かこの鑑賞日記2004年1月1日〜1月31日
2003年12月1日〜12月31日
1月1〜4日(合併号)2004年 お笑いブームの行方
新年明けましておめでとうございます。本年も「かこの鑑賞日記」をよろしくお願い致します。
『爆笑ヒットパレード』(フジ)を見る。私自身は1年365(366)日、お笑い番組を見ていてもきっと飽きないくらい無類のお笑い好きなのだけど、世の中はそれほどでもない日々がここ近年ずっと続いていた。それが昨年に入り、急にお笑いブームが到来した。TVでは、テツandトモを皮切りにダンディ坂野さん・はなわさんらが毎日のようにTVに出続け、まるで2003年お笑い3羽ガラス(あと1組いたら4天王だったのに…)のように扱われた。
お笑い好きの私にとって、お笑い芸人をたくさん見られたのは確かに嬉しいことだった。でも、今回ブレイクした3羽ガラスが出演していた『爆笑オンエアバトル』(NHK)を番組開始後からその殆どを見続けてきた私としては、ここにきて突如降って湧いたようなブレイクに「何を今更」という感があったのも事実だった。
3羽ガラスのブレイクに前後して『エンタの神様』(NTV)が始まったり、『はねるのトびら』(フジ)が人気を博したり、4年前から『M−1グランプリ』(テレ朝)がスタートしていたり、その他にも芸人のネタ見せ番組は確実に増えていた。前回のお笑いブームが爆笑問題やネプチューン・海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)らを輩出した『ボキャブラ天国』(フジ)だったことを考えると、今回ネタ見せ番組がブレイクの火付け役だったのは、純粋に良かったのかもしれないと思う。ただ、いいことばかりでもないのもまた事実だ。見ることが出来る番組を最大限に見ているとネタが被ってつまらなく思えてしまうし、『エンタ』みたいに新ネタばかりやられても、それはそれで芸人人生を短くしてしまうのではないかと心配になってしまう。ここらへんのバランスは本当に難しいと思う。例えば歌手だったら同じヒット曲を何度唄ってもそれなりに喝采を浴びるのに…と思うと、それが芸人の他とは違う厳しさで、故に私がお笑いをとてもとても愛おしく思う理由でもあるのだけど。
そんな前年の風潮を受けて、今年もまた例年通り元日に放送されたこの番組が、こころなしかパワーアップして感じられたのは決して気のせいではあるまい。例年この番組が好きで見ているくやこうも「例年より放送時間が長くなっている。(正確には一時期放送時間が短くなったそうなのだが、ここにきてまた元に戻った・長くなったという意味らしい。)」と言っていたのだが、真相のほどは不明だ。(調べたけど放送時間までは分からなかったです。はい。)ただ、これもまた例年、元日の夜に放送されている『かくし芸大会』(フジ)の時間は確実に短くなっていたので「ああ今はそういう時代なのか。」と、そこに確実に時代の流れを感じてしまった。ナカヤマヒデユキテキワライガマッタクオモシロクナイコトニセケンガキガツイテキタノナライイノダガ。そもそもナカヤマヒデユキテキワライッテナンナンダ?
『爆笑ヒットパレード』で披露されたネタ自体はやっぱりどこかで見たものが殆どで、特にどうということはなかった。ただこれだけの人数が大挙して出ていると言い知れぬパワーを感じるものだ。それなりの勢いを感じさせようと思ったらそれなりの数が必要な場合もあるってことだけはよく分かった。いわゆる「質より量」っていうやつだ。
そして2004年の元日にいわゆる「若手芸人」と呼ばれる勢いのある芸人たちのネタをお腹いっぱいに食べて一番に思ったのは、いわゆる「中堅どころ」と言われる、いま収入も知名度もそこそこある芸人さんたちはもう少し危機感を持った方がいいのかもしれないということだった。今大挙している若手芸人さんたちから「兄さん!兄さん!」なんて呼ばれていい気になってると、いつか足元を救われますよと。それくらい普段ネタ見せをほとんどしない中堅どころの芸人さんは負けていたということだ。だけど、本当は出ているだけ、TVでネタ見せをしようと思っただけまだマシなのかもしれないよな。実はオファーが来てるのに出ることさえしない中途半端な芸人さんって意外に多そうだし。そんな芸人さんだったら「若手芸人」の勢いで、もう「質より量」の勢いでもいいから、そのレギュラーの座、奪っちゃってもいいから。行け行け行くのだぁ〜力の限りぃ〜
2004年の元日に『爆笑ヒットパレード』を見ながら私は、今年もたくさんお笑い番組を見て笑っていられる日々が続いていくといいのになあと思っていた。お笑いブームは今年も続いていくのだろうか。けど、もし世の中からお笑いブームの終焉を感じても、私からお笑いブームが消えることはないと思う。無類のお笑い好きはそう簡単に変えられない。それは私自身の最大の誉め言葉が「面白い」であるのと同じように、いわば不変なものとなりつつある。今年もたくさんの「面白い」に出逢えますように…

1月5日〜1月31日(合併号)15分に一度確実に泣けるドラマ〜「ただいま!」のキセキ〜
『ちょっと待って神様』(NHK)を見る。

昨年の12月の日記の中で「人生はタイミングの賜物である」という思いが強い方だということを書いた。そう書いてから1ヶ月も経たないうちに、タイミングの賜物のような出来事に次々に見舞われるというのも一体どういうことなのだろうか。
本当は胸のうちにだけしまってこんなところに書くべきことじゃないのかもしれないけど、今のこの感じを忘れてしまわないために敢えて書くことにした。それは1月の半ばあたりの、とある日のことだった。まさか!よもやこんな場所で!というところで、私に小学生の頃体験した「悪夢」が再来したのだ。それはもうとてつもなくショックだった。その瞬間、私のまわりには大勢の人がいたけれど、ひとりの人以外誰も様子が変になった私に気付くことはなかった。本当は泣き出して飛び出していきたい衝動にかられたけど、私はなんとか悟られまいと務めて明るく振舞うことでその場を取り繕った。そのなにもかもが全て、あの頃と同じままで、まるで目の前で小学生時代の悪夢がVTR再生されているようだった。大人になればよもや経験することもないであろうと思っていたことを、強制的に経験させられた時のショックのデカさといったらない。そのショックがあまりにも強すぎて私は半死状態だったのに、今度は「おい!そのタイミングでそんなことを言って来るのか!」というような悲しい淋しい出来事に襲われ、その絶望的なタイミングの残酷さに私はかなり長い間、鑑賞日記を書くことはおろか、大好きなお笑い番組を見ても笑えないような日々が続いた。ああ、そんな残酷なタイミングってあるんだとただただ思うしかなかった。それが私の2004年の1月の出来事だ。
少し話は逸れるが、これもまたいいタイミングなので、そんな絶望的な心境だったからこそ考えたことを忘れないように書いておきたいと思う。この間、私が意外にも何度も考えたのは「この日記を何のために書いているのか。」と言うことだった。もちろん書く理由はひとつではない。いろいろある。文章を書くことが好きというのも理由のひとつだし、鑑賞日記を書くことにより普段だったら考えなくてもいいことを考える機会を得るというのもある。でも果たしてそれだけなのかと考えた時、今まで考えもしなかったような別な、もっと大きな理由があるのではないかと考えた時、気付いてしまったのだ。私が鑑賞日記を書く一番の理由に。
言葉に出すと、壊れてしまいそうなことがある。言った途端実現しなくなりそうな恐怖と言えば分かりやすいだろうか。でも私の場合はその逆で、その理由をここに書くと実体化してしまいそうで怖くて躊躇してしまうという思いのほうが強い。人によっては思いのパワーが強い人がいて、そのパワーが負の方に強い人がいてもなんら不思議はないわけで、そんなことを考えると躊躇してしまうという意味が分かりやすいかと思う。
そんな訳で1月いっぱいは鑑賞日記を書き込める状態ではなかったので、この日記も随分経ってから書いている。そんな状況の時に、これまた絶妙なタイミングで出逢い心洗われる思いで見たこのドラマを紹介して1月の鑑賞日記にしたい。
「15分に一度確実に泣けるドラマ」というキャッチコピーのドラマがもしあったら、逆に構えてしまって泣けなくなるかもしれないというのはある。でももしそれでも泣けるドラマがあったなら、ぜひ見てみたいと思う人も多いのではないだろうか。このドラマがまさにそれで「15分に一度泣けるドラマ」なのである。15分というのは、このドラマが通常月曜日から木曜日までの夜11時から15分間放送されているからだ。最初は特に見るつもりもなかったのに、前の番組からの流れでたまたま見てしまったのが運のツキで、最初から涙腺が緩みっぱなしそれはもう大変だった。それから5週間【(15分×4回)×5=5時間】はこのドラマの虜だった。泣くために見ていたと訳ではない。けど確実に1回の放送で泣けるツボがあるのだ。これに私は嵌った。いままでこんなドラマがあっただろうかと驚き、このタイミングで出会うべくして出逢ったドラマに私は感謝してもしきれないくらいだった。
ここで簡単にあらすじを説明しておきたい。【家事に明け暮れる久留竜子(泉ピン子)はある日、高校生・天城秋日子(宮崎あおい)と道ですれ違う時、トラックに跳ねられて死亡。天界で神の使い(京本政樹)に命乞いをし、秋日子の体を1週間だけ借りて地上に舞い降りる。平然と竜子の死を受け止める家族の姿に秋日子(竜子)は愕然とするが、竜子が大事にしていたベンジャミンに夫の一夫(津嘉山正種)が愛情を示してくれた事で癒される。そんな折、久留家に見知らぬ女があらわれる。ここまでが第一週目のあらすじだ。 (NHK・HPより)】
宮崎あおいちゃんという女優さんの演技を見るのはこのドラマが初めてだった。勿論、CM等でその存在は随分前から知っていて演技派女優さんであるという情報も得ていたけれど、演技を見る機会が今までなくていた。それが今回このドラマで見て想像以上の女優っぷりに圧倒されてしまった。あらすじの【秋日子の体を1週間だけ借りて】という部分から想像される通り、これはあおいちゃんの一人二役(自分自身とピン子さんの)のドラマである。ある意味そこが見所でもあり、あおいちゃんがピン子さんにどんだけ似せられるかというのがキーポイントでもある訳だ。泉ピン子さんといえば、敢えて説明するまでも無いがあの風貌とあの動きである。ティーンエイジャーが模倣するにはあまりにも濃い、濃すぎるキャラクターであると言えるだろう。それ故にやりやすいとのかもしれないが、それを差し置いたとしても、ピン子さんに成り切るのは並大抵の作業ではないように思う。なのに、あおいちゃんは見事に演じきっていた。そのきっちり感が、ドラマに深みを持たせ、通常世界ではあり得ない設定にも拘らず、リアリティーを持たせていた一因になっていたように思う。天晴れだ。(天晴れと言えば、このドラマ。ピン子さんの女子高生の姿《思いが強すぎると見た目がピン子さんになってしまう》も拝めた訳だが、それはそれでなかなかのものだったことを付け加えておきたい。)
ドラマの内容は、一貫して「人生は素晴らしい」ことを唄っており、夫婦とは、家族とは、友人とは、と考えさせられる構成に仕上がっていた。文章力があまりない私にはこのドラマのよさを半分も伝えきれていないので、DVD等で発売されたらぜひ一見してほしいと思う。
行方不明になった人が帰ってきたり、事故にあった人が奇跡的に生還する場面がしばしばニュース映像で伝えられているのを目にすることがあるだろう。その感動的な場面を、冷静な目で眺めると、ただ家族が家に帰ってきたただそれだけに過ぎないと言うことに気がついて愕然とすることがある。今日も昨日と同じように「ただいま」と玄関の扉を開けて帰ってくる。全国で、全世界で、日々、数え切れないくらいに行われている何気ないその行為が、実は大変幸福なドラマなのだと気がつくと、日々刺激がなくてたいくつでつまらないといっている人たちの愚かさが分かろうというものだ。
第5週のサブタイトルは「そこにあるのに気付かないこと」だった。夫婦の関係性について「ただ隣にいてお互いを感じあうだけでいい」のだと、あおいちゃんのナレーションが入るラストシーンに繋がる場面は素晴らしかった。それまでは笑って見ていたピン子さんの女子高生姿もなにもかも、どうでもいいと思えてしまうほどの出来栄えで、いろいろあった私の心に深く深く染み入った。
1月半ばの悪夢のことは忘れてしまいたい出来事だけど敢えて忘れないという選択も大いにありのような気がしてきた。この文章を読んだ人から「みた悪夢は何だったのか。」と直接会って聞かれるようなことがあったとしても、ちゃんと教えられる心の準備も出来たしね。これもドラマのおかげなのかもしれないね。
やっぱり「人生はタイミングの賜物」なのだと思う。今日のこの日記をあなたはどんなタイミングで読んでくださっているのだろうか。ただ、今日の鑑賞日記がこのタイミングで読めて嬉しい日記だったなら私も嬉しい。私が書いた日記をあなたが読む。そんな幸せを当たり前に思いすぎないよう、私はずっと場所(ここ)で書いて待ってるから。また、あした。


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