11.釣り場
 a 利根川 総延長322km
古くは刀禰とも書かれている。
万葉集上野国歌

刀禰河泊のかは瀬もしらずただ渡りなみにあふのす逢へる君かも
利根川の河瀬もしらずただわたりなみに逢ふのすあへる君かも

アイヌ語で大きな川のことを「トネ」と言うそうです。アイヌ語からきたのでしょうか。

刀祢川は寝ても見ゆるぞ夏木立             一茶

利根川下る大葦切に囃されて               金子兜太
利根川に関する書籍
 我が国を代表する大河であるため、多数の書籍があります。目に付くたびに収集してきましたが、最も気に入っている一冊をご紹介します。
利根川322キロの旅
平成9年(1997年)8月25日発行
上毛新聞社企画
A4版211頁

登場人物の多様なること、テーマの多岐なることから、誰でも何処かのテーマに惹かれることと思います。
写真の多さ、金子兜太の上流から下流までの吟行もあります。そして、釣り人に関心のある記事もたくさんあります。
利根川の区分
*上利根川:埼玉県栗橋町より上流
*中利根川:埼玉県栗橋町より千葉県印西市布佐町まで
*下利根川:千葉県印西市布佐町より千葉県銚子市まで
大利根橋上流
 大利根橋は利根川河口堰と一体です。この上手は好釣り場で、釣り人の絶えることがありません。
 2006年(平成18年)暮れに訪れたとき、年配の釣り人は、30年前よりここを釣り場としてきたが、30年前の十分の1程度の魚影になったと嘆いていました。
 私が最初に来た1984年(昭和59年)当時の秋口は、週末に、釣り場に入れないほどの混雑でした。
利根川左岸より大利根橋を望む(茨城県神栖町) 利根川左岸より大利根橋上流の水位計を望む(同)
草林乱杭との出会い(千葉県香取市(元佐原市)大倉、利根川左岸)
草林乱杭との出会い、1980年(昭和55年)10月。
下流を望む。東関東自動車道の橋もなく、すっきりとした展望。もう、帰ってこない景色です。
当時、Mさん所有の和船が置いてあった。
Mさんの話では、昔、和船右手の乱杭に足場があり、鍋、釜を洗い、流れたご飯が、鯉の付き場を創ったという。

東関東自動車道の橋もなく、二度と撮れない写真です。1981年(昭和56年)5月撮影。
 草林乱杭の変貌

 30年近い年月の経過は、釣り場歴史の変遷を語り、消えていった釣り人との別れを物語っています。鯉釣りの先駆者、故小西茂木さんや故山田薫さん達の、この釣り場に対する熱い語りを忘れてしまったようです。
2006年(平成18年)秋。草林乱杭上より下流を望む。

東関東自動車道の橋に視界を遮られ、川岸は、車両進入禁止で、荷物の多い鯉釣りの人は見当たりません。

釣場はすっかり寂れ、セイタカアワダチソウで、釣竿を立てるのも難儀です。
2006年(平成18年)撮影。
休日は勿論、平日も入れない釣り場でした。今はこんな有り様。
小見川大橋を望む。
利根川、今村水門上。左に長大な乱杭を見る。
1980年(昭和55年)10月撮影。
古い写真をスキャナーでとりました。画質はご容赦下さい。

車両進入禁止で寂れた名釣り場の一つ。
長門川水門先(千葉県印西市) 長門川排水機場先(同)
夕陽凍む一羽の鴎海へ行く          しんじ
長豊橋 利根川

 釣り人の姿が一年中絶えることのない有名釣り場。2006年(平成18年)、4.5月の連休初めは雨模様の生憎の天気でした。この日も午前中は豪雨、仕方なく足場のいい此処に来ました。右手、田螺で青魚をターゲットにしている二人連れ、その先もびっしり竿が並んでいました。
 当たりはもう一つ、でも、隣の釣り人と、我が愛車の前で、飽きることのない釣り談義。愛車の影が私。


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