5.世界の鯉釣り
 a イタリアの鯉釣り付属編

イタリアの旅情
北部 3 州
プリウリ・ヴェネツイア・ジュリア州
ヴェネト州
トレンティーノ・アルト・アディジェ州

トリエステ、ヴェネツア、パドヴァ 

ヴェネツ 有名観光地で、一般的な観光案内は、たくさんあり、省略します。
ヴェローナ 有名観光地で、一般的な観光案内は、たくさんあり、省略します。
ウーディネ
 フェッララからヴェネツイア行きの特急列車に乗り、メストレ(Mestre)駅で乗り換え、メストレから約一時間半で着きました。
 古い町というのが第一印象です。そして、多様なチーズの店に興味ありでした。ここのピッツァは美味しいだろうと、飛び込みで入った駅前通りの店のピッツァは美味しかったです。
 一人前が、食べきれぬほど大きいピッツァが常識のイタリアで、ここは切り売り、そして、温めてくれる意外さ。観光客が多いのでしょう。
 夫婦で、何種類かのピッツァを味わえる、例外的な経験でした。
 店の名前は忘れましたが、駅より中心部に向かって左側、お試しあれ。外から、店内を見られる小店。
リオネッロ会堂から街路上方を望む リオネッロ会堂から街路を望む
街路が狭くて、写真の撮りにくい昔風の街並み
リベルタ広場にて  サン・ジョバンニの美しい回廊。この回廊に沿って、急坂を登ると、後述の市立博物館に着きます。

 回廊は、多々ありましたが、此のルネッサンス風の回廊が最も見事でした
丘の上にある、市立博物館より見た町の光景:1
丘の上にある、市立博物館より見た町の光景:2
 町は落ち着いた雰囲気で、欧米の観光客が多かったです。
 是非、再度訪れ、しばらく滞在したい町です。
トリエステ  フェッララからヴェネツア行きの特急列車に乗り、ヴェネツイアで乗り換え、ヴェネツイアから約2時間でトリエステに着きました。
 イタリアの東端、スロベニアの国境に近い町。

 第二次大戦後、イタリアに帰属するとき、トリエステの南部は旧ユーゴ領(今のスロヴェニア)となった。
何故トリエステか?
 イタリアには、勤務中の出張を含め、何回も行きましたが、行ってみたい町トリエステは、離れた場所にあり、訪れる機会がありませんでした。
 トリエステに興味を抱いたのは、学生時代に知った、町の数奇な運命でした。古代ローマ時代に起源を持ちながら、群小独立国の一つヴェネツイア共和国の支配下におかれ、その後、オーストリア・ハンガリー帝国に属し、第一次世界大戦で、オーストリア・ハンガリー帝国が破れてイタリアに。そして、第二次世界大戦でイタリアが敗退。一旦国連の管理下おかれ、やっと町の北部がイタリア領になったのは、第二次大戦後10年も経った1954年です。
 どんな町だろうと、想像をたくましくしていました。
 正面の大運河とサンタントニオ・ヌオーヴォ教会、 右はセルビア教会。
 街並みはオーストリアです。海が見える山の斜面には高級住宅が並んでいました。
 ヴェネツイアから列車に乗り、やがて、右手のアドリア海、左の山並みと光景は一変します。着いたのは中央駅、町を知るため歩くことにしました。
直ぐに港の入り口に.。
オーストリア・ハンガリー帝国は、第一次世界大戦に敗れトリエステを失い、そして、両国ともに、内陸国になった運命の港です。
山が迫っているため、駅前は、駐車中の車で一杯。
街中に残っているローマの劇場跡 街中に残るヴェネツア風の一角。
 かってのネツイア共和国の支配下にあった名残でしょう。
パドヴァ  1222に設立されたパドヴァ大学が有名な町。
 ガリレオが1592−1610に教壇にたった。彼の唱えた天動説が、ローマ教皇庁から宣伝を禁止され、晩年は、監視付きの生活を送ったとのこと。

 ローマ時代から交通の要衝として栄えた町で、今も、鉄道、道路の交差する、要衝です。
 ヴェネツイアより古い町で、ミラノやローマからヴェネツアに行くと、特急列車が停まる駅です。
 駅の表示板、上り線ボローニア、下り線ヴェネツア。
写真が小さくて、見にくく、済みません。
降りれば変哲もない田舎の駅という感じ
 後から知ったことですが、パドヴァからヴェネツアにいく船旅があるとのこと。町の中の川を見て納得。
次の楽しみにとってあります。
市場を見るのも楽しみです。
美味しそうなチーズ
未完成。追記、訂正します。
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