オリジナル創作小説

ホラー小説【夏の海】

著 末森拓夢

小説サイト拓夢書房

拓夢書房インデックス  投稿小説トップページ

オリジナル創作小説の紹介

投稿小説作品


※ この作品はいわゆる怪談ですので、読まれる時は深夜、ひとりでパソコンに向かっている時間帯を強くお勧めします。

前夜

 暮れゆく夏の海を見ていると、なぜか切なさにも似た寂しさを覚える。と同時に、昔の悲しい事故を思い出す。前触れなく起こる悲惨な事故を身近で経験する事は、十何年生きていると一度や二度ぐらい有り得ると感じた瞬間でもあった。だからといって昔の思い出や、亡くなった友人の面影を頭に浮かべ感傷に浸っている訳ではない。今の自分には今の生活があり、それなりの人生を歩んだ私は二人の子供を持つ父親となっている。

 太陽が海の彼方に沈み始めた瞬間、消えゆく事に対する恐怖、とも言える悲鳴が聞こえた。太陽が沈む、イコールこの世を暗闇が支配する事になる。暗闇で活躍するのは目に見えない者達だ。昼間は人目に付かない日陰にジッと身を潜め、暗黒の世界が訪れると共に姿を現す。ただ普通の人間では、不思議な世界で生きる彼らの姿を確認出来ないだけだ。

 突然私の視界をふさぐ物があった。ビーチサンダルを履き二本のひょろ長い棒のように見える足だ。その足はくるぶしよりひざにかけて無数のすね毛が生えている。座ったまま視線を上に向けると、渦巻く雲に突き刺さるような下田直人が立っていた。

 西の海に太陽が沈んでいって、頭上に奇妙な雲が存在する事に違和感があるが、存在する以上私の力ではどうしようもない。もしかすると、目に見えない者達が雲に隠れ、やって来たのかも知れない。
「フジ。なに深刻な顔して、ぼっーとしているんや。バーベキューの用意が出来たぜ」

 昔から彼の性格は変わらない、野暮とでも言うのだろう。せっかく沈みゆく太陽を見ながら妄想の世界に入っていたのに、まったく大事な時に水を差す男だ。それよりも気になるのは下田が私を呼ぶ時の愛称だ。私の名前は藤井信吾であり、フジではない。
「ああ、すぐに行くよ」

 重く感じる自分の口をやっとの思いで開くと、下田はきびすを返すように横を向き、私達が設置したキャンプへと向かう。彼の足取りは軽く、まるで蝶が飛び回るように駆けていく。それに比べて私は、足にまとわり付く砂がやけに重く感じられ、思うような速さで動かす事が出来ない。きっと他人の目には病人が歩く姿に映っている事だろう。

 私は夏の海でキャンプを張る事が嫌いだ。その事実を下田は知らない。彼が私のキャンプ嫌いの理由を知っていなくてもあたりまえだ。嫌いな理由を話した事はないし聞かれた事もない。キャンプに誘われた時だけは、もっともらしい理由を付けて逃れてきたからだ。

 別に海が嫌いな訳ではない、釣りには行くし泳ぐ事もある。ただ、夏に海でテントを張り、キャンプをする事が嫌いなのだ。だが今日だけは逃れようがなかった。というのも昨日、仕事が終わった夜の十一時頃、突然下田が電話を掛けてきて、家族揃ってキャンプに行こう、と誘ってきたのだ。いつの間にか話は私の妻にまで伝わっていて、珍しく妻が強引にキャンプに来る事を決めたからだ。

 同行したのは私の家族以外にもいて、高校からの付き合いが続く友人で、吉岡純一という名の新婚さんである。彼も下田と同様に野暮な性格を持ち合わせ、時おり考えてしまうような言葉を言う。だが良く考えれば、彼らと付き合う私も、野暮な性格になるのかもしれない。いや、むしろ重要な問題を抱える人物は私自身と言って良いだろう。

 なにしろ、下田と吉岡がテントを張る作業を横目で見ていた時、テントの中を動き回る骨組みが、腕の皮と筋肉の間を縫っていく蛇のようで、なぜか不気味に思えたのだ。

 何を見ても否定的な考えしか頭に浮かばず、あぶら汗が額から流れ出る事に気付いた時、妻と子供ふたりを海辺に置き去りにして、このまま帰ろう、と本気で考えたぐらいだ。

 もう自分自身を責める事はやめよう。せっかく目の前には鉄板で出来たバーベキューコンロが真っ赤に燃える炭火を携えていて、程よく焼けた肉が私の胃袋に収まるのを待っているのだから。

 焦げ目が微かについた肉を見ていると、ときおり炭火に向かって肉汁が滴り落ち、小さな炎と共に大きな煙を上げる。その側には小さなテーブルが用意されていて、汗をかかない缶ビールが数本置いてあった。

 トラウマとも言える自分の思いを消し去るにはアルコールの力が必要だろう。

 ぬるい缶ビールを手に取って力任せにプルタブを引く。予想したとおり勢い良く泡が吹き出てくる。まるで未知なる生物が自分の子孫を残すために、琥珀色にも似た液体に卵を産み付けるみたいだ。

 まただ、またも奇妙な事を考えてしまう。もう馬鹿な想像をする事は止めよう。

 目を閉じて手に持った缶ビールを一気に喉に流し込んだ。空腹時に飲むアルコールは瞬く間に身体の機能を支配してゆく。身体中を熱い血が流れ始め、楽園に向かうように身体が軽くなる。頭に浮かんでいた悪霊が消えてゆくのが分かる。

 酔うほどに正常な意識は薄らいで時間の感覚がなくなった。ふと気付くと自分の子供達も下田の子供達もいない。妻に確認すると、眠りについた頃だろう、との事だった。

 酔いが覚めたのだろうか、目の前にいる人物の顔がはっきりと見える。バーベキューコンロの上には食べ残した肉片がふた切れ、ジッジッと無残にも焦げている。

 コンロの向う側には下田夫妻と吉岡夫妻が仲良く並んで座っている。私の左隣には妻が寄り添うように座っていた。私を含めた三組の夫婦は下田が用意した椅子に腰掛けていて、コンロ近くの地面に置いたガス灯が妖しくみんなの顔を照らし出していた。

 それぞれが胸に潜めていた日頃の想いをすべて吐き出した時、奇妙な一瞬の静粛が訪れた。四〜五秒、いやほんの一秒にも満たない時間だったのかもしれない。

 静粛した時間は頭の中に悪い妄想を抱かせるのに十分な時間だった。目の前にいる人間は本当に人間なのだろうか。もしかすると人間以外の幻、死んだ人間の霊かもしれない。
「なぁ。みんな知っているかな この砂浜の先に、帰らずの淵と言われる崖がある事」

 下田の突然なる話は静粛を破った。だが私にとっては良かったのかもしれない。つまらない妄想を頭に浮かべなくて済む。
「観光気分であの切り立った淵に行くと、突風に吹かれ崖下に落ちる事がある。落ちた人は岩盤に叩きつけられ、万にひとつも助かる事はない。なにより恐いのは、死んだ人が霊となって現れ、通りかかった人に取り憑く事だ。取り憑いた霊は人の姿となって夢に現れ人の意識を支配する。支配された人間は狂わされた事に気付かなくて、自分の行動や思考の間違いに気付かない。何かおかしいと思ったらすぐに相談する事、本当の話だからな」

 何を言い出すのかと思ったら、誰でもが思いつく作り話じゃないか。そんな話、誰も信じる事はない。だが月明かりのない今夜みたいな闇夜には面白い話かもしれない。下田の突拍子もない話は人の心に深く刻まれ、何でもない事を妙に恐がったりするに違いない。
「おい、怪談でもしようか」

 下田は今の雰囲気を更なるものとする気だろう。だが下田が言う怪談は好きになれないものだ。怪談は現実の世界を語っている訳ではない。聞く人が怖がるよう、ちょっとした現象を頭の中で捻り、作り上げた話に決まっている。どうせなら、この世で起こった奇妙で難解な事実を話してもらいたい。それなのに下田の言葉を後押しする吉岡の声が響く。
「それ良いね。こんな不気味な日には最高のハプニングだ」

 何がハプニングなのか知らないが、軽い口調で話す吉岡の声は私の脳細胞に突き刺さり刺激する。怪談などあまりにも馬鹿げている、誰かが創造した世界でありウソの世界だ。本当に自分が体験した事実では有り得ない。

 私の想いに気付くはずもなく、怪談をしようと言い出した下田が私を指名する。
「おい、フジ。お前、怪談好きだろ。昔から霊の姿が見えると言ってるじゃないか」

 いや、そんな気になれない。と言い掛けて、みんなの視線が私に向けられている事に気付いた。誰も彼も好奇心に満ちた目付きで私を見ていて、ある種の強迫概念さえ覚えた。

 そう言えば妻にも下田にも、私が高校生の頃、友人が事故で死んだ事実や、その時体験した不思議な出来事を話した記憶はない。たぶん、私以外の五人の中でその事を知っているのは吉岡だけだろう。彼も私と同様に、死んだ友人とは付き合いの深い仲であったからだ。それに、私が夏の海でキャンプする事を嫌がるのは、自分が体験した不条理な話からだし、自分には霊の姿を見る能力があるのでは、と考え始めたのもあの時だった。

 話は高校生の頃にさかのぼる。当時私は、十六歳になると同時に大型のバイクに乗りたくて、二流ではあるがバイクの免許を取ってもよい、という工業高校に通っていた。

 同じ想いを持つ同級生は多く、数多くの友人が出来た。その中でも筋肉質な体格をした瀬川と、今日一緒にキャンプに来た吉岡とは一緒につるんで走る仲になっていた。

 勘違いだけはしないで欲しい。夜中に街中で爆音を伴って違法行為を繰り返す暴走族ではない。バイクにまたがって見知らない町や、初めて訪れる海辺の風景を楽しむ、純粋なツーリングに出掛けていただけだ。

 その頃の両親には私が個人的に楽しむためのバイクを用意する余裕などなく、趣味に掛かる費用は、すべて学校が終わってからファミレスのバイトで稼ぎ出していた。短時間でのバイトでは十分な稼ぎはなく、時間が自由になる夏休みは格好の稼ぎ時であった。

 夏休みのある日、バイトで疲れた身体をベッドで休ませていた時だ、玄関に置いてある黒電話の音が鳴り響いている事に気付いた。早朝六時から夕方五時までの約束でバイトをしていたから、電話が鳴った時間は夕方の六時頃だっただろう。

 家族はそれぞれ仕事があり、末っ子の私だけが家の中にいた。当然、鳴り響く電話に出る役目は私で、重い身体を引きずるようにして玄関までたどり着いた。別に嫌な予感が有った訳ではない。だが、疲れた身体でバイクに乗るのは嫌な気分だった。
「おい、藤井。お前、比治山に幽霊が出るのを知っているか?」

 電話口から聞こえてきたのは瀬川の声で、彼が言う、比治山に幽霊が出る、という噂も知っていた。バイト先では同年代が何人かいて、噂をする仲間に入っていた。だからといって噂を信じていた訳ではない。当時はまだ、霊なる存在があるとは考えていなかった。
「ああ、知っているけど。どうせウソだろ、幽霊などこの世に居るはずがない」
「バカだな、お前。何でそんな噂が流れるか、知らないだろ」

 自分の想像していた展開にはならず、思わず聞き返した。
「何でそんな噂が流れるんだよ」
「バカだな、女だよ、女」

 話し出す最初の言葉が、バカ、という単語が出るのは瀬川の癖であった。普段は気にしないように努めていたのだが、その時は疲れていたのだろう妙に気になる言い方だった。
「何が女なんだ」
「バカだな、お前。面白そうな噂がみんなの間で流行ったら、女子生徒が何事だろう、と興味本位で比治山に行くだろ」
「そんな、たかが噂ぐらいで女の子が行くか わざわざひと気のない山に」
「バカだな、比治山の頂上は明かりが灯っているから夜でも明るいの。たくさん人が集まってるの知らないんだろ。それに幽霊の話を信じて行く訳ではなく、単なるきっかけだよ」
「きっかけ?」
「そうそう、きっかけだよ。女子生徒も俺と同じように異性と仲良くなりたいから行くんだよ。そこで男子から声を掛けられるのを待っていて、仲良くなろうという作戦だよ」

 クダラナイ。と自分の心に言い聞かせた。だが本音を言えば彼女が欲しい年頃である、自分自身にウソは付けなかった。ただ、行くにしても女の子は苦手だった。嫌いな訳ではなかったが、見知らぬ女の子とどんな話をすれば良いのか分かっていない頃だった。

 そうだ、吉岡も呼ぼう。同じ行くなら大人数の方が気楽に過ごせる。
「瀬川、どうせ行くのなら吉岡も呼ぼうぜ。多い方がいいだろ」
「バカだな藤井。お前、本当に噂を知っているのかよ。女子生徒は二人組みで待っているんだぜ。そこに三人で行ってどうする。ふたりで行こう、ふたりで」

 結局、夜が更けるのを待ってふたりで出掛けようと瀬川と約束をした。

 私の家からだと比治山は、バイクで走れば十数分で着く場所にある。昔から仲良くなった男女が訪れる夜のデートスポットであり、標高は百メートルに届かない程度だった。ただ昼間の比治山は、どちらかと言えば市民の憩いの場所になっていて、登り道の途中に博物館がある事と意味もなく広い公園が頂上にあるだけだった。

 噂話は、頂上の公園に植えてある大きな木の下に決まって二人連れの姿があり、近寄ると突然居なくなる、というものだった。今考えれば男が女の子に近づく手段としてはあまりにも都合のいい噂だ。女の子の姿だと確認してから近づき、噂を確かめに来た、と言えばそれなりの言い訳が出来る。

 私と瀬川が山頂の公園に着いたのは夜の八時頃だった。静寂を破るバイクの排気音を気にしながら空いていた駐輪場に無理やり突っ込みエンジンを切る。想像はしていたが、公園に植えられた数十本の木のたもとには、決まって二人連れの人間が連れ添っているのが見え、どれもこれも同姓同士で立っていた。

 瀬川が先頭になり、何気なく女同士で立っている人物を中心に見て廻った。私は女の子に話しかけるのは苦手であり、苦にしない瀬川が標的とする人物を決めた。公園の中でも一番背が高い木の下にいる女の子達で、ひとりは木にすがるように座り、もうひとりは少し離れた場所で立ち、しきりに辺りを見渡していた。
「ああやって辺りを見渡しているのは、男が近づき話しかけるのを待っているんだ」

 瀬川の言葉が本当なのか、経験のない私には分からない。それに自分が先頭になって女の子を捜したり声を掛けたりする勇気もない。瀬川が早足で歩きその後をついてゆく。

 大木に近づくに従い女の子の姿は徐々に明確になる。立って辺りを見渡していた、髪の長い子が一瞬私達を見て、それから手のひらを上に向け天気が気になる素振りを見せる。

 白いワンピースが風に吹かれ僅かにたなびき、艶のある長い髪もさらさらと風に舞う。ほっそりとした体形に似合わず胸の膨らみが目を引く。細長の顔も好感を持てる。だが、彼女のワザとらしい仕草が、かえって女性が本性として持つ愛らしさを損なう気がしていた。それに同年代にもかかわらず、赤いハイヒールを履いているのが嫌だった。

 対して、木にすがるようにして座っていた女の子は髪を短めに揃えていて私達を見る気配がない。無理やり誘われて来た、そんな感じで座っている。彼女が持つ自然な雰囲気とやや小太りな体格、それに女性本来の丸みをおびた顔付きが気に入った。

 二人は気付かない振りをして私達を待っているような気もした。これが瀬川の言った、女子生徒も俺と同じように異性と仲良くなりたいから行くんだよ、と言う事だろうか。理解出来ない世界であったが、理解したい自分がいる事に否定は出来なかった。
「幽霊なんて出ないね」

 瀬川が女の子に不自然な言葉を掛ける。そんな簡単な表現で良いのだろうか、と思った瞬間に髪の長い子が答えた。
「そうよね。本当に出るのかと思って来たのに、全然現れないんだもの。何か損しちゃった。それよりもあなた達、あのバイクで来た人でしょ」

 そう言いながら指差した方向は自分達のバイクだった。少し自慢したい気もあった。当時十六、七の高校生が乗り回せるといえば自転車ぐらいで、バイクを乗り回す高校生は自分が通う学校の生徒ぐらいだった。

 女の子から見たら彼氏には車、という手も有るのだろうが、自分たちが乗り回すのは道路交通法を破る違反であり現実的ではない。瀬川の口からも、女の子達も違反性を認識しているのだろう、車に乗る男を嫌がる傾向にある、と聞いた事がある。

 さらに同年代で車を乗り回す人物はろくでもない男が多く、それよりも現実的なバイクを乗り回す人物に女の子の人気が集まっている、とこれも瀬川の言葉だった。

 女の子からの問い掛けに瀬川がパーマの掛かった髪を後に撫でながら答える。
「ああ、そうだよ。珍しいだろ、バイクを乗り回す高校生は」
「あなた達、サンリュウ高校?」

 私が通う高校は広島産業流通工業高校という正式名があったが、なぜか他校からは、産業のサンと流通のリュウの字を取りサンリュウと呼ばれていた。あまりにもバカにした言い方だとは思っていたが、それで通用するのだからどうしようもない。それよりもバイクという言葉を聞いた途端に目を輝かせる、短い黒髪の女の子が気になった。所在なさそうに座っていた彼女は、ひょいと立ち上がると二、三歩足を動かし近づく。
「ああ、そうだよ。ちゃんと免許も持っているし、安心してバイクに乗れるよ」

 瀬川の言葉は、バイクに乗るか、と尋ねている事になる。それはマズイ、人を乗せる事を考えてなかったからヘルメットを用意していない。それは瀬川も同じだろう。
「ちょっと今日はマズイよ、ヘルが無い」
「バカ、何だよヘルぐらい。捕まる訳ないだろ」
「捕まる事が問題じゃない。万一、こけたらどうするの 女の子達に怪我させたら取り返しの付かない事になるじゃないか」
「バカ、それじゃ、どうしろと言うんだ、せっかくのチャンスなのに」

 一瞬あたりを冷たい空気が流れた気がした。確かにこの場面は女の子と仲良くなるチャンスだ。咄嗟に頭に浮かんだ言葉を口にした。
「それじゃ、明日バイト休みだし、海でも見に行こうか、二台つるんだタンデムでさ」
「それ、いいね。面白い話だ。そうだ、どうせ行くならキャンプしようぜ。テントを張ってさ。海で見る夜空はキレイだぞ」

 こうして私は次の日に四人で海にキャンプに行く事になった。もちろん渋る彼女達を説得したのは瀬川だった。長い時間、互いに話をする髪の長い女の子と瀬川。私が割り込む余地はなかった。それなのに、髪の長い女の子が瀬川の背中越しにチラチラと私の目を見る。まるで何かの合図のようだった。それに、額にたれ下がった髪の隙間から妖しく見詰める瞳は、今も忘れられないほど輝いていた。

 私の不思議な体験はここで終わった。なぜなら次の日、四人は海に行く事がなかったからだ。原因を知ったのは当日の深夜、十二時を廻った頃だっただろう、自分のベッドで睡眠をむさぼっていた時だ。激しく揺さぶり、夢の世界から現実の世界に連れ戻す人物がいた。抱きかかえていた枕から頭を起こすと目の前には顔色を変えた母親が立っていた。
「シンちゃん、大変よ」

 母親のくせに信吾と呼ばす、シンと呼ぶのが気に入らないのだが、それよりも夜中に血相を変え、私を揺り動かして起こすのだから、よほどの事だろうと思い起き上がった。
「何があったんだ母ちゃん」
「今、吉岡君から電話があって、瀬川君が事故にあって死んだらしいのよ」
「瀬川が事故って死んだ 何を言い出すんだ母ちゃん」
「本当らしいのよ。吉岡君、真面目な声で話しているから間違いないと思う」

 事故って死んだ、と聞かされても咄嗟には信じる事が出来ない。
「本当に間違いないのか 母ちゃん」
「うん。吉岡君からの電話、まだつながっているから出てみて」

 本当の事だろうか、吉岡がふざけてウソを言っているのかもしれない。だが時間が時間だし、母親をウソに巻き込むとは考えにくい。だとすると本当の事……。

 なんて事だ、先ほどまで一緒に遊んでいたのに。そういえば瀬川は、女の子と約束をして別れた後、ひとりで走りに行くと言って、そのまま走り去った。もしかすると、いつの間にか髪の長い女の子と約束をしていて、二人でどこかに行ったのかもしれない。

 突然、私の頭の中に浮かんでくる単語があった。 『幽霊』

 女の子達は人間ではなくて幽霊 亡くなった人の霊 いや、まさかそんな事はないだろう、この世に霊など存在するはずがない。ならば普段、仲間から聞くあの噂の正体は何だ 誰かが本当に霊の姿を見かけたから、噂として広まったのではなかろうか。

 動揺する気持ちを抑える事が出来ないまま吉岡からの電話に出た。
「本当の話か、瀬川が事故ったの」
「本当の話だ。先ほど瀬川のお母さんから聞いた。警察から直接連絡があったらしい」

 本当の事か……。一緒に女の子がいたかどうか、確認しなければいけない。
「事故った時、後ろに女の子を連れていなかったか?」
「いや、ひとりだろう。ひとりで海に行きキャンプするんだ、と昼ごろ母親に言ってバイクで出掛けたらしい。その道中、カーブを曲がりきれずガードレールを突き破り、崖下に落ちていったらしい……。俺さ、いまから現場に行く気だ」

 昼ごろ それはおかしい、私は先ほどまで瀬川と公園で女の子と話をしていたんだ。
「ウソつくなよ、吉岡。俺はいまさっきまで瀬川と一緒に比治山の公園にいたんだ。昼過ぎに海に出掛け、道中で事故ったなんて理論的に無理だ」
「そう言われても、そうだと母親が言うんだ。俺がさ、直接聞いたんだから間違いない。それとも母親がウソを言っているとでも言うのか……お前さ、一緒に行かないか……」

 吉岡の声が遠のいていき、頭の細胞がフルに動き出した。

 瀬川の身に何が起こったのだろう。考えられる答はひとつだけ、瀬川は自分の死を認める事が出来ずに電話を掛けてきて、バイクに乗って一緒に遊ぼう、と誘ってきたんだ。

 あの事件以来私は、自分が経験した出来事を他人に話さない事を決めた。亡くなった友人が霊となり姿を現した、とは誰にも言えない。霊の存在を認める人物は少ないから。

翌朝

 私が置かれた状況を言葉に表すならば、悲惨。たったの一言だ。昨夜飲みすぎたのか、頭の思考回路はショートしている。そのうえ蒸し暑いテントの中で額から玉のような汗を流し、汗でじっとりと濡れた寝袋に寝転がっている。

 暑さを感じないのか涼しい顔をして熟睡する妻と、寝相の悪い子供に挟まれ、思うように寝返りも打てない。さらにシャワーを浴びなかった子供の身体から、発散する汗の匂いがよどんだ空気となってテント内を漂い、私の鼻を強烈にくすぐる。

 額から噴き出した汗はいつしか滴となり、目尻と唇をかすめて首筋を流れてゆく。汗が流れる感触はまるで、蛇が首を這いずり廻るようだ。

 蛇がなぜこのテントの中にいる、ここに存在する必要性はないだろ。

 妄想にも似た感情を否定するように考える。だが、気になって自分の首筋を触る。するとヌルッとした感覚と共に自分の手に巻きつく、何かを感じた。そっと目を開けて自分の首筋に視線を動かし、何かを確認する。

 やはり、私が一番嫌いな蛇である。蛇に睨まれたカエルのように動けない私は、蛇の動きをつぶさに見る。蛇の頭が動き私を見る。細長い舌が伸びる。妖しく蛇の目が光る。蛇の目は私の自由を奪おうと睨んでいるようでもある。

 こんな馬鹿な事があるものか、これは夢だ、夢に間違いない。

 夢を見ているのなら私は睡眠中のはずだ。その睡眠中に頭に浮かぶ物語は夢だ、と考えられるものだろうか。不思議な感覚と共にあたりまえの疑問が頭に浮かぶ。だが現実的に私の脳細胞は、蛇の夢を見ていると認知している。ならば私は、首にまとわりつく蛇の夢から逃げ出さなければならない。

 こんな時はまったく方向性の違う、何かを頭に浮かべるべきだ。もっと楽しい夢を見るべきだ。いや楽しくなくても、美しい光景が目の前に広がる夢ならばそれで十分だ。

 夢は、私が砂浜に立ち、荒れた海を見ている場面から始めよう。そして砂浜を歩く少女を目で追っている事にしよう。少女は白いワンピースを着て太陽の光を浴び、黒く輝く髪を海風になびかせながら海を見詰めていた。頬から流れる涙が少女の心を表している。

 後姿なのに頬から流れる涙に気付くところが夢らしくていい。

 こんな時、男だったら少女に声を掛けるべきだろう、年齢など夢の中では関係ないさ。自分の存在を示すため、わざと足音を残して砂浜を歩く。手を伸ばせば届きそうなところまで自らの歩を進め、ドラマの盛り上がりを期待して一瞬の間を作る。すぐにでも自分をアピールしたいが慌てて声を掛ける必要はない。普通の人間であれば背後に近づく人間の気配ぐらい、自然に気付くはずだ。 『荒れた海は泣いているようで、寂しさを感じますね』

 名セリフを考え少女に声を掛けようとした時、彼女の後姿から思い詰めた雰囲気が漂ってくる事に気付いた。少女が持つ雰囲気のうち、何が私の心理に影響しているのか分からない。それとも、始めてみる男性から意味のない言葉を掛けられた少女がどんな顔をするのか、それが怖くて突然、臆病という文字を知る男になってしまったのか。それではまるで、少年時代の私ではないか。もっと度胸を持って話をしろ。

 少女に私の想いが伝わる訳はなく、長い髪を優しい海風に預けたまま振り返る。ほっそりとした体形、女性を感じさせる胸の膨らみ。なだらかな曲線で作られた細長の顔。

 細長の顔を、いつ、どこで見たのか定かな記憶はないが、見た覚えはある。それもそうだ、夢で見る女性は元々自分の記憶に残る女性に決まっている。

 記憶に残りながらも意識出来ない女性の顔といえば、テレビなどで見たタレントとか、雑誌の表紙を飾るグラビアクイーン、それに街中で見かけた女性ぐらいだろう。きっと夢に現れた女性はその中のひとりに違いない。

 警戒心がないのだろうか、少女の表情は思わぬ人物に出会ったような驚きを見せ、それでいて懐かしい人物を見るようでもある。彼女の瞳は妖しく輝くようでもあった。

 少女の口が何かを言おうとして、微かに開いた気がした。彼女の唇が誰かの意識によって動いているような気もした。それに合わせて心臓の打つ鼓動が高まる気配を感じた。
「ねぇ、あなた。私を覚えているでしょ、助けてくれる?」

 いいね。どんな理由が有るのか知らないが、少女から掛けられる言葉としては最高だ。
「助けるのは構わないが、何を助けるの?」
「私を海から助け出して欲しいの。苦しくて、苦しくて、息が出来ないの」

 やはり最高の気分だ。このまま少女を助け出し、深い仲になる展開だ。胸の鼓動は知らない間に最高潮となっている。熱く燃える血液が身体中を駆けめぐる。

 それなのに、私の夢物語は願わない方向に進む。私の理想では少女は少女のはずだが、夢の世界では少女は少女でなく、高校の時、事故で死んだ瀬川の顔に変わってゆく。白いワンピースを着て、長い黒髪をなびかせる人物は女ではなく男だったのだ。

 何という無理のある設定だ、こんな最悪の夢を見るぐらいだったら、蛇が首に纏わりつく夢の続きを見た方がましだ。そう考えた瞬間、女装をした瀬川が髪を取り乱しながら詰め寄って来る。
「藤井、お前が悪いんだ。俺が死んだのはお前のせいだ」

 何を言い出すんだ瀬川は。お前が死んだ原因は、自分で運転を誤って道から飛び出し、崖下に転落したからだ。誰が考えても自分には責任はない。瀬川が私を責めるのは筋道が違う。それなのに瀬川は歪んだ顔を見せながら次なる言葉を言う。
「俺はお前に助けを求めたのに、お前はそれを無視した。そうじゃないのか」

 何を言う、お前は私に助けなど求めていない。もしも、私と一緒に公園に行き、ふたりの女の子と話をした時の事を言うのなら、それはお前が死んだ事を知らなかった私が、霊となって現れたお前の誘いに乗り、何も考えずに行ったからだ。

 考えに脈絡がない事に気付いた私は、パッと目を開く。現実の世界がそこには見えるはずだ。だが夢の続きは、海に漂う自分の姿に変わった。

 穏やかな海は濁りもなく澄み切った表情を見せる。波のない海は鏡のようで山の頂から登る太陽を映し出している。不思議な気がした、なぜ私は海に漂っているのだ。それに陸地が見えない。山の頂から登る太陽は見えても、陸地とつながる肝心な山が、まるでこの世から消え失せたように見えないのだ。

 太陽を見た時に頭に浮かんだ、希望という文字が突如、恐怖という文字に代わり、危険を感じた私はいまの世界から逃れるため、海面に顔を浸ける。

 体中に冷たい海水を感じながらも岩礁の間に潜む奇妙な世界を覗いてみた。酸素という目に見えない気体を必要とする人間から見ると、空気を必要としない海の底は、見たことのない光景に包まれていて興味がわいて来る。

 細長い八本の足に丸い吸盤を無数に付け、海の底ではいずりまわる軟体生物。六本の足を海底に張り巡らせ、二本のはさみで威嚇する赤い生き物。銀色に光る長い胴体をくねらせ、口を大きく開き、鋭い牙で襲い掛かる未知なる生物。

 面白い、体験出来ない世界がいま、現実の空間として目の前にある。あの先に見える岩の影に行こうか。今よりももっと未知なる世界が広がるはずだ。足をばたつかせ、一心不乱に目的地へと進む。もう目の前だ、私が目指した岩陰は。

 期待したほどではなかった。細かな貝が無数に張り付く大きな岩が、行く手を阻むように、数個そびえ立っているだけだ。それでもいいさ、岩を良く見ると奇妙な形ばかりで、見方によってはきれいな模様にも見える。岩肌から伸びる海藻が海水の流れによりゆっくりとした動きでたなびく。まるで白い煙突から伸びる煙みたいだ。
「バカだな、お前。何を見ているんだよ」

 ふいに瀬川の声が私の耳に届く。瀬川のやつ、私の見えない場所に隠れているんだ。何処だ、どこだ。見回すと岩肌に、数個の白い貝殻が張り付いているのが見えた。白い貝殻は斑点のようにも模様のようにも感じられる。かといって生きている貝とは思えない。冷たい視線を私に投げかけているような雰囲気を感じた。

 なぜこんな物が気になるのだろう、海中に住む生き物がエサとして貝を食べ尽くしただけだ。貝殻の亡骸を岩肌からゆっくりと剥ぎ取ろうと手を伸ばす。その瞬間、岩肌の白い貝殻は形を変え人の頭蓋骨に変っていく。頭蓋骨は続けて瀬川の顔に変わってゆき、そのまま海藻を身にまとう人間の姿に変身する。

 そして海藻が垂れ下がった顔のまま瀬川が口を開く。
「藤井!

 お前のせいだ。お前が俺を助けなかったから、俺はこんな人間になったんだ」

 またか。瀬川のやつ何を勘違いしているのだ。
「死んだ男が、私の夢に出る必要はないだろ」

 亡くなった者に対する言葉ではない。当然のように瀬川は怒り出し、両手で私の首をつかんだ。と同時に彼の指先に想像出来ないほどの力が入り、指先に伸びる爪が私の首筋に鋭く食い込んでくる。あまりの苦しさに瀬川の身体から生える昆布を掴み、力任せに引きちぎる。これで少しは手加減をするはずだ。そう思っていたのに瀬川はますます力を込めてくる。やっと瀬川の手首を掴み、自分の首筋から引き離す。感じていたよりも彼の力は弱い、あっけなく手は首筋から引き離された。

 細い。あまりにも細い瀬川の手だ。長いとは言えない私の指でも、掴んだ彼の手首は力なく感じる事が出来る。どんな手をしているのだ。自分が握った手を見ると、瀬川の手ではなく、足首だった。それもかなり細い足首だ。なぜ足首を握る必要がある、しかも若く細い足首を。疑問を感じ、握った足首を胴体へとたどる。

 なんだ、これは息子の足じゃないか。

 寝相の悪い息子が足で私の首を狙い、伸ばしていただけの話ではないか。それで高校の時に事故で天国に旅立った瀬川が私の首を掴む夢を見たり、首にまとわりつく蛇の夢を見たりしたんだ。結果的に後味の悪い夢を見る事になり、不吉に感じる寝起きを迎える事になったんだ。おかげでせっかく見かけた楽しい夢の続きは終わりだ。

 妻という身分を授かった女性が私のそばに寝ている事は解かっているし、彼女が普段の生活で空気のようにまとわりつく女性である事も知っている。だからと言って私が若い女性に妄想を抱いてはいけない、という理由にはならないと思う。私が勝手に想像して、自分の都合に合わせて物語が進むだけのことだ。

 言い訳するつもりはないが、たぶんこの世に生を受けて過ごす女性は全員、男と同じような何がしらの妄想を抱き日々の生活を送っているに違いない。でなければ、テレビが放映する恋愛ドラマが意味もなく視聴率を稼ぐはずはない。

 現実の世界に戻るか。

 寝ている息子や妻を起こさないように、そっと蒸し暑いテントを抜け出した。想像どおり、肌にまとわりつくジメッとした湿気を感じる事はなく、朝日に照らされた清々しい海の波間が、きらびやかに朝日を照り返している。目に見えない細かな生物が海に漂い、私のすべてを見詰めているようにも感じる。

 夏の海でキャンプを張る事は嫌いだが夏の海が嫌いな訳ではない。むしろ恥を承知で、海は好きだ、と言えるぐらいだ。

 足の裏に感じる砂の感触を楽しみながら五、六歩進み、自分の寝ていたテントを振り返る。特に何も感じない、先ほどまで悪夢とも言える物語を見ていた場所なのに。

 見えるものは昨夜使ったバーベキューコンロと、天井代わりに使用したターフテントが一張、それを囲むように設営された私達のテントが三張だ。他にもキャンプを楽しむ人々はいるのだが、私達のテントだけ孤立した場所に設営されている。

 普通の人は山肌から伸びる道に沿ってテントを張るのだが、なぜ私達は少し離れた場所にテントを張ったのだろう 見事なまでに一直線に並んだカラフルなテントも見様によっては蛇が持つ、相手を威嚇する模様にも見え、私達のテントは蛇の尻尾が切り離されたように浮いていた。

 あまり不気味な考え方をするのは止めよう、無限の可能性を秘めた海が目の前に広がっているのだから。そういえば、夏の海辺にテントを張り、一晩過ごすのは何年ぶりだろうか。確か最後は瀬川が死んだ年の夏の終わり。弔い代わりにと吉岡が誘ったんだ。

 実を言うと、なぜ海でキャンプを張る事が嫌いなのか、自分で納得出来るように色々と理由をこじつけているが、本当の理由は幼い頃、祖母から聞いた昔話のためだと思う。

 母方の実家は海の近くにあった。海の匂いがする古い家だった。夏休みにその家に泊まりにゆくと、興奮して寝付かない私を何とか寝かせつけようと、祖母が私を布団に押し込んでは
「早く寝ないと恐い魔人が来るよ」と言い聞かせてくれていた。

 大人になった今では思い出すだけで苦笑してしまうような話ではあったが、幼い脳が記憶した、些細な恐怖は日を追うごとに大きくなり、深く私の心に焼きついていた。

 あまりにも馬鹿らしい、夜中になると魔人が海辺に現れて目を覚ましている子供を食い尽くすなど。だけど私は本当にズシーン、ズシーンと歩く魔人の足音を聞いた事がある。

 寝付かない私の相手をしていた祖母が先に眠りにつき、その事に気付いた幼い私は、そっと寝床から抜け出し庭先に出た。祖母の庭から見える海は見慣れた風景のはずだった。

 恐怖という漢字すら知らない幼い頃なのに、なぜか目に見えない魔人が闇の奥に潜んでいる気がしていた。思わず目をつむり、その場にうずくまった。その時ズシーン、ズシーンと大きな魔人が歩く足音が耳に届いたのだ。

 その後、私がどんな行動をしたのか、いつの間に自分の寝床に戻ったのか、一切の記憶はない。始めから夢の世界で起こった空想だったのかもしれないし、実際に祖母の家近くに魔人が潜んでいたのかもしれない。
「おい、フジ。もう起きてたんか。寝起き、結構早いんだな」

 突然の言葉で、頭に浮かんでいた幼い頃の思い出が消え去った。こんな野暮な声の掛け方をする人物は振り返らなくとも分かる、今回のキャンプに私を誘った下田だ。彼の性格を私が直そうとしても無駄な事は分かっている。それに彼が私を呼ぶ時の、フジ、という言い方にも慣れているつもりだ。昔から下田は私の事を藤井と呼ばずフジと呼ぶ。
「フジ、景気はどうなんだ。結構稼いでいるんじゃないのか。最近ラーメン屋は人気があるんだろ。テレビの特番がラーメン屋の事をよく放送しているし」

 長いすね毛を左手で触りながら私の隣に座る下田は、右手で砂浜に意味のない絵を書きながら脈絡のない話を始める。彼の気持ちも分かる。下田が生きて行くために選んだデザイン関連は、最近の不況で仕事が減っている。当然彼の収入も減っている事だろう。

 それよりも問題なのは私のすぐ横に座る下田自身だ。見渡す限りに砂浜が続き、人影もまばらなこの時間帯に、わざわざ体温を感じるほど近くに座る必要はない気がする。

 下田自身に妙な苛立ちを覚え、立ち上がった私は立ち上がった言い訳を考える。都合良く一瞬で脳細胞が動く訳はなく、まったく関係ない言葉が頭に浮かぶ。
「なにより恐いのは、死んだ人間が霊となって現れ、通りかかった人に取り憑き、夢に現れたり勝手に脳細胞を支配したりする事。支配された人間は、自分が狂わされた事に気付かなくて、自分の行動や思考する間違いに気付かないらしい。」

 確か、下田が昨夜のバーベキューの時、口にした言葉だ。なぜその言葉が突然私の頭に浮かんでくるのだろう。おかげで私はしどろもどろとなり、吉岡を話題のネタにする。
「吉岡のヤツ、昨夜はどうだった?」
「何が?」
「アイツ新婚だろ、こんな所にくると変に興奮するだろ」
「あぁ、そういう意味か。言われてみれば、女の興奮した声が聞こえたような気がする」

 良し!

 下田の興味が吉岡に移った。そう思った瞬間に背後から声が聞こえた。
「だれが興奮した声を出したんだ?」

 まずい、吉岡だ。いまの話が聞こえたのだろうか。慌てた下田が立ち上がり口を開く。
「あ、いや、なんでもない。俺、ちょっと朝飯の用意があるから」

 そう言って、足早に逃げていく。いつもながら逃げ足だけは速い。ただ、吉岡を目の前にすると、ホッとする気持ちと重たい空気が漂うようで、何を言って良いのか分からない。
「藤井。実はさ、お前に言ってなかった事が有るんだ」

 吉岡は楽しむために夏の海に来たんだろ。なのになぜ寂しそうな声で話し始めるのだ。
「昨晩さ、夢を見たんだ。瀬川の夢」

 瀬川の夢 それなら私も見たが……、まぁ、それはまったくの偶然だろう。
「それで何が言いたい吉岡」
「お前には言わなかったけどさ、瀬川の葬式の時、おかしいな、と思わなかったか」
「何が?」
「瀬川のヤツ、頭が無かったんだ。俺さ、瀬川が事故った翌日現場に行ったんだ。死亡事故だろ、二回目の現場検証をしていてさ。瀬川のお母さんがお父さんと来ていて話を聞くと、頭が見付からないって……お母さん泣いてた。俺さ見たんだ。ガードレールに黒ずんだ血痕が残っていてさ。たぶんそこで首が飛んだのだろうと、警察の人が言っていた」

 頭が無かった? 言われてみれば瀬川の葬式で最後のお別れをする時顔を見ていない。深く考えなかったが普通なら出棺の時、顔見せぐらいはするはずだ。……そうかそんな理由があったのか……。事実を知らなかったが、あまりにも悲惨な事故だ。
「それでさ、瀬川の頭はどこで見付かったと思う?」
「それは崖下とか……、もしくは……いや分からない。想像も出来ない」
「崖下に落ちた瀬川の頭はそのまま川に流され、海にたどり着いたんだ。海だよ、海」
「海 海といわれても広いだろ、どこだよ」
「そこ、そこの崖下で岩の間に挟まっていた」

 吉岡が指差す方向を見ると、帰らずの淵がそびえていた。
「あのさ……、瀬川のお母さんが言っていた。あの年の冬に、海に潜って漁をする女性が偶然見つけてくれたって。……警察が教えてくれたとも言っていた」

 見付かったのは冬か……。最後にキャンプを張ったのは瀬川が死んですぐの夏。という事は、私は瀬川の頭が沈んでいる海の近くでキャンプを張っていた事になる。
「海藻がさ、海藻が頭蓋骨に生えていたんだって。普通は生えないものらしいけど」

 海藻が頭蓋骨に生えていた……夢と同じ……いや違う、夢の中では身体から海藻が生えていた。いや、だけど……。海藻が垂れ下がった顔のまま瀬川が口を開いたのだった。
「それからさ、現場に行った時に俺さ、女性のハイヒールも見つけたんだ。赤いハイヒール。お前言っていたよな、バイクの後に女性を乗せていなかったかって。それで警察の人に確認したんだ。だけど、女性の遺体は見付からなかったってさ。だけどあの時、本当に一緒に女性が乗っていて、その女性も遺体となっていたらどうなると思う?」
「吉岡、お前の言いたい事が良く分からない」
「あのさ、藤井。もしも女性がバイクに乗っていて瀬川と一緒に死んだとしたら、瀬川の頭と共に女性の遺体は川に流され、海にたどり着くんじゃないのか。そして女性の遺体は瀬川の頭と同じ運命、あの崖下の海で岩の間に挟まったまま、という事にならないか」

 やはり吉岡の言っている意味は分からない。だが、彼の話が本当ならば、私が見た夢は正夢、という事になる。そんな馬鹿な。有り得ない話だ、まったくの偶然だろ。いや待てよ、確か夢で見た少女は……。思い出した、夢で見た少女は比治山で見た女の子と同じだ。
「フジにヨッシー。何を深刻は顔して話しているんや、朝飯の用意が出来たぞ」

 ゲッ、またも下田だ。やばいと思えばさりげなく逃げるくせに、誰かと真剣に話をすると近寄ってくる。まったく重要な時にヨコヤリを入れる男だ。それに朝飯といったところで、湯で温めるインスタント物だろうし、準備はほとんど女性軍がやったに違いない。

 そうだ、私が見た夢を話してやろうか。下田のヤツ、かなり恐がるに違いない。
「妙な夢を見ちゃってさ。事故で死んだ友人の夢」
「何だよフジ、気分最悪の話。するなよな朝から」

 嫌がる振りをしながらも興味を持ったようだ。一、二歩近寄ってくる。
「そう言うなよ、面白かったのはそれから先。夢の中に美少女が現れてさ」

 本来の筋書とは違うが、私が見た夢を知る人物は私しかいない。少々ウソを取り混ぜても、それで面白く感じるのならばいいじゃないか。

 下田は興奮したような顔付きをしながらも醒めた声で返事をする。
「何だよ、美少女の夢だって どうせお前の事だから、白いワンピースを着た少女が砂浜に立っていた、とか言うんだろ。その後に続けて、少女は黒く輝く髪を海風になびかせて海を見詰めていた、と言うつもりだろ」

 不思議な感覚が自分を襲う。なぜ下田に私が見た夢の内容が分かるのだ。
「下田。どうして話の先が分かったんだ」
「ハァ? 聴き飽きたんだよ、その話。ここでキャンプ張ると、必ず一緒に来た男は同じ話をする。内容は決まっていて、荒れた海を背景に、白いワンピースを着た少女が振り返り、助けを求める表情で見る。その続きは、たいがい海の中だ。場面は海底にある岩が突然男の姿に変り助けを求めてくる。どうだ違うか」

 ……おかしい、どう考えてもおかしい。下田は、自分自身が言った今の言葉に含まれる矛盾に気付かないのか。様々と訪れる人物が、なぜ同じ場面の夢を見るのか、その意味を分かっているのか。それとも私の考え方が間違っているのか?

『了』
  1. 拓夢書房からありがとうNo1
  2. 拓夢書房からありがとうNo2
  3. クロノレイヤーに僕らはいた
  4. ブルースカイ・シンドローム

小説サイト拓夢書房

拓夢書房インデックス  投稿小説トップページ

オリジナル創作小説の紹介

投稿小説作品


―――運営中のサイト―――
  • 旅行代理店に勤務中・プロの旅行術
  • 相互リンクについて
  • 誕生日プレゼント
  • 誕生日プレゼントランキング
  • 人気の財布
  • アクセサリーの選び方
  • NIN 洋楽歌詞 翻訳
  • 検索エンジンに強いホームページ作成
  • 稼げるブログと稼げないブログ
  • ゲーム 趣味

  • ―――運営中のサイト―――

    カウンター ◆ 宜しければこのサイトをお気に入りに入れ、時おりで結構ですので訪れてください。
    ◆ PDFファイルを使用しています。閲覧ソフトはAdobe Readerさんのサイトから入手してください。
    Copyright 2004-2006 Takumushobou/All Rights Reserved サイト内の文章及び画像には全て著作権があります。許可無く複製・再配布することは著作権法で禁じられています。 末森拓夢 メール 誕生日プレゼント・相手が喜ぶ贈り物 財布コレクション アクセサリー