5.世界の鯉釣り
 旅情:中米6ケ国大縦断

  2002年12月6日~12月23日(18日間)

中米六カ国: コスタリカ
コスタリカ
面積:5万1100km2(九州と四国を合わせた程度)
人口:430万人(2004年)

主な産業:コーヒー、バナナ、畜産業、砂糖、観光

公用語:スペイン語、教育水準高く、英語もよく通じる。

民族構成:入国して直ぐ気付くことは、他の中米諸国と人種構成が異なることである。
 スペイン系とその混血が95%、アフリカ系黒人3%、先住民2%
歴史をちょっと:
 1502年、コロンブスの第4次航海(これが最後)で、ホンジュラス、ニカラグアとともにヨーロッパに知られるようになった。
 コロンブスが最初にたどり着いたのは、現在のプエルト・リモンである。  A(位置はコスタリカの地図参照)
しかし、本格的に植民が開始されるのは、1564年、フアン・バスケ・デ・コロナドがカルタゴ(位置はコスタリカの地図参照)を中心に選んでからである。1823年、大地震によって破壊されるまで、カルタゴはコスタリカの中心都市として栄えた。
 1821年に他のグアテマラ総督領と共に、スペインから独立した。その後の混沌とした政変を記すことは煩雑故省略します。
 1949年、軍隊を保持しないという憲法が公布された。1983年に永世積極的中立宣言を行った。エルサルバドルやニカラグアの内戦の影響もあり、難しい政策の運営を行いながらも、重火器を廃棄し、近隣諸国の信頼も得て、比較的安定した政権が続いている。
 かかる状況より、外国からの投資もあり、中米では最も豊かな国になった。
コスタリカの地図
太平洋側
12月16日、
朝8時に、ニカラグアのマナグアを発ち、ニカラグア湖を観光。

ニカラグアのベニャス・ブランカスより、例の如く、バスを降り、歩いてコスタリカに入国

1(位置はコスタリカの地図参照)

本日の前途多難なることも知らず、悠々と休憩。

既に17.20、陽は西に傾いている。

熱帯の夕日は釣瓶落とし、そして、直ぐに闇に包まれてしましました。

想像外の悪路、この大型観光バスがよく走れると(走るのでなくのろのろ蛇行)思われる山道です。

そんな時、緊張をほぐすようにバスが停車。何事かと思うと、顔のない蛇がヘッドライトに照らし出されています。みんな、ぞろぞろバスを降りて写真撮影。

熱帯の多雨林帯です。
 真っ暗闇の中、やっとモンテベルデ自然保護区内のホテルに到着。2(位置はコスタリカの地図参照)
携帯電話の通じない山中で、ホテルの従業員は食事の用意をして一行を待っていました。ここは標高1400m、夜は寒いです。
 食事が終わったのは、夜、11時頃。皆くたくたで、すぐ寝る。

 昨夜は曇り、道理で暗闇でした。

 目玉のアレナル火山も見えませんでした。ガイドブックの写真です。
12月17日
明くれば曇天ながら雨は降っていない。
ホテルの窓からの光景。
今日は、いよいよエコツアーです。
エコツアーガイドのオマルさん。

よく知っている。
ケツアーには簡単に会えません。あたふたと来て、あたふたと帰る観光客には無縁です。
絵葉書でどうぞ!

鳥類225種、哺乳類80種、昆虫1500種がいるそうです。
モンテベルデ自然保護区内の熱帯植物
エコツアーで得た蜂蜜の知識:

 立ち寄ったレストランで、客寄せに、蜂鳥に餌付けをしていました。蜂鳥は蜜を餌としていますが、餌付けの餌は手短に砂糖水を使っていました。
 ガイドの説明によると、この蜂鳥の平均寿命3年なのに(種類により違います)、砂糖水で餌付けされた蜂鳥の平均寿命は三分の一の一年。餌付けされた蜂鳥の死体を解剖すると、森に暮らし、天然の蜜を食べている蜂鳥に較べ、肝臓が三倍に腫れていると言う。理由は、蜂蜜に含まれているミネラルやビタミンが砂糖水には無い為だろうということでした。
 この話に納得しました。
 
 日本の消費者は、蜂蜜は黄金色でないと買わない人が多いという。だから。脱色し、消費者好みの香りがききやすいように、ミネラルやビタミンを除去する業者もいるという。何とも本末転倒の話です。
 爾来、私は外国旅行の度に、蜂蜜を買ってきます。また、国内でも、地方に行ったとき、その土地の蜂蜜を買うのを楽しみにしています。
 蜂蜜に関しては、独立の項目がありますから、ご参照下さい。

 v.蜂蜜    ここをクリック
蜂鳥の餌付け(立ち寄ったストランにて)
蜂鳥は動きが速く、良い写真が撮れませんでした。絵葉書でごめんなさい。

心拍数:日中、80回/秒 4800回/分
      夜、20回/秒  1200回/分

人間の心拍数は60回/分ですから、80~20倍の心拍数です。人間の心拍数に直せば約100年余の生命です。長生きですね!
12月17日は、午前、午後と二回のエコツアーでした。森林浴の後、モンテベルデ自然保護区内の同じホテルに連泊しました。
12月18日、5.15モーニングコール、7.00モンテベルデ自然保護区内のホテルを出発し、150km先のボアス火山に向かう。

 幸にも雨は降っていません。

 晴天を期待して出発。
 今日は、ボアス火山の火口とコーヒー園を見て、夜は、首都のサン・ホセ泊の行程です。
9.30 パン・アメリカン・ハイウエーに出て、コーヒー・プランテーションが見えました。ここは、コスタリカの中央渓谷で、コスタリカの人口の約50%が居住している中心部です。主産業はコーヒー園です。 
今日の主目的、ボアス火山の火口に着きましたが、悪天候の上、噴煙、ガスで何も見えませんでした。
 
 (位置はコスタリカの地図参照)

バスの駐車場から数十分歩いて、やっと、火口に着いたのに。 

残念でした!

かくて、12月18日は終わり、首都のサン・ホセ泊。
 首都のサン・ホセは人口34万人、標高1150m、年間を通じて夏の軽井沢の様な気候と言われていますが、気温はそうでしょうが、湿度は高いようです。
 1823年、当時の首都カルタゴと首都争いの戦いに勝って首都になる。 4(位置はコスタリカの地図参照)
立派な国立劇場、イタリア、フランスの画家が描いた天井画があるが、当地の事情を知らないため、間違いも多い。
1892年の作品であり、当然かも知れない。
サン・ホセのホテルに戻れば、クリスマスの飾り付け。
東京を出たのが12月6日、毎日、毎日遊び呆けて、もう年末なることも忘れていました。
 12月19日、ホテルを朝7.00出発し、パナマへ向かう。パナマの目的地ダビまでは413km、今日も、強行軍です。
 すぐにパン・アメリカン・ハイウエーに出る。
サン・ホセに破れた前の首都、カルタゴを通り、パン・アメリカン・ハイウエーを疾走。
(位置はコスタリカの地図参照)
昼食でサン・イシドロに停まる。ここで、レストラン経営者の関係するコーヒー園見学。
(位置はコスタリカの地図参照)
コーヒーの収穫時期は、12月と言うことで、今日、12月19日。収穫の最盛期でした。
1819年、ジャマイカよりコーヒーを移植。1821年の独立時は、通貨がカカオ豆であったと言われるほど貧しかったのです。

政府は現金収入を得るためには、コーヒーが適していると判断し、国民に推奨。更に、標高400~1800mの土地が、コーヒー栽培に適していることが判明。
1921年、コーヒーのアラビカ種を導入した。
中米旅行で得たコーヒーの知識:

 後述しますが、以前、カリブ海クルーズに参加してジャマイカに寄りました。くだんのブルーマウンテン・コーヒーを買いました。
 しかし、スペインやイタリアへの旅を重ねて、エスプレッソ・コーヒーの魅力に飲み込まれ、エスプレッソ・コーヒー党に変身しました。そして、アラビカ種のコーヒーへの固執です。エスプレッソ・コーヒーを買うときに、原産国、そして、アラビカ種であることを確かめています。
 中米のコーヒー豆は、手摘みです。一粒、一粒、熟したコーヒー豆を摘み、水に浸して、沈んだコーヒー豆(これが良質でカフェインを多く含んでいる)のみ使用します。この時、浮いたコーヒー豆は棄てます。
 皮を剥き、甘さをとるために、8時間水に浸け、そして、8時間干します。
 煎り方
 ライトロースト:コーヒ豆の色は薄いが、強い香りと味がします。カフェインを多く含む。
 ダークロースト:コーヒ豆の色は濃いが、カフェインの含有量は少なくなります。
          エスプレッソはダークローストです 。
          多くの人が、カフェインの含有量はエスプレッソが多いと誤解しています。

 さて、どうして、熟したコーヒー豆を一粒、一粒、選って摘むことが出来るのでしょうか。それは、とても貧しい人達の、安い労働力があるからです。コスタリカは豊かな国で、労賃も高く、従って、低賃金で働いてくれる、ニカラグアやグアテマラの出稼ぎ農民に頼っています。
 10kg程入るバスケット一杯の摘み賃が米ドル80セント、約100円です。日給でも月給でもなく、バスケット一杯摘んで幾らの仕事です。バスケット一杯のコーヒー豆を下げて、検量所に行く、人なつっこい子供達の笑顔を見ていると、何とかならないかという気になります。
 児童労働の禁止論や、日本の格差社会論議など、異質の世界です。その日の糧を得なければ、生きていけないのです。それだ現実です。

 今日のエスプレッソは、これを思い出して、さぞ、苦いことでしょう。
サン・イシドロで昼食をとったレストランから見た左右の風景.
イチゴが美味しかったです。気候をご想像下さい。
三時のコーヒー・ブレーク

 本場に来て美味しいコーヒーを楽しんでいるのは、何時も私とバスの運転手。

惜しいなー!

 バスが停まれば先ずタバコの人もあり、でも、人さまざまだから。
パソ・カノアスでパナマへ出国。 (位置はコスタリカの地図参照)
スーツ・ケースを開け荷物検査あり。
カリブ海側
 1997年3月、カリブ海クルーズに参加しました。このホーム・ページを創ったのが2001年6月ですから、写真などホーム・ページ用準備不足は否めません。しかし、中米の太平洋側とカリブ海側とは、気候、風景とも、とても大きな違いがあり、カリブ海側を追記します。
クルーズ船から上陸したのはプエルト・リモンです。  A(位置はコスタリカの地図参照)
 1502年、コロンブスの第4次航海(これが最後)で、ホンジュラス、ニカラグアとともにヨーロッパに知られるようになった。この時、コロンブスが最初にたどり着いたコスタリカの地は、現在のプエルト・リモンである。
 ここは、船着き場として好都合な場所なのでしょう。
トルトゲーロ運河ツアー
 
3月7日
プエルト・リモン
プエルト・リモンからバスで30分走り、マチーナまで行き、クルーズ用のモーター・ボートに乗り換える。潮の関係で、乗り換え場所が違うようです。
マチーナの舟だまり
マチーナから、片道2時間の、ジャングル内の運河クルーズに出発。
以下、揺れる舟から無作為に撮った写真です。
舟は時々スピードを落としたり、停まったりして、ガイドの解説あり。

これは、小型のコウモリで、昼間は休んでします。
ブラジルのアマゾンの水没ジャングルに似ていると言います。

湿地の中の牧場

やっと見つけたナマケモノ、写真の中央。保護色で見づらいです。
運河は海岸沿いの熱帯雨林の間にあり、自然の運河と舟運に必要な水深を得るために掘った箇所があるという。

そして、所々、海と繋がっており、カリブ海の波頭が見える。
トルトウゲーロ国立公園
 
ここで舟はUターンしてプエルト・リモンに戻る。往復約4時間の旅。
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