絶対に子供に見せたくない云々という番組として挙がってくることはないのだ。ああ何と言うことか…
さっき「下品の基準は人それぞれだから難しい」と書いた。その難しいけど敢えて書くとするならば、私の下品の基準は、人間誰しも持っているであろう人間の嫌らしい好奇心の目(Hという意味ではなく、自分さえよければ良いとか、他人を蹴落としてまでとか、あの人達に比べれば私はまだ幸せとか、あの人が私より幸せになるのは許せないとか、そういうような気持ちのこと)で見るような番組だと思う。そういう番組を「じめっとした下品」と表現したのだが分かって戴けただろうか。他人事だから平気で見られるような、ひとりじゃ絶対に出来ないのに大勢なら平気だと思ってしまうような、そしてそこに自分の愛する人がひとりもいないからといって平気で何でも出来るような、そういう番組は凄く嫌だと思う。上記で挙げた番組以外にも、この例に当てはまる、例えば決定的瞬間の類の番組なんかにもいえると思う。自分がもしその当事者だったら絶対に見たくないはずの映像なのに、他人事だからと決定的瞬間という名を借り平気で見られるような精神は物凄く嫌らしいと思う。金八先生気分で語るとすれば、「下品」の「品」には人柄という意味があって、「下」には劣っているという意味がある。つまり「下品な番組」というのは「人柄が劣っているような」番組のことで、他人事だからと人が嫌がるようなことでも平気で出来たり見られるような、人間の中にある嫌らしさ丸出しで見るような番組こそ、下品な番組に他ならないと思うのだ。しかもそんな番組を楽しんで見ているようなことだったら、もう言語道断だ。
そういう強烈な下品さに比べたら、『稲妻!ロンドンハーツ』などまだまだ可愛いものだ。勘違いしないで欲しい。私は決して『稲妻!ロンドンハーツ』が上品だといっている訳ではないのだ。上品か下品かと言われれば下品の部類に属するだろう。確かに出演者の言葉遣いが悪かったりといろいろ問題もある。でも、こんな番組に大騒ぎするよりも「おい!どっかのPTAなんとかよ!その前にもっともっと騒がなければならない番組があるんじゃないのか?」ということを私は言いたいのだ。あと、某タレント事務所に所属するタレントさんについても常日頃から思っていることがあるのだけど、ここに書けるような内容ではないので、自粛せざるをえないのが残念だ。鑑賞日記を約2年書きながら、いろんな番組について深く考えてきた中で、それは常々実感していることなのだ。
例えば、こどものあにめだと思っている『名探偵コナン』(NTV)が、実は大人のアニメだという紛れもない事実を知っているのだろうか。あの人たちは。「おもしろいところ」や「はくりょくがあるばめん」ばかりに捕らわれているこどもたちが、コナンアニメの神髄にある人間のワビサビなんぞを理解出来るはずもないし、それより毎回起こる結構リアルな殺人事件や、それがたとえアニメであれ死体映像を毎回見るということが、「子供に見せたくない番組」と番組を名指ししてまで守りたい子供たちにどういう影響を与えるのか、知っているのだろうか。あの人たちは。本当にこどもたちに見せたくないようなシーンは、こんなふうに思いがけないところに潜んでいるものなのだ。
番組を見る目は、きちんと養っていきたいと思う。私は鑑賞日記を書き続ければ…あなたも鑑賞日記を読み続ければ…見る目が養われる……と、いいんだけど。ね。
4月7日役者とは
『春の夜の夢3連発SP・奇跡の大逆転』(TBS)を見る。『メイシー』が終わって早1週間。やっぱりなんか淋しい。♪メイシーメイシー〜と心の中で唄っている自分に気が付いたとき、もはや『メイシー』は生活の一部と化していたことに改めて驚かされた。たかが5分されど毎日5分の『メイシー』だったんだなと、今更ながら「毎日5分でいいから○○しなさい。」と言っていた大人たちの気持ちが理解出来たような気がする。小学生の頃、毎日たった紙切れ1枚の学習プリントをやるのが、めんど臭くなって途中放棄しちゃってごめんなさい。
と、そんなことを思っていた矢先、今日放送されたこのオムニバスドラマの「罪は罪を呼ぶ」という一編に、メイシーでいい感じのナレーターをやっていた仲村トオルさんが出ていた。「人間なんて信じない!」という役柄を演じていた仲村さんを見ながら、私はこの人がどんな顔してメイシーのナレーションをやっていたのだろうかとついつい想像してしまった。役者の仲村さんと、メイシーでナレーターをやる仲村さんの姿は、何度想像してみてもどうしても一致しない。だけど、これこそ役者というものなのではないだろうかと私は思うのだ。どんな役をやらせても上手くはまる。『ビーバップハイスクール』という強烈な映画で世に現れた仲村さんは、ともすれば例えば舘ひろしさんみたいに“どんな役をやってもやっぱり刑事に見える”俳優さんになる可能性は十分にあったと思う。でも上手く脱皮して、今じゃ「人間なんて信じない!」という役者から、子供向けアニメのナレーターまで本当に様々な役柄をまんべんなくこなせる役者さんに成長したんだなあと感心してしまった。
どんな役でも違和感なく演じることが出来る、役者とはそういう人のことをいうのだと思う。芸能界、俳優を生業にしている人は数いれど、本物の役者というのはまだまだ少ない。仲村トオルさんは数少ない若手の役者だと確信した。
4月8日土曜の朝の理想と現実
土曜日朝の番組を見る。土曜日の朝の番組というのは、どうしてこんなにも旅番組が多いのだろうか。何も予定のない土曜日。外はいい天気。TVをかけると旅番組。それではどこかに行きたくなっても当然だ。実は今朝もそんな気分だった。でも現実は…
現実は、明日の例会のための会報作りの追い込み。コピーをしたり、準備をしたりと忙しい1日。家の中で缶詰状態。TVの中でとても楽しそうに、旅をするタレントさんとは程遠い生活だ。TVの中では青い空と青い海が広がっている。美味しそうなものを食べている。でも現実は…
現実は、いつもと変わらない朝ご飯。ご飯とお味噌汁と…。TVの中でとても美味しそうに、豪華な食事をするタレントさんとは程遠い生活だ。仕事といえどとても気分爽快に旅をするタレントさんの表情が素敵だ。楽しそうで爽やかそうで…。でも現実は…
現実は、全然爽やかじゃない自分の表情。ただ羨ましそうにTV場面を見つめる私の顔は全然楽しそうでも爽やかそうでもない。ただ青い空だけが恨めしい。
何も予定のない土曜日。外はいい天気。どこかに出掛けたくなるのは当然だ。それでも現実はなかなかそうもいかない。やらなければならないことをきちんとやんなくちゃならないし。そして…
そして私は、意を決してTVを消し、会報のコピーを始めた。やらなければならないことをきちんとやり終えたら絶対にどっかへ行ってやる!美味しいものも食べてやる!そしたらTVの中で楽しそうな顔をしていたタレントさんに負けないくらい楽しむんだ!
週末がスタートする土曜日の朝に旅番組が多いのは、きっと平日の束縛から思いきり解放されるためのバイブルだからかもしれない。「週末だよ!みんなもどこか旅にでようよ!」ときっと誘っているんだと思う。そんなふうにTV画面の中の世界を羨ましく思いつつも、日常を生きなければならない現実。このもどかしさをきちんと知っているからこそ、自分が旅に出た時には思いきり楽しみたいという思いが強くなるんだろうね。ただ、その思いがあまりにも強くなりすぎると、羽目を外し過ぎてとんでもない結果になっちゃうから注意しなければいけないんだけどね。
「今度自分が旅に出るときは、今日みたいにいいお天気でありますように。」そう強く強く祈ったから、何も予定のない土曜日の現実でも、ほんの少しだけ頑張れそうな気がした。
臨時ニュース:またまたモーニング娘。ネタ。どうやら、今度は市井さんが脱退だそうな。この間4人が入ったと思ったら…。入れ替わりの激しいグループやなあ〜。
4月9日TVの向こう側を垣間見れば、実は…
『あいのり!金ドンSP』(フジ)を見る。この4月から10分拡大して放送時間が30分になる『あいのり』の、いわば今日は総集編だ。旅の最初からいる、通称金ちゃんという男の人にスポットを当てて総集編は放送された。未公開部分以外は全て見知った映像だったので、特にどうということはなかったけれど、リアルタイムで見たときと今とでは、私の心境に変化があったので、ちょっとだけ複雑な気分で番組を見ることになった。以下の文章は、純粋な気持ちで『あいのり』を見ているファンがいたら、場合によってはかなり驚く内容になることを最初に断っておく。もしこれからも純粋な気持ちで見たいのなら、この先は読まない方がいいかも。それでは。
今までもその類の番組はあったけれど、最近また素人の恋愛番組が人気だ。この『あいのり』しかり、『未来日記』しかり。特に『未来日記』は、映画化されることが既に決定しているほどだ。以前『未来日記』に出ていた素人の女の子が実はモデルさんで、その後『ココリコA級伝説』に水着姿で登場したなんてこともあった。また別な女の子は、歌手デビューをしているなどという情報も得ている。素人とは名ばかりで、実際はモデルさんだったりタレントさんだったりして、ガッカリさせられるパターンも多い。純粋な気持ちで番組を見ている人なら尚更のことだ。
そして『あいのり』。以前の日記の中で、この金ちゃんが実は某タレント事務所に所属するタレントさんであるということを書いた。その後、最近になって、みどりちゃんもまたタレントさん(しかもふたり組のお笑いタレント!!)であるということを知った。しかもみどりちゃんは『あいのり』に出演する前に、みどりという名でなく別な名前で既にタレントさんデビューをしていたのである。事務所のHPのタレント名鑑によると、1999年4月の段階で『所的蛇足講座』(NTV)のアシスタントを務めていたことも書いてある。6月にコンビ結成。そして10月にみどりちゃんは『あいのり』の旅に出るのである。ちなみにこのプロダクションには、みどりちゃんだけでなく、現在『あいのり』で旅を続けている別な女の子の名前もあった。(彼女もふたり組のお笑いタレント!)。その他にも、タレントさんもどきはたくさんいて、(『なりゆき』の頃から)純粋に素人の恋愛番組だと思って見ている人には、申し訳ないんじゃないかと思うくらいの状態なのである。
それを知ってから、今日『あいのり』の総集編を見ていたら本当に複雑な気持ちになった。もちろん中には純粋に素人さんが参加している場合もあるだろう。でもなんかこうも多いと、全部そう思えちゃってなんだかなあと思ってしまう。私の気持ちも複雑だけど、それ以上にTVの世界は複雑だ。
4月10日伝説の料理
『HEY!HEY!HEY!犇のバトルスペシャル』(フジ)を見る。浜田雅功さんと奥田民生さんのアーチェリー対決は、まるで『人気者で行こう!』(テレ朝)を見ているようだった。7時30分になったので『名探偵コナン』(NTV)にチャンネルを変えたら、アーチェリーをやるシーンから始まったので、まるで筋書きのあるドラマのようだと思いつつも、こんな偶然もあるんだなあと思ってしまった。(もし意識的だったら凄すぎる!!)
コナンが終わって再びチャンネルを戻したら、松ちゃんと鈴木あみちゃんの料理対決の真っ只中だった。松ちゃんは以前、福山雅治さんとも料理対決をしており完敗している。その時「ひーちゃんライス」という素晴らしい伝説の料理を作り上げたことは、多くの人の心に深く刻み込まれたはずだ。で、今回また松ちゃんのレパートリーの中に「ひーちゃんライス」が登場した。この謎のメニューである「ひーちゃんライス」とは、フライパンの上にバターを敷いてその上にご飯を載せて炒め、そして塩胡椒で味をつけて、最後に醤油をかけて出来上がりという簡単なものだ。想像付くだろうか?でも今回少しだけ違ったのは、「ひーちゃんライス」の上に生卵をのせたことだ。その名も「よそ行きひーちゃんライス」OH!ワンダフル!!が、しかし、上の生卵が試食する頃には既に固まっていて、この世のものとも、もちろんよそ行きとは全く思えないお姿をさらしていた。
松ちゃん自身それほど料理の腕が良いわけでわけでもないのに福山さんに続いてあみちゃんに対決を挑むのは、何かそうしなければならない訳でもあるのだろうか。確かに見ている分には面白いけど、途中でまだ明らかに食べられるものを捨てようとして会場からブーイングが来たり、試食する人の気持ちになってみたら、結構辛いものがあると思うんだけどね。これからもこの料理対決は続くんだろうか。続くとしたら対戦相手は誰になるんだろうか。もしかして中居くん?SMAPの中で唯一料理の腕を披露していない、あの…ってこれじゃあまるで…
「ひーちゃんライス」という素晴らしい伝説の料理を作り上げた松本さんは、その名も『伝説の教師』(NTV)というドラマに初出演する。かの中居くんと一緒に。で、何の教師かと思ったら、あの金八先生と同じ国語の教師なんだとか。まさか家庭科の教師で料理を教えるなんて訳はないと思ったけど、もしそんなことがあったら、これぞまさに素晴らしい伝説の料理を作り上げた伝説の教師、になっちゃうね!
4月11日噂ノシンソウ
『徹子の部屋』(テレ朝)を見る。噂には聞いていた。『徹子の部屋』で時々徹子さんが、飼っている(?)AIBOを持ってくることがあって、そんな時はいつもAIBOと戯れてしまいゲストそっちのけになってしまうことがあるということを。
以前石田ゆり子さんがゲストで来た時にもこのAIBOが登場して、徹子さんはゲストの石田さんそっちのけで戯れていたそうだ。その噂を聞いてから、いつか私もそんなシーンを見てみたいと思っていた。とは言っても、『徹子の部屋』自体がそう見る番組ではないので、なかなかお目にかかれるものではなかった。自分のお目当てのゲストが来た時にでも運良く(?)登場してくれればいいんだけど、なかなかそう上手くもいかないし、それよりお目当てのゲストの時にそっちのけにされても困るから、なかなか複雑な心境になる。
今日のゲストは和田アキ子さんだった。和田さんが先日事故で入院した時に、徹子さんは和田さんに励ましのお便りを送ったそうだ。でも、その手紙に書いてある文字がとても読みにくかったので、和田さんは、とある番組のなかでこのことを言ったそうなのだ。そしたらその番組を徹子さんも見てたみたいで、今回ちょうどこの話になった時、しばらく言い合いになってしまったのだ。和田さんもこの手紙を持参してきており、その手紙がどんなものだったかTVカメラに向けて内容が分からない程度に公開してくれた。なるほど!そういうことだったのか。実際にその手紙を見て私も和田さんが言いたいことが分かった。和田さんも言っていたけれど、読みにくいという一番の理由は、勿論字の形云々という問題もあるけれど、それより何よりバランスの悪さが原因なのだ。最初の書き出しの部分は大きいけれど、そのうち次がどんどん小さくなっていき、書ききれなかったのか、終いには手紙の裏側にまで書いたりあっちへ飛んだりこっちへ飛んだり…と、とにかくバランスが悪い手紙なのだ。きっと徹子さんの中では、普通に書き始めるんだけど、書いているうちに気分も高揚してきて書きたいことが沢山出てきて、で結局ああなっちゃうんだと思う。便箋に書けばいいものを、徹子さん。大き目のカードみたいなものに書くから余計それが目立ってしまうのだと思う。
徹子さんのその手紙を見ていたら、そういえば私の小学校時代のとある恩師も、まさに徹子さんのような年賀状等をくれたことを思い出した。書いてある内容は素晴らしいんだけど、とにかく読み辛いのが難だった。最後の方にいくと、字が小さくなって矢印通りに辿っていくと、裏まで書いてあるし…まったくトイレの個室に入ったら「右を見ろ!」と書いてあったから右を見たら、今度は「後ろを見ろ!」と書いてあって、後ろを見たら、OH!何じゃこの絵は?…っていうんじゃないんだから、矢印ひとつでとんでもない世界に迷い込ませないように!…と、おっと、話が逸れたぜ!あっそうそう!そういえばこの先生。徹子さんと雰囲気も似ているかもしれない!何だか急に懐かしい気分になってきてしまった。お元気ですか?先生。私はこんなになってしまいました。
それでも、手書きの手紙をきちんとしたためる徹子さんは、いかにも徹子さんらしい感じがして妙に好感が持てる。番組の終わり近くになって、CM明けに急に徹子さんが風呂敷から何かを取り出すので「何じゃ?」と思ったら、ナント!噂には聞いていた、かのAIBOだった。徹子さん曰く「和田さんが退院なさったので、AIBOくんにも見せたかった。」ということのようだが、やはり徹子さん噂に聞いていた通り、AIBOと戯れまくり和田さんはそっちのけにされてしまっていた。おまけにそのAIBOくん、和田さんの目の前で後足をあげて×××までしてしまう始末で、番組の後半はそれはそれはもう大変な状態になっていた。
噂には聞いていたAIBOと徹子の微妙な関係。一見の価値ありかもしれない。その昔『窓際のトットちゃん』という黒柳徹子さんが書いた本が大ベストセラーになったことがある。読んだ人も多いだろう。物語の前半で徹子ちゃんが小学校を退学になるエピソードがあるが、AIBOと戯れる徹子さんを見ていると、あの頃のまんま変わっていないのかもしれないなとふと思わせてくれる。そんな徹子さんだからこそ、AIBOちゃんを人一倍可愛がっちゃうんだ
ろうし、「和田さんが退院なさったので、AIBOくんにも見せたかった。」と言う思いが湧き出るのだろう。大好きなAIBOくんを逢わせたいゲストというのは、きっと徹子さんも好きなゲストなんだと思う。自分の好きなゲストのときに、AIBOくんが登場するのも思うほど悪いものではないのかもしれない。次にAIBOくんを見られるのはいつのことなんだろうか。その時のゲストが誰なのか今からとっても興味が涌く、私である。
4月12日っぽい歌。っぽくない歌。
『みんなのうた』(NHK教育)を見る。『みんなのうた』で、所ジョージさんの歌が流れていたので驚いた!タイトルも『♪歩いてみっか!』。『みんなのうた』を時々見ると、結構意外な人が唄っていたりすることがあるので、今までも驚かされてきたことも多かった。それに最近は『みんなのうた』っぽくない歌(といっても、『みんなのうた』っぽい歌がどんなものなのかははっきりとは分からないんだけど)多く流れているので、少しくらいのことでは驚かなくなっていた。それなのに今日ばかりは本気で驚いた!何故って所ジョージさんと『みんなのうた』がどうしても結びつかなかったからだ。
所さんの歌が終わったその後に流れてきたのは、西田ひかるちゃんの歌だった。こちらはうって変わって、いかにも『みんなのうた』っぽい、NHKっぽいなと思える人選と曲調だった。西田ひかるちゃんの歌を聞きながら、妙なことが頭を過ぎった。そう!年末。この歌を引っさげて『紅白歌合戦』に出場してしまうのだろうか?ということが。まさかねえ…なんてことは要らん心配でありますように。
4月13日妙な事件の思わぬ被害者
ワイドショーを見る。ここ静岡県で妙な事件が起きた。ディズニーのキャラクター「チップとデール」もどきの着ぐるみを着た男が逮捕されたという事件だ。事件のあらましは大きく報道されているので割愛させて頂くが、静岡県内で起こった事件だったので、昨日のローカルニュースの中でも大きく扱われていた。事件が事件だけにワイドショーも興味を持ち、今日の朝のワイドショーの殆どがこの事件をトップニュースとして扱っていた。この事件を伝えるニュースの中で何が興味深かったかといえば、何といってもその報道の仕方だろう。あるワイドショーでは、犯人の顔にモザイクを入れて分かり難くしていたのに、また別のワイドショーではモザイクなしできちんと顔を映していた。同じTVなのに、どうしてこのような差が生まれるかといえば、やはり局側の意識の差だろう。犯人は未成年でもないのに何を基準にモザイクありなしの判断をしているのかは私には分からないが、モザイクありにするからには、それなりの理由というものがきちんとあるのだろう。私はその理由を知りたい。ついでに、犯人が護送されていくときに何ゆえにアノ部分にモザイクが入るのか、その理由も知りたい。このふたつの理由をどなたかご存知の方はござらぬか?
それにしても公開されていた写真というのが、犯人自身が配っていたプリクラの写真だったというのが面白いというか、この事件の妙なところだ。公開されていた写真にはしっかりと犯人の顔と、その隣には「チップとディール」もどきの着ぐるみの顔が、まさにツーショットで映っていたのだから、これもまた面白いというか何というか…。ワイドショーのインタビュアーが、この犯人が着ぐるみ姿でよく出没したという静岡市内の街頭で女子中高生にインタビューをしたところ、当然のように目撃情報も数多くあった。それによると「チップとディール」もどきの着ぐるみだけでなく、馬のかぶりものをして出没することもあったようだ。とある女子高生など、自分が通う学校の運動会(体育祭?)でも目撃したと言っていた。なんでも、先生と一緒に仲良く走っていたそうで、ちょっとした巷の有名人だったようだ。
私が流石ワイドショー!と思ったのは他でもない、過去に取材された街頭インタビューの映像の中から、この犯人が映る映像を捜し出していたということだ。(でも実際に捜し出したのは、地元のローカル局なんだろうけど。)馬のかぶりものをして自転車に乗った人が、インタビューをされている人の後ろをさり気なく通り過ぎていく。その映像を何度も何度も放送しているのは、まさしくワイドショーの神髄であろう。そのインタビューが行われた一週間後に、犯人は逮捕されたのだという。いやはや何とも言い難いものである。街中で馬のかぶりものをして自転車に乗っている人を見つけたら随分驚くと思う。「あれ?何じゃ今の?」っと思って振り返った時にはもういなかったら、もっと驚くかも!!
それにしても、今日の新聞の欄外でこの事件に触れて【ディズニーの人気キャラクター。ドナルドダックの天敵でいたずら好きのシマリスのコンビ。前歯が1本で鼻が黒く、頭の回転が早いのがチップ。前歯が2本で鼻が赤く、ちょっと眠そうな方がデール。】と、チップとデールの解説がきちんと載っていたのには笑った。こんなことでもなければあの解説欄になど多分載るようなことのない「チップとデール」が、こんな形でクローズアップされてしまって「チップとデール」も気の毒だ。だって、よくよく考えたら、あれは『「チップとデール」の着ぐるみ』ではなくて、『「チップとデール」もどきの着ぐるみ』なんだから。似ていたばっかりに、いい迷惑だ。実際に私も本物の「チップとデール」がどんなものか改めて調べてみたんだけど、やっぱりアイツはニセ者だった。
今後もし珍事件なんかを扱うスペシャル番組があったら、絶対に取り上げられそうなニュースだと思う。世の中には変わった事件もあるものだ。
4月14日
『QUIZ』(TBS)を見る。何の事前情報も得ないまま、ただタイトルだけに惹かれて見始めたドラマだ。ただタイトルだけに惹かれて見始めたドラマなんて今まであっただろうか。そしたら、まるで『ケイゾク』(TBS)みたいなドラマだった。おまけに出演者もかなり『ケイゾク』と被ってるし、(鈴木紗理奈さん・竜雷太さん・生瀬勝久さんら)他の出演者を見まわしても、岡本麗さんや浅香唯さんなど、他の刑事ドラマに出ていたような人が目立つキャスティングだった。え?浅香唯さんの刑事ドラマって何だって?アレを刑事ドラマと呼ぶかどうかは非常に難しいところだが、一昔前に一世を風靡したシリーズ物のアレといえば分かるかな?
と、何だかいろいろ驚いている間に第一話は終わってしまった。いろんな意味で『ケイゾク』に良く似たこのドラマが唯一違うところは、『ケイゾク』が一話完結なのに対し『QUIZ』はひとつの事件が最終回まで続いていくという連続もので、第一話で起こった誘拐事件の犯人を最終回に向けて推理していくというものなのである。そう言った意味では最近放送されたドラマでは『眠れる森』や『氷の世界』(フジ)により近いかもしれない。今後、犯人が誰なのかインターネット上でも推理大会が行われることが予想されるけど、今の段階ではまだ何が何だか良く分からないといった感じだ。
タイトルが『QUIZ』である理由は、誘拐事件の犯人が毎回送ってくるメールがクイズ形式になっているからである。例えば第一話「くいずです。あなたのいちばんたいせつなものなーんだ。ヒント・すでになくなっています。」とか「からだのうえにあってうえでないものなーんだ。」とかそんな感じのメールが送られてくるのである。何とも不可思議なドラマだ。
タイトルだけに惹かれて見始めたドラマだけど、何となくこのまま見続けていきそうな気がする。ただ見てると凄く疲れそうなドラマなんだけど。でもま、いっちょ疲れてみっか!
PS「件名 くいずです。きょうのかんしょうにっきは、いつもとおおきくちがうぶぶんがあります。さてそれはなーんだ。ヒント・いつもあるけど、きょうはありません。」
*答えはちゃんとありますよ!分かった人がいたら、メールで解答を送ってね。
4月15日blizzard
『大草原の小さな家』(NHK教育)を見る。『blizzard』という単語を聞くと、あなたは何をイメージするだろうか。私は、といえば、真っ先にユーミンの歌を思い出す。スキー場なんかで流れていると、妙にマッチしそうなあの音楽。♪blizzard〜blizzard〜…そう!少なくともついさっきまでは、こんなふうにユーミンの歌を思い出していた。でも…
今日の『大草原の小さな家』のタイトルは、その名もズバリ『blizzard』。日本語タイトルでは『雪あらし』と訳されていた。私自身大好きなドラマであると今までも何度か書いているように、本当に毎回いいお話が多い。
【クリスマス前日。ビードル先生が子供たちにクリスマスクラフトを作らせているところに雪が降ってくる。先生は子供たちを早めに帰宅させるが、帰宅し終わる前に大吹雪になってしまう。ローラ・メアリー・キャリーも遭難する。町の大人の男たちは、総出で子供たちを探しに行き、女性は受入態勢を整える。ビードル先生は、自分の間違った判断の制だと自らを責める。「先生のせいじゃないよ!」と慰めるウイリー。その頃、崩れ落ちそうな小屋を見つけたローラたちはそこに避難する。そこに、チャールズ父さんとエドワーズおじさんが助けに来る。ローラたちは無事学校に避難することができた。一夜明けて、無事エドワーズおじさんとその子供たちも帰ってくる。みんなが喜びに沸きかえる頃、ヘンリー母子だけが悲しい顔をしていた。そうヘンリーのお父さんだけ雪あらしの中帰らぬ人になったのだ。チャールズ父さんは、静かに聖書を朗読し始めた。】これが今回のストーリーの概要だ。
いつも憎まれ口ばかり叩いているウイリーが先生にみせた優しさは、何といっても今回特出すべきものだし、ビードル先生の気持ちも痛いほど伝わってくる。他の人の子供が次々に見つかる中、なかなか自分の子供が帰ってこない時のキャロライン(ローラの母さん)の心境も辛いし、結局お父さんが帰らぬ人になってしまうヘンリー母子の気持ちを思うともっと辛い。それぞれの登場人物の気持ちが痛いほど伝わってくる名作だと思う。
TVドラマを見ていて、誰かひとりに気持ちを入れ込んで見るということは多い。でもこんなふうに全ての登場人物の気持ちが理解できるというのは非常に稀なことなのではないだろうか。いつも憎まれ口を叩いているウイリーも、その母オルソン夫人も、みんな優しさ溢れる人として描かれていたし、そこには「人間心底悪い人はいないんだよ!」という作者のメッセージをおもいきり感じ取ることが出来る。
見終えた後の感じがいつもいいこのドラマだが、今回は特にそれが際立つ名作だった。『blizzard』。この単語を聞くと、私はこれから今日見たドラマのことを真っ先に思い出すだろう。作者が伝えたかったあのメッセージを。そして『blizzard』即ち『雪あらし』という意味はユーミンの歌♪blizzard〜blizzard〜…みたいな耳触りの良いスキーをイメージさせてしまうようなものという意味なんかではなく、厳しい自然のものなんだと肝に命じることだろう。ふと、昨年の夏、川で起こった事故のことを思い出した。自然は恐いのだ。ナメテかかると、命まで流されてしまうのだ。『大草原の小さな家』は、本当にいろんなことを私に教えてくれる素晴らしい名作ドラマだ。
4月16日大好きか
CMを見る。久々にCMネタでも書くか。今とても気に入っているCMがある。「♪こどもだってうまいんだもん。のんだらこういっちゃうよ。QOO〜」のCMと言えば分かるだろう。あの何者なのか分からないキャラクターが可愛いのでとても気に入っているのだ。先日などあまりにもこのCMが気に入ったので、なんとかビデオに収めようと苦労してやっと収めることが出来た。繰り返し繰り返し見ても、イマイチ「QOO〜」の後に流れるメロディーが覚えられない。半音上がったり下がったりする部分があるので、難しいのだ。
ところで、この「QOO」のCMについて調べたところいろんなことが分かった。このキャラクターの名前は「QOO」・特徴は「クーとしか話さない。QOOを飲むとほっぺたのオレンジが赤くなる。」好きなものは「おいしいのみものと優しい子供」で、嫌いなものは「いじわるな子供」なんだとか。
このQOO。実は最初は九州の宮崎で試験販売されたらしく、それに伴い宮崎バージョンのCMもある事が分かった。いちおう分かっている範囲で言えばこのCMには今までで5バージョンある。「第1弾 パパのもお願い編」「第2弾 お風呂上がり編」「第3弾 お手伝い編」「特編 定規で確認編」「第4弾 いたずら編」。この「特編」というのは、宮崎のみで放送された「第1弾 パパのもお願い編」のバージョン違いである。ちなみに「特編」は宮崎ではオンエアされていないそうだ。
これからどんなバージョンが出てくるのか楽しみだけど、現在放送されている「いたずら編」が気に入っている私としては、もうしばらく放送していて欲しいなと思う。何をやっても失敗してしまう「お手伝い編」も可愛いんだけどね。それにしても『メイシー』といい、この『QOO』といい、最近可愛いキャラクターに妙に縁がある私。そういえば先日お店に行ったら「QOO」のペットボトルに、「QOOバッチ」が付いていたので、そのバッチ目当てに思わず「QOO」を衝動買いしてしまった。OH!なんということか。衝動買いなどしない私が、おまけ目当てに商品を買うなんて、メーカー側の思う壺ではないか!まるで子供みたいな衝動買いだ。
「QOO」や「メイシー」。私が大好きなこのキャラクターたちのかぶりものを使った事件が起きることはありませんように。そんなことで新聞に「QOO」や「メイシー」の解説が載っても、ちっとも嬉しくないんだから…
4月17日曲の聴きどころはサビですか?
『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』(フジ)を見る。今日ゲストに、コブラツイスターズが来ていた。初出場とのことだ。そういえば私も彼らが音楽番組のなかで唄っているのを見るのは初めてのような気がする。でも、日頃私が聴いているFM・K−MIXでは、もうかなり前から頻繁に耳にしているお馴染みのバンドだ。『♪運命船サラバ号出発』という曲は、メガプッシュトラック(その月に頻繁にエアプレイしてくれる、K−MIXお勧めの曲)にも選ばれたことがあり、K−MIXのカウントダウン番組ではトップ10入りしたこともある。『♪夢の旅人』という曲は、グリコのCMソングにも使われており、軽くヒットを飛ばしている。で、今回は『♪サクラサク』という曲を引っさげての登場だ。この曲は今『エクスプレス』(TBS)のお天気コーナーでも頻繁に流されていて、「♪サクラ咲くよサクラ咲くよサクラ〜」というメロディーが印象的なので、聴いたことがある人もいるだろう。私もこの曲を結構気に入っており、最近よく聴いている1曲でもある。前述の「♪サクラ咲くよ〜」という部分がサビの部分ではあるのだけれど、私自身は唄い出しのメロディーラインの方がかなりイケテルと思って聴いている。
歌のメインは言わばサビにあると言われている。でも、この歌のようにサビよりも唄い出しのメロディーラインや間奏のメロディーのほうが良い曲というのは結構ある。例えばヒスブルの『♪ふたりぼっち』という曲。サビの部分よりも、唄い出しの何章節かの方がいい。地味な曲調のなかにも感じられるノスタルジック感が堪らなくいい。例えばスピッツの『♪ロビンソン』。歌詞がある部分よりも、曲の出だしや間奏に流れるメロディーラインのほうが確実に耳に残る名曲だ。あのメロディーあってこその『♪ロビンソン』と言っても過言ではなく、だからこそこの曲はヒットしたんだと思う。あなたにも1曲くらいはそういう歌があるだろう。サビよりも気に入っているメロディーラインがあるという曲が。サビの方ばかり頻繁に流れるのがもったいないと思ってしまうような曲が。
『♪サクラサク』はもう少し売れてもいいと思うのだけれど、如何せん多くの人々の耳に触れる機会が少ないのが残念だ。ラジオを頻繁に聴いたり、貪欲に多くの音楽情報を仕入れている人ならともかくだが、こういう人はまだまだ少数派だ。殆どの多数派は売れているから買うみたいな感じなので、そういった多数派の人々にまで耳に届くようにならなければ、残念ながらヒットは見込めないというのが現実だ。いいなと思う歌がなかなか売れなくて、いいなと思う人たちもなかなか売れてくれなくて、歯痒い思いをすることも多いけど、変に大ヒットを飛ばして1発屋と呼ばれちゃうのも辛いし…んーここがなかなか難しいところ…と、なかなかヒットしてくれないけど、自分では名曲だと思っている歌を聴きながら、いつもそんなことを考えているのである。
4月18日喋った!
『学校へ行こう!』(TBS)を見る。お!焦ったぜ!びっくりしたぜ!これは事件だよ。どんな事件かって?だって加藤あいちゃんが喋ったんだよ!この番組のなかで初めて。少なくとも私が見る限りでは初めてだよ。あ!正確には、喋っているんだけど、それが放送されないのかもしれないから、喋っているところが初めて放送されたっていった方が正しいのかもしれないね。ずっと気になってたんだ。番組にいるのに、今まで一言も喋らなかったんだもん。何のためにいるのか、私はずっとずっと気になってたんだから。あーびっくりした。だって加藤あいちゃんが喋ったんだよ!!
4月19日21さいのカノジョのうた・22才の彼女のうた・26歳の彼女の歌・32歳の彼女の詩
『アゲハ』(斉藤和義)を聴く。今日はさして取り上げる番組もないので、埋もれてしまっては勿体無い1曲があるので紹介したい。
冒頭に記した『アゲハ』は今年の2月23日に発売されたシングル曲だ。私がこの曲を初めて聴いたのは発売前にラジオでだったのだが、まず最初に感じたのはその鮮烈な歌詞だ。何が鮮烈だったかといえば、一度聴いた後に「もう一度歌詞をちゃんと聴かなくちゃ!」という気持ちにさせてくれるのだ。最初は何気なく聴いていたものが徐々にどんなことを唄っているのか物凄く気になってくる。「あれ?」と思って耳を傾けた時には、既に終わり近くなっていたという感じで、嫌が応でもこの次聴くときは歌詞の内容をきちんと吟味しようという気にさせられるのだ。
「♪21歳の彼女は今日も歌を唄ってる〜」で始まるその歌は「♪32歳の彼女は今日も歌を唄ってる〜」で終わる。この歌の主人公はどこにでもいそうな若い女の子だ。その女の子が歌の中で年をとる。21歳から32歳になる。年を重ねるごとに揺れ動く女心が上手に織り込まれたこの歌を聴いていると、ふいに自分は今この歌のどこにいるのだろうかと考えさせられてしまうのである。
この歌を作ったのは、歌い手でもある斉藤和義さん自身である。男性である彼が、女性の気持ちをあまりにも的確に表現して歌にしているので、私は随分と驚いた。中途半端に女性が同性の共感を得ようとして作った歌よりも、女性の共感を得られるのではないかと思えるような歌だ。この歌の特に好きな部分をあげるとしたら、26歳を過ぎた部分だろう。年を重ねるにつれ生まれる多少の諦めと、肩肘張らなくても生きていかれることに気づいたことに対する余裕。そんな部分が感じられるのが、とてもいい。そんないい歌詞を、まるで英語の歌を聴いているような軽快なリズムと声で斉藤和義さんは唄いあげている。だから初めてのときは歌詞を聞き逃してしまったのかもしれない。
発売から約2ヶ月がたった今でも、この歌をTVで耳にすることはない。歌詞がとても印象的な歌なので、もしどこかで流されたのなら、もっと売れただろうし、多くの人々の心に届いたのではないかと思うと残念だ。歌が時代の中に埋もれてしまう前に、この1曲を紹介した。全歌詞はここには書けないので、この歌がどんな歌なのか是非一度聴いてみることをお勧めしたい。これを読んでいる誰かひとりでも「聴いてみたい!」と行動を起こしてくれたら、私はそれで十分だ。
PS「件名 4がつ14かのくいずのこたえを、このHPじょうにあっぷするよていはありません。こたえのめーるをおくってくださったかたのみにおおしえするというかたちをとっておりますので、しりたいかたはぜひめーるをください。」
4月20日イメージの禁止
『スタジオパークからこんにちは』(NHK)を見る。ドラマを見ている時に感じる役者のイメージというものがある。演じる役があまりにも強烈な役だったりなんかすると、演じる役者さんもきっとこんな感じの人なんだろうなと思ってしまうような。例えば意地悪そうな役をすると、本当に意地悪なのではないかと思ってしまったり、振られ役ばかりやっていると何かいつも実生活でも振られてばかりいそうな、そんな錯覚に陥ることがある。そんな役者さんをバラエティー番組などで見た時、ドラマで見るときとは随分イメージが違い驚かされることがある。「え?こんなに明るく喋る人だったの?」とか、「え?意外と寡黙な人なのね!」とか、私自身も驚かされてきたことは多い。ドラマで見るイメージとのギャップが大きければ大きいほど「流石役者さんなんだなあ〜」と感心させられる。…と、こういった感心で終わるのはよくあるパターンである。でも今日はこれで終わらなかった。ナントこれには続きがあったのだ。
今日のゲストは加賀まりこさん。司会者が変わってしまってから実はあまり見なくなっていたこの番組を、今日は天気が悪かったので何となく見てしまった。司会が上田早苗アナウンサーと、アシスタントが何故か関口知宏さんになっていた。上田アナはいいとしても、関口さんをブッキングするあたりは関口さんの若々しさを買ってか、はたまたオヤジの七光りのためなのだろうか。でも、私的にはオヤジは特に七光っているとも思えないので、前者であって欲しいと願うばかりである。加賀まりこさんをこういったトーク番組で見るのは、多分初めてだと思う。加賀さんといえば、ドラマのイメージ以上に、とあるイメージが強い役者さんでもある。特にバラエティー番組に出たときの加賀さんは、いつも驚くくらいに一定のイメージを保たんとしていて、その為にイメージだけがどんどん一人歩きしている感もある。だから私も、半分色眼鏡で番組を見始めた。「…あれ?」と、思ったのは、番組開始後5分も経たない時だった。「あれ?何かが違う!」結局最後まで違う何かに苛まれたまま見終えることになってしまった。
役者さんがいつも出ないバラエティー番組に出ると、ドラマでは決して見ることが出来ない部分が垣間見られて良いと、言われることがある。バラエティー番組に出るとイメージが崩れるからわざと出ない人も多い。だから私は「役者がバラエティー番組に出る」=「素の部分が垣間見られる」と思い込んでいた節がある。だからこそ私は今日、いつもバラエティー番組で見ている加賀さんの姿を想像して番組を見始めたのだ。そしたら最初から随分と違う加賀さんがいたので、私は随分と驚かされた。「役者がバラエティー番組に出る」=「素の部分が垣間見られる」という場合も確かにあると思う。でも本当の役者さんはバラエティー番組に出ても決して素の部分はあまり見せずに、バラエティーをまるでドラマの如く演じきっているのではないだろうか。
ドラマのイメージ。バラエティーのイメージ。トーク番組でのイメージ。そしてもっともっといろんな面がありそうな加賀さんに、本物の女優魂を垣間見た気がした。女優について語る加賀さんは、バラエティー番組なんかでは決して見せないような表情をしていた。加賀さんはこの4月から始まった朝の連続テレビ小説『私の青空』にヒロインの母親役として出演中だ。「私の好きなシーンなんです。」といって『私の青空』の中で挙げられたワンシーンは、私自身も今朝いいなと思って見ていたシーンだった。内舘牧子さん脚本のドラマに良く出演しているという話しの中で「内舘さんの作品に登場する女性像は安心して演じられるんです。」と語った加賀さん。ヒロインの田畑智子ちゃんについて「演技が上手。だから安心していられるんです!弟役の山崎裕太くんも上手で、いい娘息子に囲まれて幸せ!」と語っていた加賀さんはやっぱり、バラエティー番組で見る加賀さんとは違った。
この鑑賞日記の読者の2割(もうちょっと多いかな?)くらいは、私に逢ったことがないだろう。そういう人は、多分この日記だけで私がどんな人なのかを想像をしているかもしれない。でも実際に逢ってみたら「あれ?全然違うじゃん!」なんてことにも成りかねないから、中途半端なイメージなら、いっそのこと持たない方がいいと思うよ。だから私も、中途半端な色眼鏡で人を見るのは止めようと思う。絶対に。
4月21日永遠の詩
今日ばかりは衛星放送が映らないことが、とても残念に思った。ただそれだけ。
4月22日「裏」の世界
『ポップジャム』(NHK)を見る。世に「裏」と言われるものがある。「表」の反対が「裏」で、つまりはだたそういう意味なのだが、「裏」という言葉には何となく秘密めいたものを感じるのは私だけだろうか。裏がつく言葉をいくつか思い出してみると…うーん。実に神秘的。四文字熟語で表すと「立入禁止」くらい禁断な感じがする。ふふっ!
TV界で「裏」といえば、最初に思いつくのは「裏番組」だ。とはいっても、実際に裏番組という番組が存在する訳ではなく、自局の番組と同時刻にやっている番組のことを互いに「裏番組」と呼び合うのである。例えば『笑っていいとも!』(フジ)と『おもいッきりテレビ』(NTV)は互いに裏番組の関係が成り立っているということである。でも不思議なことに、この「裏番組」の関係を見ても、ちっとも秘密めいたものは感じない。今さっき「裏」という言葉を聞いたときに感じたあの感覚は一体なんだったのだろうか。「裏」ってもっとドキドキするようなものではなかったのだろうか。と、そんなことを考えずにはいられなくなる。
『ポップジャム』のスタート時刻が夜11時から10時20分に変わった。NHKの言葉を借りて言えば、視聴者からの要望があったので開始時刻を早めたそうだが、確か10時台にニュースを持ってきた時の理由でもこれと同じようなことを聞いたし、それより私は開始時刻を変更しなきゃならないような理由が他にあったとしか思えないな…などということを考えていたら、答えはあっさり見つかった。やはり!というか、一番の理由は裏番組にあった。新司会者司会の番組が何を隠そう裏番組にあるので、もし変更しなければ同じ司会者の番組が「裏番組」同士で被ってしまうのだ。あの理由も確かに一理あるのかもしれないけれど、結局はそういうことだったのだ。
『ポップジャム』移動に伴い、野球でも延長されない限り今までは決して被ることがなかった『THE夜もヒッパレ』(NTV)が今度は裏番組になってしまった。同じ歌番組が裏同士の関係になるなんて、今まではあまり考えられなかったことなので、これは注目しない訳にはいかないだろう。先週と今週取り敢えずどんなのものかと、何度かザッピングしつつ両番組の様子を堪能させて頂いたのだが、これがまた面白いことになっていた。
『ポップジャム』と『夜もヒッパレ』の違いを表現するならば、『ポップジャム』は、基本的に今流行の歌手が自らの歌を唄うという形を取っている。『夜もヒッパレ』は、基本的に一昔前の歌い手や基本的には今ヒット曲がないような人たちが集まって今流行りの歌を唄うという形を取っている。だから唄う歌が被るということはあっても、出演者が被るということはまずないと考えられる。でもこの2週間。両番組をザッピングして見ていたら、これがまた妙なことになっていたのだ。基本的に本人が本人の歌を唄う番組だった『ポップジャム』が、一昔前の歌を今流行りの歌手が唄っているのである。例えば今日、上原多香子ちゃんが『♪いい日旅立ち』を熱唱していた。そして、基本的に自分自身の歌を唄うことをタブー視していたはずの『夜もヒッパレ』に本人登場で唄うことが多くなっているのだ。例えば今日など藤井隆さんが、持ち歌である『♪ナンダカンダ』を熱唱していたのだ。つまり、言うなれば『ポップジャム』の『夜もヒッパレ』化。そして『夜もヒッパレ』が『ポップジャム』と化としているのである。きちんと住み分けがあったはずのこの番組が今まさにボーダレス化しているのである。
『ポップジャム』と『夜もヒッパレ』。今まさに裏番組と化した両番組なので、このふたつの番組に被って出演することは出来なくなるだろう。だから『夜もヒッパレ』にレギュラーで出演している知念里奈ちゃんなどは『ポップジャム』には出難くなるだろうし、『ポップジャム』に出られるようなJ事務所タレントは『夜もヒッパレ』には出難くなるだろう。いくら番組内容がボーダーレス化しても、決して出演者がボーダーレス化することはない、ここが裏番組の非常に難しいところなのである。
「裏」と言う言葉には秘密めいたものを感じるのに「裏番組」と言う言葉には全くそれを感じないのは、多分「裏」と言う言葉を使っているのにも関わらず、視聴者にとっては「裏番組」自体がちっとも秘密にされてはいず、「表番組」の如く存在しているからである。というより、視聴者にとって「裏番組」などというものは存在しないのだ。ただテレビ局が他テレビ局の同時刻の番組をそう呼んでいるだけなのだ。改めて辞書に載っている「裏」がつく言葉を吟味してみたら、そのほとんどの言葉から、やっぱり秘密めいたちょっと危険な香りが漂ってきていた。だから明らかに「裏番組」だけ異質だった。だから私は思うのだ。「裏番組」という言い方は本当は正しくないのでは、と。まだ「ライバル番組」と言った方が、意味合い的にもしっくりくるような気がしてならないのだけど、如何なものだろうか。もしも本当の意味でテレビ局に「裏番組」というのが存在するならば、もっと危険な香りが漂うものでなくっちゃ!例えば、何らかの事情でお蔵入りしてしまった番組の類とか、絶対に放送しちゃいけない番組の類とか、ちょっと★★★が見えちゃった番組の類とか…ねっ。ふふふっ!
おまけ:裏を使った言葉で文章にしました。【今日、学校の裏番長に体育館の裏側に呼び出され、「お前!裏口入学しただろ!きちんと裏付けは取れているんだ!」と脅されました。裏門から裏道へと逃げましたが、全て裏目に出て捕まってしまいました。裏番にこのことを密告した裏切り者は誰だったのでしょうか】うーん…デンジャラス!!
4月23日温故知新
『笑点』(NTV)を見る。『爆笑オンエアバトル』(NHK)を毎週欠かさずに見ている。私が最近特に気になっているのが、二人三人の複数芸ではなく、ピン芸人たちだ。オンエア率は別にして思いつくままに挙げていくと、ダンディー坂野・陣内智則・ユリオカ超特Q・西岡すみこ・鉄拳・桧博明・スマイリー菊池(敬称略)らが思い出せる。二人の芸でもラーメンズやテツ&トモ・いつもここからなど一風変わった世界観を作り上げている人たちもいるけれど、それ以外はコントにせよ漫才にせよある程度は定番な形で固まってきているように思う。それに比べ、今ピン芸人は熱い。ひとつの型にはまらず、いろんな形の芸を見せてくれるからである。例えば上記の陣内くんなどは、ピン芸にもかかわらず、上手に道具を駆使することにより複数芸の様相を呈している。ユリオカ・西岡・スマイリーさんらは、それぞれ形態は違えど、時事ネタや芸能ネタ等を織り込んだ芸ということでは共通している。そして鉄拳はスケッチブックを、桧さんはホワイトボードを使ったネタを披露している。スケッチブックを使ったといえば、私なんかはすぐMANZAI−Cが思い出せるけど、それをふたりではなくひとりで強烈な衣装(?)に身を包んでやっているのは斬新で、一度見たら忘れられなくなるのは間違いない。
最近スケッチブックやホワイトボードを使った芸を見せる人が随分増えたなあと思っていたら、今日の『笑点』の演芸コーナーのケーシー高峰さんを見て「はっ!」とした。そこにホワイトボード(というより、黒板に白チョーク・以下黒板で統一)を使った芸の基本を見たからである。黒板を上手に駆使して、どこからがホントでどこからが嘘なのか分からないような医学的見解を述べる様子は、まさに黒板芸の神髄だ。客席と上手にやりとりし、時に下ネタを含め会場の失笑をかっている様は芸術の域に達しているような感さえある。まるでどんなに毒舌を言っても、好かれてしまう毒蝮三太夫さんのようだ。
『笑点』の演芸のコーナーも先週テツandトモが出たように、若い芸人たちも随分と出演するようになってはいるけれど、やはりまだまだ客層がそうさせるのか古典芸人の方が圧倒的に多い。『笑点』の古典芸と『爆笑オンエアバトル』の若手芸を見ながら、若手もやっぱりそのもとを辿ると行き着くところは古典芸なのかもしれないなと思った。古いものを馬鹿にしないできちんと理解してからでないと、新しい芸も生まれてこないのかもしれないね。
4月24日乗っトリの結果
CMを見る。この日記をアップする頃には、きっと終わっているだろうけど、またまた気になるCMがあるので、紹介したい。といっても、今回は私ではなく、ドナくんが気になっているらしいので以下はドナくんの言葉なので悪しからず。
ドナ「『マック乗っトリ大作戦ケッコー中』のCMオカシイよ。だってさ!俺たちがマックを乗っ取った!って、にわとりさん言っているけど、あれって結局自分達が食べられちゃうんだよ!僕もトリだから、あれは変だよね。おっかしいよ〜。トリは駄目。僕を食べちゃ駄目だよ。めっ!」
言われてみれば確かにそうだ。乗っ取ったぜと勝ち誇っているのに、結果的には人間に食べられちゃうんだから、思えば妙なCMだよね。なになにドナくん。まだもう一言言いたいって?何?
ドナ「たまには僕たちのページも見てねん。」
何だそんなことか。よし分かった。リンクを貼っておこう。いいねドナくん。こちらからどうぞ。
後日談:やはりこのCM、残念ながら現在は既に放送されていません。マックのCMはサイクルが早いので、この日記をアップする頃には絶対に放送されなくなっているだろうなと思っていましたが、予想通りだったという訳です。それよりもこの日記を書いた時には、想像もしなかった出来事がゆえに(私は遠回しに書いているけど、何のことだか分からないとは言わせないぜ!)それを境に放送されなくなったので、いろんな意味で放送禁止(自粛をしたといった方が正しいか?)になったのかもしれません。先日ネットサーフィンをしていたら、とあるHPの掲示板の書き込みの中に、ちょうどあの出来事の真っ只中に入ったCMがこのCMだったので、あまりのタイミングの良さ(悪さ?)に見ている方がドキッとしたと書いてあったのを見つけました。そんなつもりで作ったCMではないのに、タイミングによってはかなり際どいCMになってしまうのですから難しいですよね。それはそれ、と割り切れるようにも思うのですが、世の中的には例えば山が噴火したら、噴火の映像が入っている映画が上映中止になったり、かつて『♪BIG WAVE やってきた』が津波被害に遭われた方を気遣って唄われなくなったりといろいろありますからね。
こんなふうに考えていくと、様々な出来事がとても微妙なものに感じられます。前述の噴火や津波など、とても分かりやすい自粛対象物がある場合はいいのですが、もしも自粛の対象物が超広範囲に渡るものだとしたら大変だと思います。もう世の中自粛しなければならないものだらけになっちゃって、終いにゃどうでもよくなっちゃうような、そんな気もしますけど。こういうことってホントに微妙です。微妙といえば、今日の日記のタイトルも思いがけず非常に微妙なものになってしまいました。「乗っトリの結果」と、この日記を書いた4月24日当時には何と言うこともなくつけたタイトルなのですが、今改めてトップページに今日のタイトルをアップしたら、今となっては危険な香りが漂っている感は否めません。
CMについていい機会なので、言っておきましょう。部分伏せ字につき悪しからず。○&○の○ァ○○ーズのCMは不快です。あの脅迫じみたCMが不快なので、どうしてもあの商品を買おうとは思いません。っていうか、確かに匂いは気になります。でも、ほんの僅かの匂いさえも追放しなければいけないかのような、脅迫じみたCMの作りをされると流石に嫌気がさします。そんなに匂いが気になるなら、最初から煙草なんて吸うな!とか、動物なんて飼うな!とかツッコミたくなりますね。ちょっと話が暴走しているような気がしてきましたが、暴走しついでなので言っておきます。以前、自分の車の中では匂いがつくから絶対に煙草は吸わないと言っていた人がいました。にもかかわらず、その人ってば、人が食事しているのにも関わらず平気で煙草を吸ったり、他人の車の中では吸ったり、挙げ句の果てには吸い殻を道端にポイ捨てするんですね。何か間違ってますね。話をもとに戻しましょう。ところで、あの○ァ○○ーズ。匂いが消えるのはいいのですが、あんなにたくさんいたるところにふりかけて、人体に害はないのでしょうか?私はそっちのほうが心配です。
そういや最近マックにも全然行っていない。CMが終わった今でも『マック乗っトリ大作戦』は『ケッコー中』なのだろうか?
4月25日黙祷
命日のため鑑賞日記はお休みします。
4月26日コノアンゴウヲカイドクデキルカナ?
「最初が3番目の春。次が5番目の夏。そして今回が1番目の秋。冬が危ない!多分2番目か4番目の。」さて…コノアンゴウヲカイドクデキルカナ?
4月27日未来の自分へ
『にんげんドキュメント・3年3組のタイムカプセル』(NHK)を見る。私がかつて住んでいた山梨県の地元新聞には「人の動き」と題して、県内で「生まれた子の名前」「結婚したふたりの名前」そして「亡くなった人の名前」がほぼ毎日、住所と共に載っていた。他の記事は読まなくても、その欄だけは毎日見るようにしないと、特に知っている人が亡くなった場合においては、知らなかったでは済まされなくなってしまうからだ。だから私はその欄で多くの人々の情報を得てきたし、同級生が結婚したことを知ったことも多かった。
私はそれが当たり前のことだと思っていた。「自分の常識は他人の非常識」とはよく言ったものだ。静岡に来て、それが当たり前だと思っていた私に、そんなの載せないのが当たり前の静岡の地元新聞を見た時は随分と驚いた。確かに亡くなった人の情報くらいはいくらかは載っているものの、ほら産まれただの結婚しただのの人の動きを、人口が多い静岡県で山梨のようにいちいち載せていられないというのが実情だろう。そう考えれば納得の出来事でも、それが当たり前だと思って過ごしてきた私にはちょっとした、でも結構大きいショックだったことは否めない。
毎年3月になると、地元新聞には「公立学校の先生の異動情報」が載っていた。この類の情報が載るのも、もしかすると当たり前のことではないのかもしれないけれど、山梨の地元新聞では毎年当たり前のように掲載されていたので、私は毎年興味深くこの情報を見ていた。特に楽しかったのは、実際に自分が公立学校に通っていた頃よりも卒業してからだ。知っている先生が今どこの学校にいるとか、あー辞めちゃったんだとか、いろいろなことを思いながら毎年見るのだが、中でも一番私の興味を引いたのは、よく見知った先生が校長先生や教頭先生になったことを知った時だった。先日、中学校の担任だった先生が教頭先生になったという情報が飛び込んで来た時には、なんだか変な気分だった。○○氏(私はこの先生のことをこう呼んでいた)も、とうとう教頭か〜と妙に感慨深くなってしまった。当時の年齢を換算すれば、十分もう教頭先生になってもおかしくない年なのだけど、どうしても担任だった頃のイメージが強いから違和感が出てくるのだと思う。
前振りが随分長くなってしまったけれど、今日放送された『にんげんドキュメント・3年3組のタイムカプセル』は、昭和50年に中学校を卒業した3年3組の生徒たちが25年ぶりに学校の校庭に埋めたタイムカプセルを掘り起こすというドキュメント番組だった。当時新任だった担任の先生は今、他の学校に行った後、教頭先生になってここの学校に戻ってきていた。それを機に今回タイムカプセルが開けられることになったのだという。当時の写真と現在の姿と、当時の夢と現実の自分とを重ねあわせるように番組は進む。全員参加の掘り起こしは流石に実現しなかったけれど、それでも半分の出席があり当日を迎えた。25年も経てば皆の記憶も曖昧で、埋めた場所すら最初は特定できずいったん掘り起こした場所が違ってまた埋め直したりと、結局掘り起こすまでに2時間以上もかかってしまった。掘り起こしたタイムカプセルは、25年の歳月で残念ながら水浸しになってしまっていた。中からは当時の時間割や名前のゴム印、名札などが出てきた。25年ぶりの対面に皆感慨深げだった。何と言っても一番残念だったのは、将来の夢を語って吹き込んだカセットテープも水浸しになってしまっていたので、聞けなくなっていたことだった。
25年ぶりに開けられたタイムカプセルは再び元の場所に埋められることになった。10年後に再び集まって開けることを誓って、それぞれが10年後の自分へのメッセージを書いた手紙と一緒にタイムカプセルに埋めた。10年後、3年3組の生徒たちは50歳になる。中学生だった頃には、多分想像すら出来なかっただろう50歳は、どんな未来になっているのだろうか。
タイムカプセルもののドキュメント番組をみると、そうしてこなかった自分の学生時代を凄く残念に思う自分に気がつく。過去の思い出は、日記とか作文とかで残ってはいる。でも、タイムカプセルにはそれとはまた違った味わいがあるような気がする。タイムカプセルは再びまた皆で出会うその時まで、どんな自分になっているか、楽しみの甘さと不安な苦さをいっぱい詰め込んで埋められているのだと思う。私だったらタイムカプセルに何を入れたのだろうか。私の中学3年生の時の同級生は今どこで何をしているのだろうか。そんなことを考えながら私は番組をずっと見ていた。
そうだ!もし私にタイムカプセルがあったなら、絶対に未来の自分宛てに手紙を書きたい!未来の自分がどこでどんなふうに、誰と何を思いながらこの手紙を読んでいるのかと想像しながら手紙を書くのはとても興味深い作業だと思う。そしてもし今、過去の自分から手紙が来たら…わー!考えただけでもドキドキしてくる。3年3組の生徒たちはきっと、私が想像してもしきれないくらいのドキドキ感で25年ぶりにタイムカプセルを開けたのだろう。タイムカプセルがある彼らがやっぱりちょっぴり、んーん!ホントは凄く羨ましい。しかもこんなふうに番組にまでなっちゃって!
4月28日「9時54分」ラテ欄の謎
TVのラテ欄を見る。4月の平日も今日で終わり。実は3月の終わりから4月の間ずっと気になっていたラテ欄があるので、それを一挙に紹介しよう。
…「始まりは9時54分」「9時54分ですよ…」「9時54分始まるよ」「さあ9時54分だ」「9時54分からです」「9時54分始まり」「9時54分になると」「9時54分からです」「9時54分ですよ」「9時54分になれば」「9時54分は予定…」「9時54分ですよ」「9時54分からです」「始まりは9時54分」「9時54分です」「始まりは9時54分」「今夜は10時15分」「9時54分からです」「始まりは9時54分」「9時54分からです」「始まりは9時54分」「9時54分からです」…
と、最近はネタ切れしてきたのか「始まりは9時54分」と「9時54分からです」の繰り返しになってきてしまったので面白くなくなってしまったけど、初期の頃はバリエーションも豊富で面白かったことが良く分かる。え?何のことか分からないって?これはね。『ニュースステーション』(テレ朝)のラテ欄に記されていたスタート時刻の文字なのだ。ある時このことに気が付いて、過去の新聞である分を全部引っ張り出して探してみたら、一番古い新聞が3月28日だった。そこには「始まりは9時54分」と記されており、そして順に記していくと上記のようになったのだ。
誰がどんな顔して書いているのか分からないけれど、こういう小細工は何故だか気になりだすと気になって堪らなくなってくる。でもこうやって私みたいに気になって、きちんとピックアップして紹介してくれるような人がいると、考えている人もきっと本望だろうな。このラテ欄を考えている人がこの日記を読んでいるはずもないけれど、個人的に気に入っているものは、頭に「さあ」をつけた「さあ9時54分だ」と、「ば」と「と」で微妙な違いをつけている「9時54分になれば」と「9時54分になると」であると申し伝えておこう。
最近は落ち着いてしまったのが、とっても残念なのだけれど、私としてはもう一踏ん張りして面白いバージョンを考えて欲しいと思う。っていうか、せっかくなので私も一緒に考えてみよう。「今夜も9時54分」「9時54分には」「9時54分からが」「9時54分発車」「久米は9時54分」「9時54分だヨ!全員集合!」ん?うーん。どれもこれもイマイチだ。っていうか、最後のなんて絶対に使えないし。あー。ラテ欄を考えるのも難しいのねと、改めて実感した私であった。チャン!
4月29日土曜日征服宣言?
土曜日のラテ欄を見る。今日TV欄をまじまじと見ていたらあることに気が付いた。PM7:00〜8:00(フジ)・8:00〜9:00(TBS)・9:00〜10:00(NTV)・10:20〜11:00(NHK)・11:30〜00:00(フジ)。絶対に他局と被らないように、上手く時間をずらして、どの時間帯にも万遍なく出ているのは、なんだか征服されているというか、ある意味人々が洗脳されてしまったかのような感がある。ここまで征服されてしまうと否が応でも、その他のライバル番組を応援したくなるのが人情というものだ。こんな私は間違っているのだろうか。
4月30日「提供」の重さ
『笑う犬の冒険』(フジ)を見る。今日、超〜久々に見たら、本来民放番組には必ずあるはずの提供クレジットがなかった。以前出演者のトラブルがあったから、多分その為なんだろうとは思うけど、提供がない番組なんて思えば、『おしゃれカンケイ』(NTV)に時の人が出た時以来なのではないだろうか。それくらい滅多にないことなのである。
今日は野球のために放送はなかったけれど、本来ならこの時間帯にやっているはずの『稲妻!ロンドンハーツ』(テレ朝)も、スポンサーが降りるだ降りないだの騒動があったのに、結局一番騒いだスポンサーも何事もなかったかのように、先週きちんと提供クレジットされていたくらいなのだから、今回の提供なしがどのくらいのものなのかは想像に難くないだろう。
提供スポンサーにもきちんと会社として守りたいイメージがある。だから提供している番組が悪いイメージだと自らもイメージダウンに成りかねないので、そこのところは物凄く敏感だ。嫌な番組がある場合は、直接TV局に言うよりも、その番組を提供しているスポンサーに言った方が良いと言われるくらいだ。お客様は神様というか、TV局にとってはスポンサー様さまなのである。
提供のない番組を見ながら、何故だかイケナイものを見ているような気分に駆られてきてしまったのは、不思議なことだと思う。不祥事のもととなった出演者は提供のない番組を見てどんなふうに思っているのだろうか。自分のせいとなると、なかなか複雑なものがあるのではないかと思う。もしも、何とも思わないようだったら、こいつあ〜相当なタマだぜ!
ところでこの件に関して微妙な問題点がひとつ。もし彼が抜けたら「フローレンス」に戻るのだろうか?