さっき喫茶店で奢ったパフェ代返せよなと俺は心の中で叫んでいた。
メールからも大体予測はしていたが、実物を見て正直萎えた。話をしていてつまらねえと余計に気分が悪くなっていた。しかし、彼女と別れてからの1年の禁断症状から抜け出せると思ったらなんとか我慢が出来たのだ。
なのにこいつはメールアドレスと電話番号を教えてといっても嫌だと言うし、「手を繋ごうか」と強引に手を差し出してそいつの手を握ろうとすると「会ったばかりなのになんでそんなことをしないといけないの」と笑みを浮かべてさらりとかわす。腰に手を回そうとしても上手くかわす。
お前、さっき奢り代分、体を触らせろよと俺は心底腹を立てていた。 それなのに、それ以上強引に何かをするわけでもなく、話をしながらそいつの服をいじることしか出来ないでいる。 「ちょっとやめて」
とその手さえ振り払おうとするそいつ。お前なあ、自分の顔みて拒否れよ。お前みたいな誰にも相手にされないような奴の相手をしてやっているんだ。
「謎は解けた」と彼は静かにつぶやいた。
彼の職業は探偵だ。彼に解けない謎はない。彼は唇を舐めて湿らせると、滑らかに話しはじめた。 「まずあなたは、我々に向かって右の手を出して見せた。そうですね?
右手の中には何もないということを強調するためだ。そして、その時は確かに右の手は空だった。それはみなさんもご存知だ」
探偵は、ざわめいている辺りの人々に視線をめぐらせる。人々は一様に探偵を見つめていた。彼はうなずくと、瞳を男の方へ戻す。 「あなた」と呼ばれた黒いタキシードの男は、ぴくりと片眉を上げて探偵を見つめ返していた。心持ち、顔が緊張で青ざめている。
探偵は穏やかに言葉を続けた。 「次にあなたは、問題の右手を軽く握り、そして手をさりげなく返した。これこそがポイントだったのです」
彼は自分の言葉が人々に効果的に伝わるよう、そこで少し間をとる。彼は自信をのぞかせ、にやりと笑った。 「左手にあると見せ掛けて、実はその時、アレを右手に移し変えていたのですね。なに、方法は簡単。あなたははじめから左手にアレを持ってなどいなかったのです。アレはそもそも、右のそで口に隠されていたのだ。あなたはアレをそで口から、ただ手繰り出すだけで良かったのです」
彼はゆっくりと目を閉じた。静かに息を吐き出し、首を一つ鳴らす。「つまり」と大手をかけるように言った。 「つまり、あのコインは今、あなたの右手にあるはずだ。そうでしょう?」
追いつめられた男は、うなだれて言った。「違います」そして右手をゆっくりと開いてみせる。
探偵は言葉に詰まり、うろたえた。 「では左手だ。そうに決まっている」
違います、と男は左の手も開いてみせる。 探偵はうなり「では、コインはいったいどこへ?」とつぶやいた。
マジシャンは困り果てたように肩をすくめる。そして言った。 「お願いですから、ショーを続けさせてくださいよ、お客さん」
目が覚めた。と言うよりは、昨日の夜から振っていた雨が屋根に当たる音で眠れなかった。拓夢父さんがいつまでもボロイ家に住まわせるから、しょうがないことだけど。
見上げる空には厚い雲が渦巻いている。鼻の先に小さな雨粒が当たりくすぐったい。野生の勘が働く、きっと今日は夜まで雨だろう、ちょっと残念だ。
思ったとおりだ、部屋の中でくつろぐ拓夢父さんを見ても、台所から聞こえる小百合母さんの足音も聞いても、僕が楽しみにしている外出に出かける様子はないようだ。
そんな事を考えていると、裕子姉さんが顔を見せた。みんなが家に揃っているから今日は日曜日のはずで裕子姉さんも仕事はお休みのはず。それなのにいつもと同じで、姉さんの化粧は濃い。それにすごく化粧品くさい。
まてよ、ひょっとして父さんや母さんの代わりに、僕を連れて外出してくれるのだろうか。そんな淡い期待は無駄なようで裕子姉さんは、僕の頭を軽く撫でて僕に言った。 「コロちゃん。おとなしく留守番しているのよ。夕方には帰ってくるからね」
そのまま傘を差して、門の外に出て行った。悔しい……。僕も首に巻きついている鎖が無かったなら、自由に遊びにいけるのに。それにしても考えてしまう、どうして僕だけ鎖でつながれているんだ。同じ家族だと言うのに……。 「コロちゃん、朝ごはんが出来たわよ」
小百合母さんの声だ。やったー、本当のことを言えば僕、おなかがすいていたんだ。やっと朝ごはんにありつける。
おおっ! 今日は僕が好きな魚の骨じゃないか。いつものドッグフードは飽きてんだよなー。小百合母さんにお礼を言わなくっちゃ。
ワン。ウワワッワッワン。
庄治がおぼつかない足取りで玄関まででると、息子夫婦はすでに荷物を車に積み終わっていた。孫のたか君が首から下げている虫かごの中ではアブラゼミが騒がしく泣き続けている。 「おじいちゃん、また来年あそびにくるからね。また一緒に畑にいって、美味しいトマトの見分け方を教えてね」
たか君が庄治の皺だらけの手を握ると、車に向かって走っていった。途中で麦綿帽子を落として拾い上げる。
嫁の直美も腰をかがめてお別れの挨拶をする。 「お義父さんも体に気をつけて無理しないようにしてくださいね。もう年なんだから、畑も若い人に手伝ってもらえば」
畑のできる若い人がいない事を知りながら直美はそう言う。暗に畑は止めなさいとの忠告しているのだ。 「そうだなあ。けど作らんことには畑もだめになってしまうし。それに働けるうちは体を動かさないと、車椅子生活になってしまうからな」 「そうですか。あまり心配させないで下さいよ」
直美は諦めたようにスカートを払うと、後ろにいる家内に同じように挨拶をして玄関からでていった。
最近になって買った杖をついて外まで見送ろうとすると、息子がここでいいからと庄治を押し留めようとする。庄治はそれをうるさそうにはねのけるとサンダルを履いた。
助手席側をのぞきこむと、車の窓が下がってたか君の顔がでてきた。たか君はげんきよく右手を振った。 「それじゃあね。おじいちゃん、バイバイ」
ブレーキランプが一回ついて消えた。たか君をのせた車はゆっくりと動き出し、信号を右に曲がって見えくなった。 「いってしまいましたね。また寂しくなりますね」
家内が日差し避けとして頭に載せていたタオルをとると、軽く首筋をぬぐった。
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05年7月記 拓夢書房のあるじ、末森拓夢
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