岩手県の山頭火
自然のエネルギ−が持ち主に様々な作用を及ぼすという パワ−ストンの波動やエネルギ−、見えないけれども確実に身の回りに 存在するものを感じ取っていただき体や心の癒しに役立てます
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昭和十一年六月

芭焦の『奥の細道』に関心があって、
その中の一節

「古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて漂白の思ひやまず」

「奥の細道」の旅は、岩手県に。
平泉
平泉は奥州藤原氏の清衡、基衡、秀衡が三代にわたって栄華を極めた地であり平安文化の残照を今に伝えています。
 芭蕉が平泉を訪れたのは五月十三日(陽暦六月二十九日)。まず向かった義経終焉の地・高館で詠んだ
 「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」
の一句はあまりに有名です。山頂の義経堂を詣でてから、下って踏切をわたる手前に卯の花清水が見えます。
竹樋から清水が流れ落ち、曾良の句碑
「卯の花に兼房みゆる白毛かな」
が立っている。そこから徒歩8分ほどで中尊寺の入口に着く。うっそうたる杉木立の道を行くと国宝金色堂。
●高館義経堂 JR東北本線平泉駅から徒歩12分
●中尊寺 JR東北本線平泉駅から徒歩20分

尿前(しとまえ)の関
 平泉を北限に、道をとつて返して、五月十五日(陽暦七月一日)、芭蕉によれば
「なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に越えんとす」とあります。
 陸奥と出羽の国境にあった尿前の関は、取り調べが厳重な開所で、芭蕉と曾良は怪しまれて苦労したようです。
 ようやく関を通って中山越えの山道を通る頃には日はすでに暮れ、二人は封人の家に泊まります。この家は国境を守る役人として、代々庄屋を世襲してきた有路家で、家屋は保存されて重要文化財に指定されています。
 鳴子温泉の湯にもゆっくりとつかって・・・。
●尿前の関 1R陸羽東線鳴子駅より車で5分
●封人の家 JR陸羽東線堺田駅より徒歩5分 入館料250円(4〜11月開館)

岩手県の山頭火
山頭火は芭蕉や一茶、そして西行や良寛についての旅の思索を深くした。
もちろん、芭焦の『奥の細道』に関心があって、その中の一節「古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて漂白の思ひやまず」というのは、また山頭火の思いでもあった。山頭火が芭蕉を意識し、その足跡をたどろうとするのは昭和十年。庵を結んで三年が過ぎていたが、精神的な停滞に我慢できなくなっている。
   昭和十年十二月六日、庵中独坐に堪へかねて旅立つ

  水に雲かげもおちつかせないものがある

 明けて昭和十一年の年頭所感としては、旅日記の冒頭に次のように書いている。
岡山市の親友宅にくつろいでの記述であった。「芭蕉は芭蕉、良寛は良寛である、芭蕉にならうとしても芭蕉にはなりきれないし、良寛の真似をしたところで初まらない。私は私である、山頭火は山頭火である。芭蕉にならうとも思はないし、また、なれるものでもない、良寛でないものが良覚らしく装ふことは良寛を汚し、同時に自分を害ふ。私は山頭火になりきればよろしいのである、自分を自分の自分として活かせば、それが私の道である」山頭火はここに古人の足跡をたどるにしても、それが独自の道であることを確認しようとした。

自己確認の旅へ                            
「一茶の作品は極めて無造作に投げ出したやうであるが、その底に潜んでゐる苦労は恐らく作家でなければ味読することが出来まい(勿論、芭蕉ほど彫心鏤骨ではないが)。 いふまでもなく、一茶には芭蕉的の深さはない。蕪村的な美しさもない。しかし彼には一茶の鋭さがあり、一茶的な瓢逸味がある」
 これは、山頭火の随筆の一節である。芭蕉、蕪村、一茶に対する見解がほのうかがえておもしろい。 昭和十年末に旅に出たときは、いずれにしてもかなりな書物を読んだあとなので、古人の旅が念頭にあったことは間違いない。そして八か月間の旅においては良寛や西行、一茶、芭蕉の遺跡をさぐつている。その旅の経路はおおよそ次のとおり。
 昭和十一年の正月は岡山市で過ごし、そこより東上して一月十三日は奈良に遊び、薬師寺などの古寺を見て歩く」。再び山陽道へと引き返し、一月未には倉敷の円通寺で良寛が過ごした日々をしのんでいる。良寛はここで国仙和尚につき、十七年間も修行したのだ。花崗岩の石庭もある名刹である。

  岩のよろしさも良寛さまのおもひで   山頭火

山頭火(明治十五年〜昭和十五年)が生涯詠んだ句は、あわせて八万四千句にのぼるといわれている。
 「陸中海岸・魚彩王国」宮古
浄土ケ浜

 盛岡駅からは山田線快速で宮古まで2時間ほど。冬の陸中海岸は海の幸に恵まれ、これからは毛ガニが旬。2月22日には「宮古市魚市場(特設会場)」で「宮古毛ガニまつり」が開催されます。市民の台所「宮古市魚英市場」は地産地消の市場です。新鮮な魚介類、朝採れの野菜も人気です。

3月に入れば、春に収穫されることから「花見かき」といわれる、宮古特産の牡蠣が賞味でき、焼きガキや蒸しガキが特にオススメとのこと。
 宮古駅からバスで20分ほどの「陸中海岸国立公園」を代表する「浄土ケ浜」は、霊鏡和尚が「さながら極楽浄土のごとし」、と感嘆したことからその名がついたほどの絶景ボイント。
「冬の海は透明度が高く、たくさんのウニ、ワカメの姿を目の当たりにできます」と、地元では言われます。
とても温まると好評の「塩水露天風呂」で、浄土ケ浜の絶景を一望するのも、旅の醍醐味といえそうです。 
冬だからこそ訪れてみてはいかがですか。
⇔宮古市魚菜市場
[観光のお問い合わせ]
岩手県商工労働観光部観光課TELO19−629−5574
 【宮沢賢治】の世界
 「雨ニモマケズ」、「風の又三郎」、「銀河鉄道の夜」などたくさんの名作を遺した宮沢賢治。
 明治29年(1896年)花巻で生まれました。
 盛岡高等農林学校卒業後、花巻農学校の教師として農村子弟の教育にあたる。
 多くの詩や童話の創作を続け、30歳の時に農学校を退職します。
 農民講座を開設、青年たちに農業を指導しました。
 昭和8年(1933年)9月21日・・・病に倒れ、37歳の若さで永眠しました。
 宮沢賢治は、童話と詩が有名ですが、教育者であり、農業者でもあり、多方面に活躍。
  (天文・気象・地理・歴史・哲学・宗教・化学・園芸・生物・美術・音楽にと精通)
〔雨ニモマケズ〕
 雨ニモマケズ   風ニモマケズ

   雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

   丈夫ナカラダヲモチ

   慾ハナク   決シテ瞋ラズ

   イツモシヅカニワラッテヰル

   一日ニ玄米四合ト

   味噌ト少シノ野菜ヲタベ

   アラユルコトヲ

   ジブンヲカンジョウニ入レズニ

   ヨクミキキシワカリ

   ソシテワスレズ

   野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

   小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

   東ニ病気ノコドモアレバ

   行ッテ看病シテヤリ

   西ニツカレタ母アレバ

   行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

   南ニ死ニサウナ人アレバ

   行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

   北ニケンクヮヤソショウガアレバ

   ツマラナイカラヤメロトイヒ

   ヒデリノトキハナミダヲナガシ

   サムサノナツハオロオロアルキ

   ミンナニデクノボートヨバレ

   ホメラレモセズ  クニモサレズ

   サウイフモノニ  ワタシハナリタイ
〔きみにならびて野にたてば〕
   
   きみにならびて野にたてば、  風きららかに吹ききたり、

  
   柏ばやしをとゞろかし、    枯葉を雪にまろばしぬ。


   げにもひかりの群青や、    山のけむりのこなたにも、


   鳥はその巣やつくろはん、   ちぎれの艸をついばみぬ。

  賢治
〔ひとはすでに二千年から〕

        一九二七・七・二四

ひとはすでに二千年から

地面を平らにすることと

そこを一様夏には青く

秋には黄いろにすることを

努力しつゞけて来たのであるが

何故いまだにわれらの土が

おのづからなる紺の地平と

華果とをもたらさぬのであらう

向ふに青緑ことに沈んで暗いのは

染汚の象形雲影であり

高下のしるし窒素の量の過大である

         宮澤賢治
   「絶筆短歌」
 方十里 稗貫のみかも
    稲熟れて み祭三日 そらはれわたる      賢治

 病(いたつき)のゆゑにもくちん いのちなり
    みのりに棄てば  うれしからまし         賢治

 賢治は300種類もの植物を題材とした作品を世に出したが、その約半数は稲の歌という。
 のちに「絶筆」と呼ばれることになる上記二つの短歌も又、稲の歌でした。
 1933年9月17日から19日までの三日間、花巻の町はこの鳥谷ヶ崎神社の祭礼でにぎわいました。
 この年は、稗貫地方は空前の豊作にわいていました。
病床にあった賢治は、神輿や人のざわめきを我が事のように喜んだでしょう。

 9月19日、祭りの最終日も快晴でした。
 賢治の心も秋晴れのようなさわやかな心境を二首はみせます。 
 9月20日の夜7時頃、ひとりの農民が肥料相談に訪れました。
 賢治は、「そういう用ならぜひ会わなくては」と言って、彼は服を着替えて二階から降り、ていねいに話を聴きはじめました。1時間あまり話をし、疲弊しきった賢治は弟の清六氏に抱きかかえられて階段を上がり、二階でやすみました。翌9月21日、生涯を農民の友として生きた賢治はこの世を去りました。
  その後も 賢治の歌は 多くの人に感動を与えます・・・・。

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