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万葉集の重要性と万葉仮名による元々の漢字の表わす意味と音や訓の使われ方
古代日本の文化と日本人の精神生活や当時の社会の様相を知る古典として、欠かすことのできない資料として、
その重要性が認められる万葉集は、原本が現存しないため、その原文復元には大変な困難があります。
古典の基本的研究は本文の吟味からはじまりますが、万葉集では、歌を漢字の音や訓を使って表現しています。
これを万葉仮名(まんようがな)といい、中には元々の漢字の表わす意味とは関係のない使われ方も沢山あります。
この万葉仮名が、後にひらがな・カタカナに発展していったと考えられています。
万葉仮名は、古事記・日本書紀にも使われています。古い写本のほかに、有名なものは大正13年に刊行された「校本万葉集」。そして、我が国の古典研究における単語索引の先駆けとして、万葉集に使用された単語の全てが検索できる「万葉集総索引」(昭和4〜6年)があります。しかし、「校本万葉集」だけでは十分とはいえず、また「校本万葉集」自体に誤りがある箇所も見られ、各種古写本を直接見て比校すべき必要が生まれています。
柿本朝臣人麻呂死時妻依羅娘子作歌二首 (柿本朝臣人麻呂が死にし時に、妻依羅娘子が作る歌二首)
原文 旦今日々々々 吾待君者 石水之 貝尓 [一云 谷尓] 交而 有登不言八方
旦今日々々々(あさけあさけ)と わが待つ君は 石見津(いわみづ)の貝に 交じりてありと いはずやも 巻2-0224
「朝も昼もと私が待ち焦がれているお方は、石見津(浜田川の河口)の貝に混じっているというではないか」
原文 直相者 相不勝 石川尓 雲立渡礼 見乍将偲
直の逢ひは 相不勝(あひたへざらむ) 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ 巻2−0225
「直説に逢うのは 相不勝(おたがいにたえきれない)だろう 石川のあたりに 雲よ立ちわたれ せめて眺めてあの方 を偲ぼう」(洪水により流され、浜田川の河口の砂浜で貝や砂にまみれた、無残な姿を貴方も私に見られたくないでしょう。
行きたくてたまらないのですが、行かずに、あなたのか顔や姿を、いつまでも私の心にとどめていたいのです)
丹比真人[名闕]擬柿本朝臣人麻呂之意報歌一首(丹比真人 名をもらせり、柿本朝臣人麻呂の意に擬へて報ふる歌一首)
意(こころ)に擬(なずら)へて−人麻呂の心をおしはかりその心になって、この丹比真人は「丹比真人笠麿」か「丹比真人島」のいずれかとみられる。歌風からすると笠麿か?
(もしくは島の子 池守、水守、県守、広足、広成)
原文 荒浪尓 縁来玉乎 枕尓置 吾此間有跡 誰将告
荒波に 寄り来る玉を 枕に置き 我ここにありと 誰か告げなむ 巻2−0226
「荒波に打ち寄せられて来る玉を 枕辺に置き わたしがここに伏せっていると 誰が告げてくれることであろうか」
「丹比真人」−真人といえば八色の姓(天武十三年制定)の最高位。倭国最高位の高官が人麻呂と妻依羅娘子に捧げた。
それに対して、宮廷歌人として仕えた日本国・近畿大王家内には一人として「挽歌」を呈した人がなかった。
当時 藤原鎌足は一階級下の人麻呂と同じ朝臣(巻1-16題詞参考)、
天武天皇(天渟中原瀛真人・アメノヌナハラオキノマヒト諡おくりなして天武天皇という)が真人で同格。
上記 天武天皇−真人・鎌足−朝臣・人麻呂−朝臣は7世紀末までに「倭国」より任命されたものか
八色の姓は倭国(白村江の戦662あるいは663で百済と共に唐・新羅と戦い百済は滅び国力が衰退)より発布された制度か
或本歌曰 (在本の歌に曰く) 左注 右一首歌作者未詳 但古本以此歌載於此次也
(右の一首の歌 作者未詳。但し、古本、この歌をもちてこの次に載す)
原文 天離 夷之荒野尓 君乎置而 念乍有者 生刀毛無
天離(あまざか)る 鄙(ひな)の荒野に 君を置きて 思ひつつあれば 生けるともなし 巻2−0227
「遠い国の荒れ野に あなたを置いて 思い続けていると 生きた心地もしない」
この時石見の国を管轄する上級官庁は大宰府であるので、すぐに報告があり、かって若き日ともに登竜の道を歩んだ
友(大伴旅人・山上憶良・丹比真人等)が集まり、今は非業の死を遂げて帰らぬ人となってしまった。やるせない、その思いが友人の手で後世に残る形で、人麻呂歌集、万葉集の編纂に−中心は憶良から家持へ
巻2−0227は億良の歌という説もある。 没後人麻呂は歌聖として仰がれ、また神として祀られた。
古田武彦氏は、人麻呂辞世歌巻2−0223に着目する。
「石見国に在りて」と石見国の何処と明記しないのは「石見国の石見で死んだ」からだと言う。
万葉集中にある丹比真人の歌(同一人か否か?)
題詞 丹比真人歌一首 [名闕] (丹比真人歌一首 名をもらせり)
原文 宇陀乃野之 秋芽子師弩藝 鳴鹿毛 妻尓戀樂苦 我者不益
宇陀(うだ)の野の 秋萩しのぎ 鳴く鹿も 妻に恋ふらく 我れにはまさじ 巻 8−1609
題詞 丹比真人歌一首 (丹比真人歌一首)河内の国丹比郡。この一郷名に依羅娘子にちなみの「依羅」がある
原文 難波方 塩干尓出<而> 玉藻苅 海未通<女>等 汝名告左祢
難波潟(なにわがた) 潮干に出でて 玉藻刈る 海人娘子(あまおとめ)ども 汝(な)が名告らさね 巻9−1726
巻1−16の歌
天智天皇(中大兄皇子)が藤原鎌足に春と秋とどっちがすぐれているかを歌で競わせた時に額田王が、歌で意見を示したもの。 題詞 近江大津宮御宇天皇代
[天命開別天皇謚曰天智天皇] / 天皇詔内大臣藤原朝臣競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時額田王以歌判之歌
原文 冬木成 春去来者 不喧有之 鳥毛来鳴奴 不開有之 花毛佐家礼抒 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎 婆
取而曽思努布 青乎者 置而曽歎久 曽許之恨之 秋山吾者
冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見
ては 黄葉をば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山ぞ吾は
春がやって来ると、鳥がさえずり、花が咲きます。けれども、山には木が生い茂っているので、分け入って取りもしない。
草が深いので手に取って見ることもできないのです。秋山は、紅葉した木の葉をとっていいなと思います。
まだ青いまま落ちてしまったのを置いて溜息をつくのが残念です。私はそんな秋を選びます。
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