元気のでる館ホーム万葉の世界巡り > 万 葉 集
(草木を歌う・想いを草木にたくして歌う)
ほととぎす 待てど来鳴かず
あやめ草玉に貫く日を
いまだ遠みか
大伴家持巻八−一四九0
「ほととぎすがもう来る頃だ、早く鳴かないかなあと待っているのに一向にこない。菖蒲を薬玉にするため糸に通す日がまだ遠いからかな 」五月五日に菖蒲や蓬を玉にして飾り糸でかがり、薬玉を作ってやりとりする風習はすでに天平時代にはあったよう。菖蒲の葉の形が剣に 似ているのと、すがすがしい香りが魔除けとされたもの。
「あやめぐさ」の現代名はショウプ。あやめぐさに対し、アヤメと呼ぶ植物がある。アヤメはアヤメ科 に属し、ショウプはサトイモ科であって、全くの別種。ショウプの花は観賞価値はなく、葉がたくさん並び、あや目を作るのが語源という 。アヤメ科に属するハナショウプ、カキツバタ、アヤメなどの花はいずれも美しい。ショウプは葉に芳香があるのが特色、芳香よって病魔 を打ち払い、災厄から逃れられるという信仰が古くからあり、端午の節句の前夜には軒先に菖蒲の葉のたばねたものをつるし、風呂に菖蒲 の葉を入れて菖蒲湯として人浴する習慣がある。 この風習は中国から伝えられたもので草を小さく切ってひもに通したものを身につけた が、万葉人は「ほよ」「たちばな」「もぐさ」など縁起のよいものや芳香のあるものがことのほか好き。
行妹が見し あふちの花は
ちりぬべし わが泣く涙
いまだ干(ひ)なくに
山上憶良 巻五−七九八
あふち(センダン)と書いてオウチと発音する。
薄紫の小花が集まって花かんざしのようになって樹の梢を彩るのはたいそう美しいが、すぐはらはらと散る。この歌は上司であった大伴旅人の妻が亡くなった折、山上憶良が旅人の、心情を推測して詠んだ長歌「日本挽歌」に添えられた反歌の一つ旅人は九州に、愛妻は大和に遠く離れたままの永別であった。はるかな大和の邸を遠く想う他はない旅人の心情を歌って哀切である
センダン センダン科
四国、九州の海辺、川べり、山地などに分布しています。高さは15メートルほどになり、公園樹や街路樹、建築・器具材として、また果実や樹皮は薬用に利用されます。5月から6月ごろ、葉腋から集散花序を出し、淡紫色の小さな花をいっぱい咲かせた後で1−2センチの果実をつけ、これは漢方薬になるそうです。また、「栴檀は双葉より芳し」にいわれる「センダン」は白檀(びゃくだん)のことで、この種ではありません。
沫(あは)雪か はだれに降ると 
見るまでに 流らへ散るは
何の花ぞも
駿河采女 巻八−一四ニ○
「沫雪かしら、はらはらと降ってくる雪と見まちがえるように、次々に流れて散って来るのは何の花かしら」と天平時代の宮廷に仕える駿河采女は初々しい歌を詠んでいます。 「何の花ぞも」と言っているものの、実は采女は知っている。それが白い梅の花びらだということを。 
当時、梅は中国から入ったばかりで、天平の人々が愛した中国渡来の白梅。宮廷や貴族の邸に庭木として植えられ始めた頃です。同じ『万葉集』の中でも、柿本人麻呂の時代にはまだ梅は登場しません。花の名も中国名の「梅」が少し訛って「むめ」などと呼ばれる純輸入種の新しい花木でした。それに、そのころはほとんどが「白梅」で、よく「雪」に喩えられ、駿河采女にとっては、まだ梅は珍しく、遠く東国から上京して、ようやく都風の暮らしに馴れ、はらはらと風に散る白梅は、たいそう新鮮に見えたのです。
春の野に すみれつみにと
こし吾ぞ 野をなつかしみ
一夜宿(ひとよね)にける
山部赤人 巻八−一四二四
古くは「すみれ色」といえば濃い紫を指していたという。食用にもなったため、この歌は春先の菜摘みの歌であるともとれ、また若い女性を意味する比喩だという説も。山部赤人は万葉歌人の中でも柿本人麻呂と並び称される有名歌人であるが、とくに叙景歌の名手として知られる。「春の野にすみれを採みにきた私は野のなつかしさに思わず一晩を過ごしてしまった」すみれに野中に住む「うら若い女性」をなつかしむ。
すみれは西欧から来た花のように思われがちだが、古代から野の花として親しまれていた。在来種は長葉で、花は濃紫。春の野に咲く可憐なすみれ(スミレ科)は日当たりのよい山野や道端などに生える宿根草でその仲間は日本産だけで数十種ある。花の形が昔、大工さんが使っていた墨入れに似ているのが語源。当時の貴族はスミレの気品を愛し、スミレの可憐さを眺めたり、食膳に添えるため春にはこぞって野にくり出し、スミレ摘みに・・・。
ささの葉は み山もさやに
乱(さや)げども 吾は妹おもふ
別れ来ぬれば
柿本人麻呂 巻二−一三三
「私の行く笹山は全山さやさやと風にそよいでいるけれど、私はただひたすら、妻を思っていることだ」石見の国から上京するときの歌の一つで、風に鳴る笹の音が歌の中に響いているようなすばらしい歌。荘重な歌が多く、ここでも、妻を思う甘美な気持とともに、清らかな笹山の風音が透き通るように捉えられて哀愁がつのる。
ささ イネ斗。
ひと□にササといってもネマガリタケ、クマザサ、ヤダケ、アズマザサなどその種類は豊富だ。代表種のクマザサは庭園に栽植されることが多い。「ささ」と「たけ」の区別は、具体的に区別され、成長後に幹から皮をおとすものをタケ、皮を幹につけたままのものをササと呼ぶそうで、 そのためにメダケの名がついていてもササの部類にオカメザサのようにササの名がついながらタケの部類に入るものもあるそうで、専門の方でないとその分類はまことにむずかしい。
み熊野(くすの)の 浦の浜ゆふ
百重なす心は思へど
直にあはかも
柿本人麻呂 巻四−四九六
はまゆうは浜木綿と書き、暖国の海岸に自生する。熊野の海岸線にはことに多い。ゆふは、楮の繊維を水にさらして白い糸状にして神事に使う木綿(ゆう)のことで、浜木綿はそれによく似た白い花を咲かせるための命名。
 「熊野の浦の幾重にも重なり合った浜木綿のように、あなたのことを何十回も思い出しているが、なかなか逢えないものだ
人麻呂らしい重厚で古代的な響きがある。熊野のみは美称。
ハマオモト ヒガンパナ科
房総半島を北限とし、海岸の砂地に生える多年草。丈は80センチ七月未−八月にかけ茎の先端に十数個の純白の花を咲かせる。はまゆうの現代名はハマオモトが正式の名。この歌があまりにも有名であることから一般にはハマユウの名で通用している。はまゆうの名に使われている「ゆふ」とはコウゾの皮の繊維で作った和紙、あるいは布をいう。この「ゆう」は白色であるからこれを天日で乾かしている光景と、ハマユウの白花の群落風景がよ〈似ていることから浜の木綿と名づけられた。ハマユウの種子はコルク質で割れにくく、乾燥にも強い特質を持つ。一説にアフリカのコンゴ河の上流に生えているハマユウの種子が流れインド洋に出、強い季節風に運ばれて南太平洋に漂着し、それが黒潮に乗り日本の太平洋沿岸にという「原産地はアフリカ説」も。熱帯地方から黒潮に運ばれ、南九州、南紀、志摩、南伊豆、南房総などに漂着し、そこで自生したのは明らか。
さすすみの 栗栖の小野の  
萩の花 散らむ時にし
行きて手向けむ
大伴旅人 巻六−九七〇
この萩の歌を詠む頃の旅人は、すでに病驚くとても遠出は無理でしたが、「萩の花の散るころには、・・・・。」と歌いました。
 そして大伴旅人(おおとものたびと)は、太宰府から上京後まもなく亡くなりましたが、そのころの歌といわれます。
ハギ マメ科。 ミヤギノハギ、ヤマハギ、マルバハギ、キハギなど種類が多く、観賞用として庭園に植えられることが多い。多〈の歌に詠まれている。それは細い茎に赤や白の小花を群がり咲かせる姿が可憐で日本人好みの花であること、春に比べると花の少ない時期に咲くこと、詩情を誘う姿で黄葉することなどがおもな理由だろう。はぎの仲間のうちで最も美しい花姿で人びとを魅了するのがミヤギノハギ。このハギが当時すでに発見されていたかどうか不明だが、その存在が知られていたとすれば恐らく貴族階級の邸内には絶植えられていたことだろう。
うち上る 佐保の河原の
青柳は 今は春ベと
なりにけるかも
大伴坂之上郎女 巻八−一四三三
坂上郎女は「万葉集」編者の大伴家持の叔母。
「川に沿って上っていくと柳が芽を吹きすっかり春になったこと」(あなたが見ているだろう佐保路の柳を、せめて手折った枝だけでも見せてほしい)という歌と並んでいる。これは佐保を離れたときの歌であろう。なよやかな春の柳が目に浮かんでくる。
シダレヤナギ ヤナギ科。
中国原産の落葉高木で幹は黒っぽい灰色、縦に裂け目がある。早春、葉が伸び切らないうちに黄緑色をした花を咲かせる。別名イトヤナギ。 万葉集には 「やなぎ」 と 「かはやなぎ」 の二種類のヤナギが登場するが前者はシダレヤナギ、後者はネコヤナギを指している。 当時の貴族階級が春の訪れを喜んでシダレヤナギの小枝かずらとして髪の毛にさしたり、手に持って都大路を行き来することが流行したためである。
夏の野の 繁みに咲ける
姫ゆりの 知らえぬ恋は
苦しきものぞ
大伴坂上郎女 巻八−一五00
「夏の野のしげみにそっと咲く姫百合のように、人に知られない恋は、ほんとに苦しいものです」と坂上郎女は歌っている。
姫百合はふつう野に咲く紅い百合をいうが、「万葉」にはここ一首しかなく、むしろ大和地方に多い簿紅の「ささゆり」の万が紅の印象に似つかわしい。
大和地方に最も多く見られるユリはササユリとヤマユリが挙げられる。 ことにササユリは万葉人にとって緑の深い花なのです。奈良市本子守町にある率川(いさかわ)神社で万葉時代より今も連綿と続けられているという三枝(さえぐさ)祭りの主役となるのが三輪山に産するササユリの花なのです。  毎年六月十七日に催されるこの祭りは一名ゆり祭りと呼ばれており、三輪山からわざわざ取り寄せせたササユリの花を酒壷に飾って神前に捧げるとともに数人の巫女がササユリの花をかざして舞を奉納するという優雅な祭りです。
わすれ草 わが紐に付く
香具山の 故(ふ)りにし里を
忘れむがため
大伴旅人 巻三−三三四
「わすれ草を衣の紐につけることだ香具山のあのなつかし里のことをひとときでも忘れていたいために」 と歌う大伴旅人。
当時都は飛鳥から奈良の新しい都へ移り、役人たちも皆都に住むようになった。遠い古里が忘れられないのである。わすれ草はを紐につけると憂いを忘れるとされ、恋忘れ草ともよばれる。この場合は上衣の紐であろうが、下紐につけることもあった。
わすれ草 ユリ科 わすれぐさの現代名はカンゾウ。全国各地の原野に自生し、ことに溝近くを好んで生える多年草。カンゾウには一重咲きのノカンゾウ、八重咲きのヤプカンゾウ、マカンゾウがある。「わすれぐさ」は忘憂草とも呼ばれるがその起源は中国に。『延寿書』という本に「この草の苗を食べれば風を動かし人をして陶酔したごとくならしむ、よって忘憂と名づく」とあって忘憂すなわち忘れ草と呼ばれる。この植物がカンゾウ(萱草)で、この話が日本に伝わると万葉人たちはこれはおもしろいと、憂いを忘れるためにカンゾウの花や茎を身につける風習となった。憂いや苦しみを忘れさせてくれるといってもこれは医学的根拠が全くない一種のまじない。
わが屋外(やど)に 蒔きしなでしこ
いつしかも 花に咲きなむ
比(なそ)へつつ見む
大伴家持 巻八−一四四八
「私の庭に蒔いたなでしこは、いつになったら花が咲くのだろうか、 咲その花を可憐なあなたにいたらになぞらえて見よう。待ち遠しいことだ」 ここでなでしこになぞらえられているのは大伴家持の妻となる坂上大嬢である。
しかしこの時、大嬢はまだ十三才くらい。
幼馴染でも、従妹(いとこ)でもあった。なでしこは「撫でし子」として可愛子を意味する花でもあった。
ナデシコ ナデシコ科
 別名は「大和撫子」ですが,「唐撫子」とも呼ばれ、全国の山野に自生する。  花期は夏〜秋。
 秋の七草の一つです。またの別名をカワラナデシコ(河原撫子)ともいうように本来は日当たりのよい河原や山野にありますが,最近では園芸品種も多いようです。やはり日本人好みなのでしょうかた。別名:カワラナデシコ(河原撫子)・ヤマトナデシコ(大和撫子)前者は河原に、後者は姉妹種の(唐)ナデシコに対し日本を意味する大和をつけたもの。
屋み吉野の 玉松が枝は      
愛しきかも 君が御言を
持ちて通はく
額田王  巻二−一一三
持統女帝の治世下、額田王は静かに老いて余生を送っていました。女帝のお供で吉野宮に行っていた弓削の皇子は、さるおがせ(苔の一種)のついた松の枝を折って、額田王の許に届けました。まだ年若い弓削皇子は、亡き父天武帝の恋人であった額田王が孤独なのを思いやり、慰めのたよりと共に届けてきたのです。大歌人額田王への敬愛の気持と共に。額田王は、お礼の歌を。「み吉野の美しい松はほんとうにいとしいこと。あなたさまのやさしいお言葉を持って運んでくれたと思いますと……」 儀礼的な返歌とはいえ、老年の額田王のおだやかな表情がみえるようです
マツ マツ科。  マツにはたくさんの種類があるがその代表種はクロマツとアカマツ。マツの形態から前者をオマツ、後者をメマツと呼び、日本の風景には欠かせない樹木。 「まつ」は日本の自然景観のなかで最も重要な役割りを持つ樹木だけに集中には数多い歌が詠まれている。ほかの樹木に比べて群を抜いていることからしても「まつ」は古代から日本を代表する樹木であったことは明らか。 全国各地で見られるマツの仲間にはクロマツ、アカマツ、ゴヨウマツ、カラマツ、ハイマツなど各種のマツがあるが、集中に登場するマツのほとんどはクロマツ、アカマツと考えられる。
わが屋外(やど)に もみつかへるで
見るごとに 妹を懸けつつ
恋ひぬ日は無し
大伴田村大嬢 巻八−一六二三
現代ではもみじは名詞しかないが、古代では秋になって葉の色の変わるのを「もみつ」と動詞で使っていた。かへるでは蛙手で楓の葉の形が蛙の手に似ている所から出ている。「私の庭で色づいていく楓のもみじを見るごとに妹のあなたを思わぬ日はありません」田村大嬢は大伴宿奈麻呂の娘で異母妹の坂上大嬢(家持の妻)に贈った歌。二人は大変仲が良かった。
力工デ 力工デ科。
力工デの仲間にはタカオモミジ、ヤマモミジ、ハウチワカ工デなど多種がある。その中で夕カオモミジは別名をモミジと呼び、紅葉の美しさは随一を誇る。「もみち」 とは紅葉、または黄葉を意味し、万葉集にはじつに多くの歌に詠みこまれている。現代は 「もみじ」 といえば黄葉よりも紅葉が主役となっているが、万葉時代は黄葉のほうが主流であったようで「もみち」を題材とした歌のほとんどが 「黄葉」 の文字を使用しているのが特色。赤色を意味する「紅」とか、「赤葉」の文字を用いているものは少ない。
石(いは)そそく 垂水(たるみ)の上の
さわらびの 萌えいづる春に
なりにけるかも
志貴皇子 巻八−一四一八
「歓びの歌」として名高い歌ですが、これは単純な春の歓びの歌ではないのです。こののびのびとした、溢れるような息づかい、それは、長年抑圧されてきた女帝の翳からようやく解き放たれた、そのよろこびに満ちているのです。その歓びが、早春の光といっしょになって、現代人の心にもみずみずしい感動を伝えて来るのです。花ではなく地味なわらびを発見した喜びに・・・
ワラビ ウラボシ科
全国各地の野山に生える多年草で丈は50センチ以上となる。
早春に伸び始めた茎を採って食用とするほか、根をつぶしてでん粉を取る。恐らくワラビは当時すてに山菜として万葉人に食されていたと思われるのにここにしか歌われていないのは?
志貴皇子は天智帝の皇子で、壬申の乱の後は姉に当たる持統女帝の下にいましたが、少しでも目立てば生命も危うくなりかねません。大津皇子の例もあります。鳴かず飛ばず、じっと我慢して生きて釆たのでした。持続女帝が崩御した後、はじめて迎えた早春、志貴皇子は上の歌に詠んでいます。
磯の上に 生ふるあしびを 
手折らめど見すヾき君が 
ありといはなくに
大来皇女 巻二−一六六
伊勢斎宮大来皇女と大津皇子は仲の良い姉弟だった。天武帝の御子大津皇子は、本来なら次代の皇太子になるはずだつた。しかし、あまりにも人望があるので、わが子を皇太子にしたい持統女帝に睨らまれ、追い詰められて自ら死を選ぶ。春、水辺に白い花を垂れて咲く馬酔木(あしび)の花を見て、皇女の悲しみは深く、吐き捨てるように強い口調となった。弟を悼む切々とした気持が時を超えて伝わってくる。「岩の上に生えている馬酔木(あしび)を手折ろうと思うのだけれどもみせたいと思う弟はこの世にいるとは誰もいわないこと」
アセビ ツツジ科。北海道を除く各地の山に生える常緑の低い木で高さは3mくらい。有毒植物なので毒性を利用して昔は菜園に使う殺虫剤として用いた。「あしび」 とはアセビのことである。いつの時代にかなまってこう呼ばれるようになったもの。漢字は馬酔木という字を用いるが、これはアセビが全草にわたって毒草草であり、馬が誤ってこの葉を食べると中毒症状を起こし、ふらふらとなり酒に酔ったようになるということです。
奥山の しきみが花の      
名のごとやしくしく君に 
恋ひわたりなむ
大原今城 巻二十−四四七六
「しきみの花の名のようにしきりにあなたを恋いつづけるでしょう」ということで、「しくしく」後から後から絶え間なく、の意味。しきみは春、半透明の美しい黄花を開き、たいへん良い香りがします。
古代には神前にも用いられた。大原今城は天平時代の役人で、家持と親交があり万葉集の資料集めに力を添えたという。
シキミ(樒)  シキミ科  
シキミといえばお盆のお墓参りのときや、仏前、神前にも用いる花の中に必ずありましたが,それにこのような花が咲き実がなることは知りませんでした。実の中に茶色い種がはいっていますが有毒です。

春日野に 煙立つ見ゆ 
少女らし 春野のうはぎ
採みて煮らしも
 作者未詳 巻 十−一八七九
「春日野に煙の立っているのが見える。少女たちが春の野に出てうはぎを採んで煮ているようだ」歌をみると、摘んだうはぎ(嫁菜)を、その場で煮て賞味した様子もわかります。野に出て若菜を摘む「野遊び」「若菜摘み」は古くからの習慣で、冬の間のビタミンCの不足を補う知恵でもあったでしょう。また、春とともにうきうきする青年たち娘たちのたのしい出会いの場でもあったのです。 「うはぎ」を詠んだものはこの歌以外に  妻もあらば採みてたげまし佐美の山野の上のうはぎ過ぎにけらずや  柿本人麿(巻二−二二一)の歌が一首登場するのみ。どちらの歌も「うはぎ摘み」の情景を、うたいあげているが、ここに登場する「うはぎ」とは現在、ヨメナと呼ばれている植物。
ヨメナ キク科 ヨメナの花は秋十月頃に咲く。
関西の山野の草地や田圃のヘリなどに生える多年草で草丈は1mくらいとなる。シラヤマギクをムコナと呼ぶのに対してついた名。  ヨメナはユウガギク、ノコンギク、ヤマシロギク、シラヤマギクなどとともに一般には野菊と呼ばれる。 ヨメナの若芽はやわらかく非常に美味。「うはぎ摘み」が歌に詠まれていることから、万葉人もこの美味はよく承知していたようです。野菜類がぶんだんにある現代ではヨメナ摘みをする人は少ないが、まだ野菜などほとんど無かった万葉時代においては「うはぎ」を摘んで食べることは最高の喜び。
巨勢山の つらつら椿 
つらつらに見つつ思(しの)ばな
巨勢の春野を
坂門人足 巻一−五四
万葉時代の椿は今いうヤブツバキ。ヤマツパキの自生種で、鮮紅の花をたくさんつける。濃い緑の葉と紅色の花の対比が美しく、古代人たちに愛された。椿は点々と連なって咲く様子。巨勢山の山椿を見て、春野の椿を連想したのである。口調がよくてたのしく、たぶん即興の歌なのだろう。巨勢は今の吉野口あたり。「今は秋。名高い巨勢山の椿も、あいにく花をつけていないけれども、せめて連なっている椿の木々のたたずまいだけでもつくづくと見て、花が咲き競う美しい春の景色をしのぼうよ」
つばき(ヤブツバキ) ツバキ科。種子から油、灰は紫染めに。北海道を除く全国各地の海岸近くの山地に自生する常緑の高木。伊豆大島、利島、五島列島などの暖地には樹齢数百年の老樹もある。春を代表する花として木に春を加えて作られた漢字「椿」の文字を与えられている花。うたわれているツバキは海岸地方を中心に自生しているヤプツバキ(別名ヤマツバキ)のこと。ツバキの名は厚葉木がなまってツバキとなったという説や、葉につやがあるために艶葉木から変化したとする説などがあり、厚い葉がてらてらと光り輝いているのが特徴である。 日本には黒潮の影響を受ける海岸線(とくに太平洋岸)にヤプツバキ、日本海側の山形、新潟地方にユキツバキという二種類のツバキの自生が見られ、『万葉集』に登場するつばきの種類は大和地方にもたくさんの自生が見られるヤプツバキ。
戯奴(わけ)がため 我が手もすまに
春の野に 抜ける茅花ぞ
食して肥えませ
紀女郎 巻八−一四六0
茅花(つばな)は初夏のころ、光る綿花をつけ、風にゆれてたいそう美しい。つぼみのうちは食用になる。食べて肥るほどの栄養価の高いものとも思えないが、紀女郎はこれを摘んで、仲良しの家持に贈ったのである。「こらこら痩せっぽちの奴、お前さんのために、私の手で忙しく抜いた茅花です。さあ、これを食べて少しはお太りなさいな、みっともないよ」夫の安貴王が他の女性と恋愛事件を起こすなど苦労した人だが、家持とは気を許して戯れ合える間柄の良き友であった。
たつばな(チガヤ)イネ科。
日当たりのよい山地、原野、海岸などに群生を見せる多年草で、丈は五〇センチ内外。干(叢生する状態を表わす)なるカヤというのが語源。チガヤは五月末頃、銀色をした花穂をつけるが、これが茅花。この「つぱな」には、かすかな甘味があり、学校への通学の途中でこれを摘み取り、しばらくかんでからはき出していた。この「つばな」を紀女郎が詠み、下記の返歌となります。当時、すでに「つばな」を食べる風習があり、紀女郎が「つばな」を食べて太リなさい。とからかっているのに対し、家持はあなたに恋しているので食べても痩せに痩せてしまいましたと返しているのが楽しい。
我が君に 戯奴は恋ふらし
賜りたる 茅花を食めど
いや痩せに痩す
大伴家持 巻八−一四六二
家持はうやうやしく答えて言う
「ありがたきしあわせ・・・。いやどうも、その戯奴め(わたし)はお情け深い御主人さま(あなた)に恋をしているらしいです。 賜わった茅花を食べても痩せる一方でして」と、お互にふざけて贈答のできる間柄です。しかしチャンスをとらえ、たくみに恋の告白にもちこんだ家持の勝利か・・・
尾花 葛花 なでしこ
萩の花 尾花葛花 なでしこの花
女郎花 また藤袴 朝顔の花
山上憶良 巻八−一五三八
山上憶良が秋の花を詠んだ二首のうちの一首で「秋の野に咲きたる花を指折りてかき数ふれば七種の花」に次いでこの歌が出てくる。
五七七五七七の形をもつ施頭歌で、七種の花を並べてあるだけなのに秋の美しい情景が眼に浮かんでくる。「朝顔の花」については、桔梗などを含んでいるという説もある
女郎花 藤袴 朝顔
 万葉人は自然に溶け込み、その一部となり、畏怖し、愛した
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