11.釣り場
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| c 木曽三川:長良川、木曽川、揖斐川 |
1900年(明治33年)三川分流が完成し、各川沿いに堤防が築かれた。
分水工事が、本格化したのは、徳川幕府が外様の薩摩藩に川普請をを命じた宝暦治水事業1754年ー1755年(宝暦4年ー5年)からである。
薩摩藩は、膨大な工事費に苦しみ、完成直後に、家老平田靭負(ゆきえ)は責を負って自決した。一つのホームページが出来るほどの物語である。 |
| 長良川 |
長さ166km |
木曽川、揖斐川と平行して、伊勢湾に注ぐ。上流は多雨地域で、古来、洪水が多かったが、1892年以降、三川分流工事が行われた。
鵜飼いで有名、多くの市町村を縫って流れながら、未だ清流。第二次世界大戦前の様な水量がなくなっ たのが残念。
県庁所在地の岐阜市内で、蛍が見られるのは、知る人ぞ知るで、乱獲、絶滅をおそれて、宣伝していない。
河口堰完成後、鮎や鰻の遡上が減ったことは紛れもない事実です。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな 芭蕉 |
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| 長良川の鵜飼い。岐阜市内で交通は便利。 |
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左は、長良川旧東海道線鉄橋下です。
平成17年(2005年)10月の撮影です。
右手に堆く積まれたテトラ、橋脚まで迫っています。
此処は、私の大好きな鯉釣り場でした。
やたらテトラが放り込まれ、もう、鯉釣り場ではありません。
此処は、鮎、鯉、おいかわ(当地の方言でシラハエ)、ウグイの好釣り場でした。
写真、木と重なっていますが、鮎のコロガシ漁をやっていました。
釣果はさっぱりでした。 |
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| 新幹線鉄橋上手、左岸より眺める夏の暮 |
新幹線鉄橋上手、左岸より眺める夏の暮 |
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長良川、名神高速下、右岸。
正月の冬枯れ。
1984年(昭和59年)正月撮影。 |
2007年(平成19年)1月31日撮影。
同じ角度と場所から撮影できないほど川岸は変わり、大楊が生えていました。
暖冬で、菜の花が咲いていました。
川面は穏やかで、橋の影が綺麗に写っています。
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木曽三川に触れると、避けて通れないのが、宝暦治水です。この宝暦治水は、工事を実行した薩摩藩、工事を命じ、監督した幕府、そして地元の農民の、三者三様の立場と見解があります。私が最初に読んだのは、杉本苑子の直木賞、「孤愁の岸」でした。その後、幕府側、農民側と読みましたが、今回は杉本苑子の「孤愁の岸」に触れておきます。
この話は壮大です。
東京勤務の間も、生まれ故郷の岐阜市には、毎年、帰省していました。そして、正月には、此処、治水神社にお参りし、お神籤を引き、大切に財布に入れていました。吉であろうが凶であろうが。
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宝暦治水(1754〜1755年):
濃尾平野を流れる木曽三川は、今は、綺麗に分流され伊勢湾に注いでいますが、当時は、幅20kmに亘り、入り組んだ流れでした。従って、三川の何れが増水しても、洪水になる、やっかいなゼロメートル地帯でした。
農民は村や水田を、堤防で囲んだ輪中で守っていました。
徳川幕府の御三家、尾張藩を、洪水から守るためにも、三川の分流は不可欠で、宝暦三年(1753年)幕府は、遠く離れた雄藩、薩摩にこの大工事を命じた。
総奉行、平田靭負(ひらたゆきえ)は薩摩藩士947名を連れて、工事を総括。工事は、当時の土木技術を越える難工事で、多くの犠牲者を出した。竣工後、この薩摩の家老、平田靭負は全責任を負って自決。
平田靭負を祭った治水神社、薩摩藩士が郷里から取り寄せて植えた日向松が、今は、巨木となり歴史を語ってくれます。
場所は岐阜県海津市。
平田靭負辞世の句
住みなれし里も今さら名残にて立ちぞわずらう美濃の大牧
地元の古老は、古来より薩摩藩に対する感謝の心を代々語り継がれてきたと言い、「西(薩摩)に足を向けて寝るな」というエピソードを聞くと、清々しい気持になります。
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右手は揖斐川。
千本松原が遠望出来ます。 |
治水神社正面より千本松原を眺める。
桜が植えられ、松を遮っています。
2007年(平成19年)一月撮影。 |
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治水神社から、長良川沿いに下流に向かうと、やがて、巨大な建造物が目につきます。この建設には、賛否両論有り、東京でも話題になった長良川の河口堰です。
長良川は、街中や平野を縫って流れ、ダムのない、水量豊富な一級河川です。古来、鮎、サツキマス、鰻等川魚漁で生計を立てる漁師が多くいました。 |
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| 左岸から見た河口堰 |
左岸から見た河口堰の手前に、魚道への誘導施設があります。 |
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| 左岸の魚道 |
右岸の魚道 |
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鯉釣り場:
肝心の鯉釣り場に触れるのを忘れていました。治水神社上手から、河口堰まで、両岸とも鯉釣り場が点在しています。
自動車で、川原に降りられる場所は限られています。シーズンになると混みます。冬場もOK。 |
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| 長良川の落鮎の投げ網漁:平成21年(2009年)12月追記 |
10月15日に鵜飼が終わると投網魚が解禁になり、これも11月末に終わる。爾後、鮎を捕ることは出来ない。これは、晩秋に産卵のため川を降る鮎を捕る漁法である。
投網魚の漁師の漁場は長年の実績で決まっている様だ。
まず川底に、幅約1mの白いビニールを敷き、川面にロープをはる。川を降る鮎は、白いビニールと、水面を叩くロープの音に驚き、この場所の上手に群れをつくる。
この鮎の群れを目掛けてて網を投げて鮎をとる。鮎はとても神経質な魚で、鮎の群れは散りやすく、下流より鮎の群れを注意深く見つけて素早い行動が必要となる。
朝捕った鮎は、餌の川の苔を食べる前で、川の苔に付いている細かい砂を食べていないため美味しい。
食べ方は、天ぷら、塩焼き煮付けが一般的であるが、腹一杯抱卵した鮎は美味しい。
漁をしている人に頼めば売ってくれます。 |
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関連書籍
「千本松原」 岸武雄 あかね書房
「長良川」 豊田穣 文藝春秋
「孤愁の岸」 杉本苑子 講談社文庫 |
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| 揖斐川 |
長さ121km |
揖斐川町付近で濃尾平野にでて、根尾川、牧田川を合わせ、河口付近で長良川に合流。
松尾芭蕉の「奥の細道」の終着地は大垣市内にあり、芭蕉は、ここから、舟で桑名に出た。
大垣市内を流れる、揖斐川支流の水門川には、芭蕉ゆかりの句碑あまた。水門川には、大
鯉が悠々泳いでいる。
蛤のふたみに別行秋ぞ 芭蕉 |
旧東海道線鉄橋上手。車が進入禁止になり、釣り人が減ったのは、私のホームグラウンド利根川と同じ。
鮎釣り場であり、鯉釣り場であり、鰻釣り場であり、釣り人の絶え間のないポイントでした。
平成17年(2005年)の夏は異常渇水でした。平年より水位は1.5m下。 |
旧東海道線鉄橋。平成17年(2005年)夏。
釣り人の影はありません。
異常渇水で、岸の干上がったのが見えます。 |
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| 木曽川 |
長さ227km |
長野県に発源、長野、岐阜、愛知、三重の4県を流れる。
愛知用水等で取水され、流量は昔に比ぶべくもない。尾張、徳川家の領地を守るため、再々の大土木工事で、流れの変遷もあった。
サツキマスの漁獲量の激減は、広く、知られるところ。
おくられつ送りつ果ハ木曽の秋 芭蕉
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川は人間の欲望の犠牲になり、流れは勝手に変えられ、海に着くこともなく、河口堰で汲み取られ、そして我が友、魚たちは住処を奪われてしまった。
水制群の間の、ワンドは、鮒や鯉の絶好の住処であったのに、心ない人達の投げ網の犠牲になり、そして、魚たちの隠れ蓑の藻は、根こそぎ削り取られ、魚の住まない、つるつるの泥底がむなしく残ってしまった。
一見、自然が残っているここは、もう釣り場でないのです。
平成17年10月末、釣りシーズンなのに、ご覧の通り釣り人の姿はありません。 |
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平成18年4月13日、犬山城近くのホテルに宿泊しました。遅れ気味の桜が満開でした。
犬山城を見上げる釣り場に、鯉釣りをしていました。取水堰の上手、きれいな木曽川でした。 |
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