寛一がお宮を想い出す清流沿いの質素な宿
栃木県那須郡 塩原温泉は「JR東北本線西那須野駅」 塩原温泉行きバスで50分。
明治時代・大正時代への旅を、「金色夜叉」の文豪・尾崎紅葉が愛用した温泉で
明治・大正のロマンを


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栃木県・塩原温泉・松尾芭蕉
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「JR東北本線西那須野駅」 塩原温泉行きバスで50分 栃木県那須郡 塩原温泉  尾崎紅葉(1867-1903)寛一がお宮を想い出す清流沿いの質素な宿
明治32年(1899)6月上旬、ひとりの男が栃木・塩原温泉にある「佐野屋」という木造3階建ての旅館にやってきた。疲れた体を骨休めするように、この客 は3階の一室に1か月余り逗留した。それからほどなく、読売新聞紙上に次のような「一村十二戸、温泉は五箇所に涌きて、五軒の宿あり。 ここに清琴楼と呼べるは、南に方りて箒川の緩く廻れる磧に臨み、俯しては、水石の・・・」これは人気小説『金色夜叉 』の続続編の一節 。作中、この清琴楼にやってきた貰一が、床の間の山百合を見て、いまは亡きお宮に思いを馳せる。 物語の中の清琴楼は、読めば読むほど佐野屋に重なってくる。 宿の主人が確かめてみると、なんと、あの時の客人こそ、天下に名高い文豪・尾崎紅葉だった。 紅葉は乱していた体調を温泉宿で整え、同時に作品の新たな展開の想を練り、筆を執っていたのだ。宿の名が佐野屋から「清琴楼」と改められた。 明治の昔を偲ばせる質朴の宿。紅葉が滞在したその部屋も往時のままに保存され、愛用の硯や自筆原稿なども眺めることができる。 箒川の川の流れ山々の緑と清流のせせらぎが、心身の疲れを癒してくれる。
奥の細道
芭蕉が西行を慕ったのは、西行もまた武士の出であったため。肉体を持てあますほど強いのも西行と似ています。そこから芭蕉忍者説が・・・。情報調査役は曾良であり、そういう名目があったから幕府は金を出します。旅行中のお金は曾良が持ち歩いています。二人は、なにはともあれ日光へむかう必要がありました。日光では、
時間の過ぎるのも忘れて見とれるため、
陽明門は日暮門とも呼ばれる。日光東照宮 


     あらたうと青葉若葉の日の光      
と詠み。
曾良は「あなたうと木の下暗(しもぐら)も日の光」と詠み、
日光東照宮の威徳をほめたたえます。               
上の句は旅の後半に月山で詠んだ「雲の蜂幾つ崩て月の山」と対になっています。日光に対して月光です。       

 「剃捨(そりすて)て黒髪山に衣更(ころもカさえ)」
と曾良が詠んだ黒髪山は、日光山の主峰男体山のこと。
  
那須の黒羽(くろばね)では借りた馬のあとに六つばかりのかわいい女の子がついてきます。かさねという名の娘でした。芭蕉はそのことに感動して、
   かさねとは八重撫子の名なるべし
農夫の貸してくれた馬の背で、馬の後をついてくる「かさね」という少女かさねという名は、いくえにも花弁が重なっているかわいい八重撫子の名にふさわしい。          
 日光・黒羽を廻ってから、殺生石(せっしょうせき)へ着いたところで、温泉場にある殺生石から毒ガスが噴出して虫がおりかさなって死んでいた。「曾良旅日記」では、芭蕉はここで、

 湯をむすぶ誓も同じ石清水
 と一句献じますが、『奥の細道』本文ではこの句を使っていません。
元禄二年四月十八日(陽暦五月十六日)、芭蕉は那須湯本の温泉宿和泉屋に泊まり、その翌日、温泉神社へ行って、この句を詠みます。湯をむすぶとは、湯を手にとってすくいあげるという意味で、温泉神社の湯をすくっても京都の石清水八幡の水をすくってお祈りするのと同じぐらい御利益がある、と温泉をほめています。
室の八島
 歌枕として知られた室の八島へ芭蕉が参詣したのは三月二十九日(陽暦五月十八旦のこと。室の八島は、大神(おおみわ)神社(または惣社明神)の杉木立の中にある池に浮かぶ八つの島をいいますが、今は水が枯れています。昔、このあたりからは不思議な煙が立ち上っていたといわれ、「室の八島に立つけぶり」は歌人たちにしばしば詠まれてきました。そばには芭蕉の木も茂っていて、散策にはぴったりです。
 日光
 四月一日(陽暦五月十九日)、芭蕉たちは日光に着き、東照宮を拝観しています。
  東照宮宝物館の左側に、小杉放庵筆の「あらたうと青葉若葉の日の光」の句碑がある。
  「暫時(しぼらくは)滝に籠るや夏(げ)の初」
を詠んだ裏見の滝は少し離れているので、バスに乗って「裏見の滝入口」 で下車するのが便利。
●日光東照宮 JR日光線・東武日光線日光駅で下車、バスで「神橋」まで5分
  拝観は9時〜17時。共通拝観券あり
 黒羽
 黒羽に入った芭蕉は、旧知の門人である浄坊寺図書桃雪と翠桃兄弟のもてなしを受けます。
芭蕉の黒羽滞在は14日間に及んでいます。
 那須神社(原文では八幡宮)は、那須与一が源平屋島の合戦で扇の的を射るために祈願をしたと言い伝えられてきて、芭蕉もそう綴っているが、実際に与一が祈願をこめたのは、那須湯本の温泉(ゆぜん)神社です。そのほか、黒羽には常念寺、光明寺跡、西教寺、玉藻神社など、芭蕉ゆかりの名所があります。そこから芭蕉は、参禅の師と仰いでいた、仏頂和尚の山居跡を雲巌寺に訪ねています。この寺は、芭蕉が描いた霊場の雰囲気を濃厚に漂わしています。

黒羽城祉公園に隣接する芭蕉の館を訪ねたい。
館の庭には那須野越えの芭蕉と曾良の銅像があり、館内には芭蕉関係の展示、黒羽藩大開氏の記念室があります。

  芭蕉と曾良の旅姿 ⇔

●雲巌寺 lR東北本線西那須野駅下車、黒羽行きバスで「黒羽町」まで30分。雲敵寺へは黒羽バスターミナルより約30分
●黒羽町に点在する芭蕉ゆかりの寺はタクシーで回るのが便利。
芭蕉の館の見学は8時30分〜17時。月曜休
殺生石
 謡曲の題材となった殺生石に、芭蕉は好奇心をもって立ち寄ったものか・・・。   九尾の狐が絶世の美女に化け、玉藻前(たま、ものまえ)と名乗る。
彼女を寵愛した帝は重い病に伏せり、安倍泰成が妖狐の素性を見破る。
退治された後も執心は毒岩となり、毒気を放って人畜に害を与えたので、「殺生石」と呼ばれるようになった。後に源翁和尚が石にこもる恨みを封じ、ようやく毒気が少なくなった、と語り伝えられている。
今でも殺生石付近は絶えず硫化水素ガスが噴き出ていて、風のない日は小動物にとって危険な場所です。
 殺生石のすぐ近くに温泉(ゆぜん)神社があり、そこから道なりに下っていくと、那須温泉元湯の「鹿の湯」に着きます。
芭蕉もつかったであろう湯の効力にあずかってみましょう。
●殺生石 lR東北新幹線那須塩原駅下車、那須湯本温泉行きバスで「那須湯本営業所前」まで50分。


⇔僕(ビンゴ君)が紹介します(コタ君のペ−ジに間借り中)
                              僕がコタ君です ↓

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