| カチューシャの唄 ё 1カチューシャかわいや わかれのつらさ せめて淡雪 とけぬ間と 神に願いを ララ かけましょか 2 カチューシャかわいや わかれのつらさ 今宵一夜に 降る雪の 明日は野山の ララ 路かくせ |
| 江戸時代の寺小屋の話へ、十九世紀前半には世界の最先進国だったイギリスの工業都市での就学率は、わずか二〇パーセント台。ロンドンでさえ、下層民で文字の読める子は五人に一人ぐらいで、書ける子は、さらにその十分の一程度だったということだ。これでも、イギリスはましな方で、ヨーロッパの大国だったロシアでは、二十世紀初頭のモスクワでさえ、児童就学率は二〇パーセント程度だったそうだ。これでは革命が起きても不思議はないし、こういう国の革命がわれわれのお手本になり得なかったことは、今では誰でも知っている。産業革命彼の、日本よりはるかに進んでいたはずのヨーロッパ社会の裏側には、その国最大の都市でさえ、わずか二十六文字か三十三文字しかないアルファベットも習えない大勢の貧民階級が発生していた。 これに対して、十九世紀前半の日本では、江戸、大坂、京都、名古屋などの大都市の市街地では、庶民の子供の就学率が一〇〇パーセント近かった。しかも、江戸の場合では、日本橋、赤坂、本郷など、女子の就学数が男子を上回っていた地域さえあった。この時代の日本の初等教育の水準は、世界中で群を抜いて高かったのである。進歩した世の中といっても、すべてが同時に並行して進歩するわけではないし、おくれているということになっている世の中でも、けっしてすべてが並行しておくれているわけではない。人間の行動は、進歩主義者が考えるほど単純ではないのである。「手習いは何年で卒業致しますか」「そつぎょう……ああ、学業を卒えるという意味でございますね。それは、子供によって違いますが、三年から長くて五年ぐらいでございましょうか。かなの読み書きができるようになって、往来ものを一冊でも仕上げれば、もうかんたんな読み書きはできますから、それで充分という子は、三年もやればやめます。でも、本字がたくさん読めるようになって、手紙も思うように書けるようになるのには、やはり四、五年はかかります」手習いには、入学ならぬ入門という言葉はあったが、卒業に相当する言葉はない。ある日、同い年の子供が一斉に入学し、同じ教科書を同じように教えられ、同じ時に一斉に卒業するなどという全体主義的あるいは平等な行動は、工業社会になる前の日本にはなかった。それでも、さすがに文字にくわしいお師匠さまだけあって、卒業という言葉の意味だけは理解してくれた。 「みんな習うことが違うし、習いたいことも違うから、何年かかるやら、はっきり決めようがない」 パワーストーンワールド元気のでる館 / パワーストーン水晶天然石 次はふるさと
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