私本 芦屋の浜のつれづれ草

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 11月号(第29・30話)

29)地獄坂の風景(10月号の続き):
 一学期の終わりごろ担任の池本先生が数学の問題40題をガリ版刷したワラ半紙を配り
 「君たちは何問解くか自己申告しなさい」
と言って夏休みの宿題を出した。訳の分からぬまま皆に習って20題を申告した。しかし、林野に帰っていざ机に向かって驚いた。一問とて解ける問題がない。教科書や参考書のページをあちこちめくり類似問題を探し、ああでもないこうでもないと問題をいじくり廻し必死で考え、夏休みのほぼ40日をこの問題と格闘した。しかし努力の甲斐もなく結局10題も解けなかった。夏休みが明けると宿題に真面目に取り組んだ生徒は多くなく、まして申告数の問題を解いたのは限られた人数の秀才に過ぎなかった。考え抜いたのが多少は役に立ったかも知れないが、あれだけのエネルギーを数学の問題集や英語の参考書に投じれば、少しは遅れを取り戻せたであろう。大切な一学年の最初の夏休みを無為に過ごしたと悔やまれた。付け焼刃で名門高校に入学はできたものの、参考書の選択や勉強の仕方が充分身についていなかったようである。加えて“落第”の二文字に呪縛され宿題に追われる要領の悪い高校生であったと思う。

 二年生の担任は日本史の野村先生であった。昭和31年(1956) 、神武景気が最高潮に達し、“もはや戦後ではない”と経済白書は報告した。高度経済成長の幕開けである。その年の秋に永田君と和田君を故郷の林野と津山へ誘った。姫路で姫新線に乗り換えたまでは良いが、誤って新宮駅止まりの列車に乗り込んで途中下車を強いられた。次の列車を待つ小一時間を利用して近くの小山に登った。いまもアルバムの隅に小さな思い出として残っている。この和田君は早稲田大学三回生の1962年に休学して第12次航の“あめりか丸”でブラジルに渡り65年の卒業と同時に移民を決意した。新天地を求めたのであろうか理由は聞き漏らした。今は地域社会のリーダー的存在として活躍しているようである。永田君は3年間同クラスになった唯一の学友である。彼は関西学院大学の経済学部を卒業し松下電器に就職した。小柄な茶目っ気たっぷりの人柄であった。どこにそんな体力や根性が潜んでいたのか今はあちこちの市民マラソンに参加し、定年後の生活を楽しんでいる。人は見かけによらぬものである。先年会った時には、
 「ミーハーを自認し、他人に迷惑をかけぬ範囲で何でもするねん」
と元気一杯で阪神タイガースの応援にも余念がない。興三さんは含蓄のある言葉と感じ、退職後の人生指針の言葉として頂戴することにした。「自分史エッセイ」のホームページ掲載を後押した一言である。

 古文の時間の古事記授業で
 「天孫降臨の巻でニニギノミコトが高天原(たかまがはら)から下りて来る時、猿田毘古神(さるたひこのかみ、猿田彦神)が先導した、という興味ある一文に出会った。これを読んだ瞬間、目から鱗が落ちたように
 「これだ!」
と、林野の秋祭りで登場するハナヨを思い出した。林野神社の御輿とハナヨの道行は、このニニギノミコトと先導役猿田彦の故事に由来するに違いないと気が付いた。猿田彦、名前からして赤ら顔で天狗にそっくりのイメージではないか。

 天孫降臨神話に興味をもった興三さんはその後、多少知識を蓄えることになる。天照大神(あまてらすおおみかみ)は平定した高天原に息子の天忍穂耳命(あめのおしおみみのみこと)を統治者として下降さすことを決めるが、その準備中に生まれたのが爾爾芸命(ニニギノミコト)である。そこで、この幼子に三つの宝物を持たせて代理として遣わすことになる。歴代天皇が皇位の象徴として受け継ぐ八咫鏡(やたのかがみ)、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)、八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)の三種の神器である。ニニギノミコトこと天孫は文字通り「天(てん)の孫(まご)」なのである。後世、神社の祭礼に選ばれて奉仕する稚児はこの嬰児神の名残であろう。また東大寺の伎神楽や宮崎の高千穂神楽には十数種の神面に混じり「治道」がいる。彼は伎楽行列の先頭を歩く露払い役で、鼻が高く胡人の相貌をしている。胡人とは中国の西方、シルクロード沿道の西アジアの人々、狭義ではペルシャ人を指す言葉である。

 古事記の話をいま少し続ける。天孫が天から降りる途中(降臨)、天地を照らす不思議な神を見て、アメノウズメノミコトに命じて誰何(すいか)させたところ
 「自分は国つ神の猿田毘古神で、天孫の先導としてお仕えするためにお迎えに参りました」
と猿田彦は答える。 歴史家はこの話を伊勢の国(中央)が高千穂の国(地方)を平定したことと解釈する。ならば高千穂に住んでいた人たちは猿田彦の様な種族であったのか。話は飛躍するが日本の昔話にはしばしば鬼が登場する。この鬼たちは村人をいじめるが、悪辣非道ではなく多少お人好しである。そしてこの鬼たちは最後には退治されてしまうのが、多くの民話の筋書きである。桃太郎の鬼退治がその典型である。この鬼と猿田彦と天狗は同種族の人々であろうか。否、興三さんの考えは少し違う。鬼と天狗は似形異種で源流を異にする。平たく言えば、日本列島の先住民族である縄文人が鬼であり、後に大陸からやって来た人々が弥生人で村人である。そして「絹の道」を通り西域の古代ペルシャ辺りから、はるばる日本にやってきた少数の特殊技能者こそ、胡人、即ち“治道”でありハナヨの原型であると信じる。彼らは日本の翡翠(ひすい)、金銀、あるいは長寿薬を求めて西域・中国・日本を結ぶ古代交易ルートを開拓した。ユーラシア大陸を横断するシルクロードである。大陸から渡来の人たち(弥生人)を道案内して日本列島にやって来たのが胡人、即ち“治道”である、と興三さんは古代に思いをめぐらせている。秦の始皇帝をはぐらかし大陸を後にした渡来人達の長(おさ)、徐福を案内したのはその一人かも知れない。胡人たちは容貌が天狗に似ているだけでなく、猿田彦が天地を照らす「不思議な神」であったとの古事記の記述がそれを如実に物語っている。まさにアラビアンナイトのアラジンの魔法のランプにも繋がるロマンのある話ではありませんか。

 ある日、神戸は元町の本屋で「古典語典」なる本に偶然出あった。呉越同舟、四面楚歌、羊頭狗肉といった日本語化した漢語の由来を一つずつ楽しく説明した辞典風の本である。著者は渡辺紳一郎で挿絵を清水昆が描いていた。渡辺紳一郎は1946年にNHKラジオ放送で始まった日本で最初のクイズ番組「話の泉」のレギュラー回答者である。その博識と洒脱ぶりがつとに知られている。丁度、漢文を習っていたので購入した。中国への関心を高めてくれた一冊である。この本はヒットし、続編として西洋古典語典、日本古典語典、舶来語古典語典とシリーズ物が東峰書院から出版された。今も興三さんの書棚の隅で静かに呼吸している。並の生徒ではあったが勉強を嫌だと感じることもなく学校生活は楽しく、印象深い授業や先生は多い。自分的には数学(当時は解析T、U)が得手であった。問題を読み解答の方向が決まれば、後は単なる手作業の計算で結構息抜きができる。ところが英語などの暗記物はそうはいかない。集中力の継続と反復練習が必要である。思考して解を引き出すことには熱心であったが、反復練習は苦手であった。幼少時からの性分であろう。DJ、デスクジョッキーというハイカラな番組はまだ無い時代である。ラジオの古典落語や流行歌を聞きながら数学を解いた。春日八郎の「別れの一本杉」、三橋美智也の「りんご村から」、島倉千代子の「からたち日記」、青木光一の「柿の木坂の家」などの所謂、“大人の童謡”とか“ふるさと演歌”に続き、フランク永井の「有楽町で会いましょう」など都会派ムード歌謡が流行り始めた頃である。お陰でこの頃の流行歌は全て諳んじているので、今でもカラオケに誘われて持ち歌に苦労することはない。

 小倉金之助という方の自叙伝にも接した。内容は殆ど忘れてしまったが、山形県の酒田の回漕問屋に生まれ東京物理学校を卒業後、郷里で家業を手伝いながら数学を独習し東北大学の助手となり数学者として名を成す話であった。非常に感銘した覚えがある。加えて、その頃であったろうか湯川秀樹の自伝“旅人”の中に小倉金之助という名前を見付けて興奮した。三年生になって旺文社のラジオ講座で竹内均先生の物理の講義に出会った。当時、先生は29才で既に東大の助教授であった。地球物理学の権威として東大教授を退官し、長年の夢であった科学雑誌「ニュートン」を主宰された。映画「日本沈没」に特別出演し、太平洋プレートが日本列島の下に潜り込み、地震を多発させると講義されていた。残念ながら平成16年4月20日に83歳で他界された。物理を好きにしてくれた恩師であり、長年のフアンと言えるお方である。一年、二年、三年生で、理科では生物、化学、物理を、社会では一般社会、日本史、世界史を夫々選択した。その為に地学と地理は学ぶ機会がなく弱い分野となった。


30)胡椒と霊魂のために
 頭脳的には数学と物理で、趣味的には国語と歴史で、英語は大の苦手ではあったが、教科書や副読本で読んだ英語の物語には忘れられないものが多い。「リップバンウインクル」、「チップス先生さようなら」、「最後の授業」、O・ヘンリーの「最後の一葉」や「賢者の贈物」、英国の政治哲学者バートランドラッセルなど受験生なら誰もが馴染んだ文章である。老後の暇潰しにもう一度読んで見たいと懐かしく思う。サマセットモームの「月と六ペンス」か「人間の絆」のいずれであったか、その中で「人は無理に頑張る必要はない。苦労なく一生を終えられれば、これに勝ることは無い」という趣旨の文章に出会い、少年時代に読んだ山中鹿之介の物語を思い出した。彼は月に向かって
 「天よ、我に七難八苦を与え給え」
と祈った。日本では「若い時の苦労は買ってでもせよ」と言うではないか、と興三さんは西洋と東洋の思想の相違に興味を覚えた。その興味は次第に異文化への関心に発展したようである。

 日本史の佐々木先生は背が高く色白のハンサムで面白い講義内容であったとの印象が残っている。
 「鎌倉武士は馬上豊かに、やあやあ遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。我こそは清和源氏、源義家の・・・・・と、長々と己の氏素性を大声で敵に名乗ってから、勝負に望む。しかしながら、本音は勝ち戦さ後の論功行賞を目論んだ自己宣伝なのである。従って、向かい風で喚いてこそ効果があるのであって、風を背にして喚いては敵には良く聞こえても、後方に陣取る見方の大将にはその声は届かないのである」
と裏話を教わった。真偽の程は分からぬが本音の話であろうかと興味を覚えた。その後、入社して周りを見回してそれに似た光景に度々出くわした。人事ではなく興三さんの声も結構大きい。難聴気味か、生来の性格か、個人商店の店先で育ったせいか、フィッリピン駐在時代に島々を結ぶ感度が悪い電話回線でMR達を叱咤激励した為か、或いは中国人相手に厳しい交渉を重ねた為か、その理由は定かでないが、意外と日本史で学んだ教訓を守っている為ではないかと思い起こすことがある。

 世界史の授業でコロンブスがアメリカ大陸を発見した大航海時代を学んでいたある日、ノムケンこと担任の野村先生から、
 「西洋列強が競ってアジアに進出したとき、彼らはそれを“胡椒と霊魂のため”と称した。胡椒とは貿易、霊魂とはキリスト教の象徴である。商業主義が表面に出過ぎると現地人の反発を買う。背景にある西洋文化を伝えながら、西洋列強はアジアの植民地政策を進めた」
と教わった。興三さんはなるほどと大いに感心し、
 「ならば、第二次大戦後のアメリカはさしずめ“コカコーラとベースボール”で世界制覇を狙ったのか」
と一人呟き、さて日本は何かと考えたが何も思い浮かばなかった。その後40年が経ち、多くの人たちが“国際化”を実感するようになった今日、世界史に残り得る日本の商品と文化は一体何であろうか? さしずめ“ウオークマンとカラオケ”か? 或いは“回転すしとストーリーコッミク”か? 皆さんは何を挙げられますか? 明治維新以来、我々日本人は西洋文明に憧れるあまり、日本文化の優秀さに気付かず、
 「日本文化は世界に紹介する程の価値はない。日本文化の紹介など押し付けに過ぎない」
と勝手に思い込み、紹介するのを憚(はばか)ったのではなかろうか。あにはからんや、欧米の人たちは日本人が自国文化を出し惜しんでいると誤解さえしていたそうである。柔道がオリンピックの正式種目になり、浮世絵が印象画に影響を与えた例もある。日本文化を積極的に外国へ紹介することが望まれる。鉄板焼きの日本人シェフが大きなナイフとフォークを巧みに操るのを見た米国国民が、カーボイの二挺拳銃を連想し鉄板焼きブームが米国で起った。それが醤油から寿司へと日本の食文化のマーケットを拡大させた。今では和太鼓や津軽三味線、相撲に歌舞伎に文楽などが花のパリやブロードウエーで紹介されている。嬉しい現象である。市民一人ひとりが積極的に日本文化の伝道師となる心意気が望まれる。地球環境の悪化が危機的状況の今こそ、“自然を克服する”西洋文化の対極として“自然との調和共存”を宗とする縄文の心、日本文化の深層を世界に伝えることができれば、後世まで誇れる貢献となろう、と興三さんは考えている。

 映画はあまり見なかったが印象に残ったものも多少ある。和田の叔父さんに連れていってもらったスペンサートレシー扮するヘミングウエーの「老人と海」、歴史的興味から一人で見た「トロイのヘレン」や「アレキサンダー大王」、近所の中島君が誘ってくれた「恐怖の報酬」などである。「老人と海」はキューバの老漁夫が一人小舟で出漁する。餌が残りわずかになったとき巨大なカジキマグロがかかった。4日間にわたる死闘で老人は吊り上げたが、帰途サメに襲われ小舟にくくりつけた獲物はみるみる食いちぎられる。「トロイのヘレン」では巨大木馬に潜んで敵城内に侵入する場面が印象的であった。また、一つ目大入道を泥酔させるために、大樽中のブドウの山を大勢で踏み潰してブドウ酒を作る場面では、古事記のヤマタノオロチ退治を思い起こした。

 (閲覧に感謝します。 秋季臨時号にに続きます)



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