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411
4/5
『20年目のザンボット3』 氷川竜介
太田出版
☆☆☆☆

堂々たる『ザンボット3』本。キャラ・メカ紹介は控えめに、そして各話ストーリーダイジェストと解説がメインといってもいいかもしれない。もうひとつが富野監督との邂逅録。原画マン金田伊功の原画紹介にも結構ページを割いているが、これなんかかなりマニアックな企画だ。一冊全体を通して見れば様々な角度から『ザンボット3』を検証している、充実した一冊。

メインといえる全話ストーリー紹介とチェックポイント解説では、ポイントなる話では解説も長く、ここだけ読んでも『ザンボット』の何たるかとその凄さが再確認できる(映像作品を見るだけでも確認できるので再確認とした)。

帯に書いてあるとおり、『ガンダム』『イデオン』は勿論『エヴァ』に至るまで、全てのはじまりが『ザンボット3』であり、20年を経てなおこれだけのことができる(本書であり、LDボックス)というのがその凄さの証明である。今挙げた3作品を好きだ、という人は『ザンボット3』と本書を読むべし!









412
4/7
『結晶世界』 J・G・バラード著/中村保男訳
創元SF文庫

読了するのにえらく時間がかかった。理由を考えてみると、文字級数が小さいのと、改行が少ないのと、面白くなかった、というのがそれのようだ。文章としても、起きていることそのものは面白いのに、三人称の、平板な書き方で、せっかく注目すべきポイントがあっても、素通りしてしまう。もっとタメるべきところはタメれば、もっと読みやすく、面白くなるのに、という気がした。改行の仕方や翻訳の問題もあるかもしれない。

アイデアとしてはアフリカの森林から、全てのものが結晶化しつつある、という世界変容タイプで、それだけ、ともいえる。メタモルフォーゼをテーマにした小説としては『ブラッド・ミュージック』(ハヤカワ文庫)が代表的で、どうしてもそれと比較してしまう。本書では結晶化の理由はなく、主人公が訪れた土地で既に結晶化が始まっている。その森林内で人間ドラマがあって、最後には抽象的な理屈づけが結構唐突に出てくるものの、アイデアは放り出されたようにも思える。

つまるところ、本書は短編レベルの内容だ、ということだと思う。タイトルとあらすじを見れば、実に魅力的だ(ついでにいえば、カバーが美しい。帯をつけたままで、その下を見ないほうがより綺麗にまとまっていると思う)。しかし、本書のメインは人間ドラマであり、肝心の素晴らしい設定がSFとして活かせていない。結晶化の理由や結晶化したものがどうなるのか、といったところを細かく描くと断然SFとして面白くなると思うのだが…。結晶化を阻害するものの正体はなかなか面白いのだが、その説明も適当で、残念。









413
4/7
新撰組異聞 ピースメーカー(1)』 黒乃奈々絵
エニックス
☆☆☆

私の性分として絵が好きでないと新たなマンガにとっつけないのだが、本書はまさに、2巻の表紙イラストを見て購入。女性(多分)にしては絵も巧いし、男性にも受け入れやすい絵ではないだろうか。

主人公の市村鉄之助少年は、「チビ」といわれると切れる、破天荒で真っ直ぐな性格。長州人に殺されたと思われる親の敵討ちのために、新撰組に入って強くなろうとする。沖田総司と戦ってなんとか新撰組に入った鉄之助。

新撰組といっても『燃えよ剣(上)』『燃えよ剣(下)』くらいしか読んでいないが、狂気の殺人集団ともいうべき新撰組と少年マンガ(それを女性が描く)がどう調和するのか、今後の展開が楽しみなところ。そのための下地と期待感はこの1巻で充分である。冷酷な殺人集団としての側面は1巻でも見せてくれる。それを目撃した鉄之助のリアクションなどが、なかなか迫真で良い。その、新撰組という設定とマンガ/アニメ的でPOPな画がどう融合するのか。

また、黒乃氏のキャラの文法が掴みきれず、男女の区別が分からなかった。沖田総司なんか、どう見ても女性にしか見えなかった。美男子であることは事実らしいのでいいのだが…。









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414
4/8
『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
サイモン・シン著/青木薫訳
新潮社
☆☆☆☆☆

「3以上の自然数nに対して『Xn+Yn=Zn』を満たすような自然数X、Y、Zはない(nはn乗を表すとする。HTMLでは表記しづらいので)。」というのが有名なフェルマーの最終定理と呼ばれるものである。元々はギリシア時代の数学者ピュタゴラス(ピタゴラス)の「直角三角形の斜辺の二乗は他の二辺の二乗の和に等しい『A2+B2=C2』。」という定理に端を発する問題である(ピタゴラスの定理、あるいは三平方の定理と呼ばれる)。17世紀の数学者ピエール・ド・フェルマーは天才的な数学者であったが、証明を発見してもそれを書き記すことをしない人だった。この定理についても、そうだった。この数式がここまで注目を集めたのは、一見非常にシンプルで簡単に証明できそうに思えるのだが、実際に取り組んでみるととてつもなく困難なものである、ということだ。

フェルマーの最終定理はとてつもなく難しい問題だが、小学生にさえ理解できるように述べることができる。これほど単純明快に言い表せるにも関わらず、これほど長いあいだ解決されなかったという問題は、物理学にも化学にも生物学にもありえない。
フェルマーの遺稿から知られるようになったこの問題は300年に渡って取り組まれてきた。本書ではその数学者たちのドラマとフェルマーの最終定理攻略までの一歩一歩がその人となりから研究のポイントまで、要所を押さえて知ることができる。日本人の数学者が大きく関与していることも驚きである。

この定理を証明するとは、こういうことだ。

数学の証明は、われわれがふだん口にする「証明」、あるいは物理学者や化学者の考える証明よりもはるかに強力かつ厳密だ。科学的証明と数学的証明とは、微妙に、しかし重大な点で異なっている。(略)
 典型的な数学的証明は、一連の公理から出発する。公理とは、真であると仮定された命題、あるいは真であることが自明な命題のことである。そこから一歩一歩論理的な議論を積み重ねていって結論にたどり着く。公理が正しく、論理が完全であれば、結果として得られた結論を否定することはできない。こうして得られた結論が定理である。
 数学の定理は、この論理的なプロセスの上に成り立っており、一度証明された定理は永遠に真である。数学における証明は絶対なのだ。
(太字は引用者)

アンドリュー・ワイルズは10歳の時にフェルマーの最終定理を知り、いつかそれを解決することを夢見て数学者となった。さまざまな前段階を経て、機会に恵まれ、ついにそれと本格的に取り組むことになった。その気合いに入れ方は、外部には今までためた他の論文を発表してカモフラージュするほど、情報の共有と交流が当たり前である数学会にとって異例の全くの単独・秘密研究を行ったことでも分かる。7年間の熟考・試行錯誤の末、ついにワイルズは証明を果たし、学会で発表する。その発表までの噂や数学者たちの動向などが本書では実にドラマチックに記されている。そこで大きな反響があったものの、数学者たちによる論文のチェックによって、論理の欠陥が見つかり、さらに一年にわたってワイルズはその打開に苦しむことになる。今度は世界中の数学者たちの声による多大なプレッシャーの中での作業だ。そして今度こそ、ワイルズはフェルマーの最終定理を完全に証明した。それは単なる古くさい謎解きだけでなく、最新の数学を駆使した数学界全体を進展させる偉業だった。

本書の素晴らしさは、私のような数学音痴にもフェルマーの最終定理のどこが不思議で皆を惹きつけるのかを分かり易く教えてくれるところにある。、そしてそれに取り組んだ数学者たち、数学の面白さと人間ドラマとを同じく重点を置いて書かれている。その構成と取捨選択もいい塩梅になっている。終章にはフェルマーの最終定理という大きな謎(日本史の分野でいえば邪馬台国の謎みたいなものだろうか?)を失った数学界が次に向かう(といっても結構色々あるが)謎もいくつか紹介している。実にドラマチックで、数学の面白さを伝えようという著者の意図がエッセンスとして巧みに配置され、センス・オブ・ワンダーをたっぷり感じることができる。最後に「訳者あとがき」から本書の魅力を引用しておこう。

本書には難解なことは何一つ出てこないにもかかわらず、ワイルズが何をやろうとし、どういう道筋をたどったかが鮮やかに見えるようになっている。専門的な数学を事細かに説明せずとも、数学上の業績の偉大さをこれだけの説得力をもって訴えるというのは、たいへんな力量である。フェルマー関係の本は数多く刊行されているけれども、”フェルマーの最終定理”の証明が数学全体にとってどういう意味をもつのかをドラマチックにわかりやすく描いているという点で、本書の面白さは群を抜いている。
2300円のハードカバー、じっくり読み込んで損のない本である。理系の人は云うに及ばず、文系の人には歴史・人間ドラマとしても楽しめる。









415
4/9
『さよならダイノサウルス』 ロバート・J・ソウヤー著/内田昌之訳
ハヤカワ文庫
☆☆☆☆

原題の『END OF AN ERA』では確かに意味が分かりにくいが、この邦題と表紙イラストで損をしていると思う。裏表紙の紹介文を読んでも、タイムマシンで恐竜絶滅の謎を探りに行く、というSFに親しい人ならそれほど目新しいものでもない。ところが、読んでみるとどこかで読んだ設定から意外なアイデアまで様々な要素が次々に登場し、単純なタイムトリップものではない謎解きの面白さが前面にあふれてくる。『スタープレックス』で様々な要素をぶち込んでSFマインドを大いに刺激してくれた著者の前作は、期待を裏切らなかった。

多分最近の濃い(ハード)SF読者というのは登場するもの全てに説明がなされていないと楽しめない、という傾向があるのではないだろうか。勿論それがなくてもいいし、面白い作品というのは一杯ある。ワン・アイデアの作品というのは、ある1つのところだけ「もしも○○が実現したら…」というところだけは説明せずに、そこを基盤に話を広げるものだ。そこをソウヤーという作家は登場するもの全てに関連性と説明をつけてしまう。まさかこれは物語を進めるための道具だろう、と軽く流していると、後でちゃんと整合性のある説明がつけられるのだ。全ての要素が最後に「リンクする」快感というのは上質のミステリを読む快感と同じで、それが出来るSF作家というのは私が読んだ中では『ハイペリンの没落』を代表とする「ハイペリオン」シリーズのダン・シモンズとこのソウヤーくらいしかいない。

どこかでみたような展開が続く出だしから、徐々に「何か違う」SFらしさが顔を覗かせ始め、恐竜関係のトピックには残らず触れるという、単に恐竜の時代に行くという目的からだけでなく、恐竜をテーマに扱った意味を十全に感じさせてくれる。映画『ジュラシック・パーク』なんかとはレベルが段違いである。あとはパズルの断片がはめ込まれるように、謎が1つまた1つとSF的に解かれて行く快感。実にSFらしいSF。もう少し長くして細部を描き込んでもいいかもしれない。最近不必要に(?)長い小説が多い中で、必要最小限の要素だけを紡ぎ上げた本作は珍しいといえるかもしれない。









416
4/10
『悪霊の群』 高木彬光/山田風太郎
出版芸術社
☆☆

約30年前に日本ミステリ界の大家・高木彬光と奇想ミステリの俊才(いずれも私が勝手に呼称)山田風太郎が日本最初の合作探偵小説を発表した。それがようやく日の目を見ることになった。幻の作品である。

冒頭はデジャビュかと思わせる、『悪魔の嘲笑』と同じような展開。東洋新聞社の社会部記者・真鍋(本作が初登場らしい。以後、神津の連絡役として後々まで活躍することになる)の元を訪れた相馬という男。彼は自分が中国の裏組織に狙われているのでかくまってほしい、というが、相馬は半年前にもウソの情報を同じように言いに来た、ということを知っている真鍋は取り合わない。ところが、その夜、バーで毒を飲まされた相馬に遭遇する。

真鍋は恋人が事件の鍵を握る人物ではないかという謎に悩まされる。ある女性をかくまったことから裏社会の医者・茨木歓喜が捜査に加わることになる。合作とくれば帯にもあるとおり、高木彬光が生んだ日本屈指の天才名探偵・神津恭介だが、その登場はちょっと意表を突かれる。やはり茨木歓喜の推理は神津とは全く違うタイプで、本格ミステリである本作ではどうしても物語を転がす役割しか担えない。

日下三蔵氏のあとがきによると、高木氏がプロットを、文章は山風が担当したそうで、たしかに構成は高木氏らしいもので、そのあたりが☆☆になった理由でもある。動機を重視する山風とはちょっと違うパターンのミステリで、高木色のほうが強い。山風色が出ているのが人物描写で、特に義眼の落語家・怪面亭馬笑は山風でなければ書けないキャラクターである。









417
4/14
『FULL MOON』 マイケル・ライト
新潮社
☆☆☆☆

アポロ計画でNASAが撮影した3万2千枚の写真。これまでに出回っていた宇宙/月関係の写真はマスターから複製したものを繰り返し複製したために、画像の劣化が激しかった。今回、秘蔵のマスターからデジタルスキャニングし、この高精度の写真集が実現した。写真はサターンロケットの発射から月面そして海上への帰還まで(一つのミッションだけではなく複数のミッションを合わせたもの)を並べてある。

『アポロ13』によっても宇宙と宇宙旅行の計画の生の姿に迫ることができるが、映画やTV(ビデオ)ではどうしても解像度の荒さという限界がある。宇宙/真空という地球とは違う環境/異空間を感じさせるにはいかに迫真性を持たせるか、という点ではいまのところ写真に勝るものはない。特にカラーよりも粒子の細かい白黒写真の効果が遺憾なく発揮されている。

殆どが白黒写真だが、カラー写真であっても白黒モノトーンの世界。真空であることと、地球上で日常見かける対比物がない為にスケール感は全く分からない。一見ちょっとした丘や谷や石に見えてもそれが何メートルも何キロもある、ということが写真解説によって明らかになる。白と黒、岩と砂、そして光と影だけの世界。この地球にいながらにして月という異界を感じることができる。

その内容は帯の立花隆氏の「思わず目をむいた」という言葉をもってまさしく的確に表現されている。ある意味、表紙の月の裏側の写真と帯に全てが象徴されている。このカバーと帯を見て買って見たくならない人はこれに4700円の価値を全く見いだせないだろう。不気味さと神秘さと沈黙と激しさ。このリアルさを体験するには決して高くはない。









418
4/14
『真ゲッターロボ(1)』 永井豪/石川賢
双葉社
☆☆☆☆☆

最強のゲッターである真ゲッターをメインとする、ゲッターサーガの終結となるのがこの『真ゲッターロボ』である。一瞬錯覚するが、本書は『ゲッターロボ號』シリーズ((1)(2)(3)(4)(5))より前、『ゲッターロボG』シリーズ((1)(2))との間を埋めるエピソード。『ゲッターロボ號(5)』のあとがきマンガで描いている通り、『ゲッターロボ號』で早乙女研究所が壊滅している理由を始めとする、謎に対する答えが盛り込まれている。

真ゲッターは現在最終テスト段階。謎の昆虫軍団の襲来によってその真価が発揮される。最初に収録されているエピソードはゲッター対ゲッターGという一見番外編的なエピソードでありながら(この燃える対決はしっかりオリジナルビデオアニメ『真ゲッターロボ(6)』に引用されている)ちゃんと一本筋の通った話に組み込まれている。これを代表として真ゲッターの活躍する場面はマンガでありながらスピード感と迫力、緩急が着いた見事な筆力。やはりマンガの巧さというのは線を多く描き込めばいいというものではなく、必要な線と省略すべき線というものの取捨選択だと実感させられる。このあたりが石川氏の天性のセンスだと思う。

実体のない黒い球体というのも(たぶん)『新世紀エヴァンゲリオン』に先んじてやっている。これを始め、今回は宇宙的スケールに話が広がったこともあり、SF的センス・オブ・ワンダーが存分に発揮されている。真ゲッターの能力をテストするために強化服を着込んだ竜馬など、メカファンとしても充分楽しめる。セミの幼虫の形をした異星人(メカ?)が妙に美しい。

シリーズ最初からSF的設定としてかすかに漂っていた、ゲッター線の正体、そして『號』のラストから、この『真』ではゲッターの意志と、いうのが大きなテーマとして表れてくる。特にゲッターの意志(それはそのままゲッター線の正体ともリンクする)というのはこの最後のシリーズで完全に明らかになるだろう(と思って大いに期待している)。









419
4/17
『シャーロック・ホームズの冒険』 アーサー・コナン・ドイル著/大久保康雄訳
ハヤカワ文庫
☆☆

『ボヘミア国王の醜聞』『赤毛連盟』『消えた花婿』『ボスコム渓谷の謎』『5つのオレンジの種』『唇のねじれた男』『青いガーネット』『まだらの紐』『技師の親指』『未婚の貴族』『緑柱石の宝冠』『椈の木荘』を収録。短編集ではあるが、一冊の本として前後の事件にも触れられることがある。推理小説として面白かったのは結婚式の最中に失そうした花嫁を探す『未婚の貴族』。逆に簡単に推理できたのが『まだらの紐』(ただ、あまりにも有名な作品だけに、どこかで聞き知っていたのかもしれない)。

ホームズものは推理小説であることは間違いないが、初期の作品であるだけに(なにしろ110年近く前の小説だ!)、現代の「本格もの」の定義には当てはまらないところがあるのは仕方ないところか。ホームズが得た情報は読者に全て知らされず、読者の分身ともいえる記述者ワトスンの目を離れて証拠を集めに行くからだ。とはいえ、ホームズのベッドディテクティブとデータと監察を基本とした推理はそのキャラクターを強烈に印象づける。最もインパクトがあるのはひと目見ただけで相手の職業を当てる能力と足跡で事件の経過を当てる能力である。これは現在ではまず不可能ともいえる、19世紀ならなんとか可能かな、というところだろう。

余談ながら、私のホームズのキャラクターのイメージはいしいひさちいちの4コママンガ(『コミカルミステリーツアー(2)』『同(3)』)のイメージ。また、文中の「ワトスン博士」は「ワトスン医師」の誤訳ではないか、という気がしてならない。









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420
4/17
『ターミナル・エクスペリメント』 ロバート・J・ソウヤー著/内田昌之訳
ハヤカワ文庫
☆☆☆☆☆

『さよならダイノサウルス』『スタープレックス』と、エンターテイメント性あふれるSFを書いているソウヤーのネビュラ賞受賞作。医学生のピーター・ホブスンは臓器移植の最中に死体が動くのを見て、生と死の境界がどこにあるのか知りたいと考えるようになり、ついに友人サカールの協力を得てスーパー脳波計を開発する。それによって死ぬ瞬間の人の脳波をとってみると、驚くべきことに最後活動を停止した脳からひとつの電気的塊が移動して脳外へ出て行くのを捉えたのだ。様々な追試やデータの収拾の結果、それこそ魂ではないか、と発表する。そのソウルウェーブによって死後の生が証明された、として大きな反響を巻き起こす。

では死後の生とはどんなものか、サカールの開発した脳の全ニューロンをスキャンする装置を使ってコンピューター内に3人の「ホブスン」を作り出す。ひとつは比較用マスターとなる「コントロール」。もうひとつは死後の生をシミュレートするために生体反応に関する部分をシャットアウトした「スピリット」。3つめは永遠の生を得た場合、人はどうなるのかを調べるために老化に関する部分を解除した「アンブロトス」である(これは作中でナノテクによって永遠の生命を得ることができる、という商品=技術が発売されたことを試すため)。

一方、ホブスンの妻キャシーは女たらしのハンスと関係を持つことで夫婦関係は悪化してしまう。そしてハンスが何者かが雇った殺しやに殺害されてしまい、その犯人探しが後半のテーマとなる。このあたりを越えるとネタバレになるのでこのあたりにしておこう。

『さよならダイノサウルス』『スタープレックス』ではありったけのアイデアをぶち込んでそれらを見事にまとめ上げる、という技巧を見せたソウヤーだが、本書では出だしを読んでみると、『アルジャーノンに花束を』や『夏への扉』のような一般向けのSFであるかのうように感じた。ところが、本書のほとんど唯一の科学的IFであるスーパー脳波計ひとつをもって物語は一気にSF色を増して来る。とはいってもSFに親しんでいない人にも充分理解できる範囲で、このあたりに(私の記憶違いでなければ)映画化される所以があるのだろう。ストーリー面でのIFは魂と死後の生、もうひとつ挙げるとするならニューロンをコピーすることで人格を形成する、ということだろう。結局それが確実なものかどうかは曖昧であるが、SFとして「本作品ではこうする」ということなら問題はないだろう。

先に本書は一見沢山のアイデアを詰め込んだサービス精神あふれたタイプのSFではない、と書いたが、後半になると単なる物語上の装飾としか思えなかったものが次々と統合されてきて、大仰なSF的プロットではないさりげない項目に関してもそれができるソウヤーの力量を感じることができる。その感覚は『魍魎の匣』など上質のミステリを読み解く感じである。

臨死体験を科学的に解明するところや、

「ユーモアというのは、予期せぬニューラルネットの突然の確立なんだ」
「わからないな」
「そのとおり。わからない。人びとは、なにかまじめな話題を理解できなかったときにも、ジョークを理解できなかったときとまったく同じ台詞を口にする。ある種の連結がうまくいかなかったことを直観的に悟っているわけだ。」
というところなど、本筋とは直接関係ない作者の考えがにじみでている部分も、なかなか面白い。

物語の印象として静かなトーンで終わるのかと思いきや、やってくれる。SFの王道ともいえる爽快なラスト。個人的には鈴木光司『らせん』のラストに近い感覚だった。このラストのまとめ方が読後感を非常に良くしている。中盤から後半の調子で終わったら☆☆☆☆かと思っていたが、そのラストでこの評価になった。SF者ではない「一般の」読者にも大いにおすすめの一冊。








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