今一度確かめてほしいことはこのアルバムが「Produced, Composed, Arranged & Performed by 岡村靖幸」(クレジットより)であるという事実である。(ほとんど)全て岡村氏がひとりで考え、作り、演奏し、歌って(、そして踊って)いるという事実である。おそろしいカロリーが投入されている。
プロモーションビデオはこれ。テレビ神奈川、室内アンテナの荒れた映像で録画したVHSテープが今でもある。当時、桑田佳祐《いつか何処かで》や山下達郎《Get Back In Love》に陶酔していたワタシのセンスにはとても新鮮に響いた。
突然余談になるが、就職協定をもう一度復活させて、就活は大学4年生(の夏)からにするべきだと思う。大学3年だった88年の夏は、人生の中でもっとも輝かしい思い出。真っ黒になりながらなにも考えず《いつか何処かで》と《Get Back In Love》を聴いていた日々。そんな自由な日々が、人生にはかならずあったほうがいい。
さて、《BE MY BABY》発売のちょうど3年前、「86年」の4月8日と言えば、これは岡田有希子の投身自殺の日。大阪から上京し、東京の大学生としての生活をスタートした月。下宿にまだテレビがなく、大きなラジカセ、AMラジオで自殺のニュースを聞いたことがリアルに思い出される。
つまり、ワタシの大学時代とは、岡田有希子自殺(86年4月8日)にはじまり、《いつか何処かで》(88年3月)と《Get Back In Love》(88年4月)で最盛期を迎えて、《BE MY BABY》(89年4月8日)で実質的に終了、あとは、就職活動のボタンを押して、とるに足らない付録のような1年間がくっついているだけ(しかし音楽的にはその1年間が強烈だった。その話はコチラに)。
話は再び、89年の春。FM番組の最終回が終わり、夜が明けて(深夜番組でした)、その番組にたむろしていた学生が三々五々、半蔵門のFM東京から散らばっていく姿を覚えている。ワタシもそそくさと帰って下宿に戻り、そこから数日間、何もする気が起きず、FM東京でパクった《BE MY BABY》のサンプル盤(アナログシングル)ばかりを聴いていたことを思い出す。