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2002年8月のてくてく
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02/08/31/sat
■ドアと椅子と手すり
昨日、今日と、永田町で開かれていた第10回【日本がん検診・診断学会総会】に行ってみた。分野横断的な色彩が強いみたいだ。臨床系の学会とはどこか印象が違っておもしろかった。
費用対効果とか、過剰診断とか、たくさん考えないといけないことが多いこともわかったけど、どれくらいの(もちろん一般の)人がこういう情報に意識があるのかなぁと、ちょっと思う。関係者以外はきっとなにも知らないのじゃないかなぁ(事実、私も知らないことばかりだった。←不勉強のカタマリ)。
いろいろながん診断方法も興味深かったけれど、私は初めて聞くことの多かったC型肝炎の話とか、超音波のすごい進んだ様子とかに目を奪われそうになる。超音波の技術がとても進んできたというのはだーいぶ前に1回だけ取材したことがあった。今日の今日まですっかり忘れていたけれど、そういえば当時、取材先の先生も「胎児の顔がお父さん似かお母さん似かまでわかりますよ」というその機械がたしかにくっきりと映し出していた。が、そんなどころではない。「カラードプラ法」という単語を見て、「ん? これはカラー・ドプラ? カラード・プラ? どっちにせよ、なんか色がついていそうだ」と思ったが、ほんとに超音波画像に色がついていた。もちろん、総天然色というわけではなく、一部に色がつくのだけど初めて見るとけっこう感動する。3次元モノとかも出ているようだ。
ちなみに、「カラー・ドプラ」法だった。ドプラはもちろんドップラー効果(だと思う。確認は取っていないけど)。何度も説明してもらったり、読んだりしているはずなのに、超音波の仕組みを再び(三度?)知って、「へー、おもしろー」と素直に感動していた。まずいぞ、これじゃ。
今日は、シンポジストであった【Global Risk Communications Newsletter】発行人の坪野吉孝さんにお久しぶりのご挨拶。『食べ物とがん予防』(文春新書)の著者でもある。ちゃんと40歳(まで)で仕事をしているエラい人だ(笑)。
彼の所属先である【東北大学大学院公衆衛生学分野】にある、去年の年末に出た報告書【新たながん検診手法の有効性の評価】はちゃんと読まないといけないなー。……う。これ、全部はちょっと厳しそう。せめて「まとめ」だけでも。
永田町へ向かう南北線で、だーい発見(というほどのものでは、当然ありません。はい)。南北線って、駅によって色がちがうのね。南北線はどの駅もホームに囲いがついていて、電車のドアが開くときにホーム側のドアも開く。そのドアの縁の色と、ホームにおいてあるベンチの色と、そしてなんと、エレベーターの手すりの色が統一されているのだ。しかも駅によってわざわざコーディネート・カラーを変えている。永田町は緑だった。四谷は黄色。これって、営団のコダワリなんだろうか。ほかの路線はどうなっているんだろう? こういうことをしたのは、南北線が新しいからかな。新しい都営の大江戸線はどうなっているんだろうか?
■決断が必要になるかも
どうしようどうしようどうしよう。たぶんいい話なんだろうな、と思う。でもどうしよう。
02/08/30/fri
■手術
昨日の夜、同居人が毎晩のお勤めで「スター・トレック ボイジャー」を夜中12時からCSで見ていた。タイミング悪く見られなかったボイジャー・シリーズの最初のほうをスーパーチャンネルでやっているので、毎日、すごく真面目な顔をして見ている。テレビにはあまり頓着しない人なのに、ちゃんと12時になるとテレビに向かう皆勤賞。「スター・トレック」の力は絶大なのだな。
ボイジャーが終わってから、彼はCSのチャンネルをあちこち付けてまわっていたら、いきなり手術の画面がどどーんと映った。もちろんディスカバリー・チャンネルである。
「これって、クニエさんが受けた手術じゃないの?」
こう言われたら私も見ざるをえない。手術の映像は、ええと、大昔に「驚異の世界」だったかそんなタイトルの番組でシャムの双生児の分離手術をやっていたのを見たのが最初だったはずだ。そのとき、小学校だったか中学校だったか高校だったかはすっかり忘れたが、反応だけはよく覚えている。手に力が入らなくなるのだ。その後、取材先で見た腹腔鏡手術のビデオのときも、なぜか手に力が入らなかった。いや、手から力が抜けていくといったほうがいいのだろうか。
昨日もやはりそうだった。すぅぅっと手から力が抜けていく。「なんかね、何回か手術の映像を見たことがあるんだけど、毎回、手に力が入らなくなるの」といったら、「ぼくも」と同居人。不思議だ。みんなそうなのかなぁ(もちろん医者などを除く)。
ディスカバリー・チャンネルの映像は、私が受けた顎の手術と基本的には同じだった。口の中から、歯肉を切って、顎の骨を切る。こうやって書くと、受けた本人もなんか怖いぞ。
ただ、テレビに映っていた患者は下の顎だけじゃなく、上の顎も同時に切っていた(もちろん顎の骨)。かなりひどい受け口で、上顎も狭いためらしい。頭蓋骨から上の歯がついている部分も、下の歯がついている部分も、完璧に切り離されていた。すげー。まるでパズルのピースを動かすように、医者は切り離した顎をどんどんときれいなかみ合わせの位置にもっていく。「自由に動かせますが、かといってこの部分を取り出して机の上に置くことはできません」なんてナレーションまで入っている。だれも机の上に置こうなんて思わないって。
上の親不知なんて、切り離された上顎の上側から、つまり親不知の根本の方から引っこ抜かれていた(わかってもらえるだろうか)。「この方が簡単に抜けます」とな。
それにしても、口の中から鼻の穴まで見えるなんて……。ほっぺたに細い穴をあけて下顎のネジを留めるし(ほっぺたの傷はすぐに消えるらしいが、ドリルを直角に入れるために頬を貫通させるのだ)。
私は上顎は矯正だけだった。上顎まであんなに切ると言われても手術を受けただろうか。私の場合、下顎を左右にずらした手術だったけど、前後とどっちが難しいのかな。……差はないか。そっかー、あんな感じだったんだ。自分の手術を見られないのが残念で仕方なかったけれど、これでだいぶ解消した。
しかし、こんな手術をふつーに放映しているのがすごい。医者向けってわけでもないし。CMから戻ってくるときに、いきなり注意書きが画面に出てきた。
「番組の性質上、生々しい映像が流れます」
この番組のタイトルは、ずばり、「手術」。
02/08/29/thu
■汗をかきかき
8月終わりになって、再び暑い。予想通りだ。あの涼しさのまま季節が進むわけがない。昨日も今日も、自分が汗くさーい。今日は諦めてエアコンを入れた。
ここのところ、久々に(私にしては)長めの原稿を書いていた。ある程度の構成はわりとあっさり決まったのだが、書き出しが決まらない。終わりはこんな感じと見えているのに。これは困った。書き出しが決まらないと、まーったく進まないタイプなのだ。書き出しと最後だけは「こうしよう!」と明確になっていてほしい。それが決まらないと結局、1行も書けない。とりあえずでは、書き出せないのだ。
もちろん後で書き直すことはあるけれど、いざ原稿にむかうときは最初のワンフレーズ、ワンパラグラフがすごく大きい。
結局、書き出しで「えいやっ」と思えるまでに2日を要す。すごい書き出しというわけでは全然ないんだけどね。これって、非生産的な行為だよな、フリーとしては。まぁ、その間に、歯医者に行ったり、四谷の辣辛房に麻辣鍋をUさんたちと食べに行ったりもしていたので、有効利用していたと考えることにする。暑いときこそ麻辣鍋ですよ、ほんと。
さー、金・土と週末はちょっと別の取材(というかお勉強)。あ、別件のアポ入れもしなきゃ。明日は無理だから、これは週明けかな。
02/08/25/sun
■同級生
ぼぉーっと、昨日の朝日新聞を読んでいたら、最後の社会面で個人的に知った名前がいきなり目に飛び込んできて、えらく驚いた。
9月からの朝日新聞の連載小説は奥泉光なのだそうだ。その紹介記事のなかに、大学の同級生の名前があった。
連載小説の題字・挿画を【木内達朗】くんが描く。1年のとき、大半をともに過ごす英語のクラスが一緒だった。彼は生物をやっていたんだっけか。やっぱり「さん」とか「氏」はつけにくいなー。「くん」になっちゃう。前に別のクラスメート(ICU的にはセクションメート)から、「木内がイラストレーターでやっているよ。サイトも持っているよ」と教えてもらっていたから、一度覗きに行ったことはあった。大学時代も生息領域がずれていたので2年以降はほとんどつきあいもなかったし、卒業後は「アメリカに行ったらしい」という風の噂を聞いたくらいだったけれど、やっぱり知人の仕事を間近で見られるというのはうれしいものだ。連載小説を読まない私だけど、この半年間は読もうかな、と思ってしまう。楽しみだ。がんばれー。みなさんもぜひ見てください。
あ、そういえば、奥泉光が先輩なんだよな。大学つながりの作家とイラストレーターってことになるのかな。先輩だけど、奥泉光は知らない人だから呼び捨てになってしまう……、ってヘンかな? でも「さん」を付けるのも変だし、引用とかでもないのに「氏」をつけるのもね。
02/08/24/sat
■新しい元素の可能性
『惑星学が解いた宇宙の謎』(洋泉社新書y)の著者である【井田茂】氏の取材で東工大へ。個人的な興味としてはもっとシミュレーションやモデル化のことを伺いたかったが、今回はテーマがちがうので諦めて惑星学の概要をお願いする。熱気むんむん(←古語)の分野なのだ。
個人的に、モデル化やシミュレーションというのは、見せられることで伝えられる強い力があるけれど、いっぽうでその発想や中身がなかなか伝わりにくいものじゃないかとなんとなく思ってきた。いまから思えば、『数学セミナー』編集部時代に作ったシミュレーション特集もそういう根っこがあったかもしれない(が、もう10年以上前の話でかなり完璧に近く忘れている)。
日常生活を過ごすためにも何気なくさまざまなモデル化はしていると思うんだけど、そのモデル化に自覚的な人は、あまり多くないように感じる(私もこのへんのセンスが鈍い。ああ悲し)。また、シミュレーションというのは「なぞること」だけに注意が向きがちじゃないかな。どういう仮定や条件の上になぞっているか、の仮定や条件の部分は見過ごされがち。……この問題はたまにふっと気になることなので、もっと考えておきたいが、今は眠いや。
あ、そうそう。井田先生のところへ伺う前に昼を食いながら、唐突に同居人に聞かれた。「ねぇねぇ、いま100何種類かある元素は、もっと新しいのができないの?」。どうして唐突に即答できないことを聞くかね。超新星爆発のときに重い元素が作られたりしてきたのだけど、たぶん「すごい超新星爆発があったらものすごい重い元素ができちゃうのかな」と考えたのでしょうね。そういうことを考えられるってことはエライと思うけど、私に聞かれてもわからーん。
「!」と思い、帰りがけ、井田先生に「ところで全然関係ないんですが……」とどんぴしゃりの人物ゆえ、ついでに教わってしまった。
どうやら、超新星爆発の規模が最大ココまでと決まっているのなら「これ以上できません」と明言できるけれど、そんなことが決まっている(ないし、わかっている)わけではないので、確定的にはわからないとのこと。でも、繰り返される超新星爆発で宇宙の元素の比率は少しずつ変わっているので、これから先の超新星爆発がこれまでどおりのものと同程度であるかどうか……。ただ、安定的な元素になるのはけっこう大変というのも大事。爆発直後にすごく重い、大きな元素ができたとしても、それが少し経つとちょっと欠けたり、割れたりすることが多い。つまりできたての大きな元素はけっこう不安定なのだな。
いまのところ、すでに我々がしっている元素で全部なんだろうな。あー、ねむねむ。
■新書の忘れ物
一昨日、今月どっちゃり出た科学系新書へ入れ忘れたものがあった。
井上真由美著『カビの常識 人間の非常識』平凡社新書
ほーんとに今月は新書洪水だ!
02/08/23/fri
■仕事をしたのは40歳
上京なさった科学史のS先生が『絶対音感』(最小葉月著、小学館)を譲ってくださるというので、銀座に出かけていく。いつもいつもありがとうございます。
そのS先生に聞いて、今日ひとつ賢くなった話。ギリシャ時代とか古い時代の人物の生年を話していたときに出てきた。王様でもないかぎり、生年ははっきりしていないものだ。ソクラテスのように死んだ年が確定していればそれを元に生年を出せるが、そういう人も少ない。そんななかどうやって生年を出すか。
「“仕事をしたのは40歳”というのが、お約束なんです」
たとえば「ダレソレが日食を予言した」というのが記録にあれば、その日食が何年のことかは天文学的に計算できる。で、その「予言した」ときに、そのダレソレは「40歳」ということにしちゃうのだって。「仕事をするのは40歳(と考える)」というのがお約束。つまり、世界史年表なんかで、生年を「○○年ごろ?」と書かれているのは、その40年後に何かしがの仕事をしていることになるんだな。へー。ほー。
でも、先生。「えっ、知りません? 古代の常識なんだけどなー(笑)」って、それはやっぱりすっごく狭い世界の常識だと思います。現代日本の常識ではとてもありませんって。
しかし、「仕事は40歳までにしろ」と言われているような気分にもなる。ぶるぶる。
それと、サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』(新潮社)について、
「あきれた。3ページに1つはウソがある」
という評価を聞いた。ほぼ「絶賛」以外の評価を聞いたことがなかったので、これはかなり新鮮だった。
全頁に渡ってというわけではなく、おそらくは古代周辺の話のところについてだとは思うけれど、歴史の立場からみると「ピタゴラスは数学者」「フェルマーの直系の祖先」的な記述があるとウソってことになっちゃうのかな。「ウソ」をこと細かくは聞かなかったけれど、うーん。なんかモヤモヤと感じる違和感はなんだろう。
帰ってきてから、アマゾンでこの本について見に行ったら、UKでレビュー14個、星4つ半。アメリカのアマゾン・ドット・コムに至っては、ペーパーバックとハードカバーあわせてではあるが、レビュー数がなんと170!! そのアベレージがやはり星4つ半。ふひゃー。もちろんこのレビューは各分野の専門家によるものではないけれど、なかなかこうなるものでもないよなー。
02/08/22/thu
■リンク・メモ
とある調べものをしていて発見した。ものすごいサイト。きっと有名なのだろう。これが非公式サイトだっていうことに驚愕してしまった。たとえ公式サイトだってここまでできないだろう。深謝多謝。
【直木賞のすべて】
■ネタ不足
地道に資料を読んだり、姿勢を正したり(歯を抜いてかみ合わせのバランスが変わったのが影響したのかどうも腰の具合がよろしくない)、調べものをしたりしていると、どうもネタ不足気味。というか、ネタは何をしていようがゴロゴロあるけれど、それをネタとして把握する力に欠けてしまっているな。
■新書がいっぱい出た
なんだか知らないけれど、新書に科学関係のものがやたらと多い月だった。今日、【bk1サイエンスサイト】のために入庫情報を見ていたら、こーんな感じ。どれを買おうか。全部は厳しい。一部書店で目にしたものも追加しておくと……。
森田正人著『文系にもわかる量子論』講談社現代新書
→ほんとにわかる? 理系だってつらいのだ、量子論は。買っちゃいそうだな。
都筑卓司著『四次元の世界 超空間から相対性理論へ』講談社ブルーバックス
都筑卓司著『パズル・物理入門 楽しみながら学ぶために』講談社ブルーバックス
→この2冊は先日亡くなった都筑氏の復刻版。『四次元の世界』はうちにもある。
谷畑勇夫著『宇宙核物理学入門 元素に刻まれたビッグバンの証拠』講談社ブルーバックス
建築設備技術者協会編『小事典暮らしの水 飲む、使う、捨てる水についての基礎知識』講談社ブルーバックス
古谷雅樹著『植物は何を見ているか』岩波ジュニア新書
木全晃編『世界の環境都市を行く』岩波ジュニア新書
赤祖父俊一著『オーロラ その謎と魅力』岩波新書
伊藤和明著『地震と噴火の日本史』岩波新書
池田正行著『食のリスクを問いなおす BSEパニックの真実』ちくま新書
森山公夫著『統合失調症 精神分裂病を解く』ちくま新書
稲月明著『僕はガンと共に生きるために医者になった 肺癌医師のホームページ』光文社新書
ほかに文庫では、この2冊も。
小関智弘著『大森界隈職人往来』岩波現代文庫
藤田紘一郎著『バイ菌だって役に立つ 清潔好き日本人の勘違い』講談社+α文庫
どうないせぇっちゅうねん、という気分。
02/08/20/tue
■当たった
サマージャンボ宝くじにあたった。
ただし3000円である。ゼロが5つ足りないぞ。
2つ買って、末等あわせて3600円……。元もとれてない。
■なぜか復活
昨日、「時計が止まった」ことにちょっと感傷的になっていたのだが、今朝、その時計を見てみたら復活していた。こういう状態を関西弁では「梯子を降ろされた」というのだっけ?
ただし、秒針は相変わらず6のあたり、つまり真下を指したままチクタク揺れているだけ。不思議だ。秒針と、長針・短針は連動していないということなのだろうか。時計の種類によっても違うのかもしれない。
しかし、こんな状態の時計に頼って目覚ましなどをセットすることも難しい。時計なら私の大好きな歯車(※)もきっと入っているだろうから、やっぱり分解してみようか。その前に次の目覚ましを買ってこないといけないけれど。
(※)半年くらい前に、使わくなっていた古いファックス機を分解したら、手頃な歯車が出てきた。用紙を送り出すところ、送信紙を吸い込むところにあるものだった。その部分だけはずっと取ってある。歯車をくるくる回してみると、ギア比のこととか、力の掛かり具合のちがいとかが実感できる感じがする。切り替えがあって、それを発見したときはとっても感動した。それに歯車がくるくると動く様子を見ていると、なぜか心が落ち着くのだ。暗いかな。
02/08/19/mon
■11桁
ついに我が家にも11桁の番号がやってきた。もちろんいまもっともホットな住民票コード通知書だ。
この番号が数字11桁だというのが実はちょっと疑問に感じていることなのだ。……足りるのか? いや、数自体はもちろん足りているんだけど、ランダム性を保証するときにというかなんというか。
11桁のいちばん大きな数字は「999,9999,9999」で、これは漢字の単位を入れれば「999億」である。日本の人口は約1億3千万。約900倍の数字があるんだから大丈夫なのか? でも、任意で番号の変更請求もできる。一度誰かに割り振った数字を直後(ないしその人が生きているうち)に誰か別の人に割り振ることはしにくい気がする。そうでもないのだろうか。
みんなで頑張って変更請求をし続ければ、5年くらいでかなり数字資源が枯渇しちゃうんじゃないかな。まじっこにランダムってけっこうたいへんでしょう?
来年の8月にはICカードが発行される。
ただ、番号がつくこと自体への違和感は、私はないんだと実感した。この点で数字と名前のちがいは感じない。
国民管理が非常に徹底しているのはシンガポールだっけ。一度だけ行ったスリランカも現地の人はIDカードを持っていた(どういう種類のカードかは確認しそこねたが、運転免許ではなかった)。彼らはどのように感じ、どういう問題点が指摘されているのだろうか。
ただ、どうやっても残る問題は、一元管理とネットワーク化なんだろうなと思う。はてさて、地道にフォローをしていきましょうか。
■時計が止まった
何年前だろうか。イタリア語を勉強しようかと思ったころだから、6〜7年前か。ラジオつきの目覚まし時計を買った。アラームと一緒にNHKのラジオ講座をセットして、目覚めと同時にイタリア語という生活をした。……3ヵ月だけだけど。いま私が覚えている唯一のフレーズは「オヴェンティアンニア」(スペルは忘れた)。この意味は、「私は20歳です」だ。当時、すでに20歳足す10歳だったはずだが、テキストには30がなかったので仕方なくサバを読んでいた。いまも同じフレーズしか言えないので、マイ・イタリア語的に私は20歳なのだ。
そのサバよみの証人だった時計が、今日、本格的に止まってしまった。ずっと20歳だった私にあわせてくれたのかもしれない。
針は同じところをチクタクと振れているだけだった。電池を入れ替え、ラジオその他の機能をチェックしてみた。大丈夫だ。時計だけだ。パチンと蓋を閉めてひっくり返し、時計を机の上に置くと、秒針が9あたりから力なく6の位置まで落ちていった。
こういう時計の壊れ方は初めてだったので、少し驚いた。秒針が落ちるものなのか。どうなっているのだろうか。分解したい。でも分解するとほんとうにそれきりになりそうで、怖くてできない。
この間、どこかで「おおーきなのっぽのふるどけい〜、おじいーさんのとけい〜」というフレーズを聞いて、えんえんと頭の中で鳴り続けた。時計が止まってしまって、今日、あのフレーズの少し寂しい感じを思い出している。
……現実的には、明日の朝、どうやって起きるかが大問題。
02/08/18/sun
■コク
昼過ぎに入ったラーメン屋さんで、壁に掛かった説明書きを読んでいて発見した。
「食べれば食べるほど酷が出てきます」
「酷」って、なんというかあのまったりというか味わいが深いとか、そういうコクだよね。「コクがあって美味しい」というやつ。そのコクって「酷」なの? ほんと? 「残酷」の酷だよ。
家に帰ってから辞書を引くと、
『広辞苑』:
こく【酷】(1)(本来、中国で穀物の熟したことをあらわしたところから) 酒などの深みのある濃い味わい。「―がある」
(2)むごいこと。ひどいこと。きびしすぎること。「―な練習」「残―」「―使」
(3)はげしいこと。はなはだしいこと。「―寒」「―似」
『大辞林』:
こく
〔漢語の「酷」からとも、形容詞「濃い」の連用形からともいう〕濃い深みのあるうま味。主として飲み物についていう。「―のある酒」「―のある文章」
と書いてある。ほー、とりあえずは「酷」でいいんだ。らーめん屋で「“濃い”から来た言葉なんじゃないの? “濃く”って、“濃い”の連用形でしょ」と話していたのだが、やっぱりそういう説もあるのだな。
でも、目の前にある文章で「酷のある味」と書かれていたら、どうにも「残酷な味」(ってどんな味だ??)な印象を持ってしまう。私のイメージとしては、【9ボルト電池の味】なんだけどな。
02/08/17/sat
■社会的な存在
大阪に本部のある「COML(ささえあい医療人権センター)」を、4年ほど前に取材した。それ以来、月1回のニュースレターを購読している。そのCOMLにもウェブサイトができていた。
【コムルのホームページ】
この活動を始めた辻本好子さんの連載「うちでのこづち」が、ニュースレターで続いている。辻本さんはこの春、自身の乳がんを発見した。そのときの受診の様子が何回か書かれている。
8月号にとても共感する内容があった。彼女は乳がんの手術を受けるため、スケジュールを考えていた。全国各地で講演予定もある彼女にとって、いつ、手術を受けるかはとても大事なことだ。「4月25日の手術ということは可能でしょうか?」と患者である辻本さんから切り出したら、ドクターはギョッとしたという。「エッ、どうして?」という返事には、どんな日程も病院側の都合で決めてきたこれまでの積み重ねが現れているように、私は感じる。
患者の治療以外の事情は、考慮されないのがこれまでの日本の医療だ。つまり病院においては100%「病人」であって、「サラリーマン」でも「主婦」でも「学生」でもあり得ないのだ。100%病人だから、病気のことが何をおいても最優先されるのが当然という思い込みが病院側にはあるのではないだろうか。
患者の事情は、辻本さんも書くように人それぞれだ。そして100%病人であるまえに、患者であろうとも「社会的な存在」なのだ。
もう15年くらい前の話ではあるが、私自身、大学生になって通っていた横浜市大付属病院の内科には閉口した。18歳まではどうにか小児科に入れておいてもらったのだが、さすがに内科に移された。喘息があった私には、常備薬が必要だった。2種類の薬を毎晩、飲んで寝る。その薬をもらうために病院へ行かないといけないが、さすが大学病院、第三内科まである。月木が第一で、火金が第二とかそんな感じだったはずだ。振り分けられた科の曜日にいかないといけない。発作じゃないから(さすがに発作はいついっても診てくれる)、週に2回(といってもどっちかの1日は午前か午後だけ)ある所定の曜日にいかないといけない。診察はいらないが、処方箋を書いてもらう必要があるのだ。
大学1年の夏、どうやっても週2日の所定の時間に病院にいく時間を作れなかった。病院側は「患者の事情」はおかまいなしにスケジュールを組んでいる。あと1日で手元の薬はなくなる。
仕方がないので、第二だか第三だかとにかく他の内科の日だったけれど、薬を出してもらいに行った。そのとき内科の受付で、処方箋をもってきた若い医者にこう言われた。
「あんたのための病院じゃないんだから」
薬を出してもらうしかない私は、「すみません」と謝って処方箋を受け取った。帰り道、あまりに悔しくて涙が出てきた。患者は病院の都合でしか生きていてはいけないのか。病院外の自分の生活は必ず犠牲にしないといけないのか。たまたま一緒にいた妹がえらく怒っていた。
その少し後、大学の近くに下宿をすることになり、「あんたのための病院じゃない」と言われた横浜市大病院へは行かなくなった。下宿近くの医院では「これまで飲んできた薬のほうがいいですよね」と、そこでは扱っていなかった種類にもかかわらず取り寄せてくれたのが印象的だった。そのころから、少しずつ喘息はよくなった。
緊急手術や救急ならいざしらず、病院の都合だけで乳がんの手術スケジュールまでもが決まるのは、辻本さんの連載を読んでいる私も腑に落ちない。すっかり仕事も休んでゆったりと手術に向かう人もいれば、日常生活は極力そのままに組み込みたい人、組み込まざるをえない人もいる。もちろん生身の人間を対象にしている病院では、先の予定をフィックスしにくいという事情もわかるけれど、あまりに振り返られなかった患者の事情に少しだけでいいから思いを馳せられる人材が増えてほしいと思う。
■えいえいおぅ!
自分で自分に言ってみる。元気になった気分になれそう。この勘違いが大事。
02/08/16/fri
■はじめまして
電話で【野尻抱介さん】とお話しした。なんとみなさんいろいろ知っていて、かついろいろやっているんだろうと驚嘆していた掲示板も運営なさっている作家さん。しばらくしたらこの経緯をお知らせしますが、まだ内緒。
■読了
パトリシア・リン・ダフィー著『ねこは青、子ねこは黄緑 共感覚者が自ら語る不思議な世界』早川書房
→『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』(リチャード・E.シトーウィック著、草思社)→【読了日のてくてく(02/05/31)】が4月に発売され、今年は「共感覚のあたり年」なのだろうか? 調べてみると、ホットワイアードやCBSドキュメントで扱われたことも影響しているみたいだ。
こちらの本は『驚くべき日常』の後に書かれた、著者自身が共感覚者である本。著者は「文字(アルファベット)に色がついている」共感覚者だ。口絵に、カラーで文字の色の様子やそのほかの共感覚者の描いた絵も掲載されている。ある物理学者による色つきのシュレディンガー方程式があったのは、楽しかった。内容的にも、シトーウィックより幅広くいろいろな共感覚を扱っている。
当事者による本のためか、または「味に形を感じる共感覚者がメイン」だった『驚くべき日常』とちがって「文字に色」の話が多いからか、客観的に読めていないと思う。私自身、「数字には色がある」と感じていた一人だからだ。
【色と音の関連(02/06/06のてくてく)】や【数字に色がある過去をもつ身(04/26のてくてく)】にも書いたが、いまはあまり感じなくなったものの、高校生くらいまではなんとなく色を数字に感じていた。この本を読んで気づいた(思い出した?)のは、数字だけじゃなく、アルファベットにも色を感じていたことだった。思い出した色を列挙しておこう。Aは黒っぽい赤、Bは濃い緑、Cは白、Eは青、Fは少し紫がかった水色(サックス?)。
漢字には色はなかった。ひらがなも。ただカタカナは少しあったような気がする。自分の名前(クニエ)の色はいまでもなんとなく感じる。「ニ」は肌色かな。「ク」と「エ」は微妙にちがう赤系の色なんだけど、表現が難しい。
本書を読むと、子どもの3分の1にはなにがしかの共感覚があるという。が、成長していくうちに感じなくなるらしい。私は大学に入ったころからあまり感じなくなった(と思う)。卒業して、就職してからは、仕事柄「文字の洪水」だったためなのか、どんどん薄まってしまったように思う。もう全部の数字やアルファベットの色を思い出せない。こういう経緯を辿る場合も、共感覚といえるのかどうかがよくわからず、もどかしさが残る。
色だけではない。「多くの共感覚者にとって、時間はすなわち空間である。時間の単位は場所として、三次元の情景として色、質感、形、そして遠近感を伴いながら経験される」とあり、1年の様子をある共感覚者は「私の<年>は楕円形です。横になった0のようですが、もっとほっそりしています」といっているが、まさにこれは私の1年の把握と同じだ(ただしあまりほっそりはしていない)。8月の今、私は楕円の下側の真ん中あたりを左から右へ(つまり反時計回り)と進んでいる。
「数字に色」はあまりピンと来てもらえないと学習していたが、1年の様子についてのこういう感覚は、当たり前のものだと思っていた。当たり前すぎて、誰かに聞いたこともないことだった。
読み終わって感じたことは、「ああ、仲間がいっぱいいる」だったのはたしか。でも、共感覚者に多い傾向と書かれている「夢をカラーでみる」「夢をよく覚えている」「方向音痴が多い」には当てはまらない。私は夢をほとんど覚えていないし、関心もない。カラーかどうかは夢のことを考えるたびに振り返るのだが、よくわからない。たぶんカラーだとは思うが確信が持てない。そして、方向音痴ではない(はず…。ドキドキ)。
本書によると、共感覚は遺伝することが多いらしい。今度、両親に「文字に色ある?」と何気なく聞いてみようか。
「音を聞いて色を感じる」とか「数字には色がある」と言ったがために病院に入院させられることのない環境で育つことができてよかった。ファインマンさんも共感覚があったらしいってことも、なんだかお近づきになれたようで嬉しい。
どうしてもぽこぽこと細かいところに気を取られてしまって、まとまった感想がかけなくてごめんなさい。そうそう、字に色があるといっても、そう「見える」わけではないのですよ。読んでいる本のページがカラフルにはならない。私の場合は、もともと、たまに感じるくらいだった。それに、ここ何年もずっとずっと忘れていた。日常生活にはなんの影響も関係もないことだし。
02/08/15/thu
■なんとなく同類発見報告
ナカムラ先生をして【いま,インターネットでもっともホットな話題】と言わしめた、たざき先生による【日々の雑感的なもの】の【両側コンセント】は、もうみなさんお読みになっていらっしゃることでしょう。
正直に申し上げると、いまいち両側コンセントのどこが危険なのかピンとこなかった私・クニエではございますが(オスとメスを存在させない発想自体は不思議であったが、危険性はいまいち理解していなかった)、その前段の話に目がとまりました。たざき先生は、コンセントを差し込んだままニッパーで電線を切ってしまい、すごい音とともにニッパーには「二本の導線の形にあわせて、刃の両側に半円状のへこみができてしまって」いたとのことです。
この前段で書かれている部分は、きっときっときっと、我が同居人も経験があるに違いないと読んでもらった。同居人はラジオ少年だった。で、じじいの昔話を「やっぱりー」と、笑ってやろうと思ったのだ。
やっぱり、あった。かの家のハサミがその被害にあっていた。
が、同居人から出てきた話は、じじいの昔話ではなかった。彼の場合は、ふつうの裁ちばさみに「串刺しお団子(ただし2個)がつぶれたような欠けた部分」を作っていた。しかも小学校2年くらいのときだという。まだラジオ製作にいそしむ年齢ではない。
なぜ、かの家のハサミは「団子欠け」になったか?
映っているテレビのコードを、そのままハサミで切ったのだった。
当時、ケガをしたとか、どんなだったかは、あまり覚えていないらしい。火花が散ったとかは覚えていたんだったかな。
が、すごく怒られたことと、「なぜそんなことをしたのか?」とその後誰彼問わずすべての人から聞かれたことはよく覚えていた。そのたびに説明していた、テレビのコード切断事件の理由は……。
兄とのチャンネル争いに負けた悔しさで、ダメージを与えたかったのだという。
「電源を切るのはダメージ1、コンセントを抜いてもダメージは2ぐらいしかない。せめてダメージ3くらいは与えたかった」
8歳の少年は、そう考え、ハサミでコードを切った。今も昔も、こういうときには尋常じゃないほどのすばしこさを発揮できる人物である。ダメージは少年の考えた3どころではなく、100近かった。
そのテレビがどうなったかというと、翌日、電気屋さんが修理に来て、古いテレビに新しいコードがつながって無事復活したという。
ちなみに、そのハサミはその後もかの家で長く使い続けられた。「団子欠け」部分以外はふつうに使える。ただ団子欠け部分になると、一瞬ぐちゃぐちゃとなり、またふつうに切れるハサミは貴重といえば貴重だ(ウソ)。
その後少しして、少年は電子ブロックにはまり、ちゃんと9ボルト電池を舐めてビリビリするラジオ少年となっていったのだった。
みんな、なんでそんなに電気と仲がいいの?
02/08/14/wed
■あまりになつかしい
三鷹の国立天文台へ行き、【国立天文台広報普及室】の「室長」こと【渡部潤一】氏に取材。一般的なこと基本的なことばかりで申し訳ない気分だが、全体の様子について話してくださる貴重な方だ。そしてこの天文台の広報普及室は、国立の研究機関において一般向けの情報提供などをきちんとやってきたほとんど唯一の広報だと思う。時間的にも経済的にもコストはかかるだろうが、やはりこういう取り組みは応援したい。
母校の近くにあるものだから、つい「遠いところ」と感じてしまうのだが、じつはそんなに遠いわけじゃなかった。三鷹の大沢はずっと「陸の孤島」と感じていたのだ。予定より20分も早くついたので、汗をひかせる時間にあてた。でも、やっぱり持っていったジャケットをはおるのは無理だぁ〜。
取材が終わってから、「自由に見学できますよ」と教えてもらっていたので、展示室や97年まで使っていた65センチ望遠鏡などを見学してみた。そこにも説明員を配置している。さすがにこの時期でヒマそうだったけれど。65センチ望遠鏡についてあれこれ聞かせてくれた人に「ボランティアさんですか?」と聞いたら、「アルバイトです」とのこと。考えたら、若い大学生だもんな。そうだろうな。でもこういう人的配置まで気を遣っているあたり、やはりエライ。定期的に観望会や講演会などイベントも開催しているし、行ける人はぜひぜひ。
去年見た、ハワイ島の山のてっぺんにある「すばる」のことなどを、ちょっと思い出した。きれいだったけど、星ツアーガイドがペケだったのまで思い出したのは余計だった。
それにしてもこのあたりに来たのは何年ぶりだろう。大沢十字路にあったハンバーグ屋さんはもうなくなっていた。学生時代、なぜか一度も入ったことのない店だ。途中バスから見える風景も、なんだか知らない街に来た気分だった。だいいち! 武蔵境の駅前にスターバックスがあるなんて!
というわけで、天文台からの帰りに母校にちょっと寄ってみた。少ないながらも人はウロウロしている。こんな時期なのに。といってもICUの夏休みは6月末から9月頭。3期制のためか、ちょっとずれている。そろそろ夏休み明けの時期なのかな。
それにしてもこの大学のなかもけっこう変わっていて、驚いた。見覚えのないところに駐車場がある。バスは武蔵境行きまで校内に乗り入れてくれている(昔は三鷹行きだけ)。しかも教会前まで続いていた通称・滑走路という800メートルの桜並木が少し短くなって、車は途中で迂回するようになっていた。どうもキャンパス内の様子も見慣れない道が増えていて、あんなに単純なキャンパスなのに、迷いそうだった。
道だけではない。図書館の前の変にすり鉢状にへこんでいた芝生空間に建物があるし、なにより、学生時代のほとんどを過ごしたD館というたむろスペースが増築されて、2棟になっていた。もちろん増築されたほうは新しくてきれい。そっちには三省堂まで入っていた。在学当時はほんとうに使えない売店に、お情け程度の教科書(しかもほとんど英語)が並んでいただけだったもんなぁ。あんなに日本語の雑誌が置かれるようになったなんて。
新しい棟と古い棟は、2階部分が渡り廊下でつながっていた。繋がった先は、友人が多く生息していたICU祭実行委員会室(通称・コミッティー)。そこはただの床になっていた。多くの学生の道を踏み外させた照明委員会(舞台照明を請け負っている)の部屋は、1階で広くなっていた。郵便局跡地。居住者がけっこういるキャンパスなので、こういう施設ももともとあったのだ。新しい建物のラウンジはどうも落ち着かなくて、古い方の冷房の効いていない、そして人のいないラウンジでぼーっとしていたら(いや資料を読んだりもしていたんだけど)、なんだか変な気分だった。この大学にいたころと変わっているのか、いないのか。懐かしい気分と、いたたまれない気分が混在していた。
そのままずるずるしそうな気分を振り切って、知り合いがいるN館へ。Division of Natural Scienceで、理学科の棟。それでN館だったんだけど、看板には「Science Hall」とある。最近は名称も変わったのかなぁ? ただし、外側だけ前よりきれいになっていた。本館は皮がはげた感じで哀れになっていたのに。
さすがに知人たちは不在だった。同級生の名前を連絡用の黒板でみかけ、「おー、ちゃんと数学しておるなぁ」などとも思ったり。昔とちがうのは、答案用紙を受け取る側から返す側になったことか。
なるほどICUなんだなと思ったのは、茶髪・金髪の人の中の日本人比率がキャンパス外ほど高くないこと。
■運動会
夕方、文楽見物の師匠Nさんからゆずってもらったチケットで、「豊竹呂大夫を偲ぶ会」で国立劇場に向かう。呂大夫さんは、2年前の秋、55歳という若さで亡くなった、誰しもが今後の文楽を担っていくと期待していた人材だったと聞く。いまだに皆、残念がっている。
特別な催しの今日は全席自由だから、開場時間少し前にいったら、すでに建物のまわりを取り囲むように並んでいた。「うわっ、こんなに集まるんだ」と驚いたが、1日だけの特別な会だから集中するのもしかたがないか。座席は確保できて、開演直前に後ろを振り返ると立ち見が出ていた。
開演を待ちながら本を読んでいると、空いている私の隣の席を確保すべく一列後ろから荷物をおこうとしている男性がいた。座面がうまく降りないで苦労していたので、降ろしてあげたとき、顔をみたらどっかでみたことある顔だった。うーん、と悩んでみたものの名前は出てこない。でも文楽の人だ。どっかで見た。ま、いいや、家に帰ってから調べようと思っていたら、開演直前、女性をその席に案内していた。別々に座るのかしらと思っているうちに始まってしまった。
最初の演目は、人間国宝・吉田簑助が人形を遣う「本朝廿四孝」の「奥庭狐火の段」。前にも簑助のこの場面を見た。たしか去年、嵐の中をみにいって、帰ってきたら同時多発テロが起こったときだった。
今日は前後が何もないので、ストーリーの流れの中での判断はできないけれど、人形を遣う3人ともけっこうなレベルだろうなと最初に感じた。ただ、足のキレがよすぎるというか、元気な印象。左手はなるほどという感じ。お姫様が狐に憑かれるまでは、特別な出し物だしまぁまぁかなと思っていた。狐に憑かれた場面になると、なんと主遣いの簑助さん以外の2人まで顔を出すではないか! し・か・も。左手は、開演直前に席を確保していた、あのどこかで見覚えのある顔の男性。ひやー、狐ばりの早変わりだ。驚いた。
ただ、なんだか今日の狐火は足遣いが張り切りすぎたのか、おどろおどろしい感じではなく、「みんなで一緒に頑張りましょう! 秋の大運動会」みたいになっていた。去年の狐火の段ではもちょっと「憑かれた」人間の感じが出ていたような気がするんだけどな。
その後は、呂大夫が語り、人間国宝の中村雀右衛門が演じる映像詩「桜の森の満開の下」。ちょっとまずいけれど、始まって5分くらいで「えーん、怖いよー」と場内に響き渡る声で泣いていた子どもは正しい。怖いっす。部門はわからないけれど、エミー賞をとったものらしい。
最後は、呂大夫が節付し、清治が作曲した舞踊「三成」(水上勉作)を、尾上菊之丞が立方で。石田三成の最期の場面を描いたものだ。
ふだんの公演では見られない形式のものも多く、ゆずってもらってよかった。
[追記]文楽見物の師匠から文字と言葉遣いの間違いを指摘されたので修正(09/21)。
02/08/13/tue
■ぬるい
暑いけれど、少し「ぬるさ」に変わってきたような気がする。8月も後半へと突入していくのだな。
昨日、ひたすら読んでいた資料を元に、あれこれ構成を考えてみたり、新たな資料を探してみたり。取材依頼を進めたり。おー、仕事をしているみたいだ。同時並行でいくつかのことが動くと、「ちゃんとやらないと」とドキドキしてしまう。演算処理能力に難があるので、こういう期間がいちばん苦手かも。
たくさん凹みながら、地道に進めようっと。性格上、どうやったって凹むんだから。なぜ私の胃がこんなに元気なのか、自分でも不思議だ。ただ、最近ちょっと思う。「しない後悔より、する後悔」みたいな言い回しがあって、私もそう思ってきたけれど、「しなけりゃ後悔もない」ということはどうなんだろうか。しなきゃしないで済むものなのだ、たいていのことは。……うーん、でも「やろう」とか「やりたい」と思ったことは、基本的にしてきたからなぁ(結果は問わないでくだされ。うう)。「しなきゃしないで済んだ」ものって、じつは「あまりしたいと思っていなかったこと」なのかもしれない。
いまいちばんしたいこと。「ちゃんとする」。
02/08/12/mon
■抜糸
減張切開から1週間が経ち、今日は黒い糸を抜く日。いままでやっぱり糸つきで歯を磨きにくかった。といっても歯を抜いて3日くらいは、その近辺はうがい以外しようがないんだけど。
わざわざほっぺたを腫らして行った処理だったが、結局、事態は改善せず「今度、切りましょう」とのこと。うーん、あのこぶとりばあさんはなんだったのか、という思いがしないわけではないが、こういうのは仕方がない(と思うたち)。
まぁ、糸も抜け、かなり気分はよくなった。地道に今後の治療をしていこう。ふー。
ただ、歯医者さんもそれまでの経過がわからないとお願いしにくい医療だなぁと今回、しみじみ感じた。経年変化がわからないだろう。医者側としては、そのときの様子で対応するしかないし、そうすればいいのだろうけれど、なるべく状況がわかっている歯医者さんのほうがいいのだろうなと思う。
ずっとそこに住み続ける人ならまだ同じ歯医者さんに通うこともできるだろうけれど、転勤や引っ越しが多い人は、歯医者をはじめとして「自分にあった医療機関」をみつけることに大きなコストを払わないといけないのだなぁ。
せめて「カルテ(や医療データ)は患者の手元に」という流れが定着すれば、新しい医療機関にかかるときも患者側の情報をある程度引き渡しやすいように思うのだけど、どうだろうか。もちろん患者は自分できちんとデータを保管し続けないといけないけれど。
あと大前提。だれが見てもわかるカルテをお医者さんやコメディカル・スタッフに書いてもらわないといけないな。たかが日本国内で「ところ変わればカルテ変わる」じゃ、きついもんね。
02/08/11/sun
■資料に溺れて
「数に溺れて」という映画があったなぁと思いながら、ひたすら資料読み。昨日は、帰ってきてから、NHKの懐メロ番組やNスペジュニア版とかをつい見ちゃってはかどらなかったから、しわよっている。でも知らないことは面白い。あんまり難しい本を買い込まなかったので、わりとはかどってはいる。
おせんべいも美味しい。バリバリとはいかないけれど。
02/08/10/sat
■接客の基本ってなんだろう
なんとなく四谷の辣辛房(らしんふぁん)という店に出かけていき、ランチ。同居人が食欲不振になってしまったので、食欲増進メニューというわけだ。名物らしい麻婆豆腐と担々麺、鉄鍋餃子などを頼んでみた。担々麺は小・中・大辛とあるが、同居人が選んだのは大辛。最初なんだから様子を見ればいいのにと思っていると、出てきた担々麺には赤唐辛子の輪切りがてんこ盛り。大丈夫だろうか。でも、「北浜(大阪)の王府のほうが辛い」と平気な顔をして食べている。
ああ、でも南森町(これも大阪)は好吃の、辣よりも麻(=中国山椒)が効いた担々麺をまた食べたいものだね。
しかし真っ昼間に出歩くと、疲れる。時間もあるので、どっかで足のマッサージでも受けてリフレッシュしようということになった。四谷はぱっと見つからなかったので、市ヶ谷に移動。リフレクソロジーを掲げる店に入ったら……。お隣の美容室がついでにやっている感じだった。受付は美容室が兼ねている。そこの店員がひどくて、いっこうに埒が明かない。今日はダメらしいのだが、それが「予約をしていないから」なのか、「担当者がいないから」なのかもわからない。これから先、利用するときのことを考えて「予約がないと受けられないんですか?」と聞いたのに、「そうですね」という返事はなんだ?! 無言で渡されたチラシには「予約制(予約優先)」とあるから、空いてれば飛び込みでも大丈夫なのかなと思い、確認したかったのに、まともな返事が返ってこない。店から出るとき、ドアが閉まる前に思わず「ひどい受け答え」と言ってしまった。聞こえちゃったかな。
イライラしながら、駅の反対側に行ってみたら「マッサージ」という看板を発見。鍼灸じゃなく指圧系。やっぱり浪越系列でしょうか? とりあえずあがってみると、フットマッサージもやっているとのこと。飛び込み全然OK。1人先客がおり、いっぺんに2人は受けられなかったが、「お待ちになっている間、空いているベッドで横になってます?」と臨機応変に勧めてくれた。いやー、待っている間の20分間で、夢も見ちゃいました。ほんとにリフレッシュ。おじさんの気取ってないけど、気楽でありがたい対応が、前の店と比べてほんとにうれしかった。
その後、勤務に出た同居人と別れて、根津で文楽見物の師匠Nさんと落ち合い、チケットの受け渡し。Nさんが行けなくなった公演のチケットをゆずってもらったのだ。ついでに谷中の煎餅屋さんを紹介してもらって、何枚か買ってみた。「嵯峨の家」というお店。でも今の私には危険な食べ物なのだ! お婆ちゃんのようにしゃぶって、ふにゃふにゃにしてやる。近くに「愛玉子」と書いた看板があったので、ちょっと甘味を食べて暑さを忘れる。途中のリフレクソロジー以外はとても気分のいい1日だった。
02/08/09/fri
■緊張
久々にアポ入れだの、原稿依頼だのを立て続けてしていると、ちょっと緊張してみたり。3つの全然別のテーマを並行して動くのは、すぼらーな生活をしていた身としては「うわぁ」という感じだ。エンジンをちゃんとロー・ギアに入れよう。あとは頭の切り替えだな。
というわけで、新人になった気分でいろいろ仕事をし始めてます。どっちゃり資料を買い込んだので、端から読まねば。
■読了
川淵圭一著『研修医純情物語 先生と呼ばないで』主婦の友社
→いちばん急ぎじゃないテーマに関連する本をなぜかつい一気に読んでしまった。広告だったかで読んだこの本のイメージは「大学病院の医局に生息する奇人・変人たち(つまり医者)の生態」なのかなぁとなぜか思っていたが、ぜんぜんそんなことはなかった。タイトルどおり「純情物語」である。
30歳にして医者を志し、37歳にして医者となった著者が研修医1年目の半年を過ごした大学病院での様子をほのぼのと書いている。何人かの受け持ち患者さんは亡くなっているので「ほのぼの」なんていうと怒られそうだが、決していきり立った告発調でもなく、かといって「こんなに頑張っているんですよ」という浪花節でもなく、なんというか「ふつー」な感覚なのだ。脱サラし、自分がかかった医者に違和感をもち、「自分だったら」と医者になることを考えた著者。患者との時間をちゃんと持とうとするこの研修医は、なんとバイト(もちろんお医者さんとして他の病院で患者を診ること)をしない。お小遣いに毛の生えた程度と言われる給料しかもらっていない研修医達がごまんといる。こう書くと著者は「ふつーじゃない」か……。いや、そういう研修医がふつーじゃない状況のほうがおかしいはずなんだけど。
テレビドラマでもマンガでも医者モノ、病院モノは数多くある。そういう“ドラマ”にあるような派手さはない。そもそもが人の生き死ににかかわることが多いわけで、「ふつー」であることが難しい舞台なのかもしれない。でもだからこそ「ふつー」であることが求められもする舞台でもある。そんな著者の「ふつー」さがちょっとほのぼのしてしまうのだ。
02/08/08/thu
■海
赤坂見附でSさんとMさんと一緒に打ち合わせをしながら飲んだレモン・ハーブティーは、アイスなのにカフェオレ・ボウルで出てきた。思わず、「これってどういうふうに?」と確認してしまった。横にスプーンもついていたもので。
しかし専門分野というか強い分野があるってのは偉大だなぁとつくづく。私が発せられる言葉は「へー」「そうなんですか」「知らなかった」ばっかり。おかげで毎日新鮮に過ごせます。
帰ってきてから夜はテレビ三昧。東大名誉教授・東昭氏の番組をNHK総合で見た後、海水が地面の穴からしみ出してきちゃう南太平洋の島・ツバルの神保哲生氏によるリポートをNHK教育で見て、最後はNHK総合に戻り毎晩連続でやっている「海」シリーズを見た。
BBCとディスカバリーが共同製作しているものだけあって「海」はていねいに作っているなぁ。「こんな映像、どうやってとったの?」と誰もが思う疑問にも番組の後の「撮影現場」紹介でちょっとわかるようになっている。この場面以外に、人間が登場することはない海。海の中で繰り広げられる生存競争を見ると、「あー、私も生き抜いてるだけで偉いじゃん」とか思ってみたり。
ただ「海のハンター」という表現で、サメだのイルカだの大型生物がよく登場するけど、じつはいちばんのハンターって人間じゃないのかな。人間はどれくらいのハンターなんだろうか。
今晩発見したことは、「魚であれなんであれ、たくさん集まると不気味」という感覚だった。イルカも数匹ならいいけどたくさんだと不気味だし、カニだらけは気持ち悪い。この感覚の延長上に、渋谷の人混みが気持ち悪いというのもあるんだろうな。
■読了
橋本治著『橋本治が大辞林を使う』三省堂
→まだ小学館の『サピオ』がいまみたいな雑誌になる前……、というか雑誌ができたばかりの88年か89年頃、橋本治が『サピオ』で連載をしていた。内容の記憶が定かではないのだが、私が買ってくる『サピオ』を、編集長が取り上げてまっさきにこの橋本治の連載を読んでいた。そのときに編集長がいったことは「橋本治のこの文章はすごい。一度話したものをまとめているのだろうか」と評していたのをよく覚えている。
その記憶が、『橋本治が大辞林を使う』の冒頭部分で呼び起こされ、そして腑に落ちた。彼は「自分の言葉」を、「江戸語から立ち上がるもの」としていて、そう作り上げたというのだ。東京の山の手に生まれ育った橋本治にとって、江戸語から立ち上がる言葉というのは彼が育った環境で使われていた血の通った話し言葉だったわけで、だからこそ彼の文章のリズムを編集長は「一度話したものをまとめているのでは」と感じたのだろう。
そして橋本治にとっては、言葉は眼からではなく耳から入ってくるものだった。そういう人だからこそ、「江戸語から立ち上がる自分の言葉」となったのだろう。
言語学方面の基礎を勉強するとすぐに出てくる。“言語の第一義は音声”という発想と通じる気もする。橋本治が橋本治文体を確立した背景には、日本語ならではの部分もありそうだ。歴史的にみれば、漢字自体が借り物だったのだから。
あれやこれやと納得したり、細かいところ、たとえば「ん?それって語尾が濁音にならないんじゃなくて、促音の後は清音になりやすいってやつでしょ」みたいなのはあるけれど、でも、自分の文章を書くために、ここまでの計算をしていることに素直に感動する。そして自分自身から切り離して考えることの難しい母語を、力まずに遠目に見たり近づけてみたりしている様子にも「さすが」と思う。
「声に出して読みたい橋本治」哉。
02/08/07/wed
■重複
元勤務先から出ていた本を探しに、会社のある大塚へ。真っ昼間はやっぱり暑いと実感する。まだこぶとりばあさんなので、元上司と近くの中華粥の店でお昼を食べた。いろいろ周辺情報などを取材していたら、8月下旬に北京で開かれる4年に1度の国際数学者会議(ICM)へ行くとのこと。うらやましいなー。でも90年の京都会議の時は10日間、真夏の京都に張り付いていて、非常に疲れた気がする。20代前半の突撃精神旺盛だったころだから出来た取材のような感じだなぁ。ま、数学の学会って、ほかのどんな学会よりもほんっとにわかんないしね。
食後、お茶して、ちょっと企画の相談もさせてもらったら、真っ昼間の暑さはなくなっていた。そのまま先週末にオフィスが移転した【bk1(サイエンスサイト)】に顔を出してみた。元の位置から数百メートルの移動だけど、駅にもTRCにも近づいたからよい引っ越しなのかな。
いくつか近刊情報を仕入れたりして、もうすぐ夏休みに入る担当者のSさんにいろいろお願いをしておいた。
帰ってきたら、去年の秋、A社のお仕事でお世話になったSさんから電話が入っていた。所属が違っていたから誰だかわからず「?」な私。媒体名が出て、「ああ!」と合点がいった。移られた媒体でのお仕事のお誘い。あんまりやってこなかった分野だし、暑いし、いくつか他の仕事が動き始めたときだし、となんとなーく二の足を踏んでいたら、「一緒に仕事しましょーよー」と元気よく誘われ、打ち合わせをすることになった。ありがたいこってす。この分野に詳しいMさんも巻き込んでみて、心配性な私は気分がだいぶ楽になれたし、ま、頑張りましょう。
それにしても、仕事は重なるものだねー。ヒマなときは「私は何をしたらいいんだろう」と思うくらいヒマなのに。ここのところ怠け者だったから、お仕事に精を出しますか。
■入手本
川淵圭一著『研修医純情物語 先生と呼ばないで』主婦の友社
→ここのところ話題の、そしてかつ、別の仕事とも関係しそうな本。高校を出てすぐに医学部に入ってお医者さんになるのは、高校を出て教育学部に行ってそのまま教員になるのと同じくらい、あんまりよくないことなんじゃないかと感じている。絶対ダメとまでは言わないけれど、“ストレート”な人が圧倒的というのは、医者や教師たち「先生」ワールドではちょっと難しい時代じゃないだろうかと思う。著者は工学部を出た後、会社員やらパチプロやらをやってから医学部に入った人物。幅の広さがありそうだ。ただ、医者の問題も大きいけれど、私はやっぱり患者側の問題も大きいんじゃないかと思っている。
あさりよしとお著『まんがサイエンス 8』学習研究社
→bk1にゃ表紙の画像がないよう(涙)。でも並べてやる。いまなら【1巻〜7巻】も在庫あります。いつまでもつかわからんけど。
02/08/06/tue
■資料読み
なんか資料を探しては、ざっと読むということを繰り返していて、ふつうの本が読めない。せいぜい歯医者の待ち時間で橋本治を読んでいるくらい。積み上げられた本を、同居人にばれないように移動したときに発掘したのだった(移動した本はついにばれてしまったけれど。「こんなところに!」と呆れられた)。
橋本治を読んでいると、いつも「心の支えに生きていこう」と思ってしまって、でも「こういうふうに感じるのを橋本治はいちばん嫌がりそうだ」とも思う。ま、実際は読んでいる間だけで、読み終わって少しすると「支えだったのは覚えているけど、どう支えだったのかな」とすっかり忘れているあたりが間抜けなファンなんだけど。
しかし、今回は読んでいる資料とのギャップが大きすぎて、頭の切り替えに少し時間が掛かるということも発見した。
■こぶとり
ほっぺたが腫れた。こぶとりじいさんならぬ、こぶとりばあさんである。漢字をまちがって当てはめないように。
それにしても、10年ほど前に受けた顎の手術の後を思い出してしまう。あのときは両方だったから、顔がぷーっとふくれて、同居人から「朝潮」と呼ばれたような気がする。本格的に腫れが引くまでは1ヵ月以上かかったなぁ。
今回はさすがに2〜3日で引くでしょう。じゃなきゃ、やばいよな。
02/08/05/mon
■ヒモつき
結局、「やっぱりダメ」な歯を抜いた。うぇぇん。そのまわりの処理で、2針縫うことにもなった。いろいろ聞いたら、「減張」という施術らしい。帰ってきてから調べたら、減張切開といったほうがよさそうな雰囲気だった。
麻酔をかけているから痛みは全然ないけれど、気分はまさに“外科手術”。「縫う」と聞いて、自分の家の裁縫道具にある針と糸を想像してしまったけれど、視界にたまに入る針は、裁縫道具の針というよりは“釣り針”。Jの字のような形をしているのだ。医療用の針って、まっすぐな縫い針じゃないのね。
つくづくと、歯科や外科系の医者は手先の器用さが重要なんだろうなと、視界の端っこにちらちらする動きを見て思う。Jの字針を指じゃなくてピンセットで持って縫わないといけない。
クルクルッとピンセットみたいな道具の先に糸を巻き付けていた。なんの行為なのかなと思っているうちに、はたと気づいた。裁縫でも最後に糸を止めるときに針にクルクルッと2、3回糸を巻いて引き抜くではないか。これはきっと糸を止めているのだろうと思ったら、案の定そうだった。でも、裁縫とちがうのは、糸をとめるのは1針毎。2針いっぺんに縫って、1度に止めるわけではないのだ。2回のクルクルッを見た。なんで2針いっぺんに縫えないのだろうか。布と違って、つれちゃいやすいのかな?
糸の色は黒かった。これにもちょっと驚いた。
抜糸前なので、黒いヒモつき女です。
唇に血がこびりついている状態で進化学会を覗きにいくのもなんなので、今日はおうちでじっとしていた。
02/08/04/sun
■今年はどうしよう
同居人の夏休みの日程が決まった。去年は9・11の後のアメリカ…、っていってもハワイだけど、まぁ、アメリカに行った。よく行けたものだ。やっと飛ぶようになった飛行機はガッラガラだったけど。
今年はどうしようかなぁ。飛行機はもともと嫌いだし、海外に行きたいわけでもないから、温泉でぼぉっとするのがいいかな。でも国内の快適な温泉で3〜4泊もしているとバカ高くなるんだよなぁ。それこそバリあたりのほうが安いという……。
■入手本
パトリシア・リン・ダフィー著『ねこは青、子ねこは黄緑 共感覚者が自ら語る不思議な世界』早川書房
→『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』(リチャード・E.シトーウィック著、草思社)で注目を集めた“共感覚もの”。シトーウィックの本よりも後に出た。パラパラとめくったところ、シトーウィックの本への言及もありそうだ。元共感覚者もどきとしてはやはり気になるので、いちおう。今度の本はカラーの口絵がついていて、アルファベットに色がついている図版があった。これこれこれ。この感覚が近かった気がする。「字の色はどう見えるんですか?」と聞かれたけれど、そりゃ、赤い字なら赤いというのもわかる。ただ、プラスしてその字特有の色がぼわんと眼の奥に浮かび上がる感じなのだった、私の場合。楽しみに読みましょ。
酒井邦嘉著『言語の脳科学 脳はどのようにことばを生みだすか』中公新書
→最近じゃ、日本語教師の資格のための勉強でも少しはこういうところの知識が必要になってきた。切っても切り離せない言葉と脳の話はなるべくフォローしておきたい(けど、ほとんどできてない)。
白沢卓二著『老化時計 寿命遺伝子の発見』中公新書ラクレ
→これってやっぱりテロメアの話なのかな。と思って実物を手に取ったら、裏表紙に「染色体の端で細胞の分裂回数をカウントする“老化時計”テロメア」と書いてあった。そりゃ、そうか。120歳を超える人は世界のどこかにいるんだろうか? ただ、自分自身の長生きには、あんまり魅力を感じないんだな、これが。
尾島俊雄著『ヒートアイランド』東洋経済新報社
→暑い東京で毎日を過ごすと、この言葉が頭から離れなくなる。ここのところの雷の鳴り方もちょっとすごいような気がしたりして…。この本をパラパラめくると、ほとんどのページにグラフか図表が入っている。資料的な価値もあるかな。ヒートアイランドや温暖化は気分で語り出すときりがないから、実証的であるべきだろうとは思う。読み物形式も嬉しいから、それは別の本に期待かな。
ハーバート・ビックス著『昭和天皇 上』講談社
→上下巻なんだけど、どうやら下巻は秋に出るらしい。去年の春にこの本(原書)の存在を知ってから心待ちにしていた翻訳だ。講談社さん、ありがとう。途中で翻訳が止まっちゃうんじゃないかと心配してました。2001年ピュリッツァー賞受賞作。
H.G.ウェルズ著『タイム・マシン』岩波文庫
→映画を見たので、その原作をチェックしたくなって。主人公の名前は「時間飛行家(タイム・トラヴェラー)」としか出てこないみたい。冒頭部分だけを眺めた段階なので、まちがっているかも。
02/08/03/sat
■調べもの
昼間は神保町へ行き、大きな書店でひたすら調べもの。雑誌を見たり、単行本を見たり。関連書のチェックは重要だ。
家に帰ってからは、ネットでひたすら調べもの。実物を見るのも大事だが、やはりネットの膨大な情報量は重要だ。
しみじみと、便利な時代になったものだなぁと思う。図書館へ行かなければならなかったことが、だいたいはネットで探せる。雑誌の中身までは無理でも、タイトルや目的の号は目星が付けられる。時間ははるかに短縮できる。夜中でも大丈夫だし。
私は辞書を引くのが大嫌いだったけれど(オイオイ)、デジタルな環境になってからは辞書を引くのも検索も大好きになった。複数の国語辞書で説明を見比べたり、関連事項に飛んだり。周囲の語句も読めるから、紙の辞書と大差ない。なにより早くていい。
まぁ、検索が好きといっても昔から grep を使いこなすようなタイプではないから、いつまでたっても初心者レベルから抜け出せないけれど。
02/08/02/fri
■だるだるうつうつ
後ろ向き期間な上に、暑くて、だるだるうつうつ。うつうつな理由はもういっこある。一昨日歯医者に行ったら、様子見していた1本が「やっぱりダメ」になっていた。うぇぇぇん。でも3ヵ月前と本人の自覚はなんら変わらないのですけど。というか、この歯の周辺に関しては、1年以上前から一緒なんだけど。「3ヵ月前とは状況がちがう」ってことはないんだけど。3ヵ月前に発見しそこねたのは歯医者さんじゃなかろうか、と思う。だって、私は舌で触ることはできても、ふつうに鏡で見ようとしても見るのがとっても難しい位置の話なんだから。
「痛みがないのが幸い」と言われても、なんにも嬉しくない。痛くないから気づけないんだし。毎回、「これは大変」といわれると、存在否定されているような気になってくる。「自己管理ができてない」って責められている気分になるのだ。どうせ私なんて、ダメ人間ですよーだ。
■進化学会
中央大学理工学部のキャンパスで進化学会が開催されているので行ってみた。今日は初日で、公開講演会があったのだ。恐竜やら性やら、けっこう注目を集めている話題が4つほど。お昼ご飯をお腹いっぱい食べたのがたたってやたら眠くてつらかったが、おべんきょ。【bk1サイエンスサイト】で書評を書いてくださっている農環研の三中信宏さんはここの会計係。お疲れさまでございます。ご挨拶をして、プログラムをゲットしてきた。5日までです。
■訂正
はやく訂正しなければと思いつつ、だるだるうつうつで延ばしていた2点をちらっと。
【今日の医学教育用語(→02/07/27のてくてく)】で、「ローテート研修」を「2年間の研修期間の間に内科、外科から小児科、産科などいろいろ回る。1カ所につき2ヵ月くらいか」と書いたけど、これは「スーパーローテート研修」にあたるものだった。「ローテート研修」は、内科系・外科系の1つと救急を回る研修らしい。
【E型肝炎のこと(→02/07/23のてくてく)】で、「いずれ発見されるかもしれないF型が経口感染タイプか、体液感染タイプかは、まだわからないってことか」と書いたけれど、その後に読んだ(たしか毎日)新聞によると、F型は過去に一度発見されたがその後「これはちがうと判明した」ようだし、G型もすでに存在が知られているようだ。あと1種類、アルファベット順の名前じゃないのもありそうな感じだった。
「新しいタイプの肝炎」と思って「○型」とついても後で「残念でした。違いました」となると、そのアルファベットは欠番になっちゃうのかな。
02/08/01/thu
■緊張と緩和
打ち合わせでYさんといろいろ。初めての仕事の場合、やっぱりちゃんと相談しながら進められると、とてもうれしい。こういうやりとりが、ちゃんとできることが大事なんだと痛感している。連絡しづらい、または返事をしてこない相手とは仕事をしないのが吉だと学んだからな。でもまだあまりまとまっていない状態なので、だらだらしたブレストみたいな感じにしかならず、Yさんに申し訳なくも。編集長のMさんにもご挨拶し、最近の様子をあれこれ。
その後、同じ会社の別編集部のSさんにご挨拶して、蒸し風呂のような街を歩いてビールを飲みに行く。いや、ほんとお久しぶり。時は流れていたのだね。Sさんは芝居方面の話題にも詳しく、ほぼ同世代なので、舞台関連の話題で盛り上がる。
「小劇場のこざかしいところだけを集めたようなタイプ」の例で私の頭の中に浮かんだ役者名を口に出すのを憚っていたら、Sさんからまさにその名前が出て、心の中でガッツポーズ。ま、みんな考えることは同じってか。
「間」はほんと大事だと思う。空間的な「間」も時間的な「間」も。その「間」には、「待つ力」が必要。よほど演じ手に力がないと「待てない」。でもこれは役者だけじゃなくて、人が相対するときに必ず出てくることなんだろうな。取材で、相手の言葉を待てるかどうかも、取材者の力量が問われる場面だと思う。
「間」の持てる役者として名前を出したのは、吉田日出子。そしたらSさんも「いちばん好きな女優」とのことだった。ああいう役者さんの舞台をけっこう見ることができたのは幸福なことだ。もちろん自由劇場でやってたころとかじゃないけど。
あー、それにしても、大昔の唐十郎とかつかこうへいとか、リアルタイムで見られた人たちはうらやましいなぁ。岩谷さんがいたころの第三舞台とかも。
Sさんにしろ、私にしろ、最近は小劇場系といわれる芝居をほとんど見なくなった。Sさん曰く「よく見てきたお客さんは、能、狂言や歌舞伎、落語とか、そっちのほうに行ってしまったようだ」。考えたら私も、ここ3年くらいは文楽がいちばん身近な舞台だな。
店を出てから駅に向かおうとしたら、方向を90度間違えた。入った店の位置を勘違いしていたからだった。方向音痴ではないのだけど、スタート時点で座標軸の設定に失敗するとこうなる。暑いしね。
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