スターリングエンジン開発の歴史
(1)スターリングエンジンの誕生
スターリングエンジンはスコットランドの牧師であるロバート=スターリング(Robert Stirling:1770〜 1878)によって
1816年「熱空気エンジン」として発明された。
当時の主流の熱機関は蒸気機関であった。しかし多発するボイラ事故をみて、蒸気機関に変わるもっと安全な機関はないかと
言って開発されたのが、この空気を作動流体とした「熱空気エンジン」であった。
(2)第1期(〜1880年)
蒸気機関に変わるエンジンとして開発が進んだ。この時期は、エンジンの出力を上げるためいろいろ模索した時期である。
蒸気機関よりも出力を得るために作動ガス圧力を上げたり、新たなエンジン形式の開発が行なわれていた。
スターリング冷凍機や複動形エンジンが開発されたのもこの時期である。
また、スターリング兄弟は自分たちのエンジンを世間に認めさせるために蒸気機関にスターリングエンジンを乗せ替えた。
蒸気機関よりもはるかに少ない燃料で動かすことができたが、外装が持たなく3度もの故障で結局ともに戻されてしまった。
スターリングエンジンは500℃の熱を常に当てているため加熱部の材料が耐えきれず、
ひびや亀裂が起こり故障の原因となっていた。当時はステンレスなど高温に耐えられる金属材料は無く、
そのためスターリング兄弟の試みは失敗に終わってしまった。材料の開発がもう少し早ければ時代は変わったかもしれない。
スターリング兄弟の後を受け継ぐように出てきた人物がジョン=エリクソンである。
もともと、スターリングエンジンに類似した機関「エリクソンエンジン」を開発をしていたが、
騒音や破損を原因に見切りをつけスターリングエンジンの開発に取り組んだ。
エリクソンは数多くのスターリングエンジンを世に送り込んだ。
その中で最も注目するべきものは、太陽熱を利用したスターリングエンジンである。
驚くべきことにエリクソンは石炭や石油には限界がありいつか不足する時期がくると考え、
無限のエネルギ源として太陽熱を利用することを思いついた。
(3)第2期(〜1930年)
第1期に結局スターリングエンジンは蒸気機関に替わるものとはならなかった。
そんな中スターリングエンジンに新たな敵が出現する。
この時期はこの敵によってスターリングエンジンが世間から忘れ去られた時期である。
新たな敵とは現代で最も一般に普及している熱機関である、「内燃機関」である。
内燃機関は1860年にベルギーのルノアールによって発明され、1876年にオットーが石炭ガスを用いた内燃機関、
「ガスエンジン」を発明した。ガスエンジンはガス発生装置を取り付けなくてはいくなく大型で、
爆発させるため音がうるさかった。そのため、ルノアールのガスエンジンはスターリングエンジンの敵とはならなかった。
しかし、その後G.ダイムラーによって1883年「4サイクルガソリンエンジン」が発明され、
さらに1893年R.ディーゼルによって「ディーゼルエンジン」が発明された。これらのエンジンは燃料がガソリンで
あるためガス発生装置が要らず、比較的小型で出力が大きかったため、スターリングエンジンと取って代わっていった。
その後、スターリングエンジンはほとんど完全に世の中から消え去った。
(4)第3期(〜1990年)
第2期でスターリングエンジンは世間から忘れ去られた存在となっていたが、
オランダのフィリップス社は点火プラグを必要としない点からスターリングエンジンの開発を始めた。
このときからスターリングエンジン開発の波は徐々に大きくなり、第3期は開発の全盛期となった。
フィリップス社がこのときスターリングエンジンの開発を始めなければ、スターリングエンジンは完全に世の中から消え、
今現在も忘れ去られた存在となっていたといっても過言ではない。
このフィリップス社に引っ張られるかのように各国がスターリングエンジンの開発に乗り出した。わが日本も例外ではない。
1970年代になるとアイシン精機や日産自動車、運輸省がスターリングエンジンの研究開発に力をいれ、
ダイハツディーゼル、三菱重工、ヤンマーディーゼル、日本ピストンリングなどの会社がそれに参加した。
しかし、この時期の研究は自動車用を目指していたため思うような成果は出なかった。
そこで、1980年代になると自動車用ではなくヒートポンプ用としての開発が行われた。
この視点から本格的な研究開発として、通商産業省のムーンライト計画の一環で行われた。
このプロジェクトには三菱電機、東芝、アイシン精機、三洋電機が参加し、それぞれのエンジンを開発した。
(5)第4期(〜現在)
第3期のスターリングエンジンの開発でも今存在する内燃機関にはコストの面で負けてしまい、
そのマイナス面をカバーするだけの出力が得られず、ほとんどの企業は開発を打ち切ってしまっている。
しかし、これからの社会で環境への配慮の考えが強まれば、無公害に近いスターリングエンジンは内燃機関に負けない
理想の熱機関となると思われる。第4期は再びスターリングエンジンが氷河期となるか、
あるいはスターリングエンジンの復活の時期になるかは、我々の考えに大きく変化する。
<主な人物>
1770年10月25日イギリス、スコットランドのクローグで生まれる。
グラスゴー大学とエジンバラ大学に進み、ラテン語・ギリシャ語・論理学
・数学・形而上学・修辞学を学ぶ。1815年ダンバートンの長老会から
伝道の許可を受け、翌年牧師に任命される。
1819年に結婚し、その5年後にガルストンの教会の牧師となる。
1876年に引退して余生をガルストンで送り、2年後に亡くなった。
1940年にセントアンドルーズ大学から名誉博士号が与えられた。
1803年7月31日スウェーデン、ベルムラントのラング・バン・シッタンで生まれる。
13歳から17歳までゴーダ運河会社で製図工を勤める。
その後依頼されてスウェーデン陸軍に入り、地図の調査に携わる。
1829年蒸気機関車『ノベルティー号』を製作。
1849年世界初の金属船体のスクリュー推進の軍艦『ブリンストン』を作る。
1870年から1885年にかけて太陽エネルギや重力、潮流を動力源として
利用する可能性について研究した。
エリクソンは熱空気機関に生涯関心を持ち、生産した。その晩年は
スターリングエンジンの普及に尽くした。
1889年3月4日ニューヨークにて死去。
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