20030929/大阪の笑い。
夢路いとしさんが亡くなりました。78歳。
ベタで、暴力的で、阪神ファンで、「みんながボケ・ツッコミ」で・・・などの大阪パブリックイメージが出来あがったのは、実はつい最近、90年代だったような気がします。
より具体的に言えば「吉本新喜劇ギャグ100連発」というビデオが発売された時期。
つまりは「東京人から見た大阪人の特殊性」を強調するような大阪像。吉本で言えば、物体?としての分かりやすい特殊性を持つ島木譲二を珍重する風潮といいましょうか。
私はこーいう風潮が好きでもあり、嫌いでもあります。大阪出身の私ですから、島木譲二「も」好きですが、それ「だけ」が大阪の笑いだ、と思われることには異論があります。
大阪には、もっとソフトでやわらかな笑いの文化があったはずだ。東京から見てどうのこうのではなく、純粋に大阪の人間が見て笑える、大阪の笑い。それは、そんなに誇張されたものではないはずだ。
いとしこいしの笑い、特にいとし師匠のボケには、そんな「本当の大阪の笑い」のあり方への手がかりがあったと思います。
大阪は、今こそそんな笑いを取り戻さなければならない。まだ花紀京さんが生きているうちに。
20030928/怒り、その2。
また、頭に来ています。例のクソオヤジについて。
でも、あの球団は歴史的に見て、そもそもあーいう球団なのであって、今さら激怒するという問題でもないでしょう。
頭に来ているのは、タイミングです。さぁ、福岡ダイエーが優勝か!?というタイミングで、あーいう騒ぎを起こすのは紳士的ではないでしょう?(「紳士たれ」だってさ・・・笑)
ホントは、あんな球団のあんな騒ぎを1面にするなと。福岡ダイエーの試合こそが1面だろう。もっと言えば、狂ったように強い千葉ロッテがカラーの3面でしょう?・・・と、日刊スポーツには言いたいけど(宅配読者なので)。
でも、まぁ、あの球団のファンって多いみたいだから、あーいう騒ぎが起きたら、1面にせざるを得んですわな。無茶なことは申しません。
だからこそ、少なくともパの優勝が決まってから騒ぎを起こすべきだった。私が怒っているのは、そのポイントに尽きます。
ただいま、9/28(日)の午前1時。さぁ、今日の1面こそ、マジック1ながら、またサヨナラ本塁打打たれた福岡ダイエーの記事が1面でありますように。
20030925/怒り。
なんだか頭に来ることが多いですねぇ。そうです。ワタシ、頭に来ているわけです。
(1)ナベツネ。クビならクビにしなさい。残留なら残留。ハッキリするんだ。たった3日間でコロコロ意見を変えるな。
(2)野球マスコミ。そんなテキトーなナベツネの意見なぞ、スポーツ新聞の1面に持ってくるな。本文でナベツネ批判しときながら、その批判したナベツネの下らぬ暴言を1面で取り上げるのは、納得いかんよ。最も強烈な「ナベツネ批判」は、徹底無視することだ。
(3)小泉純一郎。人気復活らしいじゃないですか。分からん…。2年前?にあれだけミーハー的に飛びついといて、景気低迷が続いたら文句ブーブー言って、また人気復活? そんなテキトーな反応をしている連中の気持ちが分からん。
(4)阿倍晋三。「おしゃれでカッコ良くていいですよねぇ」byニュースでの街角インタビュー。小泉の反省がいかされてない…っていうか、カッコイイか?
適度なミーハーは人生を楽しくする。でも過剰なミーハーは、犯罪的だ。
20030922/豊作。
ギャグと思っちゃいけないよ。「狙い」と思っちゃいけないよ。

「談志2レボリューション(ダンシ・ダンシ・レボリューション!)」こと、立川談志が放つすんばらしい一曲、題して《アメリカ》。
日本人で、これだけ正しく「アメリカ」を語ったのは初めて、という感じの歌詞。ただ、それが説教に終わらず、マジで踊れる最高なダンスミュージックになってる。
買うべし。

大西ユカリと新世界が歌う、大阪近鉄応援歌《レッドdeハッスル》。週ベの連載用に聴きました。もう本当にコレも最高。
世の中全体が阪神阪神、というこのタイミングにリリースっていうのが、なんとも最悪だが、それもそれでいい。阪神騒ぎに目もくれない気骨ある大阪近鉄ファンだけが聴いてくれたら。
大阪近鉄のHP、及びショップ「バフィー」の先行発売分は完売らしいが、上リンクのように10/22に再発される模様。
これも、買うべし。
20030916/甲子園と幕張に捧ぐ。
20030912/大阪芸大、たった4人の「生徒」たちへ。
3日間のスクーリング、お疲れ様でした。前回も合わせると計6日間。いやほんとに。
「漫画」とは直接関係ない話でした。別に広告とかマーケティングとか、純粋に漫画の技術を追求するという意味では無関係の話です。知らなくていいことです。
でも、できることなら、自分の書いた作品を一人でも多くの人に見てもらいたい、そして喜んでもらいたいというのは人情なのです。
またそーいう人情を持たなければ、よくありがちな「俺の才能が分からない世の中がダサイんじゃ」的なマイナー志向となってしまいます。
だとしたら、今回学んだ(はずの)「ある商品の魅力をどう切り取り、どう表現するか」ということは、参考になると思います。
と、「先生」口調で概論めいたことを語るのも気が引けるので、自分自身の話を少し。
ワタシには、特にこのジャンルで表現したい、という特定の「ジャンル意識」はないです。確かにこれまで地味にやってきた(会社以外の)仕事も、音楽から野球まで幅広く。媒体的にも、雑誌から、ラジオ、テレビ・・・。もう雑食です。
でも。「なにか自分で考えたことをメディアに載せて、世の中に広く発表したい」という意志は今でも強く持っています。そんな意志が、当HP更新のエネルギーでもあります。
で、「発表」の機会には、いつも「果たして、自分が考えたことは世の中はオモロがってくれるのだろうか? 関心を持ってくれるのか?」と問いつづけています。
ま、とは言いながらも、未だに地味でマニアックに活動に留まっていますが、そんな状況にいることはやっぱり通過点と思いたいですから。マイナー志向には決してなりたくないですから。
アニマルズよりもビートルズ。ショーケンよりジュリー。ツイストよりサザン。ジュンスカよりユニコーン。キック・ザ・カン・クルーよりもリップスライムを推します。理由は簡単。売れたからです。もっと言えば、自己表現と売れることを見事に両立したからです。
そんなこんなが、「ポップ」ということです。ポップでありつづけましょう。マイナー志向にはいつだって寝返ることは出来ます。くすぶるエネルギーがあるかぎりは、限りなくポップへの意志を持ちつづけましょうよ。
お疲れ様でした。またいつかどこかで。
20030907/「プロ野球ニュース」のラディカリズム。
なんだかこの季節になると野球ネタが続きます。
昨日のT-YB(甲子園)の試合で、変なことがありました。横浜の攻撃でダブルプレーかと思われた瞬間、ファーストランナーの内川が両手をあげた妨害スライティング。
その手に送球があたる。守備妨害かとの抗議もあったが認められず、阪神はピンチを広げてしまったという。
で、どの新聞もニュースもやんわりと内川を批判しているに過ぎなかったのだが、(千葉ロッテが勝ったときだけ)毎回観ている、スカパー739ch「プロ野球ニュース」の佐々木信也は、すごかった。
『あーいう内川のようなランナーに対しては、彼の顔面めがけて、送球してやるべきなんです。そうすると、あんな走塁を二度としなくなります。』
オモシロイ! いや内川くんには何の私情もないが、キャスターが強烈なメッセージを発しているというのは、日本のスポーツニュース界、いや報道界全てをみても、珍しい貴重なことだと思います。
いまの「プロ野球ニュース」は微妙なところがあって、いい意味ではこのような「強烈なメッセージを持つ優秀な番組。悪い意味では「オヤジ評論家のグタグタ・トーク番組」とも言えるのですが。
でも民放のスポーツニュース(もしくはニュースの中のスポーツのコーナー)に比べると120倍イイことは確かです。
加藤博一は無理なギャグを挟まなくてもいい。デーブ大久保は民放の方に出たいのならこちらにば出なくてもよい。ここは民放じゃないんだ。濃い野球ファンだけが金を出してみる「選ばれた番組」なんだから。(だから訳の分からん女子アナも出なくていいぞ)
さあ、明日から西武=千葉ロッテ。千葉ロッテの戦いがペナントレースに「意味」を持つときがきた。最低でも3タテくらわして、「阪神=福岡ダイエー」のシリーズ決定に向けて、駒を一気に進めてくれ。
20030903/今岡よりもスゴイ男。
例えば、じっくりと数字を見て連想を広げてみるのも、たまにはいい。
||まず、ここをクリック||
まず打率が「.366」とくるわけです(9/2現在)。で、じゃ試合数が少ないかというと「108」なので、ほぼほぼ全試合出場してる。じゃあ小兵なのかというと本塁打「26」。よく打ってる。
ワタシがかなり驚くのが出塁率「.481」ってやつですね。よく知らないけどほぼ2打席に1打席出塁してるってすごくない? その上、長打率「.650」。
長打率って、素人?の方には分かりにくい数字なのですが、確か「塁打数」÷「打数」。一発ホームラン打っただけの場合は「4÷1=4.000」となります。要するに稼ぐ「塁打数」の期待値。
つまり彼の場合は、ま、大体は「0.65塁」まで到達するということなのです。コレワスゴイコトダトオモイマセンカ?
阪神優勝で騒ぐのもいいですが、パリーグの4位の球団に、こんなエキサイティングな選手がひとりいることにも注目した方がいいと思います。
20030826/カモン・ボビー!!
ワタシの考えを言わせてもらえば、別に弱くたっていいのですよ。いや。いいわきゃないけど、少なくとも「弱いと全てがダメだ」というわけじゃない。
一番ダメなのは、独自の戦略、クセ、ネタ、色のない戦い方。例えば、バファローズの「いてまえ打線」なんてのは、弱いか強いかは別にして、あのチームならではの確固たる「色」として輝いている。
相変わらず「無色透明」な戦い方をしています。なんだか全てが中途半端で。「日本で最も●●なチーム」の「●●」に入るワードがないですよね。入るとしたら「チュートハンパやなぁbyちゃらんぽらん」って感じ。
チームを愛していなかった近藤昭仁監督から、山本監督になったときは、かなりの進歩だと思いましたが、5年経っても「●●」が見えなかったことは残念でなりません。
さて、本当にボビー・バレンタインは来てくれるのか? まだ不安もあります。万が一のために、ワタシが勝手に「次期監督希望ランキング」を作っておきます。なんかの参加にしてください(なんのや?)
ボビーバレンタイン(言うまでもなくNo.1)
大矢明彦(この人を在野に置きすぎてはいけない)
レン・サカタ(いまどこに?)
平野謙(次期監督と思っていたが)
牛島和彦(コーチ経験さえあれば。野球頭脳は最高)
(次点)岡田彰布(無理か)
(論外)有藤道世(ありえねー)
20030821/野球とお笑いの間で考えたこと。
「王シュレット問題」が大変なことになっています。例の「水10」で宮迫氏が福岡ダイエー王監督をネタにしちゃった事件。
まず言いたいことは、「王監督がお笑いのネタにされることは、ある意味しょうがない」ということ。だって長嶋や星野、野村よりも記録が「分かりやすく超人的」だから。
868本とか、一本足とか、つまりは非人間的なキャラのイメージが強い。だから礼節を欠いちゃうという構造はあるでしょう。「星野シュレット」だとネタにならない。
で、ここからが本当に言いたいことなんだけど。
そもそも「王シュレット」って、ネタそのものとして革命的にツマラなくないか? めっちゃくちゃ寒いネタじゃないか?
実は「水10」の前身、「ワンナイR&R」はかなり深く見ていました。で、そんな流れで「くず」にもハマりましたさ。
でもこのHPの過去分をさかのぼっていると、既に02年の1月の段階(「20020121/オリックスブルーウェーブのいい時代。」)で宮迫氏に警鐘鳴らしてます。
先週は「感じるジャッカル」も「ワンナイR&R」もイマイチでしたねぇ。そんな気分で昨夜の「ガキの使い」で宮迫氏が●の穴を出すベタなギャグをしてた・・・だから、もうダウンタウンの番組に出る必要はないのにね。雨上がりは。足元見られてる感じよ。
要するに、宮迫氏本人よりも「くず」自体にシンパシーを感じていたのであって、それ以外の宮迫氏はそんなにオモロイと思っていなかったフシがある。
「くず」は、割とインテリ殺し(?)な要素があって、例えば宇多田ヒカルなんかが彼らにいれあげる理由は分かる気がするんですが。
そんなこんなで、今回の事件。一番腹が立ってるのは、「国民栄誉賞の監督をイジった」ことに対してではなく(そんなことはハッキリイッテドーデモヨイ)、「『王シュレット』という寒いネタで、相変わらずケツを出すという求められてもいない貧困なギャグを、未だに宮迫氏がやっているということ(長い)」に対して、なのです。
ほんとはね。宮迫氏のエッセンスには、実は凄くソフィスティケートされたセンスがあって、また運動神経も抜群。そこがお笑いマニアを惹きつけてて、マニアはケツを出すことの真逆を宮迫氏に求めているはずなんです。(あ、ケツとセンスは二律背反ではないですよ。でもセンスに溢れた「くず」と宮迫氏のケツは真逆)
結局は、宮迫氏の取り巻きが悪いのです。もっといいギャグで外堀を固めてあげなきゃ。
島田紳助とまでは行かないが、桂文珍レベルにはのし上がれる才能があるはずです。今回の事件で辺にバッシングされて、更に方向性を迷ってしまうことにならないか。宮迫氏を案じています。
20030812/最近のモノマネを考える。
音楽の話が続きましたんで、たまには「お笑い」について考えていることを述べてみたいと思います。
最近日テレの「エンタの神様」という番組をよく見ています。お笑い中心の構成になってきてて、陣内智則など、才覚溢れる若手芸人を紹介してくれるという意味で、非常に良い番組ですね。
しかし、ひとつだけ腑に落ちない点があるのですよ。若手モノマネ芸人たちです。あの番組で見たのは、原口あきまさやコージー冨田。他にもなんかよく知らないモノマネ芸人が何人か出ていました。
アレ系の連中のモノマネが、笑えないのです。非常にツラいんです。なんでだろう?
具体的に。最近のモノマネの典型をあげれば、原口氏の「バラエティ番組で、ジラした後にボケるネプチューン堀内健」とか。なんかそんな感じ。
問題は「堀内健をマネる必然性はあるのか?」みたいな話です。いや、そんなに難しく考える必要はないんだけれど。
例えば、関根勤が大滝秀治を人選することには必然性がある気がする。似てるかどうかは別として「大滝秀治を真似る(選ぶ)ということ自体が芸」という感じがします。松村邦洋の掛布もそう。要するに「意外性」。これが笑わせるためには重要。
で、加えて、そのような意外な人選をするだけでなく、モノマネ自体に「対象(大滝、掛布)を、自分(関根、松村)はこう捉えているんだ」という「視点」の独自性も笑いへの重要なポイント。
「大滝秀治の喋り方って、やっぱ変だよね」「掛布って悪声だよね」。誰も気付いていなかったであろう、このような視点を呈示することが、笑いにつながる。
最近で一番好きなモノマネ芸は、松村邦洋のキムタクです。松村があの風体でキムタクを選択するという意外性。そして、ドラマにおけるキムタクの喋り方のクセを発見して、強調する。
まとめてみれば「意外な人選をして、その人をこう捉えると面白いよというプレゼンテーション」。これこそがモノマネの醍醐味と思うわけです。
そこが欠落した上で、どんなにリアリティを(写実性)を追求しても、それは笑えない。そんな気がします。
先の堀内健とか、コージー冨田の「バラエティ番組において、久本雅美が笑いながらスタッフの方を見るしぐさの真似」とか。ディティールは似てるんだろうけど、「意外性」にも、「視点の独自性」にも、少しづつ足りないと思う。
また、考え過ぎかなぁ。
20030804/岡村靖幸への手紙。
拝啓、岡村靖幸様。数年前の武道館以来、ひさびさにお姿拝見させていただきました。

あなたの音楽を狂ったように聴いていた大学生時代から10数年の時が経ち、ワタシ、30代も後半のオジサンと化してしまいました(ということはアナタも30代後半…)。しかし年甲斐もなく、最近ではリップスライムを好んでいるような「変なオジサン」です。
昨日の「ロックインジャパン」に足を運んだのも、基本的にはトリを務めるリップスライムを見たいという気持ちで、そしてその次にはバンプ・オプ・チキン。「岡村ちゃん復活」という話も聞いておりましたが、真偽のほども含め、にわかには期待できなかったのが正直なところです。
予想に反して。あなたが登場した瞬間、観客の盛り上がりは最高潮に達しました。そして昔と変わらぬダンス! 観客の笑い。すべてが昔のままでしたね。あの笑いは決して30代後半として、ちょっと太ったアナタを笑っているのではなく、「カッコよすぎることからくる笑い」です。10数年前にも、確か聴衆はみんな笑ってましたもの。
しかし(ここは予想通り)、パワフルなダンスとシャウトでかなりお疲れになってのではないでしょうか? 途中から歌うのもシンドイという感じが見うけられました。そしていつものピアノアドリブ大会のあと、そそくさに退場。あまりにも残念でした…とはいいながら約束通り1時間キチっとパフォーマンスするということも考えにくかったですけどね。
ここからはあなたのお気持ちを、いちファンとして僭越にも推測させていただきますが、多分「リズム/ビート」に関する時代感覚の変化に対してのイラダチが、あなたをここ数年、沈黙させていたのではないですか?
例えばクラブの波及、ラップの隆盛、そしてドラムンベースとか。よりビートに対する過激な志向が世の中に広まっていく事実を見るにつけ、一時期「日本で最も過激なビート創造者?」だったはずのあなたがどんな手を打つべきか悩んでしまったと考えるのは、深読みしすぎでしょうか?
このことは言い方を変えれば、80年代後半、すでにアルバム「靖幸」の段階で、90年代の音楽的手口を全て先取りしてしまっていたという、あなたの功績にも依るところですが。
例えば、あなたの後に出演したリップスライム。日本語のビート化という意味での最先端のグループだと思いますが、でもワタシには、岡村→リップという「系譜」が見て取れます。同じ流れの中に位置付けられると思っています。(蛇足ながら、リップのパフォーマンスは、前回書いた立川昭和記念公園のソレより圧倒的にイイものでした。音響装置のクオリティの差と思われます)
だから、あなたには次の「手口」を期待したいのです。ビートを突き詰めていくということがもう年齢的に(?)無理であればそれでもいい。でも例えば、あなたにはメロディメーカーとしての才能がある。《カルアミルク》のような素晴らしいバラッドが作れる。それなら同世代のワタシたちを泣かせ酔わせるような涙チョチョギレメロディを作りつづけるという発想。
CD市場が低迷しています。でも36歳、いや40歳以上の「オジサン」で、自分たちのためのメロディに飢えている連中は沢山いるはずです。イマ的な《カルアミルク》《イケナイコトカイ》を求めている連中、います。絶対に。
例えばそういうことです。あなたにしかできない新しい手口、新しいテーマを。ダンスやシャウトはリップなどの「子供たち」に任せればいいのです。
それならば1時間でも大丈夫かも知れませんしね。以上、万が一読んでいただくことが出来れば…。
追伸:あなたとの出会い方はこんな感じでした。
20030722/リップスライムへの老婆心。
立川駅から40分ぐらい歩きましたか。もうそれだけで疲れたんですけど。まあ若い人はいいとして、もしやワタシ、36歳、あの5万人の中で最長老だったかも…
あ、これは7/20(日)に行われた「リップスライム"summer
madness 03"」と銘打った野外ライブの話です。at国営昭和記念公園にて。

ウワサは聞いていたのですが、イイなと思ったのは開演時間(18時)キッカリに始まるということです。「キッカリ」って、もうホントにキッカリに始まるんですよ。カウントダウンまであったり。
で、終了時間は20時。てなわけで、2時間の、ある意味では短いライブなんですけどね。
ワタシ的にはまずこのことに好感が持てました。長けりゃイイってもんでもないですよね。野球もライブも。大味な打撃戦を4時間超見せられるよりも、緊張感ある投手戦2時間半のほうが絶対イイもんね。
逆に、この系統のライブでしんどいな、と感じたのが(当たり前のコトながら)「バックトラックが既に出来あがっている」という事実ですね。
つまり、バンド演奏なら観客の反応を見ながらアドリブを入れたりエンディング延ばしたりできるが、ヒップホップ/ラップの場合は基本的にしんどい。出来なくはないでしょうが、少なくとも今回はカラオケそのまま、でした。
となると、観客とのinteractivityを演出できるのはラップの詞、となる。もっとその場に応じての「言葉遊び」があっていいと思いましたね。(瑣末なことですが、ちょっと流れた「野外ライブの楽しみ方」みたいな謎の映像もオモロイ。あーいうのももっとやるべき)。
さてさて、「02年レコード大賞」(当社比)に輝く名作アルバム『TOKYO
CLASSIC』に続いて先週発表された『Time to
go』で志向されているのは、誤解を恐れずに言えば「大人のリップスライム」への転換です。

前作での(いい意味での)シッチャカメッチャカ感を脱して、バックトラックも落ちついた方向になり、また、より歌詞を聞かせる音作りに変化しています(特にSU君のパート)。
このことは、一種の定向進化と言えるでしょう。どんなグループも必ずこの道を通ります(ユニコーンで例えれば『TOKYO…』が『ケダモノの嵐』で、『Time
to go』が『ヒゲとボイン』でしょう)。
そんときに、彼らが当初持っていた、(有り体なヒップホップスタイルに拘泥しない)自由さ、元気さを持ちつづけることが出来るか、が今後の勝敗の分かれ道になるでしょう。
これまでの彼らが、(よく知らないけど)結成時からのもともとの原初的?モチベーションによって偶然の産物として傑作を放ちつづけてきたのだとしたら、今後は「戦略」として、原初的モチベーションを「活用」し、自由さ、元気さを「演出」していくべきだ、と思います。
長くなりましたが、言いたいことは、アルバムにもライブにも、もっと「遊び」があっていい、ということです。単なる遊びじゃなくって、周到な計算に基づいた狡猾な「遊び」、を。
5万人相手にしても、かる〜く、あかる〜く遊んじゃう。サザンにはそれが出来た。ユニコーンは出来そうになった寸前に解散した。でもリップスライムには出来るはず!出来つづけるはず!
期待しています。もうホントに君たちだけが頼りなんだから。
20030714/「通りすがりの者」さんのご意見に対して。
知り合いからのクローズドな書きこみではなく、久々に見知らぬ方(「通りすがりの者」さん)からの貴重なご意見が掲示板にありましたので、ご返答します。
貴方は何か勘違いしています。シーソーゲーム以降の彼の作品がうっとうしいと?もっとすっきりまとめられるはずだと?以前から、近況や本人のメッセージを見聞きしてきた私に言わせていただけば、あの時代の彼は、そうするしかない状態に追い込まれていたのです。
まず、この話のベースになっているのは、(確か)1997年に書いた「桜井和寿=新庄剛志論」です。ま、かなり前の話なんで、時間的な問題に依る相違もありそうですが。
まず原則論を確認します。
@ワタシは(言葉本来の意味での)「ポップス」が好きだ。
A当時のワタシはミスチルを優れた「ポップス」を生み出すバンドとしてカウントしていた。
Bそして、"Pops need no excuse"(ポップスに言い訳はいらない)。
まずBより。これは山下達郎氏の発言からです。つまり「理屈抜き、背景抜きで、ごくごく単純に1曲約3分(3
minutes of paradise)で、世の中を魅了できるものこそが理想のポップスである」ということです。
アーチストが自分の生き方や心情を吐露するような雑誌記事が溢れています。主にそのアーチストのファン向けに。
別にそーいう雑誌があってもいい。かくいうワタシもそんな記事をたまに読んだりしています。(最近ではバンプ・オブ・チキンや、リップスライムなど)。
ただし、やはり理想は、そんな記事を全く読んでないワタシをも魅了する3分間を提供して欲しい。それがワタシが求めるポップスだから。
《シーソーゲーム》は、色んな意味で抜群に優れたポップスでした。個人的には「1995年のレコード大賞」に選んでいます。そしてこれも個人的には、ミスチルのそれ以降の作品は苦手です。ただし、全ては個人的な話なので、意見の相違はあっても当然でしょう。
さて、「通りすがりの者」さんの意見について。「近況や本人のメッセージを見聞きしてきた私に言わせていただけば、あの時代の彼は、そうするしかない状態に追い込まれていたのです」ですね?
残念ながらワタシはそのような情報を「見聞きしていない」のです。そして、少なくとも優れた「ポップス」バンドとして彼らを認識していたので、「見聞きしていなくとも個人的な好き嫌いは語っていい」と判断していたのです。
CDの売上が低迷しています。つまりは「アーチストと濃いファン」の需給関係だけで支えられている市場になりつつあります。そのため、ワタシのような「不特定多数をグルーヴさせてくれ!」という欲求は過去の遺物かも知れません。
しかし、だからこそ、ワタシがサザンや山下達郎、ユニコーン、そしてミスチルに「グルーヴさせられた」甘酸っぱい経験を、2003年の今、大切にしたいと考えています。
当方の文章が古すぎたがゆえの勘違いがあったとすれば、お詫びいたします。ただ、当時あの文章に対して、何通か来た「単なる感情的な反応」とは異なる視点のご意見かと思い、長くなりましたが、「個人的」な意見を書かせていただきました。
20030707/「ぼくの魔法使い」の最終回にはガッカリ。
観ましたか?
と、2回連続同じ書き出しを使ってみましたが、今回はネガな意味です。「ぼくの魔法使い」の最終回。なんだかすごく不満が残るんですけど…。
クドカン作品では「池袋ウエストゲートパーク」も「木更津キャッツアイ」も最終回が非常に良くって、だからこそ語り継がれる作品になったと思うのですよ。
クドカン作品の魅力は、一に会話の妙、二にキャスティングの妙って感じなんですけど、特に「池袋」の最終回のスゴサ(=「ブクロ最高!」)にもあったように、《最終回の妙》というのもカウントしたかったわけです。
「ぼくの…」の最終回と、その前回のトッチラカリ方を見てると、マジに何かあったしか思えないのです。トラブルとかそーいう方向の憶測。
唯一、「広吉代理店」の昔のメンバーが駐輪場に集まって、(ワタシの大好きな)《広吉代理店のテーマ》を歌うシーンのみに輝きがありました。
せっかく古田新太と生瀬勝久の黄金コンピが揃ったというのに、ちょっと無駄づかいな感じでしたね。「ぼくの無駄づかい」。うむ。
やっぱりドラマで「3部作」と語り継がれるぐらいにテンションを維持することは難しいものなのかなぁ…と、あの悪夢のような「ふぞろいの林檎たちpartV」の最終回を思い出しました。