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どこかで春が
作詞 百田宗治
作曲 草川 信
どこかで春が 生れてる
どこかで水が 流れ出す

どこかで雲雀が 啼いている
どこかで芽の出る 音がする

山の三月 東風(こち)吹いて
どこかで春が うまれてる

七草粥で祝う風習 春の七草                                     
 正月七日は「七日正月」といい「五節句」 の一つ。「人日(じんじつ)の節句」、「七草節句」、「若菜の節句」とも呼び古来より七草粥で祝う風習がありました。江戸時代には、時の将軍までもが七草粥を食べたといいます。
 七草の行事の原形は中国から伝わったもの(『荊楚歳時記』(けいそさいじき 六世紀中頃、梁の宗りん著)には「正月七日を人日と為す.七種の菜を以てあつものを為(つく)る」とあります。羹(あつもの)とは、吸い物のこと)で、(「人日」について、同書には「正月一日を鶏と為し、二日を狗と為し、三日を羊と為し、四日を猪と為し、五日を牛と為し、六日を馬と為し、七日を人と為し、陰晴を以って豊耗を占う」とあります。即ち、人日は人生の初めに当る日で、この日は、刑を行はず、七草菜羹を食して無病息災を祈りました。)旧暦の一月七日は、新年の占い始めの日であるとともに朝廷や幕府に年賀を述べる日でした。平安時代に「七草粥」を食べることが慣例になり、江戸時代では、五節句(1/7:人日の節句、3/3:上巳の節句、5/5:端午の節句、7/7:七夕の節句、9/9:重用の節句)の一つとして、将軍、諸侯が七草粥を食べる公式行事になりました。時代とともに占いから「七草粥」に重点が移り、この日に「七草粥」を食べると邪気が払われ、無病息災でいられるという慣習になっていきました。




○『万葉集』(七九〇年頃成立)にある一首

  「河上に洗ふ若菜の流れきて 妹があたりの瀬にこそ寄らめ」       巻八 二八三八

〇『皇太神宮儀式帳』(八〇四年)にある、「一年中行並月行事」に、「正月例、新莱御羹作奉、大神宮並荒祭宮供奉」の記録から、新年の七日に新菜を羹として奉っている。

これが七草を食べる初見とおもわれます。

○『土佐日記』記貫之、九三五年)に、若菜が船中に差し入れられたことについて、「若菜ぞ今日をば知らせる。」とし、今日一月七日は、宮中では若菜摘みの日であることを思い、

「浅茅生(あさじふ)の野辺にしあれば水もなき他に摘みつる若菜なりけり」

の歌を添えています。


 
参考文献
   
 

江戸庶民は六日の夜に七草を刻みながら七草ばやしを歌う風習がありました。

「七草なずな 唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に七草祝いをカチカチカチ・・・」

唐土の鳥というのは、大陸から疫病をもたらす渡り鳥のことで、害鳥を追い払いその年の豊作を願う考えと、三月中ごろ冬鳥と夏鳥の入れ替わる頃、食用野菜の味が悪くなるので早く食べるという意味が七草粥の行事と混ざり合ったものと思われます。

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