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2002年4月のてくてく
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02/04/30/tue
■4月の最後
今日で4月も終わった。4月最後にムネオさんが逮捕されたのかと思ったら、ムネオ秘書だった。考えたらムネオさんにはまだ不逮捕特権があるんだっけ。
朝からというか、昼から、同居人と「因果関係と相関関係」について議論してみたりする。けっこうこのちがいを把握するのは難しいんじゃないかと思う。私自身、心許ない。やっぱりややこしいのは相関関係かな。
『広辞苑』を引くと、「相関関係」には「父と子」なんてのが例示として挙げられている。「一方が他方との関係を離れては意味をなさないようなものの間の関係。父と子、右と左など。相関関係にある概念を相関概念という」としか説明されていないのはかなり不満だなー。
『大辞林』だと「(1)一方が変われば他方も変わるというような関係。相関的な関係。(2)〔数〕二つの変量の間で、一方が増加するにつれて、他方が増加または減少する関係」とあって、こっちは納得できるんだけど。
昼間、これらを読んでいたときは「ふーん」だったが、いま改めて『広辞苑』の説明を読むと、けっこうまずい気がする。まずいとまで言っていいのかどうかはよくわからないけど。
そんなこんなを話しながら、途中で切り上げて【bk1サイエンスサイト】の関連でbk1へ行く。その後、bk1近くの元勤め先に届け物をして、元同僚というか元先輩とご飯を食べて帰ってきたり。
02/04/29/mon
■計画倒れ
ほんとはGW中に本の整理をするはずだった。去年、引っ越したあとに適当に放り込んだので、使えない本棚となってしまったままなのだ。その上、入居時は収まっていた本たちがいまや溢れている。そもそも整理が可能かどうかわからない。計画倒れが進行中。せめて、ここのところ体と気持ちがやさぐれて放置していた新聞と雑誌を縛って捨てることぐらいはしたい。だんだん新聞・雑誌に床が占拠されつつある。
あー、それでもさらに4冊も増えちゃうんだから、困ったもんだ。
■入手本
坪野吉孝著『食べ物とがん予防』文春新書
→【最新医学論文の紹介・GRCニュースレター】で疫学ニュースを配信する坪野氏の新刊。高校の同期がこの分野の研究者だが、彼女が呆れて言っていたのを思い出す。「よくナントカが発ガン性を抑えるっていうけど、人間に換算するとトラック3杯分食べなきゃいけないとかザラなんだけどな」。「トラック3杯分」はその後我が家の流行語になりましたとさ。
藤村哲夫著『電気発見物語』講談社ブルーバックス
→電気ってつくづくわからんのですわ。で、つい。
エド・レジス著『アインシュタインの部屋 天才たちの奇妙な楽園 (上) (下)』工作舎
→結局、いまごろ買いました。
02/04/28/sun
■不公平
テレビ朝日の「サンデープロジェクト」で、あー名前が出てこない、ええと大臣。慶応にいた。広中平祐は数学者だ。こっちが出てきちゃって、慶応のセンセだったお子ちゃま顔の大臣の名前がトコロテンのごとく押し出された。もちろん『経済っていこういうことだったのか会議』の人。……諦めて新聞を見た。竹中平蔵だった。
話は全然この人と関係なかったりする。予めお断りしておく。
この竹中平蔵が田原総一郎相手になにやらしゃべっている姿を見て、起き出してきた同居人が聞いてきた。
「不良債権をなくすにはどうしたらいいと思う?」
そ、そんな、いきなり聞かれてもと口ごもったら、「言ってやった、言ってやった」と喜んでいる。は? なんですか? 「昨日の夜、突然、sinの値を聞かれたから、それの仕返し」。……って、全然レベルがちがうじゃんか!!
昨日の夜、妹の数学問題でちょっと電話をしたときに、「なんかよくわかんないけど、何度っていう角度がつくのってなんだっけ?」と聞かれたのだ。この質問に対して「sinとかcosとか」と即答できた私はなんてエライのだと思う。
そっか。三角関数という名前とサイン・コサイン・タンジェントという音は覚えていても、「sin30°」というのは抜けているのだな。
そういうやりとりがあったので、ふと、こちらも私立文系(ただしオタク)の同居人に聞いてみたのだ。ふと寝しなに、「sinのあとにはどういう数字がくるか覚えている?」と。
比較的、数学や生物は好きだったらしいし、無線部にいたようなタイプだから半分くらい理系なんだけどね。それでもいきなり聞かれてパニクる。「眠れなくなるじゃないか」と必死。一生懸命考えているけど、やっぱりsinやcosの定義とか意味するところは忘れているので、全然出てこない。しばらくあれこれ言ってもダメだったので、「んとね、サイン30度とかいうんだけど」と言ったら、「せやせや」。じゃ、「sin30°の値は?」と聞いてみた。またパニック。誘導尋問と、奮闘の末、直角三角形に関係することを思い出す。「三角定規や」。たしかにそうなんですけど、値は? 正三角形の半分だよねーとかいろいろ言ってみる。サインはココ(斜辺)とココ(高さ)の比だよね、とか(向きは適宜補ってください)。
どうにかこうにか、「1/2」と答えた。つい「じゃcos30°は?」と口にしちゃったんだよね。これも沈没。斜辺と底辺の比だとわかっても、底辺の長さがわからない。「ピタゴラスの定理だよ。ほれ、ココ(底辺)の二乗たすココ(高さ)の二乗は、斜辺の二乗」と言ったら、底辺を「4」と答えた。むー。ルート3にたどりつくまでまたひと騒動。
なんか思い出したのか、逆襲してきた。「じゃあ、sin375°は?」。はいはい。「それってイコールsin15°だから、sin(45-30)と加法定理を使えるね、ええと…」と冷静に答えたら、ふて寝されてしまった。
しかし出てきた数字が偶然とはいえ375だったのはラッキー。
その復讐だったらしい。「不良債権はどうやったらなくせると思う?」。それはあまりに不公平。お願いだから、せめて「不良債権とは何か?」くらいにしてよぉ。私だってポアンカレ予想を解けっていったんじゃないんだからさ。
02/04/27/sat
■本格的に家庭教師
妹が聴講生になった。福祉方面の大学院である。勉強しようとする姿勢は大事だ。えらいと思う。が、そこで彼女は必要になってしまった。なんと数学である。思わず太字にしてしまった。聴講している講義が社会調査関係なので、否が応もない。
えー、妹は一般推薦で大学へ行った私立文系である。英語も苦手らしいが、数学は苦手とかそういうレベルではなく、無関係な状態。最後に数学らしきことをしたのはきっと高校2年のはずだ。約15年は遠ざかっている。
私はちょうど課程が切り替わる最後の年だったので、30代後半以上がなつかしい「数I、数IIB、数III」の世代だ。2つ下の妹は「数I、代数幾何、基礎解析、微分積分、確率統計」の時代。この次になると全然わからないけれど、妹の区分けのころに私は大学生として家庭教師をしたり、『数学セミナー』編集部で仕事をしたりしていたので、まだなんとなくはわかる。
何年前だったろうか、妹が「微分も積分も高校ではまったくやらなかったよ」というのを聞いてぶっとんだことがある。私が行っていた高校は女子校だし、どう考えても当時は理数系を軽視していたのだが、私立文系に行く子でも高校2年で微積は習った。が、妹はどうやら基礎解析の微積のさわりすらやっていないらしいのだ。数Iと代数幾何と基礎解析の最初で、彼女の高校数学は終わった(はず)。
そんな妹が社会調査の講義を受けて、SPSSなどという多変量解析のソフトを使わざるをえないというのはほんとにたいへん。たへんりょう解析じゃなくて、たいへんりょう解析だな。おそまつ。
当然のことながら、妹は泣きついてきた。「数I教えて」。だけどね、妹よ。シグマとか出てくるのは、私のころでも数Iじゃなかったのだよ。
人のよい私は付き合うことにした(大きな声では言えないが、私もすっかり忘れているので教えられない。いい機会だから教えさせる)。が、タダで付き合うのは損だ。どうせ1日付き合って終わるもんでもないだろうし。
決意。フツーの人の数学の様子をリポートしてやる。別に妹が特段ひどいわけじゃなし(たぶん)、世の中のごくフツーの30代がどんな感じか知るいい機会だもんね。ただし、30すぎて「数学教えて」と言ってくるあたりで、すでにリャンハンくらいレベルが上がっている。中学レベルの数学だろうが、「はなから受け付けない人たち」が現実だろうからね。8割方はそうだと思う。
ちなみに妹は「教えて」メールでこう書いてきた。【代数、数列、Σ、など「習ったはずです」といわれても、聞いたことはあるがそれが何を意味するのか全くわからず。完全に表音文字と同じです。実家の方から参考書を引っ張り出したのですが、何だかわからず】だそうだ。
思わず、「あのね、シグマは数Iではでてこないのよ」と返事を書いたら、【もう何が数Iで何が数IIBだ基礎解析、代数幾何だか全く判別つきません。いただいたプリントには編微分、回帰係数、偏回帰係数、切片、などが出てきます。今読んでいる本『複雑さに挑む科学』にはsin,cos,(こんな言葉だけは覚えてるが)やここでは表現できないような数式がいっぱい】だって。いや、だから、数IIBと代数幾何はそもそも課程がちがってね……って、関係ないか。
それと「編微分」ではなく「偏微分」なんだよな。にしても「切片」と「偏微分」が同列に書かれるというのもすごいなー。「切片」ってたぶん中学生で習うんだけど、同居人に聞いたら「聞いたことはあるけど、なんだっけ」だった。グラフで出てくるんだけどと言ってみたら、「それはなんとなくわかる」とのこと。でもなんだかはわからない。えっとね、「y=ax+b」っていう1次関数があったら、その「b」は「y切片」。視覚的にいうと、y軸とグラフがぶつかっているところなのだー。そしたら、「なぁんだ」。
それとね、しみじみ納得するのは、サイン・コサイン・タンジェントという言葉の強さですね。三角関数やこれらの言葉の意味するところはもちろん忘れているのだろうけれど、シグマと違ってその言葉を忘れられずにいるってだけで、まずすごい。
さてさて、今後どうなるか。もちろん彼女の目的は数学を勉強することなのではないので、なんとなく最初の障壁がクリアできればいい。「はっきりわかりたいというよりは、もうちょっと雲をつかむどころかどこに雲があるかどうかわからないので、なにか1つわかって落ち着きたい」らしい。まずはスタートするかどうかが不安ではありますが、何か進展があればメモしていきましょう。
■殿堂入り
突然、同居人との間で、どのノートパソコンが殿堂入りかという話になった。
東芝のダイナブック初代機(同居人はJ3100のSS001と型番を覚えていた。SXシリーズのいくつかも入れたいとのこと)は文句なく入るというか、トップバッター。キータッチはこれをしのぐものはまだないと豪語する。
次ぎに出てくるのが、IBMのPS55ノート。ビル・トッテンが講演会で「これからはこういう時代です」と振り回していたのを非常にうらやましく思ったという。同じくIBMからサブノート・パソコンのはしり、Think Pad 220 も当然でしょうね。それとお遊び感覚で、ウルトラマンPC。手のひらパソコンとして、店頭のディスプレイを見るたびに触っていた。
が、IBMで私と同居人の意見が分かれるのが、バタフライことThink Pad 701。蓋を開けるとキーボードが左右にスライドしてでかくなるやつである。私は却下。心許ない。「変な型番はみんなメキシコ産なんだ」と同居人。考えたら私の前のノートはThink Pad 345とやはり変な型番で、メキシコ産だった。けっこう自慢なんだけどな。
同居人が「絶対にいれる」と主張するのが、「オリベッティ・クアデルノ」。かっこいー。目ん玉飛び出したんだって。それはわからんが、かっこいーのはまさに同感。デザイン重視。皮のキャリーケースまでかっこよかった。あと一歩で私はこれの持ち主になるところだったが…、残念。
同居人が狙っていてやっぱり買いそびれたのが、いまは亡きDECのハイノートウルトラ。たしかに薄かったよね。曰く「ムラマサの登場以上にショッキングだった。あの当時にして作っていたんだぞ」。
もちろん忘れていけないのは、HP200LX。これ、じつはうちに4台いらっしゃいました。同居人が1台買った。ヒンジがつぶれて、買い換えた。2台目。そば屋に置き忘れてとられた。生産中止が決まり、慌てて3台目を買った。同居人だけで計3台。プラス私の1台。でもこいつがこないだ昇天なさいました。バッテリー系統がぱぁになってます。
現在意見が分かれているのは、NECの98ノート。私もユーザーでした。マイ初ノートパソコンがNSTってやつだった。でも入れたくないナー。ノートPC界への貢献は、その名前ほどにはじつはなかったと思うんだけどナー。デスクトップの88から連なるシリーズは別だけど。
あと最近のものではソニーのバイオははずせませんね。505ノートより、デジカメつけたちっちゃいC1だよね。いまのバイオの源流。同居人は東芝の「リブレットも」と強硬に主張しているけど、うーん…。私的には悩みどころ。
それと「こんなものもありましたで賞」として、三菱電機のアミティ。本体つきディスプレイとキーボードが分離する。この本体つきディスプレイを抜き取って営業に行くってほんと? が、その後、なぜか、このキーボードだけが、秋葉原の若松通商で売られていたのだ。
以上、我が家の(盛り上がったけど)無意味トークの中継でした。マックな話はわからないので、除いてます。ちなみに我が家にあるのに言及されなかったマシンは、モバギ(モバイルギア)とレッツノート。ただしDOSモバはちょっと殿堂入りさせたいらしい。同居人はDOSオタクっす。
02/04/26/fri
■共感覚
気づいたのはいつのころだったかな。中学生くらいかな。私は、数字を見ると色を連想していた。ちなみに、9はこげ茶、8は青、7は白、6は濃紺(群青色っぽい)といった感じ。最近はあんまり感じなくなっていたからはっきりしないけど、あと2はクリーム色で、3は黄緑だったかな。あ、1がクリーム色で、2は黄色だったかも。
前に【ホットワイアード・ニュース】かなんかで共感覚のニュースがあり、それを読んだ同居人から話を聞いて、「私は数字に色がある」って言ったら不思議がられたけど、共感覚ってこういう話も入れてくれるのかなと思ってみたりする『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』(リチャード・E.シトーウィック著、草思社)が出版された4月でした。
■匂い
現在、我が家の最大の問題。それは「匂い」である。私も同居人も匂いで右往左往している。
02/04/25/thu
■カンゲキ
【西田さんのEH(4/23)】で、【表面張力(4/14のてくてく)】の見事な追試がなされていた。写真付きリポート。これはかなりカンゲキ。ありがとうございまする!!
西田さんは、ちゃんとちゃんと秤を使っていた。そっか、そうだな、重さを量ればいいのだ。冷静に検討する態度はさすが。でも、うちにあるのは料理用の秤だけだから、こういう平(かつ精密)な秤が身近にあるのはちょっとうらやましい。
しかし、5%も蒸発するのかぁ。実は別件でけっこう蒸発するみたいだというのは経験していた。自宅でお茶を淹れるときに、もったいないので一緒に冷茶(緑茶も紅茶も)もつくる。と言っても、お湯をやかんいっぱいに沸かしておいて、2煎目、3煎目、そして出がらしを…、ええとなんていう名前だっけ、冷蔵庫に入れる麦茶用のポット、にいれるだけ。後は冷えたら冷蔵庫に移すのだけど、このときにけっこう蒸発する。蒸発に気づかなかったとき、「ティーポットに残っている紅茶を飲めばいいのに、なんであら熱をとっている最中のビンから飲むのだ」と減ったビンを指して同居人をせめたことがある。
そしたら同居人は「飲んでない」と否定した。言われもない濡れ衣だったのだ。犯人は蒸発ではないかと二人の間で落ち着いた。減ったのがかなりの量だったから。
そんな経験があったので「藤原正彦お茶体積減少問題」も、実は蒸発が原因じゃないかと思ったのだ。
西田さんは『理科年表』もちゃんと読みこなしていて、すごいなぁ。私は並んだ数字をちゃんと読んで、計算しようとはしなかったもんなぁ。ふだん手を動かしていないとこういうときにメッキが剥がれる。あ、そもそもメッキがかかってないか。てへへ。
熱膨張も多少は影響するだろうと思っていたが、せいぜい蒸発:熱膨張=10:1くらいじゃないかなと思っていた。2:1くらいか。かなり影響するもんなんだねー。納得。ああ、楽しかった。お茶という、本来、注いだら比較的すぐに飲んでしまうものを放置してこういう現象を見つけてくれた藤原さんにも感謝。
02/04/24/wed
■突然炎のごとく……、抜歯
前に治療していた歯がグラグラし始めたので、諦めて歯医者に行った。下のいちばん奥。口内コンプレックスのある私なので、当然、こんな奥歯に神経はない。とうわけで、痛みはなかった。が、かぶせているのがグラグラしているだけで一向に取れてくれない。取れたら行こうと思っていたのに。
いくつかのコンプレックスが重なっていたが、ちょっとうずく気もしたので、仕方なく歯医者へ。朝、電話をしたら、午後の予約が取れた。
「グラグラするんです」というと、歯科衛生士らしき人が軽く見て、「グラグラしますね。中が虫歯になってしまったのかも」と言われ、そのままレントゲンを取ることになった。当事者の歯と全体。レントゲンを見て歯科衛生士が「けっこうたいへんなことになっている」という。歯科医がきて、やはり「これはたいへん」と言われる。
根っこが割れていた。
ぐらつくはずである。でも神経もないし、痛まない。
「ふつうはあれこれ調べてそれでもわからなくて、レントゲンを撮ってみたら割れているとわかるんですけどね」
周囲への影響も少なくない。というより、ありあり。そんな状況で元気でいられる健全な口腔内の持ち主ではない。割れた歯のまわりが溶けていたらしい。本来なら歯の根っこが埋まっている顎の骨ってことだよね。「局所的に歯槽膿漏」だと。局所的でない歯槽膿漏があるのかどうかわからないけど。
「この場合は、抜いたほうがいいと思います」
軽い気持ちで、かぶせた金属部分をつけ直すためにやってきたつもりが…。抜歯。
個人的には抜くのにあんまり抵抗のないほうなんだけど、世の中「抜くな」の時代。抜いた場合の影響など少し聞いてみる。実は反対側の同じ位置の歯を10年以上前に抜いているので、スカスカになることが心配だった。たしかに歯は動くものらしいが、基本的には前の方へと寄っていきやすいものとのこと。幸いにしていちばん奥なので、横の影響は少なそう。問題は上下だ。下で受ける歯がないと、上の歯が出てきやすい。すでに抜かれている反対側もそう言われた。でも上はそのまんま。そちらをみてもらったらそれほど出ていないようだ。
残しておいていいことは…、なさそう。諦めて抜くことにした。
いきなり麻酔。5分程度で聞いてきたので、あとは力仕事だね。歯は痛くないのだけど、あごが疲れる。だるくて、押さえられるあごが痛い。まぁ、抜歯はそんなものである。もともとグラグラだった歯でもあり、根っこは割れていることもあり、たぶんあっさり抜けたんだと思う。
麻酔状態の口濯ぎという難題を済ませ、抗生物質と痛み止めを処方してもらって帰ってきた。今日はじっとイイコの日。
えーん、また歯が1本減ったよぉ。
■少年の日
昨日、「SOS」をモールス信号でどういうふうに打つのか、口で教えてもらった。
今日、「ツツツ・トートートー・ツツツ」と言ったら、同居人が「やめてくれー」と叫んだ。「トトト・ツーツーツー・トトト」なんだって。どっちだっていいじゃん。短い音と長い音なんだから。もう1回「ツツツ・トートー…」と言いかけたら、懇願された。気持ち悪いらしい。
というわけで、昨日届いた【『大人の科学』第7弾「電子ブロック」】を同居人はさっそくいじっている。モールス練習機も作っていた。
ねー、これを私がここで打ったら、だれがこのSOSを聞いてくれるの? 「ぼくが、ここで」。ちがうよー、それじゃモールス信号として役に立たないじゃん。でも練習機だからそういうものらしい。
笑えるのは「エレクトロニックすいみん機」だった。「雨だれの音を聞いているとねむたくなりませんか?」というのはわかるけど、聞こえてくるのは「ブッ、ブッ、ブッ」という電子音。これのどこが「雨だれ」じゃあ!
無駄な回路組みたいんだけどな。冗長というか。でもね。それにはちょっと足りないのだよ、ブロックが。
02/04/23/tue
■不調
土曜日から熱は引いたものの、どうも不調が続く。日曜日は起きたら背中がバラバラになるような感じで痛い。昔、顎の手術を受けた術後すぐ15時間くらい寝返りのひとつもうてずひたすら背中を下に寝ていたときのような感じ。とにかく筋肉が文句を言っている。「床ずれはこういうのが原因でなるのか」としみじみ思ったものだ。そのときとよく似ていた。
そんな背中をかかえていれば、他にも影響は出る。日曜の夕方からは頭がガンガンし始め、月曜日も頭痛と背筋痛が続いていた。
昨日の月曜日、【bk1サイエンスサイト】の仕事から帰ってきて、しっぷを背中に貼ってみたら背中はだいぶよくなった。今日もひきつづき、湿布。でも頭痛は変わらず。がーんがーん。
思うに、これは熱が出たときの影響が、年寄りの筋肉痛よろしく時差で現れたものでないかい? そうだったら、さらに、がーんがーん。
■到着
同居人が待ちに待った【『大人の科学』第7弾「電子ブロック」】が早々と到着! でも私は頭痛なので「あ、そう」。あまり感激できません。
■パパお話聞かせて
bk1のトップインタビューで【パパお話聞かせて】が掲載されている。ふと父親が読んでくれたことを思い出して、懐かしい気持ちになった。
同居人に聞いてみた。お父さんやお母さんに本を読んでもらった記憶ってある? 「ない。次男はそんなに手をかけてもらえん」と言った。
私は母親から本を読んでもらった記憶はないが、父親はある。幼稚園くらいのときだろうか。父親があぐらで座っているところへ、ちょこなんと入る。父親は椅子代わりでもある。今の自分のサイズを考えると(当然父親の膝がくだける)、そんな小さいときがあったのかとしみじみしてしまう。
そうやって読んでもらったのは『あたまをつかった小さなおばあさん』(ホープ・ニューウェル作、福音館書店)だった。有名な『いやいやえん』はあまり好きではなく、この小さなおばあさんがお気に入り。子供らしく、同じ本を何度も何度も読んでもらった。しかしほんとに子煩悩な父親だったなぁ。子供と遊ぶのは圧倒的に父親だった。
でもね。bk1のデータで発行年月をみると小さなお婆さんは「1974年」なんだよね。私の記憶では幼稚園から小学校1年(7歳)まで住んでいた家で読んでもらった気がするんだけど、1974はすでに9歳だよな。74年より前にも出ていたのかな。
それにしても、また読んでみたいなぁ。たしか、ガチョウの通り道用にドアに穴をあけるんだけど行き用と帰り用を別々に開けて「なんで帰りに行き用の穴を通るのか」と困ってみたり、眼鏡をかけて肉を切って眼鏡をはずして食べようとしたらすごく小さい肉しかなくて探し回ったり、いろいろと「頭」を使ったおばあさんの話。
02/04/19/fri
■ていきます
昨日の夜、『どっちの料理ショー』を初めて最初から最後まで見た。番組の仕組みが初めてわかった。そうか多数決で負けると食べられないのか。
そんなことより気になったのは、スタジオで料理をするシェフの言葉遣い。「揚げていきます」「炒めていきます」「焼いていきます」と「…ていきます」のオンパレードだった。じつはこの「…ていきます」に私は97年頃から違和感を覚えている。
97年に深い意味はない。ただ単に初めてであった違和感付きの「…ていきます」だったのだ。それはフィットネスクラブのインストラクターが使う「始めていきます」という表現だった。エアロビでもなんでもいいのだが、ほとんどのインストラクターがクラスの開始時に「では、始めます」じゃなくて「では、始めていきます」と言った。
何も「始めていきます」という必要はないと思った。いや、今でもそう思う。「始めます」でいいじゃないか。私がこの「…ていきます」の使い方に気づいたのは97年だったが、その後徐々に増えているように感じている。極め付きは昨日の『どっちの料理ショー』だった。
インストラクターはやたらとていねいな雰囲気、サービス感を醸し出そうとする。でもそれは、なんというのか正統的な上品な言い方ではなく、フレンドリーで「みなさんご一緒に感」というようなものを感じる。仲間っぽさというのかな。そういう立場からするとふつうの「…ます」ではぞんざいな印象というか、「素っ気ない」もしくは「よそよそしい」感じだと思うのではないか、というのが私の考えているところ。音数を増やして、柔らかくしようとした結果というか…。
きっとどこかでこういう表現の調査をしているところがあるんじゃないかと思うのだが、うまく見つからない。探し方が悪いのか、それとも違和感を感じる私の方が珍しいのかな。でもこの際だから、とりあえず「ていきます現象」と命名しておこう。
「…ていきます」はもちろん「…ていく」の(日本語教育でいうと)マス形。「です・ます」のマス。アスペクト表現のひとつで、これはこれでいろいろ面白いんだけどね。
■ふれ幅減少
少しよくなったのか、発熱のふれ幅が減少してきた。もちろん高位安定じゃないので、経過良好なのだろう。38度台には入らないですんでいる。が、少し弱っているのが他に出たらしい。歯ぐきが痛い。でもいまだ喉も鼻も何もナシ。1月末にほんとに喉だけやられて声が出なくなったが、そのときに発熱すべき熱がいまごろ出たのだろうか。
■読了
清水義範著『ザ・対決』講談社文庫
→熱が上がったり下がったりで落ち着かないので、清水義範の短編集などを久々に。いやー、同居人がえらく気に入っていたんだけど、たしかにこの発想自体笑えるわな。ちなみに出てくる対決は「ソクラテスvs釈迦」「シェイクスピアvs近松門左衛門」「ロビンソン・クルーソーvsガリヴァー」「コーヒーvs茶」「桃太郎vs金太郎」「空海vs最澄」など10対決。くだらん。くだらなすぎる。えーと、これいちおうホメ言葉です。冒頭のソクラテス対釈迦は、「せっかくそこまでやったのに」と泣けてきます。「空海vs最澄」なんて思わず登場人物の名前を検索しちゃったよ。ヒットしなくて自分の馬鹿さ加減に脱力したけど。
02/04/18/thu
■非インフルエンザ
朝方、少し眠れた。熱を測ると38度5分。40度はないので、じっとしていようかなと思っていたが、体中がものすごく痛いのと、これからあがっていくとしんどいのと、「医者に行け」という同居人のプレッシャーにまけて、近くの医者にいってみる。前にネットで近所の医者を調べていたときにみつけたところで、そのサイトの印象通りわりとていねいで、しっかりしたお医者さんだった。便利な時代になったものよのぉ。
で、症状を話すと、当然、インフルエンザを疑われる。「意外かもしれませんが、けっこう流行っているんです」とのこと。ラピッドなんとかという10分間で結果が出る検査キットがあるらしい。こちらも、便利になったものだ。喉の痛みも鼻水もないが、綿棒でそのへんをなぞり(順序は当然口から。逆はいやだ)、キットの小さな試験管に入れ、試験紙を入れる。あとは待つこと10分。……反応なし。「ふつうの風邪のようですね」。もちろん普通の風邪だってインフルエンザ同様なにがしかの悪さの原因があるのだが、インフルエンザ用の抗ウイルス薬を処方してもらい損なった。初アマンタジンかとワクワクしていたのに。
「無理して食べなくていいから、それより水分をしっかりとってね」と2回言われる。でも食欲あるんです。なんだかステーキが食べたい気分。タンパク質を欲しているのかな。とはいえ、水分補給は発熱時の基本。おかげで昨日から何回トイレに行っていることやら。そして、総合感冒薬と鎮痛消炎剤、発熱時の解熱剤を処方してもらい、調剤薬局へ。熱に強いとはいえ、外を歩くのはけっこうしんどい。ヨタヨタと帰路に就く。
最近は医薬分業が進みつつあり、街の開業医はだいたいこのパターン。ちょうど医薬分業が進み始めたころ取材していたのだが、薬局側もそれなりに努力しているところが増えていると思う。大病院前の門前薬局よりも、街中のところのほうがいいかもしれない。処方された薬の写真と名前などが入った説明用紙と一緒にわたされる。持ち帰ったら、同居人が感心していた。
早速、毎食後と言われた感冒薬と消炎剤を飲む。少し動いたのがよかったのか、1時間くらいぐっすり。汗もかいて、午後1時くらいには37度以下に下がる。2時すぎにお昼の薬を飲み、再度寝る。少し熱が下がっているせいか、気持ちよく眠れる。うれしい。
が、夕方午後5時頃から強烈な寒気。あちゃー、と思いつつ測ってみると38度ちょっと。再びあがり始めたようだ。寒気でブルブル震えて、飲もうとしたお茶をもつコップがうまく口に当てられない。両手で飲む。さらに1時間じっとしていたが無理。午後6時には39度。諦めて発熱時用のカロナールという解熱剤を飲む。それが効いたのか1時間くらいで寒気はなくなった。ステーキはないので、納豆でタンパク質を補給してみたり。
いまだ喉も鼻もない。熱だけが上がったり下がったり。38度台はしんどいが、39度になると今度は元気。昨日と違って、汗をよくかくけれど。
「ホームページ更新していたなんて信じられない」と同居人に呆れられたが、寒気がないときも本も読めず、こういうメモを書くことくらいしかできないんだもん。寝てばっかりだってしんどいんのだよ。
夜になって再び下がり37度台へ。しかし上がったり、下がったり、せわしない。
02/04/17/wed
■経過・高熱への道筋
午後、テープ起こしを続けていた。夕飯の準備をして、帰ってきた同居人と食事。元気である。が、スーパーチャンネルでやっている「スタートレック・DS9」を新聞読みながらなんとなく見ていたら、フェレンギ人の話に脱力しきる。
午後7時20分、このせいかわからないが、唐突にだるさを感じる。
午後7時45分、フェレンギ人に付き合う必要はないと、寝室へ向かう。横になって「ためしてガッテン」でも見ようかなと思いつつ、ちょっと熱を感じる。
午後9時。心配した同居人がくる。「熱っぽい」と訴えたら体温計を持ってきてくれた。測定すると37度7分。微熱というには少し高い。
午後10時。再度測ってみる。38度3分。上昇中。
午前0時。ついに39度。高熱の部類にはいるはずだが、熱に強いのであまり「くたっ」としていない。強すぎるのも考え物である。
ヘタに解熱剤も飲めず、諦めて寝ることにする。「熱さまシート」を貼りつけると、少しうつらうつらできた。
午前3時。浅い眠りなのですぐに目が覚める。このときは38度7分程度だった。しかし先が思いやられる。
午前4時。やっぱり39度。体中が痛い。が、熱の症状以外は何もない。喉もへいき。鼻もない。ひたすら高熱。「熱さまシート」を交換し、水分を補給して、再度寝る努力。
午前6時(18日)。寝付けない。やはり39度。朝っぱらからこの熱だと、やばいなぁ。
てなわけで、死んでいます。いきなり熱なので、インフルエンザかな。11年ぶりの強烈君かも。40度になったら諦めて病院へ行こうかな。私、大人になってから42度も経験あります。で、あほうになったのだろうか。42度だと体温計が破裂するんじゃないかと気が気じゃなかった。
寝ようとすると、夕方のNHKに出ていた斎藤孝がなぜかリフレイン。おかしなことに、うつらうつらしながら斎藤孝と戦っているみたいなのだ。なぜだろう。
■読了
サミュエル・コールマン著『検証・なぜ日本の科学者は報われないのか』文一総合出版
→高熱への道がスタートする前に読了。熱で横になっているときに他の本を読もうと思って持っていったけど、無理だわ。
この本はたしかにもっともな指摘をたくさんしている。が、最後まである点についての違和感が消せない。いいとか悪いとかではないが、「欧米スタンダード」への違和感だ。しかし、これ以上はやっぱり無理だ。
02/04/16/tue
■手がしびれる
つらつらとテープ起こしを進める。最近気が付いたのだが、テープ起こしをしていると、左手がしびれる。
なんでだろうと考えるに、テープのための操作をするのは右手。一時停止とか巻き戻しとか。他にカーソル・キーも右手の役割だから、それなりに可動域が広い感じだ。
一方、左手はひたすらキーボードの上に置かれている。英文タイプでちゃんとした運指を覚えたので、B5ノートパソコンの小さいキーボードだと動かすのはほんとうに指先だけですむ。手のひらの下の方をアームレスト部分に置いたっきり。肘の位置が机から少し落ちているのもいけないのかもしれない。手の先の方に血がいってない感じになる。
あと、昔気質の人間なので、いまだダイヤモンド・カーソル利用者なのもよろしくないのかもしれない。aの横にコントールキーを配置し、左手の小指はけっこう忙しく働いている。力の弱い指なので、余計に負担も掛かっているのだろうか。
いまのようにふつうに文章を打っているときは多少は動くせいか、それほど感じないのだけど、テープ起こしのような作業だとついつい固まってしまいやすい。たまに左手を運動させてあげないとならない。
手がしびれるという感覚を腕枕などではなく、キーボード上で経験するのがちょっと不思議。
■チェーンメール
昨日、友人からチェーンメールが届いた。「不幸の手紙」系だったら友人もさすがに止めただろう。が、よくある「善意」系。「同情」系ともいうのかな。友人の意識は「回覧」のようなものらしい。英語の文章だったからいちいち訳すのはめんどうなのでしないけど、英語でも日本語でも「たくさんの人に送って下さい」というような文言があったら、それはどんな内容であれ、疑うべきだ。「ワンギリ注意喚起メール」も「デマウイルス」も、出所がはっきりしないままに「知っている人全員に送って下さい」ということが強調されていた。どう考えたって、その時点ですでにNGだよ。「善意」はタチが悪い。
送られてきたチェーンメールのキーになりそうな単語をもとに検索をかけたら、案の定98年〜99年ですでに出回っている内容。「余命6ヵ月」だかの末期癌患者の話だけど、友人に「98年頃にはウェブに出ていたよ」と教えたら、「そんなに昔のものなんだ」と驚いていた。
ということで、いくつかチェーンメール、メールマナー関連のリンク・メモ。
【安全教育に役立つ参考資料集】
【チェーンメール・コレクション】
【連鎖メール情報流通拡散防止プロジェクト実験推進協議会】
あとは前にも出したけど、
【メール道場の別館】
あたりでしょうかね。お願いだからふつうの感覚でメールの内容も判断してくださいましよ。アメリカがんセンターがメールを送った人数1人につき3セントを末期癌の少女の治療に寄付するってなこと、あるわけないっしょ。>不得手な方々
02/04/15/mon
■春なのに…
暑い。家の中は涼しいので、外がどうだかまったくわからん。ドアを開けて長袖を着たことを早速後悔する。ジャケットも持っているぞ。
なのにホカロン女。週に1度のお勤めで【bk1サイエンスサイト】で取り上げる本の会議から帰ってきたら、汗だらけだった。
02/04/14/sun
■表面張力
昨日(4月13日)の朝日新聞夕刊に「ウィークエンド科学面」があり、そこの藤原正彦氏のコラムを読んだ。タイトルは「膨張するのはお茶か、茶碗か」。藤原さんはお茶をなみなみと注ぐのが好きなんだそうだ。しかも、湯飲みのふちよりも上に水面がいくほどに。つまり表面張力が発揮されている状態である。
で、その状態を藤原さんの奥方は嫌がるとな。…それはまぁどっちでもいい。お茶が表面張力を発揮するほどになみなみと注がれた状態を放置しておくと、不思議なことに今度は湯飲みの縁よりもへっこんでしまうという。それはなぜかということが夫婦間で論争になったそうだ。藤原さんは「膨張していたお茶が冷えて、体積が小さくなるから」、奥方は「茶碗がお茶の熱で少しずつ膨張するから」。なかなかすごいぞ。ちなみに決着は、「お母さんのいうことが正しいとすれば、1時間もたったら茶碗が冷えて元通りの大きさに戻るから、水面が再び丸く突き出てくるはずだよ」という中1の三男くんの一声がつけた。
なかなか頼もしい三男氏だ。
でも、私は表面張力で丸く突き出たお茶の水面が、いずれ縁よりも下がることを経験したことがない。早速やってみることにした。お茶は面倒くさいので、お湯にした。比較対照のために、水でもやってみた。
まず同じサイズのコップを2つ用意。片方に水を注ぐ。注ぐ。なみなみ。出っぱるほどに注ぐのはけっこう難しいな。こぼれてしまうとダメだよね。スポイトがほしいけれど、んなもんはないので、最後はスプーンで注ぎ足した。「あんまり出てない」と同居人に文句を言われたが、いちおうコップの縁よりも突き出ているのでヨシとする。
で、シュンシュンと沸いたお湯を隣のコップに注ぐ。やはり最後はスプーンが頼り。だいたい同じくらいまで突き出てもらった。湯気もさかんに出ている。
そのまま観察すること数分。お湯の方はすでにだいぶ水面と縁が同じ高さになっている。さらに放置しておくと、水のコップはずっと頑張ってコップの縁よりも少し高いところに水面があるが、お湯のコップはたしかにへこんでいる。縁よりも水面が低い。ほー。
ただ私は思うのだ。これはほんとうに「膨張していたお茶が冷えて、体積が小さくなるから」なのか、と。さかんに出ていた湯気が気になる。「蒸発していった分がへこんでいる」んじゃないのか。主原因は、どっちだ? もちろん10分経っても、もうちょっと経っても、水の方のコップはずっと出っぱったまんまだった。
これって、水の膨張率を調べればはっきりするのかな。
理科年表を開いてみたらちょうど「液体の体膨張率」という項目のページだった。アセトンとかアニリンとかメチルアルコールに並んで水もあった。水は「0.21×1/1000」らしい。ちなみに20℃の値。あと注に「液体の体膨張率は温度とともにわずか増加する」とある。「わずか」だからだいたい一緒と思っていいんだろうな。えー、実はこの数字の意味をちゃんと理解できていない。トンチンカンなこといって恥かくかもしれん。が、けっこう小さい数字じゃないかと思うので、「表面張力ででっぱってたお茶がへっこむのは、収縮じゃなくて蒸発するから」のような気がする。ちがいまっしゃろか。
■入手本
サイモン・ルベイ著『クィア・サイエンス 同性愛をめぐる科学言説の変遷』勁草書房
→待っていました。たしか99年くらいにはすでに翻訳中と聞いていた。監修者あとがきによると翻訳作業が難航したそうだ。いやぁお疲れさまでした。
クリフォード・A・ピックオーバー著『ワンダーズ・オブ・ナンバーズ 数の不思議』主婦の友社
→グーゴル博士というのが登場するらしい。グーゴルとはすごく大きい数のことだよね。pdicによるとグーゴルプレックス(googolplex)は「10を10の100乗した数」なんだって。クリンゴン数とかも出てくるから、トレッキーな人も楽しいみたいだ。
02/04/13/sat
■早起き
6時前に起きて、6時15分に家を出て、一路千葉方面へ。7時45分の待ち合わせだが若干遅れたら、先方も遅れて同時だった。ほっ。取材ではあるが、こんだけ朝早いのも久々だ。しかしなんでこんなに遠いんだっ。>千葉
■腹が痛い
みーん。腹痛がプラスされつつある。みーん。ホカロンホカロン。
■気づいたこと
私はクローン人間のニュースにあまり関心が向かない。その理由に気づいた。私はクローン羊やクローン猫よりは違和感が少ないのだ。社会的なコンセンサスはとりあえずおいておく。羊や猫や牛に「クローン作っていいか」という確認を人間はどうやってもとれないから勝手に作っている。けれど、人間なら少なくとも当人の意志の確認はとれる可能性がある。人間が人間以外の動物に手を出すより、人間が人間に手を出すほうがタチがいいように感じているんだな。こういう感じ方はどこへつながるのだろう。そっちを考えたほうがよさそうだ。
■読了
中野次郎著『誤診列島』集英社文庫
→のりは基本的に『ハーバードの医師づくり』(田中まゆみ著、医学書院→【読了日02/04/05/】)と同じ。こちらのほうが一般向けの版元が作っているぶん、読みやすいかも。しかし、つくづく医局制度ってどないかならんのか。
02/04/12/fri
■死にはじめ
頭が痛くて眠くて、死にはじめ。
■現実
家でたらたら作業をしていたら、近くに仕事で来たという元上司から連絡。ちょうどお昼時だったので、ランチを一緒に食べながら情報交換などしばし、というか長時間。
出来たての本をもらいながら、本の内容から派生して教育現場の様子について悲喜こもごもな感想を話す。二人とも部外者なので無責任な話といえばそれまでではあるが、まったく無関係というわけでもなく、ついため息がまじる。著者筋は大学か高校の先生がほとんどの出版社なのだ。
話は勢い数学や理科中心になるが、別に数学や理科だけが大変なわけではなく、どの教科も分野も同じような状況なのだろう。実際、元上司の知り合いが再入学したという文学部英文科も惨憺たる様子。社会だって国語だって、似たような状態なわけだ。日本語教師志望者ですら読み書き能力の低さが目についたもんなぁ(漢字を読めないし、本も読まない。日本語への関心もあまり高くない。ただしあくまで志望者について)。
少子化のあおりを食らって、社会人入試がさかんになっているのは少しだけ希望をもてるところではないかと話してみたり。私自身、大学1年のときの英語のクラスではすでに同時通訳でバリバリやっていた20代後半の人が同級生となった経験がある。せいぜいが1〜2年の違いしかないのがあたりまえだったから慣れるまでは大変だけど、「おねえちゃん(←当然こう呼ばれていた)」がいてくれたことはよかったんじゃないかと思う。質問や雰囲気がちがうし。
にしても現実的な状況の認識が上方修正されがちなのはなんでだろう。結局、「もの言う人々」や「もの書く人々」「もの編む人々」は、“偏差値”や“意識”の高い人たちが多いからだろうか。基本的に似たような傾向の人間が集まるものだし。そうじゃない「平均」はあまり接していないからかな。いいとか悪いとかを抜きに、「もの読まない人々」「もの知らない(知ろうとしない)人々」が主流だと思う。
私の基準は、はっきり親(高卒)と妹(私立文系)。親は世代もちがうから参考程度だけど、2歳違いの妹はとてもありがたいサンプルだ(*)。学区のなかでレベルとしてはちょうど真ん中へんの公立高校に進学し、その高校でもだいたい真ん中へんの成績をとっていた(らしい)。大学では社会福祉を勉強し、福祉のエキスパートとしてのキャリアはしっかりしている。姉の目から見てもけっこういいセンいっているんだろうなと思う。実際、いろいろ声もかかるみたいだし。行政の担当者とやりあったり、警察とやりあったり、作業所でパンを焼いたり、作業所のメンバーさんの主治医とやりあったり、メンバーさんとやりとりしたり、その他諸々の現場的対応には長けているけれど、現場でやっていくのに直接的に関わってこない「(一般)教養」的な知識や情報はかなり乏しい。……「福祉」のかわりに別の言葉を入れれば別のケースになるんだろうな。「フリー」を入れると私ってか。
彼女は本(や雑誌)をほとんど読まなかった。というか「読みこなせない」(別にド難しいものではなくとも)。だから必然的に調べることがあまり上手にできない。調べたことを理解したり、まとめたりするのも四苦八苦している(**)。この手の作業には慣れも問われる。コンスタントにやっていなければ誰だってできないし、ふつうはその必要もない。いま彼女は再度勉強するために必死になって取り組んでいるので、こういう現実にぶつかっている。
思い出した。去年の秋にできて秋のうちになくなった朝日新聞社の『SEVEN』という若者向け週刊紙で、試みに周辺の20歳くらいに簡単なアンケートをとったことがあったらしい。母数も少なくちゃんとした調査ではないので、信頼できるわけではないけれど「ゲノム」を「聞いたことある」と答えた子はたしか十数人中ゼロ。かろうじて「DNA」は「聞いたことある」子が何人かいたらしいが、説明はできなかったらしい。社会科系の言葉もいろいろ入っていたみたいだが、あまりの惨状にちゃんと調査する前に挫折したようだった。つまり「前提知識はゼロ」で何事もやるしかなさそう。
(*)もちろん逆の意味で私はサンプル。社会福祉の現場を何も知らん。
(**)現在、私は読書教官役。どうやら何を読んだらいいかわからない状態なので、福祉の教科書以外のものは「これとかあれとか」と新書を中心にリストを送りつけた(いきなり難しいものは無理だろうし)。もちろん科学書はまだ1冊も入っていない(涙)。さらに読み終わったら読書メモ提出を義務づけてみた。あまりの惨状&現在プーなので「新書あたりを1日1冊読め」とハッパをかけてみたが、パソコン関連も入れて読めたのはやる気満々でも月3冊程度だったようだ。家庭教師代をもらいたい〜。
■ちょっと前進
完璧にご同業の元上司なので、「やりたいなぁ」と思い始めた企画について相談してみた。アドバイスも得られ、気分は上々。さて、始動できるかどうかが問題だな。
■入手本
河添健・林邦彦著『楽しもう!数学を』日本評論社
→というわけで、いただきました。ありがとうございます。勉強しますだ。
02/04/11/thu
■な、ながい…
ちょっとした気分で、『マイ・フェア・レディ』を借りてきた。見た。予想外の長さ。3時間だよ。途中、インターミッションまである。しかもミュージカルだった。無知ですみません。
正直、タルかった。なんでかというと、やっぱり「ワタシハエイゴガワカラナイ」から。しかも見ようと思ったきっかけが、言葉への興味だったからな。
ヘップバーン扮するイライザの花売り娘言葉を必死で聞くが、「a」の発音が「あ〜い」となっていることくらいしかわからない。俗に言う「いっつまんだいつだい(It's Monday today)」というもの。でもそれ以外にも「h」が落ちたり、余計な「g」が入ったりといろいろあるらしい。「ホテルニューハンプシャー」は「オテルニューアンプシャー」になっちゃうってか。フランス語のようだ。
あと、いちいちストップしながら見る気にはならなかったので確信は持てないけれど、ぞんざいな口調に訳されていた字幕の元は「時制の間違い」や「単複の間違い」みたいなものもけっこうあるんじゃないかなという気がした。はっきりはわかんないけど。
じつは、『ビューティフル・マインド』(シルヴィア・ナサー著、新潮社)に似たようなエピソードがある。主人公のナッシュが愛人(というのか? あの場合)に生ませた子と話しているときに、息子が「You was …」というのを苦々しく思ったという記述がある。
昔は、ネイティブはどういう人であれ、こういうミスを絶対にしないものだと思っていた。しかし“育ち”を判断されやすいポイントなのかな。
日本語教師の試験のために少しだけ音声学や方言を勉強したので、あれこれ考えてしまう。言葉がなんであれ、多かれ少なかれクセはある。途中から、イライザが覚える発音はどこの発音になるのだろうと疑問に思っていた。上流階級(*)の発音を身につけるとはいえ、どういう特徴になるのか気になる。結果、やっぱり「外国人の英語」。ネイティブにはならんのだろうな。その設定は妙に納得した。
関係ないけど、『マイ・フェア・レディ』を見ながらいちばんに思ったこと。「これって、オンシアター自由劇場向きの話だな」(上演しているかどうかは未確認)。イライザはもちろん吉田日出子。ヒギンス教授は串田和美。なんか似てる。
(*)そういえば出てくる歌の歌詞に「カースト・ツー・カースト」ってのがあったな(たぶん。ヒアリングは無保証)。イギリスも“カースト”なのか。
02/04/10/wed
■疑問
昨日今日と、テレビや新聞で、来年度から使われる高校の教科書検定の結果が流れている。生物で3教科書がNGをくらったらしい。小中学校の入学式も重なる時期で、これまでの「学力低下」問題とあわせて、教育関連の記事やニュースが多く出ている。
今回の高校教科書検定でいちばん注目されているのは、生物Iで「進化」が完璧にアウト扱いだったことみたいだ。報道によると「(文部科学省は)進化のシの字もダメという雰囲気」だそうだ。でも、世界史では「進化」が出てきたり、生物基礎という科目ではOK。でも生物Iを履修する生徒は「生物IIの内容だから」ということで進化を学べない。
……生物IIまで履修する生徒がどれだけいるのやら。
当然、この高校の指導要領は、今年度から取り入れられている小学校や中学校の指導要領を踏まえた作り。俗に「3割削減」と言われているやつ。
ちょっと疑問に感じたのは、「学部教育はどうなるんだろうなぁ」ということだ。
小学校や中学校で習う内容がスカスカになり、高校はそのあおりを必然的に食らう(中高一貫の私立は除く)。でも、高校が4年制になるわけではない。高校でこれまでと同じくらいの内容を教えようとしたら、大変だろうなぁ。現実的には現行の高校の内容を理解せずに、もしくは履修せずに大学へ進学する子供が増えているわけで、そうであるにもかかわらず高校でこなさないといけないことが増えるとなると…。さらなる負担が学部入学後にやってくるような気がする。気のせいならいいのだけど。
一方で、前に金融工学関連で確率論の取材をしていたときに、「学部レベルで身につけないといけない内容(専門分野の基礎)も昔に比べると増えているんじゃないか」と感じた。もちろん学部生が学ぶのは切り開いた先人達が形を整えてくれた内容になるので、先人達のかけた労力の何十分の一、何百分の一にスリムアップはされている。
ただ、たとえば数学なら微積や線形代数といった入学後すぐに勉強しなければならないものは50年前と同じようにある(←50年前は生まれていなかったので憶測。ごめんなさい)。しかも高校までに身につけているものが目減りしたら、それらまで大学入学以降に回されるわけで、ちゃんと勉強しようとしたらすごく大変なことになってしまうのではないだろうか。
どうすんだろ。ほんとうに賢い子ら(つまりその後をリードするような研究者になるような子)は勝手に何でもやるだろうからあんまり心配しないけど、目立たなくともそこそこ優秀なふつうの子たちに、文部科学省は非常なる迷惑をかけていると思うんだけどな。そしてこういう子たちの層がきちんと厚くあることも大事なような気がするんだけど、これも気のせいだろうか。
■土日休み
先週の土曜日が完全週休2日制の最初の土曜日だった。
私は小学校2年から高校3年までずっと週休2日だったので、これが大きな変化だということが正直なところピンとこない。土曜日に授業があって学校に行っていたのは小学校1年だけなんだもん。1973年以降ずっと週休2日。とはいえ中学時代の土曜日は、テニス部の練習だけの日となり授業よりはるかにハードだった。
ちょうど完全週休2日制になるということが決まったころに、母校へ取材に行った(ただし小学校)。切り替え当時を経験した先生に「どうだったんですか?」と聞いてみたら、「あんまり覚えていないけど、どうにかなるだろうで踏み切った」らしい。先例もほとんどない時代。大変は大変だったようだが、けっこういい加減である。実際、母校はどうにかなった。子供だった私は「私立は土曜日がお休み」だと思っていたくらいだ。そうじゃないと知ったときはえらく驚いた。
元々週休2日制で従来の、それこそ「詰め込み教育」時代の内容もやってきていたので、ここへきてわざわざ減らされてもなぁと思っただろうなぁ。
まぁ、こんなことができるのはある程度均質な生徒が集まっている私立の学校だからできることにほかならない。
土曜日が休みだった中高時代は「ラッキー」と思っていたが、こういう変革時にその変化がピンとこないので(自分の体験として比較対照できない)、いまは「アンラッキー」とも思ってしまう。
02/04/09/tue
■現実逃避
どうもやる気が行方不明。新緑薫るこの時期に気をそぐ発言はかなしい。でもおかげで読書は進む。明日からよい子になりましょう。
■読了
アミール・D.アクゼル著『「無限」に魅入られた天才数学者たち』早川書房
→「無限はコワイ」。なんとなくそう思っている。ややこしいことがすぐに起こる。でもコワイだけじゃなくて魅力的なんだよな。
遠くギリシャ時代、有名なゼノンのパラドックス(*)に現れる「無限」は、かのガリレオの前で扉を開き始める。ボルツァーノは離散から連続へと、無限の方向性を拓く。そしてカントールこそ無限を世に解き放った人物といえよう。無限は一様ではなく、階層があるのだ。数えられる無限と数えられない無限。
カントールが解き放った無限への追求は、ゲーデルが引き継いだ。数学の巨星たちがきら星のごとく並ぶ分野だ。アクゼルも「無限の輝き」と形容するが、数学者だけでなく多くの人にとって無限はやはり光を放つ光源なのだろう。
数学に苦手意識がある人にはちょっと難しいところもあるだろうけど、おもしろかった。特に前半は「そうだった、そうだった」と懐かしい気分。「デデキントの切断」について触れているところを読みながら、「あ〜、大学2年の時に『実数の連続構造』を証明するために7つの命題の同値性を先生が証明してたなぁ。その一つだったんだよなぁ」と思い出す。同時に「あの単位は落としたっけ…」という記憶さえついてこなければ最高だったんだけどね。
(*)アキレスと亀が競争する話。亀はあまりにのろいからスタートラインをアキレスよりも前にする。ハンデ戦なのだ。で、ヨーイドン。アキレスが亀のスタートラインまで来たとき、当然、亀はスタートラインより進んでいる。次にアキレスが亀がいたその地点まで来たとき、亀もそりゃ少しは進んでいる。再びアキレスが亀の地点まで来たら、またまた亀はその地点よりも進んでいる。と、永遠にアキレスは亀を追い越せない…、わけがない。さぁ、あなたはどうやってこの亀を追い越す?
02/04/08/mon
■あわ2
昨日、寝る前にお風呂に入った。もちろん再び、体毛に発生する泡を確認するつもり。が、待てど暮らせど泡がついてこない。なぜだ?
考えられる理由はたぶん、これ。「昨日と同じお湯を沸かしなおしたから」
新湯(「さらゆ」と打ったらこう変換してくれた)じゃないと、泡は発生しないのではないだろうか。2日目のお湯は、もうお湯の中に気泡のタネが残っていない可能性が考えられる。
そこで、「お湯に空気をまぜてやれば、また泡がつくようになるかもしれない」と考えた。
深夜の風呂場でしたこと。それは、洗面器を使ってお湯をくんでは湯船の上の方から落とす作業だった。もちろん裸。こういうとき、我に返ってはいけない。
イメージは滝壺だった。滝のように水が落ち込むところは、空気がたくさんはいっている水なんじゃなかったっけ。汲んでは落とす。汲んでは落とす。ざっぱーん。5分くらいはやろうと思ったが疲れた。きっと2分くらいで挫折したに違いない。息があがりながら、再度、湯船につかる。
い〜ち、に〜い、さ〜ん、し〜い、と百まで数えてみた。
しかし、一昨日のような泡は発生してくれなかった。時間が短すぎたのか。それともずっと汲んで落としてみてもダメなのか。わからん。
■読み中
『「無限」に魅入られた天才数学者たち』(アミール・D.アクゼル著、早川書房)と『検証・なぜ日本の科学者は報われないのか』(サミュエル・コールマン著、文一総合出版)を読み中。前者はなんだか楽しい気分。出来は悪かったけど数学が好きだからね。他の本(一般書)ではあまりお目にかかれない、知っている名前や言葉がいろいろ出てくると素直に嬉しい。後者は昨日届いてパラパラめくっているうちに半分くらい読んでしまった。デジャヴが起きているのはなぜだろう。前にこの調査の話を聞いたことがあったのかな。小骨が喉にひっかかっている気分。で、途中少し飛ばして「性」と題された章へ。あれこれ考えてしまうなぁ。
ただ、気になることが一つ。名前の問題。論文を書く人たちにとっては大事なことだ。もちろん夫婦別姓法案をさっさと通せよと思うけど、現状で「妻の姓を名乗る」イコール「婿養子」みたいに思われているのは問題。妻の姓を名乗っている夫婦が友人に2組あるが、別に「婿養子」じゃない。妻は二人とも同い年で、片方は一人っ子でもない。
婿じゃなく嫁が養子になる場合を「嫁養子」というわけではないみたいだけど、その実例も知っている。妻が夫の親の養子になるのだ。夫が妻の親の養子になる「婿養子」の逆ってだけ。なんのメリットがあるかって? 必要性は人それぞれだからね。
けっこう事実婚も増えているんだけどな。私自身、入籍していないし、同居してても世帯も別だし。身の回りにはけっこういる。子供ができても、そのまま事実婚のカップルもいた。
もちろんいろんな制度的不都合がある(特に非嫡出子問題は)。それでも現実に即して適当に選択しているケースも多々あるんじゃないかな(この「適当に」は「いい加減に」という意味ではない)。
あと気になったのは、旧姓だけでずっと仕事できる国公立大学や公的機関もあると思うんだけどなー。所属機関、場所によって全然ちがうのかな。
02/04/07/sun
■あわ
昨日、湯船に使って、足を投げ出し、ぼぉぉぉっとしていた。半ば眠っていたかもしれん。
ふっと気づいて、湯に浸かった自分の体に目をやる。足やお腹など、いたるところの体毛に細かい泡がくっついていた。
「やっぱり、再生している!」
私は湯船に入ると体毛にまとわりつく細かい泡を、さぁぁっとこそげとるのが好きだ。細かい泡が取れていくのがおもしろい。だから湯船に入って必ずやる。昨日も「あるある(にんまり)」と、こそげとった。
で、ぼぉぉぉっとしていたのである。途中、自動保温にしていたので、冷めたお湯に追い炊きがかかった。ボコボコいっている。そういう音も心地よいBGMよのぉ。と、じっとしていたら、泡が再生していたのである。
前にも泡が再生することを経験したような気がして(←泡が再生中の様子を確認していないので、自信なさげな描写)、とある編集部で聞いたことがある。したら、
「えっ、あの泡ってボクだけじゃなかったんだ。ボクだけかと…。ボクが汚いからああなるのかと思っていた」
って、おいおい、O副編集長(当時)。ふだんの科学的態度はどこへ。思わず横にいたSさんと呆れながら吹き出した。そのSさんは「私、あれ、だいっ嫌いだから、すぐに全部とる」とのこと。でもO副編の強烈な反応に押し切られ、再生可能性について論じ損なった。
なんとなく忘れていたのだがやっと昨日、泡の再生に遭遇できたので、さらなる確実を期すために、同じ浴槽のなかで再トライした。今度は追い炊きを排除する。
いざ泡の再生を意識すると、待つ時間が長い。じっとしているのが苦痛だが、とりあえずじっとしている。見ていると再生が進まない気がするので、目をつぶってみたり。
待つこと数分。やっぱり、泡は再生していた。
さて、ここからが本題。なぜ泡が何度も何度も体毛にまとわりつくのか。
「皮膚呼吸しているからだよ。毛穴から吐く息」
前にこう言ったら、私は同居人に呆れられた。冗談なのに。たぶんお湯の中に入っている目に見えないほどの小さな小さな気泡が、少しずつ体毛というくっつきやすいところに集まるのだろうと思う。ちがうかな。ぱっきり説明するナントカ現象という言葉があるんじゃないかと思うのだけど、それは思いつかない…。毛細管現象じゃないしな。ねっこにあるのはブラウン運動? でも人は息するから、完全に止まっていられないしなぁ。ブラウン運動以上に人が動いているような気がする。
あ、ちなみに毛の密度は泡の集まりやすさの大事な要素。
■たしかに
昨日のクローン人間のニュースに関して、【粥川準二さん】が「気の進まない」としながら義務モノとして日誌に書いていた。毎日の記事には「コメントするのも汚らわしい」というコメントもあったもんなぁ。
「汚らわしい」とまでは思わないけど、あまりコメントしたいと思わないのも事実。なんでだろう。ただES細胞よりも多くの人が気にとめるのなら、この機会に関連情報をうまく流すことも大事だろう。受け皿はいつもあるものではないから。
■入手本
ワルター・J.ゲーリング著『ホメオボックス・ストーリー 形づくりの遺伝子と発生・進化』東京大学出版会
→京都賞を受賞した著者は、この分野の第一人者。ホメオボックスはNHKスペシャルでやっていた『遺伝子』シリーズでもしっかり取り上げられていた話だ。そうそう。ホメオボックスとホメオスタシスは全然べつのものなのです。紛らわしくてごめんなさい。
I.ウィルマット,K.キャンベル,C.タッジ著『第二の創造 クローン羊ドリーと生命操作の時代』岩波書店
→クローン羊、クローン牛、クローン猫、クローンうさぎ、あとなんだっけ。猿もいたよな(あれは体細胞クローンじゃなかったっけ)。ドリーが哺乳類クローンの先駆けであることは間違いない。昨日のクローン人間よりもドリーの方が話題がでかかったような気がするなぁ。なんでかな。
サミュエル・コールマン著『なぜ日本の科学者は報われないのか』文一総合出版
→某所で「『なぜ日本の科学ライターは報われないのか』も出してほしい…」と言ったら、座布団1枚もらった。
杉田浩一著『料理のコツを科学する おいしさの謎解き』青春出版社
→ひたすらお世話になった私の指南役の著書です。その詳細は【美味学事始】をご覧ください。
02/04/06/sat
■クローン人間
お昼頃、毎日新聞の朝刊をみたら、1面トップが
「クローン人間妊娠」 8週目 伊医師が発表
という記事だった。この見出しに続きリードもなく本文が始まる。1行目の「アブダビ発のタス通信によると…」との書き出し。出所は【モスクワ】だった。
この時点で「毎日さん、これ1面トップにもってきて大丈夫?」と思ってしまったのが第一印象。朝日を見てみると、総合面(3面)のいちばん下。夕刊でも毎日は社会面トップでガンガン展開していた。朝日は2面のいちばん下にあるだけ。だいぶ扱いが違うなー。読売はどういう扱いだったんだろう。にしても、たまたま今日開かれていた日本産科婦人科学会の市民講座はタイムリーだったものだ。
このニュースに関しては、「クローン人間にイエス」と言っているラエリアンの記者発表に一緒に行った、
【森健さん】
【粥川準二さん】
【森山和道さん】
のお三方がきっと詳しくフォローしてくださるに違いない。ということで、私はありきたりのところへのリンクメモだけ。
朝日新聞【クローン人間妊娠のニュースに米研究者「ノーコメント」】
毎日新聞【クローン人間:世界から批判の声 日本産婦人科学会でも】
毎日新聞【クローン人間:イタリア人医師に法王庁「自然に反し医学悪用」】
毎日新聞【日産婦学会:クローン人間について質問相次ぐ 市民公開講座】
Yahoo News【<クローン人間>現在妊娠8週間に イタリア人医師が発表】
スラッシュドット【ついにクローン人間の妊娠に成功】
しかし、真偽ってはっきりするのかなぁ。生まれてきた子を確認でもしないかぎり、はっきりすることはないのだろうな。ただどこかに「クローン人間の人権」という言葉があったけど、これは議論する必要はないと思う。人権ということに関して、クローンだろうがクローンじゃなかろうが何一つ差はないからね。
■ほんとに「たのしい」?
『たのしいRuby』という本が出た。同居人が早速購入し、「一緒に勉強しようよ」と誘いをかけてくる。一人だと挫折してしやすいから、つっかえ棒にしたいのだろう。
そりゃ、私だって Perl(*) だの Sed だの、この Ruby だの、使いこなせることに憧れますよ。たまーに「こんなことができたら嬉しいな」というのがでてくるし。でもねー、スクリプト言語とはいえ、プログラミングでしょ。当座、必要性がないことがいちばんの障壁だ。
そこへ同居人が一言。「昔、『パソコン見栄講座』っていうのがあったでしょ。はっきり言います。ぼくは『見栄』です」と言い放った。幾多の言葉よりも効果的な一言。見栄はるか。「Rubyべんきょうちゅうでーす」って。
(*) 某所で「Pearl」と綴ってしまい、「それだと真珠です」とつっこまれた。紛らわしいやつはきらいだー。悔しいので、【PDIC】(英和辞書)で「Perl」をひいてみた。ら、「【名】《コ》パール。Larry Wall氏が作成したプログラミング言語。Practical Extraction and Report LanguaguageあるいはPathologically Eclectic Rubbish Lister(病的折衷主義者のがらくた出力装置)の略。Larry Wall氏はこれら両方の意味を公認している」なんてことまで、しっかりかっちり載っているよ。徹底しとるな、PDIC。
02/04/05/fri
■タイミング
今日、連載のお話をいただいた。が、初回のタイミングが折り合わずお断りすることに。基本的にはヒマになったのだけど、たまたま手元にたまっていた仕事の仕上げの時期と重なってしまったのだ。残念。
仕事は、ほんとにちょっとしたタイミングだなぁと思う。
■述語
最近、気になる述語を発見した。
路肩に車が停まっている。前に行くと、ドライバーは乗っていないのに、ヘッドライトがつけっぱなし。こんなとき、さてあなたは何と思う?
「あーあ、バッテリーあがっちゃうよ」
と、心の中で思わないだろうか。が、私はその直後、「あれ?」と思った。
「なんで、この場合のバッテリーは『あがる』なんだろう」
車のバッテリーにつづく述語は「あがる」が一般的だ。でも、車以外のバッテリーで「あがる」と使うだろうか。バッテリーはふつう「切れる」ものじゃないだろうか。パソコンのバッテリーでもなんでもいいのだけど。
車の場合でも、バッテリーは「あがる」だけど、ガソリンは「切れる」。車以外ならバッテリーも「切れる」。「燃料切れ」「ガソリン切れ」「バッテリー切れ」はどれも違和感がない。
バッテリーという言葉は、英語の意味だったらなんのことはない「電池」だ。PDICで引いても「【名】バッテリー、電池、なぐり、投打」。同じ「電池」の意味の「バッテリー」に対して、「あがる」と「切れる」が別れるのが不思議だ。
ふと考えてみた。いまでこそいろんなものにバッテリーはあるが、昔はせいぜい車にくらいしか「バッテリー」という単語は使われていなかった。それ以外は乾電池。乾電池は「切れる」だ。車のみの単語としてバッテリーは認知され、ほかの燃料系の「切れる」とは差異化をしたかったのではないだろうか。……あまりよい想像ではないな。
同居人は、「車のバッテリーはバッテリー液を補充するもんでしょ。そっちのイメージじゃないのかな。なにかで充電するタイプのものは『あがる』なんじゃない?。もしくは『干上がる』からとか…」。うっ。こっちのほうが筋がよさそうだ。
でも、パソコンなんかのバッテリーは充電するタイプでも「切れる」でしょと言ってみたら、「いや、パソコンでも『バッテリーがあがった』という人がいた」という。ううっ。でもほとんどいないと思う。パソコンのバッテリーが「あがる」派は少数だというのは賛同を得られた。
現場の日本語教師の人々はこういうのの使い分けを教えているのかな?? もしそうならどうやって説明するんだろう。誰かに聞いてみようかな。
そういえばもう一つ気になる述語がある。「やる」だ。かなり使用頻度が落ちている述語である。「あげる」と同じ意味での「やる」は壊滅的。「犬にエサをやる」は減っていて、「犬にエサをあげる」となっている。目下や動物、植物には「やる」だったらしいが、「やる」だと言葉がきつく感じられるのだろうか。身の回りからどんどん減っている。「あげる」の意味だけでなく、「する」の意味でもあまり多くはない気がする。
そんななかでたまに耳にする「やる」は、「インターネットやってるの」「メールやってる」「パソコンやっている」だ。ほかの「やる」ほど淘汰されない。
私は、これがかなり気に障る。パソコンもメールもツールだから「やる」もんではないでしょうに。「パソコンで○○をやる」ならOK。たとえば「パソコンでゲームをやる」ならわかる。「パソコンで宿題をやる」も許す。でも「パソコンやる」じゃ、わけわからんじゃないか!
■読了
田中まゆみ著『ハーバードの医師づくり』医学書院
→もちろんアメリカの医師がみなこのように教育されるわけでもないだろう。アメリカの医学教育だってピンキリのはず。確実にこの本に書かれている医学教育はピン。医学教育についての本だが、医学以外でもいろいろな場面で同じような必要性は発生しているに違いない。
著者はマサチューセッツ総合病院(MGH)やダナ・ファーバー研究所でリサーチ・フェローとしてアメリカの医学教育を体験した。本書はMGHでの経験を元にした内容。MGHはハーバード大学医学部(メディカル・スクールなので4年制の大学を出た後に入学する大学院大学。こちらも4年制)の学生が勉強をする病院でもあり、「教育病院」というカテゴリーに入るという。アメリカには「大学病院」なるものはない。教育病院であるMGHで患者を診るのは、研修医と医学生によるチーム。もちろん教官がいるが主治医(といっていいのかどうかはよくわからないけど)はあくまで研修医と医学生である。
日本の医学教育とは当然だがぜんぜん違う。昔は似たようなもの(知識伝達型)だったみたいだが、教育改革があり、「ニューパスウェイ」という「問題解決型」の教育スタイルが1987年よりとられるようになった。医学部の3年4年になると、MGHでチームの一員としてがんがん臨床例に携わりながら医者になるための教育を積んでいく。そこで徹底されるのは医療の主体者である患者への敬意だ。
もちろん似たところもある。研修医の労働環境はかなり悪いみたいだ。90年代に研修医の過労による医療事故などが起き、改善策がとられるようになったので日本よりはいいのかもしれないが、いまだ激務は激務のように感じられる。それ以外の医療事故も当然ある。抗癌剤の多量投与もあった。ミスはあって当たり前のことだ。そこから先の対応こそが問われる。カルテの改ざんは「イコール敗訴」と何度も出てきた。訴訟社会を礼賛するつもりはないが、患者へのマナーや態度までよくなるというのであれば効果は無視できない。
ただ、日本の大学病院で研修医や医学生がメインで診ると言ったら、日本の患者たちは納得するだろうか。大学病院は医学生の教育の場でもあるという意識は、おそらくほとんどの患者に欠けている。医師側の問題は深刻だが、患者側の選択態度も問われる。
関係ないけど、著者の夫は李啓充氏だという。どこかで見た名前だと思っていたら、『週刊文春』で「大リーグファン養成コラム」を連載している人。文春の著者紹介には「ハーバード大学医学部助教授の職を捨て、大リーグコラムニストに転身。著書に『アメリカ医療の光と影』(医学書院刊)」とある。連載内容と主著のギャップが楽しい。
『榊佳之遺伝子小学生講座』KTC中央出版
→読んだら書評書き。久々だな、この感覚。半年くらい遠ざかっていたものなぁ。というわけで課題図書でした。「理科ってにがてぇ〜」「きらーい」てな大人は必ず読むべき本。ここのところいろんな審議会であれこれ決まっていく内容の基礎だよん。それに、小学生に負けていてはまずいと思うでしょ。
02/04/04/thu
■まゆ毛
冠婚葬祭時にしか化粧をしないのだが(そのため毎回化粧品が大丈夫かどうかドキドキしながら使う。変質してそうでね)、化粧をしようとすると悩む問題がある。
まゆ毛である。
人間のまゆ毛は、けっして世の中の女性がしている眉の形のように生えてくれるわけではない。思い起こせば、昔のごついゲジゲジ眉が流行っていたときはよかったなぁ。書き足しゃよかったんだもん。いまはそうはいかない。自然に生えてくる眉よりも、細い。
そうすると当然、余計なもんを削らないとならない。しかし、まゆを整えることが未経験な私は怖くてできない。左と右をだいたい対称にする自信もないし、なんかの拍子にばっさり切ってしまって「恐怖・まゆなし女」になりそうだ。それに実際、どうしたらいいのか全然わからないし…。表情がすごく変わるまゆ故、躊躇すること甚だしい。
なことをここ2ヵ月くらい思っていたら、今日の「クイズ・ママダス」(ちなまなくても「はなまるマーケット」のコーナー)のテーマが「まゆ毛」だった。見入ってしまった。
まゆ毛は抜いていると生えにくくなるので、抜かずに切ったほうがいいらしい。抜かないほうがいいとはなんとなく知っていたが、生えなくなるからなのか。でも、同居人のまゆ毛がまるで村山富市さんのように何本かびょ〜んと伸びてしまうので抜いていたけど、全然めげなかったぞ、その長まゆ毛らは。抜いても抜いてもいちばんに長まゆ毛が成長するので、諦めて切ることにしていた。そう、他人のまゆ毛は躊躇なく切ります、私。
私も、まゆ毛にカドがあるんだよね。眉山というのでしょうか。あのあたりに、ひゅっ、とこう。要は、まゆ毛のクセなんでしょうけどね。ミニ・サリパパというかなんというか。
むーん。切ってみるか。変な顔になっていても笑わないでください。>周囲の人々
■サルにはモンキーもエイプもいる
NHK教育の人間講座で『進化の隣人チンパンジー アイとアユムの仲間たち』(水曜日の夜11時)が始まった。【bk1】にはまだ在庫がないようだ。講師はもちろん【松沢哲郎氏】。
冒頭、モンキー(monkey)とエイプ(ape)のちがいを説明。日本語にしちゃうと両方とも猿だけど、ニホンザルはモンキー、でもチンパンジーはエイプなのだ。見分けるのは簡単で、モンキーには尻尾があって、エイプには尻尾がない。人間にも尻尾がないから、人間もエイプの一種だとか。
おそらくどっかで前に読んでいるはずなんだけど、すっかり忘れていて「ほー」と新たに納得してみたり。横では同居人が「そうだ、“Planet Ape”だ!」と合点がいっているよう。もちろん映画「猿の惑星」のことです。
■読了
スティーブン・レビー著『暗号化』紀伊國屋書店
→もはや現代史の基礎教養といえる内容だろうな。ある程度知っている話ではあったけれど、現代暗号だけにポイントを絞って450ページの本となると、やはりいろいろ「そうだったのか」「なるほど」と思うこと多し。『暗号解読』(サイモン・シン著/新潮社)はギリシャ時代までさかのぼって暗号の歴史とドラマを描いているので、現代の部分を知るのはレビー本になろう。もちろん中心になるのは公開鍵暗号。デフィー&ヘルマンとRSAの3人組を軸に、ここ20年の話がまとまっている。
現在、私は、当然PGPのフィル・ジマーマン萌え中です。
■入手本
橋本毅彦著『〈標準〉の哲学』講談社選書メチエ
→こういう技術の歴史や背景についてはほとんど知らないので、「へー」「ほー」と楽しめそうだ。【bk1】では田口善弘さんの書評つき。ネジとネジ穴がぴったりあうって当たり前のように思っていたけど、そこに到る過程があったんだなぁと思うとわくわくする。
02/04/03/wed
■ご報告
4月1日より、【bk1サイエンスサイト】の直接的なサイトエディターから、科学書を中心とした書評担当編集者および書評者となりました。現在新しい作業の流れを模索中でいろいろと不手際もあるかと思いますが、できることを少しずつやっていきたいと思いますので、これまで同様、みなさま、かわいがってやってください。
デザインのリニューアルもあり、従来よりも一覧で見える新刊書が少なくなってしまいました。ですが、「一覧へ」というボタンを押していただくと従来通りの冊数になっています。表の「新刊チョイス」以外に、「一覧」にも新しい本がどんどん入ります。お手数になって恐縮ですが、あわせてチェックしていただけると幸いです。
…と堅苦しくごめんなさい。新刊情報はここでも別途なにか考えたほうがいいかも。検討中です。
■ということで…
ヒマな私である。仕事探さなきゃ。あ、でも、たまっている仕事もしなきゃ。
■発見
前に山形浩生氏がなにかのパソコン誌の連載で、「わからない人のレベルがわからなくなっている」という主旨のことを書いていた記憶がある。雑誌名も時期も忘れた。ごめんなさい。
そこではたしか「フォルダ」の話が出ていたと思う。パソコンを長く使っている人なら「ディレクトリ」という名前のほうがなじみがあるだろう。私もいまだ「フォルダ」という言葉を使うのに抵抗がある(けれど、ディレクトリと言っても通じないので諦めてフォルダを使ってはいる)。
で、記事を読みながら「たしかにわからないよなぁ」と思っていた。が、周囲のパソコンに困難な約2名の共通点が発見された(といってももちろんたいしたことではない。期待しすぎないように)。
苦手な人から問い合わせがあると、私は『痛快!コンピュータ学』(集英社文庫、坂村健)と『ウイルス、伝染るんです』(廣済堂出版、中村正三郎)をまず読ませてみた。その結果、彼女らは『痛快コンピュータ学』は「読みやすいし、おもしろい。ちょっとわかった気がする」という。が、『ウイルス、伝染るんです』は「難しい。よくわからない。何を言っているんだろう、という感じ」とのことだった。同居人も私も「これが難しいのか…」と思案してしまう。現実的な『伝染るんです』よりも、『痛快コンピュータ学』は「原理」を子供に解きほぐすように書いてあるからかな。
そういえば、「HTML」がどういうものか見せたら納得していた。でも翌日、『伝染るんです』に「HTMLメール」と出てくると、(そこにも説明はあるが)「よくわかんない…」となる。
パソコン以外のコミュニケーションや読書なら「ああかな、こうかな」とふつうに働かせる想像力や応用力を一切シャットダウンしてしまうんじゃないかと思っている今日この頃だ。
先月のてくてく→2002年3月