■ 20120520/日本語ロック第1号はスパイダースの《ヘイ・ボーイ》である。
あるバンドのゲストとして昨夜、スパイダース《ヘイ・ボーイ》と沢田研二《おまえがパラダイス》を歌わさせていただきました(関係者の皆様、ありがとうございます)。
さて、演奏して歌ってみないと分からないことがたくさんあります。今回《ヘイ・ボーイ》をチャレンジして分かったこと―――それは、日本語ロック第1号は《ヘイ・ボーイ》であるということです。
VIDEO
「日本語ロックははっぴいえんどから始まった」論調は非常に乱暴で。ここ でも書いたように、いくつかの要素の総合評価(数え満貫)としてはっぴいえんど『風街ろまん』を推すのは十分理解できるのですが、だからといって『風街ろまん』を日本語ロックの起源とする考え方には納得しかねます。
はっぴいえんどやジャックスを極端に重んじるという姿勢は、『レコードコレクターズ』誌的な、貧乏くさく辛気くさく汗くさい、くさいくさいくさいロックジャーナリズムの史観。東京出身の大学卒による陰気なロックを有り難がる(そして吉田拓郎や矢沢永吉を軽んずる)偏った視点だと思います。
さて、《ヘイ・ボーイ》。まずはA→D→Em→Dという循環コード。おそらく原曲は《ヘイ・ボーイ》発表(1966年)の前年、1965年のヒット曲、The Ad-Libs《The Boy from New York City》だと思われます(「ボーイ」と「うーわうーわ」の符合)。
VIDEO
と書くと、なんだいパクリかよ、との意見が出てくるかも知れませんが、1966年の段階で(1)《The Boy from New York City》を知っていて、(2)そのコード進行を分析し、(3)さらには加工して自作の曲を作る、ということがいかに凄いことかを想像してみて下さい。いわく、かまやつひろし氏の先見の明。
そしてメロディは《The Boy from New York City》よりももっとアイデアに溢れていて、「♪かどのむこうに消えちゃった」のC→D→Cはとてもソウルフル(0分23秒~0分28秒)。そしていちばん重要なことはサビ後の「♪これからどの娘と会うのやらー」のBm→F#mです。
「A→D→Em→D」「C→D→C」とやたらと黒いコード進行にしておいて、しかしサビ後で平行調のF#mに落ち着かせ、そして「♪これからどの娘と会うのやらー」の土着的・わらべ歌的(!)、メロディを置く(0分36秒~0分42秒)。
何が言いたいかというと、単なる洋楽サルマネではなく、それを1966年の日本の空気に寄り添わせようという工夫と冒険があるのです。スパイダース風に言えば、「リバプール・サウンド」に比肩する「トーキョー・サウンド」を作ろうという意志がこのわらべ歌フレーズに垣間見えるのです。
(ちなみにこの黒いコード進行に平行調をかませるという手法は彼らの名曲《メラメラ》でも使われています)。
いろいろ資料をあたってみると、スパイダースは本気で海外進出を考えていたふしがあります。特に《ヘイ・ボーイ》を発表したころは、「トーキョー・サウンド」を世界に問おうという意志に溢れていたようです。つまり「俺たちはビートルズもキンクスもソウルも知っている。でもこのF#mがトーキョーのロックなんだ。聴いてみろ」という感じだったのでしょう。
今の日本には流ちょうな英語で黒人のように歌える歌手がとても増えています。でも彼らがアメリカで成功したという話は殆ど耳にしません。なぜならばそれは「A→D→Em→D」「C→D→C」であってF#mではないからです。ホンモノの洋楽の国で「東洋人による洋楽もどき」を選ぶ理由はないという当然の結果です。
……と、こんな話がいくらでも書けるぐらい《ヘイ・ボーイ》の意義は深いのです。というわけで―――それは、日本語ロック第1号は《ヘイ・ボーイ》である。
||リンク用URL ||
■ 20120513/スージー鈴木presents、G・Dグリーンバーグ氏の新刊ご紹介。
今日は不思議な本の紹介です。実はこの本の「協力」としてワタシが関わっています。いや厳密には「仕掛け人」がワタシなのです。
そもそもは数年前、ワタシが授業を持っている大学(早稲田大学スポーツ科学部)のある会合でこの老ガイジン教授氏と知り合い、野球の話で意気投合。
そこから少し疎遠になっていたのですが、2010年のクライマックスシリーズ1st Stage、西武ドーム、埼玉西武=千葉ロッテの一塁側スタンドで再会。
「戦後日本におけるアメリカの功罪について」、「ダルビッシュと涌井の違いについて」、「作曲家としての吉田拓郎の才能について」と、幅広いテーマについて話せば話すほど面白く(氏は日本語ペラペラ)、こういう人がいるのかと驚いたのです。それも老人で、しかもガイジンで。
ただ普通ならこのまま知り合いの1人で終わる話なのですが、そこで起きたのが例の大震災、原発事故。あれを期に、氏が急にツイッター を始めたわけです。原発からアメリカから、AKBまで、あらゆる事象に関する大量の分析的ツイートを発信しはじめたのです。
そのひとつひとつが面白いので丁寧にリツイートし続けていたら、『盲導犬クイールの一生
』や『ダジャレ ヌーヴォー~新しい駄洒落~
』で有名な石黒謙吾氏(我が師匠)が反応。そこからはとんとんと、3人でビールを飲み、しつこく吉田拓郎話で盛り上がり、そして出版が決定という流れ。
内容はといえば、一言で言えば、「サウス・カロライナの本多勝一、あ、小林信彦、いやナンシー関も少し…」。三言ですね、すいません。
「何度も繰り返すが脱原発がなぜイデオロギーの問題にすり替えられる?原発が危ないということなんて思想上の問題なんかじゃなく自然科学上の事実じゃないのか」
「『島田紳助のこのひと言で100人のうち99人が前向きになれる』という本の広告を見た。心の底から残り1人になりたいと思う。
「イチローよりもダルビッシュのほうが優れたプレイヤーだと思うといつか書いたが、同じようなことが松本人志と有吉弘行にも言える。少なくともフリートークのキレ味で、有吉は松本を大きく超えている」
このような、切っ先鋭いメッセージが断片的に詰め込まれた本です。正直言って大きな出版社からの発売ではありませんし(関係者の方々、失礼)、大したプロモーションもないですので、ベストセラーになる筋合いのものではありませんが、内容はワタシが保証します。
ベタに言えば生きるチカラが沸いてくる本です(…と人生論本にみせかけて売ろうとする)。ご家庭に一冊、ぜひどうぞ。
参考:石黒さんのブログより:
「『日本は、』内容紹介」
「装丁家デビューです&書籍デザインの実際」
||リンク用URL ||
■ 20120506/ポップスファンの視点からのAKB48論。
やっぱり『へビーローテーション』は名曲だと思うし、それ以降の曲はパワーが落ちていると感じる。同様にモーニング娘。で言えば『LOVEマシーン』は大名曲だと思っていたけど、そこから段階的にパワーダウンしたと感じていた。
AKB48を語ろうとすると、なぜか「秋元氏の強引な商法」が引き合いに出て、その観点からのビジネス批判話になってしまうことが多い。対して「俺はAKBファンの気持ちが分かっている」という観点からの無批判なAKB礼賛話が投げかけられる。
これはまったくの「水掛け論」であってあまり愉快なことではない。だとしたら「ポップスファンとしてAKBをどう捉えるのか」という、中立的?もしくはあさっての視点からのAKB論があってもいいと思う。
ここでひとつの仮説。「アイドルのマーケティングは、売れていくとファンしか見えなくなってしまう法則がある」。
モーニング娘。よりももう少し昔、おニャン子クラブのことを思い出してみる。やはり彼女たちも、初期には《冬のオペラグラス》や《風のInvitation》など、超ド級のポップスを発表していた。特に《冬の…》は、大げさではなくフィルスペクター+ビーチボーイズ+ブルース・スプリングスティーンと構造分解できる名曲。
VIDEO
ただ、問題はそこからニャンギラス《私は里歌ちゃん》に落ちていったという事実。で、私はそこにあるマーケティングの法則を見いだす。
はじめは純粋に売れる。テレビやラジオで聴いて、いいと感じてCDを買う(配信を購入する)。ここまでは大変純粋なポップス市場のあり方。ただしここから濃厚なファンが殺到する。乱暴に言えば何を出しても買う層が形成される。
そうしたときに制作者側が、《冬のオペラグラス》のような、広いファンに訴えるド級ポップス(当然、その制作は簡単ではない)よりも、目に見える、札束を握りしめてヨダレを垂らしている濃厚なファンに向けた安易な商売を考える。
「ニャンギラスでいいじゃないか」、「《私は里歌ちゃん》でいいじゃないか」、「それよりも次の●月●日のリリースに間に合わせよう」
他意がないことを伝えるために、あえておニャン子になぞらえたが、この「ファンしか見えなくなってしまう」構造が、モーニング娘。にもAKB48(の関連のグループ)にも発生しているのではないかと疑うのである。
ここでちょっと余談。AKBの曲には、信じられないぐらい奇妙な転調をする曲が多い。これも「ファンしか見えなくなってしまう」(=ファンなら奇妙な転調も喜んでくれるだろう)結果のひとつと推察する。
とはいえ、この不景気の中、鬼の首を取ったようにその姿勢を批判する気はない。目の前に札束があるのなら、それをぶん取りたくなるのは当たり前。
ただしその結果、そのグループの楽曲が、そしてグループのあり方自体がポップスじゃなくなっていくのなら、私には無関係なのだと言いたい。そして、こういう言い方こそが「水掛け論」の中で重要だと思っている(これも一種の「ビジネス批判話」なのだが)。
最後に。なぜポップスファンの視点からAKBを語るのか。だって秋元康ですよ。80年代歌謡ポップスの最高傑作のひとつ、小泉今日子《夜明けのMEW》を書いた秋元氏ですよ。語らない方が失礼というものですよ。
VIDEO
||リンク用URL ||
■ 20120430/大阪・上本町にて。
大阪、上本町。ゴールデンウィークのさなか、ワタシはここにいる。高校時代三年間を過ごした青春の地。
東京に負けず劣らず大阪も賑やかしい街で、当然のことながら街の変化も激しい。ここ上本町も、駅の南側はあれから二度ほど生まれ変わっているが、北側は見事なまでに変わらない。80年代がキレイに、真空パックで温存されている。
1983年の上本町で起きたいくつかの事柄―――
83年の年末ぐらいだったと思う。上本町の地上改札を出たあたり、近鉄百貨店の入口前で中古レコードのセールをやっていた。新品のLPのしっかりしたビニールではなく、中古レコード特有の細いピラピラのビニールに包まれたクイーン『オペラ座の夜』を買った。何度も何度も聴いた。B面の《'39》を気に入った。
VIDEO
それから数百枚買うことになる中古レコードの記念すべき一枚目。変な、間違った選択ではなく、この超ド級の大傑作アルバムで産湯をつかってほんとうによかったと思う。17歳のスージーくん、グッジョブである。
そういえば、いつかも書いた、近鉄百貨店でのビートルズ映画『HELP』の上映会。字幕がなくてストーリーがまったく分からなかったという失態。当時のワタシの気分を、マーティン・スコセッシが『HELP』のDVDに寄せた文章を真似て書いてみれば、
「映画のサウンドトラック。ぼくの青春のサウンドトラック。ぼくの思い出。ひとつの時代、このまま何にも出来ずにこの腐った青春が終わっていくんじゃないかという感覚の記憶は、決して消えることはない」
映画館もあった。今でもあるのかも知れない。フランス映画『ラ・ブーム2』。言っちゃあなんだが高校の先輩の女性と二人で行っているから立派なもんだ。でも何があったわけでもなく(これはバッジョブか?)、ただ、フレンチトーストのように甘ったるい主題歌だけが強く印象に残っている。
高校が近くにあった関係で、毎日、この街に来るわけである。現在の45歳の鈍重な歩き方ではなく、それはもう跳ねるように歩いていたはずだ。
いつかも書いたが、自宅と上本町を直径とする円環だけが世界だった。難波は、決して足を踏み入れない街ではないのだが、それなりの緊張と覚悟を持って臨む街であった。梅田、それはもう外国。京都と神戸、そんな街は知らない。
そもそも、梅田や難波のような大都会ではなく、梅田のような洗練、難波の猥雑でも隔絶されたところ、上本町。神社や寺、学校、そしてラブホテルと、清濁併せのむ複雑な価値観がひしめく、上本町。
大阪以外で語られる大阪は、梅田や難波、で最近では岸和田のような極端な断面ばかりだけれど、そうではない、なんとも説明できないこの上本町で育った男がいま、上本町でこの文章を書いているという事実。
Don't you hear my call Though you're many years away
僕の声が聞こえるかい? 君とははるか年月が離れてしまった
(クイーン《'39》)
よし、そんな「上本町ボーイズ」のスピリットを持って、この歌の舞台となった2039年まで生きてやるぞ。
||リンク用URL ||
■ 20120422/今年に入って読んだ(読んでいる)本。
||リンク用URL ||
■ 20120415/同世代に向けて、東京初台で小沢健二が奏でたポップスのこと。
「ポップスとは、高度資本主義社会の円滑な稼働に向けて大衆の欲求不満を解消させる装置として、自家用車、テレビジョンと並ぶ20世紀アメリカの三大発明である」
だと思うのです。もう少しポジディブに言い換えれば、だからこそポップスには(たとえそれがマイナーキーの暗い曲調であっても、最終的に)人々をポジティブする手触りがなければならないとも思うのです。
前回の記事で、主にアレンジの面から、小沢健二に感じる「多幸感」(=上記「人々をポジティブにする手触り」)を語りましたが、今回はコンサート・レポートとして、主に歌詞の面からそのあたりを語ってみたいと思います。
初台あたりを風を切って歩いて向かったのは「第十夜」。客席には意外に若い層が多くて、それもショートカットでレギンスを履いた感じの、ちょっと草食系(?)な感じの女の子。逆にワタシ(小沢氏の2歳上)と同世代の客は少なかった印象。
さて、ここ(「2010年のドアノック・ダンス」 )にも少し書きましたが、小沢氏の歌詞に「二段階構造」を感じるのです。歌詞の冒頭ではキラキラとした少年性をあっけらかんと語りながら、歌詞の途中で突然、えらく長期的な人生観が呈示され(老人性?)、さらにはそれにまつわる無常観・諦観のようなものまでが顔を出すのです。
《ぼくらが旅に出る理由》
「♪そして毎日はつづいてく 丘を越え僕たちは歩く」
《いちょう並木のセレナーデ》
「♪やがて僕らが過ごした時間や 呼び交わしあった名前など いつか遠くへ飛び去る」
《東京恋愛専科》
「♪それでいつか僕と君が 齢をとってからも」
《流れ星ビバップ》
「♪忘れてた誤ちが 大人になり口を開ける時 流れ星探すことにしよう もう子供じゃないならね」
《強い気持ち強い愛》
「♪長い階段をのぼり 生きる日々が続く」
コンサート自体はとても完成度の高いもので、相変わらず決して上手いとは言えないけれど、当時を超える声量で押してくるボーカル、そして丹念に編曲され準備されたストリングス、八面六臂の活躍を見せるベーシストの中村氏。
そして何よりも小沢氏のギター演奏。新しいアレンジに合わせて新しい奏法(それも相当複雑なアルペジオなど)を用意している。和音楽器が小沢氏のギターだけなので音楽的にはたいへん負担が大きいのですが、見事に弾ききっていました。
1994年にアルバム『LIFE』があって、でもいろいろあって、世界のあちこち旅をしながら長い階段をのぼってきた小沢氏が、現在の感性でもう一度あのころの曲を再編集して呈示するコンサート。
そしてワタシが思ったのは、このコンサート全体のメッセージも「二段階構造」なのではないかということです。
「あのころキラキラした少年性を歌っていたぼくも、長い階段をのぼって、いろんなことがあって、年相応の準備と鍛錬をして、今こうして歌いきっている。だから君も、負けずに、長い階段をのぼっていくんだよ」
そう、このコンサート全体が、18年前に胸を痛めて《愛し愛されて生きるのさ》を聴いてた世代に向けたメッセージ。やや我田引水だが、そう考えると少なくともワタシ(たち)にとってはとってもスッキリ合点がいくのです。
もう一度。「ポップスとは、高度資本主義社会の円滑な稼働に向けて大衆の欲求不満を解消させる装置として、自家用車、テレビジョンと並ぶ20世紀アメリカの三大発明である」。
だとすれば、高度資本主義社会の中核にいて、はたまた家庭も持っていて、18年前からベルトの穴が3つぐらい外側に移動していて、なかなか18時30分から4時間もの時間を預けられない中年男女が、ポジティブに長い階段に向かっていけるパワーをもらえる音楽こそが優秀なポップスと言えるでしょう。
以上、同世代に向けて、東京初台で小沢健二が奏でたポップスのこと。4月12日、東京オペラシティ、18時30分開演、小沢健二コンサート『東京の街が奏でる』―――
||リンク用URL ||
■ 20120408/小沢健二『LIFE』のキラキラアレンジによる多幸感について。
今週木曜日、小沢健二のコンサートに行く。「コンサート嫌い」(ただし生野球観戦好き、生演芸鑑賞好き)の私としては珍しいのだが、ここ(「2010年のドアノック・ダンス」 )に書いた経緯もあり、今回は特別。チケットも譲っていただきたいへんに有り難い。
さて、先週、リアルタイム世代と小沢健二を語り合う機会があり、そこである非常に趣深い言葉を聞いた。「アルバム『LIFE』の多幸感がいい」。
タコウカンという言葉は初めて聞いたが、名作アルバム『LIFE』を主語に置いたら、それが「多・幸・感」であることがすぐにピンと来た。そうそう、多幸感。
考えるに、あのアルバムの多幸感はかなりの部分、そのアレンジに依っている気がする。バンド編成に加えて、弦(ストリングス)とラッパ(ホーン)が鳴り響いている、あのキラキラした音。「キラキラネーム」ならぬ「キラキラアレンジ」。
代表的なものを挙げれば、《ぼくらが旅に出る理由》のイントロ。ポール・サイモンの
某曲に酷似したイントロなのだが、弦とラッパがこれでもかと響き渡る。特に弦のポルタメント(冒頭の、上にキューンと上がるところ)なんかはシビれる。Oh!多幸感。
VIDEO
今、冷静に思い出してみると、小沢氏がなぜ当時に、このようなキラキラアレンジを選択したのかがよく分からない。明らかに時代の中では浮いている。バンドブームが終わって、小室系のデジタル四つ打ちの時代が始まる中で、全く異質なキラキラ音。
超デッドな音に徹した前作の『犬は吠えるがキャラバンは進む』のセールスがそれほどでもなかったこと(かなりの大キャンペーンをしたと記憶している)への対応や、盟友小山田圭吾がダンスミュージックの方角に進んでいく状況に対するアンチだったのだろ
うか。
さて、このキラキラアレンジ、当然のことながら、この『LIFE』の時点で生まれたものではない。というか、そもそも歌謡曲というものはすべてキラキラアレンジだったわけです。
どれでもいいけれど、たとえばザ・歌謡曲と言える《ブルーライト・ヨコハマ》(1968)の泣く子も黙るイントロ。ギターとチェンバロのジャーンに始まり、弦がすーっと漂う上にトランペットがメロディを奏で、それをギターとチェンバロが受け継ぐ。
VIDEO
スタジオの光景を想像していただきたい。大きいスタジオがあって、そこにジャズくずれのヒゲを生やしたドラマーやベーシストがいて、そこに貧乏音大学生のバイオリニストが緊張して入ってきて、そして控え室では長老のトランペッターがショートホープを咥えて花札をしている。そこにヘッドフォンをして指揮棒を持った筒美京平がおもむろに登場し、「せーのっ」でこの音を作り上げる。
この光景のなんとリッチなこと。今だとこれくらいの音のだいたいはPCひとつで作れるはずですが、それでも生演奏の魅力にはあと数%至らない。だから2012年の今、この《ブルーライト・ヨコハマ》のキラキライントロを聴いて奮え、そして多幸感を感じるのです。
そんな、全盛期歌謡曲の多幸感を感覚的に知っていたから(だから後に筒美京平本人とコラボレーションする)、かつ『犬キャラ』の反動、そして小室氏や小山田氏には決して創れない音だから、小沢氏は1994年の段階でキラキラアレンジを選択したのではないか(それにしても頭文字が「小」ばかり)。
憶測は尽きないが、とにかく突然変異的に世に投げ出されたキラキラ『LIFE』によって、当時の不遇なスージー君がどれだけ救われたことか。
1994年の『LIFE』。1994年のキラキラアレンジ。バブルが崩壊し、テレビ局と広告代理店と音楽出版社が徒党を組んで、ポップスの世界が商売まみれの世界に転げ落ちていく 寸前に、キラキラした音でワタシたちを多幸感でいっぱいにしてくれた『LIFE』。
噂によれば今回のコンサートはシンプルな編成であまりキラキラしていないらしいが(笑)、それも考えようによっては2012年的な風景だろう。初台あたりを風を切って歩いて向かいたい。
||リンク用URL ||
suziegroove@nifty.com
Copyright © 1999-2012 Suzie Suzuki &
Attackammo office
suzie