5.世界の鯉釣り
 ルーマニアの鯉釣りと旅情

 昔、教科書にあった、東欧の石油産出国、首都は小パリと称される国という先入観でした。 
 人口約2170万人。 民族構成はルーマニア人、ハンガリー人、ドイツ人、トルコ人、ロマ(ジプシー)等。
 宗教はルーマニア正教、ギリシャ正教、ローマ・カトリック等。
 東欧で唯一、私の大好きなラテンの息のかかった国故、是非、立派な国になって欲しいものです。
 平成19年(2007年)1月1日に、南のブルガリアと共に、EUに正式に加盟しました。

国旗 国章
 2007年、EUに加盟後、ルーマニアは、激変する市場経済の変動に曝されることとなりました。現況の全てを引用することは出来ませんが、平成21年(2009年)にNHKが衛星放送で放映したルーマニア農業の現状は、私にとって衝撃的でした。
 EUの農業先進国、フランス、スエーデン、デンマーク等が、ルーマニアの農地を、貧しい農民から買いあさり、零細農家を駆逐して、機械化による大規模農業を展開しているというニュースでした。そして、アメリカの穀物メジャーは、嘗ての国営企業が保有していた穀物サイロの約半数を手に入れ、収穫期に貯蔵するサイロを持たない農民から穀物を、安値で仕入れ、値上がりを待って、他国に転売し、利益を得ていると言うことです。
 これこそ、市場経済の原理であり、非難出来ませんが、しかし、ルーマニアが豊かな農地を持ちながら、豊かになる道を塞がれているのも事実です。
 この、ランドラシュと言われる現象は、外国人、外国企業が100%土地を私有出来る事に基づいています。
 この項は平成21年(2009年)9月追記。
「ルーマニアの鯉釣りと旅情」見出し

 この項目は大部のため、内容に見出しを付けました。

1. ルーマニアの歴史
   第二次世界大戦とルーマニア:ルーマニアはどちらに与したのですか?
2. ルーマニアの言語
3. 今回の旅程
4. ドナウ川
5. 滞在したスフント・ゲオルゲ(ドナウ川の河口近くの村)
   ドナウ川 ここに尽きる:ドナウ川の河口
6. ペリカン観光
7. 釣り
8. ルーマニアと黒海と世界大戦

9. ドナウデルタの朝日と夕日

10.ドナウデルタの宿泊先と食事
11.ブカレストに戻って
1.ルーマニアの歴史
ルーマニアの歴史一言
 紀元前6世紀頃   :インド・ヨーロッパ語族のダキア人が定着、また、黒海沿岸にはブルガリアと同様
               に、ギリシャ人の植民地が建設された。
 紀元前1世紀    :ダキア人の単一国家成立。
 106年        :ローマ帝国にドナウ北部のダキアを征服され、この時、ローマ人とダキア人の混血
              が進む。
              東欧唯一のラテンの国、ルーマニア人の原形となる。
              下の地図を参照して下さい。
 3世紀~13世紀  :ゲルマン民族の西ゴート族の侵入、ローマ帝国ダキアから撤退。
              北西部にハンガリー人の移住が進む。
 1330年       :ルーマニア人(征服者ローマ人とダキア人との混血)による初の独立国家成立。
 15世紀~      :オスマン・トルコやロシアに従属。
               下のオスマン・トルコ帝国の地図を参照して下さい。
 1878年       :露土戦争で勝利したロシア側について独立。
 ~1947年     :バルカン戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦とめまぐるしく立場を変えて戦
              い、領土の獲得、喪失を繰り返す。
 1948年       :共産党(名は労働党)一党独裁政権誕生。
 1989年       :共産党政権崩壊。
 2004年       :NATOに加盟。
 2007年       :EUに加盟。
最盛期のローマ帝国 AD211年頃
最盛期のローマ帝国 AD211年頃
 ダキア地方・現在のルーマニア付近の拡大地図
ローマ軍の基地

オスマン・トルコ帝国 : オスマン・トルコ帝国の説明を始めると、一冊のホームページになるから、省
                  略します。
                  後々、オスマン・トルコが出てきますから、ちょっと頭の隅に入れておいて下
                  さい。
ルーマニアの多様性を知るには、どうしても、歴史に触れなければなりません。

言語、食べ物、そして、ドナウデルタにおける、民族、言葉、食べ物の多様性です。

ペンションの朝食は、パン、チーズ、バター、ハム、真っ赤な美味しいトマト、そして好みの飲み物。
私は、断然、トルコ・コーヒーでした。美味しいです。それは、歴史です。

網を入れている漁師さんとの会話。私はルーマニア語は出来ませんから、片言のイタリア語。結構通じますが、漁師さん曰く、お前は中国人か(この質問多いです。中国の実力でしょう)。ポーランド語が都合良いが、しゃべれるか。

ドナウ・デルタは、第二次大戦後の混乱期に、近隣から来た人が多いと聞きました。

お前は土着のトルコ人かと聞かれたこともありました。
2.ルーマニアの言語
ルーマニアの言語?
 
ルーマニアの釣りは、何語で対応できるのだろか。最初の、率直な疑問です。観光旅行はツアーで行けば、そんなことを考える必要もありません。
 しかし、ドナウ川の河口のごとき僻地で、英語が通用するとも思えません。旅行会社が知っているわけがありません。聞いても気休めにもなりません。最初の釣り行きですから、ガイド付きにしました。
 どうせなら、日本語が良いに決まっています。
 予めの知識として、ルーマニアは、国名の如く、かって、ローマに征服されたから、言語は多少、イタリア語が役立つかと想像しました。イタリア語教室の、イタリア人先生に聞いても、首をかしげるばかりで、つまり、イタリア人も、簡単にルーマニア語は理解できないと言います。
 日本語を話せるガイドさんを雇い、とても役立ちました。
ルーマニアの言語集団
 少し古い資料ですから、現在とは多少の違いはあるでしょう。
R:ルーマニア語

 
RU:ロシア語

    BU:ブルガリア語

   H:ハンガリー語

G:ドイツ語

:トルコ語

     u: ウクライナ語

     y:イテッシュ語
       ヨーロッパのユダヤ人の言語

     c:クロアチア語


   各小文字は言語上の少数グループ
3.今回の旅程
ブカレストトルチャムルギオールスフント・ゲオルゲ(ドナウ川の河口) 片道約400km
 ブカレストに一泊し、翌朝、車で出発。ブカレスト郊外で、最近完成した黒海の保養地、コンスタンツアに向かう高速道路に出ました。途中で、左折して、北上しドナウ川の橋をを渡ります。
 デルタ・ツアーの起点である、トルチャにて昼食、釣具屋に寄って、現地で購入予定をしていた、ゴム長、錘、釣り餌(コーン)を買いました。
 後は、道路の行き止まり、ムルギオール(Murghiol) でモーターボートに乗り換えて、目的のドナウ・デルタに向かいます。
 途中の光景は、写真でお楽しみ下さい。
4.ドナウ川
ドナウ川(ルーマニア語:ドナリ 英語:ダニューブ)

 ドイツ南西部のシルツヴルト(黒い森)の東部の源流より、オーストリー、ハンガリー、バルカン諸国、8カ国を経て、黒海に注ぐ。
 全長2,857mで、河口では北よりキリア川、スリーナ川、スフント・ゲオルゲ川を経て黒海に注ぐ。ヨーロッパでは、ボルガ川に次ぐ、第二位の長さである。
 今回、訪れたのは三つの河口の内、一番南のスフント・ゲオルゲ川の河口です。下の地図 「」。
ここの川幅は、利根川本流の長豊橋付近を思わせますが、圧倒的に違うのは、その水量と水深です。両岸は自然のまま、ケチなコンクリート護岸などはなく、背丈を超える茫々たる葦原と、楊の大木が岸辺を被つています。

 何故、南のスフント・ゲオルゲ川にしたのか。
 北のキリア川はウクライナの国境線であり、真ん中のスリーナ川 「」 は国際河川で(島国の日本人にはピント来ませんが、上流の国々に外国船が自由に通行できる)、何れもトラブルが発生したときにやっかいだろうと予想しました。また、一番南のスフント・ゲオルゲ川の河口は比較的に交通の便がいいことです。 

 そして、ヨーロッパ唯一のペリカン生息地に近く、是非、ペリカンを見たいと思ったからです。
 1991年にユネスコの世界自然遺産に登録されました。
ルーマニア東部、黒海に流れ込むドナウ川の河口地帯の拡大地図
ブカレストから約200kmでドナウ川の橋を渡ります。
今回、始めて見るドナウ川です。戦略上の重要拠点であるため、停車しての撮影は禁止です。
橋を渡り、一般道に入ると舗装は今ひとつ。しかし、長閑な田園風景が続きます。
街路樹は胡桃の木で、少年が、拾った胡桃を通りかかる通行人に売っています。両手一杯で50円見当です。
 どの車も猛スピードで通りすぎます。

 少年を不憫にに思い停車しました。少し行き過ぎたため車まで駆け寄ってくる少年。

 胡桃を差し出した手は、胡桃の皮をはいたときの渋で真っ黒に染まっていました。

 写真の背景に、民家は全く写っていません。自転車もありません。きっと少年は、遠くから徒歩で来たのでしょう。

 写真を整理するときになり、聞いてみたら良かったと後悔しました。

 泊めて頂いたペンションのお土産にしましたから、胡桃の味は分かりません。
 取り入れの終わったひまわり畑、玉蜀黍畑、そして、果樹園、ブドウ畑を横目に、車は悪路をものともせず、100km近いスピードで走ります。
 うねった丘陵の一般道を疾駆。
 荒れ地にトレーラーハウスを置き、蜂蜜を採集する一家。車を止めると、お父さんと坊やが走り出てきました。
 天然の純粋蜂蜜が、250g約200円でした。
ブカレストの、市場では、倍の400円。それでも安いです。
 百花蜜(要すれば、この牧場一帯で採取する沢山の花からとった蜂蜜。果糖が沈殿しやすいですが、味は良いです)、西洋菩提樹の蜜(ねっとりとして、菩提樹の芳香があります)。アカシアの蜂蜜は日本にもたくさんありますが、透明感があり、癖がないため2割高です。
 菩提樹やアカシアのシーズンは終わっていましたが、花に合わせて、一家で移動を繰り返す蜂蜜屋さんの生活は、万国共通です。
今日は、大口顧客が来て、台の上の蜂蜜はほぼ完売。
残っているのは、アカシアの蜂蜜です。
同行のガイドさんは、アカシアの蜂蜜を買いましたが、私は日本で買えるから興味ありません。
幸せそうなご主人と、人懐こい坊やを抱いて記念撮影。坊やは孫と同じくらいか!
ルチャ(Tulcea) の港。
地図の
 トルチャはドナウデルタ訪問の玄関口です。
紀元前一世紀に、古代ギリシャの植民都市がありました。

 ローマに統治され(紀元前約1世紀)、そして、15世紀にはオスマントルコの統治下に入った。オスマントルコは此処を主要貿易港として、利用していた。

 現在の人口約10万人、ドナウデルタのクルージングの拠点です。

 そして、釣り人にとって大切な、釣り関係品の最後の仕入れ地です。私は、ゴム長と鉛の錘を仕入れましたが、日本の、あるいは、ヨーロッパの主要都市の釣具店と品数を較べるのは酷でしょう。
                        ムルギオール(Murghiol) の港。 地図の
 道路はここで終わり。モーターボートに乗り換える。今は、どこでも携帯電話が全盛で、連絡も密です。打ち合わせのとおり、迎えに来てくれました。
ムルギオールで、出迎えのモーターボートに乗り換える。
ヤマハのエンジンは快調ででした。
対岸を見ると、鬱蒼と繁った楊と、果てしない葦の原です。
どこで釣ろうかと思案です。
人気無いとみた両岸も、上れる岸には、テントを張った釣り人。此処まで来ても、鯉釣り場は取り合いか!
5.滞在したスフント・ゲオルゲ(ドナウ川の河口近くの村)
スフント・ゲオルゲに到着   地図の
スフント・ゲオルゲ村の港です。
ドナウ川を、少し掘って、船を繋げるピアーを作っています
出迎えのペンション・オーナーの義兄(右)と、馬車のオーナー。二人には、この後、大いにお世話になります。 お世話になった馬車。此処は自動車のない世界です。馬車の彼方は、夏場の観光客用の宿泊所。
 
スフント・ゲオルゲ付近の拡大地図
ドナウ川 ここに尽きる     地図の
 ドイツ南西部のシルツヴルトから2,857mを下り、ルーマニアで三本に分かれ、南の河口は、ここ、スフント・ゲオルゲ川を経て黒海に注いでいます。
 下の、ドナウ川河口の写真は、別々の日に撮ったものです。
 ドナウ川河口、左岸より右岸を眺めた光景です。荷馬車で行きました。村より河口まで2.5km程です。
もう秋に入り、黒海の波は、北東の強風にあおられていました。

 冬になると、海岸の砂丘を越えて2kmの内陸まで荒波が届きます。
 ドナウ川河口、右岸より左岸を眺めた光景です。
 近づく道はなく、モーターボートで行きました。

 この日は、黒海をクルーズする予定でしたが、荒波で中止しました。下の写真撮影の時は、河口の大波に恐れおののき、モーターボートを、河口より少々上に止めました。
 黒海は干満の差がほとんど無いため、河口で鯉釣りも出来るとのことでした。利根川では考えられないことです。
6.ペリカン観光
 目覚めると、予定通りペリカン見学です。今回の旅の目玉でもあります。
 ガイドのMさんが、通訳をかねて同行してくれました。釣りも同行してくれ、彼女にとって、初めての体験です。
スフント・ゲオルゲの港を出て、ドナウ川を横切り、運河を南下します。
 目的地は、地図のです。
ガイドのMさん。日本に留学経験あり、日本語は上手です。 運河の整備は今ひとつ、自然に返りつつある状況です。
ペリカンはとても神経質です。肉眼で見えるこの程度の距離まで近づくのがやっとです。ボートは、エンジンを止めて手漕ぎで近付きます 左の光景を、望遠にして撮影しました。ぼけたように写っているのは、水面に映った影と分かりました。
下の写真は、引き伸ばしてプリントしたものを、スキャナーにかけました。画質がよくないことお許し下さい。
以下、ペリカンの乱舞をご鑑賞下さい。
ペリカンが去った後の水面。浅いところにいました。
 
 さて、ペリカンは、どこから、何のためにここに来るのでしょうか。
 平成20年、9月、NHKテレビで、ルーマニアのペリカン特集がありました。

 ご存じの方もおありでしょうが、ペリカンは、アフリカから、6000kmを旅して、ドナウ・デルタに子育てにやって来ます。
 アフリカの生息地から、ナイル川、地中海沿岸、エーゲ海のトルコ側、そして黒海、ドナウ・デルタに着きます。
 
 子育てが終わると、今年育てた子ペリカンを連れて、10月にドナウ・デルタを後に、アフリカに戻っていきます。

 現在の生息数約7000羽、生息地の問題点は、産卵に適した浮島の総面積が減少し、生息地の過密化で、子育てに失敗する親鳥が増えたこと、再度、産卵しても、秋の渡り迄に、充分に生育できない雛が100羽もいること。この雛は、ドナウ・デルタに取り残されることになりますが、冬季には、ドナウ・デルタは完全に氷結するため、残された雛は、必ず死を迎えること。

 浮島の減少は、共産党政権時代の、葦原の干拓事業等人為的問題に起因する様です。
 
 ペリカン保護に力を入れているルーマニア政府を信頼し、何時までもペリカンの群舞が見られることを願っています。
 
7.釣り
釣りの許可証
 イタリアの釣り行きに懲りて、旅行会社に、許可証のことをうるさく言いました。事前に確認することが、絶対条件としました。
 宿泊するペンションで取得すると確認ありました。旅行会社の社員も、釣りの経験もなく(みんなそうでしょう)
ちんぷんかんぷんのやり取りです。
 竿は二本です。
 現地到着後、確かめますと、警察に届けるのだそうです。幾ら払ったのか聞き漏らしました。
モーターボートの予約:
 
これは事前に予約しておいて良かったです。勿論、全額前払いしました。同じ宿に泊まった、ルーマニア人の夫婦は、現地で、自分たちで漁師に予約をしました。ペリカンを見に行く予定でした。朝、会うと悠々朝食をとっています。聞いてみると、当日になりキャンセルされたと言うことです。そりゃそうでしょう、もっといい仕事があれば、それが優先です。魚の注文が入り、漁にに行ったとのことでした。
天候と水温:
 天候、特に気温は知りたいところです。旅行会社も、ドナウ川河口の気温は知りません。資料で探しましたが、首都のブカレストなら出ていますが、ドナウ川河口付近の気温、水温、天候等不明のまま出発しました。ブカレストから400kmも離れ、しかも海辺なら、ブカレストと違うに決まっています。
 9月14日、到着、今後の天候を、現地の人に聞いてみると、向こう一週間、天気は良いだろうとのことでした。実際そうでした。気候は、東京より秋が一ヶ月進んでいる感じです。葦の枯れが始まる直前でした。
 ドナウ川の水温は21°C、意外と温かい水温でした。
 さて、当地は北緯約45°付近で、北海道の稚内と同じ緯度です。冬はマイナス10°C、時には20°Cになり川は氷結することもあるが、稀とのこと。しかし、大鯉には厳しい生活環境です。
釣り具:
 釣り竿、仕掛けは当然、自分の物。ただし、竿立てやたも網は、飛行機の重量制限の問題で、借りてもいいと思っていました。たも網は借りられましたが、竿立ては、見つかりませんでした。しかし、釣り場には楊があり、竿立ては用が足りました。
 無線の当たり報知器を持参しました。竿下がポイントであるため、居場所は離れており、何かと便利でした。
2006年(平成18年)9月16日
宿泊したペンションのオーナー推薦の最初の釣り場。
ボートに付いている魚群探知機で見ると魚影は濃い。
第一日目の釣り場
 しかしながら、これが最初で最後。テント暮らしの一団が、我々が帰る数日後も占拠。再び入ることは出来ませんでした。
ドナウ川上流の眺め。 ドナウ川下流の眺め。
 我々が帰る日も、この一団は、釣り場にテント生活をしていました。既に四日目。動く気配はありません。
それはそうでしょう。モーター・ボートを雇って、近場からでも10km。並の時間と費用ではありません。

 シーズン中の、良い釣り場は、簡単に入れぬこと、利根川もドナウ川も同じです。
釣り場の憩い
2日目は、やや上流の釣り場に入れました。ガイドのMさんと交代の撮影。この日も釣果無し。
 休日は、釣り人がどっと押し寄せるのは、どこも同じ。今日は釣りは休み。運河や湖の観光に切り替える。

運河も釣り人で一杯。日本の様に数本の竿を出している人もいる。深さ2~3m
運河に咲いている睡蓮が綺麗でした。
今日は三日目だ!
釣り場よりドナウ川下流の眺め 釣り場よりドナウ川上流の眺め
あーあ、小鯉一匹が釣果。
知らない場所で、勝手に選んだ餌で、小鯉が釣れればいいじゃないか。
ランチを食べているときに、報知器のブザーが鳴りました。

コーンに来ました。干藷はだめでした。また、試してみよう。
もう秋の気配。秋時雨があり、急に冷えてきました。
ペンションのご主人の義兄。みみず(どばみみずより小型の黒いみみず)が餌で、一日で、数匹の鯰と鯉一匹の釣果。
せっかく用意してくれたみみずを使わなくて申し訳ない。
日本でも、田螺、川エビ、ザリガニ、みみず、赤虫、ごかい等の天然餌は使いません。それは、鯉が何時も食べているわけですから、気が進みません。
ガイドのMさん、釣れれば何でもいいではないか、みみずを餌にしてはと薦めてくれるが・・・・・・・ 竿先に、白鳥の幼鳥がドナウの流れに身を任せて下ってきました。
 一匹釣れて満足としよう。急に冷えてきたし。利根川の釣りに較べれば、ほんの遊びです。テント泊もなしに、朝8時に来て四時納竿では釣れないと思う。テントを持ち込んでいる人には敵いません。
 知らぬ土地、ルーマニア語も分からず仕方ないです。
8.ルーマニアと黒海と世界大戦
 第一次、第二次世界大戦でルーマニアはどちらに与したのか、ご存じですか?
 今度、ドナウ川河口に滞在した時に、そこに、旧ドイツ軍が、第二次世界大戦中に築いた大砲陣地があるのを見ました。村人の多くは第二次世界大戦後に、移住してきた人が殆どであり、歴史を知っている人に会いませんでした。
 そして、ここは、ルーマニア軍の宿営地があることも知りました。常識を働かせ、此処にカメラを向けることは、慎みました。
 航空写真を見ますと、詳細は、閲覧不可になっています。下記の写真が、最も拡大した写真です。
 ルーマニアは第一次世界大戦では戦勝国となり、破れたオーストリア・ハンガリー帝国よりトランシルヴァニア地方を手に入れました。
 その後のルーマニアは、政変などあり、親ナチ政権誕生、1941年にソ連に宣戦布告し第二次世界大戦に参加する。1944年,クーデターで新政権誕生、逆に、ドイツに宣戦布告する。
 これを見ると、周辺の強国に翻弄される弱小国の苦悩が分かります。
 黒海の荒波を見てください。夏はとっくに終わり、秋も末、今に冬が来る様子です。9月半ばの様子です。
 黒海のいわれは、海面が黒く見えることから来たそうです。黒海はエーゲ海、地中海に繋がっていますが、太平洋の如く、強い海流がないため、表層水と深層水の循環が少なく、深層水は酸素不足で嫌気性バクテリアにより硫化水素が発生します。これが、黒色の硫化鉄を発生させて、地中海やエーゲ海と較べると海が黒く見えます。
 しかし、表層水は十分な酸素を含み、多くの魚類を育み、そして、多くの鳥類を呼び寄せているわけです。

 理屈はともかく、馬車を降りて、黒海の水を舐めてみました。大河、ドナウ川の河口にも近く、余り塩辛くありませんでした。銚子の利根川河口近くの海水は塩辛いですよ。水量が桁違いに違うのでしょう。
 ドナウ川の他に、ドニエプル川等多くの大河の流れ込みがあり、凍結する冬季もあることがこれで納得できます。
 黒海の冬の荒波を防ぐ防波堤はありません。従って、荒波は海岸を乗り越えて、内陸の2~3km迄打ち寄せます。
 塩水のかかる草原は、塩水に強い草が(名前は聞き漏らしました)生えているのみです。この辺は、農耕には不適なため、放牧地になっていますが、牛がいませんから、牛もこの草は嫌いなのでしょう。
馬車の上から、黒海に向かって左の光景です。
前方の建物は、風力発電所の跡と聞きました。強風地帯ですから、風力発電の適地と思いますが、人口600人の村には経済的でないのでしょうか。
馬車の上から、黒海に向かって右の光景です。
黒海は遥か先、1.5km程でしょうか。波の音も聞こえません。
馬車道は、砂で、揺れがひどいです。
第二次大戦中に建設されたドイツ軍の砲台跡。全て黒海を向いています。もう少し、近づいて写したかったのですが、湿地で近寄れません。この辺りまで(海岸より約2km)、冬場、黒海の荒波が打ち寄せるとのことです。
 スフント・ゲオルゲ付近の航空写真。これ以上の詳細はお断りになっています。今も昔も重要拠点です。
此処は、車の無い世界であると書きましたが、軍隊の駐屯地には、勿論、軍用車両があります。ただ、それだけです。
 ドナウ川はドイツに源を発する巨大河川です。
9.ドナウデルタの朝日と夕日
黒海に昇る朝日
 現地で面白い話を聞きました。誇り高いドイツ人が言ったそうです。「全ての源はドイツにあり。ドナウ川また然り」。これに対してルーマニア人は言いました。「ルーマニア人は、黒海に昇る朝日をドイツ人より先に見る。そして、ドイツは、一日が終わり、夕日の沈む彼方にあり」
 朝6時に起きて、7時頃昇る朝日を写しに行きました。宿から、黒海まで2.5km、砂の道を歩くのですから大儀です。
スフント・ゲオルゲ村の港は、未だ眠っています。おとなしい野犬が4匹ついてきます。腹が空いているのでしょう。 黒海に近づくと、道はますます、さらさらの砂道。もう、朝日が昇ると焦りますが、海岸にたどり着くのは大変です。野犬も歩くのは大変のようで、もういません。
 黒海を写した写真には、何処かに鳥が写っています。
ドナウ川に沈む夕日
 夕日はスフント・ゲオルゲ村の西方のドナウ川に沈んでいきます。確かに、ドナウ川の源、ドイツは、ルーマニア人から見れば、太陽の沈む彼方です。
10.ドナウデルタの宿泊先と食事
http://www.mareea.go.ro/ro/harta.htm

残念ながら、ルーマニア語ですが、様子はお分かりでしょう。
 ホテルもありますが、長期滞在し、釣りの案内をしてくれるペンションが気に入りました。ホテルと言っても、バンガロー程度です。
宿泊したペンション。
よく慣れた大型犬コールマンが歓迎してくれます。
大男で、人懐こいご主人です。釣り好きで、鯉釣り場も詳しいです。

鯉釣りの餌は、玉蜀黍の粉を練り、秘密の集魚材を入れたのがお気に入りのようです。芋ヨウカンのよなもの。一本針仕掛け。この日は、私も、ご主人も釣果なし。
義兄と二人三脚で案内してくれました。英語、イタリア語が通じます。
食事

旅の楽しみは、食事の楽しみでもあります。
 私たち夫婦は、食べ物の好き嫌いはありません。その上、私の鯉釣りの目的が、美味い鯉を釣ることですから、川魚料理に抵抗はありません。夏場の鰻釣りにかかる鯰や鰡(ぼら)の美味しさも、よく知っています。
各種の川魚の料理です。揚げたり、水煮をして、サワーソースをかけたり、塩、胡椒で味付けして食べます。
今回、醤油は持っていきませんでした。何時も現地の味付けを楽しむのが、旅の楽しみと思っています。
何でも醤油をかける人がいますが、日本で醤油味は充分堪能しています。海外に来て醤油味は不要と思っています。
料理に添えられるトマトは、とても美味しかったです。
ピーマンの中は、刻んだ野菜と、ほぐした魚肉です。
これも美味しかったです。
今回の絶品は、鯰の肉団子のスープでした。千切り野菜が入っており、何れ我が家でも作りたいです。
ペンションの庭になっている葡萄と桃が出てきました。葡萄を収穫し、葡萄酒を作る時期でした。
絞りたての葡萄ジュースを賞味しました。
甘くて美味しい葡萄でした。当地は、略、地中海性気候で、前記しました、到着迄の沿線写真の中に、葡萄畑があったのを思い出して下さい。
11.ブカレストの戻って
 ブカレスト市内の大きな公園に、ルーマニア各地の、民族色豊かな家が移設、展示されています。
 地域名等説明がありますが、今回の公開時は、省略します。漫然と、各地の家々をお楽しみ下さい。
 ルーマニアの多様性がお分かりと思います。
誰でも行く凱旋門。

この他に、ルーマニア正教の教会、兵器博物館等興味ある箇所も訪問しましたが、今回の公開時には、省略します。
誰でも行く民族舞踊のレストラン。
ホームページ INDEXへ戻る。 他項目にご興味がある場合は、INDEXへ戻りご選択下さい。
Return to homepage INDEX (English)
5.世界の鯉釣り        

Copyright© 2001stsuji. All rights reserved.