3.私の野鯉釣りの歴史
 私の故郷は岐阜県岐阜市です。従って、木曽、長良、揖斐の三川に近く、川釣りには恵まれた土地です。また、岐阜県は海のない県でもあり、川魚を食べる習慣は一般的でした。今でも、多くの川魚料理屋があります。

 こんな環境から、私の釣りは鮒釣りに始まりました。戦時中や戦後の少年時代には、釣り道具に恵まれず、鯉は手がでない相手でした。昭和27年(1952年)、大学時代の試験休みの息抜きに、鮒釣りの仕掛けを強化して、鮒も鯉もというのが鯉釣りのはじめでした。
 
国の鯉釣り大会入賞
 
 本格的に、野鯉釣りに挑戦したのは、昭和48年(1973年)です。
 こんな時、手にしたのが小西茂木さんの「野ゴイ釣り」でした。この本の内容には感激しました。仕掛けや釣り技の叙述は勿論、つい引き込まれていくような文脈、何回も何回も読みました。現役時代には、仕事の関係で海外出張が多く、そのたびに鞄の中に「野ゴイ釣り」を忍ばせていました。仕事に疲れたときや、飛行機の中では最も心を癒してくれる読物でした。この本には感謝しきれないほどですが、小西茂木さんのなくなられる数年前に、フィッシングショウででお目にかかり、長時間面談していただいたのがなによりの想い出です。本に就いては、書籍の項目でお話しします。

 当時、小西さんが会長をお務めにになっていた淡水大魚研究会がありました。しかし、その会の詳細は、知らないまま、個人で「野ゴイ釣り」を教科書として釣技に励んでいました。
 昭和51年(1976年)に、釣り雑誌で「関東大魚会」の入会勧誘を見て、早速入会の申し込みをしました。会長は山田勲さんでした。間もなく、入会許可の書状を頂いたのですが、会社で、海外駐在の話が出て来ました。やむなく、入会出来なくなったとお詫びの書状をお出しする結果となりました。

 昭和52年(1997年)より、約10年間,海外勤務となり、一時帰国の際に、あわただしく野鯉釣りをする、失われた野鯉釣り10年となりました。

 関東の鯉釣り大会には何回か参加しましたが、そのたびに、皆さんの釣果にびっくりするばかりでした。私のホーム・グランド利根川を釣り場にした入賞者は少ないようでした。やむなく、大会の時は常陸利根川に入ることとしました。やっと平成10年(1998年)10月の大会(参加者約700名)で末席ながら入賞できたのは望外の喜びでした。
 この参加人員約700名の鯉釣り大会が、どんなに巨大なものか、参加しないと理解できないでしょう。主催者のご苦労がわかります。
 参加者各人の釣り竿は、5本までとなっていますが、合計すれば約3000本を越える竿が、霞ヶ浦、北浦、常陸利根川、利根川等の釣り場に林立します。
 遅く来れば、何Km走っても、竿を出す場所はありません。
 大会は、土日が原則故、一般の釣り人も多く、想像を超える混雑です。
 この中で、入賞出来るのは、幸運以外の何物でもありません。

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2.野鯉釣りの楽しみ。

4.鯉の原産地。


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