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ほころびとつぎあて 2002年09月分


2002/09/19(木)

 オレは専修念仏の信者でもないクセに、わりかし「歎異抄」が好きだったりするんで、「阿弥陀如来の本願」というモノについて、たまぁに考えてみたりするんですけどね。
 と言ってもただ、考えるだけで。理解なんて出来る筈もないんですけど。どういうつもりで「罪悪深長の凡夫」さえも救おうなんて願をかけたんだろう、とか。理解出来たら、オレは今ごろ仏様になれてるハズなので、こうしてダラダラ人間をやってるってコトは、とりもなおさずこの身のありようが「罪悪深長の凡夫」なワケです。
 だいたい、真宗の教義からいったら、「理解しよう」なんて行為そのものが「自力」になるんだろうし、それを戒めて「ただ阿弥陀の本願を信じてその他力にすがるべきだ」なコトを説いてたのが親鸞なワケだから。「学解往生」なんてのも戒められてるみたいだし、業はそれはそれとして受け入れて、ただ生きていくしかないのかもしれません。
 で、別にオレは「ビバ! 浄土真宗!」なんてコトを言いたいわけではなく(いや、もちろん否定する気もないけどさ)、例えば、美しい専修念仏者のように生きようとしたら、それは相当、覚悟が決まってないと難しいんだろうな、と思っているだけなんです。誰もが親鸞や唯円や蓮如のようになれるワケじゃないんだし。
 実際、オレも含めて、人生への覚悟が決まらない人間てのは山ほどいるわけで、そーゆーオレたちが日頃、何を考えているのかというと、これはすなわち、エクスキューズなんですな。自分が迎えてしまっている環境や状況への言いわけ。生まれてしまったのはオレのせいじゃないし、戦争が起こるのはもちろんオレのせいじゃないし、日本が今、不況なのは絶対オレのせいじゃないし、ついでに今日、寝坊して仕事の打ち合わせに遅れてしまったのなんてのは、誰が何と言おうと、オレのせいじゃないんですよね。(まァこの場合は、敢えて責任の所在を特定するならば、水曜の夜に『プロジェクトX』を再放送していたNHK編成局のせいになりますかね)
 こんなコトを平気で書いてしまうオレは、良識ある方から「キミは『歎異抄』のいったいナニを読んでいたんだネ?」なんて突っ込まれても仕方がないんですが、その批判は受け入れますんで、とりあえずオレの遅刻の主原因がオレ自身にではなく、「プロジェクトX」という番組の偉大なおもしろおかしさ(プラスそれを水曜の夜に再放送している事実)にあるコトだけはご理解いただきたいと思います。
 うわ。めちゃ分かりにくい文章だなコレ。(でもめんどくさいから直さないけどな)

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