すーちゃんの日記




2005/09/20 Tue  

> http://news.bbc.co.uk/nolavconsole/ifs_news/hi/nb_rm_fs.stm?nbram=1&news=1&nbwm=1&bbwm=1&bbram=1&nol_storyid=4262668

始めて見ました。
「ユダ」と呼ばれていますね。
君のこと信じない。嘘つきだって、言い返してますね。
どんな気持ちでいたんでしょうか。

見ていたら、勇気が出てきます。
信念を貫いて、偉かったなと思うんです。
自分がこんな立場になるときが来たら、
毅然としていたいと思うんです。


2005/09/20 Tue  




私はゲラゲラ笑い出します。
敵と味方を区別しないだなんて、
そんな甘い考え、世間じゃ通用しません。
社会に出て、現実知るべきなのです。

夢みたいなこと言われても、
私たちは現実に生きているんですから。
徹底して区別のない社会を想像できますか。
それでは社会ではないものになります。

社会はその根源に、
すでに区別を持っています。
社会から区別は切り離せないのです。
もしも、それをするなら、社会から離れなくちゃならない。

エッセネ派という人々は、
社会から離れて暮らしていました。
敵も味方もある、愛も憎しみもある社会から離れて、
自分たちだけは清くあろうとしていました。

だけどイエスはそうじゃなかった。
社会の中にいることを選択していたから、
敵も味方も、愛も憎しみも、イエスにとってはあった。
けれども、その解決は「汝の敵を愛しなさい」。

人間の社会であるかぎり、
区別は社会の中からなくなることはない。
人間が人間でないもの、例えば仏のようなものになるなら、
それはできるかもしれないけれども、

人間の社会であるかぎりは、
敵と味方はあり続ける。人であることを放棄して、
仙人にでもなろうとして、山にでも篭るのでしょうか。
仏教みたいなものは人を変身させようとしている。

善を愛し、悪を憎めと教わりました。
仏教は憎むことを知りません。教えません。
けれど敵を知らずして、悪を憎むことなくして、
どうして社会が正しくなることがあるでしょうか。

お返事遅れてごめんなさい。
どなたにも二十日間以上お待たせしています。
よく考えてお返事したいし、頂いたメールをよく読みたい。
よく調べたいし、気持ちが落ち着くのを、よく待ちたいですから。


2005/09/19 Mon  




>7109. もう終わりね とも 2005/09/12 (月) 02:06
>
>どうして郵政民営化と言う言葉で隠してる部分を誰も考えてないの?


なんてお返事しようか、
一週間ずっと考えてたんです。
頭の中に、たくさんお返事を用意したんだけれども、
なんだか私、疲れちゃいました。

過去のことになれば、
今回のことも歴史となって、
後世の人たちに、良く言われたり、悪く言われたりするんです。
そのときになって、どんな評価がなされるのか。

私は歴史が好きなんですけれども、
(日本史では、昭和史ほど面白いものはないんだけれど、)
昔のことを調べていると、良い悪いというものは、
後になってしか判らないなって、思うんです。

当時悪いと言われた日米安保は、
今じゃむしろ良かったと評価されているし、
あのとき安保反対を叫んで議事堂前をデモしてた人たちは、
今どこへ行ってしまったのでしょう。

学生運動してた人たちに対して、
当時、好感をもってた人って多かった。
けれど今じゃ、あの混乱はいったいなんだったんでしょう。
あのとき活躍してた闘士たちは、今じゃそれを隠して生きている。

当時良いと言われたものが、
後世に悪かったと言われたり、
その反対に、悪いと言われたものが、
後世に良かったと言われたり。

だから今回、支持された自民党も、
後々の世の中になって、あのときは失敗したと、
言われてしまわないこともない。そう思うんです。
その逆に、この選択は、大成功だったかもしれないし。

選挙って賭けだなって、たまに思うんです。
上手く行くかどうかは判らないけれど、
賭けてみようと投票してみる。
その結果、ダメだったとか、上手く行ったとかってね。

ただ自分たちで決めたことなんだから、
たとえダメだったとしても、自分で決めたことなんだからと、
納得する。そのために選挙に行ってる気がするんです。
私はあんまり民主主義って、信奉してないんです。

愚痴を言ってしまいました。
つまらない、くだらない内容でした。
もっと内容のある話がしたかったけれど、
今回のことでは、とってもがっかりしたんです。


2005/09/18 Sun  




>7108. 選挙ですね。 暢気 2005/09/11 (日) 15:01
>
>すーちゃんは、比例区をどこの党に一票投じましたか?
>世界経済共同体党ですか?


もう選挙の話、したくないの。
それにその党は比例区になかったわ。
ない党に票を入れて良かったんなら、
すーちゃん党に入れるんだった。

何事もどうでもいいとは思えなくて辛い。
又吉さんの周りは、不真面目な人たちばかり。
誰も真剣じゃないから、イエスさんは怒っていいと思った。
ちゃらんぽらんな連中が、私はひどく憎いんです。


2005/09/17 Sat  




仏教徒は何かにつけて、
「修行が足りない」と、自分を卑下して言うでしょう。
それは仏教が、修行は足りるべきだ考えているからです。
修行が足りなければ、完成されない教えだからです。

あなたさまのようなキリスト者も、
「神のことが信じきれない」と言っている。
でも聖書が求める信仰とは、そういうことじゃない。(マコ9:24)
信じきれないなんて考え方は、止めるべきです。

私が日記で書いているのは、
キリスト者にとってはキリスト者であることが、
その人の実存、本来的な自分なんだと言うことなのです。
キリスト者は生まれる前からキリスト者として創造されている。(詩71:6)

もしも、本来的な自己として、
キリスト者であることをもっているなら、
その人は神の元にやって来る。神の言葉を信じる。(ヨハ8:47)
キリストを信じきることができるのは、神の力でそうなのです。(ヨハ6:29)

修行が足りてるとか、足りてないとか、
解脱する為に、何かを必要とする教えじゃない。
もしもそうであったなら、誰も救われないと書いてる。(ロマ3:20)
ただし愛することが求められている。愛されることじゃなく。(一ヨハ4:7)

まるで苦から逃れ出ようとする仏教のように、
救いの為には信じきることが必要だと、思っていないでしょうか。
それは自分の為のヨガでしかない。
人生を生き抜く為のテクニックでしかない。

自分の為のではない神の為の。
自分を愛するのではなくて、神を愛すること。(ゼカ7:6)
自分を捨てる者が、かえってそれを拾うあり方です。(マタ10:39)
違うことを考えておられるんじゃないかなと思います。

自分の奥底を覗いてみて、
そこにキリスト者がいなかったら、
その信徒は信仰を捨ててしまうでしょうか。
そんなことをキリストはちっとも怖れませんでした。


2005/09/16 Fri  




お返事遅れてごめんなさい。
体力のないことが悩みで、お返事書こうと思っても、
身体が動いてくれないんです。もしも、お待ちいただけるなら、
今後も私は頑張って書くことができる。

私たちの住む社会では、利潤を追求してる。
株式会社があって、会社の持ち主は株主です。
株主というものは、買った会社の株の出来高しか見てない。
そこで働いてる人間のことなんか、どうでもいいと思ってる。

株主の満足する利潤を追求していくために、
株式会社は合理的な考え方をするけれども、
合理的とは不要なものを切り捨てる、冷酷のことなのです。
そこにはどんなものも広く受け入れようとする博愛の精神がない。

使えるものだけ用いて、使えないものは用いない。
利潤の為にならない、要らなくなったものは捨ててしまいます。
株式会社だけに限りません。社会全般、大抵がこんな風潮にある。
私はこんな陰惨な社会の中にあって、会社側の人間として、

就職を願う多くの就職希望者たちの願いを断わり、
利潤を上げない部署、大勢の社員、パートをリストラしています。
売上を上げて、経費を下げる。その差が利潤になるためですが、
これは私に言わせれば、姥捨て山の精神が現代によみがえったのです。

この地獄の中にあるからこそ、
私は求める者には誰にでも開かれる門を恋い慕います。
ふだん澄江でいるときにはできなくても、すーちゃんでいるときには、
能力を人に問うたことはありません。求めているのは精神の健全さです。

正しいとか、正しくないとか、正義だけを社会に求めます。
解脱できるできないとか、能力で人の命運が決まる社会は悪い。
受け入れるという考え方、つまり愛を正しいとするのは正義感からです。
正しい考え方、愛ある社会になりますように。

能力の無さによって必要とされない者も、憩える社会が正しいと思います。
今の社会のありさまは、そうじゃありませんから、これを憎みます。
私はこの社会の中に入って、本当にそう思うようになりました。
弱者は生まれても、決して生かされることがないんですから。


2005/09/15 Thu  




ライオンは自分のことを、
ひょっとしてライオンと思っているのではないか。
そうでなくて、どうして咆えたり咬みついたりできるのか。
ライオンの獲物は自分のことを、食料と思っているでしょう。

と言うのも、責任ある立場に人を配置すると、
その人は必ず責任感ある仕事ぶりをするからです。
どのコンビニに入っても、店長が誰かはすぐ分かる。
立場がその責任を決めると共に、その仕事ぶりも決めている。

自分のことをカッコイイと思っている人は、
カッコイイことができるけれども、そうは思っていない人は
冴えなく見えるわけです。自分が自分を規定している。
馬鹿だからと自分を言うから馬鹿に甘んじる。

特筆に価すると思われることは、
ときおり人間が自分をも見失うことがあること。
よく人間を観察していると、これはその人の思い込んでいたことに、
変化があったときに起こっていると分かる。

人は思い込みをたくさんもっているけれども、
このどれか一つでも、変更しなければならなくなったとき、
その人はその人自身を、どこか宙ぶらりんにする。
こんなとき、人間は意志を弱くしていることが観察できる。

こうだよと、間違いを正されたときに、
人が洗脳されやすいのは、そのためと思う。
思っていることを、人間は自分の根源においている。
それが揺れたときは、自分の自信も揺らぐときなのです。

たまに私は自分がすーちゃんなのが、不思議でたまらなくなる。
この人が私自身に他ならないことが、夢の中の出来事のよう。
すーちゃんの日記の続きが、私に書けるのか不安なのに、
書き始めると、どうやら私がすーちゃん本人であるらしい。

私がすーちゃんであることに不思議を感じ、日記が遅れるとき、
いつも私は悩んでいることに気付く。仕事が上手くいってない。
私の自信が揺らぐとき、私は私が判らなくなりがちなのです。
私が私でいることは、私の思いが強いときです。

2005/09/14 Wed  




営業所の成績が悪いんで、常務に怒られた。
さんざん怒鳴られたあと、私は言った。
「それでも常務は私を必要としてると思う。
常務は私の助けを必要としてると思う。」

歯医者は昔、私にこう言った。
「痛かったら、手を挙げてくださいね」と。
だから私は言った。「常に痛がってると思ってください。」
困ったんだろう。何も言えないようだった。

私が私を付き付けると相手は、
私のことと共に、その人自身について考え廻らしてる。
私とどう関係していくかということはつまり、
その人自身について、その人がどうするかなのです。

私とは何者なんだろうとか、
私がしたいことは何かとか、そうしたことを
即座的に、そのときそのときに行為している。
そしてそれは一般性をもって、多くの人と共に共感されない。

そうした多くの事例でできたもの、
それが「自分」というものの正体なのです。
私が私を主張することを受けて、その刹那刹那に、
あなたがあなた自身に選択させたものが、あなただということ。

あなたは誰かとの関係の中で、あなた自身を見出してゆく。
私とは何かとか、私は何がしたいのかといった答えが、
誰かとの関わり合いのなかで、そのときそのときに
あなた自身が出していった答えが、あなただということ。

それはあなたの中だけの答えであって、
他の人との間で共有することのできるものでも、
何らかの一般性をもって、他人と語り合えるといったものじゃない。
その都度その都度にあって、あらゆる形態をもつ。

2005/09/13 Tue  




党の方針に従わなかったら、
対立候補を立てて、選挙で勝てなくしますよと、
そういうことを小泉さんはやった。言うこときかなかったら、
次の選挙で対立候補を立てるよと。

これって向こう四年間、
衆院の自民党議員の自由を拘束するものじゃん。
言うこときかなかったら対立候補を立てることがあることを、
事実やってみせたんでしょう。

小泉さんに反対できなくなったと思うわけです。
従わなければ潰しますよってことなんだから、怖いじゃん。
こういうやりかたって、いいやりかたと言えるでしょうか。
明朗なやりかたとは言えないんじゃないの。

いいのかな、こういうの。
政治って、清く正しくあるべきと思うんです。
それって甘いことなのかな。でも何かがおかしいとき、
それをおかしいと思わない世の中って、おかしくないでしょうか。

議員一人一人の主張が、それぞれにあるものを、
党の党としての一票に、議員をしてしまうということが、
危険なことと言われなかったら、そんな政治のあり方は不健全でしょう。
独裁と言われても、所以のないことじゃないでしょう。

こんなとき、リーダーとなる者が正しいときはいい。
けれど間違っていたなら、みんなで失敗してしまうことになって、
それが取り返しのつかないことだったり、よくするんです。
歴史の大失敗って、たいていがそんな場合じゃん。

私が私の支店でこんなことをしたら、ワンマンだって言われると思う。
上手くいっているうちはみんなもついてくるだろうけれど、
上手く行くか行かないかは、私たち自身だけでの問題ではない。
周りの原因ってものが関わってくるものなのです。

仏教物語じゃないけれど、盛者必衰の理なのです。
必ず没落するときってあるって知ってるから、そのときに備えて、
謙虚な気持ちを忘れない。「目標は高く、けれど腰は低く(笑)」と、
支店の壁に張り出してみたなのです。

2005/09/12 Mon  




衆院選挙は小泉さんが勝った。
民意を問うて解散して、堂々と勝ったんだから、
あっぱれ。大した奴なのです。
私は賛成できないけれど、民意は民意です。

公約どおり、ただちに郵政を民営化し、
憲法改正、消費税引き上げを検討するとよい。
民主主義っておかしいけれど、これはこれでいい。
私の望んでたことと違うけれど、仕方がない。

「悪法も法である」と言って、
ソクラテスは毒杯を仰いで死んだ。
たとえ法が悪であっても、法には従うべきだと言った。
そうでなくて、どうして子どもに教育できるのかと言った。

ちょっとオーバーだったw
ちょっと言いすぎ。ちょっと恥ずかしいw
けれど弟子のプラトンは、大衆を恨んだ。
大衆が師のソクラテスを殺したのだと思っていたから。

どうして師が殺されねばならなかったのか。
大衆の妬みのために殺された師のありさまを見て、
プラトンは大衆に政治を任せてはいけないと考えた。
それで哲人政治なんてことを言った。

ちょっとオーバーだった。(けれど続けちゃうw)
民主主義ってことは、たいへん結構なことだけれど、
二つの欠点があるなんてことを、彼は言っている。
衆愚政治に陥りやすいこと。独裁者を生み出しやすいこと。

国民なんてものは学習してない○○なんで、
全然判ってないから、○○な方向に政治を動かしてしまうし、
退屈を嫌って、興奮を求める○○だから、
見世物を与えてくれる独裁者について行っちゃうんだよと。

ちょっと言いすぎ。(だけど続けちゃうw)
ヒトラーは上手かった。世紀の天才と言ってよかった。
劇的な効果をあげるようなショーを、大衆に対して提供できた。
その最大のものは世界を相手に戦争だったし、人種差別だった。

つい興奮してしまうような見世物を与えてくれる指導者に、
大衆というものは、ついていってしまうものなんだと言う。
民主党の岡田さんは、そういう知恵がまったくなかった。
小泉さんは靖国参拝とか、解散劇とか、あれは上手い。

ちょっと言いすぎ。
だけど言わせてなのです。
負け犬の遠吠えと思ってさー。
負け犬が吠えます。わんわんきゃんきゃん。

2005/09/11 Sun  




>7104. 質問 かっぱ 2005/09/03 (土) 13:39
>
>クリスチャンなのに神社に行くんですか?


公立学校の修学旅行でも、
お寺や神社に旅行に行けますかと、
訊ねてくれたら良かったのに。
宗教に対する配慮がないのです。

中学生のときには鶴岡八幡宮に行ったし、
高校生のときは京都のお寺めぐりでしたよ。
私は高校生のときは、宗教が違うと言って行かなかった。
そんな私の頑固を、みんなが嫌ってたのが分かった。

私の心に芽生えた怨念みたいな気持ち、分かりますか。
私はみんなから受け入れられなかった。
だから私も、みんなの信仰を受け入れない。
神社や寺を、私が嫌うのは当然のことです。

私は仲良くなりたいと思った。だから仏教も神道も、
その信徒の人たち以上に勉強してる。誰よりも知ってる。
けれど誰もキリスト教を理解しようとはしてくれない。
それなら私はこの異教徒たちの中にあって、どう生きたらいい。

実に複雑な気持ちで、
私が神社を見に行くってことを、分かってもらいたいけれど、
それはキリスト者でない方に、期待することのできないことです。
私が自分の力を頼みとして生きるのは、当然じゃないでしょうか。

誰にも期待できないんです。
一つの共通認識を持って、何かを感ずることさえ、
ままならないんです。誰にも分かってもらえないなら、
自分一人で生きていくことを覚悟するしかありません。

神社に礼拝に行くんじゃないですよ。
私がクリスチャンだからといって、私が神社を見に行くことは、
誰にも非難できないことなんじゃないでしょうか。
私が神社に行かなくなったときは、私が狂ったときですよ。

私が狂ってしまって、誰とも交わりをもとうとせず、
私一人で自己完結しようとしたとき、私は神社に行かなくなる。
そうなったとき、私は誰とも仲良くするつもりなんかなくなっています。
私が神社を見に行くのは、私の心に健全さがある証しです。

他人と交わろうとしてるときは、まだいいんです。
でも、それをしなくなったら、人としてはもう終わりですよ。
私が仏教や神道を非難していることを、止めさせないでください。
それが止んだときは、私が人として終わったときです。




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