味噌人小辞典

 短歌に関する用語辞典です。載せる言葉の選択と、解説の内容は、あたしの独断と偏見によります(^^)


歌合【うたあわせ】

 複数の歌の優劣を競う遊び。以下の二種類あり。

(1)編者が既存の歌を任意のテーマ毎に一対づつ並べたアンソロジー文書としての歌合。藤原公任や俊成編による歌合が有名。特にどちらが優れているかは書かれていないが、歌学の教材とされたものであろう。

(2)歌人たちが一同に会し、各々持ち寄ったあるいは即吟した題詠歌に対しその場で優劣の判定を行なう競技。百人一首に採られた「忍ブ恋」のエピソードが有名。鎌倉時代あたりを最後に廃れていたが「短歌パラダイス」によって現代に復活した。


歌枕【うたまくら】

 古歌に詠まれた地名。呪術的な側面を強く持っていた和歌にとって、地域神への挨拶である国誉めのためにも、地名を詠み込むことは大事なことであった。ま、難しい話は抜きとして、古今以降の歌を読むときに意識すべきことは、それまでの文学作品により形成された歌枕固有のイメージと、同音の連想による地名に隠された裏の言葉である。
 前者は「吉野ってどこだっけ?北海道?九州?行ったことないしぃ、よくわかんないけどぉ、桜とか雪とかっていわれたら吉野って思うじゃん。あたしてきには、それでOKだからぁ。」というような具合でして。須磨とくれば海水浴場でも水族館でもなく、源氏物語なわけです。昔の人は自由に旅もできないし、テレビも写真もないわけで、よその土地に対するイメージの入口がすごく限定されてるんですね。
 地名に隠された言葉ってのは、掛詞的に「逢坂」に「逢ふ」ってのを筆頭に「近江」「淡路」「松山」「因幡」・・・。最近では「三重と遊んで」なんてのもありましたね。


縁語【えんご】

 連想ゲーム的に思い浮かぶ言葉のグループ。たとえば「葛」(かづら)は蔓草なので、手繰り寄せる意の「繰る」と縁語関係になる。もともと連想系の関係なのでそのまま詠み込んでも芸がない。掛詞を利用して裏の意味として詠み込むのが常道。
「名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られで来るよしもがな」


オノマトペ

 擬音語と擬態語のこと。フランス語だそうだが、日本の文学を語るのになんで舌を噛みそうな外来語を使うんだ?あたしはこの言葉が嫌いです。


折句【おりく】


 言葉遊びのひとつ。五文字の言葉の各文字を各句の頭に置いて歌を詠むこと。
 「かきつばた」を詠み込んだ「唐衣きつつなれにし妻しあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」は有名。


掛詞【かけことば】


 同音意義の二つの言葉を重ねることで重層的表現を狙ったもの。
「花の色は移りにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに」で「夜に降る長雨」と「世に経る眺め」ってな具合。


詞書【ことばがき】


 歌の前に書かれる、その歌が詠まれた状況などの説明書き。
 例えば「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなくたたむ名こそ惜しけれ」の歌には、「腕枕したげよか」と言い寄って来たスケベ男に対して詠まれたというような詞書きが付いている。これによって四句目に「かひな(腕)」が隠されていることがわかるのである。


作中主体【さくちゅうしゅたい】


 基本的に短歌は一人称文学。直接歌の中に登場しようとしまいと、「私」の存在が読者に強く意識されることになる。「あなた」しか登場しなくてもそのあなたを思っている「私」がいるし、叙景歌でもその景色を見ている「私」がいるということ。その「私」のことを作中主体という。作中主体は作者その人であることが多いが、自分の体験を相手の立場や客観的立場から詠うという手法もある。逆にニュースで知った事件を当事者の視点で歌にすることも可能。男性作者が女性として作歌することもあるし、その逆ももちろんある。時には母のない子の振りをしてみるのも一興。
 いずれにしても、作中主体のイメージを読者にうまく伝えることができないと、歌そのものが伝わらないことがままある。自分では当たり前だと思っている作中主体のイメージが上手に表現できているかどうか(わざとぼかすこともあるが)、常に意識するように心掛けたい。


序詞【じょことば】


 同音や縁語の連想で本題を導くためのいわばイントロ部分。とはいえ、本題とまったく無関係でもなく、イメージの創出への貢献は無視しえない。
 例えば「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな」の上の句。


縦書き表示HP【たてがきひょうじほーむぺーじ】


 コンピュータの世界は横書きが主流な中で、あくまで縦書きにこだわるHP。
 ちなみに、このHPが横書きなのは以下の理由による。

(1)日本語の伝統が縦書きであると同じく、短歌の伝統は口と耳で鑑賞することであり、けっして目で楽しむものではない。よって、見た目にこだわるのはナンセンス。

(2)電子データの良い所は、情報の加工・再利用にある。縦書き変換をするとそれがしにくくなる。シンプルなHPにしておけば、コピーペーストも簡単だから、縦書き好きな人は縦書きビューアーで見ればいいじゃん。


八代集【はちだいしゅう】


 古今和歌集(平安中期)から新古今和歌集(鎌倉初期)まで8つの勅撰集の総称。歌が日本文学の中心であり、もっとも輝いていた頃の作品集であり、百人一首の大半はこれらの中から採られている。


屏風歌【びょうぶうた】


 屏風を飾るために絵とともに書かれる和歌。まず絵(風景画)が描かれ、次にその場面に応じた歌が詠まれる。歌はそれだけで、あるいは屏風歌であるとの詞書とともに歌集に載って後世に伝えられるが、絵は屏風とともに捨てられたり喪失してしまうのが大半である。よって今となっては屏風に描かれていたであろう絵を想像しながら鑑賞するか、独立した歌として鑑賞するほかはない。
 紀貫之の歌などはかなりの数が屏風歌として詠まれたものであるという。


返歌【へんか】


(1)相手からの贈答歌に対する返事として贈り返す歌。和文脈では「返し」。
 相手の歌に使われている言葉やその縁語を使用する。また、相手が押せばこちらは引き、相手が引けばこちらは押すといった駆け引きを演じてみせるのが作法であった。
 男の求愛を女が拒む、不実に対する女の叱責を男が言い訳するといった伝統的パターンがある。

(2)現代短歌、特にネット上では、不特定多数に公開される歌からインスパイアされて書かれたコメント的短歌をも「返歌」と称しているようである。


本歌取【ほんかどり】


 古歌に使われた言葉をいくつか詠み込むことにより、その古歌のイメージを重層的に取り込む技法。
 本歌のイメージを利用しつつも独自のイメージを提供する必要がある。それができていなければ単なるパクリである。


枕詞【まくらことば】


 一定の語句の上に固定的につく修飾語。ただし、枕詞自体に意味はない、あるいは昔はあったがすでに風化している。
 被枕詞との対応関係で四つに分類できる。
(1)特定の言葉に一対一で対応するもの
「あしひきの/山」「たらちねの/母」の類
(2)意味を中心とした語群に対応するもの
「ひさかたの/天、光、月、日など」「ぬばたまの/黒、髪、夜、闇など」
(3)もともとの対応語から拡大して同音意義語群に対応するもの
「いそのかみ/布留、降る、振る、古など」
(4)(2)と(3)との複合形
「あづさゆみ/張る、春、射る、入るなど」「からころも/裁つ、立つ、竜田山、袖など」


見立て【みたて】


 いわゆる「比喩」のこと。「嵐吹く三室の山のもみじ葉は竜田の川の錦なりけり」などと使われる。伝統と斬新さとの兼ね合いが読み所。


物名【もののな】


 物名とは、歌の本来の内容とは関係なく、なんらかの言葉を詠み込むもの。古今集などでは、部立ての1つ(つまり「夏の歌の部」に並んで「物名の歌の部」が存在するということ)とされるほどメジャーな技法だった。説明だけじゃ分かりにくいので、例を。
「波のうつ瀬みれば玉ぞみだれけるひろはば袖にはかなからむや」
「うつせみ(空蝉)」を詠み込んでいる。掛詞と似たような技法だが、掛詞と違って「うつせみ」は歌の中で意味を持たない。また、句を跨いでいてもOK。掛詞と同じく音の清濁は区別しない。


『和歌』と『短歌』【わかとたんか】


 万葉集関係の話をする場合は、「短歌」は五七五七七の定型詩で、「和歌」は長歌・片歌・旋頭歌なども含めた総称。
 現代の話をする場合は、それぞれ「近代短歌」「古典和歌」のこと。時代的な区分だけでなく、歌のありかたがかなり違う。
 「近代短歌」は従来の和歌の権威に対抗するため西洋詩、それも和訳されて原語が持つ音韻的な美しさを失った西洋詩の影響を強く受ける。出版を前提に不特定の一般読者に自己の感動を伝えることに主眼を置く。
 「古典和歌」は日本語の持つ音韻的な美しさを重視し、掛詞などの技巧が尊ばれる。古歌・漢詩や源氏物語などの文学的知識を総動員して詠まれるため、最初はとっつきにくい。自己の感動を伝える以外に、特定の相手を楽しませるエンターティメントとしての側面を持つ。
 あたし個人としては、区別することはあんまり好きじゃないので、あたしが作ってるのは和歌でも短歌でもどっちでもいいんだけどね。



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