5.世界の鯉釣り
 旅情:中米6ケ国大縦断

  2002年12月6日~12月23日(18日間)

中米六カ国:  パナマ
パナマ: 面積:7万5517km2 人口: 317万人(2004年)

公用語:スペイン語

主な産業:海運、漁業、観光、バナナなど

人種:メスティーソ70%、黒人14%、白人9%、     先住民7%
歴史をちょっと:
 パナマの現代史はパナマ運河そのものです。
 この地をスペインの植民地としたのはヌニェス・デ・バルボアである。彼は1513年海峡を探検し、カリブ海から太平洋に到達し、この地の重要さを確認した最初の征服者である。そして、太平洋と命名したのも彼です。
 19世紀に独立の気運が高まり、各地の利害対立から、コロンビア、ベネズエラ、エクアドルに分裂し、独立し、その時、パナマはコロンビアの一部であった。
 フランス人、レセップスはパナマ運河建設の為の会社を設立、工事を始めたが、工事は難航、黄熱病、マラリアなどの熱帯病で工事は遅延し会社は倒産。
 メキシコとの戦いに勝ち、大西洋から太平洋に至る大国となった米国は、コロンビア政府と、運河建設の土地租借等の協議をしたが、一方的に米国に有利な契約条件をコロンビアが拒否すると、パナマの独立派を扇動して、パナマを独立させ、パナマ運河完成後の富が米国に環流する構造が完成した。
 歴史書の転記も辛い、大国の横暴と、押しつぶされる小国の悲哀です。
 米国による運河建設は1903年に開始、1914年に完成した。そして、運河がもたらす富の配分を巡り、パナマと米国の争いが始まったが、穏健派のオマール・トリホス将軍は、中南米諸国を味方に付け、米国のカーター大統領と1999年12月31日にパナマ運河と両岸の領土、その他の米軍施設がパナマに返還された。
パナマの地図
太平洋側
12月19日、コスタリカの首都サン・ホセを朝7.00に出発し、パナマへ向かった。パナマの目的地ダビまでは413km、着いたのは夜8時、今日も、強行軍でした。
ダビ泊
12月20日、ダビを朝7.00発、パナマの首都パナマシティーまで414km、今日も、強行軍です。
ダビ市内を急いで観光   パナマの地図参照
カセドラルは何処も立派です。 カセドラルの祭壇、カトリックが93%です。
パン・アメリカン・ハイウエーを疾走。ハイウエーの両側は草原で牧場。
サンチャゴで小休止。  パナマの地図参照
ハイウエーは草原を抜け、視界がぱっと広がり、初めて太平洋岸に出る。
暫く走り昼食。
レストランと見霽かす太平洋。 3パナマの地図参照
パナマの首都パナマシティーに入る。
運河を跨ぎ、南北アメリカを繋ぐ橋はアメリカ橋。
パナマ運河の事務所は左手に少し見えます。

写真アングルの良いところは、人、人、人、待つのが嫌になりました。
 パナマ運河は、船が水槽に入ると水門を閉めて、水位を上げるときは水を入れ、水位を下げるときは水を抜きます。そして次の水槽の水面と同じになれば、水門を開けて船が進む構造です。
 船は、水槽の岸壁を走る電気機関車により牽引されて進みます。狭い水槽ですから、これが一番安全です。すごい数の観光客で、観覧席から写真を撮るのも一苦労です。欧米からの観光客も多く、パナマが、運河のみならず観光業に力を入れているのが分かります。
 この行程は、航行する船に乗ると良く解ります。後半のカリブ海側の項をご覧下さい。 
赤い船(タンカー)が運河に入ろうとしています。船の大きさにより、違った資格の水先案内人が乗ります。 船の横で、電気機関車が、ワイヤーで船を引っ張ります。
運河見学の後、旧市内に行きました。
古い教会。

イギリスの海賊ヘンリー・モーガンにより、1671年この町は、徹底的に略奪されたが、黄金の祭壇は漆喰に守られ残ったとのこと。

お話だけで、教会の中に入っていません。

パナマ運河開通の、遙か以前より、ここはアメリカよりスペイン本国に財宝を送る基地で、繁栄を謳歌していました。
旧市街は貧民窟化している。

グループ旅行で、ぞろぞろ歩いていると、いつの間にか二人の警官がつかず離れず護ってくれました。
ひったくりが多いと聞いていましたが、観光産業も大切なのでしょう。

フランス広場。開削に失敗したレセップスの像。
ホテルの窓から見た新市街。

パナマ政府の後押しもあり、パナマシティーは、自由に活動できる金融センターになりました。
日本の多くの会社が活躍しています。

12月21日

長い、しかし、楽しかった中米旅行も終わりです。

10.25AM 発 コンチネンタル航空でニューヨークへ向かいます。
カリブ海側
 1997年3月、カリブ海クルーズに参加しました。このホーム・ページを創ったのが2001年6月ですから、ホーム・ページ用写真など準備不足は否めません。しかし、中米の太平洋側を旅して、カリブ海側とは、気候、風景とも、とても大きな違いがあることがわかり、カリブ海側を追記します。
 乗船したクルーズ船4万5千トンは、10万トン級が、やっと就航した頃で、まだ大型の部類でした。
そもそも、カリブ海クルーズに参加したのは、パナマ運河に入ることが目玉のツアーに惹かれたからです。
クルーズ船は運河のゲートに向かって航行しますが、両側は鬱蒼とした熱帯雨林です。
パナマの地図参照
クルーズ船4万5千トンが、右舷、左舷とも両岸の電気機関車に引っ張られてゲートに入る様は圧巻です。

乗船客は、右舷、左舷、甲板に殺到し、写真を撮るのも一苦労です。
水槽の水面は上下するために、船を引く電気機関車の軌道はうねっています。
見学には作戦を立て、先ず右舷から撮影。

ゲートを抜け、やっと、水位調節用の人工湖ガツン湖に着きました。


 我々のクルーズ船はここでUターンして、もと来た水槽に入り、カリブ海に出ます。
急いで上部のデッキに駆け上がります。ゲートに近い甲板は人で一杯。良い場所がありません。

以下、4枚の写真は水位の差を実感差させられます。
水位調節用の人工湖ガツン湖。狭い水路から出てホッとしますが、Uターンして運河に戻ります。
今回はこれでお終い。

何れの日にか運河を通り抜けて見たいです。
カリブ海側から太平洋まで80.5km、8~10時間かけて航行。
サン・ブラス諸島
カリブ海クルーズのオプショナル・ツアー
 クルーズ船からボートに乗り移り、更に小屋がけの設備しかない、写真にある乗り継ぎ場で小舟に乗る。小舟から、クルーズ船の写真を撮ろうとするが、小舟は、木の葉の如く揺れ、ファインダーの中にクルーズ船を捕らえるのが大変。
 ライフ・ジャケットなどという物は、小舟にはない。こんな命がけで見る島でもなかったが、後の祭り。
小学校に対する寄付を促す看板。
何か協力しようと、Tシャツを3枚買いました。
町には勿論、外に着ていけないほどの拙い魚の縫いつけですが大切にしています。
再訪することは無いでしょう。これからも、観光客目当てで生きていくほか無いと思うと気が重いです。
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