鉄道模型写真資料/茜堂


【C622号機新旧写真資料】

走行上許される国鉄狭軌の軌道空間の限界いっぱいに造られた、我国最大最強力の究極の旅客牽引蒸気機関車C62型は、
電気機関車EF58型が登場した二年後に、最後の蒸気機関車として登場します。
形式C62型は新造機関車では無くD52型の改造車で、
C622号機は小郡機関区所属の戦時簡易設計のD52455号機がベースと成り、
昭和23年5月20日、日立製作所笠戸工場で落成。
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糸崎機関区に着任後、昭和25年8月には宮原機関区へ移籍され、
整備優良機であった為、特急つばめ号牽引の大役を担う事になる。
その際に特急装飾の一環としてデフに「つばめ」のマークを装着する事となり、
昭和26年に鷹取工場で冷蔵車レ10000のステンレス板から、銀色のスワローマークが作成され取付けられます。


昭和31年11月19日の東海道本線全線電化に伴い、つばめ牽引の座をEF58流線改に完全に譲った後、
昭和32年1月20日、鷹取工場にて新製ボイラーを載せ変え、
翌2月に小樽築港機関区へ渡る事となりますが、

スワローが国鉄のマスコットでも有った事が幸いし、マークを付けたままの姿で渡道。


急行まりも時代の2号機、小樽築港機関区所属、原形に近い姿。

急行ていね時代の2号機、小樽築港機関区所属、ランボードにはまだ白線が入っていません。

小樽築港機関区所属、
晩年の2号機、ランボードには白線が入っています。
空気作用管が少し波打っていて、テンダー側壁は極地での激務でへこみ、炭水隔壁の姿まで表れています。
昭和32年2月、急行大雪(1.2.函館〜網走)、函館〜小樽(長万部〜小樽=重連)を担当。
昭和36年10月1日、急行大雪は11.12レとなり函館〜網走から函館〜札幌となる。
昭和37年10月1日、急行大雪は7両編成となり単機となる(多客期増結時は重連)。
昭和38年6月1日、急行大雪は急行ライラック(11D.12Dレ)に改称。
昭和32年10月1日、急行アカシヤ(3.4.函館〜札幌)、函館〜小樽(長万部〜小樽=重連)を担当。
昭和36年10月1日、急行アカシヤは急行オホーツク(13D.14Dレ)に改称。
昭和32年10月1日、夜行急行まりも(7.8.函館〜根室)、函館〜小樽(長万部〜小樽=重連)を担当。
昭和36年10月1日、急行まりもは17.18レとなり函館〜根室から函館〜釧路となる。
昭和40年10月1日、急行ていね(105.106.函館〜札幌まりもから昼行急行に分離)、函館〜小樽(長万部〜小樽=重連)を担当。
昭和41年3月5日、夜行急行たるまえ(1217.1216
.昭和43年10月1日に急行すずらんに統合)、函館〜長万部を担当。
昭和43年10月1日、急行ニセコ3.1号(103.104
.函館〜札幌ていねから名称変更)、函館〜小樽(長万部〜小樽=重連)を担当。
晩年は急行ニセコの山線区間を重連の先頭に立ち「スワローエンゼル」の愛称で人気が高まるが、
昭和46年9月15日を最後にDD51にその任を譲り急行の運用を外れる。
その後、普通列車(137.132
)長万部〜小樽の固定運用に当る。
昭和47年8月27日、小樽〜岩見沢での臨時列車牽引を最後に現役を引退。
翌9月には梅小路機関区へ動態保存の為に転配される。


上の写真白鷺号8942レ待機、姫路第一機関区。
昭和47年11月9日のC622号機、梅小路機関車館開設一月後の本線臨時列車白鷺号(8941〜8942レ)を牽引。




上の写真小樽築港機関区所属、昭和38年8月の急行まりも北海道時代の函館での原形に近い2号機とスハフ44です。
出版社タクトワン発行「記録写真C62」109頁に掲載(画像は原盤ネガより)。

下の写真梅小路蒸気機関車館所属、吹田でのイベント展示。
昭和61年8月24日の2号機(特急つばめ号のヘッドマーク付き)、横はEF58 66。


まりも時代の2号機の装備の違いが以下のとおり、一目瞭然です。
まりも時代には、デフの点検穴・副灯シールドビーム・ランボードの白線・旋回窓・ATS用発電機等が有りません。
テンダーには勿論ですがATS車上子は付いていませんので、テンダー下は結構シンプルな様です。
前ステップが前端梁の正面に付いて、テンダーの増炭囲いが台形で左右が短いようです。
やはり晩年に馴染みが有るだけに、何か物足りなさを感じます。


勿論、模型造りは晩年の冬装備スノープロー付で、
極限の胴体と狭軌ゆえの脆弱な前方足廻りとのスケール比を隠すという、個人的に好きな形態を踏破します。
というか、基本的なスケールの差異を隠す意味合いの方が強いのが正直な所です。



【小樽築港機関区立入証と赤線入場券】
当時、小樽駅で知り合ったメンバー達と、
お菓子を持って訪れましたら、
他の機関区では願書は発行していないので、
記念に記入して行けばとの事で、
私が代表して記入しました。
小樽築港機関区の撮影、見学、録音等の承認願い。
当時は結構フリーパスでしたが、詰所に伺うとB6サイズの許可証(二枚複写の上面)が頂けました。
今では懐かしい良い記念物となっています。



入場券小樽築港駅の赤線10円と赤線流用20円の入場券、北海道特有の純白券です。



【C622号機の急行時代と晩年の写真資料】

札幌からED76に牽かれた上り急行ニセコ104列車は、
10時39分に1番ホームに到着します。
小樽駅では六分間の停車中に牽引機の入換えが終わり、
定刻10時45分にC62重連は長万部へ向け発車。

その後、急行ニセコは昭和61年10月末をもって廃止されました。

左の写真小樽築港機関区所属、小樽駅での2号機、本務機は15号機です。
右の写真小樽築港機関区所属、出庫線の三つ目装備の2号機です。
急行ていね時代の三つ目装備、ランボードに白線が有りません。
下の写真小樽築港機関区所属、急行ニセコ引退後の夜間臨客仕業、炭庫線にて待機中の2号機です。



後部は船底とエンドビームで安定感十分。
正面は車輪が露出しメーターゲージに対して本体が大きすぎて不安定。
やはりC62は実機も前方足回りが隠れるスノープロウ付がパワフルで精悍な感じがしていいですね。

ニセコ牽引終焉まぎわに往復2種類のヘッドマークが一時付けられます。
給水温め器のカバー前中央のへこみが、その時設置されたヘッドマーク受けの撤去痕です。

小樽築港機関区ラウンドハウス内の2号機の煙室。
下に整風器(ブロアー)
、上にペチコート、横の太いパイプが主蒸気管。

風雪に耐えた痕がデフに刻まれています。
煙室戸を開いてみるとナンバーの位置関係が良く分ります。
煙室戸の開放は許可を得て開いて頂いた映像です。

C622細部写真資料のページを増設しました。各アングルから見た二号機の配管や各種部位などの詳細写真を掲載しています。



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