ほころびとつぎあて 2001年03月分
2001/03/31(土)
今日は雪が降りましたよ! 一度はしまった冬用のコートを引っ張り出してお出かけです。手袋やマフラーもしました。これで明日から4月っていうんですから。この冷え込みで、桜は少しは長く持つんですかね?
えーと。最近ひとに「ブラッドベリってどんな作家?」と聞かれたので、こう答えました。「遊園地のミラーハウスってあるじゃん。あの中に入って、自分の背が伸びて映るのを楽しみにしてるこびとがいるんだけど、その鏡を、よけいに背が低く見えちゃうようなのに取り替えてしまう青年が出てくるハナシを書くような人」。
オレは決して嘘をついていませんが、世のブラッドベリファンの皆様には噴飯ものの解説だったかもしれません。もちろんオレは、その後に「華氏451度」や「火星年代記」の話をするつもりだったんですが、それを言う前に、質問の主はどこかに消えてしまいました。そういうことも、たまにはあります。
そういやむかし、SF大会に参加した時に、買おうとしたハヤカワSFシリーズ版の「太陽の黄金の林檎」を、スグ横に立っていた見知らぬお姉さんに譲ってあげたことがあります。「え! それ買っちゃうんですかぁ?」と泣きそうな声で言われたので。彼女は今でもSFを、そしてブラッドベリを読んでいるのでしょうか?
2001/03/30(金)
夕方、昨日も書いたゲームショップから電話連絡があったので、「キャプテン・ラヴ」廉価版を引き取りに行きました。2枚。店のお兄さんは消費税をオマケしてくれたのでラッキーです。浮いた分で缶コーヒーを飲み、「金田一少年の事件簿」のビデオを借りました。ついでに夕飯の買い物などをしていたオレは、なんと所帯じみていたことでしょうか。と言いますか、実際に所帯持ちですが。
帰宅してからパッケージを開けてみました。あー、ROMの色遣いが派手になってますねー。ピンクのハートに黄色のイナズマです。個人的には、東芝EMI版よりこっちの色遣いの方が好きだなァ。あと、取り説は表紙を除いて全ページモノクロで、ページ数も少なくなってます。10ページくらい少ないかな。ただ、それはレイアウトの工夫によるものなので、情報が減っているわけではないようです。雑君先生のアルバイトマンガも、表4にカラーで載ってましたし。
周囲のウワサから判断するに、相変わらず、あまりお店には置いてないみたいですね。まァ…、知る人ぞ知るタイトルみたいですから、しょーがないか。ともあれ、今が買い時なのは確かなので、未プレイの方はこの機会に買うべし! 作った本人が言うのもナンだけど、1500円というのはチョー安いと思いますし。
2001/03/29(木)
川崎は雨です。多分、東京も。寒いし濡れるのはヤだし、外出なんかしたくは無かったのですが、今日は「キャプテン・ラヴ」の発売日だし! いちおうはいそいそと、予約してあったゲームショップに向かいました。そしたら…!
店員のお兄さん、予約票を見るなり「あ! 『キャプテン・ラヴ』ですね、スイマセンこれ、入荷してないんですよ!」
なんだそりゃ。予約の意味、ナッシング! お兄さんの説明によると、多分チェーン系だと思われるその店の「本店」では、そもそも入荷の予定が無かったらしく、まァ、だからこその予約行為だとも言えるのだけど、そのオーダーが通ってなかったらしいんだな。「昨日の荷物に入ってなかったんですよねェ…」とは、お兄さんの言。
幸いオレは、「今日欲しい、今欲しい、すぐさま持ち帰ってプレイしたい!」という客では全然無いので(そりゃそうだ)、「んじゃ入荷したら連絡してください」と言って帰って来たんだけど、お客さんによっては荒れるだろーな、とは思ったな。発売日に入荷がないなら、せめて電話連絡くらいよこせよ、とかさ。もっとタチの悪い客だったら、これだけの事でもインターネット上で報復を始めるかもよ、とかね。
ホントはオレも、もっと怒った方がいいのかもしれない。客として、ある意味でナメられてるのは確かだし。けどまァ、対応してくれたお兄さんの態度は良かったのでヨシとしましょう。そもそも、予約したのがもっとビッグなタイトルだったらこーゆーコトにはならなかったんだろうしな。
そんなわけで、今日はあまりイイ日ではありませんでした。がっくし。
2001/03/28(水)
オレと「金田一少年の事件簿」。あるいは西岡琢也賛歌。
そもそもどうして「金田一〜」を読み始めたかというと、テレビアニメ版の「雪夜叉伝説殺人事件」の解決編を見てしまったからです。
それまでは、その存在しか知らなくてね。「ああ、『名探偵コナン』と双璧なんだよネ」くらいの認識で。どういうテイストの漫画かなんて、ほとんど興味ありませんでした。
そんな折、妻に「おもしろいから見てごらん」と言われ、夕方にオンエアしてたテレビアニメの再放送を見たんですな。それが「雪夜叉〜」であったと。
ちょっとネタバレくさくなるけど、とても素晴らしいシーンがありまして。真犯人は子どもの頃、乗っていた旅客機が墜落し、数少ない生存者の一人となるんですが、その墜落の現場、雪原にへたっと座り込み、茫然自失の態で大破した旅客機の残骸に雪玉をぶつける、ぶつける、延々とぶつけ続けているという…。
後の真犯人がなぜそんな事をしなければならなかったのか、その哀しみ、怒り、虚しさが見事に表現されていて、恥ずかしいんだけどオレは思わず泣いてしまいました。
で、「えッ、『金田一〜』ってこんなにスゴいの!?」と思って、だから原作を読み始めたんですけどね。ずっと前のこの欄にも書いたけど、あのシリーズは基本的にリベンジストーリーであるトコロ、犯人側の事情がキチンと描かれているトコロが好きなんですよね。
ですから、漫画版の「雪夜叉〜」も当然読んだんですよ。でもそしたら! アニメで見て、あんなに感動した「雪玉をぶつけ続ける子どもの頃の真犯人」という描写は、原作には無かったんです。あれは、アニメ版独自のアレンジだったんですな! いやあ、心底感心しました。
となると、気になるのは誰があの秀逸なシーンを作ったのか、というコトなんですが。まあ、普通に考えれば演出家と脚本家ですわね。で、「雪夜叉〜」の回の担当脚本家は、あの西岡琢也さんだったんですな!
西岡琢也さんと言っても、邦画にあまり興味の無い人にはよく分からないかもしれませんね。でも、オレくらいの年で、邦画が好きでライターやってるような人間にとっては、荒井晴彦、丸山昇一といった名前と共にサンゼンと輝くビッグネームだったりするんです。「ガキ帝国」とか「TATTO(刺青)あり」とか。「丑三つの村」とか「犬死にせしもの」とか「ションベンライダー」とか! 最近ではテレビドラマ「京都迷宮案内」とか書いてらっしゃいます。「繊細なアウトサイダー」の造形、描写がお上手な方だと思います。
西岡脚本独特の「暗さ」「情念」「泣かせのテクニック」、オレ的にはツボに入りまくりで、ひところはト書きなんかもおおいにパクらせて頂いてました。『深く深くF・O』とかね。
ひるがえって「雪夜叉〜」のあの描写を考えれば、「なるほど、西岡脚本だからなのか」と思わせてくれるような匂いがプンプンと漂ってまして。思わず納得です。彼ならああいうシーンを付け加えそうだなァ、とか。
西岡さんは、アニメ映画版「金田一〜」の第一作目も書いていて、これもまたけっこー泣けるんです。ウン、「金田一〜」の脚色を彼に依頼したプロデューサー氏は慧眼の持ち主と言うべきでしょう。すばらしい。ブラボーです。
2001/03/27(火)
「金田一少年の事件簿」、そろそろと再読中です。第1巻から。そういや、日曜日にも日テレでドラマやってたねー。松本潤クンの「はじめちゃん」は、なんか神経質っぽくて、それはそれでいい味だったけど、「堂本」金田一よりはおおらかさに欠けてたかもね。ってコトはつまり、原作の味からハズれてたってコトだけど。…けどまあ、そこそこ面白かったからいいです。井上順の悪役も愉快だったし。
ともあれ、マンガ版ですが。14巻までは読んでたんだけどねー。せっかく読み直すんだったら最初から…、なんて思ってるんですが。でも最近、5ページも読むと疲れちゃうんだよなあ。あー。Case7まであと36冊もあるよ…。
2001/03/26(月)
書斎の大掃除ネタ。いや、ネタというか雑君先生宛て私信。
書類の下から、去年「インターネットはケーブルテレビで!」を作った時の、センセのアニメーション用原画が出てきました。えーと、これ、ヤフーのオークションで売っていいですか?
…嘘です。ごめんなさい。近々のうちにお返しいたします。郵送の方がいいですかね?
2001/03/25(日)
書斎の大掃除をしていたら、10年前に録音したECHOESのサードアルバム(のテープ)を発見。早速聞いて「エコーズ最高!」とか言っていると、妻が「あー。さむーい」などと呟いて通り過ぎていきました。
彼女は、NHK教育で若者討論番組の司会をやってたりしたような「青春キャラクター」としての辻仁成が昔からキライらしく、オレにつきあって最後まで見たテレビドラマ『愛をください』に至っては「だって。辻仁成だからしょーがないじゃん」というのが、その感想のほとんど全てでした。何が「しょーがない」のかと言うと、つまらないその理由ってコトなんですけどね。
まァ、そもそも彼女はロックがキライなのかもしれない。「ロッカーはバラード歌うなー!」とか、たまに言ってるし(その意味では『黒夢』は評価していたらしい)。あと、どーゆー意味でも青いのがキライなんだろうな。駅前で尾崎豊を歌ってる青少年にも厳しいし。「アンタは尾崎じゃないんだから! 届いてないわよ!」とか。…自己陶酔型の子たちは、オレも見ていてツラいけどね。
…ま、そういう環境にもメゲず、今日もエコーズを聞こうと思ったオレなのでした。
2001/03/24(土)
国道沿いに、道路状況を知らせる電光掲示板があるじゃないですか。「この先○○キロ渋滞」とか出るやつ。
今日、246号線沿いを歩いていたら、やっぱその掲示板があったんだけど、そこに「会社の車での通勤はやめましょう」って出てたのね。これって、どういう意味なんでしょう?
オレ、自分じゃクルマ運転しないから実感として良く分からないんだけど、会社の車を使うと道路が混むとか、そういうコト? でも、会社の車だろうが自分のだろうが、道は混む時は混むんじゃないの?
ん〜。誰か、あのメッセージの真の意味を知ってる人がいたら教えてください。
2001/03/23(金)
あ〜。体調が悪いと、何もする気が無くなりますな。実際、悪いんですが。
ラクになろうと思って横になっても、なんか眠れないしさァ…。(いつもだったら爆睡であります。)
…そういうワケなので、今日はカンベンしてください。何をだよ。
2001/03/22(木)
フィクションが人生に与える効用とかね。なんとなく考えてみたりして。
なんかオレ的には、日々の生活にチカラを与えてくれるようなのが、いいフィクションだよなァと思ってたりします。自分でもそういうのが書きたいしね。
あと、与えられたチカラと、その感動が出来るだけ長くココロに残るようなやつ。本を読み終わると同時に、あるいは映画やテレビを見終わると同時に消えていってしまう感慨というのは、どこかホンモノじゃないよなァ、と思ってみたり。
「おもしろい」のは大前提として。うむ。…難しいんだけどさ、そういうのに巡り合うのも、そういうのを書くのも。
2001/03/21(水)
今期のテレビドラマは、惚れた腫れたを前面に押し出している作品が少なくて良かったなァ…なんて思ってたら、4月からのはもう、タイトルからしてラブラブなのばっかりですね。「ラブストーリー」とか「ラブ・レボリューション」とか。うんざりです。辟易してます。
…なんつって、そもそも「キャプテン・ラヴ」なんてゲームを作った人間が言うコトじゃないかもしれないけど。だいたい、数少ないオレのドラマの仕事でも、「スキ」だとか「キライ」だとか、そーゆーのばっかりだしな。それに、ドラマは実際に見てみなければ何とも言えないしねェ…。
ま、ラブはラブでいいんですけど。大事な問題だしサ。どう描くかというコトが重要なのよ。けど、だいたいにおいて、オレみたいなオジサンが納得できるような恋愛(愛)の在り方というのは提示されないから、だからイラついてんだ。(で、だから見なくなるんだけど。まァ、態度としては正解だと思う)。
最近のドラマ群には、どうしてオレ的なココロにグッと来るものが少ないんだろう? というギモンには、実は自分なりの答えが既にあるので、そんなに困ってはいないんだけどね。
(ああ、なんか中途半端だな…)
2001/03/20(火)
どうして、どういう事情で春分の日が今日になったのか。よく考えたら(いや、よく考えなくても)、オレは何ひとつ理解していなかった。多分、あのナントカという法律が関係してるんだろうけど。何で昨日の19日じゃないのか? とか。それなら連休になるのに、とかさ、疑問は膨らむばかりだ(苦笑)。
子どもの頃から慣れ親しんだ休日がワケの分からないうちに(まァ、オレの不勉強の故なんだけど)変わってしまっているのも気持ち悪いので、そのうちキチンと調べてみようと思った次第。…つーか、毎日、新聞をちゃんと読めとか、そーゆー基本的なコトかもしれないケド。
2001/03/19(月)
中澤裕子サンがモーニング娘。を「卒業」するそうで。(わァ、ネタ古!)
なんかさー。この「卒業」って言い方、オレ嫌いなんだよね。第三者(報道の側とかさ)が言うのならともかく、件の中澤サンは自分で言ってたしさ。そういう立場にある他の芸能人なんかもよく使うしさ。ああ、気持ちが悪い。
で、どうして気持ちが悪いのか少しだけ考えてみました。ん〜。つまり、イイ大人が、多分「子ども用」だと思われる「卒業というコトバ」をいけしゃあしゃあと使っているからイヤなんだろうなァ…。
「子ども用」という表現も乱暴かもしれないけど、オレ的には、「卒業」というコトバは、やっぱ未だ成長なし得ていないヒトタチにこそ似つかわしいような気がしているものだから。ダスティン・ホフマンの映画もそーゆーカンジだったでしょ?
まァ…、それこそ中澤サンの一件みたいな例で、うかつに「脱退」なんてコトバを使うと、余計な波風が立ちそうな気もするから、それの緩和材としての当り障りのないコトバ=「卒業」、ではあるんだろうけどさ。んで、そういう言葉遣いはこれからもどんどん浸透していって、そのうちカンペキに定着しちゃうんだ。イヤだなあ。
2001/03/18(日)
で。「グリーンマイル」を見ました。昨日とは別のビデオ屋さんに行って、ただワンセット残っていた日本語吹替え版を借りてきた次第です。 感想ですが…。うん、おもしろかったですよ。ちと長かったけど。深夜から見始めたのに見終わったら朝のゴミ出しの時間になってたというのは、ちょっとした驚きでした。つーか。ソモソモ2巻組であるとこらへんから察しなさいオレ、ってカンジですか。
マジでどういう話か全然知らなかったので、ひじょうに新鮮な気分で鑑賞できました。魂を揺さぶられるほど感動しました! …ってほどではありませんが、これなら劇場でお金を払っても許せたと思います。いや、許すとか何とか、そんなおこがましいレベルじゃなくて、ちゃんと満足しただろうな、という…。(上映時間以外は。だって『時は金なり』っしょ?)
構成を反芻してみるに、やろうと思えばもう少し刈り込めたんじゃないかとも思うんだけど、これの原作小説って新潮文庫で6冊分もあるんですねェ。読んでませんが、それなら3時間強の尺になるのも無理ないのかと思ってみたり。シナリオや映像表現の技術的にもイロイロ勉強になった部分はあるので、ともあれ見て良かったです。…なんかコレ、全然映画の感想じゃないですね(苦笑)。
んで、本編が終わった後に入っていた予告編(すっごくたくさんありました)を見て、「サイダーハウス・ルール」を見たくなったりしてます。おっと、その前に先週の「プロジェクトX」の録画を見ないとね。
2001/03/17(土)
仕事で必要があって、映画「グリーンマイル」を見ることに。…と言ってもビデオでだけど。諸事情で外出できなかったので、買い物ついでに妻に借りてきて貰うコトになったんですが…。
「さんざん探してるのにお店のドコにもないよ!」なんて報告の電話があったと思ったら、灯台下暗し。「グリーンマイル」専用の棚が出来てたそうです。10セットくらい置いてあったそうですが、なんと全巻レンタル中! 妻は代わりに(代わりに?)「コジコジ」の第3巻を借りてきました。オレにどーしろと!?(いや、見ますけどネ)。
…にしても「グリーンマイル」、原作はスティーブン・キングだったんですね。ちっとも知らなかったです。不勉強ですね。まァ、映画の原作者が誰かに限らず、オレは子どもの頃から不勉強のカタマリみたいな存在ですから、他に知ってるコトもたいしてありゃしませんけどね。
これからの作家は、より専門性が問われるような気もしてるんですが、こうなると生業の危機です。とりあえずは、日本ハムファイターズの選手の背番号と名前とを一致させるべく努力しないと。
2001/03/16(金)
ウィンドウズに「マインスイーパ」ってゲームがついてるじゃない? 最近(今さらですが)それにハマッてます。仕事の合間の息抜きは、もっぱら「マインスイーパ」ばっかり。もっとも、オレのコトだからすぐに飽きるんだろうけど…。
それにしてもなあ…、未だ「上級」がクリア出来ないんだよなァ…。どうしたって「運」の要素が入ってくるから、最初のセルを開けた途端にドボン! ってなコトもあるし。
ゲームデザイナーの中には、そういった「運」の部分を極力廃したい人もいるようですね。アドベンチャー系のゲームは特にそうかも。選択肢を選ぶために必要な情報があまりにも提示されないままにそれをさせる、…ような設計をしてるゲームもありますもんね。
…とか書きつつ、「キャプテン・ラヴ」の最初の選択肢は、まさしくソレだったりして。悪夢を見て飛び起きた主人公に、電話をかけてきた永堀教授が「どんな夢を見てたんだ?」と聞くやつ。ま…、あの質問は内部パラメーターには反映されてないんで、どれを選んでもOKなんですけど。
そういや、29日はもう再来週です。PS用ゲームソフト「キャプテン・ラヴ」廉価版の発売日デス! 皆様、1,500円のご準備は出来ましたでしょうか?
2001/03/15(木)
モノ書きなんかしてると資料が山ほど溜まります。最近はモノを減らす生活を心がけているので、いらなくなった資料は出来るだけ捨てるようにしてます。先日も整理をしていたら、A4サイズの紙資料が、積み重ねると30センチばかりの高さになるほど出てきました。
ヤバめのモノはシュレッダーにかけてから廃棄、そうじゃないモノで裏が白い紙は、娘のお絵描き用にとっておいてるんですが…。このお絵かき用の紙の消費量が、なんだか最近モノスゴイんです。4歳の娘は、下手すりゃ1日に30枚くらい絵を描いてます。ここ半年ばかりで、彼女の描いた絵はダンボール二箱分になりました。
そりゃ、子どもの描く絵ですから余白は多いし、単なる鉛筆の線画なんですが、「よっぽど描くのが好きなんだなァ…」なんて、日々感じさせられてます。ある種、羨ましいと言うか。
「好き」が昂じて「仕事=生業」になるのが、人生のパターンの中でも美しい在り方のひとつじゃないか…なんて常々思ってますし、オレはある程度、それを実現させてきたつもりですけど、やっぱ書いててオモシロクない事も多いです。これは何故かと考えるに、多分オレは、「本当に、心の底から、書くコトが好き」ではないんでしょう。執筆行為におけるカタルシスなんて、およそ自虐的な種類のモノだと思ってます。
…まァ、それでもオレは書くことをやめないし、やめられないでしょうから、いずれ何かをモノすることは出来るんじゃないかと思いますが…。娘のように、無心に、ただただ楽しくてそれをするなんてコトは、もう一生ないかもしれません。で、もうそれでいいです。
…ウン。とにかく、「好き」ってのは「最強」なんだな…。
2001/03/14(水)
村上龍の自選作品集、のあとがきを立ち読みしてたら、こういう、ウェブページの日記コンテンツについて触れてました。「(花盛りの日記コンテンツには)批評も批判もないからくだらない」というような意味のことが書いてありました。正確には、もう少し違うニュアンスだったような気がしますが、まァ理解としては当たらずとも遠からず、でしょう。
で、オレは「その通り!」と思ってしまった次第です。なんとなく書けちゃったものなんて、読んでるほうもツラい筈です。で、オレなんかは、皆さんにツラい想いをしてもらいたくないので、出来るだけ「なんとなく」を排除しようと思って日々努力を重ねているワケですが、やっぱそんなに毎日「言いたいコト」があるような人間でもないので、結果としてこーゆーコトを書いてお茶を濁している次第デス。
ずっと前にも書いたように、日々の行動記録なんて意味ないし、時事ネタは自分の中で消化するのに時間がかかるしね。
とりあえず、ほとんど毎日更新してはいますけど、その意味と意義は、多分、オレだけにしか無いんだと思いますよ、正直言って。(まァ、ある意味それで充分なんですけど)。
2001/03/13(火)
今日の「ポケットモンスター アンコール」はアメリカ映画「ビッグ・ウェンズデー」ネタでした。アニメの人たちって、よっぽどこのネタ好きなのかなァと思いました。というのも、むかし「未来警察ウラシマン」でも見たことあったから。やっぱね、伝説の大波が来るんですよ。「ビッグ・○○○(ここに曜日が入ります)デー」とか言って。
ただ、今日見たポケモン版(?)は、キャラのネーミングにも遊び心が効いてましたよ。サトシたちと知り合う老サーファー(?)がビンセント、彼の友人である波乗りピカチュウがマイケル、ビンセントがかつて教えを請うたサーファーがジャン、ですからね。つまり、ジャン・マイケル・ビンセントってわけで、これはオリジナルの映画で主役を演じた人です。…そういや、ウィリアム・カットって、今なにしてるんですかね? どこか民放で「アメリカン・ヒーロー」の再放送してくれないかなァ…。
2001/03/12(月)
昨日、電車に乗っていた時に、隣りに座っていた高校生らしい男の子たち二人の会話が耳に入ってきた。
「平行線というのは…、決して交わらないんだけど、いつも背中合わせで…」云々。聞いていた側の子が「それ、マンガのセリフか何かだろ?」と言ったんだけど、喋っていた方もなんだか確信が無かったらしい。出典もよく知らないらしくて。
「ちょっと待って。オレ、当てるから」聞いていた子がそう言い、二人して元ネタを思い出すコトにしたらしい。
ネタを振った子が「えーと…。『ワンピース』?」
「違うよ! そんなんじゃなくて、もっとちゃんとしたマンガだよ」
おいおい! 『ワンピース』はちゃんとしたマンガじゃないのかよ? 心の中で突っ込みを入れるオレ。…つっても、オレはまだ読んでないんだけどね。でも、ジャンプに載ってるくらいだから、マンガとしては相当ちゃんとしてると思うぞ。
考え続ける少年二人。やがて「当てる」と言い出した子の方が「分かった!」と嬉しそうな声を上げる。
「『金田一』だよ! ”地獄の傀儡師”がそんなコト言ってた!」
…そっか。『金田一(少年の事件簿)』だったのか。隣りのオレも感心する。この子にとっては、『金田一』は「ちゃんとしたマンガ」という認識なんだなァ…、なんて考えながら。ん〜。つまりはただ、絵柄の好みの問題なんだろうケドさ…。こういう子に諸星大二郎とか見せたらどう言うんだろうなァ…? 丸尾末広とかさ。花輪和一とか。(もういいって?)
後刻、『金田一』を全巻読破している妻に、”地獄の傀儡師”なる人物が本当にそんな事を言っているのか聞いてみた。言ってるそうです。そのうち、オレも単行本を読破した暁には、「平行線」云々のセリフを正確にお伝えしたいと思います。いつになるか分かりませんが…。(あのマンガ、読むのに気力と体力を使うんだよな…)
2001/03/11(日)
昨日の続きです。ネットを検索してたら、パゾリーニの諸作品について詳しい解説をしているファンページをみつけました。ここですが。「ソドムの市」についても、なにやら社会学的な考察をしてました(長かったので全部読んでないけど)。スチールもたくさん使っていたので、映像の雰囲気はつかめるんじゃないかと思います。興味のある方はぜひどうぞ。
で、「追悼のざわめき」ですが。掲示板の方で岡野さんが内容の解説をしてくれましたんで、ではここではデータ的なご紹介をば。
「1988年:欲望プロダクション作品。監督・脚本:松井良彦/150分。マネキンに”菜穂子”と名づけ、若い女性を惨殺してはその肉片をマネキンに埋め込み、自分と”菜穂子”との愛の結晶を夢想する青年の姿を描いた、インモラルなラブ・ストーリー」(ぴあシネマクラブ'90邦画編による)
中野武蔵野館(東京)だったと思うけど、年下の友人と二人で見に行って、その夜から数日間、悪夢にうなされました。いやマジで。自分でもそれほど「刷り込まれちゃった」とは思っていなかったので、なおさら驚きでした。
ただ、この映画で不思議なのは…、全編を通じてグロな映像構成なのにも拘わらず、その背後から漂ってくるものが…、なんというか「美しい」んだよね。まァ、だからこそ「ラブ・ストーリー」なんだろうけど、見世物的なオモシロさの提供を超えた、作家の志の高さというか、「愛」というものへの希求を感じたりはしました。「ソドムの市」がぶっきらぼうに「暗い状況」を提示しているのに比べると、例えそれが歪んでいるとしても、そこには確かに、常人にも理解できる範囲の「愛」があったと。昨日分の最後に書いたのはそういうコトです。
でも、そっか…。コレ、ビデオになってないのか…。なんだかもったいない気はするなァ。多くの人に愛されるフィルムではないかもしれないけど、その存在には意味があると思うしなァ…。もちろん、ああいうのは(内容からしても)劇場で見るのが一番「正しい」とは思うんだけどさ。次善の策としては、やっぱりビデオパッケージ(ないしDVDパッケージ)かなと思うし。
もっとも、ディストリビューターにとってはチャレンジな商品になると思うケド。
2001/03/10(土)
イタリア映画「ソドムの市」を見て、案の定いやあな気分になりました。未見の方に少しでも雰囲気をお伝えするべく、映画中に挿入されるタイトルの日本語訳を書いてみましょうか。「地獄の門」「変態地獄」「糞尿地獄」「血の地獄」…。いやはや。虐殺、拷問、スカトロ、SM、ホモ、レズ、何でもアリの高尚な映画でした。
この手の映画の商業価値には明らかに、そういった変態性欲描写への鑑賞欲求というのがあると思うんだけど…、で実際に、昭和51年にコレが日本で公開された時のお客さんの何割かは、そういうものを求めて劇場に足を運んだと思うし、それでいいと思うんだけど…。なんか。監督がパゾリーニであることを考えると、なにやら業の深いものを感じて、そこでまたイヤな気分になったりしてね。
というのも、例えば同じイタリアの残酷映画でも、いわゆるセクスプロイテーションものだったら「見世物」として片付けられる気がするじゃない? 「ナチ女収容所」シリーズとかさ。「お客さんこーゆーの見たいんでしょ? ハイハイ作ってあげたよ」みたいな。ちゃんと商売として残酷映像を作っているというかさ。
でも、「ソドムの市」はパゾリーニだもんなァ…。アレでしょ? イタリア映画界でも、芸術家として評価されてたような人なんでしょ。世界的にも有名みたいだしさ(オレが知ってるくらいだし)。映画の中で「糞尿を食べるのは高貴な趣味だ」みたいなセリフがあったけど、なんか彼、そーゆーのマジで信じてそうでさァ…(やっぱ、信じてたんだろうなァ…)。
まあ、スカトロはいいよ。オレに迷惑かからなければさ。けど、映画としての作劇や商業性を超えて、美少年や美少女の虐殺とか、そーゆーのにもマジな渇望があったんじゃないかと思っちゃったよ。
もちろん、本当のトコは分からないけど、パゾリーニは無神論者だったというから、その辺になにか、答えが隠れてるのかもなァと思ってみたりもして。
なんか…、「追悼のざわめき」なんて邦画を思い出したりもしたけど…。比べると…、「愛」の有無ってのは確かにあるかもな(この話、明日分に続きます)。
2001/03/09(金)
昨日分の日記に「テレビ版『刑法第39条 フラッシュバック』は、映画版のそれと違ってオレには面白くなかった」と書いたんだけど、そもそも事実関係についてオレは勘違いをしていたことが判明したので、それについて書いておきます。
…というのも、今日オレ、たまさか本屋さんに行ったのよ。月刊コミックフラッパーを立ち読みしようと思って。もう売れてしまったのか、1冊も置いてなかったから代わりに週刊少年サンデーの「パスポート・ブルー」を読んできたんだけど。まァ、こんなコトはどうでもいいや。
で、ふと思い立って、新書ノベルのコーナーに行ってみました。「刑法第39条」の原作本てどんなものか見たくなったので。
永井泰宇氏によるその本は、確かに置いてありました。カバー折り返しのあらすじを読んで、「ウン、映画もこんな話だったよな」なんて納得してみたり。で、その本を棚に返そうとしてふと横を見ると…、あれ? なにやら似たような題名の本が置いてあるじゃないですか! 「刑法第39条 2 フラッシュバック」!
アレ? ってコトは…、この2冊はベツモノなの? 映画原作がこっちの本で、テレビでやってたのはまた別の、こっちの本を原作にしたものなの? 慌てて「フラッシュバック」の方を手に取り、パラパラと中をめくってみました。…なるほど、主人公(犯人)の名前はこっちがテレビとおんなじだ。ラストの処理もこっちがテレビに近い…。やはり、テレビ版の原作は映画版とは全く別のモノだったのデス!
なるほど。となれば、「精神病者を装った犯人の正体を、精神鑑定によって暴いていく」という基本アイデアは同じでも、中身は全然違うものが出来上がるハズです。昨日オレが書いたことはソモソモ無い物ねだりというか、全くの見当違いだったワケですね。「フラッシュバック」の方は、続編ゆえに少年犯罪に重きを置いたということなんでしょう。
…とまあ、一人で勝手に勘違いして一人で勝手に納得していた昨日今日でアリマシタ。お騒がせしてスイマセン。
余談ですけど、見たコトなかったのでついつい、パゾリーニの「ソドムの市」を借りてきちゃいました。ビデオ屋さんのパッケージに、店員さんの手書きシールが貼ってあって「最後まで救いが無いです。見ないことをお勧めします」と書いてありました。ウマいっすね。ったく、パゾリーニも愛人(しかも美少年らしい)に殴り殺されてんなよな、ってカンジです。…ところであのビデオって、18歳未満でも借りられるんでしょうか?
2001/03/08(木)
2月にテレビ東京系でオンエアされた2時間ドラマ「刑法第39条 フラッシュバック」をやっと全部見終わった。なんだか毎日バタバタしていて、録画しておいたテープを見る時間を作るのにも一苦労だ。睡眠時間、確実に減るしな…。
それはともかく、ドラマの感想ですが。森田芳光の映画「39 刑法第39条」をビデオで見て感動したのが、そもそもこのドラマを見ようと思った動機だったんだけど。同じ素材をテレビの枠でやるとどうなるのかな、というね。結論から先に書くと、映画版と違って、オレにはあんまり面白くありませんでした。
2時間ドラマとしては、それなりのクオリティを維持している作りだとは思ったけど、脚本の(というか、制作の)方針がソモソモ違っているみたい。というのも…(ここから映画版、テレビ版ともにネタバレを含む記述となりますので、これから見ようと思っている方はご注意ください。)
映画版は、演出、演技、カメラワーク等々、随所に見るべきものがあったけど、それらの中でオレは何がいちばんおもしろかったかというと、「自分の戸籍を敢えて抹消し、他人になり変わり、信じられないほどの勉強と、精神病者に見える演技の訓練を重ねてまでして、愛する妹を殺した男に復讐する」という主人公の造形だったんだよね。見終わって、オレはものすごく感心した。驚いた。よくそーゆー設定を思いつくなと思って。「怪奇大作戦」の『狂鬼人間』も好きだけど、アレを見た時よりもショックが大きかった。
で、もちろん、そういう設定には刑法第39条への批判があるわけなんだよね。ちなみにこの条文は「1.心神喪失者ノ行為ハコレヲ罰セス 2.心身耗弱者ノ行為ハソノ刑ヲ軽減ス」というものなんだけど。つまり「いちじるしい精神障害のもとでなされた行為は罪としない(福島章『精神鑑定とは何か』講談社)」ということ。
…とは言ってもサ、オレたちが実際にニュースなんかでヒドい犯罪の報に接した後に「しかし加害者は精神病で」云々と聞かされても、今ひとつ納得しきれない部分てのがあるじゃない? 映画版は、そこんとこをうまく突いた社会派の怨念劇になってたと思う。(そしてオレは情念とか怨念とかが好きなんです)
だからイキオイ、テレビ版への興味というのも、その「怨念」の部分をどう描いてくれるんだろう? というトコロだったりしたんだけど。…ハズされました。被害者の怨念話じゃなくて、加害者の反省というストーリーになってました。
殺人事件が起こって、逮捕された被疑者への精神鑑定が始まって、やがて被疑者は精神病を装っているのではないかという疑惑が浮かび上がってくる…といったアイデアは同じなんだけど、ではナゼ精神病を装う必要があったのか? 肝心なその部分が、いかにも陳腐。結局は被疑者の自己保身に過ぎず、映画版の主人公のような「どうしてもそいつを殺さなくてはいられなかった」という真剣味というか緊迫感というか、そーゆーものが感じられなかった。残念です。
…というか、そもそもテレビ版は、そこらへんを描こうとはしてなかったみたいなんだよな。犯人の医師は、今でこそ「赤ひげ先生」と呼ばれて街の人たちの信望も厚いけど、少年時代は手のつけられない不良で、好きだった少女を仲間と強姦した挙句に殺してしまう。まだ中学生だった彼は何の罪にも問われずに、その後はまっとうな人生を歩んで医者になり、代議士の娘婿にもなって順風満帆な生活をしている。そこに、むかし殺してしまった少女の弟なる人物が現れ、過去の事件をネタに自分をゆすり始める。苦慮した医師はホームレスの男を雇って弟を殺させ、秘密を守るためにそのホームレスを今度は自分が殺してしまう。…赤ひげ先生だろうが何だろうが、一度ダメダメ君になってしまった人格は、どこまで行ってもダメなんだよと言っているような、そんなお話でした。
セリフで表現されていた「主張」的な部分も、39条というよりは41条の方に重きが置かれていたようで、それなら「刑法第41条」ってタイトルにすれば良かったじゃんよ、とか思ったな。(41条は、14歳以下の少年は罰しないというアレですが)
原作は永井泰宇さんという方。角川書店から発売されている小説らしい。同じ原作使ってこうも違うものかといぶかしみつつクレジットタイトルを見ていたら、「原案」として大森寿美男さんの名前があった。映画版の脚本家だ。映画のクレジットにも「原案:鈴木 光/大森寿美男」とあるし、ってコトは永井さんのそれはつまりノベライズってコトなんだろうか?(読んでないんだけどさ)
ともあれ、テレビ版です。けっしてダメな作品ではないし、少年犯罪に対する制作者たちの確固たる主張と意思も感じたけど、やっぱり方向がズレてるような気がしたな。映画版との差別化ということなのかもしれないけど、少なくともオレの見たかったものでは無かったです。(全くワガママな視聴者であるなと自分でも思うケド)
2001/03/07(水)
昨日の続き。NTTコムウェアのCMは、もしこんなのだったらオレ的に納得できてた、なアイデア。
あのねー。失恋した女性がいるのね。学生とかじゃなくて、成人。20代半ばくらいかね。失恋の理由ってのが、やっぱコミュニケイションの不全なわけよ。仕事が忙しすぎてなかなか会えなかったとか、いたずらにケンカしたくないからあまり思った事も口には出来なかったとか。そんな交際を続けていくうちに彼の心が離れていって…。一方的にフラれちゃったと。
彼女は今、悔やんでる。あの時、素直にああ言えば良かったとか、もっと彼と会う時間を作れば良かったとか。どうしてもっと、お互いの関係を深めようと頑張らなかったんだろう…って、そんな感じ。
ナイトシーンでサ。海の見える手すりに持たれてサ(くさ!)、イロイロなコト思い出しちゃって、半泣きに顔を歪ませている彼女。「彼との過去」の短いカットバックとか、あるいは嘆く彼女の呟きセリフとか(どんなんだよ)で、「彼女の事情」が表現されて。とにかく、悲しくて悲しくて悲しい彼女なワケ。
で! そんな彼女を後ろから優しく、また哀しく見つめる男がいるワケさ。彼がNTTコムウェアの社員なの。若い技術者でさ。彼女の昔からの友人で、その恋を今までジッと見守ってきてたんだけど、実はコイツ、彼女に横恋慕してたのね。
目の前で嘆き悲しむ愛する人(しかしその人は自分の想いに気付いてない)がいて、でも自分は今、何もしてあげられない。俺の商売は「円滑なコミュニケイションの構築とその提供」だったりするクセに、それが出来ると、出来てると思ってたのに、この無力さはいったい何だ?
そりゃもちろん、そもそも、ソレとコレとはハナシは違うし、自分は明日からも使命感を持って仕事を続ける。それに、今のテクノロジーが…、今の俺が彼女に何もしてあげられないとしても、これから先は…、未来は…、きっと、少し違う。その筈だ。一歩踏み出した彼は、優しく彼女の肩を抱く。友人としての距離は守りつつ。
…とまァ、こんな感じなんだけど。問題はどうやったらコレを15秒なり30秒なりで表現できるかだねェ(笑)。やってやれないことは無いと思うけど、なんか設定作り過ぎだな。つーか、広告代理店の人たちもこの手のアイデアは山ほど考えたんだろうしな。
ま、アレですね。歌で言えば、中島みゆき「空と君のあいだに」とか「慟哭」とか、あと高橋由美子ちゃんも歌ってた「友だちでいいから」とか、そーゆーノリかも。
2001/03/06(火)
言いたいことは良く分かるんだけど表現としてはどんなもんかなァと、あまり深い思索も伴わずに(つまり『なんとなく』ってコトだ)感じてしまったのが、NTTコムウェアという会社のテレビCMなんだけど。
NHKの連続テレビ小説「私の青空」にも出演していた「太陽クン(その時の役名。本名は知りません)」が、多分同級生だと思われる女の子と一緒に帰宅の途中。女の子が「最近ウチのお父さんとお母さんの中が悪いの」と悩み事を打ち明けると、太陽クンが「コミュニケイションの不足だね。ぼくのお父さんだったら、そんなの簡単に直しちゃうシステムを作るのに」みたいなコトを言う。「お父さん、どこに勤めてるの?」と女の子が問うと、太陽クンは「NTTコムウェア!」と自信たっぷりに答えるという、だいたいそんな内容。ちなみに、この文章中のセリフは大意です。正確にそのように喋っているわけではありません。
で、オレが気になっちゃう点てのは、女の子の両親の不仲をコミュニケイション不全の故と捕え、それはまァいいんだけど、それにつなげてスグに「システム」のハナシに持っていってしまっているトコロなんだけど。そういう流れで太陽クンが「システム」と言い、ウチのお父さんだったら(対応は)OK! と言っちゃうってのは…。どんなもんよ。人間関係はシステムか? なんて突っ込みたくもなるじゃないよ。
いやさ。そりゃもちろん、人間関係ってのはシステムなんだけどさ。システムにもいろいろあるっしょ。家族とか会社組織とか夫婦関係といった、人間が社会を構成し、維持するために作った、人と人との関係性という意味でのシステムと、それからまさしく太陽クンのお父さんが携わっているらしい、テクノロジーの範疇に収まる狭い意味でのシステムとさ。
で、「意識」とか「心」の問題をまだクリアしていないテクノロジー側のシステムは、いたずらに人間の関係性についてどーこー言っちゃいかんでしょ? 太陽クンがお父さんの仕事を誇りに感じていることそのものはとっても素晴らしいと思うケド、ここはひとつお父さん、テクノロジーにも出来るコトと出来ないコトがあるぞと息子さんに教えてやって欲しいなァ。
…なんつって、もちろんこんなのは無粋な発言なんだけどさ。ただなんか、ちょっとした怖さを感じたなァ。大袈裟に書けば、神をも恐れぬ傲慢さというか。子どもがそう思ってる(という設定)だからなおさらか。ん? 子どもだからそういうふうに考えるって設定なのか?
今、…ちょっと考えた。例えば、CMのシチュエイションがこんなのだったらオレは納得できてたかも、なアイデア。明日分に続きを書きます。
2001/03/05(月)
オレは…、自分の作っているフィクションの中に入り込んでしまうのが怖いような気がするコトが多いんだけど…。他の作家さんはどうなんだろう? 今、書いている彼や彼女たちの「背景」や、彼らの生活している「世界」や…、そんなことに思いを巡らせていると、どうしようもなく不安な気分に捕らわれることがある。オレ自身が実際に生きているこの世界だってもてあましているのに、おまえらのコトなんか面倒みてらんないよ、とか…。おまえらの背後に広がってるその全てに、オレは責任を持たなきゃならんわけ? とか…。
いや、だからこそ作家は「神」になれる、だから楽しいと仰った作家さんもいるようなんだけどね。…ってコトは、オレは登場人物たちにトコトン付き合う覚悟に欠けているのかもしれないけど…、でもなんか、やっぱり「怖い」カンジはいつも付きまとってるんだよなァ…。
ん〜。取り組む「姿勢」に、どこか根本的な問題があるのかもしれない、なんて思ったりして…。
2001/03/04(日)
小説というのは人間を描くものだ、と、それが真実か否かはともかく、ひとまずそう定義するとして。
その上で夢想的に「こんなのあったらオモシロいかも」と思ったのが「小説版テトリス」。ええ、あのゲームをノベライズするわけです。人間なんか誰も出てきやしないけど。
ブロックが落ちてきて隙間にハマっていく様を、ブロックの自意識も含めて描いていくというのはどうだろう? それでどこまで、いわゆる「人間」に迫れるのだろうか? とか…。
筒井康隆「虚航船団」みたいなカンジになるんだろうか?(恐れ多い例えではありますが…)
2001/03/03(土)
きのう書いたことについての補足。なんか、雑君先生の耳から血が出てしまったようなので(掲示板をご参照ください)、そのフォローも含めて。
「いつまで経っても『お話』が始まらないフィクション」というのはつまり、「誰が何をする話なのかを早めに提示してくれないフィクション」ということです。
さして意味の感じられない傍系エピソードや退屈な雰囲気描写やへたくそな世界観の説明なんてのを延々と「与えられる」とウンザリするので、そのへんもうちょっとウマいこと処理してよと、そーゆーコト。
「そして船は行く」に関して言えば、アンとメアリーが『ある男』を探しているというコトが、それがどういう人物かはすぐさま分からないにしろ、とにかく第1ページ目から分かるように描かれているのでOKなワケです。もとより、大河ドラマ系の作劇が嫌いだという話ではないしね。
「本筋の部分でドキドキする」というのは、主人公たちの行動原理とアクションのベクトルがこちら側(そのお話を見たり読んだりする側)が理解していないとナカナカに難しいことだと思うので、だからそれらは早めに提示して欲しいし、作者の側もそーゆーコトを意識するべきだと思うですよ。(これ、つまりは感情移入をいかにさせるか、というハナシなんだけど)
2001/03/02(金)
いつまで経っても「お話」が始まらないフィクションが嫌いだ。例えば最近のドラマで言えば「愛をください」とか。ドン・ウィンズロウの著作で言えば「歓喜の街」とか。そういやチャンドラーの「長いお別れ」なんかも、いつまでも始まらないと言えば始まらないんだよな。…アレは好きなんだけど。
…と、こーゆーコトを書いているからには、では何をして「お話の始まり」とするのか、ということを記さなくてはならないんだが。これは多分、そんなに難しい話じゃなくて、「早く本筋の部分でドキドキさせてよ」ってコトなんだけど。
構成されたフィクションなんだから、作品として言いたいコトとかやりたいコトとかが本来確固としてあるハズで、それを効果的に描くべくさっさと(作り手側の)アクションを起こして欲しいってハナシ。作品も半ばを過ぎてから、やっと展開らしい展開が起こるような展開は展開としてどうよ? なんて思うんだな。(あー。すげー分かりにくい書き方。わざとだけど)
むかし、キングレコードのビデオソフト部というところで働いていたんだけど、勤め始めたその初日にイキナリ「ストーミー・マンデー」なる映画の試写に連れて行かれて、上映後に「どうだった?」と上司に聞かれた。2時間弱くらいの映画で、やっとお話が動き出したよと思ったらその後10分で終わってしまうようなフィルムだったので「つまらなかったです」と答えたんだけど、後で知ったところによるとその発言は「新人のくせにずいぶん生意気」だととられたらしい。ンなコト言っても、オレあーゆー作劇嫌いなんだもん。なによりつまらんし、娯楽作品として作っているものがつまらんというのは、かなり大きな罪なんじゃない?
ま、こーゆー言葉はいずれ自分に跳ね返ってくるとは思うので、ほどほどにしとかないと後が辛いような気もする。でも、だから、これは自戒も含めての決意表明ってコトなんだな。
2001/03/01(木)
きのう、この日記に書くようなネタを確かにどこかで思いついたハズなのだが、いっこうに思い出せない。すぐにメモでも取らなかったことがヒジョーにもったいない。…なんだかその時は「覚えていられる」と思ってたんだがなァ…。
…ココ用の文章じゃなくても、他の仕事のアイデアとか、誰かに何となく伝えたいと思った小ネタだとか、「アレ? 何て言おうと思ってたんだっけ?」な事が最近よくある。反面、どうでもいいような夢の内容はいつまでも覚えてたりして。
マズいかも、そろそろ。
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