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2002年09月のてくてく
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02/09/30/mon
■右往左往
今日で9月も終わりだというのに、なにがなにやらわからない状況。どこかで一度、頭のなかの整理整頓をしないといけないなぁ。まずは、やらなきゃいけないことを一覧にしておくか。ひー、現実を直視したくなーい。だって本業となった仕事だけでなく、雑誌の特集をまるまる1つ抱えているんだもーん。だいたい原稿依頼は予定通り進んだけれど、依頼原稿4本に、インタビューものが2本もあるぞよ。締め切り時はどうなるんだろう…。手前には別件の締め切りもあるんだった。うっわーい。
……これって、じつは久々にかなりほんとにまじに、忙しいのかも。いまはまだ嵐の前の静けさというか、一瞬だけある凪みたいな感じなんだろうな。早くエンカルタの仕事にも慣れないといけないしなー。考え込むと逃げ出したくなるから、目の前のものをひとつひとつやっていくしかないぞ。ふー。でも、睡眠時間は確保してやる。そうじゃないとロクなことにならないから。ゆっくり乗り切ろう。今回携わっているのは、どれもこれも面白い、そして大事な話だからね。
■よいリスナーになりたい
ひー、と右往左往しながらネットをフラフラしていたら、【ナカムラ先生にお叱りをいただいてしまった】。もちろん叱られたわけじゃないのだけど、なんだか「ごめんなさーい」という気分がしなくもないのだ。女の子じゃなくて数式に目をくれていた学生時代を送った方から、こう言われちゃうとね(笑)。
おっと、まずは【警戒水域(02/09/12/のてくてく)】のことから。宇宙科学研究所にいらしたナカムラ先生によると、ロケットの打ち上げ時には「ちゃんと近海で漁業をしている漁師さんに保証金を払って,漁を休んでもらって」いるんですって。船へ警戒警報を出すだけじゃないってことは初めて知った。警戒警報を出されても困るだろうなぁと、ちょっと思っていたのでこれには納得。だっていくら警戒警報を出されても、「落ちてこないか空をずっと見ている」もんじゃないだろうし。まぁ太平洋全部というわけにはいくはずもないので、近海の漁師さんたちが対象になるのも当然でしょう。
これはロケットに限らないけれど、ひとつのことに付随している見えてきにくいことがいろいろあるものなのだね。
でもって、問題の【理系にはわからない(02/09/09/のてくてく)】、【文系にもわかる(02/09/11/のてくてく)】ということは、素人さんが「研究者のようにわかりたい」と思っているわけではないという言い訳をしてみた上で、ナカムラ先生がいうように「リスナーとして感じたい」ということなのだと、専門家の先生方にお願いしたいなと思う。
もちろん、ピアノと同じように基礎訓練を積んでいくことが大事なのはいうまでもない。ただ、ピアノと数学がちがうのは、ピアノは鍵盤があって調律さえしてあれば鍵盤を押せばちゃんと音が出てくれることかな、とも思う。数学や物理って、鍵盤がどこにあるのかわかりにくいんじゃないかなー。だからピアノよりは尺八とかに近いんじゃないかと思うのだ。フルートも音が出るようになるまでの最初の壁がピアノよりも少し高い楽器だから、ちょっと似ているかな。
もちろんいまの学校教育での芸術系(ほんとの音楽とか美術とか)は「鑑賞教育ができていない」と言われている(言われていた?)わけで、同じように、数学や物理のリスナーとしての鑑賞力が足りないのも自覚はある。
そして、「こう読め、こうしろ」という雰囲気のプレイヤー育成「教科書」ノリじゃ、いくら言葉がていねいでも鑑賞しにくくなっちゃう。それはとても不幸な鑑賞教室。
■入手本
リチャード・フォーティ著『三葉虫の謎』早川書房
→「化石なのに個体発生がわかる」ということの意味を、私は教えてもらってやっとわかった。いろんな過程の三葉虫が化石で残っているのね。もちろんそういうこと自体珍しい。なんでそんなことになっているかというと、三葉虫は今でいえば昆虫みたいにすごくたくさんいたってことなのだ。そこここに三葉虫。ふむ。数は大事なのだな。というわけで、いただきました。ありがとうございます。
02/09/29/sun
■クニエのき・も・ち
同居人が買ってきていた『コンピュータのきもち 新教養としてのパソコン入門』(山形浩生著、アスキー)を読み終わった。内容はまぁ、ほかで把握してください。私にパソコン関連の相談をする(かわいそうな)人々は、この本も課題図書だよーん。『痛快!コンピュータ学』(坂村健著、集英社)よりも後に読むべきだろうとは思うけど。あと少なくともパソコンで苦労した経験が必要かな。
『アスキー・ドットPC』の連載時に何回かは読んでいた。とくに「フォルダ」や「ディレクトリ」のことについて書いた回の号は、家にあったのでしばらくしてから妹に送りつけた。ちょうど彼女が「ファイルがピンとこない」と言っていたからだ。彼女も「なんでファイルなの? だってファイルはバインダーみたいなものでしょ。パソコンでいうファイルだって、綴じられているなかの一つのものなのに…」とまさに山形浩生が書くのと同じことを漏らしていた。苦手で仕方ないけれど、コンピュータとの付き合いがプログラムを書くことから始まった私にはあまり戸惑えないポイントだったので、この連載での疑問と説明に「なるほど」と感心したものだ。
で、少ししてから「どうだった?」と聞いたとき、妹は「いちばんピンときたのは目が見えなかった人が見えるようになってすぐに『見える』ということはないということ」と即答してくれた。それはそれでヨイのだけど、「で、ファイルだのフォルダだのは?」ともう1回聞かなければならなかった。
少しはわかったそうである。でも「なにがどうわかったのか」はあまり明確ではなかった。「文書ファイルは1つでも、なんか束ねてあるらしいと思うことにした」ようだった。まぁ、そこまでいけば十分だとは思うけど、問題はいまでもそれを覚えているかどうかだ。人間、嫌いなこと、苦手なことはすぐに忘れるからね。
ちなみに、妹はディレクトリというかフォルダですごく心配をしていたことがある。階層構造を部屋にたとえて説明し、ある程度整理することを覚えてもらったとき、「この部屋の大きさは大丈夫なの?」という趣旨の質問をした。別に部屋じゃなくて引き出しでも、まさにフォルダでも袋でもいいんだけど。
新しくファイルを移動して入れたり、すでにあるものを取り出して他の部屋に移したりすると、そのスペースがどうなるのか心配になるらしい。ドライブのパーティションのときは大きさが問題になるけれど、ディレクトリやフォルダを空間的に説明すると、彼女のようなデバコ(デジタル・デバイド)はほんとに実態のある空間を区切って思い描いてしまいがちなのだ。
とっさに、私は「えーと。……お部屋の壁はいわばゴムでできているようなもんだから、伸縮自在なの」と言っておいた。これがいい説明かどうかはわからないが(いいわけないよな)、とりあえず妹は安心してした。
ただ、この本がほんとうの初心者に向いているかどうかはわからない。だれかが「素人さん相手の説明に苦労している人が喜ぶんじゃないか」ということをたしか【勝手に広報部・部室】あたりで書いていたような気がするけれど、その意見にほんとに賛成。
同居人も昔から素人さんに頼られやすい人なのだけど(※)、彼は少し前からよく「どうやら苦手な人は一面的にぺったりとパソコンを理解している。デスクトップなり、いま触っているソフトなり、そこに映っているものがパソコンなんだと思っているようだ」と言っていた。
これは、山形浩生の本では「コンピュータがむずかしいのは、それが何重にも層(レイヤー)になって重なっているからだ。コンピュータが『わかる』人っていうのは、その重なり具合をきちんと区分して認識できている。コンピュータが苦手な人は、それが区別できないで、ぐちゃっとした一体のものとしてしか認識していない」(p.115)というのと同じことだと感じる。ここを読んだとき、思わず「わははは。やっぱりおんなじことを言っているよ。共感したでしょ」と同居人に言ってしまった。
……なんとなく共通するところがこの二人にはあるのかもしれない。いや、同列に論じるのはおこがましいんだけど、著作権についてのスタンスも近いところがあるし。この著作権についての部分が連載にはなかったので、連載で読んでいた人もやはり読んでほしいなと思う。
それと、「言っていることとやっていることが一致している」という点も少し似ているかもしれない。いや、これとてスケールはまったく違うけれど。【山形浩生のオフィシャルサイト】を見て、その言動一致に改めて尊敬している。
あ、ただ「銀鉛フィルム」(p.198)はやっぱり「銀塩フィルム」かなって。
(※)なんだか知らないけど、友人たちの間では半ばヘルプ・センターの人みたいに扱われている。しかもワールド・ワイドなんだ、これが。彼にヘルプ電話がかかってくるのはなぜか海外から。オーストラリアからは「モバイル・ギアで原稿が送れない」とか、ボストンからは「ウィンドウズのなんかのファイルをまちがって削除しちゃったらしくて立ち上がらない」とか、日本の彼の元に会社の枠を超えてくるもんね。不思議。
02/09/28/sat
■写メール
同居人が611SというPHSの名機から、ケータイに乗り換えることにした。ちょっとビルの奥に入ったり、温泉とかに行ったりすると、PHSがほとんど入らなくなることに業を煮やしたのだ。で、ここのところ発症していたデジカメほしい病を一部緩和させるためをかねて、デジカメつきの機種を選んだ。
そういうわけで、我が家にデジカメつきのケータイがある。それで私は初めて知ったのだが、撮影するときに音が出て、その音は消せないのね。盗撮防止のためらしい。へー。
とはいえ、路上ではまわりの音にかき消され、店のなかでも少しざわざわしていると、ほとんど気にならない。……これはスピーカー部分を押さえていたからかもしれないけど。被写体がよほど近くにいないと、盗撮防止機能の役割を果たさないんじゃないかなぁ。
そういえば、先日出かけていった「世界最大の恐竜博」でもふつうのデジカメや銀塩カメラのなかにチラホラよりは少し多い比率でケータイ撮影をしている人たちがいたなぁ。こういうツールが広まっていくことで、また何か変わるのかな。ポケベルのときみたいな、あっと驚く使い方が出てくるのかな。
いまのところ同居人はおもしろがってパチパチと撮ってみているけど、こっから先、どうなるのかまだ全然見当がつかない。
■入手本
R.E.タンジ、A.B.パーソン共著『痴呆の謎を解く アルツハイマー病遺伝子の発見』文一総合出版
→やっとこさ手に入れた欲しかった本3冊のうちの1冊。アルツハイマーの話は、ちゃんと読んでおきたかった。森山さんの評判もかなりいいので、期待大。
アンドリュー・スピールマン、マイケル・ド・アントニオ共著『蚊はなぜ人の血が好きなのか』ソニー・マガジンズ
→死者が100人を超え、最近アメリカで猛威をふるっている西ナイルウイルスも元々は蚊が媒介するもの。飛行機に乗ってやってくる蚊で、日本上陸も時間の問題かとすらいわれている。この本の帯にも西ナイルウイルスの文字が躍る。おぼろげな記憶では西ナイルウイルスを媒介する蚊は、ヒトだけじゃなくて鳥も感染させるみたいだけど。この本はもちろん蚊が媒介する感染症の代表格マラリアについてもかなりの紙幅を割いている様子。蚊はぱっと見でなんの種類かわからないし、身近な存在だけに怖そうだけど、読むのは楽しみ。
L.アンドルーズ、D.ネルキン著『人体市場 商品化される臓器・細胞・DNA』岩波書店
→こちらもあちこちで評判のいい本。聞くところの印象では糾弾調らしいのが少し気になるけれど、二人の著者のうちアンドルーズは法律家で、ネルキンが科学者のようだ。こういう組み合わせはこれから特に大事じゃないかな。
02/09/27/fri
■第2次出産ブーム
ここのところ同い年の友人に電話をかけると「じつは、つわっていて……」ということが2件続いていた。子供をほしかった友人のところの妊娠報告はほんとうにうれしい。
考えてみたら私らも37歳なので、出産についてはタイムリミットを感じざるをえないのだ。もちろん40歳以上で出産した人たちもたくさんいるけれど、だんだんと難しくなっていくのも仕方のないことだし。
同い年を見回してみると、子供がいるところは第1子がちょうど小学校に上がったころの子供が多い。そうすると、第1次出産ブームはいまから7年くらい前、私たちが30歳前後のころにあったことになる。きっと30歳が出産に関して最初に感じる「期限」なんだろうな。
そしてその次であり、おそらくはかなり最後に近い「期限」がちょうどいまごろだろうか。今回は研究者方面でのおめでたが多いので、キャリアとしてもこの時期が一つの区切りなのかもしれない。
何歳で出産するのもそれぞれにプラス面とマイナス面があるのだろうと思う。ただ肉体的な負担は年齢が上がっていくとどうしても大きくなりがちなので、現在妊娠中の友人たちが無事出産を迎えられることを願いたい。亀の甲より年の功。これまで積み上げた経験でいろんなものを迎え撃っていってね。
私はといえば、妊娠・出産のことを通り過ぎて、「もうそろそろ更年期がやってくるんだよなぁ。怖いなぁ」と考える日々。早い人だと40代前半から始まるそうだし。なんだか早そうな気がするんだ、わし。20歳前後の5年くらい、人よりも排卵回数が多かったからねー。予定排卵数がもうそろそろ終わってまうんじゃないかと……。
■乗り継ぎ失敗
執筆者の一人であるTさんと顔合わせをかねて、上司、前任者の4人で飲んだ。Tさん、この仕事以外でもいつもどうもです。
で、先輩諸氏の話に引き込まれながら、出社4日目でまだ終電をチェックしていない私は「何時まで大丈夫なんだろう?」と思いつつ、ついつい最後のソバまでしっかり食ってしまった。駅に行くとどうやら手頃な電車が入線している。走って乗りこみ、椅子を確保して、乗り継ぎ駅の時刻表を確認してみたのだけれど、しっかりア・ウ・ト。まぁそこまで行ければいっか、というところで放り出されるので早速寝る体勢。が、しかし、そのころから飲んでいた痛み止め薬の効果が切れ、額には脂汗状態。不幸中の幸いは、そんな状態で酒が少し入っていたのに気持ち悪くならなかったことだ。
電車の乗り継ぎにも、薬の飲み継ぎにも失敗してしまった。
ほんと不慣れなことをしているんだな。まずは家までタクシーなしで帰れる時間をちゃんと把握しようっと。
02/09/26/thu
■くつした
毎日出かけるようになって、いろいろ不足しているものがあることに気づき始めた。その1つが「くつした」である。家にいるときのいい加減な靴下ででかけるとちょっと恥ずかしいのでコマシなものを選んでいると、洗濯機を回す回数に比して靴下が足りな目みたいなのだ。補充せねば。
なぜ靴下のことを書いたかというと、今日はいて出た靴下が、ズルズルな奴だったからだ。これは小学生のころからずっと感じていることなのだが、なぜか歩いているうちに脱げてくる靴下がたまにある。なにをするわけでもないのに、ひどいときはかかとあたりまで出ちゃうやつ。それも両足同時ではない。片方だけ。これはなぜだ?
考えられる理由その1。「靴下のゴムがゆるい」。ほんとうにそうだろうか? ゆるくてもズルズルしてこないやつもけっこういると思う。理由その2。「靴と靴下の相性の問題」。ある靴下である靴を履くと、ひっかかりというか摩擦の関係で脱げてきちゃうとか……。無理かな。理由その3。「歩き方がその靴下に適していない」。人は誰しも歩き方のクセをもっている。そのクセがズルズルと脱げやすいクセだった。でも脱げない靴下がたいはんだよなぁ。
どういう理由で、ズルズルなやつとそうでないやつに分かれるのだろうか?
ところで、かのgoogleにまでクッキーがつきやがったのか? うるさいことこの上ない。
02/09/25/wed
■読中メモ
電車に乗る時間ができたので、車中読書などをしてみようかと試みている。でも、まだいろいろと手荷物が多くて、あんまりスムーズに読書に移行できないのだけど。電車に乗ること自体、はっきり言って不慣れだからなぁ。
今、電車で読んでいるのは、『言語の脳科学 脳はどのようにことばを生みだすか』(酒井邦嘉著、中公新書)。やっぱり新書サイズだと移動中の読書には楽なのだな、と実感する。
この本の3分の2くらいまできたところなのだけど、少し前にある表現がひらめいた。「ぴっちりと風呂敷を広げてくれている本」。ふつう広げる風呂敷はいかがわし目だったり、怪しげだったりしやすいが、脳と言葉というどうしても気になってしまうテーマに対して、フローリングの床の上で布のスミまでぴしっと風呂敷が広がっている感じなのである。……ふつうは「見取り図」とかそういう表現になるのかな。「どこに自分たちがいて、どういうふうに見ているか」とかそんな感じ。
内容的には、言語学の基本タームなどもしばしば登場し、また当然のことながら脳科学の言葉もたくさん出てくるし、両方の分野にある程度通じていないと決して“やさしい”わけではない。しかし、「ぴしっ」と風呂敷が広がっているので、視界はすっきりしている。読者にとっては、この感じが大事なんじゃないかな。
■ぜーはー
出社2日目なのに、午前中は歯医者に行き、その足でしかかりの仕事をしに回り、夕方になってオフィスに到着してみたりする。まぁ、当分は並行せざるをえないのでこんな感じのことも出てきてしまう。一時的だけど、履いているワラジが2足とも結構大きいと気づくと気が引き締まる。
といいつつも、慣れないメーラーに戸惑い続ける。なんというか設計思想というか、操作に対するセンスが全然違うのだなぁと感じている。いまのメーラーに決めるまでいくつかを触ったけれど、全部MS以外だったものなぁ。……正直な気持ちは「つ、つかいにくっ」。すぐ慣れるだろうけどね。
そうそう。『エンカルタ』の紹介サイトで自分の家からだといくつかのボタンが効かないのは、なんかこっちの設定がひっかかっているのかもしれない。詳しく調べるのも面倒なのでチェックしていないけど、オフィスで見たらちゃんと表示していた。
02/09/24/tue
■ご報告
突然ですが、本日よりマルチメディア総合大百科【エンカルタ】(まわりのリンクが切れているのはそろそろ次の版がでるから?)の編集部に在籍することになり、11年半ぶりの社員編集者となることになりました。定期券を持つのも4年半ぶり。あまりに久々の“会社員”という状況にちょっと緊張気味です。雇用保険がつく身分なので、やはり会社員と表記してみました。
……いわれるまでもなく、『エンカルタ』を出しているのはマイクロソフト。とはいえ私が雇用契約を結んだのはマイクロソフトではなく、『エンカルタ』を作っているまったく別の会社ではありますが、そこここから笑い声が聞こえてくるのがわかります。後ろから指も指されているかもしれません。たしかに、たしかに、ゲイツくんの顔を毎日目にするのは少し厳しい気もしますが、初めての百科事典編集という仕事への興味がまさってしまいました。「そもそも」とか「○○とは?」という基本的な部分が好きな私です。そういう傾向はもしかしたら百科事典にあっているんじゃないかなと感じたのですが、はてさてどうなることやら。
右も左もわからぬ新米百科事典編集者となりましたので、みなさま、どうぞお力添えください。
それに伴い、これまではただのお気楽フリーでしたが、これからは「(あんまり)フリー(じゃない)ライター・編集者」となります。略すとフリーライター・編集者になっちゃうんですけどね。
双方の了解もいただいたので、【bk1(サイエンスサイト)】の仕事もこれまでどおり続けます。みなさま、こちらもこれまで以上にぜひ可愛がってやってくださいませ。
このサイト自体は、とくになにも変わらないと思います。当分は生活の変化とMSのソフトに翻弄されててんてこ舞いかも知れませんけど、これまでどおりぼちぼちやっていきます。
02/09/23/mon
■テーマパーク
ここのところ、徒歩圏内にマンションの建設ラッシュが起こっている。すでに出来上がったものが2件、建築中のものが4件、どれもかなりの規模のものだ。マンション供給の急増を実感している。
てなわけで、年齢もそこそこ行っているし、ひやかしにいっても邪険にされにくいかなと、モデルルームに遊びに行ってみた。気分は「大人の社会見学」である。
一歩踏み入れて驚くのなんの。2件見に行ったのだが、両方ともまずは「プロモーション・ビデオ」の鑑賞。1件なんて、急な階段状の客席が4段くらいあった。詰め込めば30人くらいは入れる。でも我々二人だけだったけど。もちろんコンパニオンのおねーちゃんが何人も配備されている。
両方とも10分弱のいかにも「金かかってます」な映像が続く。周囲の環境を取り、建築予想図を元に描いたらしいCGがばんばん動いていく。ちょっと酔っぱらいそうな感じだった。我々が同時に思ったことは、「こんなムダに凝った演出のモデル・ルームやパニオンのおねーちゃんや、プロモーション・ビデオにかける金の分、安くしてくれりゃ客は喜ぶだろうに」だった。
でもって、最近はパブリック・スペースもいろいろあるのねー。タワータイプだと上層部分に「オーナーズなんとか」とか銘打って夜景を楽しめるコーナーや、それこそホームシアター的なスペースとか、来客用の和室とか。メイン・エントランスを入るとそこにいるのは「コンシュルジェ」だと。
広さにもよるけれど、新築だしもちろんまぁまぁのお値段。上層階のィエグゼクティヴゥな物件になると1億円を超える。ふつうのファミリータイプでも5千万以上がザラ。にもかかわらず、どのマンションも平均倍率3倍とか4倍とかみたいだ。入居できるのは抽選に当たった人ということ。信じられない。いくら金利が安くて家だのマンションだのは「買い」といわれる時代とはいえ、しょっちゅう不況不景気といわれているではないか。よくわからなくなってしまう。よくいわれる二極化っていうことなのだろうか。
初めてローンでいくら返すのか計算してみた。「月々7万円」なんていう謳い文句が出ているチラシで2400万円くらいの物件をモデルに計算しても、35年ローンでうんちゃらという条件の元だと3千万以上を返すことになる。なんだかなぁ。5千万とかの物件になったら、1千万以上余計に返すんだろうなぁ。むーん。それでも買うのかぁ。よくわからん。そんなもんなのだろうか。ローンというとなんだかわからなくなるけど、借金なんだよねぇ…。
あ、都合3部屋みたけど、どこもやっぱりモデル・ルームにテレビはない! すっごく不自然だと思うぞ。リビングにも寝室にもどこにもない。豪華に見える液晶型のホームシアターっぽいものすら置いていない。新築マンションに入る人はテレビなしの生活をするんだろうか。
モデル・ルームでちゃんとテレビの置いてあるマンションがあったらすごく好感を持って、思わず買っちゃうかもしれない。こんな貧乏人に売ってくれたらだけど。
02/09/22/sun
■増えているみたい
体重も増えているみたいだけど、9月に入ってこっち、なんだかアクセスが増えているような気がする。前は1カ月に1000くらいで1日30〜50程度だったんじゃないかと思うのだけど、ここのところ1日で100弱じゃないかと思う。……こういうことをちゃんと管理できないので、おぼろげな記憶に基づいての数字だけど。
どしたんだ? なんか変わったか? アクセス解析とかすればいいんだろうけど、スキルとスペックに欠ける今。それでなくてもマカフィーをアップグレードしたらやたら不安定になってさぁ。ぶちぶち。マシンの不安定が、私の情緒不安定を引き起こしたらどうしてくれるんだという気分。
■ブラック・ホール
我が家のブラック・ホールの1つは、ベッドサイドだと気づいた。
夜、寝る前に読む本を持っていく。しかしやたらと寝付きのいい私は、ベッドのなかではほとんど本を読めない。ものの1ページで寝てしまう。本がなくても、ものの30秒で寝られる。同居人が「ほんっとに寝付きがいいね」とうらやむくらいらしい。
まぁ、ここ何年かは寝付けなかった記憶がほとんどない。たいていは「おねむ〜」と言って、コテンとベッドに倒れる。そうじゃないときに本を持っていくのだが、やはりすぐ寝てしまう。
問題はここから。たいていは、起きたときに寝室から本を持って出ないのだ。つまり本は一方通行。基本的には枕元にある本を読もうとするけれど、ついつい別の本を持っていってしまうこともあるので、現在、すでに5冊の本が読みかけのまま積まれている。しかもどれもこれも朦朧としながらパタンと本を閉じてスヤスヤと眠りにつくので、読んだ内容がすっかり飛んでいる。すでに半年以上置かれている本もある。
ふーむ。就寝前の読書を習慣づけたいのだけどな。せめて15分とか20分とか。起きている訓練から始めないとダメかも。あ、読み出したら止まらないような本を持っていけばいいのか! 最近、そういう本に出会ってないなぁ。この間、「『昭和天皇』がおもしろい!」と強いプッシュをもらったけど、一気本ではないだろうしなぁ。
ただねぇ。この間、掛け布団を買い換えたのだ。いちおう羽毛。軽くてフカフカ。今まで以上に寝やすくて……。おやすみなさい。
02/09/21/sat
■ファンタジー
ここのところ私が「素数が好き」と言っていたのに対し、同居人が不思議そうな顔をしていた。「偶数より奇数が好き」というのもピンとこなかったらしい。「ある数が好きっていう感覚がわからない」と、あれこれ考えていた彼はある日、こんなことを言った。
「映画の『コンタクト』で宇宙人からのメッセージが素数で送られてくるというのがあったでしょ。あれは、素数なら文化や文明の違いがあっても相手に伝えられることだっていうんで、ああなるほどと思ったし、“センス・オブ・ワンダー”だなぁとも思った。
でも、ぼくは“素数”そのものとかに“センス・オブ・ワンダー”を感じるのは全然わからないんだ」
えーと、私も素数にセンス・オブ・ワンダーを感じているわけではないのです。もちろん数論の研究者やちゃんと勉強した人たちはそういうものを感じるんじゃないかと思うけれど、私の場合は、単に「色は群青色が好き」とか「山より海が好き」とかそんな感じだ。
「でね、ぼくなりに、いろいろ考えたんだ。そしたら、素数はイメージ的に硬くて、なんというか“元素”みたいな感じなのかなって。ほら、素数じゃない数はいろんな約数があるでしょ。だから、叩くとガシャンと小さなカケラに割れちゃうような感じじゃないの? そのカケラが素数だから、いわば“元素”なんじゃないのかなって。それで好きなんじゃないの?」
おおっ。私よりいろいろ考えているっ。なんだかすごくファンタジーを感じるぞ、それ。センス・オブ・ワンダーとは少しちがうかもしれないけど。
どうやら素因数分解のことを言いたかったらしい。素因数分解とは……、
108=2×2×3×3×3
みたいに「素数の積で表す」こと。言われてみれば、たしかにそんなイメージがしなくもない。
そうやって自分であれこれ考えてみる姿勢を、ちょっと尊敬。ただ、私はそこまで考えていませんでした。直観的になんとなく「好き」。偶数は2で簡単に割り切れてイヤ。奇数は2では割り切れなくて、なんか不安定感があって好き。2より大きい素数はさらに孤高な感じがする。こういうのは、もちろんあくまで個人的な感覚なのだ。
02/09/20/fri
■楽しい
あちらこちらに連絡をとり、原稿&インタビュー依頼。こういう作業をしていると、社員編集者だったころを思い出す。原稿のテーマを伝えて、少しやりとりし、引き受けてもらえるととても嬉しい。もちろん楽しい以上に緊張するけれど。やっぱり根っこは編集者なんだろうなと思う瞬間だ。
■つづき
同居人が昨日の恐竜ノリで「エディアカラ動物群はいつごろだ?」と聞いてきた。即答。「6億5千万年前くらい」。
だいたいあっていたらしい。「なんで恐竜が答えられないのに、これは答えられるの?」と驚かれた。
自分でも驚いた。なんでだかはわからない。でも、当てずっぽうではないのだ。前になにかで読んだか聞いたか調べたかしたときの数字がふっと浮かんできたのだ。脳みその不思議。
「でも、バージェス・モンスターのカンブリア爆発がいつ頃かはわからないの」と言ったら、さらに驚かれた。「エディアカラのすぐ後でしょ」。後だとはわかっているんだけど、どれくらい後かはインプットされていなかった。
02/09/19/thu
■お初におめにかかります、セイモくん
終わっちゃうので、「世界最大の恐竜博」に行ってきた。「もう夏休みでもないし、平日だし、それほど混んでないかな〜」と期待していたが、甘かった。きっと休みの日に比べればガラガラなのだろうが、個人的な印象は「そこそこ混んでる」だった。私らは見かけなかったが、私と同い年のやんごとなきご家族が来ていたらしい。娘二人は学校を休んだのか? 学校がお休みだったのか? それにしても毎回思うことだが、なんであんなに幕張は遠いのだろうか。東京駅の京葉線のホームからして遠いのが気分的に災いしているように思う。
じつは「恐竜と怪獣の区別が怪しかった」ワタシ。もちろん今現在の話ではない。でも、とんちんかんな状態であることに変わりはない。
行きの電車の中で「恐竜が登場した時代はいまから何億年前?」と同居人に聞かれ、「すごく昔」と答えたら、「ちゃんと億年単位で答えなさい」とたしなめられた。「46億年前から1億年前の間のどこか」と極めて正しい返事をしたのに、やはり呆れられた。「いくらなんでも地球ができた瞬間に恐竜を登場させてはいけない」。へー、わかりやんした。
「じゃあ、ジュラ紀と白亜紀はどれくらい離れているの?」とさらにいじわる。ワタシの答えは「たくさん」。でも、どうやら隣り合わせの時代だった。
当日券だと2500円もするというのはまったく知らず(案内のサイトでもぱっと目に付くところには書いてなかったから1000円くらいかなと思っていた相場知らず)、入場料の高さに驚いた。でもちゃんとプログラムも買った。じゃないとなにがなんだかわからないから。
メイン会場に入って私が言った言葉は「まるで恐竜の森だぁ」だった。恐竜の骨格標本がウヨウヨ。骨の恐竜たちがこのまま前に行進し始めたらすごいだろうななどと空想してみる。生まれて初めてちゃんと恐竜たち(の化石)を見た気がする。重い体を支えている骨は、とても立派だった。骨盤の堅牢さが人間とは違う感じがした。あと鎖骨というか、腕の根っこと首まわりの骨も。
何体か見ているうちに同居人と私が、ほぼ同じ疑問を持ち始めた。半分くらいまで進んだところでついに同居人が指摘した。「あれはなに?」。後ろ足の付け根に2本の骨がある。ええい、はっきり言って股間である。あの骨はなに? なんのための骨? 「内臓を支えるんだろうか?」「わからん」「なんでみんなにあるんだろう?」「わからん」。左の写真は我々が凝視していた恐竜のお・し・り。
この骨がなんであるかは、会場を後にして、お茶をしていたときにプログラムをあちこち眺めていたら判明した。「恥骨」と「座骨」だった。恐竜にとっての座骨と恥骨とは? はて?
02/09/18/wed
■無断使用
友人のKくんから、こんなメールをもらった。
「今、お仕事でちょっとしたプログラムを書いているんですが、とある本を参照してみたところ、その中のサンプルに住所録がありまして、なぜかふに? 国分寺に住んだことはないぞ。なんじゃ? 第一、よく銀行の用紙に書かれるような「山田太郎」とかではない、この変な表記の名前をなぜ? なんだろう?
「学籍番号:98106 氏名:鈴木クニエ 住所:国分寺市東恋ヶ窪1-280」
などという記述が・・。お知り合いですか?」
そう思って、添えてあったURLで書誌情報を見に行くと、【こんな本】だった。
ぶははは。なーんだ。著者が野崎昭弘先生だった。納得納得。ICU時代の指導教官、『数セミ』時代の著者、でごわす。思わずKくんに、「その周辺にTA子さんとかの名前もない?」と聞いたら、やっぱりあった。野崎さんの教え子の先輩。教えてくれた他の名前にも覚えのあるものがちらほら。センセー、近場でサンプル作ってますねー。
たまたま並んでいた私の前後の名前は先輩のTA子さんともう一人、SK子さん。この3人ともメディア関係者だったりする。
数年前に開かれた野崎先生の還暦のお祝いには、(東大→)NTT基礎研→山梨大学→ICU→大妻女子大と在籍なさったことが影響してか、なかなかにカラーのちがう教え子達が集まっておかしかった。たしかそのときに野崎さんが言ったICUの印象は、「元気な学生さんが多くて面白かった」。数学のデキは不問に付してくれた。多謝。前後6、7年の教え子のうち私が知っているだけでも4人もヤクザ(といわれるよう)な業界に進んだからなー。ちなみに小さい大学なので、これがけっこうな比率になってしまう。
■素数のつづき
上と同じKくんが、【素数ペアのプログラム(09/17のてくてく)】について計算してみてくれた。ありがとお!
その説明によると、これはやっぱり Java のソースで、「『import java.io.*』はプログラムのコンパイルに必要な記述」なんだそうだ。コンパイルが必要ということは、ちゃんとしたプログラムなのだな。他人のJavaスクリプトを少し手直しして使うくらいの同居人では、やはり難しいものだったわけだ。
私は、で〜んでんわかりません。野崎さんの教え子でも、数学もコンピュータもできなかったから、全然違うことをやって卒業させてもらったんだからね。……いばってどうする。
えー、さらにKくんの説明によると、いただいたプログラムは「エラトステネスのふるい」という方法なんだそうだ。この名前はさすがに知っているぞ。モンテカルロ法ってうのも知っているぞ。えっへん。でも「モンテカルロ法」が「エラトステネスのふるい」と関係するわけではありません。コンピュータに関係するアルゴリズム関連というつながりで思い出しただけのことです。
「エラトステネスのふるい」は、平凡社の『世界大百科事典』によると、「まず2からnまでの数を書く。2から二つ目ごとに印をつける。次に印がついていないのは3だから三つ目ごとに印をつけ、以下同じことを繰り返す。次に印がついていない数が√nを超えれば、印のついていないものがn以下の素数である」。
今回は上限が120で切られた探索だったから、それほど気にしないでも大丈夫な範囲なんだろうな。ほんとのほんとにものすごく大きい素数を探すのは、非常にたいへんな作業のはずだから、この方法でえんえんとやり続けるのは適していないかもしれない(この辺、ちゃんと確認していないので、興味のある方は独自にお願いします)。
ちなみに「120歳以下の二人が素数歳になる場合」は、Kくんが出してくれた結果によると、「6歳差」のときがいちばん素数ペアになる回数が多かった。19回。4歳差だと11回。イイ線いっているんだけど、負けた。
そうそう。プログラムを送ってくれた方の一言にもあって、気づいたのだけど年齢差は偶数であることが重要。だって、3以上の素数は全部奇数だ。奇数に奇数を足すと偶数となってしまい(この証明なら私でもできるのにぃ。…たぶん)、素数とはならない。
片方が2歳なら「2歳と5歳」とか「2歳と11歳」とかあり得るけれど、なんであれ奇数歳差のペアは2歳までの運命なのだ。ふふん。
……ふと思ったけど、同い年カップルだと話が早いんだな。
02/09/17/tue
■もうそろそろ1年かぁ
お昼に2カ月ぶりくらいで淡路町のトプカに行った。ムルギーダルを食べて幸せ。その後、(まだ休みの)同居人は免許の更新をしに行き、私は社会保険事務所で紛失した年金手帳の再交付をしてもらい、さらにその足で雨の中、【bk1(サイエンスサイト)】のオフィスに向かった。
久々のオフィスで、書評候補の相談をしたり。考えたら、そろそろ森山さんから引き継いで1年経つんだなぁ。『電子ブロック』が売れに売れたのがとにかく目立った1年。
売り上げも大事だけど、少しでも「こんな本が出てますよ」と伝えられる場になっていればいいのだけど。前よりも1度に紹介できる本の冊数が減ってしまっているので、相変わらずたくさんある新刊書籍を並べきれないのがとても心苦しい。
■素数ペアのプログラム
37歳と41歳の【素数ペア(09/08のてくてく)】が住む我が家。Aさんという方から「たまたま素数の勉強をしていたので」と、素数ペアを見つけるプログラムを送っていただいていた。ありがとうございます。
でも私はぱっと見てすぐどうすればいいかわかるわけではなく、同居人に「やってみて」とお願いしないと先に進めない。javaらしいってことはわかるんだけど(そんなことは1行目に書いてくれていたんだけど)。
じつは最近、同居人がはまっているものがある。日本語スクリプト(かな?)の「ひまわり」というものらしい。「日本発の」とかではない。「日本語で書く」スクリプト。「○○と言う。」というように実際に書く。ちょっとだけ見せてもらったけれど、すっごく笑えた。
おっと本論本論。いただいたプログラムは人間の寿命と考えられている120までにある素数のペアをいろんなパターンで見つけるようだ。手元がバタバタしていてすぐに実行できそうにないので、もらったものをとりあえずそのまんま公開しておきます。こういうふうに貼りつけて大丈夫なのかな。ダメなのかな。「import java.io.*;」と書いてあった最初の1行はなんとなくヤバイ気がしたので、削ってます。あと、字下げが無視されちゃっていてごめんなさい。
/**
* Prime3 120までの素数のうち、年齢差が2歳から20歳の
* それぞれの素数同士をファイルに出力するプログラム
*/
public class Prime3{
static final int MAX_PRIME = 120; //調査年齢範囲
static int difAge; //年齢差
public static void main(String[] args) {
if (args.length != 1) {
System.out.println("使用法:java Prime3 出力ファイル名");
System.out.println("例:java Prime3 prime.txt");
System.exit(0);
}
int count = 0;
String filename = args[0];
File file = new File(filename);
try {
if (file.exists()) {
System.out.println(filename + "が存在します。名前変更!!");
} else {
PrintWriter writer = new PrintWriter(new BufferedWriter(new FileWriter(filename)));
for (difAge = 2;difAge < 21;difAge++) {
writer.println("\n調査範囲:" + MAX_PRIME + "歳 年齢差:" + difAge + "歳");
boolean[] prime = new boolean[MAX_PRIME];
for (int i = 0;i < MAX_PRIME;i++) {
prime[i] = true;
}
prime[0] = false;
prime[1] = false;
for (int i = 0;i < MAX_PRIME;i++) {
if (i >= difAge) {
if (prime[i] && prime[i - difAge]) {
writer.println(i + ":" + (i - difAge));
count++;
}
}
if (prime[i]) {
for (int j = 2;i * j < MAX_PRIME;j++) {
prime[i * j] = false;
}
}
}
writer.println(count + "件ありました。");
count = 0;
}
writer.close();
}
} catch (IOException e) {
System.out.println(e);
}
}
}
02/09/16/mon
■物欲発生
本以外はあまりモノをほしいと思わない私だが、久々に「ほしーっ」と思うものが出てきた。少し前のワイアード・ニュースで【IBM、最大8時間駆動の『ThinkPad X30』発売】と出ていた、IBMのノートパソコン。後継機のX31がもう発表されているらしいけど、こっちでいい。んー、ほしーよー。
もともとB5サイズのノートがメインであり続けた私としては、IBM本来の姿に戻ったかのような方向性のマシンに思えるこのX30がやたらと気になる。特徴はなくともバランスがいいと思う。今メインとして使っている ThinkPad 240 を見かけたときと同じような印象だ。アメリカで発売されたばかりみたいだけど、日本はいつ頃出るのかな。いくらくらいになるのかな。わくわく。
もちろんまだこのマシンも使えるけれど、ハードディスクがいっぱいいっぱい。すでにスワップ領域が取れないに等しい。6ギガもあるのにね。辞典類をたくさん入れているから、テキスト中心の生活をしていても圧迫気味になってしまうのだ。大容量ハードディスクへの交換は、いちいち設定し直さなければならないと思うとやる気がうせていた。ほんとはOSのインストールし直しもたまにはしないといけないのだけど、それもやっぱりめんどうでね(最初の設定以降、新しいソフトをほとんど入れないで使うタイプということもあり、レジストリがむやみに太ることはないので、再インストールの必要性がイマイチ低いのだ)。どうせなら、新しいマシンで苦労するときに一緒にしてしまいたい。
3年は使わないと負けた気分になるけれど、今回は他の事情もあわせて2年半で新規購入になるかもしれない。まぁ、これだけよく使い倒しているマシンが年間7万円なら安いものだ。いまやこのノートPCがオフィスともいえる空間だからなぁ。
今度出るX30にはドッキング・ステーションもあるみたい。DVDがまだなにもない我が家としてはけっこういい選択じゃないかな。あちこちで話題になっているマシンだし、すぐ品薄になりそう。秋葉原の【若松通商】なら、いくらくらいになるかな。
……今日、雨の中、秋葉原に出かけていったのだけど、やっぱり【若松通商】は楽でいいわ。「あの、ThinkPad240のアダプターはありますか?」とカウンターで言った3秒後に目の前に差し出された。いちおう手元にある240のアダプターを持っていったものの出す間もないほどで、「後継のものですけど。少し小さくなりました」と解説付き。ストレスの少ない買い物ができた。
家に帰ってサイズを古いほうと比べてみたけれど、たしかに小さくなったのは「少し」だった。パソコン本体より、持ち運び時に気に障るのはアダプターなんだよな(そのためにもう1個購入した。出先に置いておくため)。
02/09/15/sun
■根府川
先週、同居人の休みにあわせてぽちゃんと浸かっていたのは【スパウザ小田原】というところだが、正確には「根府川」という住所にある。
ここに予約を入れた後、「小田原の1つか2つ先の根府川っていうところが最寄り駅らしいよ。そこから送迎バスが出ているんだって」と同居人に言った。これに対して同居人の返事は、
「歴史の先生が住んでいたところだ」
というものだった。私の頭の中にあるのは、当然「?」。高校時代かなんかの歴史の先生が引っ越した先なのだろうか(同居人は大阪出身なので、そこの先生が住むには引っ越しが必要)。つぶやくように続けた言葉は、
「もう過ぎちゃったけど、2000年のセカンド・インパクトのころ歴史の先生は根府川に住んでいたって」
いまだにエヴァンゲリオンの話かい! しかもシンジ君たちが通っていた中学校の歴史の先生のことなんて、誰が反応できるか。歴史の先生が出てきたこと自体、私はすっかり忘れていたぞ。
しかし同居人はなにやら納得顔である。「根府川って言われてもどこだか全然わからなかったんだよな。そうか、そういうところにあるのか」だと。
同じ神奈川県内で高校まで過ごした私だけど、根府川なんて今回初めて知った地名なのに同居人はずっとずっと音だけで覚えていたのね。感心するというかなんというか。でも、そんな私に「東京の人にとっての根府川って、大阪からしたらどういうところになるのかな?」なんて聞かれても。初耳なんだから。
もちろん根府川に到着してからも、同居人は感慨深そうに「ここが根府川かぁ」とつぶやいていた。あまりにマニアックすぎないかー。
02/09/14/sat
■ピーク
筋肉痛が今日になって、激化した。ボウリングをした翌日に筋肉痛が出てほっとしていたが、やはりピークまでには中1日を要したようだ。左側を中心にガシガシいう感じ。今日、新たに右足も加わった。やっぱり身体は正直だ。
02/09/13/fri
■スパ終わり
というわけであっけなく終わった夏休み。今日は、もう東京の自宅でたまったメールへの返事書きなどにいそしんでいる。
ただ、ふだんの休暇とはちがうものが1つくっついてきた。それは筋肉痛。昨日、ついついホテル内にあった小さなボウリング場で10年ぶり以上のボウリングをしてしまったのである。……ボウリング? ボーリング? どっちだ? 「掘る」ほうのボーリングが音引きなんじゃなかったけ?
同居人は中学生以来くらいらしい。それって、何年ぶりだ? 四半世紀ぶりとかそんな感じか。そのため、最初の2ゲームは見るも無惨。Gの嵐。男性で80以下のスコアを見るのは珍しい。おかげさまでこの2ゲームは私が勝利。いちおう100は超えたもんね。特に2ゲーム目は119対63とほぼダブルスコア。わーっはっはっは。スコアも自動だし、ほんと便利になったものよのう。
が、私は「2ゲームの女」なのである。3ゲーム目からはガタガタと崩れていく。100を切ってしまった。かたや自分の投げるボールが左へ行くことを学んだ同居人は立ち位置と身体の向きで調整し、すくすくとスコアをのばし始めた。なんとこの日の最高スコア129をマーク。ヘロヘロになって付き合った4ゲームを終わってみれば2勝2敗となってしまった。くやしい。
ちなみにボールのスピードは私の方が早い。力任せに投げているから、2ゲームが限界なのだ。そして結果として今日、左のお尻が痛い。尻で踏ん張っていたことがよくわかった。
でも、中1日おいての筋肉痛じゃなかったので少しほっとする。
それにしてもボウリングのボールとピンの当たり方、飛び方は不思議だった。あんなに重いボールがけっこうな勢いで転がっていくのに、細長いピンに当たるとかなりボールの転がり方が変えられてしまう。ピンがじつはすごく重いのかな。
ボールとピンの関係は、それほどやっかいでない力学ですむんだろうか。もっとボールとピンの飛び方を観察したかったのだけど、つい勝ち負けに気がいってしまいおろそかになる。それにピンの飛んでいく速度が速いんだ、とっても。目を凝らしてみていても、なかなかきちんと把握できない。
もちろんもう一つ、重大な難点があります。「思ったところに投げられないので、比較検討ができない」。運任せ。
02/09/12/thu
■スパ3日目
3泊4日なんてあっという間である。明日には家に戻らないといけない。やっぱり2週間くらいは休みたいものである。3日程度じゃ、「ああ、あれやらなきゃ、これやらなきゃ」となってしまって、頭が日常から切り替わらん。
この「スパウザ小田原」のスパ施設はまぁまぁ満足。食事のレベルはちょっと物足りないかな。ついつい「タラサ志摩」の食事と比較しちゃうからね。まぁタラサと比べれば値段が違うのだから、当然か。
ついついサウナだジャグジーだにはまってしまって、湯あたり気味。
■警戒水域
今日の毎日新聞によると、ハッブル宇宙望遠鏡にかわる宇宙望遠鏡が打ち上げられるそうだ。でも、予定では2010年らしいから少し先だな。
それはアメリカさんの話。日本では、先日、H2Aロケットの3号機(だっけ?)の打ち上げに成功した。
同居人から聞いた話によると、ロケットの打ち上げのときは航行中の船に対して「お知らせ」が、文部科学省か宇宙開発事業団から出されるそうなんである。いままで気にしたことがなかったので、ちょっと新鮮だった。
そりゃぁ、いくら危険が少なそうなところで打ち上げているとはいえ、落っこちてこないところまで行くにはかなりのエリアが必要だろう。途中、段階的ななんとかエンジンなどにからんで落下物もあるはずだ。
大手の船会社だったら、ロケット打ち上げの情報も自社で船に伝えられるけれど、あまたある漁船はそういうことはない。そこで船への配信機能をもっている共同通信が請け負ってやっているらしい。何日か前から「ロケット打ち上げ予定があります」と船に対して、流しているのだ。
でも、注意すべき落下物はそんなに大きいもんでもない。それに比して、飛んでいく範囲はけっこう大きい。警戒水域はロケットの軌道上の下になるけれど、かなり広いことはたしかだろう。
ロケットを打ち上げるときに、そんなところまで話が広がるのかと少し驚いて、また納得もした。いまのところ落下物がどんぴしゃりと当たってしまった事故はないらしい(けど、よくわからない)。
02/09/11/wed
■1年
去年、嵐の中、朝から文楽を見に行って帰ってきたら、打ち合わせの予定を変える連絡が入って、NYのテロを知った。あれから1年。
ここのところ繰り返し流され始めたWTCの映像は、否応なく現にあった事実をつきつける。まだ1年だ。
■降りた
同居人が投げ出した『文系にもわかる量子論』をパラパラとめくってみた。
第1章で「加減法(足し算引き算)の知識は仮定しますが、微分積分の知識は必要ありません」と書いてあったけれど、その約30ページ後には、「sinθ」が数式のなかで出てくる。三角関数の知識は「必要ありません」とは書いていないのだから問題ないといえばそれまでだけれど、なんだかなぁと思う。それにふつうの人が「足し算引き算」でイメージするのは「9−4」だったり、「15−8」だったり、そんなもんだ。見慣れないギリシャ文字の入った文字式の足し算引き算ではない。文字式の場合は「代入」という(うちの妹はすっかり忘れていた)行為が必要になるのだ。もちろん乗除法も出てくる。×も÷も記号としては出てこないけれど。
なんというか、不親切な作りだと思う。これは編集者の責任が大きいのではないだろうか。縦組みで書くのはいい。だけど、数式はどうやっても横に組んでくれないと、読めたもんじゃない。シュレディンガー方程式は枠に囲んで横組みにしているんだから、他の数式もなぜ横組みにしないのだろう。縦組みの文章に、90度向きを変えないと読めない数式が(1回とかではなく)入っているのは「読むな」と言っているようなものだ。
「68ページの式を見直してみてください。右の式は実験より求められた68ページの公式と一致するのです」(p.75)と書くのだったら、68ページの式を、「ほら」と再掲すればいいのに。なんで読者の負担を増やす方向でしか考えないのだろうか。ちがうページにある数式と一致するのを確認するのに苦労するってことはふつうに考えてもわかると思うぞ。
同居人曰く、「“ですます調”で書けば啓蒙書になるって、理系の人は思っているんじゃないの?」。そうかもしれない。
今回は、私も降りた。仕事でオブリゲーションがあるときに改めて読ませていただこう。そういう視点でなら、それなりにていねいには書かれていると感じたからだ。
でもね、ふつーの人は「仕事でオブリゲーションがあって量子論についての啓蒙書を読む」なんてことはないのだと思う。面白いからこそ読み進めるんじゃないかな。
■読了
橋本治著『「わからない」という方法』集英社新書
→好きな人の本を紹介するのはほんとに難しい。なにを書いてももどかしくなってしまって、「いいから読んでみてよ」となってしまう。だから気になったところをメモで。
「20世紀は理論の時代で、『自分の知らない正解がどこかにあるはず』と多くの人は思いこんだが、これは『20世紀病』と言われてしかるべきものだろう」(p.21)あたりで、最初にドキッとさせられる。「正解」がほしいよな。うん。「よく考えてみればわかることだが、『なんでもかんでも一挙に解決してくれる便利な“正解”』などというものは、そもそも幻想の中にしか存在しないものである」といわれると、そりゃそうだよなと思いつつ、正解を求めていた自分も自覚するしかない。もちろん、20歳前後のころのような思いで正解を求めていたわけではないけれど、どうしたらいい?という不安感に向き合うときに頭の端っこでいつも“正解”を探っていた部分は否定できない。だからこそ「わからない」からスタートする橋本治の話を読んでしまうのである。
私自身、「わからない」をちゃんと受けとめられるようになったのは30歳前後だったように思う。学生時代や20代前半、なんだか「わからない」といけないような気がして、「わからない」をないがしろにしていた。別の言い方をすれば「背伸び」でもある。「わかっている」と「大人」のように思えたからだ。でも、「わかった」こと、「わかっている」ことなんて、じつはその事柄のごくごくごく一部のことでしかない。結局、「わかっていない」「わからない」自分を受け入れられるようになって初めて、「わかる」はほんとに楽しいと感じ始めたと思う。私の場合、「わからない」ことに自信を持てるようになるまでにも、ある程度は経験や時間が必要だった。
そんなわけで、橋本治が「セーターの本」を書いて「『わからない』が明白なる『方法』となりうることに気がついた」というのがショックでもあり、とても腑に落ちることだった。「古い常識」をひっくり返すために編み物の本だというのも、もちろん。
実際、セーターの本に書かれているものに、こんな項目があるという。「毛糸なるものをどこで買うのか」。とうぜん毛糸屋であり、毛糸屋以外では手芸洋品店であり、デパートのそういうコーナーである。編み物をする人にとっての「常識」だけれども、「知らない人はどこまでも知らない」例だ。これはなかなかすごいと思う。
言われてみれば、たしかに、それまで編み物について自分のこととつなげて考えていなければ、毛糸屋があったとしてもそれはおそらく視界に入ってこない。見過ごしているはずである。だとしたら「毛糸はどこで買うのか?」がわからない。
89ページあたりの「知らない人はどこまでも知らない」という項は、ぜひものを書く人にここだけでもいいから読んでほしい。
「わからない」方法の1つとして「地を這う方法」の例であげられていたのがメイキング・オブ・『桃尻語訳枕草子』だった。これも「よく、まぁそこまで」と感じずにはいられない橋本治らしさがにじみでていた。「わからない」からこそ橋本治は「やる」のである。時間と労力をかけて。
ただ、全体を通していくつか「それってほんと?」とも思った。
「平安時代は女の文章だけが『言文一致体』である」(p.199)と書いてあるけど、お願いだから「面倒なことはいわずに」なんていわないで、面倒でもいいから、ちゃんと理由とともに断定してほしいなー。なんでそういえるのか、私には“わかりませーん”。
02/09/10/tue
■スパ初日
ひっさびさにグッと堪えながらの取材を終え、金曜日までお休み。東京駅で同居人と9月6日にグランド・オープンしたばかりの新しい「丸の内ビルヂング」でお昼を取った。平日だし、初日じゃないしと思っていた丸ビルは、いまだすごい混雑。「なんとか合同法律事務所」とかがあったころの丸ビルの面影はまったくなくなっている。すっかりショッピング・ビルだね。西新宿にしかなかったコンランショップまで入っているし。
そしてJR東海道線に乗り込み、小田原の【スパウザ小田原】へ来ている。
最近、いたるところで露出中の新老人・日野原重明氏が顧問を務める健康増進温泉施設。ちょっとヘルシー指向強めのスパリゾートといったところか。
バーデ・プールと呼ばれる、気泡浴だの圧注浴だの、打たせ湯だの、歩行浴だの、いろんな温泉に水着でちゃぽんと浸かっていた。あー、ぐにゃぐにゃ。でも、つい歩けるスペースがあると水中ウォーキングをしてしまう私。久々のサウナとあわせて、心地よい疲労に身を任せている。
でも3泊なんてすぐだよなぁ。せめて1カ月こういうところで過ごしたいよな。スパに入り、休憩しながら本を読む、ご飯を食べて、昼寝。これが繰り返せたらいうことない。ほんとうに「労働はいやでごじゃる」と口をついて出てきそう。が、ここは「勤労者リフレッシュ健康管理センター」みたいな名前もパンフレットにあるぞ。「働かざる者休むべからず」みたいで、いやん。
02/09/09/mon
■怒りも大事
今日は、霞ヶ関→地元の歯医者→霞ヶ関→調布、と行ったり来たり移動の多い1日だった。ふー。
最初の霞ヶ関は、地裁。ある民事裁判をずっと傍聴しているのだが、今日は、いい加減怒りが沸いてきた。あんなにひどい弁護士は初めて見た気がする。これまでお付き合いがあったり、傍聴したりしてきた弁護士は、それなりにデキる人たちだったのだと痛感した。仕事柄、どうしようもない弁護士に取材しないもんな。
この裁判ではある医療裁判にまつわることが名誉毀損かどうかが問われている。原告が「名誉毀損だ」と被告を訴えたのに、現在、まるで引き延ばしとか思えないことを訴えた原告側がしているようにしか感じられない。訴えられた方が不利益にならないように時間をかけて引き伸ばしているのならまだわかる。なのに、この裁判が先に進まないのは訴えた原告側の準備が進まないからなのだ。
ふつう、原告側は精神的損害だのなんだので迅速な裁判を求めるものじゃないのか? そうじゃないとすると、訴えていること自体、被告への嫌がらせのように感じる。原告は組織体であり、被告は個人であることを考えると、実際的な被害が大きいのは圧倒的に被告だ。
しかも先送りされている証拠が、お笑いぐさ。CT写真だというのだが、その画像は別の裁判でも提出済。それのことかと思ったら、CTのデジタル・データだというのだ。それを分析してくれる専門家が時間を取れずにいるという。
そもそもその証拠自体がおかしいと思わないのか。たしかにCTの大元はデジタル情報だ。対して、医療現場で使われるのは画像となったアナログ情報といえる。でも、だから何? 病室や手術室で医師たちがデジタル・データを元に判断をするとでも? 01の文字列を見て、手術していたら人間コンピュータとして世界的な注目の的になれると思う。それともCTの元情報は場合によって異なる画像を作り出すというのか? そうだとしても実際にアウトプットした画像しか見ていないんだから、どうしようもなかろうに。CT技術もなめられたものだ。
訴訟指揮権は裁判官にある。こんな弁護士のやり方にいちいち付き合っていたら、裁判官もおかしいと思う。今回はさすがに被告側の弁護士の抗議でその証拠以外で進めることになったが、もうちょっとちゃんと訴訟指揮権を発揮してもいいんじゃないだろうか。
■理系にはわからない
私が明日からの休暇で読むつもりだった『文系にもわかる量子論』(森田正人著、講談社現代新書)を、同居人が先に読んでいた。彼は私立文系組である。
「文系には読めない」と、この本を投げ出した。私立文系といっても、じつはかなり科学好き。無線部のオタクだったし、進学時は理系にするか文系にするか悩んだ人だ。いわば隠れ理系。その彼が投げた。
私はまだ読んでいないので、この本が「理系ならわかる量子論」となるのか「理系でもわからない量子論」となるのかは、わからない。ちなみに私はウソツキ理系なので、同居人とトントンなのだけど。
もちろん文系に進んだ人の中にも、私なんかよりよっぽど数学や物理のできる人は多い。だが、このタイトルで期待するのは「理系は得意じゃないけどわかる量子論」だ。理系好き・得意じゃなくても、量子論がどんなものか知りたい、わかりたいと思うことだってある。「理系は得意じゃなかったけど」という40歳過ぎた大人が知りたいと思う気持ちをもっと大事にしたっていいじゃないか。それをこういうタイトルで本を書く理系の先生たちにぜひわかってもらいたい。
一言でいうなら、「高校の数学や理科を前提とした時点で、『文系にはわからない』ものとなる」ということ。高校の内容を覚えている人がどれだけいるだろう。ほとんど関係がなくなった自分の不得意分野を思い起こしてみてほしい。世界史でも日本史でも、古文でもいい。高校の内容を前提とされたらお手上げじゃないだろうか?
ゼロからでは無理だという主張もわかる。新書のボリュームでどこまで書けるか。とても難しい。でも、どんなに頑張っても前提にできるのは「中学までの内容」だと思う。それも名前だけ。「三平方の定理? あったねー。因数分解? ああ、やったやった」程度。中身は忘れているのが、実際のところだと思う。そこが「理系にはわからない」のって、問題なんだろうな。
そうだそうだ。ちょっと休暇をとりまーす。
02/09/08/sun
■祝・素数ペア
昨日は同居人の誕生日だったが、今日は、私の誕生日。当然のことながら、毎年、連チャンなのである。
で、今年は37歳になった。うふふ。うれしい。この1年は36歳でちょっとイヤだった。偶数より奇数の方がなぜか好きなのだ。当然、麻雀の役もタンヤオよりチャンタのほうが好き。これは関係ないか。
さらにさらに今年は奇数のなかでも、「素数」なのだ。きゃっ。
えー、いちおう説明を。素数とは「1と自分自身以外に約数がない数」。約数は割り切れる数ね。12だったら、2とか3とか4とか6とかで割り切れるでしょ。でも素数は1か自分でだけしか割り切れない。
37はまさにそういう数。奇数の不安定感が好きなのだけど、素数はさらに特徴があってよろしい。「わーい」と喜んでいたら、4歳年上の同居人・41歳も素数歳だった。これからの1年は、二人そろって素数なのだ。なんかいいことないかな。でも、別に素数は縁起をかつぐようなものではありません。単なる好みだから。
ふと考えた。二人そろって素数歳になるのは、あとどれくらいあるのかな、と。大きい数になってくると素数かどうかを調べるのはけっこうやっかい。ただ、たしか「双子の素数」というようなのもあったはずだ。平凡社の『世界大百科事典』によると
「3と5,5と7のように2だけ違う素数の対を双子素数という。2は,2と3の場合を除けば素数の間隔としては最小のものであるが,このような素数の組は無限に存在することが予想されている」(「素数」の項目より)とのこと。4つ違いはあんまり検討されていないのかな。命名しちゃおうかな。「クニハタ素数」じゃ図々しすぎる?
ちょっと考えてみた。これまで私たちがお互いに素数だった年齢はあるのか? 私が2歳から数えていくと、「3&7」「7&11」「19&23」のあとぽーんと18年も飛んで、今年の「37&41」だった。19歳のときは別の人と付き合っていたから(あれ?付き合っていなかったか。寂しい大学時代だな)、今の同居人と一緒に迎える初めての素数ペア歳だ。
でも、また悲しいことに当分ないんだろうなと、これから先も数えてみた。したら「43&47」が素数ペアだった。わずか6年後だ。考えたみたら素数の分布は不規則なんだっけ。この次は「47&51」……、はダメだ。51は3×17があった。49もダメだから…、ええと「67&71」だな。わ、けっこう飛んでいる。その次は生きているかな。「79&83」って両方とも素数? 「97&101」あたりが人間的に限界かな。数だけならいくらでも続くだろうけど。
いきおいでちょっと並べてみよう。
3&7、7&11、19&23、37&41、43&47、67&71、79&83、97&101、……
2つ違いじゃなくて、4つ違いの素数。こういうペアは2つ違いの双子素数に比べて頻度は多いのかな? 同じくらいなのかな。3つ違いだったらどうなんだろう。出現分布に2つの間の数の差は影響するのかな。こういうことを調べた人たちっているのかな。
37年間も生きてきて、誕生日にこんなことを九九を確認しながら考えている私って、と我に返らないのが肝要。
この1年が私たち素数ペアと、みなさんにとってよい1年でありますように。
02/09/07/sat
■祝・41歳
同居人が今日で41歳になった。1年とりあえず元気で過ごせたのは、なんであれめでたいめでたい。
■シリアル・ナンバーのみ
行方不明になっていたマカフィーのシリアル・ナンバーが偶然、発見された。一段落ついた仕事の資料整理をしていたときに、ふと棚の横を見ると、壁とのすき間に赤い色したノートみたいなものがささっている。マカフィーの取説だった。
「やった。あった」と思って引っ張り出して開くと、ユーザー登録のハガキがはさんであった。そこにシリアル・ナンバーを発見。どうにかこれでバージョン・アップができる。……でも、もともとのCD-ROMは行方不明のままだ。何かあって再インストールが必要になったら、お手上げ状態。ダウジングの神さま、仏様、もう一度降りてきて。
使っているソフトのシリアル・ナンバーと本体と問い合わせ先(=ソフトのメーカー)だけは、ちゃんと管理すべきだという反面教師でした。はい。特に私にパソコン関係で問い合わせをしてくる人々、「ふだん偉そうなことを言うくせに。ざまーみろ」と思うと同時に、我が身を振り返っておいてくださいな。
■入手本
葛西龍樹著『家庭医療』ライフメディコム
→とあるところの課題本その1。【bk1(サイエンスサイト)】ではデータが見当たらない。
中田 力著『脳の方程式 ぷらす・あるふぁ』紀伊国屋書店
→とあるところの課題本その2。もちろんこの著者の前作は『いちたすいち』の人。こっちはどうかな〜。テレビ番組で見かけたときはちょこっと不安な印象だった記憶があるんだけど。
02/09/06/fri
■リンク・メモ
昨日、ご挨拶したイラストレーター「いずもり・よう〈何森 要〉」さんのサイト。動物を“正確にデフォルメ(?)”したイラストを描く方です。こういうスタイルはけっこう面白いな。
【webギャラリー「幻想水系」】
■決断と情けなさ
ええーい、やってみちゃる。当分は割り振りが忙しくなりそうだ。各方面へごめんなさい連絡中。
その一方で、情けないことにファイアー・ウォールのバージョンアップができない。理由は「シリアルナンバー行方不明」。こんな情けなくて恥ずかしいことはない。どこへいったの〜? そもそも紙箱だけあって、CD-ROMすら見つからない。シリアルナンバーはどっかにまとめてメモしておくべきだ。ほんとに。わかっちゃいるけど、ついつい後回ししちゃうんだよね。でも発掘の方が何十倍も大変だったらありゃしないと痛感中。
ダウジングでシリアルナンバー探してくれないかな。
■読了
大塚ひかり著『いつから私は「対象外の女」』講談社
→少し前に気づいていた。「“恋”という感覚自体から遠ざかってしまっているな」と。30代中頃から「恋」という感覚が自分の手の届かないところに行ってしまった気分を味わっている。そんな私が読むのに、これほど適した本はない。帯には
「若かったときは、男からちやほやされた経験だってある。
いくつか熱い恋もしたし、優しい夫にもめぐりあえた。
こういうのをたぶん幸せって言うんだろうな。
だけど、何かが足りない気がする。
考えてみたら、恋のときめきなんて、ずいぶん味わっていない。
でも、いったい誰が今の私を
きちんと「女扱い」してくれるんだろう?――」
とある。まるで私の気持ちみたい。「ちやほやされた」経験はないけれど、恋する気持ちはちゃんとあった。少し前までは。
私自身のなかで確認していた気持ちは「たぶんこの人を20代のころなら好きになって、別にどうこうしようというわけではなくとも近づいてみただろう。意識的する前に、もう知らず知らずの間に近くにいっちゃうといった感じか。でも今は“あー、タイプかも”で終わり」だった。別の言い方をすれば、20代はほんとに発情期だったんだな。でも今は発情する気持ちと発情による活動が一致しない。気持ちがまったくないわけではないが、活動力がないので気持ちもすぐ尻すぼみになってしまう。
そういう「恋まで届かない」状態になっているのはなぜかと考えていた。理由の一つはやっぱり肉体的な衰えの自覚。自覚があると、すりよって行きにくい。昔から自信をもてるポイントはなにもなかったけれど、自覚もなかったからおかまいなしだったもんな(昔はすり寄るというより正面衝突していた)。
理由の二つ目は、中途半端に自分が出来上がっているからじゃないかと思っている。20代なら自分は出来上がっているつもりでも、その実、やっぱり舞い上がれた。恋しい相手とお互いのインプット・アウトプットを繰り返すのが楽しくてしかたなかった。でも、今は知らない人には少し不安を感じる。気持ちの中に、守りたいものが増えてしまったみたいだ。でも、これがもう少しちゃんと出来上がったレベルまで行けば、その上でちがう形の「恋」ができるんじゃないかとも思う。要は、現在、半端モノなのだ。
てな私(あと2日で37歳)が読んで、「で、たどり着いたのが『恋をしたい』という思いであった」とすっぱり書ける著者(41歳)はやっぱりちょっとまぶしい。しかもそのための知恵を、古典に求められるのは彼女ならではの才能。『源氏物語』その他の古典をひいてきているが故に、かなり際どい物言いをしているのだが変にいやらしくならず、また、押しつけがましくならないでいられるのだろうかと思う。
もともと、何事も、自分自身の問題からスタートする著者である。その「問題」がこれまでのような「身長」や「美醜」ではなく「性的な対象」である以上、正直なところ「よくまぁここまで」というのも感じる。夫も子どももいる彼女が、「第二の男ほしい」と書くのだから。でもそういう姿が、まぶしくもあるかな。
あー、まとまりがつかなくなってきた。ただ今回の本は、違和感もそこここにあった。昨日読んだビビッドな違和感が1日で色あせてしまったため、もし思い出せたらまた今度。
02/09/05/thu
■噂はかねがね
今日は、岡部昭彦さんが主宰なさっている「科学ジャーナリストの会」に久しぶりに出席した。数年おきに1度という出席率なので、どうも毎回「はじめまして」という感じだ。かなり長く続いている会で、こういう集まりとしては最古参グループのひとつだろう。
今日のお題は「グールド先生のワンダフル・ライフ」で、スティーヴン・ジェイ・グールドの数々の翻訳を手がけた渡辺政隆さんによるお話。5月20日に60歳で亡くなったグールドのいろいろな側面を聞くことができた。若い頃のグールドは痩せていた。けっこう好みかも。
それにしてもグールドの知名度は、日本では驚くほど低い。アメリカではあれだけの人気者なのに、日本では「だれそれ?」という人がサイエンス方面でも少なくない。今は亡きカール・セーガンはどうだったのだろう。グールドとセーガンはかなり親しい間柄らしいけれど、二人とも日本での知名度は世界的な知名度とズレていたのかなぁ? セーガンが亡くなってだいぶ経つので、そのあたりがピンとこなくなってしまった。
グールドが亡くなって追悼記事が出たのは、朝日・読売・赤旗だったという。朝日は渡辺さんが科学欄に、辻篤子さんが追悼コーナーに書いていた。やっぱりこれだけでは少ないと思ってしまう。
参考:bk1での特集【追悼・スティーブン・ジェイ・グールド】
会自体は、出席者の中に元の勤務先という人がいたりで、「えー、お噂はかねがね」状態。まぁ、せまい業界だからなー。
■入手本
大塚ひかり著『いつから私は「対象外の女」』講談社
→この著者のファンなのだ。いちばん好きなのはなんだろう。やっぱり『「源氏物語」の身体測定』かな。実は、昨日届いていて、だいたい読み終わっている。極端に違和感を感じる部分と強烈な共感をもつ本だ。そろそろ37歳になろうとしている私と、41歳の著者の間のずれだろうか。
橋本治著『「わからない」という方法』集英社新書
→来週、ちょびっとのんびりしに行く予定なので、そのお供に。でもそれまでに読んじゃいそうな気もする。「わからない」とちゃんと言えるようになるまではけっこう時間が掛かったなぁ。
森田正人著『文系にもわかる量子論』講談社現代新書
→8月は新書がいっぱいでたけれど、その中からはこれ。いちおう休暇のお供その2。
02/09/04/wed
■キシロカインより歯根の治療薬のがまずい
歯の治療らしくなってきた。この春から夏にかけて数回通った歯の治療は、あまり「歯医者さん」という感じではなかったのだ。実際やっていることは、ペンチみたいなもんでグリグリと歯を引っ張り出す作業。つまり、抜歯である。これってウィ〜ンという例の歯医者さんの音もしないし、あんまり歯医者っぽい感じに思えなかったのだ。
それがやっと、歯根の治療だなんだと、歯医者らしい雰囲気になってきた。
しかし、抜歯と違って先は長い。それも同時に思い出し、暗澹たる気分にもなる。
抜歯にしろ、ふつうっぽい治療にしろ、最近の歯医者ではもうしょっちゅう使うのが麻酔だ。子供の頃は「痛いのはがまんしなさい」という雰囲気だったと思うのだけど、大人になってから行き始めた歯医者さんたちはみな「痛かったらすぐに言ってください」だった。これなら、気楽だよな。
ただ、麻酔をされながら、心臓がドキドキして、腕や足の温度が下がったりしているような気分になっていた。歯医者も「大丈夫ですか?」とかならず声をかける。
そこで今日、聞いてみた。「一般的な麻酔なんですか?」と。すると、たいていはこの麻酔だと言われた。ちなみに「キシロカイン」という。
医者曰く、「血圧が20くらいあがるから、150とか170とかあるような高血圧の人には使えないんだよね」とのこと。なるほどそれで心臓バクバクだったのか。
帰ってきて、当然、調べてみた。
【日本RAD-AR協議会ホームページ くすりの情報ステーション】というなかなか充実したサイトにもキシロカインの話はちらっと出ていた。【アストラゼネカ】が売っている麻酔薬だ。
【発掘!やくやく大事典】にも【局所麻酔 キシロカイン】という解説があった。
検索キーワードを変えて「キシロカイン 麻酔 血圧」とすると、いきなり副作用系を説明したサイトが上位に出てくる。ふーん。麻酔のキシロカインは苦かった。しかし歯根の治療で使った薬は苦くないけど、ずっとしみ出てくる感じでそれがイヤ。
せっかく夜、ひっさびさに会う舎弟分のKくんと新宿「ひつじや」に食べに行ったのにぃ。ま、ひつじさんのほうが頑張ってくれたのでそれほど問題はなかったけれど、ちょっと残念。脳ミソはちょっとはずれ。ハズレといってもスカスカ状態の脳ミソというわけではない。それじゃ、見たまんまスクレーピーになっちゃう。単に、普段の方がもっと美味しいらしいってこと。
でもね。Kくん、差し出した名刺を見て「きれいになっちゃって」はないぞな。そのセリフは、ちゃんとワタシの顔をみて言いなさいまし。
02/09/03/tue
■お見合い
ちょっとばかし神保町でお見合い。こういう場合に「お見合い」といってもらえるのはなんだか嬉しい感じがした。
02/09/02/mon
■完結
吉田秋生の『YASHA』が全12巻で完結してしまった。出だしのころはすごく緊張感があったけれど、半ば頃から「あれ?私がいま読んでいるのは『BANANA FISH』だっけ?『YASHA』だっけ」と感じるような既視感が増えていた。戦闘シーンの組み立てはほぼ同じ印象だ。そう感じることからも、あっさり終わりにしてよかったんだろうなと思う。12巻までいっているんだから、あっさりでもないか。
『YASHA』にはバイオハザードだ、遺伝子操作だと、現代的な要素が多かった。それはそれで面白かったが、次に吉田秋生はなにを描くのだろうか。『河よりも長くゆるやかに』のように「日本の社会」をいまの彼女が描いたらどうなるのかなぁと思っているのだけれど、それは無理な願いなのかな。いまの絵柄ではちょっと浮いてしまうのかも。
同じ吉田だったら、吉田まゆみのほうが最近は気になるかもしれない。
しっかし、漫画家さんたちってすごいなぁ。吉田まゆみも大和和紀も私が小学生だった25年くらい前からずっとだもんなー。もちろん描く内容も変わってきているけれど、それがまたそれぞれの時間を反映している。昔となーんにも変わらないセンスでやり続けているのは久々に見かけた前原滋子くらいか。なんだか前原滋子の「しがみつき」っぽさに痛々しさを感じるのは私だけだろうか。庄司陽子も相変わらずだけど、まぁなんというか、「はい、どうぞ」という感じでいられるのに。
『マーガレット』や『コミック』系の漫画家さんたちに多い細い線が苦手だったから、女王・一条ゆかりを昔の記憶と比較できないのが残念だ。友人によると「なにも変わらない」とのことだけど。
久々にまんが図書館にこもってみたくなってきた。いまなら細い線のマンガも受け入れられる。子供の頃だったら絶対に読めなかったであろう『ぼくの地球を守って』もちゃんと読めたし。ああいう「神さまが降りてきた」かのような作品を絵柄でリジェクトしちゃうのはとっても残念だと、大人になったいまは思えるのだ。
……そうわかっているけれど、今もなぜかどの連載も脱落するのが「かわぐちかいじ」だったりする。なんでかな。
02/09/01/sun
■9月かあ
もう9月なのだけれど、今日は1日死んでました。
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