かこの鑑賞日記2001年7月1日〜7月31日
6月1日〜6月30日
7月1日
新聞記事を見る。7月になったというのに、さしたる番組がないので、今日も気になる新聞記事からひとつ。
西城秀樹さんが下田の白浜神社で総額7万円の挙式をしたそうだ。ワイドショーも費用7万円という事実に目を向けて、ジミ婚だと伝えていた。芸能界においてジミ婚の先駆者が誰なのかは分からないけれど、騒がれるようになったのは、永瀬正敏さん&小泉今日子さんや唐沢寿明さん&山口智子さんが結婚した前後なのではないだろうか。芸能人と言えば、かつては一流ホテルで多くの参列者を招いて、盛大に挙式&披露宴をすることが定説だと言われていた時代が確かにあった。それに反してジミ婚とは、挙式も披露宴も行わずに(仮に行ったとしても親族やごく僅かな知人のみを招く程度で)入籍のみを済ませることだ。記者会見もシンプルな服装で、自然体だと言われることが多い。だけど、あまりにもジミ婚が持て囃されると、逆に披露宴をする芸能人が無類の派手好きで、それがまるでいけないことかのように思えてしまう。芸能人に影響を受けやすい一般の人々も「ジミ婚=いいこと」のように受け止める人が、きっと多く出てくるはずだ。一時期流行した、新郎新婦が「ゴンドラ」で登場する披露宴が急速に衰退し、今では披露宴恥ずかしアイテムNO.1の座に君臨するようになったのも、私は「ジミ婚」が大きく影響していると思っている。言ってみれば、「ゴンドラ」は「ジミ婚」に敗れたのだ。結婚式の合戦で。この歴史を揺るがす合戦は、歴史の教科書に載せてもいいとすら思う。
ところで「ジミ婚」とは何だろうか。確かに前述した事がジミ婚のひとつの定義ではある。でも私にはどうしても納得行かない部分が多いのだ。ジミ婚だと伝えられた西城秀樹さんを例に取ってみても、金額的には確かに低額ではあるものの、マスコミのカメラや取材が殺到し、それがワイドショーを始めとした各方面で伝えられ多くの人々の目に映ることの、どこがジミだというのだろうか。ジミとは金額とか規模とか、そういう問題ではないと思うのだ。極論を言えば、芸能人にジミ婚など有り得ないと思っている。名前すら浸透していないような芸能人ならまだしも、マスコミでジミ婚だと騒がれるような芸能人は、間違いなくジミではないと断言したい。挙式も披露宴も行わない、所謂ジミ婚だと言われる結婚をした女優さんが、かつてドラマや雑誌やショーで凡人には手の届かないような豪華なウエディングドレスを着て満面の笑みでいたのを思い出してしまうと、本当にジミ婚って何なのだろうかと思ってしまう。
私自身も、これでも今まで結構な数の結婚式に出席している。その中で列席者数が最大なのは400人の結婚式だった。確かに人数的には大規模だったものの、今回の西城さんの挙式に比べたら随分とジミだったと思う。ジミと派手の感覚は時に麻痺して勘違いしがちだ。だからこそ決して判断を間違ってはいけないのだ。マスコミで伝えられるジミ婚がジミ婚の本当の姿だなんて思ってはいけないよ!
新聞記事を最後まで読んだら、西城さんは7日に都内で700人を招待した披露宴を行うそうだ。ああ。これがジミ婚の実態なのかと思ったら少し嫌になった。
そういえば私はまだゴンドラの結婚式に出たことがない。今や20世紀の遺物と化したゴンドラ披露宴になんだか無性に出席してみたくなった。派手な結婚式の代名詞のようなゴンドラも、実際に見たら案外ジミなのかもしれない。少なくとも7万円挙式でジミだと大騒ぎされている人よりはずっと。

7月2日占い好きなあなたへ
『ちゃんネプ』(テレ朝)を見る。今日は占い対決。ネプチューンの3人がそれぞれ女性タレントと一緒にチームを組み、占い師を使って競馬や宝くじを当てよう!という企画をやっていた。ぶちゃけた話、私は占いが好きではない。好きではないというか、嫌いだ。何故嫌いかという話をすると長くなるので割愛するが、とにかく嫌なのだ。だから占いで云々という企画があると「どーせ当たらないのになあ。」などと思いながら見ている。
今日も同じような事を思いつつも見ていたら、やっぱり案の定だった。何人かいる占い師さんの中から、それぞれのチームで好きな占い師さんを選び宝くじや競馬を当てるのに協力をしてもらったのだけれど、殆どが当たらず終いだった。競馬のラストチャンスの場面ではとうとう、占い師さん全員のチカラを結集させて当てに行こうとしており、堀健のチームに至っては占い師がいるにも関わらず「占い師なしで行きます!」と、企画の根本を揺るがすようなことをしている始末で、「それじゃあ占い関係なくてただの競馬の予想屋じゃん!」と思ってしまった。
私がもしも有能な占い師だったら、占い好きな人を是非とも占ってあげたい事柄がある。ぶっちゃけた話、占いが嫌なのは、中途半端だからなんだよね。物凄中途半端。私が有能な、何でも言い当てる占い師だったら、絶対に中途半端にはせーへんのにな。でもな…。
それにしても「占い」の企画なのに、最後は占いなんてどうでも良くなってしまう過程は非常に面白かった。番組のために一同に集結した占い師さんたちは、この企画が最後にこういう結末を迎える事をちゃんと予想出来ていたのだろうか?ま、今日の結果を見れば、それも自ずと答えが…

7月3日祝・20周年
『火曜サスペンス劇場・20周年スペシャル「弁護士高林鮎子【28】」』(NTV)を見る。『火曜サスペンス劇場』がこの度20周年を迎えた。火曜サスペンス劇場―――――。その存在は多くの人々に浸透していると言っても過言ではないだろう。オープニングのテーマ曲・渦を巻くオープニングの絵図ら・切な系のエンディング曲・最後の犯人激白のシーン・断崖絶壁…とどれを取ってみても定番中の定番で、そのお約束感は既に『水戸黄門』(TBS)や『笑点』(NTV)に近い物がある。そういった意味でも、安心した物語展開が臨めるのが『火曜サスペンス劇場』なのである。(でもサスペンスなのに安心っていうのも考えてみれば何か妙だ。)
『火曜サスペンス劇場』には数々の人気シリーズがある。中でも多分一番有名なのが、片平なぎささん主演の『小京都ミステリー』だろう。船越栄一郎さんとのコンビが人気で、かなりのシリーズを重ねている。そして私自身が一番好きなのが、今回放送された『弁護士・高林鮎子』シリーズだ。今回20周年記念作品として、このシリーズが選ばれたことをとても嬉しく思っている。通常は半年に一度の放送なのに、前回放送からまもなく1年が経とうと言うのに放送されないので、淋しく思っていた矢先の放送だった。今回は多分シリーズ始まって以来の海外ロケがあった。ロケ地はパリ。海外ロケをすれば制作費もかかるだろう。道理で1年近くも放送がない訳だよ…
番組を見終えて感じたことは、このシリーズはやっぱり国内がいいなということだった。交通機関を巧みに使って殺人を犯した犯人のトリックを暴くというのがドラマの一番の見所だ。10時30分頃に橋爪功さん演じる調査員が時刻表片手にトリックを暴く瞬間が毎回楽しみで堪らない。『水戸黄門』で印篭を出すシーンよりもスリリングだ。それなのに今回、海外が絡んでしまったせいで一気にトーンダウンして、名場面がぼやけてしまったのだ。なーんか消化不良だったのは、きっとそのせいだ。
でもま、私的には久々に本田理沙さんや佐藤友紀さんや冨家規政さんが見られたので良しとしよう。って誰だよ!っていう声が聞こえてきそうだけど、私の中では十分メジャーなレベル。暇だったら調べてご覧!それにしても本田理沙さんは懐かしかったな。
このドラマを見て毎回必ず思うのは、高林鮎子を演じる真野あずささんはいいなと言うこと。『はぐれ刑事純情派』(テレ朝)の時よりずっと彼女の良さが引き出されているような、そんな気がする。あんなふうに年を重ねられたらいいのにな。

7月4日表記が変わった訳は?
『ファイティングガール』(フジ)。深田恭子ちゃん主演のドラマで共演するユン・ソナさんは『もう一度キス』(NHK)で窪塚洋介くんと共演していた韓国出身の女優さんだ。窪塚くんと言えば同時期に『ストロベリー オンザ ショートケーキ』(TBS)で深田恭子ちゃんと共演をしていた。だから深田恭子ちゃんとユン・ソナさんは、窪塚洋介くん繋がり。
ところでユン・ソナさん。『もう一度キス』の時は確かユン・ソンハという名前だったのに、ユン・ソナになったのはどうしてだろう。おや?もしや別人?それとも双子?…な、訳ないか。

7月5日1万円は大金ですか?〜それぞれの自己破産〜
『クローズアップ現代』(NHK)を見る。これは私が勝手に判断していることだけど、多分芸能人の金銭感覚というのは「0(ゼロ)」がひとつ多いのではないかと思っている。我々の100円の感覚が芸能人の1000円。1万円が10万円くらいで、例えば芸能人が結婚式に招かれた場合など親族でもないのに、軽く10万円〜20万円くらいは包んでいくのだとかつて聞いたことがあるし。以前、山城新伍さんがかつてTBSでやっていた昼の帯番組の1回のギャラを聞いたことがあるけれど、これがまた途方もない金額だったので随分と驚いたことを覚えている。それを何気に貰ってしまっているのだから芸能人の金銭感覚は、正直私には良く分からない。

本日の番組のテーマは自己破産だった。自己破産。「そんなもの自分には関係ないや!」と思っているかもしれないけれど、今日番組に取り上げられた人たちの例をみていたら、決してその人たちが特殊でもないような気がしてきた。自己破産のイメージは人それぞれ違うと思う。今までの私の中では、身分不相応の暮しをしようとしてしまったが為に起こった悲劇みたいな感じがあった。払えるはずもない金額の買い物をして破産すると。勿論それだけでないことは十分承知の上で、それでもなんとなくそういうイメージがあったのだ。
だけど今日番組を見ていたら、女手ひとつで3人の子供を育て大学まで行かせる資金がなかったため最終的に消費者金融に頼らざるを得なかった人の例や、不況のためになかなか受注が入らずに家計が火の車になっている自営業者の例などが挙げられて、ひとことで「自己破産」と片付けられ報道される人々の、実は多種多様にある自己破産の形を垣間見せられて、思いがけず真剣に見入ってしまった。
ここからしばらくちょっと難しい話になるけど、決して読み飛ばさないでね。ところで「個人再生制度」をご存知だろうか。これは破産に至る前に借金を整理し、生活を立て直すための新しい制度のことだ。この制度は今年の4月からスタートし、6月末までに約200人ほどが申し立てを行ったという。言ってみれば「民事再生法」の個人版とも言える制度で、裁判所が認めた返済計画を元にして借金の一部(20%程度)を原則3年で返済すれば、残りの借金は免除されるそうだ。自己破産が家や全ての財産を処分した上で借金を免除してもらうのに対し、家のローンと借金とを別々に考えて対処するという大きな違いがある。その制度を利用するためには、自営業者やサラリーマンなどの個人であることや、3000万円以下の無担保の借金であることなど様々な規制があるそうなのだが、こういう制度が出来たということは、つまり少しでも自分で払って行くための手助けになれば、ということなのではないかと思う。
番組を見て、そして日記に書くためにもう一度この制度及び自己破産について調べてみた。きっとこんなことでもなかったら、「そんなもの自分には関係ないや!」と見向きもしなかったに違いない。だから今回思いがけずこのような機会が持てて良かったと思っている。幸いなことに今は自己破産とは取り敢えず無縁の生活を送れているけれど、現実問題、自己破産と隣り合わせに生活している人が大勢いるこの世の中で、「そんなもの自分には関係ないや!」と断言出来るほど世の中は甘くないことを、私たちはきちんと知っておくべきだと思うのだ。
これを書きながら、良く分からない芸能人の金銭感覚を自分なりに理解しようとずっと考えていた。「0(ゼロ)」がひとつ多くて1万円が1000円くらいにしか感じられない金銭感覚は、どう考えても私には良く分からない。だけど…だけど、こんなことはないだろうか。例えば高額賞金が貰える番組なんかで示される1万円という金額が、物凄く端金(はしたがね)に感じることが。本当は1万円が大金であることを知ってはいるけれど、その先にある高額金に目が眩み1万円が端金に感じる金銭感覚なら、あなたもきっと感じたことがあるんじゃないかと思う。それは確かに日常とはかけ離れた錯覚した状態なのに、別に異常とも感じなくなっている怖さ。芸能人はその錯覚した状態が延々と続いていると考えれば、わりとすんなり芸能人の金銭感覚も理解出来てしまうから怖い。
こういう文章を書いているときの私の心は、錯覚とはかけ離れたところにあるから冷静でいられる。けれど、天才と○○は紙一重というように、今の冷静な状態と錯覚した状態も紙一重のところにあると私は思っている。金銭感覚というのはそれくらい案外簡単に変わってしまうものなのだ。1万円が端金に感じる錯覚を一度は体験したことがあるならば、自己破産だって、「そんなもの自分には関係ないや!」とは決して言っていられないと私は思う。遠く感じる自己破産も、遠く感じる芸能人の金銭感覚も、一見遠いようで、でも実はすぐ近くにあるという点では非常に似通ったものなのではないだろうか。
198円で「安い!」と思って買った物が、別のお店で188円で売られていたら、何だか損した気持ちになる。そういう気持ちがあるうちは、まだ大丈夫なのだろうか。たった10円の損が、大損害のように感じるとき、確かに1万円という金額は大金なのだから。

7月6日『♪Lifetime Respect』のなれの果て
『ミュージックステーション』(テレ朝)を見る。三木道三さんが歌う『♪Lifetime Respect』という曲が売れている。私がこの曲を一番最初に聴いたのは、殆どの曲がそうであるようにラジオでだった。「うわ!嫌な曲!」歌詞が案外良く聞き取れたせいで、珍しく曲調より歌の内容に耳がいった第一印象はそういうものだった。この曲が売れていると知ったのは、それからしばらく後のことだった。オリコンでこういう妙なカーブを描いて上昇する曲というのは大概長くランクインし続けることが多い。ケミストリーしかり、19しかり・キロロしかり(「きろろ」と打って「`ろ」と変換されるこのパソコン。案外可愛いとこ、あるじゃん!)…一番最初にブレイクした曲はみんなそうだった。で、今現在もなお三木道三さんの曲は売れ続けている。
三木道三さんについて、名前が力道山に似ているとか、でも本当は斉藤道三から取ったとかは、既に語り尽くされているような感じがするので、今更クイズの前振りにするのもはばかられるくらいだ。それより私は、三木道三さんの歌を聴いたとき、力道山なんかのことより、三代目魚武濱田成夫さんのことを思い出さずにはいられなかった。「俺のものになれ!」と言って女優の大塚寧々さんにプロポーズした、そんな濱田さんのことを真っ先に思い出した。

今日この番組に三木道三さんが初出演するというので、裏番組の合間をぬって見た。ビジュアルプラスで聴いた『♪Lifetime Respect』は、それまでにも増して強烈で「あ!やっぱ嫌だわ。私。」という思いを強くした。だけど三木道三さん本人は、一発屋の匂いがするなんて自ら言ってみせており、私の中での好感度は高かったのだけど、それと歌の善し悪しは全く関係ない訳だし。
そして私は、「この歌が嫌い!」というスタンスをこれからも特別なことがない限り崩さないでいたいと思っている。最初に聴いたときの「うわ!嫌な曲!」という印象は今でも変わっていない。だけどラジオに寄せられるメッセージは?と言えば、好意的なものが多く、「カレシに歌ってもらったら最高!」などというメッセージを聞くにつけ、世間と自分の思いのギャップを感じている。メッセージのなかには予想通り、カレシの話以外にも、結婚式云々絡みのものが多くあり、『♪Lifetime Respect』を聴いているとき以上に嫌な気分になる。まあ、紹介されるメッセージ全てが嫌という訳ではないけれど、「ご勝手に!」ってな気分になるようなメッセージがかなりの割合であることは確かだ。
特に近年の歌は、その移り変わりのスピードが物凄く早い。昔のように長いこと1位に君臨していられることはごく稀で、次から次へと新しい曲が出ては消え出ては消えていく。だから5年とか10年とかの単位で振り返ると、もう既にこれらのジャンルは芸能の域ではなく、日本史の域に入っているような気さえしている。過去の歴史というのは振り返って見ると「どうしてあの時あんなのを良かったなんて思ったりしたんだろう。」というような感情に誰しもついついなりがちだ。机の中を整理しているときに、子供のころ集めたしょーもないものが大量に発見されて「どうしてこんなものを集めていたんだろう。」と自身を軽く振り返ってみたり、聖子ちゃんやチェッカーズのフミヤのカットをして写真に写っている自分を失笑してみたり、光GENJIの如くローラースケートを履いてみたり、昔撮った写真のなかでピースをしていることにさえ恥ずかしさを感じたりと、レベルの違いはあるにせよ、思い当たる節がある人も多いのではなかろうか。
思い出して欲しい。大事マンブラザースバンド『♪それが大事』・KAN『♪愛は勝つ』・虎舞竜『♪ロード』。これらはちょっと昔に流行って大ヒットし、懐かしいけど懐かしくない、そんな微妙な感じがする曲たちだ。「懐かしいけど懐かしくない、微妙」というのはつまり、過去の曲なのに今でも時々話題に上ることがあるということだ。但し、これらの曲たちが語られる時は決まって「笑い」を含んでいるような気がしてならない。お笑いタレントのネタに使われやすい、この3曲は、流行って大ヒットしていた当時は誰しも「いい曲だ!感動!」と思っていたはずなのだ。それなのに…それなのに、ひどいじゃないか!今と来たら、特に大事マンブラザースバンドなんて、笑いなくしては語られなくなってしまったのだから。
断言したい。『♪Lifetime Respect』は、後何年か経ったら確実に、これら3曲と同じになる。一番最初に聴いたとき「うわ!嫌な曲!」と思ったのは、かすかに、でも確実に大事マンブラザース臭がしたからだ。後何年かしたら、きっと「笑い」なくしては語られなくなる。だから私は今からこの歌詞を笑っていたいと、そう思っている。感動なんかはしないのだ。勿論カレシにも絶対に歌っては欲しくない。
この曲が好きで、「カレシに歌ってもらったら最高!」とメッセージを送り、CDを買い、レンタルをし、ヒットに貢献している方々。ぜひとも今の気持ちを忘れずに、絶対に忘れずに「いい曲だ!感動!」という気持ちを、何年経っても持ち続けていて欲しいと思っている。笑いの域には入れない努力をして欲しいとも思っている。そして結婚式ではどうぞ!歌ってどうぞ!感動の歌はビデオ録画して永久保存にするのも良いだろう。だけど何年か経って、この曲が晴れて先の3曲の仲間入りを果たすような位置付けになって、感動のビデオが笑いのビデオに変貌していようとも決して……ビデオを見て「どうしてあの時あんなのを良かったなんて思ったりしたんだろう。」と『♪Lifetime Respect』に対する思いがカレシ自身に対する思いのようになり、まるで倦怠期の夫婦のような心情になっても決して……決して嫌にならずに、今いいと思っている気持ちを忘れずにいて欲しいと思う。もしも未来にそう思える自信がないのなら、失礼だよ!一度は「いい曲だ!感動!」と思った今の自分にも。『♪Lifetime Respect』にも。
ただ私は、きっと何年か後には、笑いになってしまう曲を結婚式のアイテムとして使用するのはどうか?と思うだけだから。それが物凄くいやだと思うだけだから。
そういや「俺のものになれ」と三木道三ばりに大塚寧々さんにプロポーズした濱田さんは、結局別れちゃったんだよね。いや。別に深い意味はないけれど。

7月7日結婚式の引き出物
ワイドショーを見る。7月1日の日記の続きである。下田の白浜神社で総額7万円の、所謂ジミ婚をした西城秀樹さんが本日、東京・新高輪プリンスホテルで総費用1億円の披露宴を行ったそうだ。こんな報道を見てしまうと、挙式時に「ジミ婚だ!」とたいそう誉め称えていた人の立場は?と心配になってしまうけど、私的には中途半端な芸能人がいかにも庶民的にジミ婚を気取って見せるよりも、1億でも2億でも費やす、庶民離れした豪華な披露宴をやる芸能人の方が好感が持てる。
7月になって鑑賞日記で扱うネタが、何故か「結婚式」と「お金」に偏っているのは、ただの偶然なので特に深い意味はない。まあジューンブライドの結婚式に招待されて雨に降られるよりはいいだろう。報道されていた披露宴の様子を伝える情報の中で、私が一番ツボに嵌まったのは引き出物に2人の写真がパッケージにプリントされた「バーモンドカレー超甘口」があったということだ。私も今まで結構な数の結婚式に出席していることは7月1日の日記でも触れたけど、そうなると必然的に様々な引き出物にも遭遇している訳である。2人の写真がパッケージにプリントされた「バーモンドカレー」には敵わないけれど、私もかつてふたりの似顔絵(全然似てなかったけどね)が描かれた金太郎飴を引き出物として貰ったことがある。確かに飴は美味しかった。でも舐めるたびにふたりのことを思い出す羽目になり、最後の一粒を舐め終わったときは、何だか一仕事終えたような、ノルマを達成したような妙な気分になってしまった。
で、「バーモンドカレー超甘口」である。引き出物としては面白いとは思う。私も欲しいくらいだ。案外一部地域で限定発売したら売れるんじゃないかとも思う。いっそのこと挙式をした場所と値段に因んで伊豆の下田で7万個限定発売するっていうのはどう?だけど食べるときはきっとまた2人のことを思い出す羽目になるんだろうな。この披露宴に出席した方々は。おまけにこのカレー。秀樹さんのキャラクターに似合わず、超甘口だし。辛くないから水もいらんか。これぞ夫婦水入らずってか?他の人は入り込めないってか?あつあつだねえ。(…ああ、書いててなんか恥ずかしくなってきた。特に最後の方の文は恥ずかしいから忘れて!)
翌日のスポーツ新聞にも、披露宴の様子が写真とともに掲載されていた。だけど、だけどね。2人仲良く指輪を見せ合い微笑む写真の隣の記事が、まるで比較対照するように堺正章さんと岡田美里さんの離婚の記事っていうのはないんじゃない?しかも「秀樹1億婚」の見出しより、「バッシング報道に美里釈明」の見出しの方が大きいし。あれあれ。

7月8日日曜日の夕暮れに
『笑点』(NTV)を見る。大喜利。毎回最後には、メンバーのネタ落ちになって終わるのは、もはや芸術の域に達しており、重要文化財、はたまた人間国宝にしても違和感がないような気さえする。そして今日もまた、木久蔵ラーメンオチ。桂歌丸さんの髪の毛オチ。山田くんオチ。円楽さんの馬面オチ…で日曜日は暮れていく。取り敢えず日本は平和のようだ。

7がつ9にちドナのかんしょうにっき
『わらっていいとも!』(フジ)をみる。ドナミキピカのドナです。きょうは、かこさんにおねがいしてボクがにっきをかかせてもらいます。フロリダうまれのボクは、かんじがわからないので、ぜんぶひらがな(カタカナ)でかくけど、ちゃんとよんでね。おねがいします。
ところでボクをしってるよね。ボクのなまえはドナ。まいかい、ミキくんやピカくんたちといっしょに、しずおかクイズあいこうかいのれいかいにもいっているんだよ。ときどきはオープンたいかいにもいるからあったひともいるよね。ボクがすきなたべものは、ニクとあまいもの。チャームポイントは、ふさふさの「おみげ」だよ。
きょうボクがにっきをかきたかったのは、とってもうれしいことがあったからです。いいとものテレフォンショッキングにでた、たかしまれいこさんがボクのことをだいすきなんだって!ドナルドがだいすきで、たくさんあつめているんだって。うれしいね。いままでボクもいろんなテレビばんぐみをみてきたけど、こんなにもボクのおはなしでもりあがったのは、はじめてだよ。だからうれしくてボクがにっきをかかせてもらったんだ。ほんとうにうれしいよ。たかしまれいこさん、ありがとう。またね。

ピー・エス。こんど、くやこうはい2001にもいくから、みんなボクをみたらはなしかけてね。

7月10日夏といえば?
『笑っていいとも!』(フジ)を見る。新聞のラテ欄に

▽夏といえば!?犯人

と書いてあるのを見て、ちょっと嫌な予感がした。そして見たらやっぱり案の定な犯人だった。(関係者事情聴取のコーナーのことで、クイズ形式でゲストを当てるというもの)。だけどこれって本当は、というか本来最初は

▽冬なのに!?犯人

ではなかったか?冬なのに敢えて…というのが、彼らの売りではなかったのか?夏といえば…じゃそのまんまじゃないかよ!そのまんまかよ!(@三村)

*参考*

ちなみに

▽春なのに!?犯人

だったら、99%の確率で、柏原芳恵。

…って、歌のタイトルかよ!(@三村)

7月11日100→98→88→68…?
『ワイドスクランブル』(テレ朝)を見る。100円ショップ。今や街のいたるところで目にして、100円では飽き足らず98円ショップや88円ショップ、そして今や68円ショップまで出現しているのだという。68円ショップはどこにあるのだ?
100円ショップにはお買い得のものとそうでないものがあるのはもはや常識で、その判断を上手く下せるかが100円ショップの達人の見せ所だ。となると、68円ショップにもお買い得のものとそうでないものがあるってことか。自称100円ショップの達人は数あれど、まだ68円ショップの達人は見たことがない。来れ!68円ショップの達人!

…って、いるのかよ!(@三村)

7月12日幾年月まで残る曲〜祭りの行方〜
『うたばん』(TBS)を見る。三人祭・7人祭・10人祭が今日のゲスト。この日記をアップする頃には、すっかりこのシャッフルユニットも祭の後の虚しさの如く、すっかり過去の遺物になっているような気がするのだが果たしてどうだろうか。
ところで…人数が多いユニット(祭)に配属された人は、言わば負け組なのだろうか。前回のシャッフルユニットも今回のユニットも、何故か人数の少ない順に曲が売れている。人数が多いとそれだけで輪郭がぼやけるから、結局人数の少ないユニットに配属された方が目立てるからいいということなのだろうか。でもそれと売れるのとはどういう関係があるのだ?人数が少ない方が売れるという鉄則などないことは、J事務所や、「モーニング娘。」>>>∞>>>「平家みちよ」が身を持って教えてくれているじゃないか!
今回の3曲は今のところ売り上げ的には『♪ チュッ!夏パ〜ティ 』(三人祭)>『♪サマーれげぇ!レインボー』(7人祭)>『♪ ダンシング!夏祭り 』(10人祭)になっている。歌に勝ち負けを付けるのもどうかと思うが、売り上げで判断して敢えて付けるとするならば、今のところ勝ち組は三人祭と言うことになる。だけど、将来的には数万枚の売り上げの差なんかよりも、残った方が勝ちだと思うのだ。つまりどういうことかといえば、J事務所のかつてのグループで例えるなら、「シブがき隊」VS「男闘呼組」では、明らかに「シブがき隊」の勝ち。多分VS「光GENJI」とでも「シブがき隊」の勝ちだと思う。シブがき隊の勝因は、たったひとつ『♪スシ食いねえ』があったからこそだ。『♪スシ食いねえ』――――。リリースされた当時は誰しも「どうよ?」と思い笑いながら聴いていたはずだ。それなのに今と来たら、TV番組でお寿司の特集が組まれる時には必ずと言っていいほどBGMに使われるくらい定番として残る名曲になっている。1980年代のあの頃、笑って聴いていたのがまるで嘘みたいに、今は何の抵抗もなく入ってくる。(『♪Lifetime Respect』とは逆のパターンかも!)だからシブがき隊の勝ちなのだ。男闘呼組や光GENJIには、馴染みの曲はあったとしても『♪スシ食いねえ』以上に浸透している曲はない。売り上げ的には、特に光GENJIなど相当のものだったはずなのに…ね。
だから数万の売り上げの差なんて、全然関係ないのだ。将来的に『♪ダンシング!夏祭り』が、毎年夏の盆踊り大会で流れて、多くの人々に踊られて、それがこの先何年も続いたら、その時10人祭が勝ちになる。だから決して負け組なんかじゃないのだ。気を落とすんじゃないよ!たかが今売り上げが数万枚少ないくらいで、悲しむんじゃないよ!将来的にはどうなるかなんて、全く分からないんだから。
学生時代、テストが返され答え合わせをしたら、先生の採点ミスで点数が少しだけ増えた時、それがたった1点の上乗せでも、随分と嬉しかったんだよなあ。でも今考えれば、別にどうということもないんだよね。確かにたかが1点されど1点ではあるのだけども、入試ならともかく別にそうではないんだし。今、数万枚の売り上げの差で一喜一憂している三人祭・7人祭・10人祭で唄う彼女たちと、長いスパンで考えると大したことない1点なのに一喜一憂していたあの頃の私が思わぬところで虚しくかぶった。

7月13日「1万円ぽっきり!」のような誘惑
『スーパーフライデー・ネプチューンのテレビの秘密全部見せます!』(TBS)を見る。「テレビの裏側全部見せます」的な番組で全部見せてくれたためしなど一度もない。それは「1万円ぽっきり!」が決して1万円だけでは済まされないのと、「オールスター」が決してオールスターではないのと同じようなものだ。だから今回も、TVの秘密が全部見られるとは全然思わずに見た。それにしてもこういう表現は「誇大表現」にはならないのだろうか。JAROに訴えてやるか。せめて気分だけでも。
で、『テレビの秘密全部見せます!』である。やっぱりTVの秘密は全部見せてはくれなかった。秘密と称して見せられたのは、視聴率の機械のことやら、新聞に掲載されるラテ欄のことやらと、既に語り尽くされた感があるようなことばかりだった。本当に知りたいことなど何一つ解明されてやしないでやんの。もう笑うしかないか。
と、そんなやっぱり感が漂う番組だったけど、今までの番組とは違って面白い部分もあったのは事実だ。ラテ欄の秘密と称してネプチューンの3人が『はなまるマーケット』(TBS)のラテ欄書きの現場に行き、実際にラテ欄作りを試みる企画があった。その中でネプチューンの3人がいくつか考えたものは、実際には使えないものの(ヤバイから)流石お笑いと思うくらい秀逸なものがあり、私はTVを見ながら笑ってしまった。だって、もしも『はなまるマーケット』のラテ欄が

▽薬丸VS岡江衝撃バトル
(最大延長9時58分まで)

とか書いてあったら、見ちゃうでしょ。流石の私も見るよ。朝からバトル。朝の番組から延長なんて、見たいなあ〜。もうTVの前に釘付けよ!
その後ネプチューンの3人が昔話「桃太郎」を題材に民放各局の番組になぞらえコントをやるコーナーがあった。今回の番組の中では、このコーナーが一番面白かったし一番の見所でもあったと思う。NTV風には『伊東家の食卓』のパロディーを、フジテレビ風には『クイズミリオネア』のパロディーを、そしてテレ朝風には『トゥナイト2』のパロディーを、とあった中でも、個人的に一番のツボだったのはTBS風の『ガチンコ』のパロディーだった。どんな風に面白く良かったかは、見た人でないとなかなか微妙なニュアンスが伝わりにくいのが残念なのだけれど、あんなのを見せられてしまうと、これから『ガチンコ』を見る時は必ず思い出しちゃうじゃないか!!それに、こんなのを見てしまうと、結局『ガチンコ』はネプチューンのパロディーと大差ないような気がしてくるから、嫌になってしまうよね。全く。

7月14日今日の教えてくん!
『ポップジャム』(NHK)を見る。矢井田瞳さんのことをヤイコというのは何故?誰か知ってる人教えて下さい。

7月15日「ガンバレ」で知る思いやり
ワイドショーを見る。と、書いては見たものの、別にワイドショーに限った話でもないので悪しからず。
人を励ます時、よく「私にも出来たんだから大丈夫だよ。出来るって!」という類のことを言う人がいる。言っている本人は、きっと「こんな私だって出来たんだから、あなたならきっと大丈夫だよ!」とかなり謙(へりくだ)った意味で言っているのだろうけど、私はこの励まし方があまり好きではない。人にはそれぞれ事情というものがある。勿論、自分の事情のことは良く分かる。でも相手の細かい事情のことなど分かりはしないのだから、自分に出来ても相手に出来ない、どう頑張っても出来ないこともあるかもしれないのだ。そのことをきちんと踏まえていれば、「私にも出来たんだから大丈夫だよ。出来るって!」などというような迂闊なこと、私は絶対に言えない。
「あの人にだって出来たんだから、私だって出来るさ。」と自分を励ますのも同様だ。こんな言葉で自分を励ましている人を見ると、ちょいと相手のことを見下しすぎなんじゃないの?と嫌な気分になる。

人を励ます時の言葉というのは本当に難しいと思う。有りがちな「ガンバレ!」という言葉でさえ、現実問題嫌だとい う人はいる。だけど私としては、一見謙っているように見えて実は高いところからの物言いである「私にも出来たんだから大丈夫だよ。出来るって!」という言葉より、「ガンバレ」の方が励ます言葉としては数段良く出来ていると思っている。要するに言葉は使い方と状況と、個々の事情によるところが大きいものなのだ。だから励ます時に使う言葉は本当に難しい。黙って側にいればそれでいいのかという問題でもないだろうし、一言も喋らないでいてそれで心と心が通じ合って励ましているなんて考えるのは大間違いだと思うし、何か一言でも言うからこそ救われることだってあるのだから。
なんだか難しい話になってしまったけど、行き着くところはやはり、「ガンバレ」は思いのほか良く出来た言葉なのではないかということだ。「ガンバレ」―――。端的で、かつ程良い重みがあり、嫌いな人もいる言葉であるが故に、いい加減な心持ちで言おうものなら気持ちが入っていないのがすぐに相手に伝わってしまう。「ガンバレ」という言葉を使い励ます時、同時に自分の心の中に相手を思いやる気持ちがなければ、「ガンバレ」の言葉は絶対に上手く相手には伝わらないと思う。こうやって考えてみると、つくづく「カンバレ」って奥が深い言葉だと思う。単純に嫌いだと片付けてしまうには勿体無いくらいに。
「私にも出来たんだから大丈夫だよ。出来るって!」は、一体どれくらい相手のことを思いやっての言葉なのだろうか。私が今までこの言葉を聞くたびに、元気付けられるところか情けない気持ちになったのは、この言葉には思いやりのカケラが欠如しているからだと思う。
「ガンバレ」が嫌いだと逃げ出すのは簡単だけど、私は決して逃げ出さずに常に「ガンバレ」と対等に向き合っていたいと思う。極論を言えば、「ガンバレ」が嫌いだと簡単に逃げ出してしまうような人は、都合が悪くなるときっと逃げ出すよ。注意しな。お互いが「ガンバレ」の言葉を嫌味もなく上手に交わし合える関係にまで高められたら、それはそれは理想郷だ。「ガンバレ」という言葉の一見ゴッツイ外見の裏にある意外な一面―――実は凄く繊細な部分を見つけたら、「ガンバレ」のことが今までよりも好きな言葉になった。それに「ガンバレ!」は決してごまかしのきかない潔さも兼ね備えた言葉でもあるしね。
だけど、だけどね。先日TVで水泳選手の田島寧子さんが女優になる、しかも子供の頃からの夢だって堂々と宣言しているのを聞いたら、私は何故か「田島さんだって女優宣言できるんだから、あなただって大丈夫だよ。」って、私の一番嫌いな励まし方で未来の女優を夢見る子供たちを励ましてやりたい気分になってしまった。これは一体どういうことかね。ん?だけど最後には子供たちにこう言うんだ。「夢に向かってガンバレ!」ってね。

7月16日拝啓 磯野貴理子様
『ごきげんよう』(フジ)を見る。1年のうち1度か2度しか行かないけど、でも必ず行く場所があなたにはあるだろうか。私はある。毎年そこに行くと必ず「あーもう1年経ったんだなあ。前に来たのがつい昨日のようなのに…」と月日の流れの早さを憂うような場所が。
TVでも同じようなことが言える。1年に1度、或いは半年に1度くらいしか放送されない番組を見ると、「あーもうこんな季節になったんだなあ。」と感慨深くなってしまう。『オールスター感謝祭』(TBS)とか『欽ちゃんの仮装大賞』(NTV)とかは、特にその感じが強い番組だ。例えば年末に必ず放送される番組の類は、自分自身も年末感がおもいきり強くなっているから、感慨深くなることもないのだが。
さて、『ごきげんよう』である。今朝新聞のラテ欄を見ていたら、「上半期ゲスト15人部門賞発表」の文字を見つけた。これは半年に1度、楽しかったゲストのリクエストを視聴者から募り、上位15人が一同に会する企画のことで、つまり今週1週間は「ごきげんよう大賞ウイーク」なのである。ノミネートされた15人それぞれに部門賞が与えられ、最終日に最優秀賞、即ち「ごきげんよう大賞」の受賞者が決定する。この企画はもう何年も続いていて、歴代の受賞者にSMAPの中居くんがいることを知っている人はどれくらいいるのだろうか。
日頃は然程見ることはないのだけど、このウイークになると、何となく見てしまうのが毎回の通例だ。だから今日も「どんな人がノミネートされているのかな?」と見ていたら、何となくしっくりこない面々が多く、それより何より「ごきげんよう大賞」には欠かせない磯野貴理子さんがいなかったので、なんだかガッカリしてしまった。私が「しっくりこない」と感じたのもそのはずで、小堺さん曰く、今までとはメンバーがガラッと変わったとのこと。私が気が付かなかっただけで、いなくなっていた常連は磯野さんだけではなかったようだ。
いつの頃からか、『ごきげんよう』は磯野貴理子さんあっての番組だと、私は勝手に決めていた。いやもっと言えば磯野さんがいたからこそ『ごきげんよう』はここまで続いてきたと言っても良いとさえ思っている。磯野さんの『ごきげんよう』に対する意気込みは物凄く、こと「ごきげんよう大賞」に対する意気込みは、他の出演者とは比べ物にならないくらい大きいものだ。
『ごきげんよう』で磯野さんが話すことは面白く、それが本当の話なのかそうでないのか、でももし仮に作り話だとしても「楽しけりゃどうだっていいや!」と思わせてしまうくらい巧みなトークで毎回見ている人を楽しませているのは、既にひとつの「芸」を越え「芸術」の域に達していると言っても過言ではない。
例によって話は逸れるが、かつて『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに、みうらじゅん氏が出演した時、日頃はタモさんとの他愛のない話の場と化しているテレフォンショッキングのコーナーを、みうら氏独特の感性で、最初から最後まで一貫してみうら氏の講演会の場と化させた功績は印象深いことのひとつである。他愛のない無駄話を殆どせず、テレフォンショッキングを自分の作品の発表の場にしてしまうとは、流石である。『ごきげんよう』における磯野貴理子さんも、この時のみうら氏と似たようなものを感じる。他愛のない無駄話のように見せかけて、実は磯野貴理子の講演会の場と化しているこの現象は流石である。こんな技を持った人は、そういない。だから今回磯野さんがいなかったのが私は残念で仕方がなかった。この半年間に一度も出演がなかったのかもしれないし、ただ単にノミネートされなかったのかもしれないが、詳しいことは良く分からない。

磯野さんがいない、「ごきげんよう大賞」は結局月曜日だけ見たきりだった。風の噂で、真矢みきさんが「ごきげんよう大賞」に決まったと耳にした。次回の放送は半年後だ。半年後「あーもうこんな季節になったんだなあ。」と思いつつ見る「ごきげんよう大賞」に、磯野さんはいるのだろうか。いるときは「真ん中で騒いでうるさい奴だ。」と思うのに、いないとこんなにも淋しかったんだね。いやー磯野さんって、日曜の夜のサザエさんみたいだわ。いやサザエさんよりカッコイイ女性だと私は思うよ。

7月17日マッキー テディ チェリー 美和ちゃん スーさん …が集う場所
『学校へ行こう!』(TBS)を見る。みのりかわ乙女団は楽しいぞ。今一押しのコーナーだ。佐藤部長。最高!

7月18日二千円札の行方
新聞のラテ欄を見る。例によって新聞のラテ欄を吟味していたら、ニュース番組の欄に

▽二千円札持ってますか?

の文字を見つけた。二千円札かあ…。ところであなたは持ってる?お釣として貰ったことは?実際に使ったことは?あるだろうか。
私の解答は、順に「持ってる」「貰ったことがある」「使ったことはない」になる。ということは、つまり「かつてお釣として貰った二千円札がまだ財布に入っている」が正解だ。…って別にクイズじゃないんだけどね。
基本的に二千円札は他のお札と同様に流通しているお金であるにも関わらず、何故だか未だに記念紙幣的な感覚がある。二千円札をお釣として某スーパーで貰った時はギザ10(ギザギザがついた10円玉のこと)を発見した時以上に嬉しかった。でもよくよく考えると、もう「嬉しい」と感じる時点で駄目なのだ。何故ならば、お釣を貰って嬉しいと感じる感情が既に変だとは思わないだろうか。お釣で千円札を貰って嬉しいと感じることなどないのに、嬉しいと感じる時点で、既に特別視している証拠なのだ。みんなが二千円札を「嬉しい」とか「迷惑」とかの感情なくして扱えるような境地にまで至らないと、多分二千円札はこれからも流通はしないと思う。

二千円札といって思い出すのは、大相撲の春場所で400日間満員御礼を記念して来場者全員に大入袋がばら撒かれたというエピソードだ。大入袋の中身は二千円札一枚。何でも普段は10円なのだが、未だ行き渡っていない新二千円札に景気回復と流通ヘの願いを込めた粋な計らいとのことなのだが、私はここで断言したい。あの日大入り袋に入れてばら撒かれた二千円札の殆どは今も貰った人の手元に、しかも袋に入ったまま大切に保管されていると。主催者の「景気回復と二千円札流通の願い」虚しく眠っているだろう二千円札を思うと、二千円札に幸あれ!と祈りたくもなってしまう。発案した小渕元総理のご冥福と一緒に。
某スーパーで初めてお釣として二千円札を貰ってからしばらくの後、また別の店で二千円札をお釣に貰った。今私の財布の中には、まるでコレクションが如く2枚がそのまま並んでいる。2枚の二千円札が晴れて私の財布から脱出するのは、一体いつになるのだろうか。あ!今気が付いた。そもそも二千円札でこんな日記が書けてしまうこと自体が既に駄目なのだ。これこそ特別視している証拠じゃないか!いやいや元を正せば、そもそも今回の日記の元ネタになったラテ欄

▽二千円札持ってますか?

自体がもう駄目なのだ。本当はこのラテ欄に違和感を感じるくらいでないと、ホントの意味で二千円札が流通しているとは言えないんだよね。だって

▽一万円札持ってますか?

ってラテ欄に書いてあったら変でしょ?マジシャンが客席にいる人に、投げかけている言葉でもあるまいし。

7月19日東京ドーム2杯分の涙
新聞記事を見る。さしたる番組がない日というのは続くものだ。そんな日は新聞記事からネタを探すのが常。
よく何かの大きさや規模を表す時に、「東京ドーム○個分」とか「地球を○周するだけ」とか「富士山を○個重ねた」とかいう表現で喩えられることがある。そういうたとえを聞くにつけ、とにかく凄い規模なんだとは思うものの、実感としてはどれくらいなのかは良く分からない。東京ドームが広いことは良く分かるのに、実感として涌かないのはどうしてなのだろうか。
それと似たようなものに、大金を表現する時に、「それだけのお金があったら50円の棒アイスがいくつ買えるんだ?」みたいな言い方で笑いを誘う人がいる。大金なのにチープなもので喩えることにより、そのギャップを上手に表現しているという意味では、こちらの方が良く出来ている。で、結局何個買えるんだろうとは思うものの、計算をするのも面倒臭くなり、それが故に大金であることが認識出来るという点でも、良く出来ていると思う。
それにしても「東京ドーム○個分」と表現することにどんな意味があるというのだろうか。今年の夏、日本国民が飲んだビールを東京ドームに喩えられたって、東京ドームに行ったこともなければ、見たこともない人には実感として伝わるはずもないのだ。東京ドームがビール浸しになっている状況を想像しろっていうなら話は別だが、想像したらなんか水害に遭遇した時のような気分になって怖くなったので撤回。

今日新聞を読んでいたら、とある政治家のインタビュー記事の中で「初当選した時に誰もいない甲子園球場のマウンドに立って、このスタンドが2回満員になるだけの人が投票用紙に自分の名前を書いてくれたんだと思ったら泣けてきた」というエピソードに出くわした。読んだらなんか、凄く伝わるものがあって、私まで泣きたいような気分になってしまった。甲子園球場のマウンドに私は立ったことなどないけれど、実際に立って客席を見回した時のことを想像したら、数字で何万票と聞いた時とはまた違った、ぐっと迫り来るものがあったのではないだろうかと思ったからだ。それは別に甲子園でなくとも、東京ドームでも同じことだ。
東京ドームも使い方、つまり喩えようによっては上手に生きてくるという見本のような話だ。だから意味のないものを東京ドームに喩えたりするのはもう止めにしないか?どんなにか大きい規模を東京ドームや富士山に喩えられたとしても、あの政治家に投じられた票を球場の人数に見立てた喩えを読んでぐっと感じた気持ちには、決して敵わないんだから!感動して、東京ドーム2杯分の涙が出そうだよ。

7月20日露天風呂で見えるもの
『ごきげんよう』(フジ)。

▽ついに決定上半期大賞感動の受賞

を見逃してもさしたることもなく過ぎ行く猛暑の夏。今日は海の日。私はこの番組が放送されている最中、某所で海、ならぬ温泉(露天風呂)に入っておりましたの。いやーそれはそれはもう、感動の眺めでしたよ。上に下に。

7月21日小学生だった頃のワタシに、今の私が出来ること
『電波雷波スペシャル』(NTV)を見る。フジテレビで『27時間テレビ』をやる日に、このスペシャルをぶつけられても『土曜特集「鶴瓶の家族に乾杯」』(NHK)を何食わぬ顔で見ている人たちには、全然関係ない話だ。で、私といえば、今日は7時から『これマジ!』(テレ朝)の「芸能人心霊体験スペシャル」を見て、8時から『USO!?ジャパン』(TBS)の「恐怖伝説」を見て、9時から『金田一少年の事件簿』(NTV)の「幽霊客船殺人事件」を見て、思いっきり涼しくなったから関係ない話だ。あ、ごめんなさい。少し嘘を付きました。私が見たのは、金田一くんだけでした。他は…それにしても夏の夜だね。きちんと見れば怖い番組だけ、こんなふうにちゃんと見られることが出来るようになっているんだから。そういや、今年の夏はまだ稲川淳二さんに会ってないぞ!

さて、『電波雷波スペシャル』を見た。各コーナー毎にそれぞれ思ったことはあるのだけど、今回はそのうちのひとつ「鉄棒少女」を取り上げようと思う。この企画は運動神経の鈍い女の子が、鉄棒の大車輪を出来ることを目指すものだ。最初は逆上がりさえ満足に出来なかった子が徐々に成長していく様子は、彼女と同じく運動神経の鈍い私としては全く他人事とは思えなかった。数々の苦難を乗り越え、発表の日を迎えることとなった。その発表の舞台が、彼女が通っていた小学校だと分かった時は、だろうなとは思ったものの、これ以上発表に相応しい場所はないのかもしれないなと思った。例によってつけられていたアイマスクが外され、そこが自分自身通っていた小学校だと分かった時の彼女の心情はどんなだったのだろう。小学校の校庭に降り立った彼女の姿を見て、きっと多くの視聴者も自身が通っていた小学校のことを少なからず思い出したのではなかろうか。それだけでも、もしかするとこの企画は意味があったのかもしれない。
発表会は最初はなかなか上手く行かなかったものの、最終的に家族や友人が見守る中、成功を果たした。少々ひねた見方をすれば、最後の出来があまりにも良すぎて、本当は最初から出来たのでは?などと要らん憶測をしてしまったことは否めないが、それでも出来た、成功したという事実に変わりはないのだから、素直におめでとうの言葉を贈りたい。おめでとう!
成績優秀・スポーツ万能・異性からモテモテだったと言う人ならばともかく、大抵の人は何かしら小中学校の頃、コンプレックスがあったのではないだろうか。学校というところは、他人と比較されてナンボの場所だから、否が応でも、クラスメイトと比べて劣っている部分を見せ付けられる羽目になる。仮に劣っている部分がたくさんあったとしても、何かひとつでもこれだけは負けないというものがあるならまだいい。でも何をやっても秀でたところがない人は、学校が一気に辛い場所になる。
優劣で言えば、とにかく私は多分「鉄棒少女」以上に運動神経は劣っていたと思う。トラック競争をやれば、大抵先頭を運動神経抜群の子が走り、その後ろを数人が追いかけ、またその後ろを平均的運動神経の子たちが集団で走り、少し離れたところを、体格のいい子がマイペースで走ることになる。で、私は?といえば、またその後ろ、つまり最後尾をかなり離れて走っているのである。いやーこれは辛いよ。今だからこんな風にネタの一つとして書けるけど、当時はホント死活問題だったんだから。もう生きるか死ぬかの『BR』の世界と同じ。
なんか話が逸れ始めてきているけど、どうしても書いておきたいことなので、続けて読んでね。お願い。最後尾を走っている思い出は、本当に辛い思い出だけど、今にして思えば凄くいい経験になったと思っている。なぜならば、トラック競争は、そのまま人生の縮図なのだから。手の届かないくらい先頭を走っている人がいて、その後ボチボチ続いて、中ほどで集団になって、で最後にまたビックリするくらい後ろを走っている人がいるという…だいたいのニュアンス分かってもらえるだろうか。面白いのは(面白がる話でもないが)一番後ろを走っている私に、嫌味を言う人が決まっていたことだ。先頭・その後・集団・マイペース・私。トラック競争の走者たちを5つのブロックに分けると、私に嫌みを言うのは、必ずあのボジションを走っている人たちだった。どうも一様にあそこを走っている人は質が悪い。その原理がトラック競争を離れた実社会でも同じように働いていることにある時気が付いたら、あの頃一番後ろを走っていていつも嫌みを言われた苦い経験も無駄ではなかったんだなと少しだけ癒されたような気分になった。
小学校の頃の鉄棒のコンプレックスを、こういう形でリベンジ出来た彼女はやっぱり凄いと思う。私なんか、嫌味を言ってきたあの人にさえ、未だに何のリベンジも果たせていないもの。本当はあの頃のワタシのために、今の私は何かしてあげなくちゃいけないんだけどね。ただその代わりに、人間社会の微妙な原理が分かったから、それだけでもいいとするしかないのかなあ。う゛辛!

7月22日十両優勝決定戦とほぼ同時刻に
『大相撲名古屋場所「千秋楽」』(NHK)・『27時間テレビ』(フジ)を見る。

今日は大相撲名古屋場所の千秋楽。幕内の優勝は既に魁皇関に決まっているけれど、十両の優勝争いの方は混沌としていてまだ誰が優勝するか分からない状態になっている。今日もし5敗の力士が全員負けたら、9勝6敗で多くの力士が並ぶことになり興味深い展開になるのだが、果たして?と思っていたら、ナント!その通りになった。8人で優勝決定戦というのは、十両では史上初のことだそうだ。9勝6敗で優勝争いをするというのも、なんとも低レベルという話が聞こえてきそうだが、それだけ十両は実力伯仲しているのである。まあ十両という地位は、幕内から落ちてきた力士と、幕下から上がってくる力士とが入り乱れている場所なので、勢いがある若手力士が登場したら、案外簡単に優勝を掻っ攫っていきそうなオイシイ地位でもあるような気もするのだが…
トーナメント方式での優勝決定戦というものを私は初めて見た。くじ引きで取り組み相手を決めることからの一部始終は、あまりやり慣れないせいなのか、何とはなしに戸惑っているようにも見えた。で、取り組みの結果といえば、はたき込みや引き落としなどの引き技が多く、見ている人もさぞかし引いたのではという結末になり、結果は武蔵川部屋の武雄山が優勝となった。
さて、それとほぼ同時刻、フジテレビの『27時間テレビ』では、フジテレビ系列各局のキャラクター(マスコット。ちなみにテレビ静岡は、おはなし坊や。)対抗大相撲大会をやっていた。キャラクターのぬいぐるみ同士が相撲を取り勝ち抜き戦をやるという、字面にすると大したことはないように思ったのだけど、実際に見たらなかなか面白い企画だったと思う。キャラクターが限りなく人間に近い形をしているものは有利だけど、かけ離れているものは確実に不利になる。なかに「ポヨ」というキャラクターがいて、凄い小さいから、なかにどんな人が入っているのか気になるようなものもあった。その他、福井テレビの「イヤイヤちゃん」があまりにも可愛らしいものだから、関西テレビの「ハチエモン」が好きになってしまうという一幕まであり、まったく大相撲なのになんてこったい!!
十両優勝も気になりつつ、キャラクター大相撲も気になりつつ…とTVをザッピングしながら見ていたら、闘志が感じられたのは、意外にも引き技が一切ないキャラクター大相撲の方だったりしたから、見終わったら私の中では東海テレビのヤッパくんが十両優勝したような気分になってしまった。それはそれはとてもいい千秋楽だったと思う。ん?

7月23日メッチャ面白いもの
『参院選政見放送』(NHK)を見る。いろいろ書いてもネタ的に古くなってしまうので割愛するけど、政見放送ってメチャメチャ面白いね。いろんな意味で。みんなちゃんと見た?

7月24日○○の中に入る言葉はなーんだ?
新聞のラテ欄を見る。

笑いをとるかとられる
のか吉本お笑い芸人が
ユーモラスなアシカと
熱く共演

と書いてあったので誰かと思って見たら、全然知らない芸人さんでしたとさ。期待した私が○○でした。チャン!

7月25日酷暑がもたらすもの
天気予報を見る。天気予報をネタに書くのは久しぶりだ。お天気ネタは挨拶や前振りとしてはお馴染みのものだけど、主軸として書くとなると結構大変だったりする。だって「今日も暑いね」という話だけで1時間持たそうと思ったら大変なことなのだから。
さて最近は「暑いね」という会話をするのも嫌になるほど本当に暑い。とは言っても、長いこと日本でも有数な最高気温の名所に住んでいた私としては、今いるところの暑さなど序の口なのだが、それにしても暑いものは暑い。昨日とうとう、静岡の佐久間町では最高気温が40.2度まで達し、今日の新聞にもデカデカと載っていた。40.2度といえば、人間の体温だったらもう寝込んでまっせ!とにかくもう、訳が分からないくらい暑い。「バナナで釘が打てるくらい」で寒さを表現するならば、「車のボンネットで目玉焼きが焼けるくらい」で暑さを表現するっていうのは、もう古い?
この暑さで水不足が懸念され、取水制限の話がニュースでも伝えられているけれど、実はもうひとつ報道はされないものの心配事がある。それは来春。そう、来年の春になったら、物凄い量の花粉が飛ぶってことだ。花粉症の人にとっては、ある意味水不足よりも深刻な問題だ。
この暑さを利用して、確実に多くの杉くんたちは来春花粉をばら撒くための準備をしているのだ。「来春花粉が大量飛散するくらい」で暑さを表現する方が、焼きもしない目玉焼きなんかで表現するよりも、よっぽどリアルな表現方法なのかもしれないね。

7月26日みのさんのコメント〜被害と加害〜
『おもいッきりテレビ』(NTV)を見る。思ったのだけど、『おもいッきりテレビ』ってよくよく考えたら、妙なタイトルだよね。「おもいッきり」って、いったい何が「おもいッきり」なんだろう?

さて本題。1983年の今日、7月26日は『はだしのゲン』が公開された日なのだという。ところで『はだしのゲン』を知っているだろうか。これは数十万人の犠牲者を出した8月6日に広島に落とされた原爆の状況を描いた漫画で、後に映画化(実写・アニメ)もされている。作者は「はだしのゲン」こと中沢啓治さん。私は公開当時、この映画を見に映画館に足を運んでいる。何故だか良く分からないけれど、小中学校の頃、私は戦争絡みの映画を良く見に行っていた。正確に言えば見に行かされていたというべきなのだろうが、この映画の他にも『ガラスのうさぎ』『対馬丸』など太平洋戦争の悲劇を描いた映画を本当に良く見た。中学3年生の夏、広島に遊びに行った際も真っ先に原爆ドームや「広島平和資料館」に行かされている。あの頃それらを見に行ったりしたのは、自分の意志ではなく、学校の授業のいっかんとしてだったり、親の意向だったりといろいろだったけれど、今思えばそうしてきたからこそ幼心のなかに知らず知らずのうちに「戦争に対する悲劇」がインプットされていったのだと思う。だけど大人になってからは、なかなかそういう機会もなくなってしまった。なくなると自然と関心も薄れていってしまうものだ。だからこそ小中学校の頃、半強制的にでも戦争に対する知識をきちんと学ばせておくことは大切なことだと思うのだ。大きくなってからではなかなか機会もなくなってしまうのだから余計に、ね。それに小中学校の頃に感じた痛みや辛さは、なかなか忘れ難いものでもあるし。
「今日は何の日?」の中で、今日がそういう日なのだと伝えられ、中沢さんのインタビューの様子が放映された。中沢さん自身も被爆者で、父親と姉弟を目の前で亡くしている。唯一生き残った母親が亡くなる時、焼け残ってお墓に埋めるはずの骨までも消えて無くなっていた時、「原爆(放射能)は骨まで奪っていくのか!」ととてつもない怒りを覚え、それが『はだしのゲン』を書くきっかけになったそうだ。もうこんな悲劇を起こしてはいけない…、そしてこの悲劇を戦争を知らない多くの人々に知ってもらいたいという思いを込めて。
「今日は何の日?」のVTRが終わりスタジオに戻ると、司会のみのさんが今のVTRについてコメントをすることがある。今日はみのさん、どんなコメントをするのだろうかと興味深く見ていたら、「私たち日本人が受けた被害だけではなく、私たち日本人が過去に犯した過ちもきちんと知らなくてはいけません(大意)」というようなことを、たった一言言っただけだった。
正直ちょっと驚いた。原爆の悲劇を訴えるVTRを無視した訳ではないんだろうけど、大概、こういうVTRが流れた後のコメントというのは、ある種、四角四面になりがちだ。「もうこんな悲劇はいけません」とか「戦争のことをもっと知りましょう」とかそんな風に。私はみのさんではないので、真意のほどは良く分からないのだけど、思うにみのさんは多分、そんなこと百も承知の上で一歩踏み込んだ発言をしたのではないだろうか。
いじめられた思い出は決して忘れないけど、いじめた思い出は忘れがちで、自分をいじめた人のことは覚えているけど、自分がいじめた人のことは忘れてしまっているような、そんな都合のいいことでは駄目なんだと思う。つまり日本だってかつて原爆が落とされた被害国であると同時に、別な角度から見れば加害国でもあったという事実を同時に知ることの大切さを、多分みのさんは言いたかったのだと思う。勿論原爆がどのくらい悲惨だったかという話は百も承知の上でね。
アメリカ人の中には自分達の住む国がかつて日本に原爆を落としている事実さえ知らない人が多いというのは、良く言われていることだ。だけど、最近は日本人でさえ日本に生まれ住んでいるにもかかわらず、日本が原爆を受けたことがあるという事実さえ知らない人が増えているそうだ。それを知らせるのが社会の、歴史の勉強なのに、元となる教科書も最近はいろいろ問題があるからね。都合のいいように書き換えたりしては駄目なんだよ。絶対に。
戦争のことを知るのは、子供の頃が一番のタイミングなのだと私は思っている。大人になるとなかなかそういう機会もないし、私自身も今日この日記を書き綴りながら、こんなにも戦争について考えるのは一体どのくらいぶりなのかと思っているくらいなのだから。そういう意味では漫画(アニメーション)という手段で悲惨さを伝えた中沢さんは正解だったと思う。それに漫画は、実写では決して描けないリアルさが表現出来るしね。
今はまだ、戦争を実体験した人たちが生き証人となって、戦争の悲惨さを伝えてくれているけど、あと何十年かして誰もいなくなったら、その時が一番怖いのかもしれない。「三代目が会社をつぶす」という法則(初代が築いたものを)ではないけれど、災害は忘れた頃にやってくるではないけれど、戦争が忘れた頃にやってくるものであっては絶対にならないのだ。
被害と加害を同時に心の中に残すという行為は、簡単そうで実は一番難しいことだと思う。だけど被害と加害が誰のなかにでも同時に存在するという事実を知り、記憶に残す行為がきちんと出来るようになれば、いろんなことがもっともっと良くなるような気がしてならない。
過去にあいつに言われた暴言や、されたいくつもの辛いことを私はこれからも忘れることはないと思う。だけど、それとは逆に私が言った一言を今も忘れることなく根に持っている人が、もしかすると自分が忘れているだけでいるかもしれないのだ。勿論いないことを祈ってはいたいけど、人間生きていればいろんなことがあるし、知らず知らずのうちに誰かを傷つけている可能性がどんな人だって0ではないことを、ひとりひとりが心得ておくことは本当に大切なことだと思うのだ。
そんな訳で、今日のみのさんのコメントは良く出来ていた。うん。『おもいッきりテレビ』というタイトルに相応しく「おもいッきり」良く出来ていたと、少なくとも私にはそう思えた。

7月27日三浦「純」という男
『はなまるマーケット』(TBS)を見る。祝みうらじゅん氏「はなまるカフェ」登場!!
久々にこの番組を見た。勿論ゲストにみうら氏が出るからだ。久々に見たみうら氏は相も変わらずトークが楽しくて、くせになりそなくらい(いやもうくせになってるって!)最高だ。サングラスの奥に見え隠れする目はタモさんと同じくらい怪しくて、それがまたいい。
さて、みうら氏は「はなまるカフェ」にゲスト出演した後、すぐあとのコーナーにもゲスト審査員として出演していた。そのコーナーとは視聴者が考えた便利グッズや発明品を紹介するコーナーで、審査員はそれを使ってみたいかみたくないかを点数にして判断するというものだ。そのなかのひとつに「座った時にズボンのジッパーが自然と開いてしまうのを防ぐための方法」というのがあった。私は基本的にズボン、特にジーンズを履かないので(私がズボンを履いているところを見た人は殆どいないと思う。私がズボンを履かない理由はいろいろあるのだが、ここでは秘密。)ズボンのジッパーが自然とずり落ちるというのが感覚的に良く分からなかったのだけど、太り気味の人(特に腹)には良くあることらしい。ホントか?
それを防ぐ方法とはなんでも、ズボンのファスナーの部分に輪ゴムを使い止めるというものだった。TVを見ていた私は「なんじゃそりゃ?面倒臭いじゃないか!」と失笑し当然の如く低い評価を下し、薬丸さんや岡江さん始め他の審査員も同様に低い評価を下していた。多分その評価は正しいのだと思う。でも何故かみうら氏だけは意外にも高評価を下していたのだ。みうら氏曰く「みんながそうしている(ズボンのジッパーの部分に輪ゴムをつけている図)ところを想像したら、面白いから!」というのが高評価を下した理由らしい。目からウロコとは、きっとこのことを言うのだ。確かに私はこの発明を面倒臭いからという理由で失笑し、低評価を下した。でもよくよく考えてみたらやっぱりみうら氏が言う通り、可笑しいよ。この発明は「失笑」ではなく「爆笑」で交わすのが正しい評価なのだと思う。だって想像してごらんよ!道行く人がみんな、あの部分に輪ゴムをつけているんだよ。老若男女、全部。面白くて、可笑しくて、失笑じゃなくて爆笑だよ。それに世界が違って見えるよ。いやマジで。私もまだまだ修行が足りないと思わされた一瞬だった。みうらじゅんさんを「氏」と仰ぎ、尊敬しているものの、まだまだ私は思考能力がみうら氏の足元にも及んでいない。感服だ。
久々に見たこの番組は、やっぱり相も変わらずに妙な空気が漂っていた。内容は確かにいい番組だと思う。それは否定しない。でも、出演者がね。この番組がもう少しいい感じになるためには、きっとみうら氏のような視線を持った人物が必要なのだ。現番組に漂う妙な空気に、決して馴染むことなく確固たる意志を持ち、現状を打破出来るようなレギュラーがいれば、あの場はもっと締まるものになると思う。パパママタレントの吹き溜まりで、人生の王道を歩けない人は決して受け入れてくれない雰囲気を持った番組のままじゃ、私は見ないよ。
兎にも角にも今日のみうらじゅん氏は相も変わらずに最高だった。次はそろそろ、『笑っていいとも!』(フジ)にでも、いやいやそろそろ『徹子の部屋』(テレ朝)にでも出ないかしらん。

7月28日200000000年前へ!
『世界・ふしぎ発見!』(TBS)。新聞のラテ欄に

「200000000年前へ!!
中国恐竜王国への旅」

と書いてあったのを発見して、すみません。白状します。一・十・百・千・万…と桁を数えました。そしてようやく、2億年前だと分かりました。あいすみませぬ。

7月29日投票に行こう!
選挙関連のニュースを見る。今日は第19回参議院選挙の日だ。夜は各局とも大規模な特番を組み、開票速報が報道され各局ごとに当確が打たれる。(でも、何故かどの陣営もNHKが当確を打たないとバンザイをしないんだよね。民放が打っている当確の立場は?)。
今回の選挙は特に著名人の立候補が目立ち、事前の盛り上がりもあったように思われたけど、投票率は悪かった。選挙についての考えは以前にかなりの文章量で書いているので、割愛させて頂くが、投票に行かない人があまりにも多い現実はやっぱり淋しいと思う。特に「普通選挙法」にも関わらず女性には選挙権が与えられていなかった時代のことを思うとね。だって女性は「普通」じゃないって意味だし。(この辺の詳しいことは昨年2000年6月25日の日記を参照のこと。2000年の年末合併号では、トップバッターとして登場する2000年を代表する日記になっています。必読!!)
先日、とある番組を見ていたら日本一投票率が高い、とある市町村(のうちのどこか。断定は避けます。)のことが放送されていた。「日本一投票率が高いなんて、一体どんなところなんだろう!」と思って興味津々で見たら、「ああ。そういうこと だったのか。」という、あまり嬉しくない感情で押しつぶされそうになってしまった。投票率が高いことは本来素晴らしいはずのことなのに、決してそういう訳でもないことを思い知らされたからだ。
自分の生活が、もしも選挙と密接に関わっていたら、誰だって投票に行くだろう。選挙の結果如何で、自分の生活が左右されるなら、何が何でも投票に行こうと思うだろう。結局そういうことだったのだ。つまり「投票率が一番高い市町村」というのは、結局「日本で一番政治と生活が密着している市町村」に他ならなかったのだ。そう!その市町村に住む人たちが、格別あらゆる政治に感心があるという訳ではなくてね。もしも自分の生活に直接影響がなかったなら、きっと選挙には行かない人だと断定してもいいと思う。
でも本当はそんなことでは駄目なのだ。その考えを逆の意味に取ると、投票率が悪い市町村は政治の恩恵を受けていない人が一番多く住む、ある種一番素晴らしい市町村という捕らえ方でいいということになってしまうのだから…。投票に行っても行かなくても、さして自分達の生活基盤が変わる訳でもなしという人達の存在は、政治家の計らいで生活を豊かにして貰っている人たちより、余程健全だろう。
だからこそ、私たち政治の恩恵など全く受けていない人たちは投票に行くべきなのだ。だって、政治家の計らいで一部の人だけ生活が豊かになってるなんて、悔しいだろう。腹が立つだろう。だったら投票にいってそれを阻止しようじゃないか!黙って行かないなんて勿体無い!絶対勿体無いよ!投票に行っても行かなくても、さして目に見えた部分で自分達の生活が変わる訳ではないけれど、自分じゃない誰かの生活を変えることは出来ると思うよ。ふっふっふっ。
だけど、ここでもう一歩踏み込んで考えてみると、自分達の生活に直接関係ないからと言って投票に行かない人と言うのは、とても恐ろしい存在だと思う。自分達に直接関係ないから投票に行かないっていうのは、全然健全なんかじゃないよ。寧ろ、率にするとどれくらいなのかは分からないけど、特に恩恵もないのに、毎回健気に投票に行く人たちの存在が一番健全だ。そういや私、地域振興券の恩恵も受けなかったしな。地域振興券なんてもう忘れちゃっただろ。みんな。
それにしても、こんな日でもきちんと『ASAYAN』と『MUSIX』を放送してくれるテレビ東京ってば、やはりただ者ではない。だけどそれを単純に喜べるほど、もう子供じゃないんだよね。嬉しいことに。

7月30日三村ツッコミ・その2
『ちゃんネプ!』(テレ朝)を見る。6月11日に放送された、三村ツッコミを当てるクイズの第二弾が放送された。何でも第一弾が好評だったそうで、再度企画を望む声が多く集まったが故の第二弾だったようだ。確かに面白かったことには違いない。6月11日の日記を見返すと物凄い分量の日記を書いていることからも分かるように、私自身もここ最近ではかなり楽しく見ることが出来た企画のひとつだ。単純に見えて意外と奥が深い三村ツッコミに、ある意味ひとつの芸術を感じたのは随分収穫だったと思う。
さて、今回の第二弾は場所を巣鴨の地蔵通りから、とある温泉宿に移して決行された。勿論、三村さんには内緒の企画で、番組名を偽っての企画の決行である。細かい部分は割愛させて頂くが、今回も分かりそうで当たらない三村ツッコミワールド全開で、意外と奥が深いことをまたしても思い知らされる結末になってしまった。
ただ最後に、またしても騙されることを知った時の三村さんのツッコミだけは殆どの人が予想した通り「またかよ!」だったのが、ちょっと当たり前すぎて拍子抜けだったけど、それ以外は本当に難しいことこの上なしだったと言っても過言ではないと思う。回答者のひとりが、会場になっている絨毯が派手だったことに着目して「絨毯のことを突っ込みますよ!」と予想しスバリ的中したのが、個人的には一番凄いなと思ったことで、私自身の笑いのツボにも一番嵌まった部分だった。
さてさて、今回も好評に終わったであろうこの企画の第三弾は果たしてあるのだろうか。楽しいのであることに超したことはないけれど、このテの企画はバレたらお終いなのでタイミングが凄く難しいと思うから、どうかな?あるかな?どうかな?はてさて…
これは余談だが、企画が終わり三村さんが最後に呟いた言葉が何故か一番印象に残ったので記しておきたい。再び騙された自分自身への危惧感からだったのだろうか。三村さんは一言「俺が壊れていくよ!」と、結構真面目な顔をして呟いたのだ。いやー芸人ってホント大変ですねえ。(@水野晴郎)

7月31日「大阪VS秋田」で県民性の違いを見た
『いきなり!黄金伝説。』(テレ朝)を見る。以前、県民性について書いた本を読んだことがある。その県の住む人の気質や特徴を書いた本で、なかなか面白く読むことが出来た。本を手にして一番最初に開いたのは、勿論自分が住む県について書いたページだ。確かに頷ける部分も多かったものの「そうかなあ?違うぞ!」と思った部分も確かにあって、でもトータルではだいたいこんな感じで間違いはないんだろうなと思いながら本を読み終えた。知人が住む県の県民性を、その知人と照らし合わせながら見るという見方もなかなか面白いかもしれない。
さて、今日の番組は、ココリコのふたりがそれぞれ別々の県に住むおじいちゃん・おばあちゃんたち(65歳以上の人限定)でカラオケビデオを作ろう!という企画だった。くじ引きの結果、遠藤さんは大阪で、そして田中さんは秋田でそれぞれカラオケビデオを作ることになった。課題曲は宇多田ヒカルさんの『♪AUTOMATIC』。ワンフレーズづつを唄って貰い、それを繋ぎあわせて1本が完成する。そして完成したカラオケビデオをカラオケ採点マシーンにかけ、得点が高かったほうが勝ちというものだ。
大阪で制作を開始した遠藤さんは、頼んだおじいちゃんやおばあちゃんの多くが唄いながら勝手に歌を作り替えてしまったり、余計なパフォーマンスをするので苦労していたようだ。かたや秋田で制作を開始した田中さんの方はといえば、パフォーマンスで賑やかす大阪とは対照的に、殆どの人が東海林太郎バリに直立不動で唄っており、同じくらいの年齢の人にも関わらず、その様子は面白いくらいに違ったので「ああ県民性の違いってあるんだなあ。」ということをはからずも実感する形になってしまった。
出来上がったカラオケビデオを連続再生してみたら、大阪は曲調がメチャメチャで余計な言葉が入っていたのに対し、秋田の方は半分くらいの人の歌が途中で切れている(つまり遅いから)始末だった。まさに県民性の違い歴然である。
ずっと同じ県に住んでいるとなかなか気がつかないことだけど、こうして同じことをやらせてみると同じではないことが否が応でも痛感させられる。なかなか面白くていい企画だったと個人的には思う。あ、結果は当然大阪の勝ちだった。歌が切れていて全部唄えてないのでは、秋田に勝ち目はない。
だから大阪がいいとか秋田がいいとかいう問題ではないけれど、こうやって見てみると自分に合う県・合わない県は確かにあると思う。たけど最終的には自分が生まれ育ってある程度の時を過ごした場所が、一番心地のいい場所ということになるんだろうけどね。だとすると転校や転勤が多い人はどうなるんだろう。???。今回の場合で言えば、大阪のユニークさも、秋田のおっとり感も、どっちも捨て難いものがあるように感じた。それなのに…それなのに…どうしても良く分からないのは、秋田県。アキタコマチがあったり、アキタビジンと称されたりするのに、どうしてジサツリツが日本でトップなんだろうか。


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