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5.世界の鯉釣りと旅情 |
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| モンテネグロ (ツルナ・ゴーラ) |
自国ではツルナ・ゴーラ(Црна Гора, Crna Gora, 黒い山)と呼ぶ。モンテネグロ (Montenegro)とはイタリア語ヴェネツィア方言(あるいはヴェネト語)による名称(意味は「黒い山」)。 自国での正式国名は、ツルナ・ゴーラ共和国(Република Црна Гора, Republika Crna Gora)。 公式の英語表記は、Republic of Montenegro。 日本語の表記は、モンテネグロ共和国。通称、モンテネグロ。 |
| Drzava Crna Gora | モンテネグロの公式ホームページ, 英文もあり |
| 歴史をちょっと:旧ユーゴスラヴィアを構成していた六つの共和国の一つ。 6世紀末から7世紀にかけて、スラブ系の民族がモンテネグロに侵入。 9世紀にはキリスト教を受け入れる。周辺列強の支配や独立を繰り返すも、 1185年セルビア王国に繰り入れられる。 1389年コソボの戦いで、セルビア王国はオスマン・トルコに敗退。オスマン・トルコの支配下に。 ただし、アドリア海の沿岸は、ヴェネツイア共和国によって支配されていた。(下図参照) その後も山間の土地は自国民で支配。 17世紀末になるとオスマン・トルコは目立って弱体化。 1799年オスマン・トルコから独立。 1877年露土戦争にセルビア王国と共に参戦。念願のアドリア海岸を獲得。 1910年公国より王国となる。 1912年、1913年の二度のバルカン戦争で多くの領土を得た。 第一次世界大戦では、オーストリア軍に占領され国王は亡命。 第一次世界大戦後、セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人の王国に参加。 1929年ユーゴスラヴィア王国と改称。 第二次世界大戦後はチトーのもと、六共和国の一つになる。 |
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| 16世紀ヴェネツイア共和国の領土:薄緑の部分. 実際の支配地域はもっと広いが、煩雑故アドリア海の沿岸に限定。 ラクサ(共)とは現在のドブロヴニクのこと。 |
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| キリル文字、ラテン文字対比表:地名検索にご興味ある方はご利用下さい。 | |
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| モンテネグロ走行路 朝、ボスニア・ヘルツエゴビナのモスタルを出発したバスは一路南下、クロアチアのドブロヴニクを観光後、絶景のアドリア海に沿って、モンテネグロに入国、まだ、黄昏の残る頃、本日の宿泊地ブドヴァに着きました。 |
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| 第十一日目 10月12日 モスタル->ドブロヴニクー>モンテネグロに入国、ブドヴァにて投宿 長い一日でした。ドブロヴニクはクロアチアを参照下さい。 |
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ブドヴァのホテルに夕方六時半頃到着。 すぐ夕食。 ホテルの前は海、黄昏れている。夏の海遊びの施設が見える。 夕食はブッフェスタイル。疲れたときは勝手に食べるのがよい。 |
| 第十二日目 10月13日 | |
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複雑な湾の最奥部にあるコトルの街は、湾と共に、1979年世界遺産に登録された。 |
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コトルの旧市街へ。 街は、前方を一周4km、厚さ10mの城壁に囲まれ、背後は天然の要害、オヴェツエン山が迫っています。 |
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交易により得た富により築かれた豪華な館や、教会が建ち並んでいる。 |
| 要塞から見下ろしたコトルの街と港。停泊している船は、先日、ドブロヴニクで見た。 | |
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| 下の写真は、Nさんが要塞の頂上まで登り、撮影された貴重な写真です。グループの誰も挑めなかったカメラ・アングルです。 | |
| コトル湾沿いのドライブのあと、船に乗り湾に浮かぶ「岩のマリア島」へ 船から、島からフィヨルド、街の展望。 アドリア海こあるフィヨルドは、クロアチアの一部とここだけのもの。すぐ下の写真はNさんご提供。 |
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| 街を散策、船に乗り島を訪れ、すっかり遅れた昼食は海鮮料理。空腹であれば美味しさはひとしお。 | |
| 閑話休題。 美しい護岸に咲いていた桔梗。 俳句の季語は秋。 緯度から言えば、函館辺りですが、アドリア海のお陰で温かいのでしょう。 |
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| 午後は上の写真にある豪華客船の脇を通って旧市街へ。 海岸縁は、もう夏の佇まいはなく、閑散としていました。 |
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展望台より、スペティ・ステファン島を望む。 島全体が「アマン・リゾート」の施設 午後四時半、逆光です。 |
| 第十三日目 10月14日 | 旅も13日目、仲間の顔も名前も覚え、いや、嗜好まで知る仲となりました。 幸にも、喧嘩する人もなく平穏です。 今日は、アドリア海岸のブドバから、セルビア北部のノビ・パーサルまで310kmのバスの長旅です。この距離は東京から豊橋にあたります。 |
| 14日朝、起きれば強風。秋が深まったこと歴然です。8.00出発 コトルを出発して間もなく、展望台からコトルの街とアドリア海見納めの写真を撮る。 |
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バスの窓の右にスカダルスコ湖が見えます。 湖の向こうはアルバニア。 バスの窓越しの撮影 |
| 10.00写真ストップ モラチア渓谷。川の名はモラチア川。スカダルスコ湖に注いでいる。標高1000mの山がなす谷は深い。 |
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| モラチア修道院見学。蜂の巣箱が一杯。朝早すぎたのか、売店は鍵がかかり、蜂蜜は買えませんでした。 山間のきれいな空気、抜けるような青空、ひんやりした気温。 教会は14世紀時代のもの。現在15名の男子修道士が生活している。 |
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標高1000mのコフシンのホテル。 少し離れた山は薄化粧、スキー客用のホテルです。 |
| 運転手が全員のパスポートを纏めて、セルビア側の入国手続きを済ませる。 国境に緩衝地帯があり、無事、セルビアに入国。 |
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| 17.45、セルビアのノビ・パサールのタジホテルに到着。 途中に昼食、休憩等休みもありましたが、約10時間のバス移動でした。 |
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