元気のでる館ホーム > 各地をご案内 > 能登国 石川県の大伴家持
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| 「奥の細道」の旅は、石川県に。 金沢 金沢で芭蕉は俳人の小杉一笑を訪ねるつもりで いたが、一笑は前年に死去していました。 一笑の追善会 が開かれた願念寺には、芭蕉が詠んだ 「塚も動け我泣声は秋の風」 の句碑と、一笑の辞世の句が刻まれた一笑塚があります。願念寺は金沢城跡の南側あたり。 ●願念寺 JR北陸本線金沢駅よりバスで「広小路」 まで15分 小松 芭蕉が詣でた多太神社には、平家物語で知られる 斎藤別当実盛(べつとうきねもり)の兜が保存されている。芭蕉の 「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす」 の句碑は、社殿の左側、松尾神社の前にあります。 ●多太神社 lR北陸本線小松駅より徒歩10分 那谷寺 山中温泉 芭蕉が山中温泉に滞在したのは、七月二十七日か ら八月四日(陽暦九月十日から十八日)までの九日 間。有馬温泉に次ぐ効能があるという山中の湯が気 に入ったようです。 曾良はここで腹の調子が悪くなり、 芭蕉と別れて親戚のいる伊勢へ先に旅立っていった。 温泉街を流れる大聖寺川の黒谷橋のたもとには 芭蕉堂があり、中に小さな芭蕉像が祀られています。 ●山中温泉 JR北陸本線加賀温泉駅からバスで 「山中温泉」まで30分 【大伴家持】の世界 自然と一体になり、愛でる心を持ちながら歌人として生きることを誇りに心を揺さぶる風情を詠んだ万葉歌人大伴 家持。その輝かしい才能を開花させたこの地で偉人の夢とエネルギーに時代を超えて出会うことができます。日本各地の名所旧跡を旅していると時 々句碑に巡り会うことがあります。景勝の地では、その句を口ずさみながら、眺望すると、いっそう旅情が深まるものです。また、歴史有る寺社仏 閣の場合は、その故事を思い起こす、よすがとなったりもします。まして、その句が芭蕉、蕪村、一茶などの江戸期の俳人だったりすると、「あの 人達もこの地に来たのか!」と訪れた名所旧跡が急に権威を帯びたものになるから不思議なものです。昔の歌人達との接点ができたような気にな り、その場所が妙に記憶に止められます。 鳥総(とぶさ)立て船木伐るといふ能登の島山今日見れば木立繁しも幾代神びそ (巻十七−四〇二六) 島総を立てて船材を伐採するという能登の島山よ。今日見ると木立が繁っていて幾多の年月を経て何と神々しいことか 香島より熊来を指して漕ぐ船の楫(かじ)取る間なく都し思ほゆ (巻十七−四〇二七) 香嶋より熊来を目指して船を漕ぐ船頭が、休む間もなく楫を繰るように、絶え間なく都が思われることだ。 妹に逢はず久しくなりねしきし川清き瀬ごとに水占延へてな (巻十七・四〇二八) 妻に逢わず久しく時が経った。饒石川の清らかな浅瀬ごとに水占をしよう。 珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば長浜の浦に月照りにけり (巻十七・四〇二九) 珠洲の海に朝船出をして漕いで来ると、長浜の浦に着いた時には月が照っている。 梯立の熊来酒屋にまぬらる奴わしさすひ立てたて来なましをまぬらる奴わし (巻十六・二二八七九) 【大伴家持】 大伴家持は、746年、28歳で越中国の国守として赴任以来、751年に任務を終え帰京するまでの5年間を、越中国国府(高岡市伏木)で過ごしました。 歌人であった家持は、立山連峰の雄姿をはじめ、さまざまな越中の風物に心をよせたのでしょう「万葉集」の中で472首ある家持の作品のうち、約半分は越中在任 中につくられたものです。氷見地方を題材としたものも32首ほど読まれ、各地にはその名残りとして歌碑・石碑が建てられています。能登国は小国で、養老2年 (718)に越前国から分立、天平13年(741) 越中国に併合、天平勝宝9年(757)越中国より分離、と変遷を繰り返した。越中国に併合されていた時期に、ちょうど越中国守であった大伴家 持が巡視に訪れ、万葉集に残された歌を詠んでいる。 志雄路(しおじ)からただ越え来れば 羽咋(はくひ)の海 朝凪(あさなぎ)したり 船楫(ふねかじ)もがも (巻十七・四〇二五) (意)志雄路を通り山を真っ直ぐに越えてきた、羽咋の海は朝凪している。船と楫が欲しいものだ。氷見から臼が峰を越え石川県羽咋市へ抜ける道が整備され、 頂上からは立山連峰、能登の外海が、七尾湾などが一望できます。万葉集では、この眺望に感動した様子が歌われています。 |
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