ネット上で公開されている作品は、目に付いたら必ず目を通しているのですが、小説の書き方に対する基本をご存じない方が大変多いように感じます。基本を知っているのと知らないのでは、数年後には大きな差がつきますよ!!
三点リーダー ※『……』のことです小説を読んでいると時おり『僕は言葉が出なかった……』のように表現されている場合があります。この『……』は三点リーダーと呼ばれる文字がふたつ使われるのが基本とされています。ですが、多くの方が勘違いをしている。つまり『・・・』と表現している場合があまりにも多い。
確かにどちらも『・』が3個分使われているのだが、三点リーダーの方は一文字として認識されていて『・・・』の場合はただ単に『・』を三文字分使っているだけのことです。
『……』の使い方で正しいのは『・』を三回打って変換キーを押すと『…』のように三点リーダーと呼ばれる一文字に認識されます。この文字を二文字分、もしくは偶数文字分使うのが基本とされています。
これは、――その夜に起こった――のように『――』を使う場合でも同じ事が言えます。三点リーダーと同様に『―』を一回打ち込み変換キーを押すとダッシュと呼ばれる文字に認識されます。これを二文字分もしくは偶数倍分使うのが基本です。
ちなみに『あー、アイツだ』の場合のように発音を伸ばす時に使う『―』は一文字で構いません。
ネット上で公開されている小説を読むと、多くの方が重要な点を無視して書かれている。その重要な点とは時間の流れである。時間の流れとはつまり、物語の進行を意味しているのだが、この時間の流れが整っていなければ、読者には読みづらい作品となります。
時間の流れを把握するとはつまり、小説に描く物語の「時間がどのように流れているのか」を明確にしようという意味です。分かりやすく例えると、普通に暮らす人は通常麻になると目を覚まし、朝食をとってから歯を磨き、顔を洗った後に、玄関を開けて外に出てます。その後は勤務している会社、あるいは学校へと向かいます。
ところがネット上で公開している小説には「外に出てから、身支度を始める」ような物語が数多く存在するのです。
考える間でもなく、おかしいですよ。納得できないですよ。つまり読者はここで読む意欲をそがれる。結果的に読めない小説と解釈して、その小説を書いた本人も「たいした書き手ではない」と思われる訳です。
読み返すとすぐに気づくような、単純なミスなのですが、この様に時間的流れがおかしくならないようにするためには「プロット」と呼ばれている目次のような物を書いておくことを勧めます。
作り方はごく簡単です。自分が描こうとする物語のストーリーを、小説として書き出す前に表として作成しておき、その表を確認しながら書き進めれば良いのです。さらにコツとして、小説を書いている途中でストーリーが変わる事は誰にでもあります。その際は必ず元になる表も書き換えるのです。すると時間的流れが狂うことは少なくなります。
ここで間違えないで欲しいことがあります。自宅にいる間に行なう順番は「個人によって違う」訳です。例えば目覚めたらそのまま服を着替え、すぐに出勤する人がいるかも知れません。そんな人は会社についてからトイレで歯を磨き、その後近くの食堂などで朝食を摂るかも知れません。
つまり、小説に出てくる主人公の行動に関して「時間的流れに照らし合わせると、読者が納得できないような物語は駄目だ、と言え、そのように感じる小説は書かないほうが良いといえるのです。
読み手が作品を読む歳は、登場人物のつもり、もしくは第三者のつもりになって作品を読みます。ところが、作品に対する視点が定まっていないと、非常に読みにくく感じるわけです。
解りやすくいえば、自分が主人公のつもり(物語の主人公になった状態)で作品を読んでいるのに、突然、第三者からの視点(物語を横から見ている状態)に変わると、読み難い作品となります。
ちなみに通常では次のように解釈されている場合が多いようです。
一人称視点とは、小説に出てくる特定の人物(普通は主人公)から見た視点で書き進めた作品。当然だが、主人公のいない場面は描けません。
違う説明をすれば、喫茶店で男と女が別れ話をしているとします。その時、男(もしくは女)の視点から見た小説は一人称で書かれていると表現します。隣の席に座った、まったく関係無い人、から見る視点で書き進んだ小説が三人称と表現します。
以上の説明を元に上記の設定で「一人称視点」で簡単な文章を書いてみました。
――拓夢は勘違いしてる。
「他にも男がいる」なんて言わなくても良いじゃない。
神に誓っても言える、あなた意外に付き合っている男性は居ないのよ。分かってくれないの? 私がどれほどの思いでこの場に居るのか。だって――
三人称は「第三者という意味」にとって貰えば理解しやすいと思います。書かれた小説には登場しないが、すべての事を知っている人物、から見た視点です。神のような存在という解釈も出来ます。
こちらも、以上の説明を元に「三人称視点」で書いた文章例を載せておきます。
――末森は涙目になった直美に激しい言葉を浴びせた。
「お前よ、他にも男がいるんだろ」
完全なる末森の勘違いである事は間違いない。直美は末森と出会うまで男の手を握った事もなかったのだ。
「……。」
直美の言葉は声にならず、周りのいる人には聞こえない。だが――。
この様になります。違いが分かるでしょうか? 気づかれていると思いますが、一人称視点の場合、主人公は自分自身の名前がいえません。読者に主人公(自分)の名前を分かって貰う為には、会話として相手の口から出さないといけません。(当然ですがこれ以外にも方法はたくさんあります)
また、基本的に一人称で書かれた文章は個性が強く、純文学的表現に向いているとされます。反対に三人称はサスペンス小説など、物語がどのように展開していくか、テンポに速さを求められる作品に向いているとされます。
反対に三人称視点の場合、主人公の名前はいつでも書くことが出来ますし、主人公がどのような状態で居るのか簡単に説明できます。さらにいえば登場人物の将来を当てることも出来ますし、結果を先に述べることも出来ます。
ただ、最近では、三人称と一人称の混在を求める作者が増え、いかに三人称の作品の中に一人称の表現を盛り込むか、それを、いかに自然に読ませるか(読者に対しての意味)という点が焦点となっているように感じられます。
これらを追求した結果が「三人称視点、単視点、多視点」などとさらに複雑になっていきます。
ここで、視点の解釈について、前のページとは違う考え方を述べておきましょう。
文法における「一人称」とは「私」のことを指します。ですので「私は廊下のかどであの人にぶつかりました。普段、彼を見かけるだけでも心臓がドキッドキッとするのに……」と書き出せば、それで一人称の小説といえます。
反対に「彼女は廊下のかどで、意中の人とぶつかった。普段の彼女ならば、その人を見かけるだけで心ときめくのに……」と書き出せば、冒頭に「彼女(彼)」という三人称単語が使われていますので、三人称の小説と言えます。
ですが、三人称で書き出しているから「三人称視点である」とは簡単には言えません。例えば「廊下のかどで……」と書き出した場合「彼女」もしくは「私」などの人称が判りません。ですので表現の仕方で区別するのです。
廊下のかどで意中の人にぶつかることに気づいていなかった……と書き出してあればそれは「三人称視点」であると言えます。気づいていなかったのだから、自分自身で気付いていない事は分かっていません。ですので第三者の立場で見ている場面なのです。
つまり『私は〜〜をしています』と書き出した場合の『私』は『一人称』と言います。ですが『私は〜〜をしています』と書き出せば『一人称視点』の作品である、とは言えません。同じ様に文頭に『彼は』とあっても『三人称視点』の作品とは限りませんし『あなたは』で始まっていても『二人称視点』の作品とは言えないのです。
作品に対する視点というものは、理解しにくいのですが、一度理解できたらごく自然に小説が書けるようになります。ごく簡単な原理ですので、様々な文献に参考にして必ず理解しておくことをお勧めします。さて、三人称単視点などの説明です。
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最近では、三人称と一人称の混在を求める作者が増え、いかに三人称の作品の中に一人称の表現を盛り込むか、それを、いかに自然に読ませるか(読者に対しての意味)という点が焦点となっているように感じられます。
これらを追求した結果が「三人称視点、単視点、多視点」あるいは「三人称ひとりの視点」等と呼ばれていますし、略して「さんいち」などと呼ぶ人も居ます。つまり視点に関してはさらに複雑になっているのが現状と言えます。
三人称視点という意味は既に理解できていると思いますので、三人称ひとりの視点(単視点)等について述べましょう。
物語には必ず複数の登場人物が必要となります。その時に誰かひとり(通常は主人公)の視点から見た物語を中心として「三人称視点」で書き進めた作品が「三人称単視点」と呼ばれる物です。それとは反対に「登場している人物全ての視点から公平に見た物語を「三人称多視点」と呼んでいます。
それでは「三人称単視点」の表現方法ですが、簡単な例で言うと、三人称の部分を『――』でくくり、ここは視点が違うんだな、と読み手が無意識に理解するように、訴えながら書き進める手法が見られます。
これ以外にも空白改行をいれたり『その時末森の脳裏には、ある情景が浮かんでいた』などと前置きし、その後の部分を一人称の視点で表現する方法が有ります。この件については、どのようにするか、で個性が出てきますので、作者として視点について深く追求するのが一番だと思います。
小説創作時の失敗例を挙げています。どの例文も気をつければ防げるミスばかりですから、事前に知識として頭に入れておくことが重要と言えます。また、人のミスを指摘することも重要と言えます。とは言っても、別にメールで指摘する必要はなく、文法的ミスを見つけることが自分自身の創作力のアップにつながるのです。
『徒歩で三〇数分で頂上に着く距離である』 この文は、で〜で、とつながっており、読み手からみると読みにくい結果となる(正確に言えば、この文が特に読みにくいわけでは無いが、同じ使い方をすると読みにくい結果となる場合が多い)という訳で『徒歩で三十数分行くと頂上に到着する距離である』と表現する方がベター。
単語と単語をつなげる単純なつなぎ言葉(正確な名称は学がないから不明)を無意識のうちに続けている場合があり、それをチェックの段階で訂正して欲しい。 を〜を、とか、で〜で、とか、の〜の、などの使い方をしていないか、投稿前に再チェックしましょう。(但し、の〜の、の場合だけは、の、の文字自体が固有名詞に含まれている場合(近似的、単語を含む)があり、注意が必要)
言い回しに気をつける。読み手が理解しやすいように考えて文を作成する。『新しい学校は家からかなり離れているらしかった。』 は『新しい学校は離れていた。』で十分です。
◆ 小説を書き進む上で注意すべき事が、とか、だが、という使い方は前の文章を曖昧な物に変える性質がある。また、書き出しに笑える話を書くと、二流作品に感じる。
◆ 文法的な問題(正確に言えば間違いではない)の例、『末森が持つ荷物の中の……』という文と『末森が持つ荷物の内、中にある……』を比べると、後者の方がリズムよく読める。『後者の方がリズムがよく読みやすい』と『後者の方がリズムよく読める』でも後者の方が良いと感じる。『……の……の』とか『……が……が』と続けると、読むリズムが壊れると読み手が感じるだろうと想定できる。
◆ 『あれそれこれ』は何かを示すための単語です。書き手がこの単語を使うと、読み手は『あれこれそれ』が何を示すのか考えながら読まないといけない訳です。文中の直前や直後に書かれたものであれば、そんなに悩みませんが、書き手がいくら正しく、あれこれそれを使ったつもりでも、読み手が何かの拍子に『あれそれこれ』が何を示すのか分からなくなった場合、そこで読む事を中断せざるを得なくなり、結局読むリズムを壊す原因になります。
◆ 上記と同じ理由での使用例。難しい漢字(括弧)など、読む人のレベルも想定して使用しなければならない。読めなければそこで一旦、読む事を中止する事になる。それ以外にも『……は易しいよ』と表現するよりも『……はやさしいよ』とあえてひらがなを使う方が良いと感じる文字は沢山ある。また『分かった』という文字は『解かった』とか『判った』と使えますが、前後に書かれた文章により、漢字が持つ雰囲気で使い分ける事も大事だと言えます。
段落の作成について理解できていない人が居るようです。段落がきれいにまとまらないと、読者の立場からみて理解し難い小説に仕上がります。段落はごく簡単に作成する方法が有りますので、ぜひこの機会に知識として頭に入れて欲しいと思います。
その山へは「堤」と呼ばれるふもとの村落から、三〇数分程度歩くと頂上に着く距離である。創玄からも、山に分け入る道もあるが、こちらの道に比べると、少々険しい。と言うよりは、その険しい道をあがって来られるのは河童ぐらいである。この辺りには早朝や夜陰に河童が出ると言う噂がある。村落に住む老婆は、稲荷に山籠もりしていたときに、河童に出会ったと言う話を孫の太郎に語り残していた』
この段落を読むと『山道が険しい』事と『河童が出る』ことが書かれている。この事を読者の立場で考えると「どちらの事が言いたいのか、判断できない状態」になっていくのです。つまり、この物語が今後どのように進展するのか、想像できないのです。
この様な状態になると読者は、物語を理解することを止め、小説に対する期待がなくなります。ですのでこの様な段落にならないよう、書く必要があります。
具体的に言えば、原則的に段落は言いたい事がひとつあり、それを主文として、さらに補足する分が続くのが望ましいのです。つまり、読み手からみても、何が言いたいのか、解り辛い結果とならないように、言いたいことが複数になる場合は、できれば別の段落として表現する方が得策でしょう。
以上の理由を元に先ほどの文章を段落として別けると次のようになります。
その山へは「堤」と呼ばれるふもとの村落から、三〇数分程度歩くと頂上に着く距離であった。創玄からも、山に分け入る道もあるが、こちらの道に比べると、少々険しい。その為だろう、険しい道を登る人は少ないと判断していた。
ところがほんとの理由をちょっとした偶然で知った。その険しい道をあがって来られるのは河童ぐらいである、というのだ。そういえば、この辺りには早朝や夜陰に河童が出ると言う噂を村落に住む老婆から聞いたことがある。
老婆が言うには「稲荷に山籠もりしていたときに、河童に出会った」と言うのだ。もちろんこの話は孫の太郎に語り残していくつもりだったのだろう……
リズムについて述べる前に小説創作時に押えておくと良いポイントを、この場を借りて、いくつか挙げておこう。
読者がどのような期待を持つか、を考えながら創作する。
読者が求める点は「思ったとおりに話が展開する」ことである。
それとは対照的に「思わぬ話に展開していく」ことも大事な要素である。
その理由として、読者は「自分の考えが正しかった」と再認識できる点が挙げられる。また、自分の知らない世界が表現してあり(専門的分野が書いてある)新たな知識を得ることが出来る。つまり知識欲が満たされるのです。
出演者の個性が魅力的(俗に言われるキャラクターである)であり、出演者の個性がはっきりと書かれている(年齢を感じさせる・男女の区別がしてある)これらの点に注意して書くだけでも随分と違った作風に仕上がります。
誰も語らない小説創作の要は多数あります。そのうちのひとつが「リズム」です。リズムと書いて何の事か分かりますか? 実は小説創作にはリズムを考える必要があったのです。
普通の人が小説を読むとき、単語ごとに意味を考えたり、この描写が良いなどと考えたりしながら読む人は少ないと思います。読み進める時間を計れば三百五十ページ程度の小説で、三時間位ですかね。三百五十ページを原稿用紙に換算するとおよそ六百枚前後、単純に計算すると、原稿用紙一枚で十八秒です。 たったの十八秒で四百文字を読み進め、それが三時間も続くのですから、読むリズムが狂うと大変です。つまり、小説の書き手は読む人のリズムを壊さないように考えながら自分の世界を描かなければならない訳です。
ではリズムとは何か?例えば、文中に使われる文字数です。短い文が続く中に突然長い文が現れ、すぐにまた短い文に戻ると(たまには、読み手のリズムをわざと壊す狙いがあり、使う時も有りますが)読み手のリズムを壊す原因になります。また、句読点の入れ方がばらばらだったり、文法的なミスが有ったり、それこれアレなどが無意味に使われていたりしたときも読み手のリズムを壊す原因になります。
広島県が小学生向けに考えた安全に対する標語が有ります。内容は『まだ行ける、まだ大丈夫は、もう危険。』ですが、実際に読むと、『は』の文字が邪魔に感じませんか。どうせなら『まだ行ける。まだ大丈夫。はもう危険』と読めばリズムが良くなりませんか。(これは個人の感性が持つ感覚ですから、私と同じ感覚を持つとは言えません)
例えば、文法的な問題(正確に言えば間違いではない)の例、『末森が持つ荷物の中の……』という文と『末森が持つ荷物の内、中にある……』を比べると、後者の方がリズムよく読める。『後者の方がリズムがよく読みやすい』と『後者の方がリズムよく読める』でも後者の方が良いと感じる。『……の……の』とか『……が……が』と続けると、読むリズムが壊れると読み手が感じるだろうと想定できます。
以下、小説創作に関する新たなテクニック、ヒント等は原稿が出来次第アップします。なお、当方が配信中のメールマガジンに読者登録をして頂くとサイトに載せない情報などをお伝えしています。
小説書いて有名作家になろうよ