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5.世界の鯉釣り |
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| 旅の目的 1.フランスの田舎を廻りたい。 2.フランスの田舎料理を食べたい。(パリのいわゆるフランス料理でない) 3.趣味の鯉釣りをしたい様な川はないか? |
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| 旅行ルート | |
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| フランスの概要 面積:55万km2(日本:37.8万km2 人口:6290万人(日本の約2分の1) 首都:パリ 人口:217万人 民族:ケルト人、ゲルマン民族などの混血 宗教:カトリック80% イスラム7%等 |
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| フランス小史: 主として今回の旅に関係ある項目に絞る 紀元前1200~700 ケルト人到来 紀元前600 マルセイユが古代ギリシャ人の植民地に 紀元前19頃 ポン・デユ・ガール水道橋建設 5 ニームにメゾン・カレ建設 360 パリの古称リユテティアをパリと改名 508 パリがフランク王国の首都となる 732 ポワティエの戦いでイスラム教徒を撃退 820 ノルマン人の侵入始まる 911 ヴァイキングがノルマンディー公国を建設 11世紀ー12世紀 ロマネスク様式の建築 12世紀ー15世紀ゴシック様式の建築 1253 ソルボンヌ大学創立 1309ー1377 教皇のアヴィニオン捕囚 1337 英仏百年戦争始まる 1347 ヨーロッパでペストが流行る 1429 ジャンヌ・ダルク オルレアンをイングランド軍から解放 1431 ジャンヌ・ダルク ルーアンで処刑 1453 英仏百年戦争終わる 16世紀ー17世紀初頭 ルネッサンス建築 1519 ロワールのシャンボール城建設開始 1589 ブルボン朝始まる 16世紀後半ー18世紀前半 バロック建築 1643 ルイ14世即位 1662 ヴェルサイユ宮殿建設開始 1682 宮廷がヴェルサイユに移る 18世紀中頃 ロココ建築 1770 ルイ16世マリーアントワネットと結婚 1774 ルイ16世即位 1789 バスティーユ襲撃によりフランス革命勃発 1792 ルイ16世マリーアントワネット処刑 王政廃止宣言 1793 ルーブル美術館開館 1804 ナポレオン1世即位 1814 ナポレオン1世 イギリス、ロシア、オーストリア、プロシア連合軍に敗れ、 エルバ島に流刑 1852 ナポレオン3世即位 1870 仏普戦争勃発 1874 第1回印象派展覧会開催 1880 三色旗が国旗となる 1900 パリのメトロ開通 1914 第1次世界大戦勃発 1939 第2次世界大戦勃発 1944 連合軍 ノルマンディー上陸 1946 第1回カンヌ映画祭開催 1986 オルセー美術館開館 2002 ユーロ流通開始 |
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| 6月2日 | チューリッヒ乗り換え、コート・ダジュールの中心都市ニース空港へ、18.05到着。 |
| ニース泊 | |
| 6月3日 | ニース近辺を周遊、モナコも見てニース泊 |
| サン・ポール・ド・ヴァンス | |
| サン・ポールは丘の上の鷲の巣村 | |
| サボテン公園から眼下の地中海。 | |
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シャガールの眠っている墓地。 墓石も撮りましたが、掲載は止めます。 そうでなくても、教会と墓地、廟の見学が多すぎます。 注:シャガールはユダヤ人を両親として、ロシアに生まれ、1910年パリに出た。その後もフランスへの入出国はあったが、1949年以降、南仏で制作。 シュールレアリズムの先駆者と言われる。 1887-1985 高知県立美術館に作品の一部が展示されている。 http://kochi-bunkazaidan.or.jp/~museum/ |
| エズ | ![]() |
| 孤立した高い丘の上に、城塞を築いて敵の侵入を防いだこの地方特有の城塞村。 こんな角度から写真を撮れるところに観光バスは行けません。絵葉書でよろしく。 |
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| モナコ | |
| モナコ公国 面積:1.95km2ー日本の皇居の2倍程度 人口:3万2千人(2005) 公用語:フランス語 通貨:ユーロ |
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| フランスの一部という感じ。 お金が全てです。個人旅行であれ、団体旅行であれ、関係ない範疇の国。 自家用機で来て、ニースの飛行場に駐機、個人所有のマンションに泊まる。 ニースやカンヌもそうゆう街です。 |
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| 王宮 王宮前は、観光客で混雑しています。絵葉書で間に合わせ。 |
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有名なカジノ。 浮世絵の展示会をやっていましたが、時間もお金もないからカジノは入り口まで。 しかし、この建物を入ると、守衛が居て、鞄やカメラは、原則、持ち込み禁止です。 モナコやニースはイタリアのサボイア家の所領であったこともあり、今も、多少のイタリア語が通じるようです。肩掛けの小さなバッグを持っていましたが、守衛に、イタリア語で持ち込みできますかと聞くと、頷いてくれました。 |
| モナコ・グランプリはモンテカルロの一般道を利用しています。2008年は5月に終わり、丁度、組み立て式観覧席を撤去していました。 市街地の狭い道路走行のため、追い越しは難しく、最終日のポールポジションをとった車が有利とのこと。 写真は同行のSさんご提供 |
1974年 グランプリを走行したフェラリ312。 帰路、チューリッヒの飛行場の展示場で撮影。 1974年はロータスが優勝しています。 フェラリの優勝は、最近では2001年で、以後優勝はありません。 |
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| ニース | |
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宿泊したホテルを出て、直ぐ右がノートルダム教会。 これからも、嫌になるほどノートルダム寺院にお目にかかります。 ノートルダム(Notre Dame 聖母マリア)の名を冠した教会に、思い出せないほど巡り会います。 |
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鉄道橋の影で、見づらいですが、スマートな市電が走っていました。 他の都市でも、市電が印象的でした。 |
| 海岸縁の公園の西洋菩提樹。 香りは今ひとつ。 |
写真写りが不鮮明で済みません。 ここにも泰山木があり、花が満開でした。 泰山木:俳句の季語は夏 |
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| 西洋菩提樹の花 |
泰山木の花 北米原産の木蓮科。花には芳香あり。 |
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| 6月4日 | 二連泊のニースを立ち、カンヌ経由マルセイユへ。 |
| ニース | ![]() |
| 人口35万人 第二次世界大戦前はヨーロッパの王侯貴族の避寒地 イタリア風の旧市街、しかし、今でも、庶民とは無縁の金持ちの街です。 旅行者は通り過ぎてゆくのみです。 |
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| ニースの宿からシャガール美術館に直行しました。 ここには、シャガール美術館を訪問した記録の写真2枚を付けておきます。 個人的に、シャガールの作品にぜんぜん興味がありません。 シャガール:1887-1985 ユダヤ人を両親としてロシアに生まれる。 ロシアには居を移したり、パリに戻るなど色々あったが、シュールレアリズムの先駆者の一人とされる。 |
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| シャガール美術館は、写真撮影可でした。日本人の現地ガイドさんの流れるような説明に感嘆。良く勉強しておられます。 | |
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| カンヌ | ![]() |
| 人口約6万9千人 映画祭や音楽祭が通年続く。 イベントはありませんでしたが、ニースの飛行場は自家用機が、駐機場一杯に並んでいました。 |
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| 映画祭の時には、自家用機で参加する映画人が多く、ニースの飛行場は自家用機が、駐機場一杯に並ぶとのこと。ニース、カンヌには、豪華マンションを持っている映画人やお金持ちも多いという。 無縁の私には、単なる通過点です。 眩しい陽光でした。 |
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| マルセイユ | |
人口約82万人。 流れ込む不法移民に悩む町。 紀元前600年、小アジア出のギリシャ人が港を開き、マッサリアと呼んだのが始めという。 中世には、積み荷と共に上陸したペストで、街の人口の半分が失われたという。 第二次大戦では、アルジェリア人やモロッコ人が、フランスの為に戦い、戦後、彼等もフランス人と同様な福祉を受けられた。やがて、アフリカの親類縁者も呼び寄せられ、もう、追い出せないフランス人となった。 |
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| 右記聖堂に登る丘の麓の罌粟の花 罌粟の花:俳句の季語は夏 |
ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バシリカ聖堂 |
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ここが要塞であることを物語っているのは、この跳ね橋です。 |
| 丘の頂上からの旧港と地中海の眺め | |
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| 丘を降りて旧港へ。ヨットレースの準備中でした。 外航船は全て新港へ |
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| ランコンド・プロヴァンス | マルセイユ市内のホテルが取れず、郊外のランコンド・プロヴァンスのホテルに泊まる。 一泊。 |
| ランコンド・プロヴァンスのホテルの庭。エニシダ(左)や、ふんわりした花の木。この先はオリーブの畑。 エニシダの時期らしく、道の両側に咲いているが、高速のバスから撮りにくく、やっとの撮影。 |
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| エニシダ (金雀児) 季語は夏(5月) | スモーク・ツリー (煙の木) |
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| 夕食のブイアベース bouillabaisse | ![]() |
| マルセイユの名物と言えばブイアベース。この旅の予定表にも入っており、頂くことになりました。私には、最初出てきた、魚のスープの方が美味しかったです。漁師達が、多分、あまり売れない雑魚をごった煮にしたのがもとでしょう。 当然、人気のあるエビなどは入っていません。エビが入っている方が美味しいでしょう。スープに浸すパンが、お代わりを頼まなくても、どんどん出てくるのが、いかにも漁師料理です。 これなら、我が家でも出来るでしょうが、多種の魚を、大鍋で煮るには、大家族で無ければ無理です。 |
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| 6月5日 | ランコンド・プロヴァンスのホテルを発ち、セザンヌ故郷エクサン・プロヴァンスへ向かう。 |
| エクス・アン・プロヴァンス(エクサン・プロヴァンス) | ![]() |
| かってのプロヴァンス伯爵領の首都 セザンヌはここで生まれ、ここで息を引き取った。ここに、彼の絵は残っていないという。 人口約13万7千人 |
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| 市庁舎広場と時計塔 | ![]() |
| サント・ヴィクトワール山:写真ストップ。セザンヌが描き続けた風景がここに! | |
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| セザンヌのアトリエ | 写真省略 |
| サン・ソヴール寺院 セザンヌの葬儀が行われた教会 |
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| エクス・アン・プロヴァンスの中心、ミラボー通り。 並木のある落ちついた通り。 朝市で賑わっていた。 |
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| ミラボー通りのレストランで昼食後アルルへ | |
| アルル | ![]() |
| 人口5万5千人 ゴッホの愛した町 |
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| ゴッホ: 1853-1890 オランダの画家。 後期印象派を代表する一人。 |
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| 戦争で壊れた後、別の場所に復元された「ゴッホの跳ね橋」。何の変哲もないところに・・・・。 | |
| 「ゴッホの跳ね橋」 写真は同行のSさんご提供 一眼レフの威力です。 |
左に橋を見て、右を向くと、何の変哲もない、濁り水の運河。 こんな所にも日本人は来ます。 |
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| ゴッホのカフエのモデル。 一杯のコーヒーを飲む時間もありませんでした。 |
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| アルルに残るローマの遺跡。 紀元前1世紀頃、カエサルの時代にローマの植民地となる。 改めてローマの偉大さを! 世界遺産:アルルの遺跡とロマネスク教会 |
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| 円形劇場の遺跡。収容人員2万人という。 2層60のアーチからなるローマ時代の闘技場。 建設当時は3層のアーチがあったという。 |
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| ラタトウイユ(ratatouille) 野菜のごった煮 | 各種野菜をオリーヴオイルで煮込んだプロヴァンス地方、ニースの料理 |
| 旅先の食事の問題点は、野菜不足です。長年の旅の智恵で、気が付けば、果物を仕入れて鞄に入れておきます。 そんな気遣いの時、出てきたのが、この野菜のごった煮です。なす、ピーマン、トマト、ズッキーニ、ニンニク等の野菜の煮込みですが、とても美味しかったです。 最後のケーキは何時も甘い。 |
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| 6月5日はアルル泊 | |
| 6月6日 | アルルを散策し、アルルに泊まる一日。 |
| フオンヴィエイユ アルル近郷の村 | 旅の順序として、朝一番に風車小屋に。 |
| アルフォンソ・ドーデ(1840-1897)。 南仏、ニームに生まれる。 |
風車は、近くを流れるローヌ川流域に吹く北風(ミストラル)の風力を利用していた。 |
| 彼の短編集「風車小屋だより:1866年」に出てくる風車。 ここに住んだとも言われているが、現存しているのは、復元されたもの。 |
風車小屋の裏に転がっている?石臼。 |
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| 風車小屋の中は、今は、小さな博物館と、物好きな観光客相手の土産物屋に | 風車小屋の横手には麦の原種が自生 |
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| ドーデが愛したプロヴァンスの自然は、今も、風車小屋のある丘の上から眺められます。 | |
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| レ・ボー・ド・プロヴァンス | アルル近郷の寒村 城塞の廃墟 |
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中世の頃、この地を治めたボー家(Les Baux)は南フランス最強の勢力を誇り、80の町を従えていたという。 14世紀にボー家の血筋は絶え、1632年ルイ13世の宰相リシュリューにより、完全に破壊された。 ボー家は城塞の建設、改修に領民を酷使し、もう、城を見たくない領民が、城を破壊して欲しいという訴えもあったという。 |
| 城主は、征服地の素晴らしい眺めに悦に入っていた。 | |
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| 廃墟の城塞を降りると、麓は一面のオリーブ畑 | |
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| サン・レミ・ド・プロヴァンス | アルル近郷の町 人口1万人 |
| サン・ポール・ド・モーゾール修道院 | 1889年5月、ゴッホはこの修道院に併設された精神病院に入院。 約一年間ここにいる間に、ゴッホは油絵147点、素描123点を描き、院長に贈呈。しかし、その息子は、狂人の絵は不要と言って破棄。 今は残っていない。 |
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| ゴッホの像 | ゴッホも眺めた中庭は当時のままという。 |
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| アヴィニヨン | ![]() |
| ヴァチカン以外で、唯一法王庁の置かれた町 人口9万人 世界遺産:アヴィニヨンの歴史地区 |
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| ローヌ川の対岸に聳えるのが法王庁。 聖像等は、フランス革命の時、破壊されたり、持ち去られたりで内部はがらんどう。 釣り好きの私には、そんなことより、ローヌ川の汚れにがっかり。我が釣りのホームグラウンド利根川に如くはなし。今回の旅の確信です。 |
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| ローヌ川の濁った流れ。難しい釣りの許可証など申請する気にもなりません。 | |
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| アヴィニヨンの町角で | |
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| ポン・デユ・ガール・アルル | ニーム近郷 |
アヴィニヨンとニームの中間辺りに位置する、ローマ時代の水道橋を観光。 世界遺産:ポン・デユ・ガール |
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| 取水口は左手、山中にあり、水道水は左より右に流れていましたが、今は使われていません。 水郷橋が跨いでいるのは、川です。 |
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| 右の写真にある川を跨ぐために、巨大な水道橋が作られた。 澄んだ水の流れている川ですが、一人の釣り人もいませんでした。 |
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| 夕食は自由食、つまり、自前です。 | |
| 街中に、闘牛のシチューを食べさせるレストランがあると誘われましたがパス。 | |
| 6月6日はこれで終わり。アルル泊 | |
| 6月7日 | 朝、アルルを発ち、ニーム経由、カルカソンヌへ。 |
| アルル郊外の広い水田 | |
| アルルのホテルを出て間もなく、直播きの水田に出ました。 作日、ホテルに行く道で、この水田に気づきました。今朝、バスの中から急いで撮った写真です。ガラスが反射して見にくい写真ですが、私にとっては貴重な写真です。 |
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| ニーム | ![]() |
| デニム発祥の町 人口14万人 |
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| この町のキーワードは、フランス最古のローマ植民地、そして、泉の周囲に出来た町。 | |
| フォンテーヌ庭園。古代ニームの人達が信仰していた、聖なる泉がある。 | |
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| メゾン・カレ。ギリシャのパルテノンを思わせる四角い神殿。コリント様式の柱頭はいかにもギリシャ風。西暦5年、この地を、ローマの植民地としていた、アウグストウ大帝のの子孫に捧げられた物。 右側は、補修中で、全体の写真は撮れませんでした。 |
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| 紀元1世紀の建設当時は、2万1千人収容できたという。 | |
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| ローマ時代は、奴隷同士の闘技も行われていたが、今は、闘牛、演劇、ダンス、ロックコンサートなど様々な催しが行われている。 保存状態はいい。 |
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| ローマ遺跡と対峙する近代建築と教会 | |
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| カルカソンヌ | ![]() |
| スペインから他のヨーロッパへ、また、ヨーロッパからスペインへ通じる、古来の交通の要衝であった。 従って、二重の城壁を持つ堅固な城塞が必要であった。 1659年、ピレネー条約により、スペインとの国境が西、ピレネー山脈に退くと、もはや、城塞としての役割は終わり、衰退していった。 人口4万6千人 世界遺産:カルカソンヌの歴史的城塞都市 |
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| コンタル城 | |
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| 映画「ロビンフッド」のロケ地にもなったという。 今は、多くの観光客が訪れる、一大観光地。 城塞は52の塔を持ち、ピレネー山脈まで数十キロメートルあります。 遙か彼方の山は、ピレネー山脈と教えられましたが、さて、そうでしょうか? |
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| カルカソンヌ駅 | カルカソンヌ駅前は、もう、ミディ運河 |
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| ミディ運河 | 地中海と大西洋をつなぐ運河 世界遺産:ミディ運河 |
| 大西洋に河口を持つカロンヌ川沿いのツウールーズと地中海の港町セートの間、240kmを結ぶ水路がミディ運河です。 | |
| 17世紀にポール・リケが、高度な土木技術を駆使して建設を始める。 水道橋や水門を作り、財政的に困窮した時もあったが、完成後は、南仏の交易と商業は飛躍的に発展した。 地中海から、ジブラルタルを経由し、スペインに徴税されていた時間的、経済的な負担もなくなった。 高低差は、パナマ運河と同じ仕組みで舟を渡します。 |
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| 運河クルーズも呼び物ですが、流れの弱い運河のため、水は濁っています。 初めて見た釣り人、獲物はナマズ。フライにして食べるそうです。 |
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| 博物館で見た、運河開通時の様子を描いた絵画。開通前に想像していた以上の賑わいで、運河の通行に無関心であった、運河から外れた町の商人は大いに慌てて、運河の支流を要望したという。 | |
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| 6月7日カルカソンヌ泊 | |
| 6月8日 | カルカソンヌのホテル発ートウルーズ市内観光ーシャトー・フラン・メイユでワインの試飲ーボルドー。バスの走行距離368km。 |
| トウルーズ | ![]() |
| 市内観光 人口43万人 |
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| 1760年完成の市庁舎。レンガと白い石を組み合わせた建物は、横幅150m。正面の一部です。 | レンガ造りの古い街並み |
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| サン・セルナン・バジリカ聖堂。3世紀にトウルーズにキリスト教を広めた聖セルナンが奉献されている。11世紀に、サンチャゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)巡礼の街道上の重要な巡礼地となる。 | ミディ運河はここトウルーズが終点 |
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| 名物料理 カスレ cassoulet | ![]() |
| 昼食は、前菜のフォアグラ、そして、当地名物料理 カスレcassouletでした。 添乗員さんが、カスレの調理方法を、メモしてくれましたが、ここでは割愛します。たっぷり時間をかけて作る料理ですから、一般家庭では無理かも知れません。特に白インゲン豆を、一晩水につけ、あくを抜きながら茹でる等は、我が家向きではありません。 細かいことを書く気はありませんが、簡単に言えば、野菜をとろける程煮て、白インゲン豆、豚肉、鴨の脂身などと煮込んだ料理です。最後に焼きソーセージを入れ、冷ましたり、二度もオーブンで焼くなど、手の込んだ料理です 田舎料理ですから、塩味が効いていましたが、とても、美味しかったです。塩辛いと言ってパスでした人もいました。 |
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| ボルドー | ![]() |
| ボルドー市内に入る前に、ワインの試飲です。 シャトー・フラン・メイユでワインの試飲 |
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| 食べ物や飲み物は、人それぞれ。ワインも美味しいという人と、不味いという人に別れました。仕事でヨーロッパに来ていた時代から、ワインの味に対する好みは、ヨーロッパ人と、日本人、特に私とは大きな違いがありました。 | |
| 葡萄は全て手摘みと言っていました。 | ワインを寝かせる貯蔵庫は石切場の跡 |
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| 6月9日 | ボルドーからポワティエを通ってトウールまで。 そして、トウールに連泊。 |
| ボルドー | 市内観光。ガロンヌ川を挟んだ港町。 人口23万人 世界遺産:月の港 2007年に指定 |
| カンコンス広場 自由の女神像 |
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| 18世紀の建築物が良好に保存され、市内を流れるガロンヌ川岸整備、トラム(市街電車)の開通等が評価され、世界遺産に指定された。 | |
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| ボルドーの市街電車。スマートで気に入りました。 | |
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| サンタンドレ大聖堂。 途中で、もう、教会巡りは止めにして欲しいと言われる方がいらっしゃいました。 良く解りますが、ヨーロッパの団体旅行は、教会巡りを止めると行くところがありません。 どうしても、教会巡りが嫌なら、個人旅行で、自分の好きなところに行くほかありません。 |
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| ガロンヌ川を中心とした港町です。この辺は、汽水域(汽水とは海水と淡水の混合による低塩分の水のこと)で、当然潮の干満の影響があります。水深8-10m。それにしても濁った水です。利根川や信濃川を見ている者には、どうして、こんなに濁っているのかという疑問です。 | |
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| ボルドーはかってイギリス領だった。 1152年、この地を相続したアリエノール・ダキテーヌが、後に、イギリス王となるアンリ・ブランタジュネと結婚し、ボルドーを含むフランス南西部を嫁入り財産としたためだ。 しかし、爾後、イギリスはフランスワインの最大の市場となり、ボルドーに莫大な富をもたらした。そして、より良質のワインを求めたイギリス人のお陰で、大きく発展した。 フランスがこの地をイギリスから取り戻すのに、300年かかった。 |
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| ポワティエ | ![]() |
| パリから300km、クレイン川を見下ろす丘の上の町。 フランク王国の君主シャルル・マルテルがイスラム教徒を、732年に撃破した町。 人口8万7千人 |
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| ノートルダム・ラ・グランド教会 松ぼっくりのような尖塔が特徴の12世紀の教会。 |
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| ジャンヌ・ダルク像 ここで、宗教的尋問を受ける。 戦いに参加しない神父の暇つぶし? |
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| サンピエール大聖堂 | ![]() |
| トウール | ![]() |
| 今日はトウール泊。 ロワールの古城観光の拠点。 人口14万人 |
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| トウール駅 | |
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| ロワールの古城 | 世界遺産:ロワール渓谷 |
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| ヴィランドリー城 道路の反対側に位置し、大型バスゆえ旋回も思うにまかせず、さりとて、城見学の時間的余裕もなく、残念ながらこの写真で、不満ながら終わり。 既に夕方6時半頃でした。 |
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| トウール泊 | |
| 6月10日 | トウールはロワールの古城見学の拠点ゆえ、今日もトウールに泊まり、朝から、ロワールの古城見学に集中。 今日はトウールに二泊目となる。 疲れも溜まり、連泊は助かる。 |
| アンボワーズ城 1496年、イタリア遠征時に、イタリアの洗練された生活に魅せられた、シャルル8世は、画家、造園家、料理人、仕立て職人など、あらゆる文化の担い手をイタリアから呼び寄せた。 しかし、城は工事が進んでいたため、イタリアの影響は少ない。 現存するのは、巨大円塔、ミニムの塔と、これに接続する中央棟だけ。 |
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| せめてロワール川が青く済んでいたらと残念です。 | |
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| レオナルド・ダ・ヴィンチはここの城主に招かれて住み、当地に墓がある。 | |
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| シュノンソー城 下記のシャンボール城より僅かに早い時代に作られた。 16世紀の創建以来、19世紀まで代々の城主が女性で、「6人の女の城」ともよばれている。 二番目の城主、ディアーヌ・ド・ボアティエは、時の王アンリ2世の寵姫で、20歳も年長でありながら、衰えることなき美貌で、王の愛を独占したという。 しかし、アンリ2世の死後、正妻、カトリーヌ・ド・メディシスは、積年の恨みを晴らすべく、ディアーヌ・ド・ボアティエを、城から追放し、三番目の城主となる。 |
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| 城に続く並木道 | 逆光になっていますが、西洋菩提樹の花。 |
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| 城は、シェール川を跨ぐように造られている。 | |
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| この城が、シェール川に浮かぶ舟の如く撮るのが最高だそうです。 川の水は、ご覧の如く濁っています。 |
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| シャンボール城 16世紀早々に着工されたこの城は、時の王フランソワ1世の生涯を通して、工事が継続された。 フランソワ1世が若き頃、愛妾、トウリー伯爵夫人が住んでいたのが、ここに、築城した動機という。 ルイ13世はここで侍女と逢い引きし、ルイ14世は美女ラ・ヴァリエールを連れ込む城となった。 ルイ16世が処刑されるフランス革命へと、歴史は続いていく。 |
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| 不思議なことに、この壮麗、巨大な城塞の設計者が未だ明白でないという。 | |
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| 城主は誰で、どんな事件があったのか、くどくど聞かされても、私には、ただ、退屈でした。 庭にある西洋菩提樹が満開であったのが印象的でした。 |
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| ブロワ城 当地で生まれたルイ12世がフランス王に即位した1498年から、アンリ4世が宮廷をパリに移すまでの約100年間、フランス王の第一城だった。 入り口にはルイ12世の騎馬像がある。 |
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| 多くの城塞を見てくると、やがて、増税に耐えられなくなった、国民が、フランス革命に向かっていく遠因を理解できます。 | |
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| 6月11日 | 今朝はトウール発、旅の目玉の一つモン・サン・ミシェルに向かう。 モン・サン・ミシェルを観光した後、50km西のサン・マロに泊まる。 |
| バスの車窓より、ロワール川との別れ。 現地の女性ガイドは、ここで、パイク(川カマス)、鯉等釣れると言うが、釣りの経験もない人、特に女性に釣りの話しを聞くのは、一番、当てになりません。 |
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| モン・サン・ミシェル | |
| 住人50人 世界遺産::モン・サン・ミシェルとその湾 |
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| フランス北部、、イギリス海峡に面した一帯は、9世紀頃、バイキングとして侵攻してきて、この地に住みついた、ノルマン人に因んで、ノルマンディーと呼ばれるようになった。 | |
| ノルマンディーの名産品は、チーズ好きなら知っているカマンベール。 シードル(リンゴ酒)、子羊プレ・サレ、ムール貝等です。 |
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| バスの車窓より近づくモン・サン・ミシェルを眺めて | |
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| 巡礼者のお腹を満たした巨大オムレツ。 ただし、泡立てた卵のため、ヴォリューム程の満腹感はありません。 |
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| モン・サン・ミツシェルを眺め、海浜の草を食べ、名物プレ・サレ*になる子羊達? ここに押し寄せる観光客の大軍。彼等のお腹を満たすほどの子羊はいないと思いますが如何。 我々グループの大半の女性は、羊は、羊臭いと言って殆ど残してしましました。私にはとても美味しかったのに! |
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| * プレ・サレ(pré-salé) 塩分を含んだ草地で飼育された羊. pré:牧場 salé:(形容詞)塩分を含んだ |
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| 少し接近してモン・サン・ミツシェル。写真は同行のSさんご提供。一眼レフの威力歴然です。 | |
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| 修道院であり、城でもあった。狭い通路と両脇の土産物屋を抜けて登っていきます。 | |
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| 坂を登るのも大変で、路傍の草花で気休め。 | 跳ね橋を見ると、ここが城塞にも使われていたのが分かります。 |
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| 最上階の回廊と中庭 | |
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| 川の流れ込みや、巨大駐車場で付近の砂の流れが変わり、海に浮かぶ島という景観が変わりました。砂を取り除き、駐車場を2km手前にして、シャットル・バスで観光客を移動しようという計画です。2012年に完了すると言うことです。 | |
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| 上の景色の反対側(下の写真)は海です。 | |
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| サン・マロ ここは、ブルターニュです。 そして、昔、外国船を襲う公認の海賊を生業とした町です。 |
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| モン・サン・ミシェルは、欧米人の観光客は勿論、次々に訪れる日本人の観光団にうんざり。 やっと、日本人観光客を目にしない町に落ち着いた。 人口5万3千人 |
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| 海賊の町らしく、先ず、港。海賊達はここから出航していった。 港は日暮れになっていました。 |
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| 海賊は、逆襲に備えて、二重の高い壁を造り、これが、今も、町を護っている。 しかし、聞けば、この街は第二次大戦中に街の80%は破壊され、戦後、崩れた石を一つずつ積み上げて元通りの街にしたと言うことです。 |
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| 二重の壁の入り口より街中に入ると、路地は狭く、道に迷いそうになりますが、何時も、目標にしていたのは、右手正面に見える大聖堂です。 | ![]() |
| 外壁に沿って街の北側に出ると、海賊達の稼ぎ場であった海に出ます。防潮提や高波を防ぐ木杭の放列を見ると、潮の干満の大きさや、大波を防ぐ智恵が読み取れます。 オランダの北海に面した海岸で、大きな木杭が、数多く海中に打たれ、波除けにされていた情景を思い出しました。 |
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| さて、海側、北海に目を向けると海に突き出た砦が見えます。残念ながら、砦の中に入る時間がありませんでした。 1689年、サン・マロの守りを強化するため、ルイ14世が築かせた。干潮時には、ご覧の如く歩いて渡れる。 |
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| 場所を移動し、別の砦で、夕日の落ちるのを待ちました。 北海からの海風は冷たく、長袖のシャツ一枚では耐えられない冷たさでした。飛行機雲が暈けていき、夕日に雲がかかり始め、ここで、海に沈む夕日を撮るのは諦めました。 |
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| 夕食:シードル(リンゴ酒、ノルマンディーの特産) ムール貝の前菜 ロースト・ビーフ チョコレート・ムース ホテル食は、無難で、平均的な好みに合わせた味です。 ロースト・ビーフは美味しかった。 |
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| ムール貝の前菜 | ![]() |
| 6月12日 | サン・マロのホテルを朝、出発するときは小雨。雨の中の観光を覚悟したが、間もなく雨は止む。 |
| オンフルール | ![]() |
| 印象派の画家達が愛した港町 人口8千500人 15世紀の英仏100年戦争の拠点として、名をとどめたが、今は、北のリゾート地。 |
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| セーヌ川の河口にある古い漁港の町 | |
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| 落ち着いた、小さな港町の雰囲気 | |
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| 昼食時の前菜 | ![]() |
| 15世紀の英仏100年戦争後、船大工達によって建てられた木造の教会。中に入ると船倉の感じです。 | |
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| ルーアン 人口11万人 ジャンヌ・ダルク終焉の地 |
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| オンフルールより、バスで約50km東進。 セーヌ川沿いの町ルーアンに移動。 ルーアン市内観光後ルーアン泊 |
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| サン・マクルー教会 | ![]() |
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| 中世の面影を残す街並みと、木造の壁面 | ![]() |
| 一本針の大時計は14世紀、門は16世紀に作られた。 | |
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| ジャンヌ・ダルク終焉の地 | |
| 15世紀、フランスが苦戦している英仏戦争のさなかに現れた、救国の少女ジャンヌ・ダルク。 毀誉褒貶は時の流れとはいえ、救国の19歳の少女に、魔女の汚名を着せ、火あぶりにする宗教の残虐。 |
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| 火あぶりの刑の象徴? | ジャンヌ・ダルク教会 |
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| なお、ジャンヌ・ダルクについて、詳細ご興味ある方は、インターネットで下記を検索して下さい。 | |
ジャンヌ・ダルク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia) |
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| ここは、セーヌ川が大西洋に注ぐ河口から、直線で50-60kmで、利根川なら千葉県佐原市の近辺に当たります。流れは、海の干満と相まって緩やかになり、川は蛇行しますが、これがセーヌ川のなれの果てかと思う狭い川幅です。 川の流量は、流域面積や降水量の掛け合わせになりますが、パリの年間降水量約600mm、東京の年間降水量約1500mm、その差は歴然です。 |
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| フランス(パリ・ニース)と日本(東京)の平均降水量の差 | |
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| 千葉県香取市付近の利根川(右)と較べると、水量の差は歴然で、多雨の日本、瑞穂の国に生まれた幸せを感じます。 |
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| 今日6月12日はこれでお終い。 ルーアン泊 |
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| 6月13日 | 朝、ルーアンより東南に向け出発。 パリまで約100km。ほぼ中葉にあるジヴェルニーに立ち寄ります。 そして、パリに入る前にヴェルサイユ観光をし、夜は最後の宿泊地パリに入ります。 |
| ジヴェルニー | |
人口約500人の村 |
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| モネが晩年に過ごした村。 庭や家も残っています。 |
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| 引き込んだ水路 | |
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| 睡蓮の池 | |
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| 庭はよく手入れされていました。花が咲く季節に限り公開されているそうです。 | |
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| 平成20年9月14日、日本経済新聞「美の美」 |
大正時代半ば、西洋絵画が日本に押し寄せ、その中心が印象派のクロード・モネであった。 |
| 多くのフランス絵画の巨匠の中で、モネが日本人に好まれる理由に、モネの絵には日本美術の花鳥風月に通じるところがある事をあげていました。 確かに、絵画の鑑賞には、その国の文化や、特に宗教に対する理解、造詣が欠かせないのに、モネの絵画鑑賞には、必ずしも、その必要がないことをあげていました。 |
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| ヴェルサイユ | ![]() |
| 数多の観光本に案内されていますから、詳細は省きます。 何回目かの訪問ですが、好きでない観光地です。 世界遺産:ヴェルサイユ宮殿と庭園 |
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| 有史以来、最大、豪華宮殿をと言うルイ14世の命令で、50年に亘り、フランスの総力を挙げて建設した。フランス中のあらゆる分野の技術者、何万という労働者が日夜駆り出された。 そんな苦労を尻目に、宮殿の中で、貴族達は連立連夜のドンチャン騒ぎ。 やがて、フランス革命という王家滅亡の道へと連なっていく。 パンをよこせという大群衆のデモを見て、マリーアントワネットは、「パンがなければケーキを食べればいいのに」と言うエピソードを残して、王家は滅亡していった。 今も、上流階級とその他の階層にに別れているそうですが、日本も同じかも。 |
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| パリ | そして、とうとう最後の宿泊地パリに来ました。 ここは、自由時間となりましたが、喧噪の街に興味なく、一行の一部の人達と、オペラ座、オルセー美術館まで同行。 |
| 久しぶりのオペラ座。正面階段は、腰掛けたお上りさん。 | |
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| オルセー美術館の屋上からの眺め | |
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| オルセー美術館内の食堂のセット・メニュー、サーモン・グリルが美味しかったです。 今日は自由行動の日で、ランチは自前です。 |
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| ミュージアム・パスで、昔から興味のある廃兵院(Hotel des invalides、今は軍事博物館と訳してありますが意訳?)に行きました。 ナポレオン廟(墓)があり、終世、彼に忠誠であった、兄弟、部下の棺こ囲まれています。 ここを抜けるとHotel des invalidesです。 |
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| ナポレオン廟と廃兵院。オルセー美術館から歩いて来て、見学に2時間、お終いにします。 | |
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| セーヌ川に戻り、ルーブルを遠望して、今回の旅は終わりました。 世界遺産:パリのセーヌ河岸 |
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| 最後の晩餐 今回の旅で、グループ全員で夕食をとるのはこれが最後です。 エスカルゴ+牛肉煮込みのペンネ(penne-イタリア語、 ペン先型パスタ)添え+アップル・タルト キール酒は旅行社のサービスの様でした。 エスカルゴ(カタツムリ)は好き嫌いがあるでしょう。特に女性は。 タニシと同じような味かもしれませんが、タニシはあれ程念入りな味付けをしませんから、さて、どちらが美味しいのでしょうか。 タニシのぬた和えも美味しいですよ。 |
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| エスカルゴ | ![]() |
| パリから、チューリッヒ経由でスイス・インターに乗りました。 | ![]() |
| 観光バスで全周遊を走破 2500kmを観光バスで走破しました。バスはスエーデン製の大型観光バスです。スエーデン製の大型観光バスは、とても快適な旅をさせてくれました。残念ながら、大型観光バスの製造技術は、日本より上です。ヨーロッパ各地でお目にかかります。 もう一つの感動は、運転手さんが女性でした。運転手さんには、労働法で、一週間に、一日、休暇を与えねばなりません。その間、代わりの男性運転手さんが来ました。 車を運転する人なら、この女性運転手さんの、運転力量が直ぐ分かります。コーナーリング、バック、追い越し、どんな場面でも、繊細、慎重、手抜き無しです。思わず、感嘆の拍手が再々出ました。 写真がありますが、ホームページに掲載して良いか確かめるのを忘れました。従って、掲載できません。小柄で、フランス人には珍しく、英語が達者でした。 |
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| 蜂蜜 | 今回観光した地域で、趣味の蜂蜜を買いましたが、今まで、訪れた、バルカン諸国、イタリア、東欧、中欧に較べて蜂の巣箱を簡単に目にすることはありませんでした。 蜂蜜に関しては、下記蜂蜜のフランスの欄を見て下さい。 蜂蜜:ここをクリック |
| フランスの田舎料理 | |
| 食事の好みは、とても個人差があります。今回の旅行社は、サービスが良く(最近、どの旅行社もそのようですが)添乗員さんが、食事の時、持参の醤油を提供してくれます。 必ず醤油をかけないと気が済まない方が、おられます。そして、自前の醤油持参の方もおられました。他人様の好みを、とやかく申し上げる趣味はありませんが、折角、お金使って来ているのですから、私はその土地の味を知りたいのです。味見もしないで、出てきた料理に醤油をガバリとかける。私には、とうてい理解できません。 そして、食事の度に、料理に文句を言う方もいます。一緒に食べていて、楽しくないですね。気に入らなければ、パスすれば済むこと。限られた予算で旅するわけですから、気に入らなければ、お金払って、別メニューで注文も出来ます。 田舎料理は、日本でも塩味が効います。やはり、塩味が効いている料理もありました。どの料理も、ボリュームがあって、大食いの私でも、食べきれないほどです。土地土地の料理があり、味があり,飽きることはありませんでした。 Happiness consists in contentment. 英語の習い始めに出てきた諺ですが、実感です。平生の食事に、贅沢していないからでしょう。 仕事で、フランスへ来ていた時代、食事はパリか、取引先のあるリヨンが多かったです。リヨンは食通の街で知られ、何時も、美味しい料理ををご馳走になりました。 しかし、グループ・ツアーでは、払っている料金が知れているから、豪華版とはいきません。不満の時は、別メニューにするか、食事なしの時に、自分で好きなところに行けば済むことです。 温野菜の煮具合 メインディッシュに添える温野菜は歯ごたえの無いほど煮込んでありました。日本人からすれば、煮過ぎかと思いますが、だから、不味いというわけではありません。調理に対する感覚の違いでしょう。良く味がしみていて、美味しいとも言えます。 余談: 1.今回の旅で、蛙は出てきませんでした。一般向きでないからでしょう。若いとき、1960年代に、インドネシアに駐在していました。その時、グロス(12ダース)単位で、赤蛙の骨付きもも肉を、フランスが買い付けていることを知りました。当時のインドネシアは下水道が整っていませんでした。夜、カンテラを下げて、蛙を捕っていました。 今、日本では食の安全が話題になっていますが、フランスはどうなのか、聞き漏らしました。 2.フランスの鰻を食い尽くす日本人 フランス人も鰻を食べますが、料理方法は違うようです。今回は、グループ・ツアーで、出てきた料理を食べるのみですが(自由食の日もありましたが)、かって、賞味したのは、鰻の赤ワイン煮です。 ご興味ある方は、ここをクリックして下さい。 ここで、言いたいことは、日本は、中国産の鰻を大量に消費していますが、その稚魚は主としてフランス等ヨーロッパから輸入しています。昨年、EUは鰻の稚魚に輸出規制をかけました。 |
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| 5.世界の鯉釣り |
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