間近に海峡を望みながら書いたのが
小説『海峡』の下風呂温泉温泉
 青根温泉は 東北本線白石駅からバスで入る。
仙台、山形からのバスの便もあり、宮城蔵王のふもとを目指す。
「氷壁」「おろしや国酔夢譚」など、綿密な取材と
旺盛な作家活動を展開した井上靖の入った下風呂温泉で心を洗う


元気のでる館各地をご案内
青森県下風呂温泉
雪の弘前城
弘前城の夜景
  「下北交通大畑線・大畑駅よリバスで約30分」 
 青森県下北郡風間浦村  下風呂温泉 
井上靖の文学碑や名所・二見岩も近くにある。「氷壁」「おろしや国酔夢譚」など、綿密な取材をもとに旺盛な作家活動を展開した井上靖。昭和30年代は、そんな靖にとって、もっとも多忙な時期であった。このころ書かれた作品のひとつが『海峡』。

物語のクライマックスは本州最北端、冬の下北半島が舞台となる。それぞれにやりきれぬ思いを抱いた3人の男たちが、津軽海峡を行く渡り鳥を見 つめて立ち掻くす。この作品を書くために、靖は昭和33年(1958)3月、下北半島を訪れた。宿泊したのは、下風呂温泉。雪降りしきる下北半島 を取材して歩いて宿に戻ると凍え切った体を硫黄臭の強い温泉で温めた。

 「体の表面から、じわじわと湯が内部に何かって浸透して来る(略)
…ああ、湯がしみて来る。本州の北の果ての海っぱたで、雪降り積もる温泉旅館の浴槽に沈んで、俺はいま硫黄の匂いを嗅いでいる」


作中に読める主人公のそんな感慨は、そっくりそのまま靖の心情であつたのでは・・・・。 弘前城はJR奥羽本線弘前駅より約二キロ 城跡は弘前公園となっている

各地の伝統や自然と溶け合った冬の祭典は旅人を魅了します。
「八戸えんぶり」
「十和田湖冬物語」

 伝統息づく青森の祭り
 「青森冬の三大祭り」の起点となる八戸へ、東京駅から東北新幹線「はやて」で3時間かかりません。

三大祭りとは、「八戸えんぶり」、「十和田湖冬物語」「津軽ひろさき冬の旅」のことで、くにの重要無形民俗文化財「八戸えんぶり」は、豊作祈額の郷土芸能。中でも小さな子供たちによるかわいらしい祝福芸は見る人に感動を与えてくれるでしょう。

十和田潮の美しさを満喫できる一大イベント「十和田湖冬物語」では、青森、秋田県の郷土料理が堪能できるほか、冬花火や湖畔のライトアップを楽しむことができます。さらに弘前を満喫できる「津軽ひろさき冬の旅」。3カ月問のロングランで開催され、中でも「弘前感交劇場」と題して、城下町散策、坐禅や三味線演奏などを楽しめるツアーが人気です。

冬に夏祭りを楽しめる温泉
↓古牧温泉青森屋露天風呂「浮湯」
 青森は夏の祭りでも知られていますが、冬でも体感できるのが、古牧温泉青森屋の古牧温泉青森屋「みちのく祭りや」。

「青森ねぶたなど本物の山車を展示したショーレストランでは、祭嚇子、踊り、民謡、津軽三味線を生で体感しながら郷土食材を堪能していた
だけます」と語ります。

「八戸えんぶり」
2月17日〜22日
「十和田湖冬物語」
1月30日〜2月28日
「津軽ひろさき冬の旅」
  〜2月28日
[観光のお問い合わせ]
青森県観光総合案内所TELO17−734−2500
津軽海峡
井上 靖 (1907−91) 北海道生まれ。
大阪毎日新聞社時代に書いた小説 『闘牛』で芥川賞受賞。
晩年は『本覚坊遺文』『孔子』で、人間の死というテーマに迫った。津軽海峡が広がり、潮の香りと波の音が心を洗う。いまでこそ護岸工事が施され、海との間には国道が走るが、靖の来訪当時は宿の向こう側に自然のままの海岸線が連なっていた。文字通り、間近に海峡を望みながら書いたのが小説『海峡』 だった。
十三湊(とさみなと)は日本の中世から近世にかけて、青森県五所川原市(旧市浦村)の十三湖の辺りにあった湊です。近世以降「じゅうさんみなと」と呼ばれるようになる。「十三(とさ)」という地名自体が、トー・サム(湖・のほとり)というアイヌ語と思われることも、北へとつながるその性格をよく示しています。現在の十三湖は、シジミ取りの小舟が数隻浮かぶ程度。周辺には民家もほとんどなく、ただ砂に覆われている。
なんとも物悲しく寂しい風景……しかし、この地が日本を代表する国際貿易港として、広くその名を世界に知られた時代があった。鎌倉時代から室町時代にかけて、津軽半島は豪族・安藤(「安東」とも)氏の支配する海の王国だった。
現在の十三湊。遠く岩木山を望む
その中心が十三湖、湖岸には安藤氏の居館や商人たちの飴や蔵が建ち並び、人口10万人を数える日本有数の都市だったという。湖も当時は深く、日本海を越えてやってきた大きな交易船が多数停泊していた。

この巨大な汽水湖全体が、日本海の荒波から船舶を守ってくれる最良の停泊地だった。
中国や朝鮮半島からやってくる船は、当時の日本の技術水準では作れなかった精巧な陶磁器を満載して入港してきた。
北海道や樺太から、ラッコの毛皮を運んでくる交易船もいた。

湖岸のメインストリートに並ぶ商家には、各地の産品が並べられ、商人たちがにぎやかに取引する光景が見られたという。
 しかし、この十三湊の栄華は、暦応4年(1341)に起こつた大津波によって、一瞬にして消滅した(最近では戦火原因説が有力)。町は完全に破壊され、その後に体積した砂によって埋もれ、湖も浅くなってしまう。 今はただ静かな湖面に、「十三の砂山ナーヤエー 米ならよかろー」という民謡『十三の砂山』の哀調を帯びた歌声が響くのみ。全盛期の十三湊は日本の北の境界に位置する、西の博多とも並ぶ国際ターミナルだったのです。

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