日本と世界の歴史 その六 2/2

 そこで私達日本人の祖先の聖の人々が採用した手段は驚く程巧妙なものでありましたる先に説明したものと合わせて、ここに列記することにしましょう。

 一、言霊原理を隠没させるに当り、ただ世の中から人知れぬ処に隠してしまうのではなく、伊勢神宮に信仰の対象となる神の形で御神殿の奥深く御神体(八咫の鏡)として祭祀したのでした。

   また伊勢神宮本殿は唯一神明造りと呼ばれ、後世ひと度言霊原理がこの世の中に復活して来た時、その構造と言霊原理とを合わせ考證するならば、直ちにその学問体系と本殿の構造とが一つのものであることが分かるよう造られていることであります。(「コトタマ学入門」第七章「伊勢神宮と言霊」参照)

 二、宮中における諸儀式の形式はすべて、ただその形だけを見る限り何の意味かは全く分かりません。まるで猿芝居に等しいように思われます。けれど言霊原理が復活し、その観点より見る時、宮中の諸行事の形式が言霊原理に基づく厳正な表徴形式であることが明らかとなります。

   更に天皇即位時に於ける大嘗祭、皇太子の立太子式に於ける壷切りの儀等は一見してその意味と内容が明らかになるよう定められたものであります。それによって日本天皇の真の意義・内容が言霊学によって定まることが示される明らかとなります。

 三、上のような諸施策の最後に(奈良時代の始め)言霊原理を後世に遺す決定的な作業が行われます。今より千三百年前の古事記と日本書紀の編纂であります。記紀の神話は単なる神話ではありません。

   神話の形をとった言霊学の日本、否、世界唯一の教科書であります。古事記の「天地の初発の時、……」より神話の最後の「鵜草葺不合の命」まで一貫した言霊学の黙示形式の教科書です。「歴(れっき)とした高位の朝廷の役人である太安万呂が天皇の命を受けて編纂した古事記が謎々を満載した本だ、なんて、とても本当とは思えない」と思う人も多いことでしょう。

   けれどこれは紛れもない事実なのです。古事記神話の黙示がすべて解釈され、現代語書き表わされた現在、古代の日本人が発覚した人間の「心と言葉」の壮大で厳密な全容が掌にとる如く明らかになった現在、それは否定することが出来ない事実なのです。そしてその事実を知るにつれて、渡した日本人の祖先が計画した専念を単位とする先見的施策が余りにも精確なことに驚く他はないと気付くこととなります。

 以上は言霊原理隠没後、後世に向って行われた「官」の仕事でありますが、その他、それぞれの因縁で、またそれぞれの精神修業の途上で言霊学の存在を知り、それぞれの分野でその真理を後世に伝えるとこに務めた人々の名前を列挙しましょう。

 役の小角(えんのおずぬ)(諸国を遍歴し、言霊五十音を一つづつ神して神社を創設した)、空海(真言密教の中に真言(まな)である言霊原理を織り交ぜ、この世の言葉の奥にある言葉を説いた)、菅原道真(今に遺る五大おとぎ話の作者と伝えられる。おとぎ話として言霊学から見た歴史の将来を予見する物語を作り、口伝えの形式で原理を後世に遺した)、日蓮(法華経の名の下に、日本の真実の存在とその復活を暗に教える説法を行った)、……等々。

 これ等の人々は言霊布斗麻邇の存在を知りながら、彼等の生きた時代が言霊原理を明らさまに言及してはいけない時であることを知っていて、説くことを遠慮したのであります。以上の諸聖賢の言霊学に関する後世への諸施策については、当会発行の書籍や会報で縷々(るる)述べられておりますので、詳細はそれによって御理解を頂ければ幸いと思います。

 この号ではそれ等施策の中から一つだけを取り上げ、言霊原理が文明創造の原器として生きていた時代と、隠没・忘却されて、人の意識の底に沈んでしまった時代では物事がどの様に変わるかを浮き彫りにしてみることにします。

 取り挙げますのは伊勢神宮本殿の床中央の真下(床下)に立てられている心柱(しんばしら)(忌(いみ)柱・御量(みはか)り柱とも呼ばれます)であります。この心柱は神宮の中で最も尊い、神秘なものと言われるものです。

 それは内宮と外宮で長さが違う四角の柱で、内宮は六尺余、外宮は五尺と少し、ということです。実は昔は内外宮共長さ五尺であったそうです。鎌倉時代の記録にそう記されている由です。

 そしてその柱の立て方が奇抜なのです。五尺の長さの内、下の二尺が地中に埋められています(図参照)。

 二十年毎の遷宮に当り、今まで本殿のあった敷地の隣の空地に、新しい本殿が建設され、内部の調度品等も新しく整えられた後、遷宮の最後の行事として、五尺の心柱が右敷地より移されるそうであります。

 それは真夜中に、特別に限られた少人数の人々によって行われます。心柱の引越しが終りますと、今まであった本殿と附属の建物は全部取り払われ、全くの更地となるのですが、心柱の立てられていた所だけはそのまま残され、蓋をされて二十年後の遷宮までそのまま在続するそうであります。

 何故その様なことをするのか、心柱の意味・内容如何、は今では誰も知らないようでありますが、言霊学の視点から見れば極めて明瞭に説明出来ます。

 本殿床上の中央に祭祀する天照大神の御神体、八咫の鏡は五十音言霊をもって組立てた精神構造、天津太祝詞音図(あまつふとのりと)を象徴します。その床下、真下に立てられた心柱は天照大神の父君、伊耶那岐の大神を表徴します。その精神構造を示す天津菅麻(すがそ)の天之御柱の母音は上よりアオウエイと並びます。

206 図の心柱(御量柱)が示すように、五母音の中の下のエとイの二言霊が地表下に埋められていることを物語ってくれます。人間に生来授けられている基本的な五つの性能、ア(感情)、オ(経験知)、ウ(五官感覚に基づく欲望)、エ(実践智)、イ(創造意志・言葉)の中のエ(実践英智)とイ(創造意志・言霊原理)の二性能が、言霊原理の使用を停止され、その原理を伊勢神宮の神としてお祭りしてしまった崇神天皇の御宇以後は、社会・人類の意識・自覚の下に埋没されてしまい、忘却されたことを明示しているのであります。

 残された三つの性能ア(感情・宗教・藝術)、オ(経験知・学問・科学)とウ(欲望)だけの意識によって人生を考え、社会や世界のこと思うことしか出来ない時代となりました。愛は口にすることが出来ても、霊(言霊)の活用という「光」を失った薄暗い世の中を生きなければならなくなりました。物質文明が完成する時まで、人はこうなのだよ、と伊勢神宮の心柱は人類に呼びかけているのです。

 言霊の原理が人間の意識の底に隠没してしまった社会はどのように変わったでしょうか。人間の生命が持つ根本性能、これを神と呼ぶならば神とは「斎く」(五作)ものでした。アオウエイ五次元の畳わりである根本性能の自覚を自らの中に築くことだったのです。

 その結果、人は神であることを知ったのです。言霊原理の隠没はその神は人間の自覚から離れ、人の外にある存在と思われるようになりました。人は神を「拝(おろが)む」事となったのです。人は神社に神様を祭ることによって真実の神を失ってしまいました。

 昔の人はアオウエイ言霊五十音が人間生命の今・此処に於て活動し、それによって生きていることの実感を持っていました。その生活は抜けるように明るく、大らかなものでした。原理隠没後、人は過去と未来は明瞭な意識を持ちますが、肝心な今・此処の意識は霧に包まれた如く曖昧な眠りに入ってしまいました。人は過去の因果を今・此処に於て清算し、生まれ変わった如く将来を創造するものです。

 しかし如何にも残念なことですが、今の意識を失った結果、常に過去の因縁を引き摺ったまま明日を迎えなければならなくなりました。人は生ある限り因果の糸車を廻さねばならなくなりました。

 末法時代の第一人者、親鸞上人の「久遠劫より今まで流転せる苦労の旧里はすてがたく、いまだ生まれざる安養の浄土はこれひしからずさふらふこと、まことによくよく煩悩の興盛にさふらふはこそ」の言葉が思い出されます。

 英語のscienceを科学(科の学)と訳したのが誰だか、私は知りません。けれど人類の第二物質科学文明創造の意義・内容を知る時、これ以上の物語を見つれることは不可能ではないか、と思うのは私一人ばかりではありますまい。

 今、此処の自覚は古事記の天の御中主の神の神名が示すように宇宙の中心の意識に通じます。この宇宙の目で見る時、人は物事の実相(真実の姿)を見る事が出来ます。何人、何十人集まろうとも、一つの出来事を見た内容は一つであります。言霊原理隠没以後に於ては、人は自らの経験知の観点から物事を見るようになりました。

 その結果は十人十色の判断を生むこととなります。この結果から来る人間社会の混乱、国際間の紛争は全く目を蔽いたくなるばかりです。社会、世界の混乱の原因が自分自身の物の見方に責任があるという本質に気付く人は極めて稀であること、について如何お考えでありましょうか。

 【収蔵】会報第二百六号(平成十七年八月)

 (以下次号)