私本 芦屋の浜のつれづれ草

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 新春臨時号(第36・37・38)

36話教養課程とアルバイト 
 英語の授業は薬大の中村教授と静岡大学から招聘の非常勤講師二人で行われた。中村先生はディケンズの小説ディビットカッパーフィールドをテキストにし、講師二人も同じような文学小説を毎回淡々と通読するだけであった。一年間を総計して一冊にも満たない読書量である。日常的文章や時事英語を多読する授業であったらどんなに有用であったかと思う。後年、英語を自習して教材選びの重要性を痛感した。後にフィリッピンでメイドが数日で英語小説一冊を読み上げるのを見て、大雑把であっても多読・多聴・多話の多用が何よりも大切であると実感した。日本の英語教育の弱点と思う。初めて習うドイツ語は中学一年の轍を踏まぬようにと、少し身を入れて勉強をした。シューベルトの“冬の旅”の菩提樹や辻音楽師(ライエルマン)の歌詞を辞書を引きながら読んだ。心理学概論など初めて接する学問には、それなりに惹かれもしたが、総じてけだるく魅力に乏しい授業であった。それでも、二、三の思い出は残っている。社会学の試験で人口問題の設問が出された。当時、国土は狭く資源に乏しい日本の将来が不安視されていた。興三さんは夫婦二人で三人以上の子供を生むこと自体が、そもそも人口問題の根源であると説き起こし、輸出貿易で外貨を稼ぎ食料を輸入する以外に生き残りの道はないと記述した。今は昔日の感ひとしおである。夏休みの宿題に経済白書の感想文が求められた。経済学部に進んだ幼な馴染みの小山靖夫に書いてもらったが、経済白書に関心を持つきっかけにはなった。物理学の講師は戦時中に浜松で航空機の設計に関わった方で世が世なら航空機製造の大家であろう。淡々とした講義の中に敗戦の無念さがにじんでいた。その先生が体験談として、
 「斥候が夜間に敵陣を偵察できるようにと新薬開発の研究をした。研究者はその成功に歓喜したが、可視距離が30センチほど伸びたに過ぎない。学問としては立派な業績だが実践では殆ど役に立たなかった。薬の開発にはこの様な側面がある。」
とおっしゃった。後年、台湾で自社開発の新薬の特長を医師に縷々説明したとき、同様のご意見を先生方から頂戴した。
 「君たちメーカーは色々と自社製品の長所を並べる。嘘でも間違いでもなく事実であろう。だが臨床医から見ると、その効果は類似品と比べ大同小異だよ」
という訳である。その是非は難しい問題かと思う。五月病とか学生が勉強しないとかの通説は制度と教科書と講師の問題であり、教養課程という美名の期間を廃止し一回生から社会での実用性を視野に入れた授業内容に改善すべきであると思う。今は改善されているのであろうか。それともパソコン操作は上手だが、語彙が乏しく思考が浅い学生が増えているのだろうか。ともあれ授業が退屈な教養課程の一年半であった。

 二年生の後期から定性分析学や生理解剖学など専門分野の基礎講義が加わり、実習も始まり授業に緊張感が生まれた。二年生の期末試験で生理解剖学の試験を明日に控えて、骨格の名称、筋肉の働き、神経の伝達網などを必死で覚えている冬の深夜に、戸外が騒がしくなった。
 「そこの製材所が火事だ。角さん見に行こう!」
と二階に間借りのサラリーマン、滝沢さんが誘った。冨士山からの空っ風にあおられ倉庫の材木が燃え上がった。けたたましいサイレンを鳴らして消防車が次々に到着し、野次馬が増えていった。気が付いた時には抜け出るのが困難なくらいの群集となっていた。翌日の試験が欠点となったのは言うまでもない。及第者は80人中27人に過ぎなかった。再試験が必須で、この一科目を受けるだけのために三月末まで帰省の足止めを食らった。
 「こんな馬鹿げたことがあるものか」
と憤りはしたが、誰のせいでもなく全て自分の失敗である。大いに反省し今後、再試験は絶対に受けまいと心に誓った。

 大学生にはアルバイトがつきもので精出す学生の話題はつきない。授業料や生活費のためにやむなく働く場合もあるが、遊ぶ金を稼ぐための場合も少なくない。興三さんの場合を紹介する。最低限の生活費を父が送金してくれたので、アルバイトにはそれほど精出さなくてすんだ。あり難いことであった。大学の掲示板で募集された静岡県衛生試験場での水質検査を友人と一緒に短期間引き受けた。仲間は村松君と永井君であったようだが定かではない。人並みに家庭教師もしたが“再試験厳禁令”を自分に課してからは、定期試験中の一ヶ月間は家庭教師を休むとの条件付きで引き受けた。そのために通常より安い教授料を申し出た。僅かのお金を稼ぐより、就職時に自分の行きたい会社を選べる程度の成績は残す必要があると、興三さんなりの計算も働いていた。再試験拒否と就職対応の為の試験勉強であって決して学問が好きと言う訳ではなかった。興三さんが学生の本分について訓を垂れる資格はないが、遊ぶ金や外国旅行代を稼ぐために勉学を忘れバイトに精出し、挙句の果てに就職の季節になって泣きをみる最近の一部の学生には賛成できない。これではイソップ物語のキリギリスと同じではないか。良くも悪くも目的や志をもった行動が必要であると、人生経験を重ねた今となって感じている。


37)薬剤師の成り立ち
 三年になると薬化学、生薬学(薬用植物学)、薬物学、生化学、衛生学、製剤学、薬品製造学、調剤学、薬事法などの専門科目の授業が始まった。内容は一気に充実し難しくもなった。薬物学と生化学に特に惹かれたが、生薬学と衛生学には余り興味が沸かなかった。授業と並行して実習も本格的となった。液体中の物質が何かを当てる定性試験、その含有量を測定する定量分析では正解が得られず夜遅くまで実験を繰り返した。生薬学の実習では植物の茎を薄く輪切りにして顕微鏡で細胞の構造を調べたが、極薄片を作る時の安全カミソリの使用が一番難しかった。薬品合成の実験ではフラスコに所定量の原末や薬液を入れバーナーで定められた時間加熱したが、目的物の収量は理論値より遥かに少量であった。

 カエルの心電図を取る実習をご披露する。白い厚紙の円筒上にローソクの炎で煤(すす)を付着させる。この黒い円筒を回転させながら、カエルの心臓鼓動に連結した測定針で煤面をなぞると白いキモグラフが描ける。人の心電図と同じ原理である。カエルを氷水に入れ体温を下げ冬眠状態にしてから開胸手術をして心臓を体外に取り出す。この心臓に生理食塩水を灌流し長時間生かさねばならない。心臓鼓動のグラフを長時間にわたり綺麗に描けるかどうかは、実験装置の組立、心臓手術の技術、生理食塩水の灌流速度などの総合的技術力で決まる。近くの田んぼにカエルを捕らえに行った。女性は気味悪がったが興三さんには得意の分野である。子供の頃、入田(にゅうた)の溝でカエルを捕まえては、尻の穴から麦わらで空気を吹き込んだ。腹をパンパンに膨らしたカエルが川面であがいていたのを思い出した。カエルを捕まえるまでが興三さんの実習で、後の実験は同班の仲間に頼んでバスケットの練習に行った。グループ実習では砂本君や田宮さんに事後を託して部活に抜け出すなど不埒なことも一再ではなかった。実習は興三さんの性分に合わないように思えた。世界的な発明などではその偶然性が強調される。確かに運もあるが同じ条件で同じ実験をしても同じ結果がでるとは限らない。幸運と明晰な頭脳以外に、職人的手先の器用さや実験道具を工夫する根気も成功と深く関わっていると思う。

 予習も復習もしない学生生活であったが、再試験は避けたいとの一念から年二回行われる定期試験の合計二ヶ月間だけは必死で勉強した。試験開始の二週間前に試験の日程が発表される。その日を境に生活を試験モードに切り替える。試験期間の二週間を合わせると一ヶ月間の缶詰生活である。試験が始まると徹夜に近い日々が続く。教科書やノートの内容を必死で頭の上に載せていく。試験の当日には明け方に少し仮眠して教室に急ぐ。問題が配られると忘れないうちにと急いで頭上の知識を解答用紙に移す。その日の試験が終わると残り粕の知識がバラバラと頭上から落下する。頭の中に入っていないから消え去るのは早い。帰宅し二時間ほど仮眠をして明日の科目に取り掛かる。明け方まで捻り鉢巻である。週末に一度熟睡する。こうして二週間の試験が終了するときには体力の限界である。火事見物で失敗した後に一度だけ生薬学の再試験を受けたが、四年間で再試験は二科目のみであった。一科目で約半数の学生が再試験を受けたことを考慮すると良く頑張ったと言える。

 しかしながら決して成績優秀な学生ではなかった。何故ならば一回でパスしようが再試験を受けようが、取得した点数で優良可の成績が付けられるそうだからである。興三さんは最低合格レベルの60点を目標としたので、殆どの科目は低空飛行の「可」であったろう。ともあれ知識を頭上に載せるだけで頭の中に入っていないから、試験が終われば春の淡雪の如く消えてゆく。こうして薬剤師ではなく“ヤクザ師”か“楽剤師”が生れる。生薬学が苦手な興三さんは文字通り草冠のない楽剤師のタマゴであった。ただ試験を通して学んだことが一つだけある。60点を目指した勉強では決して60点には届かず、せいぜい良くて50点である。是非とも60点が必要ならば70点、否80点を目指して必死に勉強して、やっと所期の目的に到達できるということである。その後、会社に入り海の彼方で営業に関わったが、この鉄則を守ったお陰で概して年度末には販売計画を達成できた。人生なかなか格好良くはいかない。地道にそして愚直に努力することが重要かとこの歳になってつくづく思う。

 調剤学の現場実習としてS病院の薬局で一週間働いた。今は処方される薬は大部分が錠剤やカプセル剤であるが、当時はまだ散剤や液剤が結構多かった。四、五種類の粉薬を夫々秤量し乳鉢の中でよく混ぜて均一化したのち、目分量で等分化して薬包紙に包む。これらの作業は子供のころの家事手伝いと大差ないと思った。ある日、院長先生が
 「君たちに手術を見せてあげよう」
と誘って下さった。消毒済みの白衣にマスクや帽子で身を包み完全武装で手術室に入った。胃癌の手術であった。テレビや映画で出くわす場面と同じである。興三さんはこの張り詰めた雰囲気に魅了され、医師の手元や手術部位に目を凝らした。  

 S病院の女性薬剤師から美味しいトンカツ屋の店があると聞いて訪れた。一人であったか仲間と一緒であったか定かでない。残念ながらその女性薬剤師でなかったことだけは確かである。松坂屋の裏手あたりの狭いスタンド形式のトンカツ屋であった。揚げたてのころもがまだ泡立ち、ほおばると厚いロースの肉がみずみずしく、そのうまさに感激した。キャベツが食べ放題というのも心を豊かにした。万年金欠病の貧乏学生がゆえに味わえた感動であろう。記憶違いでなければ250円であった。その時、津山の食堂で天丼を初めて口にした少年の日を思い出した。友達数人で暖簾をくぐり“天どん”を注文した。しかし出されたのはご飯の上に海老の天ぷらがのった天丼であった。その時、初めて“天ぷらうどん”と“天ぷら丼”は別物と知った。世の中にこんなにうまいものがあるのかと驚いた記憶がある。ポケットの小遣い銭で間に合ったのは幸いであった。食べ物にまつわる思い出はつきない。それは高価な料理や高級料亭とは無縁で、大抵は日常生活や旅先での偶然な出会いである。こんな話を折に触れて紹介したいと思う。食い意地のはった意地汚い話と思わないで、お付き合い願いたい。

 春休み前に下宿を変える事にした。格別の理由があった訳でない。たまたま立ち寄った食料品店の奥さんと話していたら、
 「二階に空き部屋があるだがよー。」
ということで厄介になる事にした。両親と幼い姉弟の屈託無い家族で、母親に頼まれて幼稚園児の娘を連れてデズニー映画「101匹のワンちゃん大行進」を見に行った。卒業までの一年間を家族同様に過ごした。

38)特別実習と就職準備
 四年生になると専門領域の研究室で特別実習を受ける。この成果が卒業論文となる。研究者を目指さない学生にとっては一時の研究体験である。どこの研究室に入るかを決めねばならない。1953年に遺伝子DNAの二重ラセン構造が発見され生化学が脚光を浴びていた。生化学教室に興味があったが、教授が不在で助教授はワサビの酵素を研究されていた。興三さんには興味が乏しく生化学教室へ行くのをやめた。皮肉なことに新年度が始まると英国帰りの教授が着任された。薬物学は好きではあったが、犬やウサギなど実験動物の世話に拒否感がでて入室を止めにした。幼少期の鶏との悲しい別れを思い出したからかも知れない。薬化学教室のS助教授はコーラス部の顧問でもあり、珪素(シリコン)を研究しておられた。今日ではシリコンバレーや半導体の原料として周知となったが、当時は電気伝導の特性が注目され研究が始まったばかりであった。もし興三さんが学者の道を歩むならば、薬化学教室を選んでいたであろう。あれやこれやと考えた挙句、関屋教授の薬品製造教室を選んだ。関屋教授は触媒化学がご専門である。触媒は化学反応を円滑に進める作用をするが、自分自身は化学変化しない。例えば物質AとBを化学反応させると、Gが製造されHが副生される。この化学反応では長時間・高温に加熱する必要がある。しかし、これに触媒Xを加えるとAとBから同様にGとHが出来るが、Xそのものは変化せず反応は短時間・低温で進行する。触媒とはまさに媒酌人のような役割である。興三さんは東大卒の伊藤助手に教えを頂くこととなった。伊藤先生は大柄の優しい方で、着慣れた白衣に突っ掛け姿で毎日コツコツと実験を重ねておられた。後年ある薬科大学の学長になられた。きっと立派な研究成果を残されたのに違いない。

 指導教授から研究テーマを頂くのが普通であるが、興三さんには挑戦したい夢があった。家業の手伝いで富山化学の社員と同行拡張した駆虫薬オーミンの構造式が、梅毒の特効薬サルバルサン(通称606号)の構造式と類似であると聞いていた。
 「梅毒の病原菌スピロヘーターと回虫は大きさこそ違え同じような形ではないか」
オーミンの構造式には臭素Brが、サルバルサンにはヒ素Asが付いている。臭素とヒ素は元素周期律表では親戚グループに属す。
(閲覧有難う御座いました。2月号に続きます)



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