残された山靴 コメント 佐瀬稔 著(遺稿集) 1999年 山と渓谷社 刊 ”志なかばで逝った8人の登山家の最後” 森田勝氏、加藤保男氏、植村直己氏、鈴木紀夫氏、長谷川恒男氏、 難波康子氏、山崎章人氏、小西正継氏、8人の記録である。 30年前の学生時代、北極海を犬そりで横断した植村直己さんには 心底あこがれていた。氏の本はすべて買って読んだし、前の会社の 入社時の面接で、尊敬する人は?と聞かれて、”植村直己”と答えた 記憶がある。すでにこの頃は国民的英雄だったが、彼が明治大学を 卒業して、そのまま海外へ飛び出して世界の山々を歩いた記録 ”青春を山にかけて:毎日新聞社刊1976年”に描かれた冒険 人生にあこがれたものだった。 植村さんが厳冬期のマッキンリーで消息を絶ったのは昭和59年、 もう20年以上が過ぎた。自分は就職して平凡な人生を過ごして いるが、厳冬期は無理としても、いつかは5月のマッキンリーの 頂に立ってみたい、と思って過ごしている。 アメリカ南部や東海岸へのフライトはこの山の南側をかすめて飛ぶ。 海外出張のたびに、飛行機の窓から北極圏の真っ白なこの山の姿 を眺め、いつかは俺も・・・と思ってきた。北極圏にあるので冬は 真っ暗、夏は白夜のなかにある。冬のマッキンリーがいかに厳しい 条件か、太陽はほとんど姿を見せないだろうし、想像を絶する寒さ との戦いだったのだろう。彼の厳冬期単独初登はそのような条件で 成し遂げられ、そして帰って来なかった。 森田、加藤、長谷川の各氏は先鋭的なクライマーであり、その遭難 は当時もマスコミでも話題になった。その頃は、自分は山を離れて いた時期でもあり、印象は薄い。ただ、8年前から4年連続で 長谷川恒男CUP(日本山岳耐久レース)に出ていたので、開会式で 長谷川氏の奥さんの姿を見かけたことはある。もちろん、長谷川氏 の本も何冊かは読んだ記憶がある。 鈴木氏はルバング島のジャングルで小野田少尉と会い救出して有名 になった人で、その後ヒマラヤへ雪男を探すという夢にかけて、 家族を残して雪崩で亡くなった人である。 山崎氏は、長谷川氏が挑み続けて、雪崩で亡くなった魔の未踏峰 ウルタル2峰(7388m)に1996年初登攀、ベースまで奇跡 の下山を果たしながら亡くなった。 91年長谷川氏とともに、ウルタルで遭難死した星野氏の奥さんが 96年5月の富士山で滑落して亡くなっている、そのときに偶然 居合わせて、救助活動したのが、その2ヵ月後にウルタル初登後に 亡くなった山崎氏という、恐ろしい偶然だったらしい。 この本が出版された99年当時、自分はまだクライミングをはじめた ばっかりで、アイスや冬壁はやっていなかったので、ウルタル2峰の 厳しさはピンとこなかった。しかし今、長谷川氏と山崎氏のこの記録 を読み直してみると、いかに厳しい登攀だったかが少しは想像できる。 氷河のアプローチは20mのかぶり気味の氷壁があり、山頂手前には 懸垂下降もある。当然下山時には、そこは登り返さないといけない。 7000mを超える高所の5級ミックスクライミングがどれくらい 厳しものか、、。しかも、頻発する雪崩。90年代後半まで未踏峰 だったという事実がそれを物語っている。 小西正継氏は言わずとしれた”山岳同士会”30年前から超有名人。 自分が20歳で初めて買ったピッケルは”シモンスーパーE”という 軽量なものだったが、小西さんが使っている、という雑誌の広告を 読んで、同じのを買ったという記憶がある。当時の若者の憧れだった。 このピッケルはウッドシャフトで30年以上も経つので、本格的な 雪山には使えないが今でも大切にロググハウスの壁に飾ってある。 8年ほど前だったか、6月初旬に単独で残雪の穂高を岳沢〜涸沢へ 日帰縦走したことがあり、久々に使ってみた。このとき、すれ違った 年配の方から”いいピッケル持ってるな”といわれてうれしかった。 晩年の小西氏は”シルバータートル隊”という中高年のヒマラヤ 登山チームに加わり、いくつかの8000m峰を登った記録を NHKだったか、テレビで見たように記憶している。 難波康子さんは外資系の会社務めをしながら、山を続けてこられ、 田部井さんに続き、47歳でエベレスト女性二人目の登頂を果たし ながら下山中に亡くなられた方である。公募登山隊に応募しての 登頂でこのときはリーダーも亡くなっている。 近年のヒマラヤ登山は、経験を積んで費用を払えば、エベレストと 言えども、個人で登れる時代になった。数年前だったか、広島の 女医さんがこのような登山隊に参加してエベレストの登頂を果たし ながら下山中に亡くなられたのは記憶に新しい。 ヒマラヤ8000m峰は長期間の高度順応が必要で、会社に勤め ながらは普通は不可能である。会社を辞めたら生活できないし、 普通のサラリーマンには夢のまた夢である。60才の定年を過ぎ 数百万円の費用を工面できたら、行きたいと漠然とした夢はある。 定年まであと7年半、50代は体力と健康を維持して、少しでも 経験と技術を磨いておきたいものだ。 この3日間は1ヶ月ぶりに韓国出張だった。それでこの本を持参 して行き帰りの暇な時間にじっくり読むことができた。今日は 金浦空港を8時35分の便に乗ったので、新宿12時のあずさに 乗れた。1時間半の間にノートパソコンを出してこのコメントを 書き終えた。もうすぐ甲府に到着する。午後から会社に戻って、 一仕事だ。本を読み、想い出と夢を書き込み、現実の生活に 戻っていく。          11月25日 特急あずさの中で。