元気のでる館万葉の世界巡り > 万 葉 集
(自然を歌う・生き物や草木に想いをたくして歌う)
籠(こ)もよみ籠持ち 掘串(ふくし)もよ
 み掘串もち この丘に菜摘ます子 
家聞かな 名告(の)らさね そらみつ
大和の国は おしなべて 吾こそ居れ
しきなべて吾こそ坐(ま)せ
我こそは 告(の)らめ 家をも名をもの
雄略天皇    巻一−一
大泊瀬稚武天皇(おおはつせわかたけのすめらみこと) 
『万葉集』の最初を飾るこの歌は、泊瀬朝倉宮に宮処(みやこ)があった雄略帝の時代、天皇の御製と伝えられています。「籠を、美しい 籠を持って、掘串を、美しいへらを持って、この丘に山菜を摘んでいる娘さん、家はどこ? 名は?。この美しい大和の国は、私が治めている ところ。私は名告りましょう、家の場所も、名前も」
世の常に聞けば苦しき
呼子鳥声なつかしき
時にはなりぬ
大伴坂上郎女 巻八−一四四七
呼子鳥(カッコウ)
春の野に あさる雉(きぎし)の 
妻恋ひに 己があたりを
人に知れつつ
大伴家持 巻八−一四四六
玉藻刈る  唐荷の島に 
島廻する 鵜にしもあれや
家思はずあらむ
 山部赤人   巻六−九四三
夏野行く 小鹿の角の
束の間も 妹が心を
忘れて思へや
 柿本人麻呂 巻四−五0二 
言しげき 里に住まずは
今朝鳴きし 雁にたぐひて
行かましものを
但馬皇女   巻八−一五一五 
心なき 鳥にぞありける
ほととぎす 物思ふ時に
鳴くべきものか
中臣宅守 巻十五−三七八四
夕月夜 心もしのに      
白露の おくこの庭に
こおろぎ鳴くも
湯原王  巻八−一五五二
松浦川 川の瀬光り
鮎釣ると立たせる妹が
裳の裾濡れぬ
 大伴旅人 巻 五−八五五 
わが宿の 花橘に
ほととぎす 今こそ鳴かめ
友に逢へる時
大伴書持 巻八−一四八一
秋の田の 穂向きのよれる
片寄りに 君に寄りなな
言痛かりとも
但馬皇女   巻二−一一四 
梅の花咲ける岡辺に
家居れば乏しくもあらず
鴬の声
作者不詳 巻 十−一八二〇
鶉鳴く 古家と人は
思へれど 花橘の
にほふこの宿
大伴家持   巻十七−三九二0 
玉梓の 使いの言えば
蛍なす ほのかに聞き手
大地を 炎と踏みて
作者不詳 巻 十三−三三四四 
燕来る時になりぬと
雁がねは国偲ひつつ
雲隠り鳴く
 大伴家持  巻 十九−四一四四
馬柵(ませ)越しに 麦食(は)む駒こまの
罵(の)らゆれど なほし恋しく
思ひかねつも
作者不詳 巻 十二−三〇九六
屋み吉野の 玉松が枝は      
愛しきかも 君が御言を
持ちて通はく
額田王  巻二−一一三
春されば 百舌鳥(もず)の草ぐき
見えずとも われは見やらむ
君があたりをば
  作者不詳 巻 十−一八九七
わが屋外(やど)に もみつかへるで
見るごとに 妹を懸けつつ
恋ひぬ日は無し
大伴田村大嬢 巻八−一六二三
草香江(くさかえ)の 入江にあさる
葦鶴(あしたづ)の あなたづたづし
友なしにして
 大伴旅人 巻 四−五七五 
石(いは)そそく 垂水(たるみ)の上の
さわらびの 萌えいづる春に
なりにけるかも
志貴皇子 巻八−一四一八
近江(あふみ)の湖 夕波千鳥
汝(な)が鳴けば 心もしのに
いにしへ思ほゆ
 柿本人麻呂 巻三−二六六 
瓜食めば子ども思ほゆ 栗食めば
まして偲はゆいづくより来りしものそ
眼交(まなかひ)に もとなかかりて
安眠(やすい)し寝(な)さぬ
山上憶良 巻五−八0二
銀(しろがね)も金も玉も何せむにまされる宝 子にしかめやも 同五−八0三  山上憶良
水鳥の 鴨の羽色(はいろ)の
春山の おぼつかなくも
思ほゆるかも
笠女郎  巻 八−一四五一
うらうらに照れる春日に
ひばり上がり心悲しも
独し思へばが
大伴家持 巻十九−四二九二
紫陽花(あじさい)の 八重咲くごとく
八つ代にを いませ我が背子
見つつ思(しの)はむ
橘諸兄 巻二十−四四四八
あきづ羽の 袖振る妹を     
玉櫛笥(たまくしげ) 奥に思ふを
見たまへ我が君
湯原王  巻三−三七六
蓮とトンボ
春の苑(その) 紅匂ふ  
桃の花 下照る道に 
出でたつ処女(おとめ)
  大伴家持 巻十九−四一三九
巨勢山の つらつら椿 
つらつらに見つつ思(しの)ばな
巨勢の春野を
  坂門人足    巻一−五四 
昼は咲き 夜は恋ひ寝る
合歓木(ねぶ)の花 君のみ見めや
戯奴(わけ)さへに見よ
紀女郎  巻八−一四六一
降る雪は あはにな降りそ     
吉隠(よなばり)の猪養(ぬかい)の岡の
寒からまくに
穂積皇子  巻二−二0三
新しき 年の始めの
初春の 今日降る雪の  
いやしけ吉事(よごと)
大伴家持 巻二十−四五一六 
雄略天皇の「籠もよ み籠持ち・・・」の歌で始まる『万葉集』全二十巻四千五百十六首の最後を飾る歌。
家持はこの時四十二歳。以後六十八歳で亡くなるまで、この歌を最後に家持の歌は残っていません。いくつかの歌を作ったであろうといわれますが、世間に発表されなかったのか?「新年早々から雪とは、なんとおめでたいことであろうか。降りつもる雪のように、いいこともどんどん重なって、今年がいい年でありますように」
政治の中枢からはずされて因幡(鳥取県)へ、逆らうことができない世の流れに759年複雑な思いの中で迎えた異郷の地での「新年の歌」
尾花 葛花 なでしこ
萩の花 尾花葛花 なでしこの花
女郎花 また藤袴 朝顔の花
山上憶良 巻八−一五三八
山上憶良が秋の花を詠んだ二首のうちの一首で「秋の野に咲きたる花を指折りてかき数ふれば七種の花」に次いでこの歌が出てきます。五七七五七七の形をもつ施頭歌で、七種の花を並べてあるだけなのに秋の美しい情景が眼に浮かびます。「朝顔の花」については、桔梗などを含んでいるという説もあります。
 秋の七草 春の七草
女郎花 藤袴 朝顔
「鳥」が運ぶもの
「鳥」が死者の霊魂を運ぶという信仰は、格別に中国に限ったことではありません。イギリスの詩人・ワーズワース(一九世紀前半のイギリスの詩人。ロマン派の一人として詩作に専念した。とくに、自伝風長編詩「序曲」は、自然の中に生まれた魂が成長して、やがて詩人になる、その経緯を美しく描いたものである。自然と魂との関係について深く思索をめくらした詩人)は、湖畔の梟とことばを交わす童を、「鳥」の化身になぞらえましたが、中国そして日本においては、「鳥」は人の化身であるとともにさらに、神霊と呼びかわし、また、その神霊そのものともなりえたのです。「鳥」は一つには「鳥」、古い字形では、いま一つには「隹(ふるとり)」の字で記されますが、そこに区別を設けるほどのちがいは見えません。「隹」の集まるさまは、「集」。もっともかつては三羽の「隹」を重ねてかかれていたものです。しかしその字は、「隹」の群れが互いにかばいあいながら木にとまっているというような生態のみを写す字ではないはずです。むしろ鳥霊(ちょうれい)の、群がり集まり、囁(ささや)き囀(さえず)る響きを、そこに聴きつけないではいられないのです。それはもはや神霊の表れです。

「万葉集」、山辺赤人の
 「み吉野の象山(きさやま)のまの木末(こぬれ)」
にはここだもさわく(こんなにも激しく鳴き交わしている)鳥の声かも」の歌は、さながら霊妙な響きを耳にとらえたかのようです。じつに「鳥」のさえずり、「鳥」の「さわぎ」は、神霊の発する声音でもあったのです。山辺赤人は、その静寂な林のなかに起こる、「鳥」の声というよりも、ほんとうは鳥霊の声に耳を澄ましていたのにちがいありません。それでなければ、これだけ強い心のふるえが表現されるはずもないことです。

 志貴皇子の
 「葦辺ゆく鴨の羽がひに霜ふりて寒き夕(ゆうべ)は大和し思ほゆ」、
柿本人麻呂の
 「淡海(あふみ)の海夕波千鳥(うみゆふなみちどりな)汝(な)が鳴けば情(こころ)もしのに古へ念(おも)ほゆ」
 の歌にも、そこに鳥霊のおもかげの浮かんでくるのを否めません。ことに『万葉集』初期の歌に見られる「鳥」は、おおよそ神霊の仮の姿、仮の声として、歌人の心に反映しているかのように思われるのです。漢代、司馬遷によって完成された歴史書『史記』は、それに先行する『商書』を引いてのことでしょうが、つぎのように述べています。
殷(いん)王の武丁(ぶてい)が、殷の創始者、湯(とう)をお祭りした。明くる日、一羽の雉が飛んできて、鼎(かなえ)の耳のあたりに登って鳴いた。このことに、武丁は恐れをなした。祖己(そき)がいうことには、「王よ、心配することはない。まず政治をしっかり修めなさい」と。「祖己」は「武丁」をよく補佐したとされる賢臣。「雉」の飛来は、そのまま神霊の啓示を意味しました。「武丁」はこの異変を、王の権威を犯す者が出現したことの表れであると受けとめて怯えます。もとより国の権力を象徴する「鼎」(両耳と三本の足のついた青銅器)によじのぼる「鳥」が現れたからです。一方「祖己」はといえば、むしろ将来の王朝を運営する上にふさわしい反省材料として、この啓示の内容を理解しているのです。「雉」は、神のお告げをもたらす使者です。

【司馬遷(しばせん)「史記」】司馬遷は、前漢の時代の人。父・談(だん)の遺志をつぎ、太史公(たいしこう)として、史書の編纂に専念した。とちゅう、北方の民族である旬奴(きょうど)に降伏した将軍・李陵(りりよう)を弁護して、かえって宮刑(きゅうけい・生殖器を削られる刑罰)に処せられた。その屈辱のうちに、司馬遷はその大業「史記」を完成した。
その記述の形式は、のちの中国の歴史書の典型(てんけい)となった。

【『商書(しょうしょ)』「書経(しょきょう)」の一部をさす。殿(いん)の王、湯(とう)が臣下(しんか)に与えた教訓を著す「湯誥(とうこう)」など、あわせて十七篇を一括(いっかつ)して示す書名。
 万葉人は自然に溶け込み、その一部となり、畏怖し、愛した

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