オリジナル創作小説

小屋に舞う白い雪

著 末森拓夢

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  1. 拓夢書房からありがとうNo1
  2. 拓夢書房からありがとうNo2
  3. クロノレイヤーに僕らはいた
  4. ブルースカイ・シンドローム

……遭難……

 クソッ、大失敗だ。横殴りの雪でまったく前が見えやしねえ。雪が降る前の大山を見ようと、軽はずみな気持ちで来たのがまずかったな。それにしても解せない、なぜこの時期に大雪が降る。下界ではまだ紅葉が始まったばかりだっていうのによ。

 こんな事になるのだったら登山靴を防水性の高い物にしておけば良かった。足首まで積もった新雪が靴に入ってくる。靴下についた雪が溶けて、冷たい感触が残ってしまう。
「おい信吾。本当に大丈夫なのか、この道で」

 瀬尾のヤツ、うるさいんだよ。こんな時に不必要に怒鳴りやがって、まったくイラつく。
「まかせろ。剣ヶ峰からエボシ岩を通り、大山寺に向かうルートは、これまでにも何回か通っているんだ。俺が道を間違えるはずがない」

 だいたい、元はと言えばお前が悪いんだろ。出かける直前に俺は言ったんだ、天気が崩れそうだと。それなのに、この程度の天気なら問題ない。せっかく大山のふもとまで来たのだから、頂上を目指して登っていこうぜ、なんて言うからだ。

 それに普段から
「芝居が好きなんだ、俺の人生は芝居だぜ」なんて事を言ってるから、山に登る危険性を認識出来ないんだ。もっと前向きな言葉を言えよ、俺たちはもう三十歳を過ぎてるんだ。社会的に後輩たちを指導する立場だろ。……いや、瀬野を責めるのはやめよう。山登り十五年のキャリアが俺にあるから、彼らは信用して登って来たんだ。
「藤井さん。もう四時を回っています。この調子では日が暮れるまでには宿に戻れませんよ。私達どうしたら良いんですか」

 浜田までも俺に責任を擦り付けようとしているのか。
「そんな事は分かっているんだよ、浜田。だからこそ今、必死に考えているんだ。黙って歩け」

 山の天候はいつも気まぐれだ。風向きの一定しない大雪が、突風を伴って正面から襲ってくる。黒く枯れた枯れ枝と張り付く雪が作り出す、白と黒のモノトーンさえ、俺の視界から消し去ろうとする。まるで地獄に連れて行こうとする悪魔のようにも感じる。

 なに、この程度の悪天候は幾度も経験した。気掛りなのは経験の浅いふたりだ。彼らに残された体力はどの程度だ。身体を休める場所が見つかるまで気力が持つだろうか。無駄にエネルギーを消耗していなければ良いのだが。

 振り返ると、すぐ後ろを歩く瀬尾の赤いフードが風雪で吹き飛ばされそうだ。彼がいつも自慢する黒く太い無精ひげは、細かな雪が凍り付いて白く染まっている。

 瀬野の後ろを歩く浜田の姿が良く見えない。黄色のフードが瀬野の頭越しに微かに見えるだけだ。雨対策にと用意させていた合羽が、思わぬ場面で役に立つとは皮肉なものだ。

 こんな事態になるんだったら素人の浜田を連れてくるんじゃなかったな。経験の浅い瀬野でさえ邪魔になるというのに。それに浜田とは、もともと深い付き合いがあった訳じゃない。瀬野が、同じ劇団のメンバーだ。とか言って、数年前から一緒に飯を食うようになっただけだ。

 それなのに、なぜ俺が浜田の面倒を見ないといけないんだ。はっきり言えば邪魔だ。瀬野とふたりならビバークできるのに。……なんて事だ、またも愚痴を言ってる。あせっている証拠か 落ち着け。そう、落ち着いて考えろ。助かる方法はいくらでもある。

 まず確認するのは天候だ。雲の発達具合から判断すると、急速に勢力を上げた低気圧が日本海より太平洋側に抜けた。そこに予測できなかった寒気団がドッと押し寄せた。朝方西の空に見えた雲を何気なく見逃したのが失敗か。あれは悪天候の伏線といえるシベリアからの気圧団だったんだ。

 いや、天気図はチェックしたんだ。どこにも前線らしい線はなかった。ただ等圧線の動きが不気味に思えただけだ。やはり悪い感は当たっていたんだ。想像を超える速さで低気圧が通り過ぎた。悪いのは天気だ、俺の責任じゃない。……考えてもいまさら遅いか。

 それよりも一番の問題は避難する場所だ。まさかビバークする訳にはいかない。薄暗さを感じるし、残された時間を考えると山小屋しかない。近くで山小屋といえば……、氷ノ山頂上避難小屋がある。あそこならキレイだし二階もあって広々している。

 いや駄目だ。今のルートからだと反対方向だし、かなりの距離がある。暗くなる前に着くのはまず不可能。となると六合目の避難小屋か……、同じ事か。ルートを外れるし距離もかなりのものだ。それに今より、もっと雪深いルートを通ることになる。

 そうだ、あそこだ!

 この先でルートを少し外れると、大山元谷小屋がある。きれいな場所ではないが、ただ寝るだけだし水も確保できる。あの山小屋に非難するしかない。距離的にもそんなに遠くないはずだ。たぶん、一時間ほど歩けば着くはずだ。

 だがあの小屋は、久美子と最後に過ごした場所だ。嫌な記憶など思い出したくはない。
「おい信吾。このままだと何処かで夜を過ごすことになるよな。俺の記憶だと確か、この先に山小屋が有ったように思うが?」
「ああ、あるさ。俺もいま思い出したところだ。いまからその小屋に向かう。ふたりとも頑張って歩けよ、そんなに距離はない」

 久美子か……、何だってこんな時に思い出すんだ。あの事はもう過去の話だ。誰にも言った記憶はないし、誰にも見つかっていない。深く考える必要はない、大丈夫だ。それに状況を考えると避難できる場所は、かび臭い寝床がある、あの小屋しかない。

 大山を選んだのは失敗だった。……俺は最初から、この山に登りたいとは思っていなかったんだ。浜田が、ダイエットしたいから山に連れて行け。と言い出さなければ、この大山に登ることはなかった。……クソッ、浜田は普段から運動不足に違いない。見てみろよアイツの腹を、どう見ても四十歳を過ぎたおっさんだ。風の便りで会社では裏取引をしていると良くない話を聞くし。要するに浜田は……なんで俺は人の悪口を言っているんだ 精神的に参っている証拠か いやそんな事はない、断じてそんな事はない。

 そうだよ、もやしのように背が高い割には腹が出ているが、浜田はいい男だ。それよりも悪いのは瀬野の方だ。いつも女に貢がせて自分が働いて稼いだ金は、自分の身なりを整える費用ですべてパーとなる。ジャガイモみたいな顔して、……クソッ、また人の悪口を言ってる。どうかしているんだ俺は。雪が悪いんだ、季節はずれの雪さえ降らなければ。

 雪の積もり方が早いな、もう二十センチ近い。この雪の中を大山元谷小屋に行くのか。何年ぶりだろ、小屋を訪れるのは。六……、いや七年ぶりだ。あれからもう七年も経ったのか……。俺、なんであんな事をしたんだろ。……久美子、駄目だな、どうして久美子の顔が頭に浮かんでくる。

 クルッとした印象の瞳が独特の雰囲気を作りだし、黒く長い髪をいつも自慢していた。やや低めの背丈をやたらと気にして、ヒールの高い靴を好んで履いていた。スカートは決まってチェック柄で、裾が地面に擦れそうなほど長めの物がお気に入りだった。

 久美子と初めて出会ったのは、機械のように働かせる工場が嫌になり、事務用品の販売会社に転職したときだった。俺は営業職として新たな人生を歩みだそうとしていて、久美子は経理担当の事務員だった。

 ひとりでお得意さんを伺っても良いと、上司の許しが出てから、久美子の視線に気付いた。売り上げ伝票を経理に回すとき、久美子はまっすぐに俺を見ていた。監視しているのだと、俺は思っていた。嬉しそうな顔は作り物の笑顔であり、転職を繰り返していた俺に対しての慰めだと解釈していた。

 そんな久美子と偶然にも退社時刻が重なった時、彼女は俺に向かって、私ね、施設の出なんだよ。と、少し恥じらいを浮かべて話した。施設という単語が何を示しているのか理解できない俺は、正直に聞き返した。
「施設ってなに?」
「孤児院よ、私は孤児だったの。親も姉妹もいない一人っ子なの。藤井さん、変な顔してる。私の話、びっくりした?」

 普通に暮らす年頃の女性が自分の暗い過去など、ただの同僚に話す訳はないだろう。それなのに、どうして俺に向かって言ったのか。彼女が口から出した不思議な言葉の意味に気付いたのは、久美子と付き合い始めてからだった。

 久美子はいつも親指大のブローチを首からぶら下げ、右手にブレスレットをはめていた。ブローチは細かな飾りが施されたもので、ブレスレットは金と銀で二重の輪に作られたものだった。そのブレスレットを触りながら久美子は不思議な言葉を言ったことがある。
「これだけが私の家族なんだ」

 そのときの彼女は、普段の姿からは想像できないほど暗い顔をしていて、これだけが家族ってどんな意味 とは聞けなかった。
「おい、信吾。あそこに見えるのが小屋じゃないのか」

 えっ あっ、見える、見えるぞ。山小屋の屋根だ。着いた、やっとたどり着いたぞ。
「おい、浜田。見えるか 赤くて小さな三角屋根が。見てみろ、山小屋に着いたぞ。これで助かる、身体を休める事が出来る。喜べふたりとも、俺たちは助かったぞ」

 ふー、やれやれだ。雑林が小屋に続く道を作り上げ、横殴りの雪を防いでいるし、小屋の前に広がるちょっとした広場が安らぎを与えてくれるようだ。だがこの雪は問題だな、もう三十センチは積もったんじゃないかな。それに辺りはかなり暗い。この時間にたどり着けたのは幸運だった。
「おい信吾。小屋には誰も居ないのか」
「ああ、雪の上に足跡が残っていなし、屋根の少し下に見える排気口から煙が出ていない。それに入り口の窓ガラスから明かりが漏れていない。誰か居れば明かりを灯すはずだ。誰も居ないと考えていいだろう」

 広場の隅に植えられた桜の木が、あの事を俺に向かって訴えているようだ。クソッ、目障りだ。桜の木など無くなってしまえば良いのに。

 目をつむっても小屋の内部が浮かんでくる。押し戸を開けるとすぐに、部屋の中央に土間を掘って作った囲炉裏が見える。囲炉裏には天井からぶら下がるフックがあり、火を起こしさすれば湯を沸かしたり、簡単な料理を作ったり出来る。

 壁に沿った左右は三十センチほどの高さで、それぞれに四枚の畳がひいてある。三人で寝るには広すぎるぐらいだ。さらに奥へと進むと右側に水場があり、天井近くには非常食を入れる棚がある。きっといくらかの非常食が残っているはずだ。

 水場の反対側、つまり入った方向から言えば左側はトイレだ、水洗ではないが、匂いが漏れてくることはなく、割と軽快にすごせる。ただ問題といえば建物が古いことだ。

 囲炉裏では小屋の裏に積んである薪を持ち込んで火を起こす。嫌う人は多いが俺は好きだ。なんともいえない寂れた雰囲気が漂ってくる。それに土間作りの小屋にはそれなりの利点がある。地面で直接火を焚くから床から熱が伝わって、小屋内部の温度が冷めにくい。
「藤井さん。小屋を勝手に使っても、よいのでしょうか」
「ああ、元々は登山者が緊急避難する時のために建てられたものだ、遠慮はしなくていい。それに上手くいけば食料も残っているはずだ」

 浜田のヤツ、小屋に入って驚くかな。なにせ寝る場所と言えば左右に設けられた畳だ。それにかび臭い毛布が数枚あるだけ。いつもベッドで寝る浜田からみると、抵抗があるかも知れないな。それもいいじゃないか、浜田のように普段から運動不足で腹の出た男にはいい刺激になるだろう。
「さあ、小屋に着いたぞ」

 振り向いてふたりの顔を見ると、安堵感を感じさせる笑顔が浮かんでいる。木製のドアノブをひねり、重さを感じる扉を力をこめて押す。中からは外気よりも冷たい空気が流れてくるようだ。案の定、囲炉裏に火は入ってない。薪も側には見当たらない。
「ふたりとも先に中に入って待ってろ。俺は裏にまわって薪を持ってくるから」
「おい、信吾。荷物ぐらいは持ってやるよ。ほら貸せ」

 背負っていた荷物を瀬野に渡し、小屋に沿って裏側に向かう。軒先があるから、と思っていたが、想像よりも雪は深い。すでに水が浸みこんだ布製の登山靴だと、雪に埋もれるのは嫌悪感さえ覚える。

 思ったよりは薪が少ないな。八……いや九束、これだけしか無いのか。前回、小屋を使ったヤツが管理者に報告しなかったな。これだからマナーを守らないヤツは嫌いなんだ。
「誰だ、君たちは」

 なんだ今の声は 瀬野が怒鳴った声だろう、何を興奮しているんだ。ささやくような女性の声も聞こえる。誰か居たのか。つかんでいた薪を抱きしめ、走ろうとした。とたんに雪に足を取られ、倒れそうになる。雪の上に手を突くと、新雪の白い壁は俺の体重を支えきれずに崩れていく。なんて事だ、頭の先からズボンまで雪まみれだ。
「どうした瀬野」

 押し開いたままの扉から見える瀬野は、ゆっくりと振り向き、こわばっていた顔が急に朗らかになる。横に立っていた浜田は手招きをしてから、扉の後ろ側を指差す。
「信吾、どうやら先客がいたみたいだ」

 先客 誰かいたという事か。冷たい空気を感じながら小屋の中へと歩を進める。ひょいと扉の後ろ側を覗いた。そこには、ふたりの女性が寄り添って座っていた。
「ああ、すいません。誰もいないと思い込んでいたもので失礼致しました」

 ごく小さな会釈をすると、返事を返すように会釈する右側の女性。ふたりとも肩まで伸びる髪の毛が黒くて、昔の日本人形を想像させる。彼女たちの後には荷物らしき物が置いてある。女性が持つにしてはやや大きめの袋だ、体力的に持てるものだろうか。
「別に謝っていただく必要はないと思います。隠れるようにしていた私が悪いのですから」

 またも空気の冷たさに気付いた。先ほどから感じている小屋からの冷気は、ふたりの女性から漂ってくるように感じる。彼女たちが座る後あたりの壁に隙間が開いているのかも知れない。それよりも気になるのは、ふたりともスカートをはいている事だ。寒くないのだろうか。悪天候を予想出来なくて、軽装備で山に入ったのかも知れない。
「君たち、寒くないのかな」

 ふたりとも色白なのだが、特に右側の女性は透き通るような肌の持ち主である。
「言われてみれば少し寒いような気がします」

 おい、おい、そんなに呑気な返事で良いのかよ。小屋の外は、この時期としては異状ともいえる吹雪だぞ。そうか素人だな。薪の置き場所も知らないようだし、火の起こし方も知らないようだ。
「瀬野、浜田と協力して薪に火をつけろ。俺は食料が残っていないか確認する」

 ナップサックには非常用の食料としてチョコレートにビスケット、それに乾パンが少量だが用意してある。インスタントだが、コーヒーも用意している。だが、味気ない物を食べるよりは、少しでも人間らしい食事を取りたい。

 おっ、想像よりは食料があるな。カップラーメンが一箱、二四個いりか。さばの缶詰は十個くらいか。どうせなら水煮ではなくて味噌味がよかったんだが、文句をいってる場合ではないな。こっちの缶詰はミカン 何でミカンなんだ、食料としては使えない。せいぜい食後の楽しみになるぐらいか。これは……乾パン、なんだよ、もっとまともな物を置いておけよ、これじゃ俺が持っているのと変わらない。これ以外には何もなさそうだな。いや、この紙包みはなんだ。硬くて重量を感じる……ウイスキーだ。これは助かる、たぶん誰かが持って登ったが、荷物になるからと小屋に置いていったに違いない。遠慮せずに頂こう。

 瀬野と浜田が吹く息音に混じって火の起こる音がパチパチと聞こえ出した。心なし、暗く感じていた部屋の中も微かだが明るくなったようだ。そうだ、女性たちは食事をどうしたのだろう。きっと何も用意していなかったに違いない。
「君たち、食事はどうするの」

 振り向いて女性たちに聞いた。ふたりの視線は私に向かれていて女性特有の魔性を感じる。想像していたよりも美人だ。
「いえ、私たちはもう済ませましたから。どうぞごゆっくりと召し上がってください」

 色白という事は地元に住む人だろうか。いや色白だけで地元と判断するのはおかしい。
「君たちはどこから来たの?」
「すぐ近所からです」

 やはりそうか、地元の人か。ちょっと散策ぐらいに思って出かけて来たんだろうな。だが、結構距離はあるよな、ここから一番近い民家といえば大山寺辺りだし。直線距離にしても五キロはあるよな。ましてやこの天気だと、……待てよ。天気の回復はいつになる。

 この時期に冬型の気圧配置になったのだから、明朝には晴れ渡って回復していた、という事はまずない。少なくとも二日間、通常だと三日間、下手をすれば四日間は長引くな。雪がどれだけ降り積もるか、それが問題か。

 今の装備だと雪をかき分けて下山するのはまず無理だ。しかも素人の女性がふたり、男性がひとり。無理をせず天候の回復を待つしかないか。ここは五人で仲良くやっていくべきだな。互いにギスギスした関係だと精神的に持たないし。
「君たちはふたりで登ってきたの」

 勢いを増した火のそばに瀬野と浜田が暖気を占領するように座っている。ふたりとも疲れを見せるが、この場合は互いに譲るべきだ。手でふたりを制しながら、水を入れたやかんを、囲炉裏の天井部分からぶら下がるフックに掛ける。
「私たち、ふたりではなくて三人です」

 えっ、三人 ひとりはどこに行った。まさかどこかで、はぐれたのか?
「もうひとりはどうした」
「すぐ後ろで眠っています。頭が痛いからって」

 えっ、ああ、そうなのか。荷物だとばかり思っていたんだが、ひとり毛布に包まって寝ていたのか。暗かったから良く見えていなかったが、確かに女性が寝ている。黒く長い髪が畳みの上に広がっている。それにしても頭が痛いのはまずいな。たぶん風邪の初期症状だろうけど、頭痛薬までは用意してない。
「大丈夫ですか、お連れの方は」
「ええ、本人が寝ていれば直るからって。それに彼女、頭痛は持病なんです。日頃からよく、頭が痛いって言っていますから」

 そんなに心配する必要はないようだな。
「隅で座っていると寒いでしょ。どうぞ近くによって暖まってください」
「いえ。私たちはここで結構です」

 俺達を警戒しているのか。それもそうだな、見知らぬ男たちと雪深い山奥で向き合っているのだから、警戒心を持たないほうがおかしい。もっと打ち解けないと。
「君たちの名前は あっそうか、自分たちの名前からですよね。私は藤井信吾、三十二歳。すぐ隣に座っている無精ひげの男性が瀬野竜人。腹の出た男は浜田修二。ふたりとも私と同じで三十二歳。それぞれ会社員をやっています」
「私はナナミ、隣に座っているのがキョウコ、後ろで寝ているのがクミコです」

 クミコ 久美子と書くのだろうか。いやそれは分からない。だがなんという偶然だ、久美子と同じ発音……。
「皆さん、どんな字を書かれるのです?」
「ナナミはこう書きます」

 そう言いながら宙で手を舞わす。ふーん、菜々美さんか。
「キョウコはこう、それからクミコはこう」

 それから京子さんと……久美子 なんて事だ、久美子と同じ字だ。嫌な事を思い出させる。いや、俺が犯した罪なんて誰にも分からないはずだ。久美子は施設の出身だったし、姉妹がいたとも、親が見つかったとも聞いた事はない。彼女が住んでいた部屋は俺が代理人として処分した。誰にも分かるはずはない。
「ああ、そうだ浜田。ラジオを持ってきただろうな」
「当然ですよ、藤井さん。ほらっ、このとおり」

 浜田は、腹が出ている割には行動が素早いんだよな。あれっ、東亜商事 会社の備品じゃないか。こいつの悪い癖だ、何でも目に付いたら持って帰る。……人の事は言えないか、俺も会社の商品をくすねて古物商に売り、小遣いにしていた頃があった。えーと、この辺りの周波数は確か……。天候のせいかな、聞こえない。ちょっと弱弱しい。
「おい浜田、ちょっと聞くが電池は入れ替えてきただろな」
「えっ、電池 しまったー、完全に忘れていた」

 あー。やっぱりそうか、いつも何か抜けてる。所詮、浜田はどうやっても浜田だ、期待した俺が間違ってた。まぁ、完全に聞こえない訳じゃないし、こんな場面で責める訳にはいかない。ラジオを聴くのは必要な時だけにしよう。七時前から始める天気予報と続いて放送するニュースだけだな。
「おい信吾、湯が沸いたようだし、そろそろ飯にしようや。昼から何も腹に入れてない」

……続く


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