かこの鑑賞日記2000年12月1日〜12月31日
11月1日〜11月30日
12月1日免許を持つすべての人に伝えたいこと
『教習所物語』(TBS)を見る。例年12月1日は様々なイベントが行われるので、それらをネタに日記を書いている。だから今回もそれでいくはずだった。が、このドラマを見て一転した。今日はこの番組で書くべきだと、いや、この番組で書かなければならないのだと。
『3年B組金八先生』(TBS)ファンの私が単純に、キャストやスタッフが同じだからという理由だけで見始めたこのドラマ。驚くくらいのコメディー調で、武田鉄矢さんも、教習所に通う落ちこぼれの生徒役で、面白いんだかつまんないんだか訳が分からんドラマだなあと思ったのが、最初の印象だった。回を重ねてもその印象は変わらなかったけど、それでも何とか欠かすことなく見続けたら、ある時突然、内容が一変した。
このドラマを見ていない人に軽く内容を説明しておこう!(役名を書くとややこしくなるので、役者名で内容を説明。悪しからず。)教習所の教官役の水前寺清子さんは、娘とのふたり暮らし。旦那さんは娘が小さい頃、娘をかばって交通事故死している。その後、旦那さんの意思を引き継いで、水前寺さんは教習所の教官になった。さて、武田鉄矢さんは教習所に通う生徒役。免許を取得する為に、ほか6人の仲間と合宿している。そのクラスの担任が水前寺さん。みんな様々な事情を抱えて教習所に来ている。その生徒のひとりが、谷啓さん。この歳になって免許を取ろうと思ったのは、病気で余命幾ばくもない娘をドライブに連れていきたいから。あの思い出の海に…。
ドラマの中盤までは、この程度のことまでしか語られていなかったので、その後の展開が、こうなろうとは思っても見なかった。実はこの谷さん。以前、交通死亡事故を起こしたことがある。その時の被害者が、水前寺さんの旦那さんだったのだ。水前寺さんには一切そのことを知らせずに、これまで進んできた谷さんだったが、秘密にしておくことに耐え兼ねて、ある日、事実を打ち明けてしまう。それまでコメディータッチだったドラマが、内容が一変し一気にシリアスになったのは、ここからだった。
谷さんが事故を起こしたのは、突然高熱を出した娘を病院に早く連れて行きたいが一心のときだった。娘を心配するあまりに、左右確認を怠り、その結果死亡事故を起こしてしまったのだ。偶然の産物とはいえ、なんとも切なく心に残るエピソードである。
谷さんが事実を打ち明けてから、しばらくはふたりの間がギクシャクする。でもなんとか、お互いにお互いの気持ちを理解し、事故現場で、水前寺さんが谷さんを教習するシーンは、今までコメディーだったドラマとは思えないほど感動的だった。事故当日、谷さんが怠った「右良し〜左良し〜」の確認をさせるシーンは、私たちが運転するときに、しばしばなあなあになりがちな、本当に大切なことを教えてくれるものだった。私はふと、この場面がやりたいがために、スタッフはこの『教習所物語』を作ったのではないかと思えて仕方がなかった。それくらい心に残る本当にいいシーンだった。当たり前のことだけど、いや当たり前すぎて忘れてしまわないように、左右確認一時停止スピード規定…
これは余談になるが、このドラマの中の武田鉄矢さん。金八先生の時とはうって変わって教習所の生徒役が板についている。何故か毎回履いているちょっと時代にそぐわないジーンズのセンスはなかなかのものだ。決めた!来年のベストジーニストはこのドラマの武田鉄矢さんだ。決めた!うん!決めたのだ。

12月2日
ニュースを見る。昨日決まった流行語大賞の話題。今回決まったのが「IT革命」「おっはー」そして特別賞に「最高でも金、最低でも金」の3つだ。「IT革命」は予想通りだったけど、受賞者はまったく予想だにしなかった、高校生の木下斉くんだった。「IT革命」といえば、あの人のほうがいろんな意味で話題をさらったのではないかという気がしないでもないけど、木下くん曰く「『IT革命』をちゃんと読めない人には賞をあげられない。」と審査の方から言われたので、僕になったのだとか。
さて、今日の各メディアを一通りチェックしてみたら、どのメディアもそれなりにこの話題を扱っていた。でもどうしても附に落ちなかったのは、「IT革命」で受賞した木下くんの扱いの小ささだ。あるメディアでは、同じく大賞を取った「おっはー」と「最高でも金、最低でも金」は大きく取り上げられていたのに「IT革命」など取り上げられもしていなかった。これは変ではないかい?相手が素人だから扱いを小さくしても良いと思ったのだろうか?それとも香取慎吾さんと田村亮子さんのほうが絵になるから、無視したのだろうか?どちらにせよ、同じ大賞なのに、あまりの扱いの差に嫌な気分になってしまった。素人が流行語大賞を受賞するというほうが断然凄いと思うんだけど。どうしてそこを注目しないかなあ。
注目しないといえば、「おっはー」である。もうここで論じるのも今更何をという気もするけど、取り敢えず私なりに論じておくか。「おっはー」。この言葉は慎吾ママ(香取慎吾さん)のオリジナルではなく、元を正せば『おはスタ』(テレビ東京)で山ちゃんこと山寺宏一さんが使っていた言葉なのである。それなのに、今回それがなかったことのように、まるで慎吾ママのオリジナルの言葉の如く伝えられ、慎吾ママも何事もなかったかのように表彰されてしまったのだから、これでは山寺さんならずとも憤慨するというものである。我が家はテレ東が映らない為、番組を見たことがないので何ともいえないけど、聞くところによると「おっはー」は山寺さんがもう随分前から使っていた言葉だというではないか。それが今年になって、慎吾ママが使うようになり一気にブレイク!一応慎吾ママも使うと言う許可は取ったようだが、ここまでブレイクしてしまうと、知らない人はすっかり慎吾ママの言葉だと勘違いしてしまっても仕方がないような状況になってしまう。
流行語大賞がどんなものなのか説明しろ!と言われても100%上手く説明出来る自信はないけれど、少なくとも私自身の捕らえ方としては、巷で流行った言葉と、その言葉が流行るきっかけになった人が受賞対象者になるべきだと思っている。そういう理論に基づいて言えば、前述の「IT革命」もそれでいいんかい?という結論にもなりかねないが、これはまた微妙な言葉なので、ある意味仕方がないのかなとは思う。では「おっはー」はどうなのだろうか。そういう理論に基づけば、今回の慎吾ママの受賞は間違っていないと思う。何故ならば、「おっはー」を巷に流行らせ浸透させたのは、間違いなく山寺さんではなく、慎吾ママなのだから…山寺さんが2、3年ほど前から使っていたというなら尚更のことである。
とはいえ、それではあまりにも…である。授賞式で慎吾ママが「この言葉はもともと『おはスタ』と言う番組で山寺宏一さんが使っていた言葉です。」と紹介でもしたのなら、慎吾ママも男が立つ(?)というものだが、当然そんなこと言うはずもなく、言ったのは「最高でもおっはー、最低でもおっはー」という、面白くも何ともない挨拶だった。(まあ実際言いたくても言えない状況にあったとも考えられるが)。
だから結論。流行語大賞の審査委員たちはもっと流行語について勉強する必要があるのだ。曲がりなりにも毎年話題になる賞を贈呈する立場として、もっともっと流行語を知る必要があると思うのだ。読者投票で選ばれた流行語を探り、誰が発端かちゃんと確認する。今回の場合はもともと『おはスタ』から出た言葉だということを審査員のほうから事前に説明する必要があったと思うのだ。それをちゃんと踏まえた上で、流行らせたという意味での慎吾ママ受賞なら流行語大賞という意味でもまだ良かったのに…。実際『おはスタ』で使っていただけなら、ここまで流行らなかったんだろうし。今回の騒動は、調べるということを怠った審査委員の責任なのだ。来年も再来年も、賞がずっとあり続けるとするならば、余計に慎重になって欲しいものだと思う。これは当たり前のことだけど、怠ってはいけないとっても大切なことなのだ。そうしないとまた来年、パクリ語で流行語大賞が起こってしまうぜよ。
流行語大賞云々ということを差し置いても、パクリ問題は、結局のところ人間性の問題なのだ。人間性問われてまっせ!いつ何時如何なる場合でも…

12月3日来世紀までの後悔
『情熱大陸「Vシネマの帝王・哀川翔」』(TBS)を見なかったことを、来世紀まで後悔しそうな日曜日の夜。あーしまったなあ。

12月4日R★指定?
『犬夜叉』(NTV)を見る。最近になって真剣に見始めたこのアニメ。子供向けのアニメだと思ったら、案外グロくてビックリ!アニメだとこんな残酷な場面も許されちゃうのね。あの映画はR指定になったというのに。犬夜叉だってR6?7?8?くらいにしたほうがいいんじゃないっすか?結構残酷っすよ!このアニメ。

12月5日ブラック発見!
『深く潜れ・八犬伝2001』(NHK)の最終回を見ようと思ってTVをつけたら、TVに映っていたのは、森首相だった。ったくもう。政治が混迷して来週に先送りかい!まったくブラックは森首相だったんかい?(ドラマを見ている人しか分からんネタでごめん)

12月6日アリキリ改造計画
『スタジオパークからこんにちは』(NHK)を見る。今日のゲストはアリキリの石井正則さん。とうとうピンでトーク番組に登場!
今回この番組に石井さんがピンで登場したのは、朝ドラ『オードリー』に関川徹役でレギュラー出演している関係からだ。だから相方の石塚さんは呼ばれない。ま、当然のなりゆきだろう。アリキリに関しては鑑賞日記の中でも幾度となく触れてきたので、再び書くほどのこともないが、現在のアリキリの状態を説明するならば「石井さんが活躍すればするほど、石塚さんの存在が薄くなっていく」という図式を既に超越してしまったと言えるだろう。つまりどういうことかといえば、そういうことなのだ。じゃ分からんので、ちゃんと説明すると、既に石井さんは、“「石井正則」という人物がお笑いタレントであることさえ知らない世代にまで浸透してしまった”ということなのだ。今までは、どんなに石井さんが活躍しようとも、アリキリの石井さんがピンで活躍しているという認識で何の問題もなかったのだと思う。でも、今回朝ドラでこれだけの役を貰ったのだ。ということはつまり、幅広い年齢層にまで「石井正則」という名前が浸透したと理解して良いのだと思う。石井正則が、アリキリの知名度を超えるのも、そう遠くはなさそうだ。
となると、気になるのが、相方の石塚さんだ。前々からヤバイと思っていたので、鑑賞日記ではあえて石塚さんに注目してきたりしたけど、現実ここまできちゃうと、どうしましょ!って心配になってしまう。だから提案。(といっても本人が見ている訳もないが、ま、取り敢えずってことで)アリキリはもっとコンビでの活動に今以上に力を注ぐべきなのだ。確かに現在もふたりで出演している番組はある。でもどの番組もあまりに存在が薄く、本当にもったいない使われ方をされている。数多いレギュラーの中の一組という図式を早く脱皮して、ひとりひとりが存在感のあるもう少しすっきりした番組のレギュラーになれれば、「役者・石井正則」の知名度に「アリキリ」の知名度は追い越されないと思うよ。
それにしても石井さん。ドラマの仕事が増えたはいいけど、その役柄を思い出してみると、付き人的な役が本当に多い。『古畑任三郎』(フジ)しかり『恋の神様』(TBS)しかり、今回の『オードリー』しかり、いつも必ず隣に背の高い人がいるのは何故?そしてアリキリでも…ってこれは違うか!
石井さんの軽快トークを楽しんで見ていたら、最後のほうでいきなり石塚さんが乱入してきたので思わず笑ってしまった。ほんの少しの出番が終わり退場したと思ったら、一番最後の写真撮影で再び乱入してきたので、「なんじゃ?」と思いつつも、「いいぞいいぞ!」と気が付けば応援してしまっていた。そういえば、ゲストがアリキリの石井さんという若いお笑いタレントさんなのに、今日のお客さん、殆どがお年寄りで、若い女の子がひとりもいなかったのは、なんとも不思議なことだった。やっぱり私が最初のほうで記した認識は正しかったのかもしれない。決めた!アリキリは将来の毒蝮三太夫さんになれ!おじいちゃんおばあちゃんたちから愛される、日本で唯一「おいっ!ババア!」って言っても嫌われるどころか逆に喜ばれるような稀有なタレントになれ!

12月7日裏番組だからこそ成せる技
『うたばん』(TBS)を見る。今年も出ました、FNS歌謡祭の裏番組だからこそ出来る企画「野球推薦」が。いやー1年待ちましたぜ!いや、マジで。

新聞のラテ欄には「F・N・S歌謡祭」という意味深な言葉が記載され、その言葉の意味は「F(フレッシュ)・N(ノーギャラ)・S(システム)」だと番組では説明していた。この辺が、いかにも『うたばん』らしく、それが1年も待って楽しみにしているという所以なのであるが…。
さて今年は、昨年の「野球推薦」の他に、女子部として「マラソン推薦」というのもあった。野球推薦のほうは、昨年残念ながら、唯一曲が流れなかった「クールドライブメーカーズ」が再び登場したので、驚いてしまった。で、今回はどうだったのかといえば、今回はイントロ部は流れたものの、結局歌は一切流れず終いで「来年三度の登場を楽しみに待つ!」という結果に相成ってしまった。まあ、考えようによってはオイシイが。
「マラソン推薦」のほうには、何故だかシドニーオリンピック女子マラソン銀メダリストのシモン選手が、オールスター感謝祭に引き続いて登場し、会場はいつにない盛り上がりを見せていた。マラソンで1位になった人にはフルコーラスかけて貰えるという特権があったのだけれど、結局この1位の座に輝いたのは、シモン選手だった。で、フルコーラス唄う代わりに流れてきたのが、ルーマニアの国歌。この辺がいかにも『うたばん』らしく、それが鑑賞日記に書きたくなる所以なのであるが…
シドニーオリンピックのとき、私たちは確かに高橋選手の初の金メダルを応援しながら見ていたはずだ。それは間違っていなかったと思う。でも、最近高橋選手の必要以上の露出に少々飽き飽きしている。取り敢えず話題の席には呼んどけ!取り敢えず話題の賞を与えとけ!みたいな世の中の風潮・姿勢に、果たしてこれでいいんかい?という確かな疑問詞が浮かんできている。もしかして今の私が、今の私のまま、タイムスリップしてもう一度シドニーオリンピックを見たら、あの日あれほど追い越して欲しくないと思ったはずなのに、思わずシモン選手に声援を送ってしまうかもしれない。なんてことを考えてドキッ!とした。まあ確かにこれはかなりの極論だけど。つまり何が言いたいかといえば、人間何事もほどほどにしておかないと、それがどんなにかお目出度いことや素晴らしいことであったとしても、価値が半減してしまうってことさ!
昨年、この番組に出演したポルノグラフィティは、今年晴れて(?)本物のFNS歌謡祭に出演していた。これは彼らがこの1年で出世したという紛れもない証拠なのだろう。ただ、弱肉強食のこの世の中。来年ふたたび、野球推薦に戻ってこない保証はどこにもないのだから、決して勘違いしないで一歩一歩着実に進んでいって欲しいものだ。

12月8日執筆意欲が湧く話題に共通する「何か」ってなーんだ?
『金曜ロードショー「刑事」』(NTV)を見る。「しょーもないなあ。」などと言いつつも、ついつい登場させてしまいたくなる話題がある。例えば、流行語大賞。ぶっちゃけた話、何が選ばれようと構わないのよ。でも、なーんか気になる。何が選ばれるのかって、すごーく気になる。政治力だけで流行っていない言葉が選ばれちゃったりなんかすると、いやーに気になる。余計気になる。例えば紅白出場歌手。ぶっちゃけた話、誰が初出場しようと、売れてないくせに演歌がのさばり続けようと私には関係ない訳。でも、どうしてあの人が出られてあの人は出られないのかなあとか、辞退したのは危険回避の為か?とかいろいろ考え出すと、やっぱり気になっちゃうのね。私も下らないことを考えるのが好きだから、裏流行語はなにかとか、裏紅白があったら誰を出場させようかとかそんなことを訳もなく考えて、ひとり悦に入ったりして喜んだり…え?今年の裏流行語は何かって?残念ながらヤバすぎてここには書けません。裏紅白の出場者は、えっと叶某とか、焼肉某とか、古田某とか、審査員は、柔道誤審某とか、偽土器某とか、名刺折某とか、波多野某とか、(それぞれ誰のことか雰囲気で感じ取れ!またはさらっと読み流せ!)話題の人満載でなかなかいいんじゃありませんか。そして会場審査員は、フロリダ州のみなさんで、紅白どっちが勝ったか21世紀まで持ち越しというのも、案外話題性十分だったりして!!もう麻布大学野鳥研究会大変大変。ひとつひとつ手で数え直して、1点差だったら、即ジュースに持ち込んで…って、紅白大運動会かい?!
なんか話があらぬ方向に行ってしまったので、元に戻すと、21世紀の石原裕次郎っていうのも、ぶっちゃけた話、誰が選ばれようと、巨人の松井選手の友人が推薦されて予定調和の如く勝ち進んで、その後予定調和の如く落選する図式っていうのも、別にどーだっていい訳。最後10人になって写真とプロフィールが掲載されたとき、「どんなメンツが残っているのかな?」と思って見たら、なんか高級ホストみたいだなあと思ったことと、あと静岡の人がひとり勝ち残っているんだなあと思ったくらいで、まさかその静岡の人が21世紀の石原裕次郎に選ばれるとはゆめゆめ思わなかったしね。明らかに時代に反比例していると思われるこのコンテストなんだけど、私は何故か物凄く興味をそそられる訳よ。見えそで見えない感じ?(嘘)。これぞまさに、「しょーもないなあ。」などと言いつつも、ついつい登場させてしまいたくなる話題な訳で、気がつきゃもう3度目になるかな。この話題で日記を書くのは。なんでこんなに盛り上がっちゃうかといえば、もし好きな男性のタイプは?と聞かれて「徳重聡さん」って答えるシチュエーションがあったら、なーんか恥ずかしいでしょ。っていうか、一瞬「誰?」と思った後、21世紀の石原裕次郎だと知ったときに、その場に漂う空気の感じ…。それを考えると、どうにもこうにも自分の中で盛り上がっちゃう訳で…。そんなふうに思わせてくれる何かがあれば、どんなにか「しょーもないなあ。」と思うようなことであっても、私はこれからもずっと盛り上がり続けていくと思う。断わっておくが、私は大物タレントが結婚とか、出産とか、離婚とか、特別な場合を除いてはそういうことに、一切関心も興味もない。なぜならそういうものには大抵、あの「何か」がないからだ。感じさせてくれる「何か」が。
そういや今日は何の番組だった?そうか「刑事」か。21世紀の石原裕次郎に選ばれた徳重くんより先にドラマデビューをしてしまった、石原まき子賞の宮下裕次くんのことを書くんだった。あ!演技のほど?なんか見てるほうが緊張しちゃったよ。でもこれだけは言っておこう。石原プロといえば、刑事ドラマが定番だけど、実はこれがとんでもなく足かせになっているのだということを。刑事臭がプンプン漂う石原プロだからこそ、21世紀くんたちには、ぜひとも刑事臭がしない俳優であって欲しいと思うのだ。そういった意味では、まんま「刑事」っていうタイトルのドラマでデビューしちゃったのは、残念だなあと思う。はてさて、徳重くんはどんなドラマでデビューするのだろうか。そのデビューの際には、きっとまた「何か」を感じるだろう。あの熱い「何か」を。
…ふと、耳を澄ませたら、遠くのほうで21世紀の石原裕次郎たちが唄う『♪翼をください』が聞こえてきた。ふと、10月22日の日記を思い出した。まだ頭から離れていなかったことに気がついた自分に、あの「何か」を感じた。

12月9日20世紀と言うからには。
『ほんパラ!関口堂書店』(テレ朝)を見る。「20世紀のベストセラー」新聞のラテ欄にそう書いてあったのを見て、妙に興味をそそられ見てしまった、案外単純な私。さて、その20世紀のベストセラーと銘打つからには、さぞかし昔のとんでもない本がランキングされているのかと思いきや、残念ながら対象となるのは、戦後に発売された本のみという、20世紀でもなんでもなかったというお粗末なランキングだった。で、結局1位に輝いた本は何だったと思う?それはね。もったいぶることなど何もないので、取り敢えずCM。

というのは、冗談だが、結局1位コージ苑?うそうそ、広辞苑だった。きっと、あなたの家にもあるだろう。一家に1冊。まるでホテルにおいてある、一部屋に1冊の聖書みたいだ。

12月10日疑問(さりなばちた)
『特命リサーチ200X』(NTV)のラテ欄を見る。「ホクロから長い毛が生えるのはなぜ?」見なかったから余計気になるんだけど、ねえ?なぜなぜ?見た人がいたら教えてお願い!!ついでに、どうしておじいちゃんになると眉毛が異常に長くなる人がいるのかも。

12月11日いつもいい顔してるあんたへ
ラジオを聴く。ある日の出来事。いつものようにラジオを聴いていたら、リスナーからお惚気のメッセージが読まれていた。それを聴いていた私は「しょーもねえメッセージをひけらかす為だけに、わざわざ送ってくるんじゃねえ!」と多少荒々しくラジオに向かってツッコんでいたら、そのメッセージを読んでいたDJの人が最後に、「ご勝手にぃ〜」と一言だけで他にコメントはせず、どんどん曲紹介に移ってしまった。
日々ラジオを聴いていると、こういうしょーもない自慢話というか、聞いても面白くも何ともない、もし私がDJだったら「即ボツ!」的なメッセージが紹介されることがある。(でも案外多いのだよ。)でもそういう場合多くの優しいDJたちは、大概当たり障りのないことを言ってお茶を濁すことが多い。でも、このDJはそういう表面的な祝福コメントを一切しないで「ご勝手にぃ〜」しか言わなかったから、一瞬「えっ?」と驚いたけど、それしか言わなかったDJのことが、その瞬間大好きになった。
日々ラジオを聴いていると、気に入ったり気に入らなかったりするDJが自然と出来てくる。当たり障りのないコメントしかしないDJがいるかと思えば、ちゃんと自分の意見を言うDJもいる。そして、ちょっとラジオでも言いにくいだろうなという話題を平気でしちゃうDJがいるかと思えば、英語交じりの日本語で何言ってるのか訳が分からないDJもいたりする。本当にいろいろなのだ。でも、やっぱり一番多いのは当たり障りのないことしか言わないDJかな。これはある意味仕方のないことかもしれないけど、私自身の好みとしては、しょーもないお惚気メッセージに対して「ご勝手にぃ〜」だけしか言わないで、どんどん次に進んじゃうDJのほうが人間らしくて好きだ。あー友達になりたいな。このDJさんと。
日常生活でもこれと同じことが言えると思う。私が最近一番恐ろしいと思っているのは、誰にでも良い顔をしている人だ。(無論、誰にでも親切にするという意味ではない。大概の場合において、こういう人は親切ではない。そこがポイント。)以前、どんなことでも大らかな心で許しそうな雰囲気があって、一度足りとも怒っている姿を見たことのない人がいたから、さぞかし温和な人なんだろうなと私は思っていた。でもある日、それが間違いであることに気が付かされることがおきて、私は人の裏側に潜むものの恐ろしさを痛感させられたことがあった。多少厳しいことを言うくらいの人のほうが、実は正直で優しかったりするのだ。それにちゃんと気が付かなければいけないということを思い知らせてくれた、この人にはある意味感謝している。でもそれ以来、誰にでも良い顔している人が本当に怖くて堪らなくなってしまった。え?今身近にいるかって?それは、内緒!!
世の中を震撼させるような事件を起こした人の知り合いが、TV等のインタビューで「そんなことをする人だとは思わなかった。会えばちゃんと挨拶もしたし…」と答えている場面をしばしば目にする。そんな場面に出くわすたび、私たちは他人のどこを見て、何を感じて、そしてどんなふうに判断しているのだろうかと深く深く考えさせられて、闇の中に突き落とされたような気分になる。闇の中を彷徨っていたら、誰にでも良い顔している人の心の裏側にぶち当たった。誰にでも良い顔している人と犯罪者は、もしかすると紙一重なのかもしれない。

12月12日姉さん事件です!
『静岡まるごとワイド』(静岡第○)『とびっきり!静岡』(静岡朝日)のラテ欄を見る。
(ドラマ『ホテル』の赤川一平風で今日はよろしく!)「姉さん事件です!」大変なことが起こってしまいました。今までいいライバル関係にあった両番組に、今日歴史的な展開が訪れたのです。いつものように新聞のラテ欄を見ていたら、そこに思いがけない文字をみつけました。そう!両者にまったく同じ文字を。実はこの両番組。互いにライバルの関係にあるせいか、なかなか放送内容が被ることがなかったのです。ニュースはある程度仕方のないことなのですが、特集等は絶対に重なることがなく、今までいました。それが、です。今日は思いがけないものが、被っていたのです。これには本当に驚きました。それがなにかと申しますと、とある料理です。両番組とも、主な視聴者層である主婦をターゲットにしているせいか、晩御飯のおかずになりそうな料理を毎日一品作っているのです。その記念すべき料理名は「ロールキャベツ」。ロールキャベツなのです。挽肉をキャベツで巻いて作る、私も大好きな料理です。美味しいですね。特に今の季節。
そういえば今日は平成12年12月12日。ワンツーワンツー。まるでチーターの歌の『♪365歩のマーチ』の如く、本日両者は和解したのでしょうか?ワンツーワンツー。これからは足並み揃えていきますか?ワンツーワンツー。今度は両者でそれぞれ担当を決めますか?主菜担当。副菜担当。日替わりまたは週代わりで。ワンツーワンツー。せっかくだから司会者も交代でやりましょうか?ワンツーワンツー…あ!歩いていたら、とんでもないことに気が付いてしまいました。そう!こんな歴史的瞬間に私は立ち会わなかったんです。もったいないことをしました。本当に、もったいないことをしてしまいました。ああ姉さん…とにかく「姉さん事件です!」事件なのです。これは歴史的事件なのです。ああそんなことを書いていたら、ロールキャベツが食べたくなってしまいました。
ところで…両者どちらの「ロールキャベツ」が美味しく出来たのでしょうか?え?どっちも自分だと言って譲らない?ああせっかく和解したというのに…私はどちらに仲裁に参りましょう。それは勿論…「姉さんまたまた事件です!」

12月13日「ポルグラ」この1年。〜ポルグラが生まれた日〜
『速報!歌の大辞テン!』(NTV)を見る。今年の鑑賞日記の中に思いがけず頻繁に登場することになった人たちのなかに、ポルノグラフィティがいる。思えば今年の夏、CMソングとして使われた『♪ミュージックアワー』を聴き、「これは売れるぞ!」と確信したのがつい昨日のことのようだ。CDの発売日当日。喜び勇んでCDショップに行ったら『♪ミュージックアワー』は、まだ発売日の午前中だというのに隅のほうに3枚しか置いてなくて、同日発売の他の有名アーティストたちのCDは特別にコーナーが用意され鎮座しているというのに、何たる扱いぞ!と、CDショップで憤慨したんだっけ!
発売から2日後『ミュージックステーション』のゲストに彼ら3人が出演することを知って、私はビデオに撮ってまで見た。必然的に音楽番組は、ほぼ同時期にCDを発売したアーティストたちの共演になる。従って彼らの隣にいるのは、皮肉にもCDショップで特別席に鎮座していた人になる訳で…。『ミュージックステーション』では毎回シングルランキングが発表されている。番組に出演している同日発売の他のアーティストたちがランク入りするなか、唯一ランク入りしていなかったポルノグラフィティ。私はこの日のことを今でも良く覚えている。でも翌週から彼らの歌はランクを上昇させ、移り変わりが激しい世界にあって1ヶ月以上に渡ってベスト10以内にランクインし続けた。そして、第4弾シングル『♪サウダージ』は見事オリコン1位を獲得し、CDショップでの扱いも大きくなっていた。それはそれは、ほんの少し前にCDショップで憤慨したのが嘘みたいに、扱いは変わっていった。現在は紅白出場も決まり、そして第5弾シングル『♪サボテン』も好調に売り上げを伸ばしている。
そんな折、今朝新聞を開いたら、思いがけないラテ欄を見つけて、私は一瞬自分の目を疑った。「え?とうとう…」と。7月7日の日記の冒頭に書いた疑問の答えが、今日やっと出たことに妙な感激を覚えた。長いグループ名はとかく略されやすいのに、ポルノグラフィティが、今まで決して略されることがなかったのは不思議ですらあった。略されたとしても、新聞のラテ欄に「ポルノ」と記されている程度で、でもその略し方もなんだかイマイチに感じていた私にとって、今日は待ちに待った日でもあったわけだ。「ポルグラ」。新聞のラテ欄には確かにそう記されていた。この呼び方はこれから徐々に浸透していくのだろうか。
では、早速あなたも声に出して発音してみようか。自分の部屋にいる人も、家族と一緒の今にいる人も、学校のパソコン室にいる人も、電気屋さんにいる人も、職場の昼休みの人も、職場で残業中の人も、職場で仕事中の人も、みんなみんな大きな声で発音してみよう。せーの。「ぽるぐら」。どう?発音出来た?じゃこれも発音してみよう。特に今、周りに人がいる人は大きい声で!せーの。「ぽるの」。どう?言えただろうか?…で、ここで質問!どっちのほうがより言い易かっただろうか。私は多分「ぽるぐら」だと思う。周りに人がいるいない関係なく発音できるのは、きっと「ぽるぐら」のほうだと思うからだ。「ぽるの」という言葉は、その言葉が元々持つ意味に気恥ずかしさを感じるせいか、ちょっと人前では声に出して言い難い言葉になってしまっていた。今までポルノグラフィティが決して略して呼ばれなかった訳は、ただ単にそういうことだったのだ。これでやっと彼らの名前も親しみやすく呼び易くなったかもしれない。取り敢えず、鑑賞日記の読者は、今大きな声で発音したから大丈夫だとは思うけどね。…え?今発音しなかったって?発音しなくても私に聞こえる訳じゃないからいいと思ったって?そんなことないっすよ!私はあなたが発音したか、ちゃんと聞いていますから。ほら…ね。…。…。…。

12月14日青春の叫び
『青春メッセージ2001東海北陸』(NHK)を見る。とある理由で、この番組を見ると10年前のことを思い出す。もうすぐまたひとつ歳を取るんだなと感慨深くなるのもちょうどこの時期。
さて今年も例によって楽しみに見た。毎回若くしていろんな体験を積んでいる子が多く、私自身非常に好きな番組だ。今年の東海北陸地区の代表は海女(観光海女)をやっている女の子に決定した。来年1月8日の成人の日。NHKホールからの放送を楽しみにしたいと思う。

12月15日貫禄な歌手
『第33回日本有線放送大賞』(TBS)を見る。大賞が、一番リクエストの多かった歌手でもなく、一番リクエストが多かった曲でもない、小柳ゆきちゃんだったのは、何故?それにしても小柳ゆきちゃんって、10代とは思えないほど凄い貫禄だな。紅白でトリをつとめても全然違和感がなさそうな、そんな感じ。

12月16日ふいに訪れたアノ瞬間の対処法
『30人31脚全国大会2000涙と感動スペシャル!!』(テレ朝)を見る。番組タイトルに押し付けがましく「涙」や「感動」なんてついてる番組では、絶対に泣けないし感動もしないのは、何故なのだろうか? それは多分「笑」と番組タイトルについている番組に限って笑えなかったり、「秘蔵」が全然秘蔵じゃないのと同じことなんだと思う。(何故?と聞いておきながら、早々と結論付ける私。)

とま、そんなことはさておき、この時期恒例になった30人31脚が今年も帰ってきた。昨年はケニアから特別参加したニンガイニ小学校の生徒たちのお陰で随分楽しませて戴いた。日本とは、生活習慣も文化も違う国に住む子供たちが日本の子供たちと同じように30人31脚に勤しむ姿は、感動というより寧ろ私にとっては発見だった。なにしろ10秒を正確に計る時計がない。それどころか、ふたりの足を結ぶ優れた紐さえないのだ。昨年放送分の中で興味深かったのは、何といっても一番最初、足を結ぶ紐を編むことから始めたことだろう。これは日本の小学生には想像も付かないことだと思う。何故ならば、そんなことしなくても日本には30人31脚に相応しい優れた紐がいくらでもあるのだから。「30人31脚をクラスで挑戦しよう!」という話が出たとき、どんな紐が相応しいかについての議論は出ても、紐の上手な編み方の議論にはまずならない。ケニアと日本はスタートラインに立つ以前から違うのだ。これは私にとって物凄い発見だった。日本の小学生だけの30人31脚だったら、こんな発見をすることなどなかったのだから、ケニアの小学生を混ぜての大会はいろんな意味で意義のあるものだと思う。
ケニアの小学生たちも記録を伸ばす為に、様々な練習を積んだようだ。その中に、校長先生の案として頭になにか被って走れば早くなるのではないか?というものがあった。どうやら校長先生は以前日本に来て大会を見たときに、どこかのチームが頭に何か被って走ったら早かったというのを覚えていたようだ。で、ケニアの小学生が何を頭に被ったかといえば、なんと「バケツ」!!。それなりに頭のサイズに見合ったバケツを被っての実践だったようだが、どうにもこうにも安定しない。結果、30人31脚で走っている最中に殆どの子供たちの頭からバケツは落ちてしまい、「走りにくい!」と子供たちから苦情まで出て、校長先生の案はあえなく却下されてしまった。それもそのはずだ。日本の小学生が頭に被っていたのはヘルメットでバケツではないのだから…
昨年とは一部を除いて違うメンバーが日本に来て、ケニアとは違う日本の風景に子供たちは発見の連続だったのではないだろうか。校長先生の案で(またか?)吉野屋の牛丼やさんでみんな揃って牛丼を食べている姿というのは、奇妙な光景ではあるものの、私には微笑ましく感じられた。大会では残念ながら一回戦突破はならなかった。でもまた来年あったらきっと参加してくれるだろうと思う。3度目の正直。今度こそは一回戦突破だ!!
それぞれの県から選ばれ、晴れて全国大会出場となった日本の小学生たちのほうは相変わらずコンマ0.01を競い合うような接戦が多かった。何度も何度も練習を重ねて、そして本番で足紐が取れてしまい敗れてしまうチームが今年も何校かあり、つくづく難しいものだなあと思えてならなかった。敗れて涙を流す子供たちに先生が言葉を掛ける様子をカメラは映し出す。「結果よりみんなでここまで頑張ったということを忘れないで欲しい」と声を掛ける先生も子供たちの涙を見て辛そうだった。試合ごとに何校にも渡って敗れたチームをカメラは追い駆ける。その度に涙を流す子供たちに同じような励ましをする先生の姿があり、ただTVを見ているだけの私まで説法をうけているような気分になってしまい、なんだか私まで勇気を貰ってもう少し頑張れそうな気がしてきた。最後にどこの学校が優勝したかなんて、やっぱり興味はなかった。でも別に、それでいいのだと思う。
そういえば、昨年日本に来たケニアの小学生が、初めて日本に来る子たちに向かってこんなことを言ってたっけ!「日本に行くと帰りたくなくなります。」と。君が帰りたくなくなると言った日本では、この狭い島国を明日にでも出て行きたくて堪らない人たちが大勢いるんだ。日本のちまちました人間関係が嫌で、今すぐにでも…ってね。君がそれを知るのは一体いつになるのだろう。いやっ!もしかすると、一生知らないままのほうが幸せなのかもしれない。うん、やっぱり知らないほうが幸せなこともあるんだよ。
いろいろと発見の多い30人31脚は、今年も大きな余韻を残して幕を閉じた。この番組を家族で見ていた子供たちもきっと多いだろう。この番組を見て子供たちは何を感じたのだろうか。ひとつの目標に向かって、みんなで頑張ることの大切さなのだろうか?それとも…などということを考えつつ、そのままTVをボーっと見ていたら、その瞬間自分の目を疑うような映像が飛び込んできた。それはナント!露天風呂で★★★まるだしの4人のお姉ちゃんの姿だった。そして真ん中には、古谷一行さんの★★★な、お姿が…。つまり「次は○○〜」っていう1秒くらいのアレ(番宣)だったのだ。『土曜ワイド劇場「混浴露天風呂連続殺人 世紀末!リストラ刑事とパラパラ温泉ギャルみちのく秘湯大追跡」』と、これでもか!と言わんばかりの要素を積み込んだタイトルのドラマだ。土曜ワイド劇場専用の検索エンジンがもしあったら、いっぱい引っ掛かっちゃうぞ!みたいな。主演が古谷一行さん。これだけでもうどんな内容なのか想像がつくと言うものだ。ちなみに今回で20回を迎える所謂長寿シリーズっていうヤツだ。人間行き着くところは結局そこか…などということを考えていたら、ふとこの番組を楽しく家族そろって見ていた人たちのことが頭を過ぎった。私が見たびっくりするこのシーンはきっと、30人31脚を見ていた多くの子供たちも見ただろう。そして出場した小学生たちはきっとビデオに録画していただろう。となると当然この部分も…へっへっへっ。やはりこれはちょっとマズかったんじゃないかい?と思いつつも、日本全国の、健全な子供を育成したい家族たちは、不意に訪れたこの瞬間にどう対処したかを想像したら、なんだか可笑しくて可笑しくてしょうがなかった。化けの皮なんてすぐ剥がれてしまうし、子供たちに見せたくないものは、どんなとこにだってあるのだ。例えば今みたいにおもいっきり油断している瞬間にだって…。だから、結局のところこのシーンを笑って流せるくらいの余裕が必要なのだ。そうすればきっと、子供は健全に育つと思うんだがなあ〜。むきになってTV局に苦情を言っている親の姿を子供たちに見せるほうが、よっぽど不健全だって!
と、話がそれたけど、今回の一件でTVが子供に与える悪影響を必要以上に目くじら立てるPTAは、TVを見るときには必ず次の番組内容にも注意しなければいけないという、良い教訓にはなりましたな。へっへっへっ。

12月17日言葉に出来ない思いを言葉にすると?
『課外授業ようこそ先輩』(NHK)を見る。今日の先生は、徳川埋蔵金発掘者、もとい、コピーライターの糸井重里さん。糸井さんがどんな授業をするんだろうか?と興味を持って見ていたら、ナント!「言葉に出来ない思い(気持ち)を言葉にする」という何とも高尚なものだった。
私自身、作文とか論文とか小説とかエッセーとか手紙とか…を書くのは好きだけど、詩とか短歌とか俳句とか標語とか…を書くのはあまり得意ではない。つまり長文はいいのだけれど、短い言葉のなかで言いたいことを凝縮して表現するというのが得意ではないのだ。だから短い言葉で表現する糸井さんのような所謂コピーライターという仕事をしている人は、正直凄いなと思う。例によって話は逸れるが、この鑑賞日記も、長い日記より短い日記の方が苦労しているなんてことがある。最近では11月10日の日記とか物凄く苦労した日記のひとつだろう。もしここでクローズアップさせなければ気がつかないような地味な内容の日記なのだけど、実はこの日記。最初に執筆したときとは全く違う日記になってしまっているのだ。確かに同じことを書いているのだけど、イマイチ納得がいかない仕上がりになっていたので、公開までの間、少しでも納得いくものにしようとパソコンを立ち上げる度に推敲を重ね、何度も書き直した末の一作になっている。とはいえ、それでもまだイマイチ感があるのは否めないんだけど。
確かに長い日記の方が労力を使うので終わったとき「あー頑張ったな。」という充実感はあるし、短い日記で凄く楽して書いた場合は大した充実感もない。でも11月10日の日記のようにドツボに嵌まると長い日記では有り得ないような苦労を伴うことがあるので、書き上がったとき長編日記とは違った充実感があるのもまた事実なのだ。話は戻るが、糸井さんのようなコピーライターの仕事はいかに短い言葉で表現するか一文字一文字まで気を遣っていることは想像に難くない。接続詞を「は」にするか「を」にするか「で」にするか、文末を現在形にするか過去形にするか「…」で余韻を持たせるか、広告などの場合、どの部分で改行するか、ひいては句読点の打ち方が違っただけで大きく意味が変わってしまうことだってあるのだ。
そんな糸井さんが今回の授業で試みたのは、私が最初思ったような短い言葉で表現することの苦労ではなかった。冒頭にも記したように意外にも「言葉に出来ない思い(気持ち)を言葉にする」という高尚なもので、私は度肝を抜かれてしまった。何故「短い言葉で表現すること」でなく「言葉に出来ない思い(気持ち)を言葉にすること」を選んだのか、私は糸井さんが展開する授業を見ながらずっと考えていた。そうしたら、何かを伝えるときに大切な「言葉」の原点は「心から沸き上がる思い」であることに気がついた。日頃喋ることも、こうして文章の中に言葉を認(したた)めるのも全部心の思いであることに気が付かされたのだ。長い短いなんて二の次で、一番大切なのは言葉に出来ない思い(気持ち)をどうやって言葉にするのかということだったのだ。あなたにだって経験があるだろう。思っていることが上手く言葉にならなかった経験(こと)が…。言いたいことはあるんだけど、それが上手く言えなくて苦労したことが…。
私がこの授業内容をとても高尚だと感じたのはそんな理由からだった。うまく言葉に出来ない思いを言葉にする授業!なんて高尚な、ある意味感受性が必要とされる授業なのだろうか…。言葉の短長などという中途半端な授業でなく、言葉の極限にまで迫った授業を展開した糸井さんに言葉のプロであることを改めて認識した。子供たちは授業で得たことを踏まえ、最後に「言葉に出来ない思い(気持ち)を言葉にする」というテーマ通り、その思いを詩にすることで、ひとつの成果を得た。ある子供は「ありがとう」を詩に表現した。その詩を読んで「ありがとう。」とってもいい言葉だなと改めて思い直した。日本人は時に「ありがとう。」という感謝の気持ちより先に申し訳ない気持ちが先走って、「ありがとう。」が「すみません。」に置き換えて発せられがちだ。本当は「ありがとう。」の方がよりよく相手に伝わるんだけどな。私も気をつけなくっちゃ!と考えさせて貰ったことは凄く大きな収穫になったと思う。

言葉のことをいつもより深く考えながら日記を書いていたら、今日の日記も執筆に随分と時間が掛かってしまった。その分書き終わったときは「あー頑張ったな。」という充実感でいっぱいになるけれど、私が感じるこの充実感は果たしてあなたに上手く伝わっているのだろうか。この、言葉に上手く出来ない思いが…

12月18日未来の大人たちへ
『名探偵コナン』(NTV)を見る。鑑賞日記を書き始めて、まもなく2年半が経とうとしている。その間で一番の収穫は、普段だったら考えなくてもいいことを考える機会が持てていることだと思う。お分かりの通り、鑑賞日記は私の日常生活を書き綴っている訳ではない。TVやラジオを中心に、時にはラテ欄やCMにまで広げ、それらを見たり聞いたりして考えたことを書き綴っているので、その日その日によって自ずと考えることも変わってくる。その日取り上げるテーマによっては、考えが上手くまとまらず起筆から擱筆までゆうに10日以上を要するなんてこともある。そんな時は大概「なんでこんなこと考えなくちゃならないんだろうか。」と半ば投げ遣りな気持ちになってしまうことが多い。考えなくったって別に困ることなんか何もないし、題材を別に求めればこんなにも悩むことはないのだし、こんな考えることばっかりの鑑賞日記なんか辞めちゃえば楽になれるのだ。そんなふうに思ったことはこの2年半の間に何度だってある。でも私は考えることから逃げ出すことだけはしたくなかった。考えが上手くまとまらないということは勿論、昨日の日記にも書いたように、自分自身の表現力の欠如ということもあるだろう。でもそれよりなにより、根本的に書けないということは、今考えている書こうとしているテーマの事柄について、自分自身が普段いかにいい加減に捕らえているかの紛れもない証拠なのだ。鑑賞日記上では別に考えなくとも問題はない。でも、もし日常生活において似たような事柄に直面したときに、考えることを辞めて逃げ出せばいいのかといったら決してそんなことはないだろう。だから私はこの場でも考えることから逃げ出したくはないのだ。この場で考える機会が与えられたことに関しては、おもいっきり考えてできる限りの答えを見つけ出していきたいと思うのだ。それが日常生活で役に立ったら最高じゃないか!!ただし、机上の空論にならないように十分注意だけは払いつつ…ねっ。

鑑賞日記を書き始めて一番の収穫が「普段だったら考えなくてもいいことを考える機会が持てていること」だとしたら、その考えの中で生み出された発見のひとつに「『名探偵コナン』実は大人のアニメ説」がある。今までそんなこと考えずに見ていたアニメだったのに、考えて見るようになったら、このアニメ、子供が楽しんで見るようなアニメじゃないことに気が付いた。その事実に気がついたのは、もう随分前になるけれど、気付いた時は「はっ!」としたことを今でも本当によく覚えている。私がこのアニメを子供のアニメじゃないと断言するのは、「大人にならなければ分からない人間の心情が深く深く織り込まれたアニメ」だからだ。犯行動機からも十分読み取ることも出来るし、登場人物のセリフからも十分に読み取ることが出来る。寧ろ、このアニメを見て「こなんくんかっこよかった!」とか「はくりょくがあったよ!」程度の感想しか言えないような子供は、まだコナンを見るのは早すぎるといっても過言ではないと思っているくらいだ。
そういった意味でも今年最後でもあり、今世紀最後でもある今回のお話は、大人テイストたっぷりで、今まで見た作品の中でも群を抜いていい物語だったといえるだろう。今まで登場回数は多いものの、なかなか陽の目を見ることがなかった目暮警部が主役というところから既に私は興味津々で、膨らんだ期待を裏切らない、いやそれ以上の仕上がりになっていたのは、とっても嬉しいことだった。
今回のお話は、今風の若い女性ばかりが狙われる連続殺人事件(未遂も含む)を扱った物語だった。犯人はその昔、自分の息子を交通事故で失っている過去を持つ警備員だった。動機は、今回殺された女性が1年前に警備員の息子を車で引いて死なせたことだった。その事故の原因はその女性が厚底ブーツを履いて運転をしていたからだ。その復讐をするために、狙ったのは車の運転手で厚底ブーツを履いた女性ばかりだったのだ。まだはっきりとした犯人の決め手がなかった段階で、おとり捜査をすることになった時、真っ先に反対したのは目暮警部だった。その昔、女子高生連続殺人事件が起きた時、おとり役を買って出てくれた女子高生がいて、その女子高生が被害にあってしまったという苦い過去を持っている目暮警部は、おとり捜査には消極的だったのだ。
被害者が加害者を逆恨みしての犯行というのは、ドラマの中でもよくあるパターンではある。でも私が今回特に目を見張ったのは、その事故の原因が「厚底ブーツ」だったからだ。今冬あたりは下火になった(?)ような気もするけど、危険視されながらもまだまだ履いている人は多い。それがいかに危険であるかを、交通死亡事故ひいては逆恨み殺人事件というテイストを用いて描いたのだ。このアニメ、やはりただ者ではないなという思いがますます強くなった。
ちょっとした犯人の勘違いから、蘭ちゃんの友達である園子ちゃんが犯人に狙われてしまうという緊迫した事態が起き、昔の事件が頭を過ぎった目暮警部は、身体を張って園子ちゃんを助けることに成功する。この場面の目暮警部は今までに見たこともないようなカッコよさで、いつもは結構冷静に見ている私までも子供みたいに「めぐれけいぶかっこよかったよ!」なんて叫んでしまいそうな勢いだった。そのくらい、今日の目暮警部はカッコよかった。
少し余談になるが、今回ここでどうしても書いておきたいことがあるので記させて戴く。目暮警部の声を演じている声優さんは茶風林さんという人である。アニメには詳しくないので、茶風林さんがどんな人なのか詳しいことは分からないが、私はこの人のことをもう何年も前から気に掛けていた。というのも、『名探偵コナン』が放送される前、月曜7時30分は『美味しんぼ』だった。このアニメも良く見ていて、そんなある日最後のテロップの声優さんのところに「茶風林」という名前をみつけたのだ。通常苗字と名前で構成させている声優さんのテロップに、なんだかよく分からない、読み方さえも曖昧な「茶風林」という名前を見つけて以来、私はそれからずっと気に掛けるようになってしまったのだ。でもこの茶風林さん。『美味しんぼ』で与えられる役と言えば「男B」とか「客A」とか、大概がそんなのばっかりだったので、どれが茶風林さんの声かすらも分からなかった。しかも声優さんの名前はいつも最後に出るので、茶風林さんの声を判別するのことだけでも困難を極める作業だった。ある時ふとしたことで、確実にこれが茶風林さんの声だと分かった時は、嬉しかったな。
そんな『美味しんぼ』が終わり、『名探偵コナン』が始まり、再びテロップで「茶風林」の名前を発見した時は、AとかBとかじゃないちゃんとした役だったので、なんだか自分が役を貰ったみたいで物凄く嬉しい気持ちになった。そんなことがあるからか、目暮警部には他の登場人物にはない特別な感情がある。だから余計に今日の目暮警部の大活躍のお話は感慨深かった。あんなカッコイイ目暮警部を演じられて、きっと茶風林さんも嬉しかったんじゃなかろうか。
ネット社会になって、分からないことをちょっと検索すれば簡単に情報を得られる時代になった。茶風林さんのこともネットで検索すれば、いくらかの情報は得られるだろう。でも今回はあえてそれをしない。茶風林の読み方も、他にどんなアニメに出ているかとかも、知らないままの方がなんだか心地がいいような気がするからだ。そういうことが時にはあってもいいのだと思う。
「その昔、女子高生連続殺人事件が起きた時、おとり役を買って出てくれた女子高生がいた。」ということを先ほど書いた。物語の中盤にそのことが語られ、その後一切触れられなかったので、私はてっきり亡くなってしまったんだと思っていた。そうしたら、最後の最後、怪我はしたものの、元気であることがきちんと語られた。ふっ!一安心。と思ったのも束の間、ナント!その女子高生。時を経た今、どうなったのかと思ったら、目暮警部の奥さんなんだと。おやおや。ごちそうさま。
あ!今気が付いた!もしかして…もしかして、この『名探偵コナン』は、「実は大人のアニメ説」のその裏に、もっと盛大な「未来の大人たちへ向けた壮大なメッセージ」が込められているのではないだろうか。今まで私は「『名探偵コナン』実は大人のアニメ説」でひとつの結論を得たと思っていた。でも本当はそうではなかった、というか、そこで思考をストップさせてはいけなかったのだ。この鑑賞日記を読み飛ばすことなく読んで下さっている方なら、多分ご存知のことだろう。この日記のなかで常々書き綴っている、私が日頃から考えている、とある問題点を。それは「本当に伝えたい人に伝わらないもどかしさ」についてだ。例えば、何かを訴えたとする。こうして欲しい、こうあって欲しいと訴えても、一番聞いて欲しい訴えたい人には伝わらないのをどうやって伝えていけばいいのか、私は幾度となく考え書き綴ってきたように思う。確かに聞いてくれる人はいるし、伝わる人には伝わる。例えば「選挙に行こうよ!」と訴えても、伝わるのは伝えなくとも選挙に行く人ばかり。で、肝心の選挙に行かない人にはその訴えが通じないというような。例えば「いじめはやめよう!」という集会を開いても集まるのは、どんなことがあってもいじめなんかしない人ばかりという矛盾感。本当に伝えたい人は、そんな集会があったことすら知らないというような、つまりはそういうことなのだ。この上手な解決策があったら、マジでノーベル賞モノだと思う(無論極論だが)。
話は戻るが、『名探偵コナン』。そういった観点から見れば、コナンはもしかすると、物凄く時代の先を行っているアニメなのかもしれない。近い将来に伝えるべきことになる相手に、聞いてくれなくなる、伝わらなくなる前に、先に伝えてしまおうという手法。厚底ブーツなんて、子供には関係のない履き物だし、実際に履いているのは中高生なのだから、そいつらに言えばいいと言うのは、もう古いのだ。将来履くかもしれない子供たちに履くことの危険性を先に訴えておき、未然に事故を防ごうという手法。これはある意味高等戦術で、相当なテクニックを要するものだ。だけどこれってもしかして、伝えたい人に伝わらないもどかしさを解決する大きなヒントなのではなかろうか。
「『名探偵コナン』実は大人のアニメ説」。私は今回これに「『名探偵コナン』実は未来の大人に向けたアニメ説」を付け加えたいと思う。『名探偵コナン』は、親が子供のためにと喜んで見せる幻想的なお伽話とは、確実に一線を画す刺激的な道徳アニメなのだ。刺激的というのは、勿論そこに殺人が絡んでくるからで、「殺人」ということにばかり目をむけると、「見せるべきではない」と言うような人も出てくるのかもしれない。でも、『名探偵コナン』が物語の中でいつも訴えているのは、「殺人」を犯してしまう人間の悲しさとか、それでも殺してはいけないという限りない道徳精神なのだ。子供には少し大人すぎる道徳精神なのかもしれない。それは友達と仲良くとか、挨拶を、といったような道徳よりも深い道徳精神なのだから…。『名探偵コナン』を子供に見せるのなら、一緒に道徳心も学ばせるくらいの、大人も「道徳心」が必要なのだぞ!
『名探偵コナン』は来年で放送開始6年になるのだという。小学校1年生から見始めた子供も6年生。中学1年生から見始めた子が高校3年生になる歳月だ。なんだかんだ言っても、基本的には大人テイストの強いアニメなので、見ていた子供たちも大人になるにつれ、コナンに対する捕らえ方も徐々に変わって来ていることだろう。私はこれから先も、このアニメが長い間続いていくことを強く強く希望している。今「こなんくんかっこよかった!」とか「はくりょくがあったよ!」しか言えない子供が大人になって別な感想を持つようになるまで、ずっとずっと続いていって欲しいと願ってやまない。
『名探偵コナン』を見て、コナンくんが幾度となく物語のなかで伝えてきたメッセージがちゃんと理解出来るようになれば、きっと将来は素敵な大人になるだろう。例えば気に入らないことがあったからといって人を傷付けるような、例えば煙草の吸い殻を道に捨てても平気でいるような、例えば決まりごとすら守れないような…そして厚底ブーツを履いて運転するような、そんな非常識な大人にはならないだろう。コナンを見て育った子はみんな道徳心豊かな大人になると信じていたい。
伝えたい人に伝わらないなんていうもどかしさは、私たちの世代で終わりにしたいと真剣に思っている。『名探偵コナン』はその為の大きな手助けにきっとなってくれるのではないだろうか。

12月19日〜31日(年末合併号)
今年も年末が近づいてきて、スペシャル番組目白押しの季節になった。例によって今年も、年末は大した番組がないので昨年に引き続き、1年を振り返る意味でこの企画をやってみたいと思う。1月1日に登場した『踊る大捜査線 THE MOVIE』(フジ)から12月19日に登場した『名探偵コナン』(NTV)までの番組を振り返っての、題して

『2000年・思い出に残る番組・かこの鑑賞日記ベスト作品集!!』
今年は例年より早めの年末合併号になりました。というのも、昨日登場させた日記で今世紀を締め括るのがいいなと思ったので、これで今年分の日記を終わりにすることにしました。とはいうものの、この間(19日〜31日)にお蔵入りさせてはもったいないような番組もあったのも事実な訳で…ま、これはまたの機会にどこかで登場させたいと思っています。
さて、今年1年間全ての日記を読み終えた印象なのですが、昨年までの日記に比べて番組の内容とは直接関係のないことまでに及んだ日記が多いように感じました。その代表的な日記が、選挙関連のニュースから歴史を学ぶということついてまで説いた6月25日の日記でしょう。TV番組の鑑賞日記なのに、歴史の教科書を紐解いたり自分自身の歴史や選挙に対する認識を明確なものにしたりと思いがけず大変意義のある日記になってしまいました。という訳なので、今年は私自身が読み返して「番組をきっかけに思考が深まった日記」を中心に選んでみました。これを機になんとなく読み流されてしまった日記をもう一度吟味して戴ければ幸いです。

改めて読み返して気が付いたのですが、この鑑賞日記。基本的にはTVやラジオの感想を書く日記なのに、ただ単純に感想だけでなく、時には人生観にまで及んだ日記が多いことに驚いてしまいました。壊れてしまった成人式を見て体罰について考えた1月10日、大橋巨泉さんの生き方からどんな老後を生きたいかについて書いた5月10日、先週放送分を繰り返し流し過ぎた番組を見て、親切が逆に不親切になる時について考えた6月2日、名前が同じだったということで大々的に扱われてしまった記事を見て一括りにすることへの警告を書いた6月8日、ワイドショーのインタビューに答える時に感じる優越感を描いたドラマを見て、他人事は自分事であることを肝に命じさせた上で心の構造を見直すように説いた6月9日、ドラマの中で描かれた誰かと比較してものを見ることへの嫌悪感を書いた9月30日、そして年末には「いつもいい顔しているあんたへ」と題して書いた、誰にでもいい顔している人こそ危険であることが多いということを書いた12月11日の日記が登場しました。これらの日記は、リアルタイムでTVを見ていた時には気が付かなかったことが殆どで、日記を書きながらその事実に気がついた時は随分はっとさせられたものでした。その中でも特にドラマに描かれた悪役を見て自分の中に眠る悪に出会う瞬間を書いた10月5日は、物凄い発見で気が付いた時には自分でも驚きました。ドラマを見ている自分の視線とドラマを離れ日常生活を送っている自分の視線の違い。同じ自分なのにこんなにも違っていいのかと思わされたのは、かなりショックでしたが、もしもみんながドラマを見ている時と同じ優しい視線で日常生活も生きられたら、きっといい世の中になるのではないだろうかと考えさせられたのはいいことでした。視線の違いといえば、自分の何気ない日常の中で、通りすがりの誰かが送るSOSに気がつけるのだろうかを考えさせられた6月23日の事件は、印象深く残っています。
私が鑑賞日記のなかで何度となく書き綴っていることになかに「何気ない日常の幸せ」があります。目に見えるような大きな幸せではない故に見過ごされている幸せ。でも私はそんな平凡でささやかな幸せこそ一番難しく、だからこそ幸せなのだと思っています。そのことにみんな気がついて欲しいと思うのです。そんなことが描かれている日記に、今年忘れがたい名作ドラマ6月22日や、往年の名作ドラマ9月16日があります。どちらもドラマですが、やはりドラマでしか平凡な人生の幸せを描くことは出来ないのでしょうか。その他の、例えばバラエティで何とか平凡な人生の幸せ感を描けたらほんとはいいのになと思います。これはもしかすると21世紀の大きな課題なのかもしれません。
ドラマの話が出てきたところで、少し余談になりますが、ドラマが人の人生に与える影響について書いた日記があります。1月27日がそれですが、あまりに演じた役柄が強烈だと、大変なんだなと思わされた番組でした。今年の名作ドラマを前述した分以外で挙げるとするならば、3月4日・3月11日11月3日12月1日でしょう。順に、ドラマを見ている間に自分の視線が変わってしまうという稀有なドラマ、役者がひときわ輝いて見えた稀有なドラマ、現代社会の問題点を描いたドラマ、交通ルールの大切さを切に訴えたドラマで、どれも忘れ難いものになりました。また時を経て放送された7月25日は、やはり名作です。こんなにも主役も脇役もそしてそのまた脇役まで、きちんとキャラクター設定されているドラマはありませんから。後にシリーズ化され、放送されるたびに人気を博しているのも頷けます。脇役が充実といえば、10月18日のドラマが記憶に新しいです。そんな本当の脇役が誰より輝いて見えた7月28日は、脇役好きの私には堪らない一瞬でした。
「TVを見る時は主役でなく脇役、出来れば脇の脇役を見る」と公言している私なので、当然脇役や裏方に注目した日記も多いです。箱根駅伝でランナーではなく先導の白バイに注目した1月3日、音楽番組でトークするゲストの後ろのまた後ろに座るゲストの行動を見て書いた2月11日、トーク番組のアシスタントの実力を書いた2月23日、少数派ノススメを書いた3月19日、TVの中心に映る人の隣に座る人を見て、プロ意識について書いた5月20日、生放送の音声さんの活躍について書いた7月11日、生放送におけるテロップの出し方の難しさについて書いた10月4日、女子アナが注目されている今だからこそ書いた11月1日・28日があります。そんな脇役好きな私ですが、番組の主軸もきちんと見ています。主軸がしっかりしていないと番組は成り立ちませんし、ある意味仲良しこよしで番組作りをしているより、少々強引でも主軸がひとりきちんといる番組の方がいいと思っています。その代表的な日記が1月5日です。大勢の意見を聞きいれ、それを番組に活かしていくことは大切なことだと思いますが意見をまとめる主軸は、それ以上に重要なのです。主軸がしっかりしてこその脇ですから。3月24日の底力を見なさい!!
脇といえば、お笑いコン ビも相方が売れすぎてしまって知名度的に脇に回ってしまい取り残される人がいます。今も昔もいろいろいますが、今、私はどうしてこの人コンビばかり気になるのでしょう?ピックアップしてみたら、1月11日2月4日3月21日12月6日と主立ったものだけでもこれだけありました。さあ誰でしょう?よく読んでいる人なら調べなくとも分かるでしょう。お笑いといえば、今年一番のヒットだった芸人がいます。衝撃の初登場は2月26日。その後も、4月23日6月3日11月18日と登場しています。来年はブレイクなるか?といったところが注目されますが、是非とも消費されすぎませんように…。
こんなふうに今年シリーズ化というほどでもありませんが、思いがけず頻繁に登場した人たちは他にもいます。その一組が彼らです。7月7日に登場してからというもの、10月16日12月7日・12月13日と登場し大ブレイクしたのですが、果たして来年はどうなるでしょうか?来年といえば、21世紀。21世紀といえば、この人のネタも頻繁に登場しました。初登場は8月7日。その後9月9日10月22日12月8日と、気が付きゃ彼らをTVで見かけるたびに登場させていますが、それはきっと彼らにあの「何か」を感じるからです。いや?変な意味じゃなくって!!
変な意味?という訳でもないのですが、ちょっと集めてみました。お好きな方はどうぞ!1月4日3月6日7月6日・7月19日8月5日11月16日12月16日…などなど。
さて今年は、TV・ラジオ番組のみならず、ラテ欄に注目した日記も多数登場しました。中でも一番印象深いのは、3月25日でしょう。古いのに新鮮で、なんか感動でした。皆さんも自分のを見たらきっと感動しますよ。そしてラテ欄の妙に笑ってし まい思わず登場させてしまったのが、3月7日です。意識していないからこそ可笑しいものです。ある意味、今年のラテ欄のベストかもしれません。とは反対のワーストは、7月14日。これは酷い大誤植でした。
ラテ欄といえば、今年もっとも楽しんだラテ欄対決がありました。ライバル登場に湧いて初めて書いたのが、6月12日。その後も8月30日12月12日にも登場しています。静岡ローカルで他県の方には大変申し訳なかったのですが、どうしても登場させたかったので書かせて頂きました。ライバルが登場したお陰で、互いに裏番組同士切磋琢磨し合い、独占してやっていた頃よりよくなったように思います。ライバル関係を書いた日記は他にもあり、3月29日の日記は全国的にライバルだと騒がれた番組でしたが、今はひっそりとしていますね。そんなことが高じて書いた裏番組考日記4月22日は、思いがけない発見でした。ラテ欄の「VS」の文字だけをピックアップしてその意味を考察した日記6月21日もありますよ。
鑑賞日記には様々なタイプの日記が登場します。一部から微妙な反響があった5月13日。正直書こうか迷ったのですが、書いてよかったと今は思っています。その他にもTVに出演するということに付いて考えた7月2日、TVの面白さつまらなさについて書いた11月2日、タイミングについて書いた1月29日2月10日、普段使っているものの誕生秘話を知り感動した10月28日。その中でも異彩を放っている日記に3月5日5月15日があります。最初アップした時より随分と増えて、皆様のご協力に深く感謝しています。鑑賞日記は、皆様のご協力と励ましにより成り立っている日記です。今後ともよろしくお願いしますね。
TVやラジオを見聞きして「そりゃあ違うだろ!」と思って、何故にそう思うか書いた日記もあります。某番組司会者のコメントに対して異論を唱えた4月4日、PTAが下品だと騒ぐ番組 に違和感を感じて、下品の意味について上品に考察した4月6日、ラジオで募られていたテーマに異論を唱えた6月1日、そしてラジオとTVのメディアミックスにおいてTV番組司会者が発した言葉に異論を唱えた7月18日などがあります。中でも8月23日〜25日に書いたことは、何が大切でどう伝えられるべきなのか、自分自身物凄く考えさせられました。全てを受け入れ過ぎずに、疑問を感じたら何故そう思ったのか考察してみることが大切なことなのだと思います。
私が鑑賞日記を書く上で、とても大切にしていることのひとつに名前があります。自分の名前がなかったり、間違えられたりしたら悲しいでしょう。ですから、名前には極力気を遣って書いています。芸能人の名前なんて呼び捨てでも構わないかなとは思います。でも、私は特別な場合以外は敬称をつけて鑑賞日記を書いています。そんな私自身の名前に対する思いを書いた日記が2月7日です。また名前を覚えて相手を肩書きではなく名前で呼ぶことの大切さを切に感じた番組に7月13日があります。流石一芸に秀でた人は違うのだと、感心させられました。私も見習わなければ…
別に困った時のQ&Aではないけれど、こんな時はどうしたらいいかというタイトルをつけた日記もあります。何作かある中でも『汚れちまった心のために』2月12日、『過去をやり直したいあなたへ』8月1日、『優しい世の中になるために』1月16日は忘れがたい3作です。
今世紀最後の12月18日の日記にも書きましたが、今年の最大のテーマは「伝えたい人に伝わらないもどかしさをどうやって解決していくか」だったように思います。前出の『優しい世の中になるために』1月16日でも触れて、その後も中洲の事故を教訓に書いた7月24日等で触れてきました。みんながなかなか興味を持ってくれない事項に関しては11月19日のようなやり方で伝えていくのは、いい方法だと思っています。こういう手法の番組はもっとあってもいいように思うのですが、なかなか出現しないのが現実です。そしてその考察は、最後12月19日の日記で一応の大団円を迎えます。
1年間の鑑賞日記を改めて読み直していたら、タイムマシーンに乗っているような気持ちになりました。タイムマシーンといえば、タイムマシーンを扱った日記もありました。3月9日がそれで、タイムカプセルを扱った日記も4月27日に登場しています。私にはタイムマシーンはおろかタイムカプセルもないけれど、日記を読み直していたら、この日記も私にとっては大切なタイムカプセルのような気がしてきました。今日までの日記は20世紀末に見た私の大切なTV鑑賞記です。TVやラジオという、日常生活においてかなりのウエイトを占めているにも関わらず、ともすれば聞き流されてしまいがちのメディアの大切な見聞録です。

「TVばかりを見ているとバカになる。」その昔、こんなことを言っている人が確かにいました。でも私は今、それは違うのだと確信しています。確かにボーッと何も考えずに見ているだけでは駄目なのかもしれません。だけど、TVやラジオをきっかけにいろいろなことを考えることは出来ると思うのです。その確かなる証が、この鑑賞日記です。
それにしても、この1年は今まで以上にいろんなことを考えてきたんだなあというのが読み直したときの素直な印象でした。この日記を読んだあなたが、どこまで私が書いた意見に賛同してくれているのか、それとも批判的なのかは分かりませんが、少しでも賛同して下さる方がいるならば、ここで考えたことをぜひ日常生活でも役立てて欲しいと思うのです。例えばTVドラマを見ていて、一生懸命に正当に頑張っている主人公が、不条理な扱いを受けている場面に遭遇したら、見ているあなたはきっと、「どうしてそんなことするのだ!」と、主人公を冷たくあしらう周りの人に激怒するでしょう。そんなときあなたは、知らず知らずのうちに何が正しくて間違っているのかと判断している訳ですし、その思いを持てていることは素晴らしいことなのです。そういう気持ちになれただけでも、そのドラマを見た価値はあるというものです。…でも、いったんドラマを離れ、日常生活に戻ると、ドラマを見ていたときにはあんなにも正当な判断が出来たにも関わらず、残念ながら多くの人がドラマを見ながら抱いた気持ちを忘れてしまいます。日常生活で「何が正しくて間違っているのか」を問われたとき、様々な邪念(例えば、年齢・性別・立場・今までの恩・この場合どちらに味方した方が自分が不利にならないか、などなど)が入り、正当な判断が出来なくなってしまうことが多いのです。日常生活で起こりうる人間関係の悲劇はこうして生まれます。それは本当に悲しいことです。鑑賞日記を読んで「あーそうだな。」と少しでも賛同して、優しい気持ちになったなら、ぜひともその気持ちを日常生活でも持ち続け、役立てて下さると嬉しいです。私自身もそうありたい思いながら日記を書いている訳ですし。それにこの鑑賞日記の作者は、これらの邪念にまみれ上手に世渡りをしている人を極端に嫌う傾向がありますので。12月11日のような日記が生まれるのは、まさにその象徴なのだと思います。怒りそうにない人こそ、温和そうに見える人こそ、危険なのだぞっと!
ドラマの中で見た、主人公に不条理な扱いをし冷たくあしらう周りの人に、あなた自身がならないで下さい。それが私の一番の願いです。悲劇はドラマの中だけで、もう充分ですから。

今世紀の鑑賞日記はこれでお終いです。今年もメール等で感想を寄せて下さいました皆様、本当にどうもありがとうございました。その1通のメールが鑑賞日記を書いていく原動力になっています。それではまた来年もよろしくお願いいたします。


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2001年1月6日へ

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