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20120122/羽曳野のダルビッシュくん、テキサスに行く。

ここ数日いろんなところで書いたが、ワタシはダルビッシュ有を「日本プロ野球史最高の投手」だと思っている。

時代が違うから比べるのも実に不毛なのだが、確かに「1959年の杉浦忠」「1961年の稲尾和久」「1968年の江夏豊」は壮絶だっただろう(生で観ていない)。ただし客観的な視点で冷静に考えれば、「2011年(までの数年間)のダルビッシュ」は彼らを上回ると思う。

それぐらい、この50年間の日本野球の進化は凄まじいはずだし、だから多分、いまの千葉ロッテでもV9巨人に勝てるのではないか(勝:成瀬、負:堀内、本塁打:大松10号、王55号)。

さて、ここ数日の「ダルビッシュ騒ぎ」でワタシの心にいちばん深く刺さったのは、彼の記者会見。それも自信満々の発言(当たり前だ。球史最高の投手なのだから)ではなく、このひとことだ。

―――(問.注目されることをどう思うか)「『大阪の羽曳野市で生まれ育った野球好きの子ども』ということは変わらない。日本でもそうだったが、注目されることには戸惑っている」

羽曳野(はびきの)。ワタシが生まれ育った東大阪市にほど近い河内の小都市。ワタシが近鉄大阪線ならダルビッシュは近鉄南大阪線。才能は月とスッポンの爪の垢ぐらい違うが(こんにちは、垢です)、同じように生駒山を見ながら育ってきた少年だった。


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「街はずれ」という言葉があって、河内のあたりを表現する形容として実にふさわしい。大阪市内ほど都会ではない、豊中や池田の阪急沿線ほど裕福ではない、なんとかニュータウンほど新しくはない、かといって和歌山に近い和泉のあたりほど寂れてはいない。まさに「街のはずれ」。

東大阪、八尾、松原、藤井寺、羽曳野。まぁ、柄はお世辞にもいいとは言えない、どちらかと言えば貧しい、ただいわゆる田舎ではないので「都会に出ればなんとかなる」という希望もない。ある意味でもっとも末期的な街と言えなくもないのだ(だから平田信が東大阪に住み着いた理由もなんとなく分かる)。

このような育ちである「河内の子」の郷土観は複雑である。過剰な郷土愛もなければコンプレックスもさほどない。ただ、末期的な街で育った変な自信みたいなものがあって、それは、より都会の人間にもより田舎の人間にも負けないという感覚。スモッグと町工場とヤンキーと日本一汚い(と言われた)大和川という末期的風景で育った力強さとしたたかさ。

あまりよく知らないので憶測で語りたくはないが、河内という地に育ったイラン人ハーフの少年としてはそれなりの軋轢もあったろう。彼の弟の素行にもいろいろと複雑な背景が感じられる。羽曳野生まれというベースに、そのような育ちの複雑さも含めてダルビッシュの強靱さがある気がする。

「『大阪の羽曳野市で生まれ育った野球好きの子ども』ということは変わらない」とアメリカ人記者に言ってのけるセンス。同郷(と言ってしまおう)のワタシが彼の成功を予感するのは、「日本プロ野球史最高の投手」という事実よりも、この精神面への強い信頼からである。



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20120115/不定期連載「世界一簡単なギター教則本」第1~2回

ひょんなことからFacebook(http://www.facebook.com/suzie.suzuki)上でこのような「連載」を始めました。ご興味のある方はぜひフィード購読下さいませ。

第1回「ギターはケースから出して裸で立てかけておこう」

昔、英語の先生が言った言葉で忘れられないのが「英語の勉強は、まず辞書のサックを捨てることから始まります」。サックとは、辞書をすぽっといれる紙製の包みですね。その先生はサックや、辞書本体についているビニールカバーをその場で捨てろと指示しました。要するに、辞書を何度も見るのが英語の勉強なのだから、余計な手間が必要となるサックやカバーなど百害あって一利もなしだと言うのです。

ギターを学ぶことも同じで、思い立ったらすぐにギターに触れられることがたいへん重要です。つまり、「ギターの勉強は、まずギターをケースから出し、そのケースを押し入れにしまうことから始まる」のです。

同様に、ギターをいつもピカピカにキレイにしている人がいますが、プロならともかく、いまから、とにかくなんでもいいからギターを弾けるようになりたいというド素人のあなたにそのような習性は危険です。乱暴に扱ってもいい、キズつけてもいいから、とにかくギターを何度も触って、弾いて、感じることが重要なのです。

写真は「港南台のジミーペイジ」、スージー鈴木先生の部屋です。ギタースタンドが安く売られていますからそれを買ってきて、このように裸で立てかけておくのです。どうでしょう、この雑な置かれ方は。でも主役は自分。自分が弾くこと、弾く快感であって、ギターが主役では決してありません。第1回の結論、いつでも手に取れるようにギターはケースから出せ、そして雑に扱え、です。

第2回「まずは2~4弦だけで『Everyday People』を弾こう」

さて第2回です。いきなりですがもう一曲弾いてしまいます。今回は省略しますがチューナー(安くていいのがいっぱいあります)を使って完璧なチューニングをしたあとで、2~4弦だけを使います。逆に言えば1弦と5~6弦は使いません。外してもいいですがそれも面倒なので、セロハンテープを弦とネックをつないで貼ってミュート(消音)してもいいですね。

実は2弦、3弦、4弦はそれぞれシ・ソ・レの音で、これを一気に鳴らすと【G】のコードになります。勘違いされがちなのですが、コード(和音)とは使う音の組合せ(【G】ならソ・シ・レ)を示しているに過ぎないので押さえ方は無限にあります。この、何も押さえない(=「開放弦」)2弦、3弦、4弦も、見かけはヘナチョコですが立派な【G】コードなんですね。

(このパラグラフは少し上級者向き)ちょっと余談に行きますが、同じメジャーコードでも音程が変わると雰囲気が変わると思います。私の感覚で言えば【A】=明るい元気者、【B】=貧血気味のガリ勉、【C】=温和な優等生、【D】=やんちゃ坊主、【E】=喧嘩好きの番長、【F】=メガネの芸術肌、そして【G】は底抜けに明るい体育会系のイメージです。屈託がありません。そうですね、The Eagles『Take It easy』(http://youtu.be/5zuhxfrXocw)のキーが【G】であることが全てを象徴している気がします。西海岸風味のコード、【G】。

さて、この世界一簡単なギター教則本で用いている「鈴木メソッド」のキーワードは感動です。あなたは今【G】が弾けるのです。西海岸の底抜けに明るい太陽と風を手に入れたのです。「じゃ【G】の次は?」などのさもしい思いに駆られるのではなく、今、もうすでに「【G】が弾けたこと」に感動しましょう。感涙してもいいです。

はい。ではさっそく一曲弾きましょう。突然ですが1968年のビルボードナンバー1に輝く名曲、Sly & The Family Stoneの『Everyday People』です。この曲は延々と【G】だけで進行します。なのでなんと2~4弦だけを適当に鳴らしていれば伴奏が出来るのです。

ちなみに歌詞は「黄色い肌したヤツが黒い肌を受け入れない。黒い肌のヤツが赤い肌を受け入れないし、赤い肌のヤツは白い肌を受け入れない」など人種問題を歌った曲です。ま、この曲が好きかどうかはともかく「弾きたい曲を弾くのではなく、弾ける曲を弾いて、感動する」。これが鈴木メソッドのポイントです。ではまた。

(注)添付した『Everyday People』のYouTube音源はキーが【G】より少し高く【A♭】との中間ぐらいになっています(テープ録音の当時にはよくあることです)。この映像に合わせるならチューニングをやや高めにしてください。



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20120107/新年のごあいさつ~唯一性と永遠性について。

紅白歌合戦の椎名林檎のステージが圧倒的に良かったですね。何が良かったかといえば、歌が上手いとかそういうレベルではなく、「いま、世界中でこのパフォーマンスが出来るのは彼女しかいない」という、いわば「唯一性」みたいな部分が良かったと思うのです。

トヨタのCMでブロンディの《ハート・オブ・グラス》が使われていて、それでふと、この曲の元ネタといわれたサディスティック・ミカ・バンドの《ヘーイごきげんはいかが》を思い出して、そこからミカ・バンドをこの正月休みによく聴いていました(そうなんです。嘘のような本当の話、「元ネタ」なのです。 サエキけんぞうさんご本人から承認ツイートをいただきましたもの)。

聴くアルバムは『ミカ・バンド・ライブ・イン・ロンドン』。まぁこちらも圧倒的な演奏。実はこの演奏が繰り広げられた1975年秋の段階で、イギリスではチョッパーベースという奏法があまり知られていなくて、後藤次利の派手派手なチョッパー奏法がかの地のロックキッズの度肝を抜いたといいます(当時のイギリスの新聞に「ツグトシ・ゴトーのフラメンコ奏法」と書かれています)。

ただ、このアルバムを聴いて不思議に感じるのは、リーダー加藤和彦の存在感がとても薄いことです。言ってみれば「サディスティックス(高橋、高中、後藤、今井)featuring ミカ」の演奏になっていて、「リーダーの加藤和彦はこの演奏でほんとうに達成感を感じていたのか」ということが気になりはじめたのです。

音楽家というより、スタイリッシュに新しい文化・風俗を雑食していく人だった加藤氏が、あこがれの地のロンドンで、チャイナ服を着て、《黒船》などのオリエンタルな曲を、曲芸みたいなベースやギターをバックに歌って、あげくの果て「我々が見た一番背の高い日本人」なんて言われ方をすることは、加藤和彦の本意じゃなかったんじゃないか?

それからミカ・バンドは、加藤和彦とミカの離婚もありすぐに解散します。ただそんな離婚がなくても、もしかしたら加藤和彦はもうミカ・バンドという器に限界を感じていた、飽きていたような気がします。単なる一リスナーの憶測ですが。

さらに一昨年の加藤和彦の自殺。正月からこんな話もどうかと思いますが、このサイトで しつこく何度か書いているように、音楽家として自らの永遠の立ち位置を見つけられなかったことがその背景にあるような気がして仕様がないのです。

さて、ミカ・バンドのあの演奏は1975年のロンドンにおいて、こちらも「唯一性」あるパフォーマンスだったわけです。でも2012年の正月にワタシはこう考えるのです。

「唯一性」だけじゃダメなんじゃないか、「永遠性」がなければダメなんじゃないか。

紅白の椎名林檎には「永遠性」も感じることができます。つまり、「ワタシはこのような歌を歌っていくぞ、そして紅白という日本の芸能界の頂点でこのような違和感ある輝きを保っていくぞ、永遠に」という覚悟が見えます。

ひるがえって、ミカ・バンドには「唯一性」はあれど、もう本当に一瞬の花火のような、ガラスのようなパキパキの輝きがあるだけで(それはそれでとても魅力的なのですが)、椎名林檎のような覚悟は見えてこない。むしろ加藤和彦の限界やあきらめが臭ってくる。ミカ・バンドは大好きでこれから何度も聴いていくはずですが、ただ今、ワタシが求めていることは椎名林檎の方角なのではないか。

長くなりました。野球で、音楽で、お笑いで、「唯一性と永遠性」あるパフォーマンスを追っていきたいと思います。あわよくば自らの「唯一性と永遠性」あるパフォーマンスも追求したいと思います。こんな感じで暑苦しく、今年もよろしくお願いいたします。



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