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2002年3月のてくてく
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02/03/30/sat
■潜水艦
同居人と彼の仕事について話していて、ふと疑問に思った。ちなみに彼はいま船にファックスでニュースを送る仕事もしている。送る船は、豪華客船もあれば、大型漁船もあれば、小さな船もあるらしい。
もちろん船がケーブルをひっぱって曳航しているわけではないので、無線で飛ばす。
さぁて、そこで疑問だ。はたして潜水艦はこの無線ファックスを受けられるのか?
「昔のUボートとかだったら潜水艦とはいえ水面下5メーターとかすごく浅いところだったんでしょ。それに長い間潜っていられるわけではなかったんだよね。でも原潜(原子力潜水艦)になってからは長い間潜れるでしょ。どうやって送るの?」
「水中はかなり強烈な出力じゃないと無理だろうしなぁ。どうなるんだろう」
現実的には原潜が無線ファックスニュースを海の奥底で受けようとはしていないだろうけど。でも、陸からの司令とかはどうなるんだろう。ベーリング海の氷の下にいる原潜って、外界とあまりに連絡しにくそうに思えてしまうのだけど。わからーん。軍事オタクのK君にでも久々に連絡をとってみるか。
■ショートカット
ウィンドウズにくっついてくるアイコンを使うのは胸くそ悪いので、アイコンも地味ぃなものを使っている。ブラック・アイコンといい、見慣れない人が見たら、どれもこれも黒っぽい同じような絵に見えるだろう。そういえば関係ないけど、前にデマ・ウイルスにひっかかった人が「アイコンはこれこれこういう色のこういうのです」と説明していたなぁ。それを読みながら私は当然、「アイコンの色だの模様だのを説明されてもそれぞれ好みの環境で使っているんだけどな」と一人つっこんだ。まぁそこまでやっている人が多いとは思わないけど、アイコンを道路標識みたいに思っているんだろうなぁと思って、ちょっとクラッとした。
で、本題は、気に入っていた「ショートカット」のアイコンが使えなくなってしまったのだ。何度も設定し直すが、ダメ。別に何もこわれていないのに。デフォルトの「ショートカット」(いちおう説明すると他のアイコンの片隅につく小さい矢印のことが多い)アイコンがキラキラと目障りでしかたない。
これは一体どういうことだろう。余計なファイルがひっかかっていることがあると調べてきたものの、それも関係なかった。せっかくまるでモノクロのDOS画面みたいにしてあるのにぃ。
02/03/29/fri
■雨
よく雨が降る。3月が終わるとはいえ、雨が降るとまだ寒いのだなぁと思った。
■読了
シルヴィア・ナサー著『ビューティフル・マインド』新潮社
→読み終わったとたんに原稿書き。どうにかこうにか映画の公開日に間に合わせられた。ほっ。数学やゲーム理論そのものがわかる本ではないけれど、研究環境のことや精神を病むことなど、いろいろ考えた。あ、ナッシュはいっさい薬の服用を拒否していたわけではなかったようです。後半はあまり飲まなかったみたいだけど。
…以下、少し独り言。「価値」を考え出すと迷路にはまり込む。ナッシュはたしかに抜きんでた才能があった。近しい人がそう思うのはもっともだ。でも才能のない、ごくごくふつうの、いやもしかしたら才能や能力のなさという点で抜きんでた場合だったら、周囲にどう受けとめられるのだろうか。現実はとても残酷だ。
鐸木能光著『テキストファイルとは何か?』地人書館
→じつは到着したその日にざぁぁっと読んでしまった。著者もほんとは第2章にあたる部分から始める予定だったらしいが、『文藝春秋』2000年4月号の特集「ワープロか手書きか」に端を発した第1章はいらないと思う。そういう話があることをふれるのはいいし、現実的にはまだ「ワープロは清書マシン」と思っている人も少なくないだろうから、導入的にあるのはいいけれど。ただ「もの」としての手書き原稿を考えると、ファンにとってはより感慨深い「読み物」となる可能性もあるだろうと私は思う。それに毛筆で書く作家の個人フォントが開発されたら面白そうだ。そのあたりへの考察はもっといろいろ出てくるだろうと感じるのだ。
とはいえ、全般的には著者の意見にほとんど賛成する。島田雅彦ではなく、この著者が文芸家協会のデジタル担当だったらよかったのにとすら思う。ここ7〜8年、ワープロソフトを使っていない我が身を振り返りつつ(そもそもこのマシンにはワープロソフトは入ってない!)、『痛快!コンピュータ学』『ウイルス、伝染るんです』に並んで私が提唱するパソコン初心者3大必読書となった。
02/03/28/thu
■彦馬・ザ・ヒーロー
やっぱり我慢できなくなって、31日まで上演中のパルコプロデュース公演・三谷幸喜作演出【彦馬がゆく】の当日券電話予約にダメモトでトライしてみた。
あっさりとれた。とれてしまった。
しかもヒトケタの予約番号。今をときめく三谷幸喜だよ。プラチナチケットじゃないの、これ? かなり不思議な気がするが、当日券は一昔前よりも取りやすくなっているのかな。単に公演場所(ル・テアトル銀座)がそうなのかな。前の第三舞台最終公演もそうだった。よくわからないが、幸運をありがたくいただくことにする。
一人2枚までだったので、2枚取ってみた。根が貧乏性なのだ。が、平日の当日券に「行く!」という奇特な人はいない。そんなんプー同様の私くらいだ。同居人、東京のWさん、妹、(私が仕事をいっぱい押しつけた)【瀬尾さん】に声をかけてみるが、ふられる。当たり前である。特に最後の瀬尾さんは、午前中から「あれとこれ、よろしく」と言っておきながら、「取れたんだけど…」と電話をしてみたわけで、「見たい〜」といわれ、自分がちょっと極悪非道な人間に思えたり。ごめんなさい。
ということで、一人で行った。考えてみたら、12年前の初演・スズナリ公演も一人だったと思い出した。そして初演同様、「やっぱり誰かを誘えばよかった」と思った。しみじみといい芝居だ。久々に幕が下りてからずっと拍手し続けて、てのひらが痛くなった。その感覚もなつかしい。ここのところ拍手をし続けたくなる舞台にあまり出会っていなかったのだとつくづく思う。
この作品が東京サンシャインボーイズではいちばん好きだった。
幕末の写真家の家が舞台。上野彦馬という実在する写真家をモチーフにした作品で、三演目となる今回の芝居では小日向文世扮する神田彦馬となっている。幕末という時代に写真を撮るわけだから、撮られる側もそれなりの人々であることが多い。坂本龍馬、桂小五郎など江戸から明治へとかわりゆく時代を駆け抜けた人物が登場する。なかでも坂本龍馬の片手を懐に入れた有名な立ち姿の写真は、まさに上野彦馬の撮影したものだ。
今日調べてみるまではまったく知らなかったが、岩波書店からは『上野彦馬と幕末の写真家たち』という本も出ていた。
【古写真資料館】というサイトにある説明【上野彦馬】によると1838年から1904年の人物だ。【幕末写真館】には約350という膨大な幕末の人々の写真が集められている。このうち上野彦馬が写した写真はどれくらいあるのだろうか。三谷幸喜もパンフレットに「皆さんよくご存知の『坂本竜馬の写真』や『近藤勇の写真』や『高杉晋作の写真』が、実はどれも同じ写真師が撮影していたという事実を知った日の驚き」はよく覚えているというのだから、それなりにありそうだ。
芝居のなかでも、坂本龍馬が写った写真について「【(高知県立)坂本龍馬記念館】にあります」というコメントがつく場面があった。なんとなくその写真を見に行きたくなってくる。
芝居自体は、私にとっては「三谷幸喜」の脚本ということを強く意識させるのだが、それは少し特殊なのかもしれない。彼自身「異色中の異色」と書く(けどウソくさい)。「リアルタイムで二時間ノンストップの一幕劇が多い」のはたしか。「彦馬がゆく」は7年間の話なので、めっぽう長い。
それでも三谷幸喜的な気がするのは、「父親」の位置づけ、描き方からかもしれない。初めて観た三谷作品である「デラシネ父さんのこと」や、観ていないけど映画「みんなのいえ」に近いような気がする。
この三演目を見に行きたくなった理由の一つは、彦馬を演じるのが小日向文世だからというのもある。オンシアター自由劇場ではいちばん好きな役者だった。膨大なデータが整理されている【自由劇場fanclub】に、【小日向文世】個人の紹介もあった。
今日観ていて、初演の時は東京サンシャインボーイズの小林某という役者だったと思いながら、小日向文世の彦馬もわりといいなぁと感じた。ただし加藤健一同様、「何を演っても『小日向文世』」といわれるような気もする。
この人の役柄でいちばん印象的だったのは、自由劇場【クスコ(三演)】のときだ。ちょっとおかしい王子の役が、はまり役だったように記憶している(でも87年のような気がするのは単なる記憶違いか)。その後の公演を見損ねたのが悔やまれる作品だ。もちろん代表作【上海バンスキング(六演)】を観たときも、「うわ、かっこいい」とほれぼれしていたのではあるけれど。
最近はテレビドラマにもよく出ているらしく、声をかけた妹から「誰が出るの?」と聞かれて、知らないだろうなと思いつつ「小日向文世」といったら、「ああ、あの人ね」とすぐにわかって驚いた。
それにしても懐かしい。「上海バンスキング」を初めて観たのはいつだったろうか。おそらく舞台の前の【映画・上海バンスキング】だろう。シアター・アプルとコクーンの両方で観た気がするからだ。
自由劇場を観ながらいつもいつも思ったのは「この劇団は横の動きがとてもうまい」ということだった。それは演出家の個性でもあるのだろうが、役者の横の動きが面白くてドキドキした。奥行きを生かした動かし方よりも、左右のときに冴える。シアター・コクーンの柿落とし公演【A列車】以来、ずっとそう思う(にしても「こけらおとし」をATOK14が変換しないなんて…)。ほんとの柿落としがみたくて、日曜日だった初日のそれもマチネを選んでわざわざいったなぁ。その行為はなんだったのだろう、と、今自分でも思う。
東京サンシャインボーイズについてもどこかに資料がないかなと思っていたら、
【三谷幸喜&東京サンシャインボーイズ DATABANK】
という、非公式ファンサイトをみつけた。ここもすごい。「西村雅之が演じたのは、坂本竜馬役だっけ、神田陽一郎役だっけ」と初演時の配役がおぼろげになっていたのだが、それもばっちり。【『彦馬がゆく』キャスト対応表】で、坂本竜馬と判明してモヤモヤ気分がすっきり。
12年ぶりに観た彦馬は、「全面改定」とのことだった。だが、記憶の片隅に残るシーンと重なる場面が何カ所かあった。それに芝居の雰囲気などはそのまま(当然か)。幕末の志士たちの有名な写真を撮影したのがひとりの人物だということから、これだけの舞台を作り出す三谷幸喜に改めて感動して帰ってきた。
02/03/27/wed
■引き続き大工事と新しい大工事
結局、昨日からやってきた妹のパソコンの大工事は朝4時まで続いた。今日も朝9時前に起き、続きをやる。30半ばもすぎ、もともと「睡眠らぶ」な私には、こういう事態はかなりしんどい。
とはいえ、そこまで行って引き下がることもできず、うまくいかないウィンドウズ98へのパッチあて作業などを再トライ。いわゆるところの「ウィンドウズアップデート」である。「ウィンドウズ至る処穴あり」だからね。
しかし。細々したものをインストールしながら、何回かパッチ当て作業を試みるが、9メガもある「重要な更新」のセットがなぜか「ダウンロード1分」と表示されてしまう。うち8メガADSLとかじゃないんですけど。明らかにおかしい。でも仕方ないからやってみる。1分と書いてあるくせに、20分経っても終わらない。全然動かない。おかしい。3回やってみて諦めた。ウィンドウズのセキュリティのサイトにいって個別に落としてくる羽目になった。あー、めんどう。
それでも、さすがに昼ごろにすべてが完了。あとは自宅のダイヤルアップでの接続設定がまっている。それは自力で頑張ってほしいものだ。出張サービスはご遠慮申し上げたいからねえ。
と、身内の大工事にかかずらわっていたら、今日はいきなり【bk1サイエンスサイト】の工事も始まってしまった。夕方足を運んだbk1で「じゃあこれからやりましょう」となった。
というわけで、【bk1サイエンスサイト】のデザインもリニューアルとなりました。今後ともお引き立ての程よろしくお願いします。
02/03/26/tue
■大工事
妹が来た。何のためかというと、ノートパソコンの調子が悪く、「不正な処理をしました」と強制終了されてしまうから再インストールしたいのだという。デバコな彼女はバックアップもわけわかめなら、再インストールをどうしたらいいかわからず、にっちもさっちもいかなくなっていた。
たまに電話で問い合わされるのにも疲れ、「ええい、早いところもってこい」となったのだ。メモリの増設もさせ、なきに等しい自分で作ったデータ類をDドライブに退避させた。ついでに転がっていたPDにもバックアップしておく。トータルでも25メガしかない。うらやましいような、「お前、いったい今まで何に使っていたのだ」と問いつめたくなるような…。
何に呆れたといっても、「ハードディスクはどれくらいあるの?」「わかんない」、「パーティションは切ってあるの?」「わかんない」。これでもノートパソコンを買ってからすでに2年たっている。
今日、我が家にきて最初にやらせたことは、「自分のパソコンがどういう構成になっているか書き出してみろ」ということだった。もちろんすんなりできるわけでもない。それを「あーだこーだ」いいながら、少しずつ理解させる。
少し前に『痛快!コンピュータ学』と『ウイルス、伝染るんです』を無理矢理読ませておいたのが功を奏したのかもしれない。1年前に泣きつかれたときよりも多少は姿勢が前向きになっている。前は「やんなっちゃう」で終わっていた。
ちなみに「コンピュータは0と1の世界」と言われていたのが、全然わからなかったらしい。それが坂村さんの上記の本を読んで、「2進法ってこういうことだったのね」と「0と1じゃ足りないじゃん」という混沌からほんのちょっと脱出し始めた。私の世代の課程では数学に10進法とか2進法とかがあったのだが、2つ下の妹は課程が違うのでやっているのかどうかわからない。こういうときに「なんでもかんでも『ゆとりだ』とか言って教えないと、その後の生活に支障を来すんだよ」と思ってしまう。2進法がわからなくても、もちろんパソコンは使える。でも、苦手意識を少しずつ払拭するきっかけには十分役立つ。イメージできるかどうかは小さくないちがいだ。
どうにかこうにか再インストールは終了。パッチ当て作業などやっかいなことを経て、明日の朝あたりまでに彼女のノートパソコンは生まれ変わるのだ。だって、同居人も私も「ブラウザはやっぱオペラだよね」と言っている。
オペラを使うデバコ。けっこう希少価値があるかも。
02/03/25/mon
■アカデミー賞
『ビューティフル・マインド』(シルヴィア・ナサー著、新潮社)が原作の映画【映画『ビューティフル・マインド』(公式サイト)】がアカデミー賞をいくつもとってしまった。これか『ロード・オブ・ザ・リング』が本命だったというが、蓋をあけてみれば作品賞、監督賞、助演女優賞などを『ビューティフル・マインド』が、メークアップ賞などを『ロード・オブ・ザ・リング』がとっていた。
『ビューティフル・マインド』は、原作のノンフィクションと映画ではかなり違うようだ。この映画の場合、必ずしも原作に忠実な作りをしてはいないらしい。
さてさて私の原作進み具合は、不調にめげてまだ半分。たしかにナッシュがだいぶ嫌な奴になってきた(笑)。嫌な奴というか、ひどい奴。どうひどいかはぜひご確認ください。なんかネタバレ注意報が必要なノンフィクションって珍しい気がする。
映画を見に行くのはいつにしようかな。アカデミー賞をばかすか取ったとなると混むのかなぁ。むー。でも、「本物」だという数式を確認もしたい。
■バックとバッグ
昨日、「サンドバック」と書いたけど、やっぱ「サンドバッグ」だよな。
私はこれがとっても苦手。手にもつカバンは「ハンドバッ?」、二人で眠れる「ダブルベッ?」。自分の発する日本語に自信が持てない。いちいち英語のスペルを思い浮かべないとダメだ。「bagだからバッグ」「bedだからベッド」。
だけどね、ちょっと耳を澄ましてみてほしい。日本で生活する日本語ネイティブの人が発する「hand bag」はほんとに「ハンドバッグ」? 「dubble bed」は「ダブルベッド」? 実際は、かなりの比率で、「ハンドバック」に「ダブルベット」だと思う。
だって、日本語という言葉の音の特徴を考えれば仕方がない。「促音(小さいツ)の後にくるのは清音(あれ?促音の後には濁音が来にくいだったかな)」というのがれっきとした日本語の傾向としてあった。日本語ネイティブには、無意識のうちに馴染んでいることなのだ。
そういう日本語のクセみたいなもんに真っ向から対立しちゃうんだよ、バッグもベッドも。アメリカ生活が日本の生活より長くて日本語より英語のほうが得意らしい人でも、最初に入ったのが日本語だと「ベット」ってカタカナで書いてたくらいだもん。
■入手本
小泉修著『図解でわかるデータベースのすべて』日本実業出版社
→データベースに対する理解を少しは持ちたいのであります。
鐸木能光著『テキストファイルとは何か?』地人書館
→原点に立ち返ることは大事である。徹底したテキスト主義者の同居人の影響もあるが、やっぱ楽なんだよね、テキストでちゃんと保存しておくと。
平塚晶人著『サクラを救え』文芸春秋
→桜はもう散ってますね。ほんとに早かった今年の桜。でも日本は縦に長いので、これは東京人の自己中心的な気持ち。ソメイヨシノばかりの桜風景に飽きつつある私。
田中まゆみ著『ハーバードの医師づくり』医学書院
→発売以来、地道に売れている本なのだ。医学教育はここのところ大きな問題となっているからかな。目をつけておいたのだが、やっと購入。アメリカ礼賛に汲みするつもりはないけれど、日本の場合はちょっとねぇとどうしても思ってしまう。それは患者になった場合も同じかもしれないなとは感じつつ。
02/03/24/sun
■なんとなく不調
水曜日から更新せずというのはちょっとねぇ。理由は「なんとなく不調」。最大の不調症状は「肋間神経痛もどき」だ。これがほんとの肋間神経痛とも思えず、「もどき」としておいた。金曜日あたりから「ズキ。…ズキ」と時折やってくる。寝不足でもないのに。いや、どちらかといわないまでも「寝過ぎ」だ。
それに、なんとなーく「胃が痛い」。胃腸はサンドバックにもできるくらい丈夫なのに、ここのところたまーに「胃が痛い」。しくしく。最悪な取り合わせは「コーヒー」。コーヒーを飲むとてきめんに痛い。
で、それらに加えて「寝ても寝ても眠い」だ。たとえば昨日。朝9時過ぎに起きる。12時頃、すでに眠い。それを振り切ったものの、4時頃、ビデオを見ながらあっさり沈没。うたた寝だったので30分くらいで起きたが、また夜9時ごろ眠い。再度寝る。夜10時半頃電話で起きる。で、2時頃寝て、今日起きたら10時過ぎ。また昼頃から眠い。
考えたら、金曜日は夕方ぐっすり寝ていた。3時間くらい。
寝てばっかりなのに、腹はよく減る。食う。そして再び眠くなる。なんだか睡魔と食欲のループにはまっているぞ。これらの理由をすべて「春」にしたら、さすがに春さんといえども怒るだろうか。怒られたらまた寝ちゃうよ。
■テレビ
眠いながら、なんとなくつけたテレビでストイコビッチと三谷幸喜の番組をやっていたので、見た。もちろん別々の番組。たしか木曜日の夜だったと思う。
サッカーには興味がないのでW杯はいまから憂鬱なのだが、名古屋グランパスにいたストイコビッチの番組は彼の故郷がユーゴスラビアといこともあり、気になって見てしまった。ユーゴのサッカーは国際的な制裁措置として、W杯など国際的な試合への出場を禁止された時期がある。
その時すでにユーゴ代表として活躍する立場にいたストイコビッチは「政治とスポーツは絶対に切り離すべきだ」と振り返って主張していた。
が、違和感がふとわき上がる。米軍によるユーゴへの空爆の際、サッカーの試合で空爆反対のアピールをなにがしかしていたはず。うろ覚えなので間違っていたらごめんなさいなのだが。
空爆反対のアピールはどんどんやればいいと思う。が、そういう場合の政治的な行動だけがOKとなると、それはいわゆるダブルスタンダードに聞こえてしまう。
もう少し考えなければならない論点を整理すべきだなと思ったものの、オリンピックをみながら「政治とスポーツが切り離せるわけない」と感じたことを思い出して放棄。国際的な競技の場は、否応なく政治の場となってしまう。
そういえば一昨日は「放送の日」かなにかだったらしく、NHKで「9・11」後のメディアについての番組をやっていた。このときも「ビンラディンのビデオを流すことはプロパガンダで、ライスのインタビューを流すことはプロパガンダではない」という米政府の姿勢に、なんだかなぁと思ってしまった。みょーに青いこと言っているけど。かえすがえすもアルジャジーラがあったことが重要になってくる。
三谷幸喜の番組では、すっかり懐かしい記憶となってしまったことを思い出した。三谷幸喜がやっていた劇団「東京サンシャインボーイズ」はかなり初期から見ていた。下北沢の駅前劇場やスズナリでうっていたころだ。彼とサンシャインボーイズの、いわゆる化けた芝居が「天国から北へ3キロ」だった。そのころはまだ今の三谷幸喜の芝居とはちょっと違う印象もある。でも脚本と役者たちが見事にかみ合い始めた時期だと思う。
いまのスタイルの原型は、やっぱり「ショー・マスト・ゴー・オン」なんじゃないかな。「12人のやさしい日本人」もシチュエーション・コメディといわれるスタイルではあるけれど、動いている時間という列車に無理矢理な事態を詰め込むスタイル(代表例は映画「ラヂオの時間」)とは限らない。
3年先までスケジュールが決まっているという彼自身の生活が、いまや「マスト・ゴー・オン」状態なんだろうな。
私がサンシャインボーイズでいちばん好きな作品「彦馬がゆく」が上演中だ。久々に見にいきたくなった。
■入手本
中野次郎著『誤診列島 ニッポンの医師はなぜミスを犯す』集英社文庫
→平積みになっていた単行本を「今日こそ買おう、今日こそ買おう」と思いつつ、買いそびれていた本が文庫化されてしまった。
02/03/20/wed
■プリンストン
『ビューティフル・マインド』(シルヴィア・ナサー著、新潮社)を読み始めたといってもまだ最初のほうなので、あんまりナッシュが嫌な奴にはなっていない。それよりも刺激されているのが、【森健さん】も3月19日の日記で「興味深いのは当時の大学の雰囲気とか」と書くけれど、プリンストンの雰囲気への興味。ナッシュはほんとはハーバードへ行きたかったらしい。が、ハーバードよりもプリンストンのほうが自分を高く評価してくれる(奨学金がほんの少し多かった)ということで、プリンストンへ行ったというのだ。しかしあとでわかったことだが、当時のハーバードはあまり研究機関としていい状態ではなかったらしい。天才であることにとって、そういう「運の良さ」もやっぱり大事な要素となるのだな。
で、私がいま読みたくてたまらなくなっているのが、『アインシュタインの部屋 天才たちの奇妙な楽園 (上) (下)』(エド・レジス著、工作舎)。著者のエド・レジスはこの本でメジャーになったはず。プリンストンでの研究者達の様子を描いているんだったよな。1990年の本だけど、未読でしてね。あれ? でも、うちにあるような気がしてきた。気のせいかな。この本の場合、大阪の旭屋書店の書棚と自分の家の本棚がごっちゃになっているかも…。う〜ん、発掘というか、「ない」ことを確認するのは大変だ。
■教科書
T社のSさんが作った教科書にいちゃもんをつける会に呼ばれ、あまり役に立ちそうもないことをつらつらと言ってみたりした。でも、子供のいないみなさん! 今の教科書がどんな教科書か、見たことがありますか?! 30代以上なら初めてみれば、おそらくぶっ飛ぶ。なぜなら「教科書には見えない」からだ。特に今年からはオールカラー。大判化はなんとなく知っていたけれど、その変化たるや20年前30年前と比べるとものすごい。
私自身は、何年かに一度、数学や算数教育の仕事が回ってくるので、まったく無縁になっていたわけではないのだが、それでも教科がちがうと印象は大きく異なる。ほんとうに久々に中学校の教科書を見た同居人は「小学校みたい」と言っていた。そうだろうなぁ。
いろいろなところで言われるのは、「日本の教科書は薄い」ということ。現実には無償や指導要領などいろいろな制限があるので、その中の最適解なのだろう。しかし、あまりにも文章量が少ない。特に理科はそうだ。写真や図版もいいけれど、文章だっていいじゃないか。読みでのある、どーんと迫力のある教科書になったら面白くないかな。
こういうことを、理数教育の取材をしたことがあれば、一度は考える。
だがしかし。自分たちの中学高校時代を振り返ってみよう。教科書はどこにあったか? ほとんどの子が学校の机の中だ。試験前以外、家と学校の間で教科書を持ち歩かない。理由は「カバンが分厚くなるから」だ。ペシャンコなカバンが標準で、分厚いカバンは「医者カバン」といって軽蔑されていた。1時間かけて通ってくる子も少なくなかったので、現実問題、全部の教科書を毎日持ち歩くのは「重すぎる」というのもある。持ち歩かれていたのは、予習が必要な英語の教科書くらいじゃなかっただろうか。
教師たちはもちろん嘆く。が、生徒は気にしない。「勉強していること」を臭わせるのは「優等生ぶったいやな奴」と認定されるので、そのほうが問題でもある。
そうは言っても受験が近づいてくれば、必要に迫られる。試験前もそうだ。同級生たちが開発したワザは、「先輩から教科書をもらって2冊にする」だった。家と学校に1冊ずつ教科書をおいておく。持ち歩くのはノートだけ。
合理的だ。
……これって教科書売り上げ倍増計画にならんか? あっ、と。たいていは「教科書ガイド」(←な、なつかし〜)を家に持つってことになっちゃうのかな。それとも、「ガイド」はいまやもう存在しないものなのだろうか?
まぁでも実際は、教科書でなくてなんでもいいから「勉強してくれ」というところである。
■OSペケ
友人Mが職場のコンピュータをマックに変えたという。もともとマック遣いの彼としては、とても気分がいいらしい。しかも「OSX」。「美しい」とまで書いてきた。
うっ。心が動く。このノートを使い始めて早2年。あと1年が限界だろう。前のノートは丸4年DOSで使い倒したが、今度は無理そうだ。ウィンドウズだからな。
その次のメインマシンの候補として、マックが「浮かんでは消え消えては浮かび」という状態。私自身はマックを使いたいと思ったこともなく、また、使ったこともない。せいぜい同居人が一時期持っていたので、仕方なくメールチェックをやってみたりという程度。あのキーボードが苦手なのだ。
どうしようかなぁ。いまマックに乗り換えたら、余計な雑音も一緒に消え去ってくれそうだ(要はデバコ、デバオさんたちからかなり解放される)。
うーん。ウィンドウズ98に続いて2000まで再インストールする羽目に陥った同居人が、画期的な使用方法を発見しているしなぁ。その使い方をしたらウィンドウズでもストレスが減りそうだし。うーん。悩み深ちゅう。
02/03/19/tue
■なつかしさと希望
所用があって、休みの同居人と一緒に中野へ向かう。私は23歳から10年間暮らしたエリアだ。実家のある横浜と同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に愛着のある街だ。
平日の昼間に中野へ行ったなら、ここを外すわけにはいかない。大阪へ引っ越すまで週に1回は食べに行っていた【さかな道場 明石】。900円の「いわしたたき丼」を初めて食べたときは、「これがこの値段で食べられていいのか」と思ったほどだ。たたいた新鮮ないわしをのせたご飯に、野菜がゴロゴロと入っているお椀。量もたっぷり。4年ぶりの味を頬ばりながら、中野に戻ってこなかったことをちょっとだけ後悔する。
上のリンクもそうだけど、こんな便利なサイトまでできていたのね。【中野シティドットコム】。すみずみ見ていると引っ越ししたくなりそうだ。
腹ごしらえが済んだら、所用をすませ、その後ほんとうに久々に中野へ来た同居人とフラフラと歩いてみる。さすがに3年以上離れていると、あちこちの変化が目に付く。でもやっているのは「あの店はまだあるかな」「わ、ここきれいになってる」と、なつかし場所巡り。北口に出て、「奥の扉」という喫茶店へコーヒーを飲みに行く。窓際の特等席で口にしたブレンド・コーヒーはほんとうに美味しかった。中野ではここのコーヒーがいちばん美味しいと思う。震度3の地震で壊れるんじゃないかと思える名曲喫茶「クラシック」もいいけど、あそこは雰囲気勝負だからな。
北口のこちゃこちゃしたところを歩いていると、変わったところと変わらないところがあってとても楽しかった。オープン当初に何度か行った「馬骨Bar」がまだあったのことに、正直なところ驚く。
オススメはなんだろうな。洋食屋「ちぇっく」のポークソテー、とにかく安い「ハンバーグハウス」(ここはポテトサラダも美味しかった)、きんきの塩焼きをもう一度食べたい「陸蒸気」、北口にも南口にもある蕎麦屋「さらしな」、なんでこんな酒があるのと思う「フランクストン」……。ああ、いっぺんに思い出しきれない!
北口巡りをしていたら小腹がすいてきたので、【大勝軒】で「もやし入り」(つけめん)。公式サイトがあって驚いた。
ああ、なつかしい。中野が近くに来てくれればいいのに。
■ポスタープレゼント
所用をすませながら『ビューティフル・マインド』(シルヴィア・ナサー著、新潮社)を読み進める。せっかく読み始めていた『暗号化』(スティーブン・レビー著、紀伊国屋書店)は当座うっちゃるしかないな。それにしても『ビューティフル・マインド』は森山さんが書くとおりほんとうに紙が薄い。すかすと縞々が見えるペラペラの茶封筒みたいだ。昔はよく見かけたあの茶封筒、マニラ紙っていうんだっけ?
えー、ラッセル・クロウ主演の映画『ビューティフル・マインド』のポスターが先着50人にプレゼントされてます。アカデミー賞も8部門でノミネート中。詳しくは
【本書をお買い上げの先着50名様に限り「ビューティフル・マインド」の映画ポスターを差し上げます!】
をご参照ください。「編集者からのコメント」もあります。
02/03/18/mon
■数式
コンビニに入ったら、雑誌ラックに並んでいる『ぴあ』の表紙が数式まみれになっていた。
もちろん【映画『ビューティフル・マインド』(公式サイト)】である。全国ロードショーは30日からだけど、23日先行オールナイトだって。どうしよう、いこうかなぁ。
『ぴあ』には紹介記事(p.59)もあった。なんだか笑えるんだよなぁ。写真のキャプションで「劇中でクロウが書く数式はすべて本物」ってある。
えーとえーと、本物? じゃ、「ニセ物の数式」ってことも考えられるね。それは何か? 思うに『ぴあ』の表紙の数式かな(笑)。でも、「字」の感じからするとパンフとかにあったのをもってきたのかもしれないから、「ニセ物」とも言い切れない。この場合の問題は「切り取り方」になる。途中で尻切れトンボになっている数式がいくつもあってね…。
だが、現在いちばんの問題は数式じゃない。古い言い方だが「見てから読むか、読んでから見るか」なのだ。
というわけで原作である『ビューティフル・マインド』(シルヴィア・ナサー著、新潮社)が、【bk1サイエンスサイト】の書評復活第一弾課題図書。600ページもあるんだな、これが。
……どう考えても、「途中まで読んで、見る」になりそうだ。
■入手本
シルヴィア・ナサー著『ビューティフル・マインド』新潮社
→そういえば『指輪物語』を映画の公開までに読もうとしていた試みもあったなぁ。二の舞?(笑)
『榊佳之遺伝子小学生講座』KTC中央出版
→NHKの番組「課外授業ようこそ先輩」を単行本化したもの。榊佳之氏は日本のゲノム研究で中村祐輔氏とともに超メジャーな方ですね。
02/03/17/sun
■桜
散歩がてら、近くの桜並木を見に行った。
もちろん、もうすでに東京でも開花宣言が出ている。開花宣言を聞くまでもなく、他の季節は桜だということを忘れられている木が、そこここで自己主張をし始めていた。日当たりがいいエリアだと、3分咲きどころではない。来週末までもつのだろうか。
しかし、ほんとうに早い。
私が大学に入った年(1984年)、正門から続く桜並木(通称、滑走路)が満開になったのは4月8日以降だった。入学と桜という見事なまでに凡庸な取り合わせだったので、よく覚えている。人気ないキャンパスで散り際の桜たちが風に吹かれている風景に、「狂気」という言葉がこんなにも似合うのかと思ったものだ。
そんな感性は18年の間にどこかに置き忘れてきたらしく、今日、思ったことは「道路の両側で咲き方にちがいがあるのはなぜ?」ということ。日当たりに差があるのかなとも思ったが、道幅もそれなりにあるし、両側ともほぼ等しくマンションなどが建っているのでそれほどのちがいはなさそう。なんでだろう?
思いついたことの1つめ。「日が当たる時間帯に差があると開花に影響する」。つまり朝日が当たりやすいか、夕日が当たりやすいかで、成長その他が変わる可能性があるんじゃないかということ。人間だって、朝ちゃんとお日さんを浴びると目が覚めて1日のサイクルがきちんとできるというじゃないか。桜だってそうに違いない!
思いついたこと2つめ。「桜も木によって早い木と遅い木がある」。樹齢がどれくらいかにもよるだろうし、「まだ咲きたくないんだもん」とダダをこねる木があってもよさそうだよな。片方に「さっさと咲いてお勤めはたしゃいいんでしょ」てなのもいたりして。木によって個性があってもいいじゃないか!
てなことを考えていたのだが、ちゃんと調べるまではいきませんでした。ごめんなさい。なので上記2点はなんの保証もないです。あ、【bk1サイエンスサイト】で「桜」コーナーが3月1日より公開中です。よろしく。
02/03/16/sat
■プチ同窓会
中学・高校時代の友人Iさんが結婚し、そのお祝いをささやかにしようとIさん(妻)&Dさん(夫)夫妻と、横浜雙葉時代の友人が私を入れて6人集まった。もちろん夫Dさんは黒一点。そういうのが大丈夫な方のようで、幹事をしていた身としてはちょっとホッとした。
妻のIさんを入れて36歳の女性が7人集まったわけだが、みんな仕事を続けていた。既婚未婚両方いるので旧姓の名字のイニシャルでいうと、T、J、F、I(あだ名だとZ)、K(あだ名だとY)、と私のS。しかも1学年150人中1割程度しか理系に進まないのに、ここに集まった7人中5人が理系。しかもよくよく考えれば博士が3人。修士もたしか2人。お母さん3人。まぁ一言でいえば「単なる類友」なのだろうとは思うが、マイノリティが集ったようだ。サンプルに偏りがありすぎる(笑)。
それにしてもほんとに久々のメンツ。ほぼ10年ぶりの友人もいるが、高校時代からあんまり変わらない系だったので面食らったりはしなかった。私が卒業後会った友人たちはほとんど変わらない系だが、なかには“ヘーンシン”している人もらしい。
しかしあまりに久々なので、乾杯して、新郎の紹介をしてもらって、集まった6人を新婦のIさんに紹介してもらうだけで2時間が過ぎてしまった。紹介途中にしょっちゅう脱線するからだけど。紹介のあとは話題をどうしようかなぁと心配していたが、杞憂ですんだ。7人といえば「カシマシ×2」以上なんだから、ほっておいてもなんの問題もないのだった。
おっと、写真を送らねば。デカいから圧縮かけるか。みんな大丈夫かなぁ。当然メールで連絡はできる環境だったが、使用メーラーは7人中5人がアウトルックエクスプレス(笑)。「X-mailer」をチェックしているのでこういうのがすぐわかってしまう。まぁ、みんな「base64」で送れば大丈夫な環境ということでもあるので、それは楽だと思おう(意味のわからない人は、【情報通信事典e-Words】あたりで確認してくれ)。ちょっとばかし加工を検討しますので、しばしお待ちくだされ。>ALL
■ちがった
昨日、映画「ビューティフル・マインド」に絡んで、モデルとなった主人公の数学者ジョン・ナッシュのインタビューの話を紹介したが、その後、【bk1サイエンスサイト】でとてもとてもお世話になっている【瀬尾さんの日記】にさらなる情報が追加されていた。それらを加えると以下の通り。
【「ビューティフル・マインド」原作者、ナッシュ批判に反論】
【「ビューティフル・マインド」のモデルとなった数学者、反ユダヤ主義を否定】
【「ビューティフル・マインド」モデルの数学者、米テレビ番組で映画について語る】
ということなので、昨日私が書いた「薬を服用していなかったのに、服用していたようになっている」という話ではないようだ。
それと、ここからが重要な訂正(笑)。映画の原作でもあるシルヴィア・ナサーによる著作『ビューティフル・マインド』もすでに入庫されてました。失礼しました。というわけで、単なる私の確認ミス。別にインサイダー入手じゃないですよ。ご安心ください。
■春+PMS
=ひたすら眠い。
「PMS」は月経前症候群ってやつですね。詳しくは『PMSを知っていますか』(相良洋子著、生活人新書)あたりでどうぞ。
02/03/15/fri
■ほんとに春が来た
眠いのは春が来たせいだと思っていたら、「春一番」がふいてしまった。歩いていて、「風が強いなぁ。春一番かなぁ。でも早すぎるよな。…とはいえ、冬の風でもないな、生ぬるいし」と思っていたら、お天気コーナーで春一番とのこと。桜も横浜で開花宣言だし、ほんとのほんとに春なのだな。公明正大に眠い眠い。
■『ビューティフル・マインド』
【bk1サイエンスサイト】を手伝ってくださっているSさんのサイトで、
【「ビューティフル・マインド」モデルの数学者、米テレビ番組で映画について語る】
というニュースの存在を知る。アカデミー賞候補にもなっている映画「ビューティフル・マインド」は、ノーベル経済学賞を受賞した数学者ジョン・ナッシュが主人公。精神分裂病を患ったらしい。「ナッシュ解」というあたりに彼の名前が残っている人だ。ちなみに映画でナッシュを演じるのは、ラッセル・クロウ。腕が太いらしい。『グラディエーター』で鍛えた体がそのへんに残ってしまうのだろうか。私が国際会議で見た数学者でムキムキ系はゼロに近かったと思う。実際のナッシュのイメージとも違う感じかな。でもこれは年をとったナッシュの顔写真だけだからかも。
上記のロイター伝によると、CBSの看板番組「60ミニッツ」でインタビューに答えているという。日本ではTBSで日曜深夜(だいたい0:45くらい)にピーター・バラカンがやっている「CBSドキュメント」になる。アメリカでの放映が27日だっていうけど日本だといつになるんだろうなぁ。けっこう時間が経ってからやる場合も多いからなぁ。
それと、映画が発端になって巻き起こった論争があるらしいが、それはたぶん「薬の服用」のことではないかと想像している。詳細は知らないけれど、実際のナッシュは服用拒否していた薬を、映画では服用して病気を克服したかのようになっているらしい。
そうそう。この映画のもとになった本『ビューティフル・マインド』は新潮社から来週あたりには発売されるはずだ。
■流行の最先端
「patch.exe」という添付ファイルがついてくるらしい新種ウイルスの警告があちこちで流れているなぁと思ったら、友人から「ごめんなさい」メールが届いた。職場が感染してしまったという。流行の最先端をいっている。
私のところへウイルス自体は来ていなかったが、別件で電話をしたら疲弊していた。「これまではことごとくはねつけていた優秀な管理だったので、安心しきっていた」とのこと。感染するときはそんなもんなんだろうなぁ。
私もいつかするのかなぁ。でも添付ファイルは基本的にというか99%開かないし、それなりにウイルスチェックソフトも使っているし、どういう形で被害にあうのかなぁ。
やっぱりマクロウイルスかな。でも、このマシンじゃワード文書も扱えない。みなきゃいけないエクセルファイルを送ってくる人もいないし、プレビュー機能もないし、HTMLも無視するメーラーだから、テキストにでもウイルスが埋め込まれる時代にならない限り、あまり感染しそうな気がしない。……こういう油断が感染を招きそうだ。
いちばん危険なのはブラウザ経由だな。どうにかしてくれよ、IE(使ってないけど)。感染というか何か困った自体になったらかなりの確率でお前のせいだよ。アンインストールできないから残しているけど、それだけで危険な存在だもんな。
02/03/14/thu
■提出!
やっとこさ確定申告、終了。今年から用紙が変わったのでちょっと手間取ってしまった。確定申告は出すことに意義があると思いたい(何いってんだか。義務だよーん)。じゃないと収入の少なさにめげてしまうから。
■春なのね
やたらと眠い。これはまさに「春眠暁を覚えず」状態だ。もう春なのだなぁ。
02/03/13/wed
■無題
仕事の後、同居人と落ち合って、毎度お馴染み御茶ノ水のカレー屋さん「エチオピア」へ向かった。連絡がつくなり「辛いカレーが食べたい!」と宣ふたのだ。
前回来たとき、同居人は大辛口(10倍)を超え(ここのメニューには「甘口がふつうの中辛です」とある)、50倍まで到達していた。今日、彼はついに最高倍数70倍を注文した。
でてくるなり前に座るだけの私が先に後悔しそうな色。赤いのだ。私の中辛と比較すると全然違う。激辛道の元・弟子である友人のUさんはこれを週1回「完食」しているのか。もはや「辛いとは思わない」のだそうだ。人間とは思えない。
同居人がやけに赤いルーをご飯にまぜ、一匙目を口へ運んだ。
「…かっらーい」
チャカシではないこの言葉を同居人から聞くのは、いつ以来だろう? いや、聞いたことがあるだろうか。
その後、しばし会話がなくなった。「話せる?」。ブンブン(首を横に振る)。それでも二匙目、三匙目を口に運ぶあたりが、いちおうは元師匠。
私が「後悔してない?」と聞くと、「…半分あたりで決める」という。「後悔」は「決める」ものなのだろうか。よくわからない。
前回の50倍と比較してもかなりの辛さのようだ。考えてみれば今日の中辛もふだんより辛い気がする。スパイスは日によって微妙に違うので、コントロールが難しいのだ。
ちょっと表情が不安な感じになってきた。目がうるんでいる。涙を浮かべてまで食べるのか。カレーを食べているときに決して水を飲まない人なのに、一口水を飲んだ。
「大丈夫?」「ダメかもしれない」
そう言いつつも、少しずつ食べる。これは危ないなと思い、メニューを見て提言した。「ヨーグルトドリンク頼む?」「うん」。彼はすがるような眼差しで定員に「追加注文お願いします。ヨーグルトドリンク」といった。
半分にさしかかったころ、席を立った。トイレへ行くのである。なんのためか? それは思い切り「鼻をかむ」ためである。汗は落ちるに任せても、鼻水はそうはいかない。
席に戻ってきて開口一番、こう言った。
「『薬菜飯店』になるかと思った」
これは、いわずと知れた筒井康隆の名著である(私はかなり好きな作品)。食べれば食べるほどに本能が刺激されるという店なのだ。未読の人のために『薬菜飯店』の結論は伏せておくが、同居人は「こんなに大量の鼻水が出ていいのか」だったらしい。
ふと皿に目をやると、そのころちょうど半分。段々と言葉が戻ってきた。いや、戻ったというより「カプサイシン・ハイ」状態かもしれない。やけに調子いい。ヨーグルトドリンクを少しずつ飲みながら、状況を解説してくれる。
彼「唇がものすごいことになっている」
私「辛いというより、痛いんじゃないの?」
彼「いや。痛辛(いたから)い」
痛辛い…。これまで「痛がゆい」という表現は聞いたことがあるし、言ったこともある。が、「痛辛い」という言葉は初めて聞いた。妙にリアリティがある。頬に汗が伝う。シャツの衿はすでに汗でびっしょりだ。そうこうしていると、いきなり咳き込んだ。
彼「喉が…。唇、喉、食道、すべて痛辛い」
なぜそうまでして食うのか。きっとこう答えるに違いない。
「そこにカレーがあるから」
畑仲哲雄40歳、3月13日、70倍完食す。
…私は、いいものを見せてもらったのか、恥ずかしい思いをさせてもらったのか、よくわからない。
■訂正
昨日、「Bは予定納税する人のためです」って書いたけど、別に「予定納税しない人」もBでOKだった。お詫びして、訂正します。
なんで判明したかというと、今日、「A」をもらってきたら「収支内訳書」がなくて、「ふみ、困ったな」と思っていた。で、「ええい、いいややっぱBで出しちゃえ」と思って、元々あった「B」で書いていたら、転記ミス。これが多いんだな、わたしゃ。1行ずつ見事にずれているやつ。
諦めて、再度用紙をもらいにいった。そこでついでなので確認したら「予定納税しない人」でもいいとのことだった。
02/03/12/tue
■判明
午前中、しこしこしこしこ足し算をした。確定申告せざるをえない時期なのだ。収入の足し算はあまりにあっさり終わる。経費の足し算は細々したものが多いので、こってりかかる。…といってもたいしたことはないのだけど。昨日、種分けはしておいたので、そういう意味でもやっかいではない(毎年思うけど、この種分け作業をしていると、トランプゲームがしたくなる)。
面倒といえば面倒だが、さすがにもう自分でできるのであんまり負担ではない。が、名前や住所をもらってきた用紙に書き込んでいたら、判明した。私がもらうべき用紙は「B」じゃなくて「A」だった! ちゃんと言ってよぉ、「Bは予定納税する人のためです」って! 用紙を貰うときに配っているおっちゃんは説明のできない人だった。そのときの口ぶりではBのほうが汎用性は高いらしいので、たぶんBでもいいんだろうけれど、還付金をもらう私に予定納税は関係ない(と思う、さすがに)。
明日、もう1回税務署に行って、用紙もらってこよう(引っ越した後の最初の確定申告は用紙の確保がいちばん面倒くさいかも)。そいでもってあとは書くだけだから、書いたら持っていって、提出の窓口に行ってはんこをもらえば終了。余裕で間に合うな。
02/03/11/mon
■ラジオ
裁判を傍聴するため、すでに国会入りしたムネオ君に後ろ髪を引かれながら家を出た。裁判はあっさり終わり、外に出てさっそくラジオを取り出した。なんでも出てくる私のカバン。だから重いんだけど。
【bk1サイエンスサイト】の仕事でbk1へ行くまでちょこちょこ聞いていた。
証人喚問も終わったので、机の上にぽーんとラジオを出しておいたら、Sさんが「なんでこんな競馬ラジオ持っているんですか」と一言。携帯用の小さなラジオを「競馬ラジオ」と呼ぶとはしらなんだ。
Sさんこそ、なんでそんな言い方、知ってんですか。
02/03/10/sun
■三つ子の魂
友人のU&Dさん夫妻宅へお呼ばれで、同居人と出かけていった。迎えに来てもらう最寄り駅で待っていると、「よっ」と共通の友人Sさん登場。もそもそとミスタードーナッツのチョコ系を頬ばっている。これから夕飯だというのに…。夕飯時のせいか、近くにいた犬がものすごくほしそうな目でSさんを見つめる。それまでは同居人に愛想を振っていたのだが、ドーナッツの魅力に太刀打ちできるわけもない。
Uさんがお迎えに来てくれたので、酒屋さんでビールやホッピーを買ってお家へ向かう。なんでホッピーかというと、酒屋で目についたため。酒が飲めない同居人にとってもありがたい存在らしい。
到着すると、すでにDさんがいろいろ作ってくださっていた。毎度毎度食うばかりですみません。
Uさん、Sさん、同居人は、ほぼ同い年。そして共通するキーワードがある。それは……。お・た・く。
今晩は、そんな彼らの共通点がまた一つ明らかになった。コンピュータの話からなんかのきっかけで、来月発売になる【『大人の科学』第7弾「電子ブロック」】が話題になった。ちなみにこの『電子ブロック』を同居人が職場で話してみても、知っている人はわずか1人だったという。「なにそれ?」「知らない」と言われ、しょんぼりしていた。
が、ここにいる3人は、「当然、持っていた」「当然、ほしかった」派。さわり倒すUさんは「これをこうすれば…」といろいろトライし、最後はあの『電子ブロック』をハンダ付までしたという。買ってもらえなかったSさんは、持っている友達の家でさんざん遊んだあげく、その友達が飽きたころ(中学生くらい)にはしっかりもらったという。同居人は、「あのイヤホンがこどもの耳には大きくて」と通ネタを披露。
その3人が一致して感動してたのは、「電子ブロックをラジオにしたときのアンテナ」だった。受信感度をバリバリに、かつ手っ取り早く高めるための方法。それは、1本だけしかツノ(?)が出ていないプラグをコンセントに差し込むと、家のなかの配線全体がアンテナになるのだという。いきなりボーンと聞こえるようになるらしい。
その話が出たとき、「そうそうそう」と3人とも大喜び。
Dさんと私の心にふっと浮かんだ言葉は同じだった。「三つ子の魂…」。3人の大きなお友達が目の前にいるんだもん、意味が違うなんてツッコミはなしよ。
02/03/09/sat
■ついに発見
極めてありふれた名字ながら、名前がカタカナ書きのためか、同姓同名同字の人にはお目にかかったことがない。それゆえ検索エンジンで自分の名前を検索した結果、ひっかかってくる「鈴木クニエ」は100%、私自身についてのものだった。【武田徹】氏が書くような「同姓同名問題」が発生しにくい。
また、同居人の【畑仲哲雄】のように「仲」を「中」と間違われることもないし、「哲雄」を「哲夫」や「哲男」と間違われることもないので、ノイズが非常に低い検索キーワードとなっている。たまに「クニエ」を「クニ江」と書く人がいるくらいだ。でもキーボード入力の場合、このミスタッチはほとんどない。
ところが、今日、はじめてみつけた。私ではない「鈴木クニエ」さん!
なんかの大会の戦績だった。「9番鈴木クニエ」さん。何かなぁと思って見に行くと、それはゲートボールの大会だった。やっぱり!
■入手本
野依良治著『人生は意図を超えて ノーベル化学賞への道』朝日選書
→去年の白川英樹氏による『私の歩んだ道 ノーベル化学賞の発想』(朝日選書)と同じように、野依良治氏の講演会を中心にした本。いただきました。ありがとうございます。
02/03/08/fri
■少し詳しく
昨日の、【モンドリアンが好きな理由の一つは、一連の作品群が人間の視覚の基本構造のようなものを、科学とは違う視点で指摘していると感じるからだったりする。】(ただし変換ミス修正済み)に対して、【森山和道さん】から【それは『脳は美をいかに感じるか』のテーマそのものです】とコメントをいただいた。
くだんの本、『脳は美をいかに感じるか』(セミール・ゼキ著、日本経済新聞社)は、私も本屋で手に取り、目次にモンドリアンとあるのをチェックしていた。帯がオリーブ色っぽくて、なんだか「『エレガントな宇宙』っぽい作りだね」という話もしていた本だ。で、買おうかなぁと思っている本でもある。
じつはこれの類書のような本はたしか一昨年、入手した。『美を脳から考える』(インゴ・レンチュラー、バーバラ・ヘルツバーガー、デイヴィッド・エプスタイン編、新曜社)。が、積ん読。現在は「どこかにあるはず」状態。監訳者が【苧阪直行】氏なので、いいかなぁと思っていたのだ。でも「学術書」でね。ちょっとめくって挫折してしまった(ため、ほんとに類書かどうかわからない)。
とりあえず、ちらっと書いたセゾン美術館の展覧会『デ・ステイル』のパンフレットを引っ張り出してみた。モンドリアンももちろんそうだが、よりわかりやすい形で視覚との関連性を感じさせる作品を作っているのは、バート・ファン・デル・レックとテオ・ファン・ドゥースブルフだと思う。この二人はちょっと名前がややこしいので、すぐ忘れてしまいがちなのが難点。
モンドリアンは抽象性が前面に出ているらしいのだが、レックとドゥースブルフは具象とのつながりを踏まえた抽象性を基本においているようだ(きちんと読み返していないので、間違っていたらごめんなさい)。ドゥースブルフの作品では「トランプをする人たち」、レックの作品では「妻」「ロバに乗る人たち」のコンポジション(彼らの作品名は最終的にコンポジションなんとかとなるものが多い)が、典型的な例。もともとのスケッチがあり、それらをどんどんそぎ落としていく。
お互い強烈に影響しあっていたものの、モンドリアンとレックやドゥースブルフの方向性はずれ始め、雑誌『デ・ステイル』の創刊後短期間でレックが、その後ドゥースブルフも離れていったという。
人間相関関係はさておき、私がこれらの作品を見ていちばん最初に連想したものがなんだったか。
雑誌『ネイチャー』1992年11月26日号の表紙写真なのである。マネキンの横にピーマンが転がっている。ただし、ピーマンは一部が赤く、他は白く塗られている。赤い部分はまさに唇そのものだ。
それをどこで見たかというと、最近いろいろ話題の立花隆氏が『科学朝日』でしていた連載。単行本では『脳を究める』のp.49に収録されている(リンクは文庫だが、文庫のページ数は不明)。その記事では、理研の田中啓治氏が取材を受けていた。彼の研究ではサルに具体的なものをみせて、それに反応する脳細胞を観察していた。徐々にみせる具体的なものを単純化していったのだ。結果、「エッと驚く単純図形」にサルが反応していることが示されている。
二番目に私が連想したものは、偏頭痛の発作時にちらちらするモザイク状の視覚異常であり、目をぎゅっとこすったときに見える模様だ。後者は他の人がどうだかよくわからない。私はまっくろい中に、黄色い感じの細かい四角形がうにぃ〜とした市松模様になる。
そんなこんなで、なんとなく「視覚は四角」なんてダジャレ含めてぼんやり感じていたのだ。そこへ登場したコンポジションの作品群はかなり印象的だったというわけである。
……でも、やっぱり「だからなんだ」なんですけどね。ああ、なつかしい。5年くらい前の話だ。
いろいろ引っ張り出しながら書いたら疲れてしまった。おやすみなさい。
02/03/07/thu
■お誕生日
【Google】が、いきなり「コンポジション」になっていた。どうやら、今日は130年前にモンドリアンが生まれた日らしい。
じつはけっこうモンドリアン好き。
【滋賀県立近代美術館『モンドリアン展』】をちらっとみると、「ああ、これの人か」と思う方も多いだろう。
私自身は、池袋のセゾン美術館の閉館展覧会となった【デ・ステイル展(のレビュー“表現の射程と「建築」との距離”)】が強烈だった。この展覧会のプログラムは高かったが即座に買った。雰囲気は【兵庫県立近代美術館 デ・ステイル1917−1932】のほうが伝わるかもしれない。巡回展である。
モンドリアンが好きな理由の一つは、一連の作品群が人間の視覚の基本構造のようなものを、科学とは違う視点で指摘していると感じるからだったりする。
■よくわからない
ずっと疑問に感じていることがある。それは「牛の識別番号制」の話である。ちゃんとリンクできるのかどうかよくわからないが、アサヒコムではこんな感じ。
【識別番号で販売まで一元管理へ】
【牛肉の素性、店頭で公開 表示への不安解消?】
いろいろと努力しているのはわかるし、その取り組みを否定するつもりはない。が、最終的に私たちが買う状態の肉は、牛肉も豚肉も鶏肉も「その体のごく一部」なのである。しかも、「薄切り肉」だったり「ミンチ」だったりする。
それでどうやって、今ココの手元のパックの中にある肉が、識別番号何番の牛さんだと保証できるのだろうか? ひき肉の1本1本に焼き印は打てない(打ったら、その時点でただの挽肉ではなく「焼き挽肉」となってしまう)。
薄切りロースなら端っこになにがしかの刻印を残そうと思えば残せそうだ。でも、その刻印を誰が押すのか?
「暗黒大陸」とも称されるらしい流通を、少しでも透明化しようとするのはいいと思う。でも、そこで識別番号なのかがよくわからない。手にするお肉に番号は振りようがない。それに、今、明らかになっているのは、まさにこれまで信頼してきた「ラベル」自体が偽装されていたということなのだから。
……やっぱり、ここはいっちょバイオパワーのサポートでブレークスルーかな。「1分待ってね、DNA鑑定キット」かなんかができれば、店頭で目の前にあるお肉のDNAがわかる。それを店先にある端末で生産者のところのその牛さんのDNAと付き合わせてチェック。これができればバッチリ?
にしても、疑り深くなるって、ほんに面倒くさいことよのぉ。
疑いだしたら、たとえば照合しているDNAがほんとにその牛さんのもんかどうかまで疑わなきゃいけないもんね。あ、裁判ってこういう作業をエンエンとやるのか。
■途中経過報告
私はいろいろなことに追われて、手をつけていないがけっこうおもしろいらしい。カントールの無限の話が大好きな人はハマるかも。
アミール・D.アクゼル著『「無限」に魅入られた天才数学者たち』早川書房
02/03/06/wed
■ひきつぎ
4月以降、【bk1サイエンスサイト】の細かい作業をSさんに引き継ぐことになり、「これはこう」「あれはどう」という簡単な引き継ぎと打ち合わせをする。
とはいえ、書評を中心にお仕事は続くので、実態がどうなるかは不明だ。ま、様子を見ながら落ち着くところに落ち着くでしょう。
あ、ただし、現在「お休み中」で放置してきた【bk1サイエンスサイト】での連載コラム【知ってる人は知ってるけれど…】は終わりになります。中途半端に放置したままの終了ですみません。
02/03/05/tue
■ミーもユーも
お馴染み、ナカムラ先生の「極端大仏率」に【カタコト日本語が「ミーは、ユーに、ラブシマシタネ」とかいう、金輪際ありそうのないカタコト日本語だった】という話がある。
たしかに金輪際ありそうもないのだが、私はよく聞いた。どこでかというと、まずは中学校・高校時代の隣の学校。それはおそらくセイン・カミュが通っていたことで有名になっているに違いない、「サンモール」というインターナショナル・スクールだ(さらに隣のセントジョセフという男子校のインターナショナル・スクールもあったが、たしかサンモールが女子校から共学化したんじゃないかな。間違っていたらごめん。ぱっと思いつくだけでもインターナショナル・スクールが4つはあるエリアなので混乱しているかも)。私が通っていた横浜雙葉と同じ修道会(サンモール修道会)がやっていたので、隣も何もない。本来は姉妹校のはずだ。でも交流はほとんどないので、道ですれ違うときと、あとは学校以外で知り合ったサンモールの子たちの言葉で知った。「ミーがね…」「ユーはさぁ」とバンバン出てくる。
こんなことを10代のエゲツない女子高生たちが見逃すわけがない。「サンモ語」と呼んでいた。彼女たちにしてみると、「私が」というほうが「ミーが」よりも気恥ずかしいんじゃなかったかな。その理由は覚えていない。
時は過ぎて大学時代。アメリカン・スクールから来た子たちは、やはり言っていた。「ミーが」。在日本のアメリカン・コミュニティではこうなってしまうのだろうか。
その後さらに時は過ぎ、石川好の大宅賞受賞作『ストロベリー・ロード (上)・(下)』(文春文庫)を読んでいたら、また出てきた。「ミーがね」。これは日本からアメリカに渡った移民たちのアメリカでの会話である。
こうしてみると元々日本語をまったく話さなかったノンネイティブが日本語を話すときというよりも、日本語と英語を両方使うケースないし英語が後から入るケースで「ミーがね」は出てくるのかもしれない。
とはいえ、ナカムラ先生が指摘するように「日本人と会話ができる程度に日本語を知ってる人間が「わたし」という単語を知らないはずはないし、第一、知らなかったにしても主格に「ミー」はない」というのはちょっと気になってしまう。
なんで「私」の代わりに主格である「アイ(I)」が入って「アイが」とならずに、「ミーが」なのだ?? 「が」という助詞がくっつくので主格を感覚的に入れにくいのかなぁとか、いくつか考えてみたがどれもこれもピンとこない。わからーん。
■元気な入院患者とカレー博物館…、とどのつまりは横浜観光
父親が先週から帯状疱疹で入院していた。昨日、母親に電話をしたら「明後日退院しちゃうらしいの」と慌てている。入院当初は2週間くらいと言われていたので私もタカをくくっていたのだ。「退院しちゃうから明日こい」となり、今日、久々に実家方面へ出向いた。
ちょうど休みだった同居人も一緒に、横浜・元町で妹および母親と待ち合わせ。1件別の案件を昼ご飯をかねてすませたのだが、考えてみたら平日の真っ昼間である。なんだか不思議な気にもなる。なんでまぁ「じゃ、明日の昼」と家族で会えるんだか。みんな仕事していないってことだな。
その後入院先の病院へ向かう。ここも徒歩圏内なので、中華街を抜け、肉まんなどつまみ、中国茶を仕入れ、気分は横浜案内だ(地元民的には歩きながら肉まんを食べるのはちょっと恥ずかしい。私は横浜在住時やったことがなかった。おのぼりさんの証明みたいな気がする)。
で、帯状疱疹患者の父親と会う。妹・父親・母親と並んで、いちばん血色がいいのは父親。毎日毎日スポーツクラブで鍛えているせいか、前よりもがっしりしている。帯状疱疹は痛いと聞いていたが、痛みがほとんどというか皆無に近いらしい。つまり水疱瘡だけがでている状態。熱もない。かゆみもたいしてない。体は鍛えている。そして入院しているのでヒマである。家族にとってこんなにやっかいな患者はない。病院慣れしていないせいもあって、まるでガキのようだ。点滴のルートが入っているにもかかわらず、先週は外出すると言い出した。母親ではいうことをきかないので、娘である妹からの攻撃でどうにか諦めさせたらしいけれど。
ま、そんな元気な入院患者を見舞うのは、気が楽といえば気が楽ではあった。あとは予後がいいといいんだけどね。
てなわけで、帰りがけに同居人がそわそわしていた横浜・伊勢佐木町の「カレー博物館」と向かう。7店舗が入っているのだが、ま、「行っておきました」という感じかな。出店しているエチオピアもトプカも、本店へよく行っているし。
02/03/04/mon
■二転三転
いくつかのことが二転三転している。ふー。落ち着かない。とはいえ、やるっきゃないんだよな。
■久々の声
中学・高校と一緒だった友人の結婚パーティーの件で、かなり久々の同級生と電話をした日だった(結果的にはある事情で延期となってしまったが)。何年ぶりだろう。久々に声が聞けて嬉しかったです。>F&J
さすがに30も半ばを過ぎたので、同級生の結婚式がほとんどなくなった。それもあって高校や大学の同期は年賀状のやりとり程度がほとんどだ(ただし私は年賀状を出さないので返事を書くだけ)。こどもができた育児中の友人たちは連絡を取るのもたいへん。時間帯を見計らって電話をかけても、こどもがびーびー泣いたりして「お母さんをとってごめんね」という感じになってしまう。相手も恐縮するので、電話はやはりしにくい。メールでもいいのだが、この辺は(特に仕事をしていないと)メールのやりとりが得意かどうか人によってかなり差があると思う。
何かと連絡を取りにくい時期なのだ。考えてみればうちの親も還暦を過ぎたころから、中学時代の同級生とのやりとりが増えていた。こどもが完璧に手を離れても、その後、自分の親(かその上)の面倒を見なければならない世代でもあり、そんな状態に一区切りついたのが還暦だったのかもしれない。
……久々に聞いた友人たちの声はあんまり変わらなかったので、還暦になっても声でわかるような気がする。あと30年か〜。あ、すみません、サバ読みました。あと24年です。
02/03/03/sun
■晩メシ
この前、気づいたことがある。夕ご飯が美味しくできると、1日の気分がとてもいいということだ。
同居人がローテーション勤務で、平均すると週の半分くらいは夕方から夜中働いているので、あんまり家でゆっくり夕飯を食べることがない。美味しそうなものを食べに行くのも好きなのと、私が面倒くさがっているのも一因。とはいえ、たまには適当な夕飯をつくる。
今日は、ムキカレイがまぁ安かったように思えたので、買ってきた。最近の流行は、魚を適当にソテーし、適当にソースをかけるおかず。スパイスだけはそろっているので、気分でバシバシかける。ソースも冷凍庫にあるもので適当につくる。基本的に「テキトー」な料理なのだ。それでも、ニンニクはオリーブオイルでゆっくりを香りを出してあげて、タマネギは適当に刻んでちょっとだけ時間をかけて炒めておくと、あとは気分で適当にやってもそれなりになったりするのだ。前は余った缶詰のチョップトマトが冷凍されていたのでトマトソースにしたが、今日はカレイだったのもあってオリーブオイルだけにしておいた。
安くて買い置きしている昆布みたいなものを一部解凍し、前に大量に茹でて冷凍しておいた金時豆も解凍し、フライパンに放り込む。塩だのコショーだの、好みのスパイスを適当に入れたら、あとは粒マスタードであえる。粒マスタードあえは、大人の味になるうえ、なんだか手の凝った料理に見えてよろしい。
で、焼いたカレイの上にかけてできあがり。たいてい量を失敗し、ソースがメインかのようにかかってしまうのが問題だが、味は上々。同居人が一時期、高脂血症だったため封印していた炒め物を復活させたら料理はいきなり楽になった。煮物だけでは献立はしんどいのだと痛感している。
ソースでバリエーションを出すのは楽しいが、すぐ飽きそうでもあるなぁ。去年、鍋を食い過ぎて、今年はあんまり鍋にしたくない。家庭内流行には要注意。鍋の前には、豆と野菜のほとんど1品で夕飯を担えるようなスープを好んで作っていたら一夏で飽きてしまった経験がある。そうやって飽きていったメニューをたまに復活させれば問題ないはずなのに、飽きてしまうと復活しにくいのだ。
■観たい映画メモ
夜、TBSで「CBSドキュメント」をみていたら、3本目が俳優であり監督でもあるビリー・ボブ・ソーントンをとりあげたものだった。彼を一躍有名にしたのは【『スリング・ブレイド』(01/07/08の日記)】。あの映画の登場人物とは同一人物とは思えないソーントンがTV画面の中にいた。まるで顔が違うのである。
ピーター・バラカンもVTRのあとで、「毎回、全然違うんですよね」というようなことを言っていた。出る映画、出る映画、容貌自体が別人物なのだ。
そのソーントンの次回作は、コーエン兄弟の作品だという。これはかなり観たい。タイトルは聞き逃したが、これだけ情報があれば大丈夫。あとは見逃さないようにしなければ。
02/03/02/sat
■低位
いろいろとお世話になっている友人、奈良のWさんが引っ越して、東京のWさんとなった。今日は荷物が入る日。荷入れは終わったころかなぁと思って昼前に電話をかけてみたら、まだ道半ばとのこと。慌ててお昼ご飯などつまみやすいものを持って差し入れに出かけた。
Wさん宅には、2歳になる犬がいる。話には聞いていた(どんな話かというとWさんが買った本をかじってしまったとか。ちなみにかじった本は『立花隆の無知蒙昧を衝く』。たくさんある本たちからこれを選んだのがなんとなく笑えるのはなぜ?)が、今日が初めてのご対面。「犬がほしい」病重症化中の同居人とともにいったため、差し入れに行ったんだか、邪魔しに行ったんだかわからない状態になってしまった。
WさんちのSちゃん(犬の名前。メス)は、けっこうな臆病さんらしい。奈良のしずかなところから東京のど真ん中で車がぶんぶん走っている通りを散歩するのは無謀だったかもしれない。出会った下校途中の高校生群にもおびえていた。
が、荷入れも終わって、家の中に入ればもうこっちのもの。最初は単になついてくれていた感じだったが、次第に私はなめられる存在となってしまった。ソファに座っていると、足にのってくるだけでなく、背中、肩、しまいには頭までのしかかられてしまう。ううう。こういうのって、すっかり自分より低位な位置づけと思われているってことだよねー。
家に帰って同居人が洗い物をしながら一言。「人間はしつけられるのに、なんで犬はダメなの?」。これって、もしかしたら嫌味かな?
あ、ジャンケンができる。Sちゃん>クニエ>同居人。ただし、同居人は太巻きの具でつるという卑怯な技を使ったため、現在は、同居人>Sちゃん、なのだ。
02/03/01/fri
■雑事は矢のごとし
細々としたことを細々と続けていたらあっという間に1日が終わってしまった。こういうのが増えていてよくないなぁと反省中。
■一歩前進
税務署に確定申告の用紙を取りに行った。3月だからね。
去年、大阪から東京へ引っ越したので、大阪の税務署から用紙が送られてきた(正確には転送)のだが、東京の用紙が同じかどうかがわからない。東京で確定申告するのは3年ぶりだ。AとBができていて驚いた。税務署のおじさんに「どっちですか?」と聞かれても、「どっちってなに?」状態。「フリーなんですけど」と言ってもぱっとわかってもらえるわけもまく、まるで確定申告ビギナーだ。もう10回以上やっているのに。相談もいらない状態になっていたのに。ちょっと愕然。
ああ、そんなことより3月15日までに終わらせねば。今年は金曜日。ひたすら足し算と引き算をする申告の作業は来週だな。
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