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20160522/朝日新聞で発表した「5音音階」論に関するサブテキスト。

昨日の朝日新聞で大々的に取り上げていただきました。こりゃもう、文化人枠ですね。ありがたいことです。

記事の内容については、こちらをご覧ください⇒ (耕論)演歌は日本の心、か スージー鈴木さん、輪島裕介さん、大澤聡さん(朝日新聞公式サイト)

かいつまんで言えば、演歌とは「5音音階」で、その時代は終わりつつあるということになりますが、このページに来ていただいた方だけに、「物事は、そう単純な話ではない」という話をお伝えしたいと思います。

いわく「現代における5音音階」の可能性。「5音音階」のシンプルさや、歌いやすさは、日本人、ひいては世界に向けて、まだまだ力を発揮するのではないか、という話。

(1)まずは、朝日新聞での発言についてのより詳細な論述

「20160412/(大論文)音階論から考える演歌の歴史と未来」をお読みください。譜面も使って、あの発言の真意を、より具体的に説明しています。

(2)紙面で並んだ輪島裕介さんの著作について

「20150927/『演歌は日本人の心』というウサン臭い言説は『インテリ』の仕業」をお読みください。こんなに面白い本は、そうはありません。

(3)テレサ・テン《時の流れに身をまかせ》における「5音音階」について

これについては、「20160424/テレサ・テン《時の流れに身をまかせ》の聴き方~2つの音階が交錯する超名曲」をご参照ください。「5音音階」と「7音音階」の交錯について、こちらも譜面を使って具体的に説明しています。

(4)《上を向いて歩こう》における「5音音階」について

ここから新ネタ。《時の流れに身をまかせ》と同じく、あの《スキヤキ》=《上を向いて歩こう》も、Aメロが「5音音階」、サビが「7音音階」、Aメロに戻って「5音音階」という構造になっています。

《時の流れ~》以上に、より圧倒的に世界を席巻したあの曲のパワーの源も、「5音音階」と「7音音階」の交錯にあると考えられるのです。

余談ですが、現在読み進めている佐藤剛さんの『上を向いて歩こう:奇跡の歌をめぐるノンフィクション』という本はめっぽう面白いものです。お勧めします。

(5)現代における「5音音階」の運用について

さて、最後に、現代、と言っても20年ほど前になりますが、「5音音階」のみで作られた大ヒット曲があることをご紹介します。

H Jungle with T《WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~》は、ほぼ完全「5音音階」。たった1回だけ「シ」が出てきます(どこか当ててみてください)。小室哲哉による作為的・戦略的なメロディ。こういうのを聴くと、今でも「5音音階」のみのヒット曲が成立するのではないかと思ってしまいます。

以上、「時代は『7音音階』で『5音音階』はお役御免だ」という話ではなく、現代においても、もしくは世界を見据えても、「5音音階」ができることが、まだ何かあるのではないか、と思っていることを、昨日の記事のサブテキストとして、付け加えておきます。



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20160515/ 「文化系歴史本」には「肉体性」が必要だと、小林信彦から学ぶ。

前回記事を受けて、当分の間ワタシは、「サブカル」という言葉を「文化系」と言い換えることにします。これ、案外しっくり来そうなので。

さて、あえてネーミングすれば「文化系歴史本」とでも言うべき本が、たくさん出版されています。ここでは、主に昭和の大衆エンタテインメントを、若い書き手がさかのぼるような本を指しています。拙著『1979年の歌謡曲』 も、その一部に入るのかもしれません。

どれもこれも、一定の読み応えがあります。その背景には、やはりネットの存在があります。最近の「文化系歴史本」が処理している、ネットを縦横無尽に駆使して集められた膨大な情報。その資料性が、過去のチープな「文化系歴史本」を超えるのです。

ただし、そこで思い出すのが、小林信彦のことです。あけすけに言えば、ワタシにとっての最大最高のアイドル。そしてその代表作、『日本の喜劇人』のことを。

ネットなど、かけらもない時代に書かれたこの一冊が、未だに多くの人を惹きつけ、そしてネット時代の「文化系歴史本」の追随を許さないのは、なぜだろう?

ワタシはそこに、資料性などとは異なる、評論として、より本質的な要素を確認するのです。同時代性とか、参加性とか、なんか「性」ばかりで恐縮なのですが(性の教典か?)、そのあたりをすべて包含する概念として、ここでは、「肉体性」と置きます。

『日本の喜劇人』は、基本的に、喜劇界に、多少の距離を置きながらも、その中に入り込んでいた小林信彦個人の経験から書かれています。言い換えれば、昭和の喜劇史の中にいた、小林信彦という「肉体」から書かれている。だから強烈なリアリティがある。

対して、最近の「文化系歴史本」は、資料性の方が格段に勝っていて、そこに関与する書き手の「肉体性」が臭ってこないものが多いと感じるのです。

最近の「文化系歴史本」は、その歴史の現場にいない、若い書き手による場合が多いので、一見「肉体性」を高める術すらないわけですが、それでも、一個人として、その対象に対して、肉体がどう感じたか、反応したか、言わば、価値判断を、もっとしてもいいのではないかと思うのです。

『日本の喜劇人』の後半、小林信彦が喜劇界から遠ざかってから出てきたタモリを一刀両断しているように。

価値判断には、炎上リスクとか、まぁ色々あるわけですが、これまで「文化系歴史本」をむさぼるように読んできた身としては、客観的な記述の中で、ふと、書き手の「肉体性」が舞い降りる瞬間に、その本への共感が、ぐっと増すのです。

価値判断の総和として、この対象となるエンタテインメントへの書き手の愛が認識できる。ワタシのエンタテインメント愛と、書き手の愛が共振しあう。それが、上に書いた「その本への共感」が生まれる。

評論において、肉体性とは愛である。

評論が、その評論の対象の付随物に過ぎないのかどうか。「音楽評論家なんて、俺たち音楽家がいなければ仕事か出来ない、金魚のフンのような奴らだ」。本当に?

結論を言えば、書き手が「肉体性」を高め、価値判断をすればするほど、付随物ではない、独立的な価値を持ち得ると思うのです。逆に、単なる資料の整理だけだと、金魚のフンなのかもしれません。

なぜなら、価値判断をして初めて、パフォーマンスの受け手ではなく、自らがパフォーマーになるのですから。

【参考】
20151017/新刊『1979年の歌謡曲』に込めた思い~音楽評論には「実証」と「妄想」が必要だ。



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20160508/NHK『トットてれび』にシビれながら、ネット時代における「サブカル」について考える。

NHK『トットてれび』が、このクールの大当たり。満島ひかりの好演(特に発声)、脚本(中園ミホを見直す)、音楽(第1回の《買物ブギ》にシビれる)など、すべてに満点の出来だが、それより何より、ワタシは(そして世間の多くは)「草創期のテレビ」が好きなんだなぁと思うのだ。

「草創期のテレビ」。それはワタシが、小林信彦や、井原高忠の本などで追っかけ続けていたもの。で、その魅力とは結局、「一部の選ばれた才能が、選ばれなかった大多数の大衆に、上から振り撒くエンタテインメントの魅力」だと考える。

ややこしい言い回しになったが、要するに、昭和30年代の黒柳徹子や、森繁久彌、渥美清、坂本九という「一部の選ばれた才能」が、テレヴィジョンを通じて、エンタテインメントを発信し、それを大衆がありがたく受け賜わるという、ある種「差別的な構図」に対する憧憬である。

メディアの意味は「媒介する手段」。つまり人と人の間で情報を「媒介する手段」に過ぎないもの。しかし「メディア」という言葉に、ちょっとした華やかさ・艶やかさを感じるのは、その言葉のDNAに「差別的な構図」が埋め込まれているから。金のニオイがぷんぷんする「一部の選ばれた才能」の存在が埋め込まれているから、である。

さて、インターネットが普及して、ほぼ20年。だからテレビでいえば、1953年からカウントして、だいたい1973年になる。テレビ絶頂期。金のニオイがぷんぷんしている時期だ。

それでも、ネットメディアはその特性上、上記の「差別的な構図」を崩壊させていく。つまり、みんなが受信者であり、発信者である「平等の構図」ということになる。

これは何気にすごい話で、ワタシがあまたある「ネット害毒論」に賛同できないのは、かくいう自分が、誰も読んでいないであろうにも関わらず、この場で評論めいたことを書き続け、それが、尊敬すべき人の目に留まり、そして本まで出版できたからだ。ネットがなければ、ワタシの人生は、相当に平凡なものになっていただろう。

しかしながら、そういう、ワタシごときが発信者として機能するメディアは、当然、発信者となるハードルが著しく低い。その結果、「一部の選ばれた才能」もクソもミソも、一見同等に扱われる。

結果、「一億人を相手にしてやる」という気概が発生しにくくなる。ネットメディアからは、黒柳徹子や、森繁久彌が生まれにくい。仲間内で小さく安住する表現が横溢する。

それが昨今的な「サブカル」の本質的な意味だと思う。主にネットで、限られたコミュニティの中で絶賛されるが、決して、コップの外にこぼれ落ちないカルチャー。

余談ながら、ワタシが歌謡曲を愛するのも、そもそも「歌謡曲」の定義自体、「一億人を相手にしてやるという気概にあふれた音楽」だと思うからだ。

言い換えれば、「一部の選ばれた音楽的才能」が、主にテレヴィジョンを通じた「差別的な構図」の中で音楽を発信し、それを「大衆がありがたく受け賜わ」り、レコードを購入するという音楽ビジネスジャンル。だから、たまらなくイイのだ。

NHK『トットてれび』は、「草創期のテレビ」にあった「差別的な構図」に対する憧憬を誘発する。それはまた、2016年の今において、「サブカル」の中でも「メインカルチャーにとって代わろうとするサブカル」を目指そう、探そうという動機をも誘発する。

テレビが、すなわちNHKテレビが生まれて20年、1973年の10月にNHKで流された幻の映像。こういうバンド、こういう奴らがいつか、サブからメインにのし上がってきてくれないか。そういうことを毎日願いながら、生き、そして死んでいく。そう決めた。



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20160502/ゴールデンウィークは読書三昧。

ガタガタ抜かすと、読んじゃうぞ、コノヤロ。

(1)とみさわ昭仁『無限の本棚~手放す時代の蒐集論』

さいきん読んだ本の中ではNo.1。ライターであり、古本屋店主であり、そして「色んなものコレクター」とでも言えばいいか、とみさわ氏の「蒐集論」。この本の面白みを説明するのは困難だが、これは褒め言葉として、本の中の数か所で、本当に声を出して笑った。コレクターには「Collector(物欲派/蒐集者)」「Corrector(整理欲派/修正者)」の2種類あるという指摘には、思わずヒザをポンと叩いた。

[Twitterより]
とみさわ昭仁『無限の本棚』。蒐集馬鹿一代、博覧強記、知の巨人。とにかく、札束の写真をネットにあげる人種がいること、ブックオフの最高標高は富士吉田店であること、「リスは捕って売れ」という本があることの3つは覚えておく。怪著にして快著。

(2)プラスチックス『情報過多~Too Much Info』

「再結成」に便乗して、劣悪な音質のライブ音源で商売をしていることには辟易とするけれども、この本は読みごたえたっぷり。当時の雑誌やチラシの切り抜き+メンバーへのインタビューという、「再結成本」にありがちな構成とはいえ、ワタシがプラスチックスを熱心に聴いていた当時、そういう情報がまったく無かったので、30数年前のパズルの抜けたピースを当てはめるような奇妙な気分になる。インタビューは、それはもう辛辣なもので、特に中西俊夫の佐久間正英評「J-POPをガラパゴス化した張本人」の吐き捨てには震える。

[Twitterより]
再結成絡みのプラスチックス本 『情報過多』。佐藤チカは本人いわく、現在「エホバの証人」の一員で、かつ佐久間正英は、島武実いわく「田舎者」、中西俊夫いわく「原発推進派」かつ「J-POPをガラパゴス化した張本人」 。と、そういう本。

(3)長谷川晶一『このパ・リーグ球団の「野球以外」がすごい!』

力作とはこのこと。パ・リーグ球団のファンサービスを、足を運び、食べ、飲み、買いながら、実地的に批評する本。読んでいるうちに、千葉ロッテのファンサービスに対する長谷川氏の評価が高いよう祈るような奇妙な感覚に陥る。6球団の総合評価を見てみたい。

(4)田中裕二『田中裕二の野球部オフィシャルブック』

「田中裕二の野球部」の一員であるK氏から献本していただく。爆笑問題・田中裕二を中心とした、サブカル派ではない、より求道的な「野球部」に属する、濃厚な野球ファンたちの生きざまを切り取った本。その中では、ラジオ野球中継をひたすら愛する、高橋=オールバックの放送作家=洋二氏の生きざまに、自分と近いもの(煩悩)を感じた。

[Twitterより]
やっと読めたこの本。60年代中盤生まれ、長嶋の現役引退以降に野球を見始めた世代の価値観が心地いい。中でも山本昌へのインタビューは格別。昌が「鉄人」ではなく「変人」であることがよくわかる→「田中裕二の野球部オフィシャルブック」

(5)川瀬泰雄他『ニッポンの編曲家~歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち』

これは画期的。これまで殆ど語られることがなかった、編曲家(アレンジャー)についての研究本。いちばんシビれたのは、船山基紀が、はじめて筒美京平と会ったときにこう言われたというエピソード。「船山くん、僕のことなんて嫌いなんでしょ?(註:『歌謡曲なんて好きじゃないでしょ?』の意味らしい) でも僕と仕事する時は僕の言うとおりやってもらうから」。

[Twitterより]
面白すぎて読むのに時間がかかる。大村雅朗の説明コピーが冴えていて、そして哀しい―――「繊細な感性を持ちながらも早世した、ポップス界の至宝」→川瀬泰雄『ニッポンの編曲家』

(6)鈴木茂『自伝~鈴木茂のワインディング・ロード』

最後に。最近何かと目に耳にする鈴木茂の自伝。日本ロック史研究のはしくれとして、こういう本がもっと出版されるべきと主張したい。上の船山基紀のエピソードや、下の鈴木茂のエピソードを好事家たちと語り合いながら、余生を過ごしたい。

[Twitterより]
『自伝~鈴木茂のワインディング・ロード』読了。いちばん印象に残ったところは、鈴木はギタリストの性で、いつもアンプの音量を上げすぎてボーカリストに音を小さくしろと言われ続けたが、一人だけ「鈴木くん、ギターの音、小さいよ」と言ったボーカリストがいて、それが忌野清志郎だったという話。

『自伝~鈴木茂のワインディング・ロード』読了。はっぴいえんど時代に鈴木茂が作曲した『明日あたりはきっと春』を初めて聴いた大滝詠一が、「この曲はバート・バカラック作曲の『アルフィー』のパクリだろ」と鈴木茂を問い詰めたという話は、おかしさが後からジワジワ来る。



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20160424/テレサ・テン《時の流れに身をまかせ》の聴き方~2つの音階が交錯する超名曲。

「薬師丸ひろ子《Woman "Wの悲劇"より》の聴き方」以来の聴き方シリーズ。今回は、1986年リリース、テレサ・テンの超名曲、《時の流れに身をまかせ》。

「スケールが大きい」。この曲を聴いて、誰もがそう感じると思う。実際、国境を越えて、広く愛されている曲である。そう感じる秘密は音階にあったと、先ごろ発見したのだ。

サビまでのメロディは、前々回に説明した「4・7抜き長音階」である。別名「メジャー・ペンタトニック」。日本では、明治以降の西洋音楽導入を、日本的に解釈(希釈)した音階。ただし、ブルースや、その他世界各国の民謡にも使われる(ex.スコットランド民謡『蛍の光』)、シンプルで土着的な音階。

「♪もしもあなたと 逢えずにいたら わたしは何を してたでしょうか 平凡だけど 誰かを愛し 普通の暮らし してたでしょうか」

「♪ミミミレミソソ ラララソミラソ ドドドラレドソ ラララドララソレ ミミミレミソソ ラララソミラソ ドドドラレドソ ラララドラミレ」

ものの見事に、ファ(4)とシ(7)が出てこない。だから歌いやすいし、またファとシが無いということは、音の隙間が多いということで、その隙間に感情を入れやすい。

そしてサビは、打って変わって、ファとシがぐっと出てくる。音階でいえば、西洋音楽を代表する「自然的長音階」(つまりドレミファソラシド)。「4・7抜き長音階」に比べて、複雑で、理性的で、そして土着というよりモダン。

「♪時の流れに身をまかせ あなたの色に染められ 一度の人生それさえ 捨てることもかまわない」

「♪ソドレミレドラソラ ドレミレドミソラ ラソラド ドドレミファミレド ララファミレドファミレドレ」

注意深く聴いていただくと、下線部のシとファが、あるデリケートな感覚を発信していることに気付くと思う。それは、大げさに言えば、歌いだし(「4・7抜き長音階」)に広がるアジアの土着的大平原から、シルクロードを経て、ヨーロッパの貴族音楽(「自然的長音階」)の世界に、進んでいく感じだ。

そして、最後は再度シルクロードを戻ってきて、「4・7抜き長音階」に定着、気持ち的に安堵する。

「♪だからお願い そばに置いてね いまはあなたしか 愛せない」

「♪ミレドドドレミ ドソミレドラ ソドミミレド ラドドレド」

余談ながら、先日BSで放送された番組での、作曲家・三木たかしの発言によれば、下線の「ラ」は、テレサ・テンの最高音「ソ」を超える、難易度の高い音程に、意図的に設定したとのこと。

さらに余談を言えば、太字のところの和音、【F/C】(キーはF)がもたらす安堵感、多幸感に注目。とにかくこの曲は、細かいところに配慮が行き届いている。

このアジア→ヨーロッパ→アジアの世界観変化、つまり、土着とモダン、弛緩と緊張の転換こそが、この曲の本質的な魅力なのである。何かと持ち上げられやすい、美空ひばり《川の流れのように》など、この曲の亜流に過ぎない。

最後に。一点減点するならば、歌詞がテレサ・テン特有の、女が男にかしずく「愛人歌謡」のように聴こえるところである。ただし、その減点部分を補う方法を発見した。この曲の後の天安門事件におけるテレサ・テンの行動を思い出し、この曲の「あなた」を「中国本土(メインランド)」と解釈するのだ。

もしも「あなた」と 逢えずにいたら
わたしは何を してたでしょうか
平凡だけど 誰かを愛し
普通の暮らし してたでしょうか

時の流れに身をまかせ 「あなた」の色に染められ
一度の人生それさえ 捨てることもかまわない

だからお願い そばに置いてね
いまは「あなた」しか 愛せない



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20160417/僕のロックンロールの師匠はプラスチックス。

お疲れ様です。最初に告知。先週末(4/15)に引き続き、今週金曜日(4/22)の24:40から、ニッポン放送の『能町みね子のTOO MUCH LOVER』に出演させていただきます。次回のテーマは「1979年の歌謡曲~応用編」。4月は、ラジオ出演がもう1つ、そして大新聞からのインタビューがあります。お楽しみに。

さて、プラスチックス再結成という話。久しぶり、昨年秋の岡村靖幸以来、ライブに足を運びます。チカはいないし、佐久間正英は亡くなっちゃったし、2007年の再結成も、そんなに満足がいくものではなかったけれど、こういうのは縁起物と思って。

再結成など、どちらかと言えば苦手なほうなので、コンサートに行ったり、アルバムを買ったりしないのですが、プラスチックスとザ・タイガースだけは特別。沢田研二への愛は何度も書いているので、今回は我が「プラスチックス愛」を書いてみたいと思います。

最初にプラスチックスを観たのは、たしか関西テレビ金曜19時からの『誰がカバやねんロックンロールショー』だったと思う。とにかく、そこで彼らが演奏した《TOP SECRET MAN》が、とんでもなくカッコよかったのです。

「テクノ」「ニューウェーブ」みたいな概念や理屈は、当時中学2年生のワタシには、よく分からない。ただ単純に、ロックンロール!と思ったのですよ。これが。

音楽について書く仕事を続けていると、コトバで音を説明するために、概念に頼ることを余儀なくされます。ただ、「プラスチックス=日本のテクノバンド」と書いた瞬間に、ポロポロとこぼれ落ちていくものがある。それは「14歳のワタシにとってのロックンロールだった」という事実です。

「あの日の僕のプラスチックスは 少しだけいばってこう言ったんだ いつでもどんな時でも スイッチを入れろよ そん時は必ずおまえ 十四才にしてやるぜ」

今聴いてみれば、当時ヘタクソと揶揄(やゆ)されていた彼らの演奏にも、けっこう深い音楽性があって、機械的(数学的?)なコード進行、独創的なギター、ツボを押さえてバックアップする佐久間正英のセンス。

しかし、ロックンロールとしてのプラスチックスの核心は、何といっても中西俊夫のボーカル。エモーショナルなのに、カラッカラに乾いたシャウト。あれこそが、大阪の14歳の気持ちをザワつかせたのです。

ビートルズよりも、ツェッペリンよりも、RCサクセションよりも先に聴いた、生まれて初めてのロックンロール。レコードも全部持ってる。

という、プラスチックスに対して、一応は物申せる立場として文句をつけておけば、この期に及んで、カセットテープで録音されたような音質の、当時のライブ音源で商売することはやめた方がいいと思う。プラスチックス・ファンはそういうものを望んではいないからです。

やっぱりプラスチックスは、二次元ですよ。彼らが残した様々な写真、グラフィック、映像の方が大事。そして、オリジナルアルバムについては、音質だけをクオリティアップしてくれれば、それでいい。

ただ、そういう承服しかねる部分もある、アルバム再発売だけれど、再発に向けて用意されたシリーズ名称が、プラスチックスのすべてを言い表していて、抜群に気に入りました――― 「TOKYO LOCAL CLASSIC」



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20160412/(大論文)音階論から考える演歌の歴史と未来。

キッカケがあって、「音階」論を通して、演歌を検討する機会があった。以下、仮説に過ぎないが、「音階」を通せば、演歌の歴史と未来について、このように整理できるのではないか。数少ない同志に届ける。

(1)明治以降、「西洋音楽」が入ってきた。「脱亜入欧」の空気の中、「ドレミファソラシ」という7音を使った「(a)自然的長音階」、「ラシドレミファソ」という「(b)自然的短音階」が正統・高級なものとして位置づけられ、主に音楽教育を通して、普及が目指された。

(2)しかし、7音を使う音階は、当時の日本人の感覚からは複雑に過ぎた。そこで、7音のうち4つめと7つめの2つの音を差っ引いた5音音階=「(c)47(ヨナ)抜き長音階」(ドレミソラ)、「(d)47抜き短音階」(ラシドミファ)が作られ、定着した。

(3)なお5音音階は、7音に比べて、音の隙間が広いことから、ここに音程表現の余裕が生まれ、現在「こぶし」と呼ばれる、音程の揺れが受け入れられた。

(4)ここで、「(c)47抜き長音階」や、のちに出てくる「(e)26(ニロク)抜き短音階」は、アメリカのブルースの音階と酷似していて、ブルースにおける「ブルーノート」も、音の隙間の広さから生まれた微妙な音程表現という点で「こぶし」と共通する。

(5)さて、戦前には「(c)47抜き長音階」「(d)47抜き短音階」が大流行する。1945年までの流行歌を調べると、そのうちの半分が「(d)47抜き短音階」(代表曲:藤山一郎《酒は涙か溜息か》)、25%が「(c)47抜き長音階」、つまり、実に全体の75%が5音音階だったということになるという。

(6)戦後になり、日本に洋楽がなだれ込んでくることで、洋楽と親和性が高い「(c)47抜き長音階」が一気に普及する(ex.江利チエミがカバーした《テネシーワルツ》は(c))。その代表曲として春日八郎《お富さん》。逆に、純和風の「(d)47抜き短音階」は、少しずつ後退していく。

(7)昭和30年代あたりは「(c)47抜き長音階」の全盛時代。代表曲として植木等《スーダラ節》。洋楽の影響を背景に、高度成長の時代の空気に、シンプルで明るい5音音階が支持されたと思われる。

(8)戦後なだれ込んできた洋楽の決定打が、60年代中盤のビートルズ。クラシックまでを背景とした(主にポール・マッカートニーによる)カラフルな7音音階=「(a)自然的長音階」「(b)自然的短音階」と、黒人音楽/ブルースのカバーで使われる「(e)26抜き短音階」が日本の若者に強く影響を与える。

(9)ビートルズの影響を受けて、日本でグループサウンズ(GS)ブームが起きる。同時に、レコード会社に専属しない、フリーの作曲家が登場する(ex.筒美京平)。彼らはビートルズ風の複雑な7音音階=「(a)自然的長音階」(代表曲:ザ・ワイルドワンズ《想い出の渚》)「(b)自然的短音階」(同:ザ・タイガース《モナリザの微笑》)を使いこなし、また洋楽、ロック、ブルースの造詣も深いことから、「(c)47抜き長音階」「(e)26抜き短音階」の扱いにも長けていた。

(10)ちなみに、ちょうどこのころに日本で、現雑使われている意味あいでの「演歌」という言葉が生まれ、浸透し始める。大衆音楽史的に解釈すれば、「レコード会社専属の作家が作った音楽すべて」といった雑駁なもの。ただし、その観念の「音階的本質」は、「(c)47抜き長音階」「(d)47抜き短音階」、特に「(d)47抜き短音階」で作られた楽曲である。

(11)1970年前後に、古臭いものとされつつあった「演歌」を救おうという機運が発生。保守的人脈だけでなく、五木寛之や寺山修司などの「進歩的」な人々も加担(「演歌は民衆の叫び」云々)、「演歌」の再興ムーブメントが起きる。藤圭子はその端緒。

(12)その後その流れは、ぴんから兄弟、殿さまキングス、さくらと一郎などの、半分パロディの要素も含んだ「ド演歌」に受け継がれる。ここでのコア音階は当然「(c)47抜き長音階」(代表曲:ぴんから兄弟《女のみち》)と「(d)47抜き短音階」(同:西川峰子《あなたにあげる》)。

(14)ここで「(e)26抜き短音階」について語れば、特にロック、ブルースとの関連から「短調だけど、ちょっとハイカラ」という感覚の音階として認知される(代表曲:美空ひばり《真赤な太陽》)。また、当時ブームになったフォークソングも、基本的には洋楽の影響下で生まれたものの、日本の若者へのリアリズムや生活密着性を重視した結果、「(e)26抜き短音階」をうまく使っていた(同:吉田拓郎《旅の宿》)。

(15)逆に、洋楽風7音音階派としては、70年代前半に荒井由実という天才少女が登場し、7音音階どころか、激しい転調や、複雑なコードを提示。そしてリズム面では、日本語をロックビートに乗せる桑田佳祐が登場。70年代を通して、ニューミュージック=「日本の洋楽」が完成する。

(16)若者音楽≒ニューミュージック≒7音音階への対抗として、カラオケブームも追い風となり、「演歌ブーム」は続く。ただし、その内訳は、渥美二郎《夢追い酒》、小林幸子《おもいで酒》のような5音音階守旧派と、森進一、五木ひろしなど、新しい音楽のエッセンスを積極的に取り入れた進歩派などが混在しており、70年代以降の「演歌」は、音階論で一元的にくくれない。

(17)80年代以降、7音音階がデフォルトとして定着=「J-POP」。演歌は緩やかにシェアを低めた。また、現在、ユーミン・桑田で音楽的産湯をつかった世代が50代になる。洋楽風7音音階派が日本人の大勢を占めつつあることは否定できないのではないか。

(18)とはいえ、5音音階の優れた点(シンプルさ、覚えやすさ、歌いやすさ)も、相変わらず有効だと思う。今後、演歌の復興、ひいては国民的流行歌(つまりは70年代までにおける「歌謡曲」)の復興可能性があるならば、5音と7音のいいところをミックスさせたようなものであろう。その見事な実例は、日本どころかアジアで広く愛されている、5音音階→7音音階→5音音階と推移するテレサ・テン《時の流れに身をまかせ》である。

【参考文献】



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20160402/これは一種のバブルか?~4月のメディア出演情報。

ありがたいことに、メディア露出の話を、引き続きちらほらといただきます。このワタシにも、齢49にして、やっとバブルがやってきたのでしょうか。

1つは新連載開始です。それも新聞です。それも東京スポーツ(大阪スポーツ、中京スポーツ、九州スポーツ)です。題して「オジサンに贈る~スージー鈴木のヒット曲講座」。毎週月曜の掲載になります(九州スポーツは翌日の予定)。

第1回は、来週月曜日(4月4日)。記念すべき第1回に取り上げる曲は、ゲスの極み乙女。の《私以外私じゃないの》。そうです、今回は懐メロではなく、今のヒット曲を取り上げるのです。いよいよ近田春夫「考えるヒット」の背中が見えてきたか。いやいや、僭越です。

「20140622/ゲスの極み乙女。《パラレルスペック》と山下達郎の間に見えた補助線」で書いたように、かなり早期から、彼らに注目してきた立場として、不倫云々とかのつまらない話ではなく、彼らの音楽そのものを語ってみたいと思います。

2つ目はテレビです。これは既に連載を開始している「水道橋博士のメルマ旬報」関連なのですが、BS12で放送されている 『BOOKSTAND.TV』に出演します。

オンエアは4月8日(金)の草木も眠る26:30 ~ 27:00。テーマは「筒美京平イントロベストテン」。筒美京平の膨大な作品群を、イントロという視点で分析するコアな内容です。ご期待ください。

そして、ニッポン放送の新番組『能町みね子 TOO MUCH LOVER』への出演も決まりました。4月15日と22日の24時40分~25時。テーマは「1979年の歌謡曲」の話です。こちらもとてもありがたい(チャッピーさん、感謝です)。

このほかにも、4月には、某AM局への生出演や、某有名新聞からのインタビューなど、まさに遅れてきたバブルという様相になっております。ありがたいことです。日本の音楽シーンに、もっと「歌謡曲的な何か」を浸透させるために、頑張りたいと思います。

バブルは膨張してこそナンボです。何かいい話がありましたら、ぜひお知らせください⇒ suziegroove@nifty.com

最後にバブルのキッカケとなったと思われる、ニッポン放送『大谷ノブ彦キキマス!』の音源リンクを貼っておきます。

【3/1 昭和歌謡曲特集】
前編 http://podcast.1242.com/sound/8485.MP3
中編 http://podcast.1242.com/sound/8486.MP3
後編 http://podcast.1242.com/sound/8487.MP3

【3/15 80年代歌謡曲特集】
前編 http://podcast.1242.com/sound/8551.MP3
中編 http://podcast.1242.com/sound/8553.MP3
後編 http://podcast.1242.com/sound/8554.MP3

【3/22 サザンオールスターズ特集】
前編 http://podcast.1242.com/sound/8588.MP3
後編 http://podcast.1242.com/sound/8589.MP3



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