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■□■ 何 で も コ  ラ  ム ■□■
ぼんやり考える、こねくり回す、時々イカる、論旨あっちこっち

「いち」はおしゃべり。
 眠っている時間を除いて、ずーっとシャベリ通し。誰かと一緒の時はもちろん、一人でいる時も。見て、聞いて、感じて、考えて……、いつもいつもその度に言葉に変換している。声には出さなくてもいつもぶつぶつ自分に話しかけている。
 
2003年

8月23日(土)   花火を見て母を想う

1月21日(火)   障害は個性か(2)……Mさんからメールを頂いて   

2001年 

9月15日(土)   アメリカのテロ事件について思うこと

4月14日(土)   「美しい」と感ずる心を残酷に思う

3月28日(水)   薬害ではないエイズの人――安部被告無罪判決の日に敢えて 

3月28日(水)   本「売る売らないはワタシが決める」を読む前に

2月23日(金)   バス内にて――忍耐が肝心

2月20日(火)   チャイコフスキーと三島由紀夫   

1月25日(木)   障害は個性か……障害者のはしくれとして  

1月24日(水)   人権施策推進のための指針骨子」へのパブリックコメント 

1月7日(日)    シャベリ場(2期)郭敬樹君へ

1月1日(月)    年賀状、個人レベルの公と私 

2000年

12月1日(金)   誰でもトイレ  

11月30日(木)  人権  

11月25日(土)  「憂國忌」ですが


花火を見て母を想う

2003年8月23日(土)


 「全国花火協議会」というのをテレビ中継していた。
場所は大曲だそうだ。
花火大会というと母を思い出す。
子供の頃(花火に限らないが)、見に行きたいと言っても決して連れて行ってはくれなかったし、誰かと行ってイイとも言わなかった。
とかく人の出るところは危ないからという理由で決して出して貰えなかった。
つまらないと思ったが、特に大きく不満を持ちはしなかった。
当時はそれで納得してしまう子供がいても、別に珍しくも無かったと思う。
 
 今、この年になって、母はどんなに不安で心配であったかと時々思う。
私のような子を持ち、舅姑を送って2年かそこらで夫に先立たれたのだ。
舅姑がすべてを握っていて、家計に限らず家のことを何もかも、これから夫に教わりながら守って行かなくては、と思った矢先に一人になって放り出されたのだ。

 事細かくやかましかったナ、でも母としての慈愛に溢れていたナ、先の先まで思いやっての事だと言うことが子供ながらに感じ取れていた……。
子は母を大樹のように思うモノだ、と誰か言っていたと思うが、私もそのように思っていたと思う。
いつも其処にいて揺るぎなく、其処に帰れば安全で、すべて許され、子にとっては当たり前の存在。

 でも、今になって思うと、母も一人の人間でどんなにか不安であっただろうか、としみじみ思う。
誰にとっても明日何があるか分からない。
女手一つで、私のような子を抱えてさぞ不安であったことだろう。
戦後の混乱が治まり切れていない頃、今のように、一般を守るような法整備もずっと整っていなかったに違いない中で。 
兄弟姉妹の誰一人として母を思わぬモノはいなかった、それぞれに母を思い、母に従い、助けてきたとも思う。
でも、母にとって、イイ子であろうとだだっ子であろうと、子は子だ。

 十数年前母が倒れて入院して数日後、病院に寝泊まりしていた私は、夜、母が泣いているのに気付いた。
そしてその時思った。
初めて、母は自分のために泣いている、と。
母が病んで、寝付いて、思ったこと、私の幸せな時代というのはもう済んでしまったのだ、ということ。

 母が倒れて、そのまま一歩も歩けないどころか立ち上がることも出来なくなってしまって、家で共に暮らした6年あまり。
その時の幸せ、それをどうやって言ったらイイだろう。
元気でいたその時までに、母が私に注ぎ与えてくれたすべてに匹敵するくらいの事を、またしても寝たきりの母は私に教え、与えてくれた。
珠玉のような6年半であったと思う。
でも、母を見送って一人になってから思い出す母、それは、元気であった頃の母の姿だ。
あと半月で9回目の命日が来る。



障害は個性か(2)……Mさんからメールを頂いて

2003年1月21日(火)


先日、見知らぬ女の方からメールを頂きました。
2年前コラムに書いた「障害は個性か」に関する内容でした。
どんなことを書いたかほとんど忘れていたため、あわてて読み直してみて……。
まぁ、文章やらなにやら気に入らないところはいっぱい、冷や汗ものとはこういうことを言うのでしょう。
第一、このとき機嫌が悪かったのかな???
でも、考えていることの中身は、ほとんど変わっていないと思うのですが、改めて書いて見たくなりました。

…………………………………………………………………………

 私の疑問はごくごく単純なこと、「障害は個性」と言っている方々、皆さん本当にそう思っておられるのでしょうか?ということ。

 個性というのは、申すまでもなく、誰に教えられたからと言うのではなく、本来その人が持って生まれた、モノの感じ方とか考え方と言ったモノ、例えば、映画館で同じ映画を一緒に観ても、印象に残ったり覚えている場面も違えば感想も違う、といったようなモノでしょう。
本来備わった感じ方とか気質とかクセ、そしてそういうことの基に作り上げられてきた性格とか考え方、そういったモノを個性というのでは無いかと思うのですが。

勿論、性格や考え方といったモノは持って生まれたものそのままだけで作り上げられていくモノではなく、其処には当然環境(外部因子)が加わりますよね。
その環境(外部因子)の中に、病気や事故などの結果としての「障害」が加わる人もいることでしょう(まぁ、私もその一人という訳なのですが)。

で、外部因子の1つである障害を負ったとき、それをどう感じどう受け止めるかといったこと、それこそが個性。
そして、それを受け止め・身に取り込んだ結果、以前とは違ってきた性格が、又その人の個性となる……。
そうやって個性は一瞬一瞬形づくられ、人間は一人一人益々固有のモノとなって行く、そういったモノでは無いでしょうか?

ですから「障害」は、人に影響を与え、人を変化させ、個性を形づくるきっかけにはなるけれど、そしてきっかけとしては大きいかも知れないけれど、「個性」とは別物、と私は思っています。

 そういう私から見ると、「障害は個性」という言い方は、障害を障害のままでなく、何らかの言葉(この場合個性)に置き換えずにはいられない事から来ているのではないか。
つまり障害を障害として認めたり受け入れられたりできない事を意味しているのではないかな?と思えてしまうのですが、どうでしょう。

もしそうであるなら、なぜ障害を障害として受け止められないのか、それこそが問題で、そこを問うことから始めるべきでは無いでしょうか?

世の中、真正面から向き合わざるを得ないことだらけ、誰も皆持てる力でその時その時を対処していくより他ない。
身に降りかかったことは誰にも代わってもらえないのですから。
障害だって降りかかって来た事の一つではないかな?

「障害は個性」という言い方は、時には不公平だったり不当だったり思えたにしても、引き受け、背負って行かなくてはならない事が世の中にはあること、生きていく上で「逃げられない事があるのだ」ということに蓋をし、見えなくする。
そして、時には困難に真正面から立ち向かい、時には重い荷物を引き受け、背負って、なおかつ顔を上げ背筋を伸ばそうと努力している人がいることも見えなくする。
そしてそういったあり方が崇高であることを忘れさせる。
私はそう思うのですが。

 『そうなんです、私足が曲がっていて杖がいるんです。
席を譲ってくれて有り難う、荷物を持ってくれて有り難う、私と一緒だとこういうことになるのよ、勘弁ね。
でもこういう身体になっちゃったんだから承知してね。
可哀想ですって?
有り難う。
そうねぇ〜……。
不便だし、使いすぎると痛むし、格好悪いし、病気になんかならずに真っ直ぐな足のままだったら良かったのに、と思うわ。
でもこれが私なんだし、しょうがない。
けれどだからといって、私、卑屈になる必要はないと思っているの。
誰もがそうなように、私も出来ることはして、出来ないことは助けて貰って、そうやって人生楽しいことも辛いことも味わって、そこそこチャンと生きてる………』

そう思っている、というより思えるように努力している、ってとこでしょうか?

健常(者)でない事を障害(者)ということについて様々な意見があるようですが、ココではそれには触れません。
障害(者)という言葉の是非については、また何れ書いてみたいと思います。

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アメリカのテロ事件について思うこと

2001年9月15日(土)



今回のテロ行為の犠牲になられたたくさんの方のご冥福をお祈りいたしますと同時に、瓦礫の下で今なお耐えておられる方々が一日も早く救出されますように。


この世の悪行が、悪人による悪しき行ないのみであったら、どれほど単純で対処のしやすいものか。
人の心に愛ある限り、良き人でありたいと思う心ある限り、もめ事から戦争に至るまで、人の世に争いごとは尽きないに違いない。


「愛」のない人生は可能だろうか?
「愛」のない人生は生きるに値するだろうか?
愛する家族、親、子、兄弟姉妹や、恋人、友人のいない人生を生きたいと思う人がいるだろうか?

愛することは、分かち合いたいと思う心。
その人の喜びを共に喜び、苦しみを共に苦しみ、怒りをも我が事として共に怒り、怒ってやりたいと思うこと。

よって、争いごとはなくならない。

遠い海の向こうの国の出来事だからこんな事が言っていられる。
身近なつながりのある人の上に起こったことだったら……第一番に報復に賛成するかも知れない。

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「美しい」と感ずる心を残酷に思う  

2001年 4月14日(土)


桜は終わってしまったが、これからは花の季節、美しい花々が次々と……。美しい花が好き、綺麗なものが好き、誰でもそう思う、自然で当たり前、そんなことに注意を払う人なんていない……かもしれない。

だが日常のいたるところ、あらゆる場面で「美しいネ」「きれいだネ」と何気なく口をついて出てくる言葉、それが実は同時にどれほど人を傷つけていることか。

私は足に障害がある。日常杖をついている。生まれてこの方、様々な場面で「どうなさいました?」、「お気の毒に」、「大丈夫ですか?」、「お手伝いしましょう」、「私が替わりにやりますよ」、「あなたはやらなくていいですよ」等々、思いやられたり気遣われたり質問されたりして生きて来た。幸いにして、いじめらた経験はほとんどないが、それでも障害者としての思いなり体験なりは持っている。

そういう中でこれまで来て思うこと、それは、人は機能が劣っていることでは傷つかない、ということ。そのことそのものではなく、なんらかのこと(自分にとっては足が悪い)によって自分は人と違っている、そしてそれはマイナスイメージで違っている、その思いが人を傷つけるのではないだろうか、と思う。勿論それはその程度の障害だとも言えるのかも知れないが。

「ご不自由ですね」と言われたその言葉を、私はどう受けとめるか。「『この人は私のこの足が十全でない事から来る不便さを気遣ってくれている』、だがそれだけでは無さそう『この人はこの足、この姿を醜いと思っている』、そして『この姿で生きて行かなくてはならない道のりを思いやってくれている』のだ」、例えばそう受けとめる。
自分を一目見た時の「アレッ」という、いわば驚きの表情、一瞬のち、その驚きを気取られまいとする様子…、といったこと等と共に発せられる言葉から、自分が単に機能に障害があるだけでなく、普通の人間と「違って」いて、しかも「醜く」違っている、と学ぶのだ。

だが、明らかな障害がある場合はまだ良いと言えるかも知れない。「障害があるのだから仕方がない」「自分でどうこうした訳じゃない」等々と、自分の気持ちを転換したり納得させたり出来る。

障害でない場合又は障害と認知されにくい場合は?例えばかつて遠縁にいたが、背中にこぶのある人、友人にもいるが極端に背の低い人(実際は脊椎の病気?)、子供の頃近所にいた頭髪のほとんど生えてこない女の子、アザのある人、顔中にいぼのようなものがたくさんある人……。

そういった人たちと対した時に湧いてくる感情、「気の毒に」と思う気持ちを素直にそのまま表すのは誰しもためらわれる。気の毒に、と思うことはその人の醜さを認めてしまうこと、言葉に出して言えば「『あなたは醜い』と私は思っていますよ」と公言することと同じになってしまう……、だからその人を前にしてはおそらく誰もその部分には触れないことだろう。そしてそのことは、当の本人が誰よりも一番よく承知して居ることだろう、日々の体験を通して。

人はみんな違っていて、何によって傷つくか外からは計り知れないものだ。私はささやかながら障害を持ったことで、人が何に傷つくか、ということに、敏感になったり考えたりする人間になったような気がする。

生活に何ら支障はなくても、美しいか醜いかということは、どれほど人を傷つけ、人の心をえぐり、ぼろぼろずたずたに引き裂く力があることか。そして美醜に固執する気持ちは克服しづらい。その拘泥する気持ちを克服できないという思いそのものが、またどれほど自尊心を傷つけ打ちのめすものだろうか。

「美しい」とか「きれい」とかいう言葉は、大半が日常ほとんど何も関心を払われることのない場面で使われる言葉だ、意見表明とか論説などの構えた場面でなく。使って欲しくないと仮に言ったところで押しとどめようがない。仮に出来たとして、使わなかったら日本語が壊れてしまう、そういう言葉だ。

人が何故美しいかどうかを瞬時に見極めるか、それは、防衛本能とか、種族維持とかにどこか深い部分で繋がっているのでは、だから先に言った様なことが克服し難いのではないか、と漠然とながら思う。個人的にはその思い、つまり人間として、生物として最も根本的なところで自分ははずれている、という思いがまた身をえぐり、絶望させる(大げさだと思われるだろうか)。

そうして矛盾したことに、こう言っている私自身、「美しいものは好き」……なのだ。「もの」ならまだしも「美しい人が好き」。引きずられる、自分を忘れそうになる、頭が空っぽそうでも、性格が悪そうでも……。

いつかこのことは言いたかった。
アジャパーWEST(http://www14.freeweb.ne.jp/area/ajapa/)で「顔面トラウマ〜石井政之氏」、「さらされる顔〜松本学氏」を読み、中途半端ながら書いてみる気になったもの。

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 薬害ではないエイズの人――安部被告無罪判決の日に敢えて  

2001年 3月28日(水)


帝京大の安部教授に無罪の判決が出たとニュース番組で報じていた。???という気持ち大ではあるが、よく分からない、としておこう。今日だけでなくこれからも、たくさんの人がこのことについては発言することだろう。私などの出る幕ではない。

エイズと聞いて思い出す別のことを敢えて私は言おうと思う。

確か94年〜95年ごろだったと思う、薬害エイズが問題になり、TVも新聞も盛んに報じていた。当時の菅厚生大臣と川田龍平君が毎日のようにTV・新聞をにぎわしていた。

そんな中、薬害でないHIV感染者、エイズ患者はどんな思いだろうと思った事を思い出す。

94年春、その何年か前に性感染によるエイズ患者であることを初めて公表した、短歌作家の平田豊氏が亡くなっている。そしてその年の12月、エイズで亡くなった人を偲ぶために作られた「キルト展」、というものに行って心動かされたのを、私は覚えている。特に身近にHIVに関係した人が居たわけでもないのに、常にどこかから、それに類したことが耳に入ってくる年であったように思う。

そこで感じたこと、それは、同じHIV感染者・エイズ患者でも薬害によるものへと、そうでない、というより性による感染者・患者への対応では、微妙に「違う」ということ。

マスコミは報道する度に「この人たちには何の落ち度もないのです」、そう言っていた。言葉に出して言わない場合でも、裏からにじみ出ていた。

それは、「あなた達は自分が招いたことだから仕方がないのですよ」と、報道される度に、一斉に、そして集中攻撃されている(いつもマスコミはそうだ、とも言えるが)、と性感染者たちに聞こえたとしても、不思議はないだろうと傍目にも思えた。とりわけ、当時は同性愛とは関係がないと言われて来てはいたが、まだまだ関連づける風潮が拭い切れていなかったと思う。ただでさえ日々偏見にさらされている当事者の思いは、いかばかりだったであろう。

確か、薬害による感染者・患者の中には、性感染者と一緒にしてもらっては困る、という声が具体的にも聞かれたと思う。

何がそうさせるのだろう。やはり「性」に対する偏見か。だが、偏見と言ってしまうことは簡単だが、自分がその立場、例えば薬害エイズ患者だったとしたら……、決してそのように思わない、と言い切れるかどうか……正直言って自信は無い。

あれから6〜7年経って、最近は変わっただろうか。病気としてのエイズに対する正しい知識は、当然浸透してはいるだろうが。

 「性」へのこだわり、性的に自由である事を良しとしない考え、それは偏見だろうか。偏見だとして、しかしそれを取り除く事はそう簡単ではないかも知れない。取り除こうと努力し続ける事しかないのかも知れない。

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本「売る売らないはワタシが決める」を読む前に  

2001年 3月28日(水)



最近ネットで購入、まだ読んでいない。読む前にちょっと書き留めておきたいと思う、今どう思っているかを。

「売る売らない……」の売るは、何を売るのかというと、春、つまり売春のこと。正直言って縁遠い世界だ。売りたいともそれ以上に売る状況になるとも思っていない。だが、多くの人が言うように本当に「悪いこと」なのだろうか、というのもこれまた正直な感想だ。

売春という言葉は、TVや新聞などで目や耳にすることが結構多い様に思う。が、目の前の日常に紛れて、ほとんど常によそ事だった。ずーっとそうであった。だが20歳になるかならぬかの頃、そんなに悪いことなのだろうか、と素朴に疑問を持ったことを覚えている。考えてみればどこかでずっといつもそう思って来たような気がする。

性行為、どういう場合は良くて、どういう場合は悪い……そんなことあるだろうか、何だか胡散臭い、ご都合主義のにおいがする……。本当はだれもが嘘を承知で、婚外性行為は悪、と言い続けているのでは?

売春についても、基本的には自己決定の問題ではないだろうか。「その人自身」は、その心も体もすべてひっくるめてその人のものだ。性に関する正確な知識、またそうは言っても、現状ではどういうことがまつわる問題としてあり得るか……といった知識や情報を提供する、それがなされた上で、その人自身が決定したことについて、傍からどうこう言うべきではないのではないか。知識不足のため望んでいない決定を本人がしてしまわないよう、知識や情報を正確に与えることが出来るかどうか、それが問われるべきなのではないだろうか。

しかし一方で、最も古くからある商売と言われながら、売春がずっと蔑まれ続けてきた(と、勝手に思っているが違うだろうか)のは何故だろう。

リンゴが1個あるとする、兄弟が二人だったら半分ずつ、三人だったら三分の一ずつ平等に分けて食べるようにと、それがあるべき姿だと親は子どもに教えるだろう。そう、みんな仲良く平等に分け合って……と、何事も、ただし「性」を除いては……。

性においては、何故「独占が善」と人は思うのだろう。すごく唐突なようだが例えばリンゴと性、どこが違うのだろう。

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バス内にて――忍耐が肝心  

2001年 2月23日(金)


日中外に出ると、本当に年配の人が多い、確かに高齢社会だと思う。

今日、9時を少し過ぎたくらいの時刻にバスに乗った。このくらいだと、通勤時間帯はもう過ぎてはいるが、まだまだ仕事で乗っていると思われる人が多い。

あるバス停で、待っていた数人が乗り終え発車しようとしたところ、「おじいさんが乗るようですから待ってあげてください」と運転手に呼びかける、たまたまバス停近くにいたらしい女性の声。ややしばらくして杖を付いた80歳前後と思われる男性が手すりにしがみつくようにやっとの思いで乗車してきた。
やおらシルバーパスを探す。ところがこれがなかなか見つからない、片方の手は手すりにつかまって体を支え、もう一方の手で探しているのだから無理もない、そうでなくても、高齢になれば誰でも不器用になるのだから。運転手さんはさすがに待ちきれず「良いですよ、座ってください」。
この間2、3分ぐらいだったのかも知れない、が、ずいぶん長く感じられた。誰もがそう思っている雰囲気が車内にみなぎっているようだった。

このおじいさんがシルバーシートに座ると、今度は隣りに座っていたおばあさんが待ちかねたとばかりに話しかける。これが大きな声。高齢になると、難聴まで行かなくてもなかなか聞き取りにくくなるもの、だからどうしても大声になりがち。2つ目ぐらいのバス停でどちらかが降りて行ったが、この間ずっと大きな声で話していた。

似たような光景に出くわすことはそう珍しくない。
「高齢者」「お年寄り」と頭で考えたり、心の中に思い浮かべている段階では、誰もがいたわったり、親切にしたいと自然に思える。だが実際目の前の「高齢者」「お年寄り」は、当然ながら一人一人別々の人間で、個別の人生を生き、それぞれこだわりを持っていて、その上に加齢による様々な問題を抱えて「そこにいる」と思っていた方が良いだろう。

一方で、働き盛りの人たちは時間に追われて生活している。
思いやり・優しさに加えて、立場を変えて見る力や忍耐強さといったものが、ますます必要になってくるに違いない、と思った場面であった。

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チャイコフスキーと三島由紀夫  

2001年 2月20日(火)


午前中なにげなくTVをつけたら、シアターテレビジョン(スカイパーフェクトTV)で、チャイコフスキーのドキュメンタリーをやっていた。終わりのほんの数分間。最初から観てみたくなった。確か以前にもやっていて(スカパーは同じ番組を何度でもやる)ビデオに録ってあるはず、探してもう1度全部観てみる。

初めに観たとき何を感じたか、何故録画したいと思ったか思い出した。以前にも触れたが、三島由紀夫の手紙の裁判(2000年11月25日、コラム「憂國忌ですが」参照)がどこかに引っかかっていて、比較してしまっていたのだ。

音楽好きな人でチャイコフスキーの名前を知らない人は、まずいないだろう。だが彼が同性愛者であったことを知っている人は、それほど多くはないかも知れない。私も知らなかった。ただ、突然の死を何となく変だと思っていた記憶はある。クラシック音楽好きな人ならたいてい1度ははまる最後の交響曲「悲愴」、その曲の初演のほんの数日後、突然亡くなっているのだから。

私が知ったのは7、8年前、たまたまもらった中古CDの解説リーフレットによる。衝撃的な内容だった。たしか「当時、同性愛は御法度、甥との同性愛関係がロシア政府の知るところとなり、自殺を強要された」といった内容だったと思う。

仰天した。真偽の程は知らない、いろいろ説があるようだ。このドキュメンタリーでも、自殺説、コレラ説等々、今のところ研究者によっても見解はまちまちらしかった。

だが、いずれにせよきちんと研究され、真実が追求されていることが窺えた。指揮者、ピアニスト、バイオリニスト、オペラ監督、伝記作家、資料館員等々が、彼の作品へのそれぞれの思いや作品が生み出された背景、人となりなどについて語っている。また、彼が同性愛者であった側面が作品に反映されている、苦悩とどう向き合い折り合いをつけたかが窺える……等々とする研究者の真摯な態度にも、作品を大切に思う心、作曲家への敬愛の念と彼の苦悩への深い共感が受け取れて、大変感銘させられるものだった。

三島由紀夫の場合はどうだろう。

手紙裁判、何が何でも福島氏の著作の出版を差し止めたかった。「手紙掲載は著作権侵害」は、出版差し止めに持っていく手段以外の何ものでもなかった。出版されることにより、三島が同性愛者であることが公になることを阻止したかった……としか私には思えない。三島の友人たちの中にも、「彼は同性愛者ではなかった」とかたくなに主張する人があるやに聞く。

この違いは何だろう?三島が同性愛者であったことは紛れもない事実(判決後、三島自身が自らの同性愛傾向を記述している手紙が、別の出版社から出版されている、という)。ありのままの三島由紀夫を受け入れるためには、まだ時間が必要だということなのだろうか?

このドキュメンタリーはイギリスBBCの制作になるもの。イギリスは、70年代になるまで同性愛は処罰の対象だったとか。一方、日本では明治以前(あるいは戦後?)までは、いつの時代も同性愛は公然のものだったと聞いている。皮肉なことだ。

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障害は個性か……障害者のはしくれとして  

2001年 1月25日(木)



 昨今、「障害は個性」という言い方がよくされます。その言い方は明るく軽やかで、人は皆同じなのだ、という思いに気づかされ、さらに言うなら、健常者がどこかで障害者に対してやましく思っていた思いを、楽々と飛び越え、双方の距離をぐっと縮めた様に思います。

でもその言い方に私は引っかかっています。障害は個性では断じてない、と私は言いたいのです。

障害はあくまでも障害。障害者とは、当たり前ながら、あるべきところにあるべきものがないか、あっても不完全な形だったり、正常に機能しなかったりする部分を抱えている者以外の何ものでもない、と思うのです。

人が障害を持った時、その障害をどう捉えるかは人によって違います。障害をどう認識し、どう工夫し、どう克服し、障害者となった自分をどう受け入れるか……そういった事は人によりそれぞれ異なる、それが個性というべきものではないでしょうか。

可哀相な憐れむべき存在と見られたくない、という障害者側の思い、そのように見るのは障害者に対して失礼、という健常者側の気遣い、それが「障害は個性」という言い方を生み出したのかも知れません。

でもそれは間違っているし、まずいと思うのです。たとえそれが思いやりやいたわりに根ざしていても。

人は一人一人違う訳で、障害はその違う一人一人の上に乗っているもの、「乗っかっているもの」を個性と言ってほしくない、乗っかっているものを見て、障害者であるその人を見たつもりになって頂きたくない、と思うのです。乗っかっているものではなく、本来の姿を見てその人と人間関係を築いていただきたいと思うものです。誰との場合でもそうであるように。

 「障害は個性」という言い方は、個性と言ってしまうことで、それで良しと片付けてしまいがち、その人自身を見ていないことに気付かなくさせられてしまう方向に作用する、とささやかながらも障害者のはしくれとして思い、敢えて発言するものです。

ところで、もう少し言わなくてはなりません。障害といってもいろいろ、障害の種類も度合いも。障害者とひとくくりにするのは実は大変乱暴な話なのです。私の様に時間さえかければ一通りのことはこなせる者もいれば、一生ベッドから離れられず、自分がなにものかも認識できない場合だってあります。残念ながらそういう形でしか人生を味わえない人もいるということを。

本来、言葉は相手に事実を伝えるための道具なはずです。正確さ厳密さといったことは言葉の命、たとえ優しさや気遣い等からの言葉であっても、その言葉が真実を覆い隠したり、真実から目を逸らさせるものであったとしたら、それは排除されなくてはならないと思うのです。

中途半端な理解に基づいた間違った認識や、ピントのはずれた安易な思いやり等といったものは、努力もせず理解したつもりになる傲慢さとイコールになり、時には当事者を残酷に傷つけ引き裂くものだということを、肝に銘ずるべきでは無いでしょうか。

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「人権施策推進のための指針骨子」へのパブリックコメント  

2001年 1月24日(水)



昨年7月の事だったと思います。NPO法人アカーが「東京都にパブリックコメントを送ろう」と呼びかけている、と時々のぞかせていただいているすこたん企画(http://www.sukotan.com/)の中で紹介されていました。私も都の人権局に送りました(7/21)。締め切り前数時間ギリギリ、急いで書いたので文章が練れていませんが。

たまたま行き会ったサイトで「バッシングを受けたらとにかく逃げなさい」と呼びかけているのを読み進んでいるうちに許し難くなり、掲載してみようという気になりました。

―――「人権施策推進のための指針骨子」について―――

その他の人権問題の項の「性同一障害のある人々」という文言を当初の懇談会・提言通り「性的マイノリティ等(同性愛者、性同一性障害の当事者や自己の性別に不快感を伴う人々、インターセックスを含む)」に変更して頂けるよう強く望みます。

私自身は性的マイノリティーという意味での当事者ではありませんが、本来、「性」は人間の根幹に関わる最も重要な問題であり、マイノリティーであれマジョリティーであれ絶対的に尊重されねばなぬもの、と思っています。

「性」に限らず世の中は多数派にとって生き易くなってしまうのは致し方ないこと、だからこそ少数派を守ることを敢えて「表明」しなくてはならないのではないでしょうか。

ですから「同性愛者の人権を含めることには、都民の理解が得られていない」という見解がもし正しい見解であるとするなら、そこから導き出される結論は当然「含める」になるべきだと思います。

近頃、ヘイトクライムと言われる犯罪が増えつつあること、そして特に若い世代に増えつつあることを大変危惧しております(実際、同性愛者をターゲットとする事件は起こってしまっています)。

マイノリティーの人権を謳うということは、犯罪防止の観点からも非常に重要、且つ緊急な課題と思っています。

どうか、そういった犯罪の増加を防ぐ為にも「性的マイノリティ等(同性愛者、性同一性障害の当事者や自己の性別に不快感を伴う人々、インターセックスを含む)」という文言を、はっきりと入れていただきたいと思うものです。

「自律・自立性に基づく人間の存在や尊厳を守る都市」という項目を空文にせぬよう、また本施策が「啓発・教育」を含んでいることからも、入れることをお願いしたいと思います。

そして、この「人権施策」を格調高いものにするためにも、「性的マイノリティ等(同性愛者、性同一性障害の当事者や自己の性別に不快感を伴う人々、インターセックスを含む)」という文言を、提言通り是非是非入れていただきたいと願うものです。

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シャベリ場(2期)郭敬樹君へ  

2001年 1月7日(日)


 
NHK教育テレビの「しゃべり場」再放送(昨年秋に放映されたもの、3回分。深夜1時頃からやっていた)を見る。

本放送で見たくて見られなかった回なので録画予約しておいたもの。

15名のメンバー(皆10代)が、知識として学んできた事だけでなく、体験に照らし合わせて一人一人が考えた正直な意見が飛び交っていつも感心して見ていた。

が、在日朝鮮人である郭敬樹(かくきょんす)くんの回はひどかった。

「体験に根ざす」のは良いが、照らし合わされ得る体験がないとなると「分からない」、「そんなの無理」、「わがままだ」、「韓国に行けば解決する」等々、底の浅いお粗末な意見が続出。

人の話に耳を傾け事実を正確に認識し理解しようという努力をしない。状況を思い描く想像力の欠如、立場を変えて見る力の無さ、そして見る努力をしようとする愛情の無さ(全員ではないが)。

若者らしい正義感といったものが感じられない事に愕然とする。

教育の在り方を真剣に考えなくては日本に明日はない、と改めて実感した。

それにしても郭君には感心させられた。レベルが高いとはいえない意見や質問にもきちんと向き合って、疑問に答え、自分の意見を述べ、みんなに考えてほしい、協力してほしいと訴え、しかもそれを決して投げ出さず根気よく訴え続ける熱意に感動。

そこまでさせるほどの彼の置かれた立場、家庭の中では朝鮮人、だが祖父母の代・親の代・自分、と全部立場が違う複雑さ(当然それぞれの世代間で確執があったでしょう)。一歩外に出ればそこは日本であり周りは日本人、彼に影響を与え彼を育んだのは日本文化。でも自分の中に流れているのは朝鮮民族の血、踏んだこともない土地の。

それらの中で自分が何ものか考え、自分自身を支え、どうしたらプライドを確立して行けるか、その苦悩がひしひしと伝わってくる。

民族とか、国家とか、とても難しい問題で、考え方が一致しない部分もあると思うけれど、郭君、おばさんは応援しています。そして番組を見てそう思った人は少なくないと思いますヨ。

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年賀状、個人レベルの公と私  

2001年1月1日(月)



21世紀と相い成りました。おめでとうございます。どうぞよろしくお願い申します。

ところで、正月といえば年賀状だが……。

些細なことなのだろうか、家族写真を(子供が生まれた時などは特に)年賀はがきに作って賀状をくれる人があるが、申し訳けないが好きになれない。場合にも寄るが、おおむねそう思わされることが多い。

「いち」は子供を持ったことがない。だからうっかりそう言おうものなら、ひがみ・やきもち・やっかみと取られかねない、といった気持ちがついつい起こる。実際、類似のことでそういった反応は珍しくはなかったから。

という訳で、今までこのことを口に出して言ったことは無かった。むしろあまりに厳密すぎるだろうか、そう感ずる自分の方がおかしいのかも、と感じ方を変えようと少しは努力もした。

でもやっぱりワタシは知っている、本当は自分がそう思ってはいないことを。

例えば会社関係の賀状に家族写真は使わないだろう、それは、個人がどんな家族を持っているか、家族があるかどうかさえ、本来仕事には関係ない私的なことだからだ。

個人の関係にも公と私はあると「いち」は思っているらしい(「らしい」と言ったのは、これは理屈ではないから。「いち」の体の中に染みついている、たぶん美意識なのだ)。個人の関係においても家族は私事、個人のつきあいだからといって、家族を一緒くたにして良いつきあいばかりとは限らない。

突然送られてくる家族写真の年賀状、会ったこともない夫または妻(結婚式に出たり、挨拶状ぐらいはもらったにせよ)や子供に、突然一緒に「おめでとう」と言われて、私はあなたと付き合っているのであって、あなたの夫(妻)や子供とおつきあいは無いんだけれど……、と言いたくなることがたびたびある。俗に言う家族ぐるみのつきあいなどはもちろんそれで良いが、誰にも彼にも家族写真というのは如何なものか。

もう20年ぐらい前にTVで、代議士夫人になった一人の女優(仮にTさんとしておこう)についてのエピソードを、彼女と親しくしているある女性が話している場面。

「選挙期間中に空港で偶然Tさんに会いました。Tさんは『今忙しくてごめんなさい、(選挙が)終わったらゆっくり会ってお話しましょう』と言っていました、本当は『主人に一票をよろしく』と言いたかったでしょうに」

うろ覚えだが私はこの話が好き、この女優さんのけじめのあるあり方が好きだ。そしてそれを語るこの女性も。

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誰でもトイレ  

2000年12月1日(金)



トイレ機器メーカーTOTOが催した車椅子トイレに関する講座(今日は最終日)を何回か受けました。

車椅子トイレといって思い浮かべるトイレ……まず広くて、洋式トイレで、便器は真ん中にあるのではなくほとんどが壁に面している、壁には手すり、もう片側にも違った形の手すりが付いていることもある、洗面台が付いていてその周りにも手すりが付いていたり、洗面台に前には大きな鏡、傾斜していることもある……大体こんな所でしょうか。ここまでが障害者用のいわゆる「車椅子トイレ」ですね。

それに加えてチャイルドチェアー(これは普通のトイレにも付いていることあり)、おむつ換え台が付いているタイプも珍しくなくなってきました。障害者プラス子連れのお母さん用、ということになるでしょうか。

世は今や高齢社会、そして高齢になってもどんどん外出する高齢者が増えてきました。それは単に積極的になったというばかりでなく、子供世帯との別居が一般的になり高齢者のみの世帯が増加、好むと好まざるとにかかわらず、所用のため外出が必要になった高齢者が増えている、ということもあるでしょう。

どちらかがおむつ使用になった場合……。という訳で大人用の折り畳み式ベッドをトイレに置く、またオストメイト(人工肛門)の方などのための流しを取り付ける等々いろいろ考えられて来ているようです。

「障害者だけでなく」という訳で、トイレのドアにシルバーマークの他に子連れの母親、杖を付いた高齢者などのマークが付いているトイレが増えてきました。

これを「誰でもトイレ」と言うそうです。通称かも知れませんが、なかなか良いネーミングだと思いました。それにしても、いろいろ考えられているようですね。嬉しくなりました。

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人権  

11月30日(木)



区報「人権・同和問題特集号」が来た。1995年〜2004年(平成7〜16年)の10年間は「人権教育のための国際10年」だということだ。

国では平成9年に国内行動計画を公表し、この中で、人権教育の推進にあたり「九つの重要課題」を設定し、積極的に取り組むこととしているとのこと。

その九つとは、区報によると

(1)女性の地位を高めよう
(2)子どもの人権を守ろう
(3)高齢者を大切にする心を育てよう
(4)障害のある人の完全参加と平等を実現しよう
(5)部落差別をなくそう
(6)アイヌの人々に対する理解を深めよう
(7)国際化時代にふさわしい人権意識を育てよう
(8)HIV感染者等に対する偏見をなくそう
(9)刑を終えて出所した人に対する偏見をなくそう

うん、うん、と抵抗なく項目を目で追って(9)まで来て、ウーン?ちょっと変じゃない?

刑を終えて出所した人に対する偏見をなくそう……結構でしょう。

でも、その前に一項目抜けてはいませんか?「被害者」について触れられていないのはどういうこと?項目が9個なのであれば9項目めは「被害者」、でなければ項目を増やして、受刑者は被害者の後にすべきでしょう。

「大田区」さん、いくら国の計画がそうなっているからといって、そのまま鵜呑みにすることはないんじゃーありませんか?

都の「人権施策推進のための指針骨子について」(6月版)には「犯罪被害者やその家族」という項目が挙げられ、犯罪者とその家族などはその次の「その他の人権問題」の中に入れられています。当然でしょう。

万人に人権はあるかも知れません。でも時には優先順位ってものがあるのではありませんか?

被害者はほったらかし。アナタ勝手に立ち直りなさい!とばかり。悪事を働いた人にはあの手この手、手取り足取りすくい上げようとしている(特に少年犯罪は)、税金どっさり使って……。それでいいの?

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「憂國忌」ですが  

2000年11月25日


  
今日は確か三島由紀夫の30回目の命日だった様な気がするのですが………。その事について報じているニュース番組にひとつも出会いませんでした。ちょっとビックリ。出版業界ではいくつか新刊など出るようなこともちらほらあるようではありますが。私は全然詳しくないので分かりませんが……。

ところで、三島由紀夫の手紙掲載(福島次郎著「剣と寒紅」の中で)についての裁判、最高裁は文芸春秋社と福島氏の上告を棄却(11月9日)しましたネ。とってもイヤーな感じがしています。

手紙が著作物で、その上その著作権の権利が、所有者である手紙の宛名人ではなくて遺族にある、というのも釈然としませんが、それ以前に、手紙の著作権侵害に名を借りて、実は三島が同性愛者である事が、福島氏の本によって決定づけられるのを恐れて遺族は訴えた、としか思えないのですが。

裁判所もそれを承知の上で判決を下した、と思うのは私だけでしょうか?

昨年(10月18日)の地裁の判決を報じる毎日新聞記事によると「…出版禁止や賠償500万円の支払い、名誉回復のための広告掲載を命じた…」とありますが、これもまた気に食わない。

「名誉回復」となっていますが、著作権が侵害されることは、「不当」だとは言っても「不名誉」とは言わないのでは?

そこには(手紙によって)同性愛者であること(が決定づけられること)は不名誉なことという思いがポロッと出てしまった、という風に見えるのですが。

それとは別に、三島が自らの同性愛傾向を綴った書簡が収録された、「決定版三島由紀夫全集」が新潮社から発行されたそうです。こちらも訴えるのでしょうか?もちろんご遺族の心情は分からぬではありませんが。

本来作品の価値は、作者がどういった人間かということによって変わるものではない、たとえ作者が犯罪者であったとしてさえ。そういうものでしょう。

同性愛者であった人に書かれたものであろうと無かろうと、書き上げられたものとして、作品はもうそこに厳然として在るわけです。

むしろ「仮面の告白」などは、三島ほどの天才であれば、全くの創作で書き上げることも勿論可能だったかも知れませんが、同性愛者であった、という方が納得が行き、素直に入ってくるというものではないでしょうか。私はそうです。

それにしても、何かと表現の自由と言って大騒ぎするマスコミの静かなこと。文芸春秋社も真剣に戦ったのでしょうか?

インターネットで検索してみた限り(そんなに深くはしていませんが)では、文芸評論家・福田和也氏が書かれているもの(産経新聞「正論・批評スクランブル」1998、6月号)ぐらいでした、納得がいくのは。

同性愛者関連のサイトでも、見る限りではそれほど大きく取り扱っていません。残念に思います。

ところで福島次郎著の「剣と寒紅」ですが、私は買って読みました。まさか回収されるなどとは思ってもいませんでした。

売名行為とかずいぶんひどいことを言われているそうですが、私は良い作品だと思っています。「三島由紀夫の愛人の書いたもの、としてしか評価されなくても書かずにはいられなかったのでしょう」とある人が言っていたように思いますが、そういった思いが一つ一つの文字からひしひしと伝わって来て、心動かされる作品だと思います。

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