ロゴぞうれっしゃがやってきた


戦争中、名古屋の街も空襲で大きな被害を受けました。空襲が激しくなり始めた1943年(昭和18年)「猛獣を処分せよ」との命令が下されました。当時、東山動物園の園長だった北王さんはいろいろ工夫された動物たちの命を守りました。


1945年(昭和20年)1月、動物園は軍のものになり、閉園されてしまいました。この間、たくさんの動物たちが毒入りのエサで殺され、銃で撃ち殺されました。


 そんな中で、北王園長や飼育係は必死の努力をしました。「東山動物園のぞうは、サーカスのぞうだから、飼育係の命令に従い人には危害を加えない」と説得に努め、ぞうやチンパンジー、ほか数種類の動物を戦争が終わる日(8月15日)まで守り抜きました。戦争が終わったとき、全国の動物園からはぞうが消え去り、東山動物園のマカニーとエルドの2頭だけが生き残ったのです。


1949年、本物のぞうがみたいという子どもたちの声が全国からわき起こりました。子どもたちの夢と希望を実現させようと名古屋市や国鉄、交通公社が相談し、「ゾウ列車」を走らせることになりました。この年の6月18日、彦根からの列車を第一号に、日本全国らか子どもたちを乗せた「ゾウ列車」が名古屋へ向けて走り続けました。

           (財)日本動物愛護協会発行「動物たち」第93号より



本物のぞうと会い、歓声を上げる子どもたちの笑顔は戦後の混乱期の中、人々に明るい希望を与えました。


 この頃の子どもたちは、ぞうを動物園に買ってもらうように国会に請願したり、外国の首相にぞうを贈ってくれるようにお願いをしたり、自分たちの要求を積極的に社会や国際世論に訴えました。



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