かっぽれかっぽれかっぽれ甘茶でかっぽれ ヨイトナ ヨイヨイ 沖の暗いのに白帆が見ゆる あれは紀の国蜜柑船 |
| 「かっぽれ」は邦楽の中でも陽気な曲とされ、普通の唄とは逆に唄の前に囃し言葉があり、このあと「豊年じゃ万作じゃ」という豊年踊りになります。「かっぽれ」は幕末から明治中期に流行しました。江戸時代の寺小屋の話へ、 何日おきかに白い紙に書けるのを楽しみにして、手習い子たちが黒くなった紙での練習に励むとすれば、同じ紙にかさね書きするのはただの節約ではなく、教育にめりはりをつけるための巧妙な手段にもなっています。ものをふんだんに使い捨てないと経済が成り立たないような世の中ではこういう発想はとても生まれないと思います。この時代の日本の初等教育機関は寺子屋と呼ぶのが普通だが、武士の町である江戸では学校に商店のような(屋)をつけて呼ぶのを嫌って(手習い)と呼び、寺子屋へ行くといわずに、手習いへ行くといった。母親が子供にいう時は、「早くお手習いへ行きな」というふうに上に(お)をつけてていねいにいった。生徒のことも、寺子屋では寺子というのに対して、江戸では手習い子と呼んだが、先生の呼び方だけは共通していて、自分の先生を呼ぶ時に上に(お)、下に(さま)をつけた(お師匠さま)という最高の尊称を使った。丁寧な呼び方にはひやかしや、時としては軽蔑の意味を含む場合さえあるが、この場合は純粋な敬称で、否定的な意味はまったくない。手習師匠は、知識を金銭に換える教育労働者ではなく、文字を教えることで学問の道へ入門させる聖職者として扱われていたし、周囲も本気でそう思っていたからだ。十九世紀初期の江戸には、手習師匠が一五〇〇人ぐらいいたが、お師匠さまの三人に一人ぐらいは女師匠つまり女性教師だったらしい。大都会には教養のある女性がかなり大勢いたことがわかる。江戸時代の寺小屋の話Vへ パワーストーン 広島 / パワーストーン水晶天然石 次は梅ケ枝
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