5.世界の鯉釣りと旅情

 旅情:西バルカン大紀行

  2007年10月2日~10月19日(18日間)

モンテネグロ

(ツルナ・ゴーラ)

自国ではツルナ・ゴーラ(Црна Гора, Crna Gora, 黒い山)と呼ぶ。モンテネグロ (Montenegro)とはイタリア語ヴェネツィア方言(あるいはヴェネト語)による名称(意味は「黒い山」)。

自国での正式国名は、ツルナ・ゴーラ共和国Република Црна Гора, Republika Crna Gora)。

公式の英語表記は、Republic of Montenegro

日本語の表記は、モンテネグロ共和国。通称、モンテネグロ。

面積:1.4万km2(福島県とほぼ同じ)

人口: 62万人
言語:公用語はセルビア語(セルビア語と同義)。文字はラテン文字とキリル文字を併用。ラテン文字が多い感じ。

主な産業:製造業(アルミニューム)、農業、観光業。

人種:モンテネグロ人(40%)、セルビア人(30%)、ボスニア系イスラム教徒(9%)、アルバニア人(7%)

宗教:セルビア正教(75%)、イスラム教(10%)

Drzava Crna Gora モンテネグロの公式ホームページ,
英文もあり
歴史をちょっと:旧ユーゴスラヴィアを構成していた六つの共和国の一つ。

 6世紀末から7世紀にかけて、スラブ系の民族がモンテネグロに侵入。
 9世紀にはキリスト教を受け入れる。周辺列強の支配や独立を繰り返すも、
 1185年セルビア王国に繰り入れられる。
 1389年コソボの戦いで、セルビア王国はオスマン・トルコに敗退。オスマン・トルコの支配下に。
 ただし、アドリア海の沿岸は、ヴェネツイア共和国によって支配されていた。(下図参照)
 その後も山間の土地は自国民で支配。
 17世紀末になるとオスマン・トルコは目立って弱体化。
 1799年オスマン・トルコから独立。
 1877年露土戦争にセルビア王国と共に参戦。念願のアドリア海岸を獲得。
 1910年公国より王国となる。
 1912年、1913年の二度のバルカン戦争で多くの領土を得た。
 第一次世界大戦では、オーストリア軍に占領され国王は亡命。
 第一次世界大戦後、セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人の王国に参加。
 1929年ユーゴスラヴィア王国と改称。
 第二次世界大戦後はチトーのもと、六共和国の一つになる。
16世紀ヴェネツイア共和国の領土:薄緑の部分.

実際の支配地域はもっと広いが、煩雑故アドリア海の沿岸に限定。

ラクサ(共)とは現在のドブロヴニクのこと。
キリル文字、ラテン文字対比表:地名検索にご興味ある方はご利用下さい。
モンテネグロ走行路

 朝、ボスニア・ヘルツエゴビナのモスタルを出発したバスは一路南下、クロアチアのドブロヴニクを観光後、絶景のアドリア海に沿って、モンテネグロに入国、まだ、黄昏の残る頃、本日の宿泊地ブドヴァに着きました。
第十一日目  10月12日 モスタル->ドブロヴニクー>モンテネグロに入国、ブドヴァにて投宿
         長い一日でした。ドブロヴニクはクロアチアを参照下さい。
ブドヴァのホテルに夕方六時半頃到着。

すぐ夕食。

ホテルの前は海、黄昏れている。夏の海遊びの施設が見える。

夕食はブッフェスタイル。疲れたときは勝手に食べるのがよい。
第十二日目  10月13日 
複雑な湾の最奥部にあるコトルの街は、湾と共に、1979年世界遺産に登録された。

コトルの旧市街へ。

街は、前方を一周4km、厚さ10mの城壁に囲まれ、背後は天然の要害、オヴェツエン山が迫っています。
交易により得た富により築かれた豪華な館や、教会が建ち並んでいる。
要塞から見下ろしたコトルの街と港。停泊している船は、先日、ドブロヴニクで見た。
下の写真は、Nさんが要塞の頂上まで登り、撮影された貴重な写真です。グループの誰も挑めなかったカメラ・アングルです。
コトル湾沿いのドライブのあと、船に乗り湾に浮かぶ「岩のマリア島」へ

船から、島からフィヨルド、街の展望。

アドリア海こあるフィヨルドは、クロアチアの一部とここだけのもの。すぐ下の写真はNさんご提供。
街を散策、船に乗り島を訪れ、すっかり遅れた昼食は海鮮料理。空腹であれば美味しさはひとしお。
閑話休題。

美しい護岸に咲いていた桔梗。

俳句の季語は秋。

緯度から言えば、函館辺りですが、アドリア海のお陰で温かいのでしょう。
午後は上の写真にある豪華客船の脇を通って旧市街へ。
海岸縁は、もう夏の佇まいはなく、閑散としていました。
展望台より、スペティ・ステファン島を望む。

島全体が「アマン・リゾート」の施設

午後四時半、逆光です。
第十三日目  10月14日 旅も13日目、仲間の顔も名前も覚え、いや、嗜好まで知る仲となりました。
幸にも、喧嘩する人もなく平穏です。

今日は、アドリア海岸のブドバから、セルビア北部のノビ・パーサルまで310kmのバスの長旅です。この距離は東京から豊橋にあたります。
14日朝、起きれば強風。秋が深まったこと歴然です。8.00出発

コトルを出発して間もなく、展望台からコトルの街とアドリア海見納めの写真を撮る。
バスの窓の右にスカダルスコ湖が見えます。

湖の向こうはアルバニア。

バスの窓越しの撮影
10.00写真ストップ

モラチア渓谷。川の名はモラチア川。スカダルスコ湖に注いでいる。標高1000mの山がなす谷は深い。
モラチア修道院見学。蜂の巣箱が一杯。朝早すぎたのか、売店は鍵がかかり、蜂蜜は買えませんでした。
山間のきれいな空気、抜けるような青空、ひんやりした気温。
教会は14世紀時代のもの。現在15名の男子修道士が生活している。
標高1000mのコフシンのホテル。

少し離れた山は薄化粧、スキー客用のホテルです。
運転手が全員のパスポートを纏めて、セルビア側の入国手続きを済ませる。
国境に緩衝地帯があり、無事、セルビアに入国。
17.45、セルビアのノビ・パサールのタジホテルに到着。
途中に昼食、休憩等休みもありましたが、約10時間のバス移動でした。
次の訪問国、セルビアへ
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