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2002年10月のてくてく

02/10/31/thu

■京王線はわけわからん

 夕方、同居人と連絡がついて、ご飯を外で食べることにした。待ち合わせは新宿紀伊国屋前。いくつかチェックしておきたい本もあったのだけど、古い方の紀伊国屋。ここに行くにはJR東口方面に出ないとならない。

 オフィスから新宿へは京王線で1本なのだけれど、これがやっかい。京王線はほんとうにわけわからん鉄道だ。第一、あの「新線」ってなによ。どこからどこまでが新線なの? で、なんでわざわざ盲腸みたいな作りにしたのだ。あの作りじゃ、初台と幡ヶ谷にたどり着けない人だっているだろう。
 あと、新宿駅だと、京王線から京王新線や乗り入れている地下鉄へ乗り換えるのがたいへんなのだ。特急に乗っていると、一旦降車専用ホームに降りて、待っていた乗客が乗り込み終わるのを待って、再度同じ電車に乗って乗車専用ホームに回らないと、京王線から京王新線や地下鉄のホームに行けないんだから。
 この構造を理解するまでけっこう時間がかかった。

 今日は乗り換えじゃなかったけれど、出口に失敗。京王百貨店口に押し出されてしまった。とりあえず新宿駅西口のあのあたりへと向かいたいのに、うまくいかない。
 方向はわかっているのに、道が発見できない。魔の三角地帯にはまり込んだ気分だった。ほんっとにきらいだ、京王線。毎日乗っているけど。

 ほんとはメキシコ料理に行くはずが、落ち合った同居人の胃の具合が悪くなっていて、あっさり目のものに切り替え。久々に「AEN」でゴボウを食べました。まる。


■入手本

ネイチャー特別編集『知の歴史 世界を変えた21の科学理論』徳間書店
→土曜日に注文したらすぐ出荷されたのに、到着はやっと今日。同じ日に頼んだ下の本はすでに届いていたので、不安だった。メール便だからこちらから確認のしようもないし、bk1のカスタマーに問い合わせたら、わりとすぐに返事がきた。「調べています」と書かれ、その後に来たメールでは届かなかった場合の対応についても説明があった。まぁまぁの対応で、bk1もオープン当初よりもだいぶ落ち着いてきたのだなぁと感じた。

 さて、本はサブタイトル通り。帯には「『ネイチャー』誌が選んだベスト・オブ・サイエンス」だって。前半は縦組みで各論文への解説。この中には日立の外村彰さんが執筆したものもある。後ろは、その20本の論文が横組みで組まれている。つまり両表紙みたいなものだ(そうはなっていないけど)。だから縦組みの「あとがき」が真ん中へんの240ページあたりにある。そのすぐ後ろには、当然、横組み部分の最後がきている。
 けっこう凝ったというか、変な作りの本だ。
 でも目次を眺めるだけどもすごい。ほとんどがノーベル・メダリストたち(だと思うけど、未確認)。もちろんワトソン&クリックの論文もある。ちなみにいちばん最後、つまり最近のものは「ウィルマット他」。かのドリーちゃんの産みの親の方々。
 読むというより、資料として。明日からこの本はオフィスに置かれるのだ。

芹沢正三著『素数入門 計算しながら理解できる』講談社ブルーバックス
→いちおう、ほれ、今年の我が家は37&41という【素数ペア(02/09/08のてくてく)】だし。素数は好きなのだ。英語でいうと「prime number」。そう答えたら同居人は「そうか! 素数はすごいんだ」とミョ〜に納得していた。「プライム・ミニスター、プライム・タイム。ザ・プライムなのだね。“第一の”だよね。うん、かっこいい」んだと。これのほうが不思議な感覚だ。



02/10/30/wed

■当て字

 同居人は当て字が嫌いらしい。

 よく通るところに「玉子」という表記があるのだが、「許せん」のだそうだ。見てイライラするらしい。考えてみれば、「卵」という漢字よりも「玉子」という漢字をふつうは先に学んでしまう。もちろん正式に教えられるわけではないけれど、「玉」と「子」のほうが圧倒的に低学年で習う漢字なのだ。そのせいか私自身は「あ、玉子は卵とも書くのね」という変な納得をして大きくなってしまった。

 だが、そんな私でも「ゲゲッ」と思う当て字に出会った。

  「キャ別」

 この表記の近くにあった言葉は「お変わり自由」。そう、トンカツ屋さんのメニューに「キャ別」は書いてあったのだ。このときはさすがにぎょっとして立ち止まり、見入ってしまった。そして考えた。「なんでわざわざこう書いたんだろうか?」「どうせならキャも当て字にすればいいのに。昔のATOKだとキャがたいへんだったんだよ、毎回、余計なもんに変換されちゃって」なんてことまで思い出した。ちなみに手こずったキャとは「伽」である。「ナントカしなきゃ」とか打ったとき、みなさん苦労しませんでした?>伽
 しかし「伽別」じゃ、読めんな。メニューの意味がない。

 この「キャ別」はさすがに不興をかったのか、その後、そのトンカツ屋さんでも見かけない。

 ちなみに私と同居人の間でたどり着いた結論は、「八百屋さんは当て字の宝庫」だった。

 ハクサイは白菜ではなく「白才」とよく書かれる。魚屋さんで当て字はあんまりない気がするんだけどなぁ。「よし、今度、八百屋さん巡りをしよう。写メール持って」と同居人は意気込んでいる。

 もう一つ発見。私は「竹の子」OK。でも同居人はグレーゾーンらしい。「筍」が一文字で書いたときの漢字。でも「竹」の「子供」がタケノコじゃん。ぴったりだと思うんだけど。『広辞苑』や『大辞林』でも漢字のところにちゃんと「竹の子」も出ていた。
 ……と言ったら、同居人は「じゃ、竹の子オッケー」とあっさり転んだ。

 じゃ「木の子は?」と問いかけてくる。むー。これはちょっと難しい。私はグレーかなぁ。これは「茸」が一文字。同居人は完全にNGだったんだけど、「あれ?『広辞苑』にも〈木の子の意〉ってあるよ」と言ったら、軟弱にも再び転んでいた。NGじゃなくなったらしい。

 あ、言葉のことを書いたら、いろいろ思い出してきた。今日、電車の中から見えた看板に「おこと教室」があった。さんざっぱらいわれているネタですが、これ、やっぱり「おとこ教室」に見えるんだよね。不思議だなぁ。関西の方々は「お米券」でどっきりするらしいね。


■不思議なこと

 ついでなので不思議なこと。キム・ヘギョン・インタビューへの批判が大きくなっているけど、『週刊文春』や日テレはインタビューできる立場になっても断るということなんだろうか(ウブなふり)。
 ま、いちおうカウンター的な立場でバランスをとっているってか。「お約束」みたいなもんなんだろうな。勝手にやっててくれ。



02/10/29/tue

■1年半ぶり

 休みを取って、大阪への日帰り出張(なんか変な文章だけど、あっちの仕事とこっちの仕事のやりくりなのだ)。いまや日本国内どこでも日帰り出張ができるのだから、大阪なら楽な方のハズなのだけど、やっぱりくたびれた。往復の新幹線の時間を足し算すると、6時間だからなー。ブロイラー状態6時間はくたびれる。

 でも行った先でお会いした方はチャーミングだった。チャーミングさというのは、年齢や性別に関係ないのだなと改めて思う。そして、現状を変えていこうとするとき、新しい方向へと舵を切ろうとするとき、中心になるのはこういうチャーミングな人なのだということも思った。もちろんそれも戦略のひとつであろうけれど、チャーミングでない求心力はありえないだろうからなぁ。

 大阪に足を踏み入れるのは久々だなぁと記憶をたどったら、去年の3月に東京に戻って以来、初めての大阪だった。新幹線もとんと乗らなくなったものだ。
 でも取材先にいそいそと向かい、取材先から新大阪へ直行し、まっすぐ帰る。梅田の「はがくれ」にも、天満の「菊水」や「うまいや」や「ジャイプール」や、えーとあとは……、とにかくどこにも寄れなかった。下手に寄ると帰るのが2時間くらいは遅くなってしまうからなー。残念。

 いま気づいたんだけど、連続テレビ小説「まんてん」の舞台が大阪・天満なのは、主人公が「満天」だからか?? 東京に戻るまでは天満の住人だったのでなんとなく親近感があるドラマかも。ただし土地のみ。ドラマ自体はどうも苦手。考えたら舞台もあんまり得意じゃなかったマキノノゾミの脚本なんだよな(ただし初期の作品の記憶)。とはいえ、主役の子の演技よりはいいけど。あれはなんなんだろう。


■読了

森功著『診せてはいけない』幻冬舎
→というわけでチャーミングだなと思った著者の本。去年の秋に出て、読まなきゃと思いつつ、タイミングを逸していた。この本の冒頭でも出ているけど、「医師免許の更新制度」が日本に導入される日はくるのだろうか。これはほんとうに必要なことだと思う。30年前に国家試験を通って、その後なんの精進もしない医師だったら、それは免許を持っていること自体すでに犯罪といえそうな気がする。
 ただ問題は医師だけにあるわけではない。患者がちゃんと患者の役割をまっとうしなければ、医師もまっとうになるわけがない。病院や診療所をちゃんと選ぼうとすることくらい、選べる環境つまり都会の患者だったら、ちゃんとしたいものだ。
 大きな活字でゆったり組んであり、一つひとつの項も短い。すっと読めるけれど、はっきり書いてあるし、病院にかからないとならなくなった親世代や、主体的な患者となりたそうな人に読んでほしい本だった。



02/10/28/mon

■思うところは多いのだが

 世の中でいろいろなことが起こっている。そしてその世の中にいる私はといえば、あれこれと断片的な思いが頭の中に浮かび上がってくるもののすぐに行方不明になっている。


■忙しい月曜日

 月曜日はたいてい歯医者がある。そして今日はずっとフォローしている裁判の傍聴もあった。でもって締め切りもあった。てなわけでバタバタしやすい。オフィスでは、チェックしている新聞がどっちゃりと土曜日・日曜日・月曜日の3日分、お出迎え。

 裁判はやっと準備書面がそろいつつある感じ。次々回くらいから証拠調べになるそうだ。今日は、目的の裁判が始まる前に別の裁判の第1回があった。どうやら先物取引で巻き上げられた人が、その取引会社と担当者を「詐欺」として訴えているらしい(民事だから最終的には損害賠償請求だけど)。これまで見たことのない種類の内容だったから、かなり興味深く聞き入ってしまった。しかも被告にまだ代理人がついていなくて、担当者本人が座っている。この手のを本人訴訟でやったらものすごいことになりそうだなぁ、とも思った。

 世の中では、海の向こうでも、海の手前でも、いろんなことが起こっている。



02/10/27/sun

■くしゃみ

 月例の嵐と、髪の毛が伸びたせいで目に突き刺さりぶしゅぶしゅしてきたのかと思ったら、どうやらほんとうに体調が悪いらしい。前髪を強引に自分で切って、目に入らない長さにしたんだけど、くしゃみが止まらないからわかった。諦めて「ストナ」を飲んだらポワンポワンしちゃって、仕事にならない。ウツラウツラはするもののぐっすり寝ることもできないし。

 髪の毛が伸びてくると、「目と鼻と喉はほんとにつながっているんだなぁ」と実感する。目に毛先が入って刺激すると涙が出てきて、そすると、鼻がぶしゅぶしゅしはじめる。そすると喉もイガイガしてきたり。人間も「管」なのだなぁと思う。“生き物は円柱形〜♪”(by 本川達雄)

 ところで、ポワンポワンした状態で、本を読むとすっごいヘン。書いてないことをどんどん読み進んじゃう。「あれ? 蚊の話なのに、なんでダンスの話になっているの?」と我に返り、よくよくページを眺めてみるとダンスの話なんて一言もないことに気づく。おそろしや〜。それでも勝手にページはめくっているんだよ。


■別にクスリをやりたいわけじゃない

 なんだか人間やめたくなってくるんですけど。

 プーチンの顔を見たり、ブッシュの顔を見たりした後、とくに。


■入手本

マイケル・P.ギグリエリ著『男はなぜ暴力をふるうのか 進化から見たレイプ・殺人・戦争』朝日新聞社
→性差を生物学的に語るのは難しい。単に器官の違いの説明ならそれですむけれど、もう一歩踏み込んだとたんに、微妙な問題が噴出する。もちろんそれは性差に限ったことではないけれど。本書の原題は“The Dark Side of Man”。ふと、これが「男性」を前面に出しているからまだ気が楽だと思った。私が女性だからではなく、社会的な位置づけの違いがゆえだ。そう思った自分のバイアスを確認し、読む前からあれこれ考えてしまった。いただきました。ありがとうございます。

小原秀雄著『ゾウの歩んできた道』岩波ジュニア新書
→動物学で有名な著者によるゾウの本。日本で生まれ育つとゾウは動物園にいる動物として受けとめるほかないが、ゾウにはゾウの社会があり、ちゃんと野生動物だ。この本を手にして、考えたら私はゾウについてほとんど知らないと気づいた。絶滅危惧、象牙問題、アフリカゾウとアジアゾウの存在。それくらいだろうか。高校生むけのジュニア新書だし、私のような自然オンチにはちょうどいいような気がする。いただきました。ありがとうございます。

山崎美和恵著『パリに生きた科学者湯浅年子』岩波ジュニア新書
→湯浅年子とは、まえがきによると「国際的に活躍した日本女性で最初の物理学者です。まだ女性科学者がまれであった昭和初期に物理学を志し、フランスに留学して、マリー・キュリーの娘夫婦であるジョリオ=キュリー夫妻を師として原子核研究に取り組みました。第二次世界大戦のさなか、厳しい情勢に直面しますが、研究へのひたむきな情熱をもって、さまざまな悲劇的な状況に立ち向かって行き、フランス国家理学博士の学位を取得しました」とのこと。いつも思うのだが、彼女のような先達が道を切り開いていってくれたのだろう。いただきました。ありがとうございます。



02/10/26/sat

■今日のスカスカ

 【万物はスカスカ(02/10/23のてくてく)】に対して、学習院大学の【たさき先生】からコメントをいただいた。ちょうど一昨日、「すべてのものはスカスカ」と授業で量子統計の枕に使ったそうなのだ。その話を書いてくださったのだが、それを私だけが読むのはもったいない(し、おそれおおい)ので、転載。
かつて、人々は、物質の中身はぎゅっと詰まっていると思っていた。ごもっとも。ぼくでもそう感じる。
 クニエ:やっぱりそうでしょ、そうでしょ。わーい。
科学が進み、物質は分子・原子の集まりであることがわかり、さらに、原子の中身はスカスカであることまでわかってしまった。物理的なモデルから受ける直観的印象と、現実の経験から受ける物質の印象に大きな食い違いが生じた。
 クニエ:うん、うん、そうなの。
話をここまでして、「ぼくらの感じる世界の姿と、物理の真実では、ずいぶんちがうのですねえ。わっはははは」で終わらせることが多い。が、それは科学として誤った姿勢である。そのままでは、「スカスカならば、その隙間をかいくぐって壁の向こうに抜けられないか・・」などといろいろ考えてしまうではないか。
 クニエ:えっと、あんまり「壁の向こうへ抜けられる」とは思わなかったなぁ。どっちかっていうと、「スカスカなのになんで壊れないの?」だったかな。
物質が、実は、原子のかたまりであり、かつ、その中身はスカスカだ、と断言するだけの科学は片手落ちだ。ミクロにむかって直感から遊離するだけでなく、再びマクロな経験事実にまで戻らなくては科学は完結しない。今の例なら、小さな粒のスカスカの集まりである物質たちが、なぜこれほど安定しているかまでをも理解しきってこそ、原子・分子による解釈が整合するといえる。
 クニエ:おおーっ! けっこうイイ線だったってこと?! それにね、私、10年くらい前に同居人が呆れるほどに「“ミクロとマクロの行ったり来たり”が大事だぁ」と言っていたんだ!(物理的な世界に限った話ではなかったけど) 力不足で、その「行ったり来たり」をどう出すかがわかんなくなって、10年も経ってしまったけど。
で、その方向で真面目にものを考えると、(だんだん言葉で書けなくなってくるけれど)けっきょく、ミクロ世界は量子力学にしたがっていること、電子やクォークがフェルミオンであることなどが本質的に重要だとわかってくる。平たくいえば、ミクロなレベルでの「スカスカ」というのは、ぼくらがマクロ的に感じて知っているスカスカ(本当にスカスカで、好きなように入っていける)とは、本質的に異なったものだという事になる。これは、そう簡単に他の物は侵入できない(←ニュートリノは別だけど)スカスカなのだ。(量子力学で水素原子の電子の軌道の事を知っていると、この雰囲気が少しだけわかる。一番内側の電子の軌道というものが存在して、それよりも短い半径の軌道を電子がまわるようには、ぜったいにできない。本当にマクロな系の安定性をミクロな量子論から示す「物質の安定性」はきわめて難しい問題。ある程度は解決しているけど。)
 クニエ:やっぱりねー。敬して遠ざけていた言葉「量子」がご登場なさるんだよなー。うわーん。

 にしても、たさき先生も、W先生も、とてもていねいにありがとうございます。専門家の方々にコメントいただけて、ほんとうにうれしいです(かなり恐縮しちゃうくらい)。

 高校時代に物理は苦手だったからちゃんとやらなかったけど、化学は大好きだったので、Uまでけっこうしっかりやった。旧課程(って言っても今から数えると旧の4乗くらい?)の「化学U」では、原子の構造がけっこう出てきたんだよね。sp軌道とか、エネルギー準位とかやったんだった(※)。なんかきれいだったし、おもしろかったなぁ。ただ、そのときは「ふーん、そういうもんなの」という面白さで、今回のような不思議感は出てこなかった。なんでスカスカにこだわらなかったのかなぁ。>高校生のわし

 ……素直だったから、ということにしておいてください。しかし、この原子の構造が物理じゃなくて化学なんだよな。ちょっと不思議かも。
 たさき先生の最後のコメントは
現代科学は、いろいろなびっくりを提供してくれるのですが、どうも、そのびっくりばかりが一人歩きしているところがありますね。で、一般の人は、科学はとてつもないことだけを言って現実世界のことを忘れているかのような気になりがち。(←そういう感覚がトンデモ科学の温床になるのかも知れない。)でも、科学の「びっくり」の、すごいところは、それが単なる異世界の馬鹿話ではなく、ぼくらの知っている堅固で凡庸な日常世界のあり方とも完全に整合している(あるいは、整合しているはず)ということだと思う。
もちろん、量子力学なんかの場合だと、その整合がなかなか素直に見えず、それがもどかしくも、また、おもしろいところなんですが。
 というもの。前段はウンウンなんだけど、後段はきびしい。「もどかしい」まで行く前の「むずかしい」で留まっている私には、その先の「おもしろい」が無限遠点のように感じられちゃいまする(涙)。

(※)このときに「励起」という言葉を知った。音だけだと「レーキ」となるこの言葉を同居人に最初に言ったとき、彼は当然「霊気」とか「冷気」とかだと思ったようだった。わからなそうな顔をしているのを見て、「励まして起きるの」と説明した。どういう場面でこの「励起」という言葉を説明したのかさだかではなくなっているけど、「霊気」と同音なのはちょっと問題だなーと思ったような気がする。


■読了

麻野一哉・飯田和敏・米光一成著『ベストセラー本ゲーム化会議』原書房
→最近読んだ本の中でいちばんショックだったかも(もちろんイイ意味で)。「すごい本だと思うぞ」と大きい声でいいたい。この3人によるこういう企画を、ちゃんと形にしてくれた【アライさん】に感謝。彼女と芝居話に興じたのは、もう10年以上前なんだなぁと思うとなんだか不思議な気もしてくる。しかしほんとにお見事。編集者冥利につきる仕事だったんじゃないかなぁ。

 ちなみにここでゲーム化されている本を、私は1冊も読んでいません。きっぱり。ベストセラーはほとんど読まないからなー。でも楽しめた。辻仁成と江国香織のところなんて吹きだした。ゲーム化(しようと)することでいろんなものがえぐり出される感じ。いまの私の感想は「世界はゲームでできている」だもん。帯にある言葉は「すべての本はゲーム化できる」だけど、それどころじゃない。あ、でも、ニュートリノはそのゲームすらきっと通り抜けてくだろうけど。

 いろいろと仕掛けが多い本だから、あまり説明したくない気分。詳細はカエルブンゲイの特集ページ【ベストセラー本ゲーム化会議】をどうぞ。

 あ、そうそう。私が生涯でいちばんはまったゲームはどう考えても「トルネコの冒険」だと思う。ただし1。何回やっただろうか。ある時以降スーファミの調子が悪くて、しょっちゅうリセットされるようになってしまった。ある程度データがたまると、ほんとのほんとにリセットされちゃう。つまりデータが全部パー。なので最初からやり直せる。喜々としてやり直したことが5回ではすまないはず。きっと手に入れた「最後の巻物」の数はトータル20本以上あっただろうな。
 でも2はダメだった。さっくり終わったし、なんだかつまらなくて。今度3が出るらしいけど、もう昔のようにのめり込めないのかも。ちょっと悲しい。



02/10/25/fri

■世界が溶けていく

 モスクワの劇場がチェチェンの武装グループに占拠された。ものすごい数の人質がいる。国際的にも非難があがるのだろう。

 でも…、と思う。

 チェチェンにいるロシア軍はチェチェンの人々というものすごい数の人質をとっているのではないのだろうか? 少なくとも、チェチェンの人々にしてみれば、そういう感覚じゃないのだろうか。

 久々に「ニュース23」を見ていたら、「アルカイダ」という言葉が出てきた。ここのところ世界各地で起こるテロの背後にアルカイダがかかわっているとみられているようだ。そしてブッシュのスピーチの映像が流れた。イラクへの攻撃がいつ始まるか注目されている時期だ。ブッシュはかいつまんでいえば、「イラク国民に自由を与えてあげたい」らしい。

 寒気がした。アメリカやイギリスの人がイラクの「ポスト・フセイン」を語る。なにかおかしくないか。ドロリ、と、世界が溶けていくような気がした。



02/10/24/thu

■ぱったり



02/10/23/wed

■万物はスカスカ

 【ニュートリノから世の中を見たら(02/10/19のてくてく)】と考え、つい「ニュートリノから見たら、世の中は非常にスカスカしているってことなのか? もしかしたら、ニュートリノはとってもさみしいんじゃなかろか。見渡す限り、なんにもなくて」と書いたら、T大のW先生からメールをいただいた。お久しぶりです。W先生のメールには、
 原子を拡大したら、直径およそ 100 m の球の中心に直径およそ 1〜3 mm の原子核があって、球の内部は真空‥‥というイメージ。「大伽藍の中を飛ぶ蠅1匹が原子核」と形容したのはオッペンハイマーだったか? 東京ドームの二塁ベースあたりに砂粒1個‥‥もいいか。「真空」の中には電子たちがいるんだけど、大きさは原子核の足元にも及ばないから無視。
 とあった。私も、あれを書きながらたしか中学の時に習ったたとえ話を思い出していた。ただそこで出てきた記憶は「野球場の2塁ベースにおいたミカン」だったような気がしたのだ。でも、これはちょっとスケールがあわないような気がしたし、「ミカン」のたとえが、原子だったか、長岡−ラザフォードの模型だったかが確信持てなくなって、引き合いにだせなかった。やっぱり、ミカンじゃ大きすぎるよね。先生、ありがとう。しかし「真空」はこれまたやっかいな感覚だなー、とも思ってみたり。

 で、次のところでオオウケ。
 つまり、その気になって(も、まあ無理ですけど)物質・物体をぎゅっと搾り、原子核だけぎっしり集まった塊にしたら、サイズはだいたい5万分の1、体積は 100 兆分の1になってしまいます。それくらい万物はスカスカで、ニュートリノ君もめったにぶつからない。
 かりに人間ひとりをそうやると、身長は 0.03 mmになって、目で見えるか見えないか(でも重さは 50キロ)の物体ができますね。
 そうなのですよ! 私も、この無駄な(わけではないけど)空間を圧縮したらどれくらいになるんだろうと、一瞬思った。でも、どれくらいに縮むかを計算できなかったのと、こんな不埒なことを考えておきながら「そんなことしていいのか?」という邪念が入り、挫折したのだ。さすがW先生、お見通し。あ、ただし私の場合は50+αキロですね(涙)。

 なにより、この「万物はスカスカ」というフレーズがいい。

 メールをもらってから私はこのフレーズを何度も繰り返してみて、喜んでいる。「万物はスカスカ」。スカスカなのに、この文章を書くために打っているキーボードは硬い。スカスカなのに、キーボードはふつうに叩いてもモロッと崩れない。スカスカなのに、キーボードはむこう側が見えない。なんで? スカスカが不思議でならない。

 スカスカを実感できる人間になりたいんだけど、もしかしてそれは無謀なこと? それとも、(おそらくはあのわけのわからないややこしい世界の)お勉強すればピンとくるようになる?


■読了

R.E.タンジ、A.B.パーソン著『痴呆の謎を解く』文一総合出版
→電車のなかでだけ読んでたら長々とかかってしまった。ほかの仕事の資料を読んだり、疲れて寝てたりもするからなー。この厚さの本を長々と読むと重さが負担になると実感。でも、中身はおもしろい。アルツハイマーという世界の研究者、製薬会社が競いあっているテーマについて、その渦中にいる研究者が黎明期から振り返る。しかも研究内容だけではなく、その研究に携わってきた人々の様子も一緒にいきいきと描いているので、ぐいぐいと世界に引き込まれていく。今年のノーベル医学生理学賞を受賞したホルビッツ氏の名前もほんのちょっとだけ出てきたりと、そういう意味でもタイミングがよかった。原因究明、病気のメカニズム、治療と、いくつもの角度で、アルツハイマーに研究者は挑んできたとよくわかる。

 晩年型アルツハイマーの因子として出てくるアポEは、マット・リドレーの『ゲノムが語る23の物語』にも大きなテーマにからんで登場する。リドレーは遺伝子をもっているかどうかの検査を勧めていたが、本書のタンジは消極的だ。どちらの立場でいくにせよ、関連すると考えられる遺伝子についての検査はいずれ身近なわだいになってくるのだろう。

 そういえば、ここ2〜3週間で、この本はほとんどすべての新聞書評で取り上げられていた。全般的に注目度の高い本だろう。
 内容はかなりつっこんだところまで書き込んでいるのに読ませる本だったので、文句があるわけではないのだけれど、少しだけ違和感も感じた。欧米中心的世界観がどっかにあるような印象。ま、アメリカの人たちの本だから、当然なのではあるけれど。そのへんでサイモン・シンから感じる雰囲気とはちがうんだろうな、と。



02/10/22/tue

■時間が足りない

 みんな同じように思っていることだとは思うので、自分だけがというわけでは全然ないのだが、時間がたりんぞ。昨日は帰ってきてからバタバタバタと【bk1(サイエンスサイト)】やら何やらの作業をして、メールを書いたら果ててしまった。今日も似たようなもん(というか帰宅時間は昨日より遅い)だけど、果てる前に。

 まず、【私の見たクモ(02/10/20のてくてく)】に対し、再び、いや三度【竹中明夫さん】から情報をいただく。いつまでも手のかかる奴で申し訳ないです。竹中さんは写真のクモがなにかは確信がないとのことだけど、追加情報をもらった。

 その1 巣が三重構造だったらジョロウグモ
 その2 体をつついて、自ら巣をゆすったらコガネグモ

 竹中さん同様、「巣をゆするクモ」は私も見てみたい。今度は巣を壊すのではなく、つついてみよう。

 そして【野尻抱介さん】からも情報あり。野尻さんの手元の図鑑のジョロウグモそっくりとのこと。縞はグレーぽいけどほんとは黒。ストロボを焚いたから色が変になっていることを書き忘れていたのでしたが、どうなんでしょうね。

 時間ができたら新たな進展を求めて、再度、巣の構造や身の振り方をチェックしてまいります。


■入手本

エリック・シュローサー著『ファストフードと狂牛病』草思社
→去年出た同じ著者の『ファストフードが世界を食いつくす』がおもしろかった。今度の本は薄いぞ。後日談みたいなものが中心らしい。あっさり読めそうかな、と。

麻野一哉・飯田和敏・米光一成著『ベストセラー本ゲーム化会議』原書房
【フレーフレー(02/10/15のてくてく)】な本をやっと入手。1冊目にゲーム化されようとしているのは『世界がもし100人の村だったら』。この出だしの1行目で吹きだしてしまった。「これゲームにするって、エクセルがあればもういいんじゃないの?(笑)」。もちろんそこで話が終わっているわけではないです。が、どうゲーム化されるかは、未読なので不明。



02/10/20/sun

■脱脂粉乳

 両親と妹とご飯を食べることになった。4人そろうのは1年ぶりだろうか。あ、2月あたりに父親の見舞いに行ったか。とはいえ入院中だったからなぁ。今日は同居人も入れて5人。
 9月末に私が就職し、10月には妹も就職した。30代半ばの娘二人が相前後して就職したもんだから、「ご飯でも…」となったのだ。1年半ほどプーをしていた妹とちがい、わたしゃビンボーながら仕事はしていたんだから「就職」を機に祝われるというのも不思議な気がするけど、ま、祝ってくれるというならありがたくいただきましょう。というわけで、ゴチ。新卒の時もやっているから、何回も祝ってもらう就職ゴチ。

 どんどんとじーちゃん、ばーちゃんに似ていく両親を見ると、「いずれは私もこーなるのね」という覚悟ができてくる。

 今日出てきた話で面白かったことをひとつ。父親は脱脂粉乳第一世代である。そして同居人は脱脂粉乳のほぼ最終世代である。私は給食を食べたことがないが、2歳年下の妹はすでに未経験世代。二人は世代を超えて、脱脂粉乳の「まずさ」を共感していた。父親のころは、ニンジンだのの野菜を入れたあったかい脱脂粉乳が出たらしい。クリームシチューのつもりなのだろうか? 食えたもんじゃなかったらしい。同居人のころは、配るときに必ずよくかき回してから注ぐようにと注意があったという。幸いに(?)野菜は入っていなかったようだ。
 二人の様子を見て、私は思わず聞いた。「いまのバリウムとどっちがおいしい?」

 二人が声をそろえて、「バリウムのほうが断然おいしい」と答えた。


■私の見たクモ

 撮ってきました。【クモ(02/10/13のてくてく)】。非力なデジカメと運の悪い位置関係(クモの巣が上の方にあった)ため、かなり出来の悪い写真になってしまった。ピンボケですみません。

クモその2クモその1 これ(左)が私には種類がわからないクモ。横縞のある背中部分はどうにか見えるかな。頭が下で、そこから足が2本はかろうじて写っているような…。先週は気づかなかったけれど、今週は「腹が赤かった」。【ナガコガネグモ(02/10/15のてくてく)】くさい気がしてきた。先週とほぼ同じ位置だったけれど、写真に撮れたのは、巣になんかの実を投げて遊んでいたのとは別の方。前に災難にあったクモは巣の位置が悪すぎて無理だった。その隣のクモを撮ったのだが、今回は、こちらが大災難。なるべく近づいて撮ろうとしているうちに徐々に巣を解体することになり、最後は壊れてしまった。クモさん、ごめんなさい〜。どうぞ新しいお家で、気持ちのいい生活を始めてください。

 左のとは別のところで撮ったクモが右のやつ。わかりにくくてすみません。ちょっと違う種類じゃないかと思うのだけど、同じかなぁ。



02/10/19/sat

■ちょっと気になっていること

 ニュートリノ天文学を切り開いた業績で小柴昌俊氏がノーベル物理学賞を取ってから、ちょっとだけ気になっていることがある。ニュートリノというのは素粒子のひとつと説明されている。すごく小さくて、かつ、電気的に中性なのが特徴でもある。で、ほかのもんとほとんど反応しないから捕まえにくいとか。雑ぱくな言い方ですけど。

 いろいろ読んでいたときに、ふと、人間がニュートリノを見ようとするんじゃなくて、ニュートリノから世の中を見たらどうなるんだろうと思ってしまった。

 そして思った。すごいスピードで飛びまくっていても、地球という固い惑星すら通り抜けていくわけだし、カミオカンデにある何千トン(あれ?万だっけ)の水の中ですらもほとんどは平気の平左で通り抜けて、わずか11個だけが水分子のなかにある電子とぶつかったんだよね。

 ちょっと高校時代の化学の知識を思い出してみる。水分子は、水素2個と酸素1個だから、1×2+16=18。もし1モルあれば質量は18gだよね。その18gに水分子が何個あるかは、アボガドロ数だから6.02×10の23乗個になるはず。
 つまり、大さじ1杯強の水に、10の23乗という桁で分子がウヨウヨしているってことだよね。それが何千トンになったら……。私は暗算で計算できません。

 にもかかわらず11個。

 ニュートリノから見たら、世の中は非常にスカスカしているってことなのか? もしかしたら、ニュートリノはとってもさみしいんじゃなかろか。見渡す限り、なんにもなくて。

 で、最大の疑問。

 そのスカスカに思えるところには、なんにもないのか? そこはどうなっておるのか?

 なんとなーく、「力」だけがあるんだろうなー、とは思う。あのわからない世界に足をつっこんでいるんだろうなーという自覚はある。でも、やっぱり不思議なのだ。ニュートリノが通り抜けていくそこは、いったいどーなっておるのだ。

 根本的な捉え間違いをしていたらごめんなさい。あえてなにも調べないままに書きました。



02/10/18/fri

■お仕事お仕事

 今日は夕方までおうちにいたけれど、細かい仕事を終わらせ、夕方新宿へ。これまでもいろいろとお世話になっている先輩Tさんとご飯を食べがてら、新しい職場の仕事のご相談なのだ。締め切りや条件がタイト目なのに、快く引き受けていただく。ありがたやー。

 そうそう、家を出る前に【bk1(サイエンスサイト)】用に入庫情報をチェックしていたら、こんな本たちを発見。

 マーティン・デイリー、マーゴ・ウィルソン著
 『シンデレラがいじめられるほんとうの理由 進化論の現在』新潮社
 ジョン・メイナード・スミス著
 『生物は体のかたちを自分で決める 進化論の現在』新潮社
 コリン・タッジ著
 『農業は人類の原罪である 進化論の現在』新潮社

 いきなり3冊同時に出す新潮社。こんな話、全然知らなかった。サイズは新書です。どれも100ページ前後とかなり薄目。そして訳者はどれも竹内久美子だったりする。スミス翁のだけをとりあえず即ゲットしたところ、「このシリーズについて」に
「(前略)このシリーズが生まれたのは、ロンドン大学のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでのダーウィンプログラムがきっかけである。このセミナーのおかげで、気鋭の進化学者が最新のダーウィン理論を披露し、それを人間へ適用する方法について探求することができた。プログラムは大変な反響を呼び、進化理論を一般に広める助けにも、また、いくつかの学問分野で共有されている問題に対して学際的にアプローチする助けにもなっている。(後略)」
 と書かれていた。ロンドン大学でのダーウィン・セミナーというものらしい。シリーズ編者は、ヘレナ・クローニンとオリヴァー・カリーとなっている。来年1月にはさらに2冊が出る予定らしい。

 いや別にいいんですけど、なんか不思議な気分というか……。


■入手本

マーク・ハーツガード著『だからアメリカは嫌われる』草思社
→去年話題になった『世界の環境危機地帯を往く』の著者が書くアメリカ内部告発(?)本。ハーツガードは自分の立ち位置にとても自覚的な人だと思った。その上でものを言う姿勢が好ましい。訳者によると今度の本は「アメリカ人にさえほとんど知られていないという話の数々に、あっと驚いてください」とのこと。読むのが楽しみな本だ。いただきました。ありがとうございます。

アミール・D.アクゼル著『相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学 アインシュタインと膨張する宇宙』早川書房
『「無限」に魅入られた天才数学者たち』が好評だったアクゼルの新刊。アクゼルは早川書房のことが多いですね。そしてタイトルが長いことが多いというのも共通点。版元さんの好みなのかしら。なんでこんなことに気づいたかというと、この本の原題は「God's Equation」だったのだ。つまり「神の方程式」。ある程度どんな本か伝えるために長いタイトルになっているんだろうけど、今回はすっぱり「神の方程式」というのもかっこよさげ。とはいえすでに使われていそうなタイトルでもあるものなぁ。なんであれ、今度のアクゼルがどんな様子か気になってしまう。いただきました。ありがとうございます。



02/10/17/thu

■心底見たかったの!

 ネット上でさんざっぱら話題になっていながら、実物の写真を見ることができず、「もしやホントのような作り話なんじゃないだろうか」と思い始めていた

 【「ニュートリノ発祥の地」横断幕】

を見ることができた。心のそこから感謝します。
 「ニュートリノまんじゅう」が発売になったあかつきには食べたいものだ(すでにあるわけじゃないよね)。イメージとしては、食べてもすぐに通り抜けちゃって、食べたんだか食べてないんだかわかんないまんじゅうかな。10の16乗個食べると、11個はちゃんと食べられるとか、そういうオーダーで。


■この白い粉は?

 久方ぶりに【青木みやさん】とご飯を食べて、ちょっと物足りなかったので、デザートがわりに喫茶店でシナモン・トーストを頼んだ。

 実物が出てくる前にいろいろと付属物が出てくる。細い出口がついている茶色い液体の小瓶はなんだろうか。メープルシロップとか、はちみつとかかな。そう思って、シナモン・トーストの耳の部分にちょっと付けてみたら、なんだかやたらと粘性が低かった。「変だな」と思いつつ耳を口に入れたら、ブランデーだった。予想もしていないものが口の中に広がると、驚くものだねー。

 もう一つの付属物に陶器の小瓶があった。なんだろう? 「甘い匂いがする」と青木さん。シナモン・トーストだし、「パウダーシュガーかなぁ?」と私。で、トーストにかけてみる。そっちを食べる前に、やはり切って添えられていた耳部分にパラパラと振りかけて、パクッ。「うっ。砂糖じゃない。なんだ? あ、塩だ」。しょっぱいと感じる前に苦味を感じたような気すらする。きっと舌も慌てたんだなぁ。
 しかし、ハチミツだのがぬってあるシナモン・トーストに塩をかけちゃったよ。「シナモンのが勝つよね」と自分に言い聞かせながら食べた。でもじつは少ししょっぱかった。考えたらトーストに添えてあったポテト用の塩だったのだね。塩だとは思っていなかったから、ポテトにかける可能性が頭に思い浮かばなかった。

 しかし、なんで振りかけたその瞬間に気づかんかな、わし。人間として、自分がちょっと情けない。こんな情けない奴を目の前で確認した青木さん、見捨てないでね。非国民を共有した中だしさー(笑)。


■ノーベル賞関連の記事2つ

 東京新聞の16日夕刊に「ノーベル賞という『物語』の終焉」という寄稿があった。高澤秀次という評論家が書いている。その記事によると、湯川秀樹や朝永振一郎はその世界の“貴種”で、田中耕一氏は小市民。たしかに田中氏は前日までまったくの無名だったわけだけど…。それと小柴昌俊氏は、ゴールデンバットとアイスクリームに目がなくて東大をビリで出た変わり種で、平均睡眠時間が11時間だから「ものぐさ太郎型の学者と言って間違いあるまい」なんだって。とはいえ、基本的には二人を誉めているようだ。ただ、なんというか「なにそれ?」とそこここで思う。
 ノーベル賞関連の記事は朝日・毎日・読売・東京・日経・産経と一通り読んだけど、どんなややこしい科学的な説明記事よりもこの記事がいちばん解読困難だった。「物語の終焉」ねぇ。こういうフレーズには気を付けようと思った。

 今日の毎日新聞には、名物記者・斎藤清明の署名記事があった。斎藤清明の担当は分野とかではなく「京都」なんだよなぁと改めて思う。田中氏へのインタビューを元にした記事だったが、こちらはほっとする感じ。

 そうそう。一通り読み比べて判明したことは、朝日と毎日ではニュートリノが12個検出されて、読売、産経などでは11個だった(受賞の翌日の記事)。この差がどこから生じたのかと思ってノーベル財団の発表したPDFファイルを見てみたら日本語バージョンでは「11個」、英語バージョンでは「twelve」だった。たぶんこれが個数の違いを生んだんでしょうね。英語から日本語に訳されるときにどっかに1個通り抜けちゃったかな(ウソ)。
 ちなみに、東京大学宇宙線研究所などあちこちのサイトでは11個なので、やっぱり11個なんでしょう。



02/10/16/wed

■ひじょうに眠い

 ので、ぱっと寝た。



02/10/15/tue

■フレーフレー

 バタバタしていたので1カ月ぶりくらいで【文芸フリーペーパー・カエルブンゲイ】の発行人であるアライユキコさんの日記を読んだら、思わず涙がチョチョ切れそうなフレーズがあった。彼女が手がけた『ベストセラー本ゲーム化会議』(麻野一哉・飯田和敏・米光一成著、原書房)は「宣伝費ゼロ」で頑張っているという。うう、そうなのだ。広告宣伝費をドカーンとかけるとやっぱりちがうというのは、日々直面する哀しい現実。その現実を乗りこえるよう、応援したいと思う。上のリンクはbk1に張られているんだけど、もう入荷しているみたいだし、ゲーム&本好きな方はぜひ。私も買うぞ。これが売れれば、科学書でやってくれるかもしれない。「マイナージャンルのベストセラー本」として、ひとつお願いしたいものっす。

 カエルブンゲイの特集ページ【ベストセラー本ゲーム化会議】


■クモ続報

 【竹中明夫さん】からいただいた続報で、

 【フィールドウオッチング蜘蛛の世界】

を教えていただく。ありがとうございます。ほー、ジョロウグモは食べかすのゴミをちゃんと後ろに片づけるのか。これは不思議な行動らしい。

 一方、某W氏からは、「ジョウロウグモじゃなくてナガコガネグモでは?」という指摘もいただいた。ここまで名前がわかれば、私のような自然オンチでも検索できるもんね。

 ナガコガネグモたちの【その1】【その2】【その3】あたりが、きれいな感じかな。クモは嫌いな人も多いから、なるべく美しい姿を選んだつもり。

 んー。なんかちょっとちがう気がする…。【ジョロウグモその1】のほうが私の印象では似ていると思う、けど自信はない。だってオンチだもん。

 しゃーない。もう1回、出かけていって今度こそ、写真に撮ってくるとしよう。決着まで、しばしのご猶予を。



02/10/14/mon

■ジョロウグモ

 昨日、植物園で見かけたクモを【なんというクモなのだろう】と書いておいたら、【竹中明夫さん】から「ジョロウグモでは?」というご教示をいただいた。
 自分で調べるべきことなのに、竹中さん、ありがとうございます。

 ……でも、でもね、ちょっと言い訳(べつに竹中さんに怒られたわけではないでーす。勝手に恥ずかしくなって勝手に言い訳)。自然オンチにとって「目の前にいる生物がなんであるか」というのを調べるのは、けっこう難しいことなのだ。クモとはわかっても、ジョロウグモが思い浮かばない。しかもインターネットを使って「見た目」から調べようとすると、文字列検索とちがって、ちょっとやっかい。うちはいまだISDNだしね(これは関係ないか)。画像のグーグルも結局はいい文字列が思い浮かばないとならないわけだし。図鑑をパラパラめくるほうが、この点では、(図鑑がありさえすれば)楽かもしれないと感じた。ただし小学生用の図鑑。大人の図鑑はたいへんそう。

 とまれ、竹中さんが教えてくださったジョロウグモたち【その1】【その2】【その3】を見てみる。

 その1のジョロウグモは雰囲気が似ている気がした。しかしお腹の部分があんなにきれいな模様だったか、不安。もっと灰色っぽい感じだったような気がする。その1で指摘されている巣の様子にはちょっと納得。私がちょっかいを出したクモの巣も2段構えだったし、けっこう複雑な作りだったと思う。でも、その3を見ると、けっこういろんなゴミが巣にかかっているよなぁ。木の葉とか。ちがうのかな。
 きれい好きは、私がいたずらしたクモさんだけのことなのかもなんて、ちょっと思い始めた。

 カメラ付きケータイは、こういうときこそ活躍するはずだった。けれど、そのケータイごと家に忘れてきたら、なんにもならん。スーパー・マーケットで「うひゃひゃ。ワイルド茸だって」と喜んでケータイを向けていた同居人さん、たのんますよ。



02/10/13/sun

■掃除好き

 締め切り前の原稿の構成を考えながら、気分転換をかねて、植物園に行ってみた。「紅葉」もちょっと気にしなきゃいけないので、その状況把握もある。よかった、東京はまだ青々している。……もしかしたらいっつも青々している木々を見ていただけかもしれないけど。

 ふらふらと園内を歩いていて、同居人が「うわ、あれみて。すごいよ」と、大きなクモの巣を発見。よくよくみればそこここに立派なクモの巣がある。いちおう遊歩道らしき小道を隔てた木との間に、巣を張っていたりする。一大作業だよなぁ、とつくづく思う。【bk1(サイエンスサイト)】のコラムでも昔書いたけど、じつはクモがわりと好きな私(あ、サイエンスサイトからはコラムには行けないのだったな。えーと、うちの【ココ】からか)。こんなナイスな観察状況はない。

 光の関係でうまく見えないこともあるけれど、じっと見てみるとたいていは真ん中にクモさんがちょこなんといる。「ヌシでござる」というふうの顔。家でみかけるクモよりもはるかに大きく、お腹が丸くて、足はシマシマ模様だった。なんというクモなのだろう。

 でも、いまいちクモが獲物を狙っている実感がない。

 「あ、クニエさん、いたずらしようとしているでしょ」と同居人がめざとくつっこむ。周りをちょっと見回しただけなのに、挙動不審だなんて。ぷんすか。

 でも、たしかにそうなのだ。なにか、巣にひっかけてみたい。ほんとはクモのエサになるような昆虫がいいんだろうけど、んなもんをパッと捕まえられるわけがない。
 そこで、足元に生えている草から、小さな花の部分をちょっとだけもらって、投げてみた。ひっかかった、と思った瞬間、中央にいたはずのヌシはピョンと新たな獲物に飛びついていた。目にもとまらぬ、すばやさ。へー、ほー、と感心していると、「ポトリ」と獲物のはずの花が巣から下に落とされた。

 なに、こやつ、エサじゃないと巣から落とすとな?

 ほんとか? 花だったからか? じゃあ、実っぽいものだったらグルグル巻きにする可能性があるか?

 次に、近くにあるなんかの実らしきものを投げてみた。うまくひっかかる。やっぱりその瞬間、ヌシは移動し、即座に獲物に覆い被さった。「今度は食べるかなー? とっておくのかなー?」と思っていたら、やっぱりポトリ。落としやがった。
 そこで同居人がおもしろがって、たくさんの小さな実を投げてみる。さすがに何度も震動が続くと、新たな獲物可能性には振り向かなくなる。巣には投げつけられた小さな実がいっぱい。でも、きっと1つずつヌシは落としていくのだろうな。

 そのきれい好きな姿勢を、見習いたい。



02/10/12/sat

■無休

 世の中は三連休らしいけれど、当面、私に休みはない。前は「休みがないっていっても、毎日休んでいるようなものだから」といえたけれど、ほんとにそうだったなぁと思う。電車通勤をいちおう毎日している身になってみるとね。

 ところでノーベル賞についてだと、どういうことを知りたいのかなぁ、ふつーの人は。昔々(といっても4年ほど前)、ノーベル賞そのものについての読み物ページを作ったことがあるのだけど、そういうウンチク系の話がいいのかしら。それとも最近流行の「セレンディピティ」にシフトしたほうがいいのかなぁ。それとも授賞理由について? それはかなり難しいぞ。ふーむ。なにを書こうかなぁ。いきなり平和賞のカーターさんのことを書いたらウケる?

 といったことよりも、ずっと前に取材だけしておいた原稿をさっさとまとめなければ。その後に取材や依頼を繰り広げた、少し似ているけど別のテーマの話とすでにごっちゃになっているような気がする…。不安だ。それに火曜日以降、ノーベル賞一色で頭の中が真っ白になっていたからなぁ。みゅー。とりあえずは構成を考え、書き出しを決めよう。

 しかしマジに本が読めない。雑誌も「週刊文春」が1週抜けたし。がんばってマンガだけは前と同じ量を買っているけど、読み落としているのがあるかも。



02/10/11/fri

■みーみー

 朝、家を出た。夜11時、着ているTシャツが後ろ前だとオフィスで気づいた。ちょっと自分が悲しい。



02/10/10/thu

■みー



02/10/09/wed

■どうにもこうにも

 【bk1(サイエンスサイト)】に小柴昌俊氏のノーベル物理学賞の記事を仕込んでもらって、「いちばん手頃な本はまだ入庫できていないけど、ま、仕方ない」と夕方6時にほっとしていたら、その少し後にアサヒコムで「ノーベル化学賞・田中耕一氏」という文字を見て、仰天。「まじっすかぁ」。ここに漢字の名前が並ぶとは思っていなかったぞ。いや、ちょっとあるかとは思ったけど、飯島とかそんな名前じゃないかって思っていたから、「ん? 見たことがある名前のような気はするけど」で、慌ててSさんやらHさんやらに電話をしてみた。

 仕込み終わって「やれやれ」と思っていたSさんに、「見た? じつはね…」とこのニュースを教えたのは私。人が驚く様子は面白いものだね。ただし他人に限る。自分はいや。
 「やれやれ」感は一掃され、「わたわた」感になったわけで、ちょちょっと調べてみて「これはやっぱり直接的な本はなさそうだ」という結論に落ち着く。どうしようかのう。賞金の半分をもらうクルト・ヴィートリッヒさんなら、京都賞を98年に受賞していて、そのときに講演会や資料などをもらっていたから多少は勘が働くけど、ヴィートリッヒさんのNMRでもなし、非常に対応が難しい。なにがキーワードになるのかなぁ。レーザー? タンパク質の構造決定? なんであれ、一般向けには厳しいよなぁ。

 帰ってきて、ちょうど夜勤だったため様子を見ていた同居人は、「なんか電話がノーベル財団から掛かってきたときに、会議中で不在ですとか答えたらしいよ」という。ノーベル財団から電話がかかってきたときの、会社の電話取次の様子がどうだったか、知りたいなー。

 そうそう。小柴氏用に、手頃な本とはもちろん弟子の戸塚洋二氏の『地底から宇宙をさぐる』(岩波書店)。ブルーバックスには小柴氏本人の著作があるらしいけど、絶版。講談社は早速復刊するのかな。


■入手本

森功著『診せてはいけない』幻冬舎
→少し古い本だけど、ちょっと資料として。

勝村久司編著『レセプト開示で不正医療を見破ろう! 医療費3割負担時代の自己防衛術』小学館文庫
→この4月に出た本だけど、以下同。



02/10/08/tue

■祝・ノーベル物理学賞。……そして私は途方に暮れる

 どっひゃぁぁ。3年連続ですか。ニュートリノというかスーパーカミオカンデというか、ノーベル賞の本命と言われ続けて15年の小柴昌俊・東京大学名誉教授がノーベル物理学賞を受賞した。

 なんの根拠もなく「今年は日本人はないだろう」とタカをくくっていたので、さぁ、たいへん。【bk1(サイエンスサイト)】としてもやっぱり動かざるをえないし、明日にはなんとか。でも、小柴氏の著作が絶版なんだよなぁ。残念無念。弟子にあたる戸塚洋二氏のものなら少し望みがありそう。

 bk1だけじゃなくて、本業の方でもじつは物理分野を担当することになったばかりだったので、さぁたいへん。で、小見出しの状態なわけです。

 ただ、せっかくの機会だから、ニュートリノや素粒子に興味をもってもらえるきっかけになるといいなぁ。スーパーカミオカンデみたいなことは、もちろんお金もかかるけど、やっぱり大事な取り組みだと思うのだ。

 えっと。まず私が少しは理解しないとな。これからお勉強しますです。

 【野尻抱介さん】のところの掲示板経由で読んだのは【大阪市立科学館の紹介記事】。さっとこういうことをしてもらえるのはとてもありがたい。あれ? そんな他力本願でいいのか??? もちろんよくない。


■インタビュー

 久々にカメラマンが傘をたてて写真を撮るインタビューをした。もちろん私は聞くほう。もう5刷まで行ったという『研修医純情物語 先生と呼ばないで』(主婦の友社)の著者・川淵圭一さんにあれこれお話をうかがった。

 読了日にも【ふつー(02/08/09のてくてく)】と書いたが、やっぱり「ふつー」を大事にしている方だと感じた。「医者である」ことに拘らずに、「ふつー」にどうありたいか、がベース。こういうセンスのお医者さんがプライマリ・ケアには大事なんじゃないかと改めて思った。

 このインタビューも雑誌がでるときになったらまたお知らせします。



02/10/07/mon

■カバーなしで読み中

 私は本を読むとき、ほとんどブックカバーをかけない。ひとつには変にめくれると煩わしく感じることがあるからだ。もう一つの理由は、電車のなかなどまわりに人がいる場合、読んでいる本のタイトルが見えることはその本の存在をほかの人に知ってもらえる機会となる可能性が(ほんの少しではあるけれど)あるからだ。いわば歩く(ないし立つ、座る)広告塔。昔、「山手線で『数セミ』の表紙を見えるように持って立つ広告効果はどれくらいか」という話をしたことがその背景にある。それ以降、できた雑誌を家に持って帰るときは、雑誌が見えるように抱えていた。……なんてけなげな私でしょう。

 そんなわけなので、宣伝したくない本の時はカバーをかけて読む。
 最近読み始めた『痴呆の謎を解く』(R.E.タンジ、A.B.パーソン著、文一総合出版)はもちろんカバーなし。まだ100ページ程度だけど、途中途中、いろいろ感じ入ってしまってなかなか進まない本だ。慣れない車中読書のせいもあるけれど。

 わりと堅い版元のためなのか、冒頭部分でちょっと笑ってしまったところがある。
 著者の一人タンジ博士は、大学を出て研究室の仕事をしながら夜はバンドマンとしての顔ももっていたらしい。なので当時の思い出話もちょこちょこ出てくる。時代も反映して、「ディープパープル」だの「グレートフル・デッド」だの、「こんな単語を科学書でみかけるなんて!」と思ってしまう。し・か・も。そういうバンド名や楽器の名前に、訳注がついているのだ! ね。楽しいでしょ。

 もちろんどんどんと研究が進んでいく面白さにシフトしていく。ただ、ラホヤという地名とアルツハイマーという病名が並ぶと、彼の地で銃殺された日本人研究者の事件をはっと思い出したりもする。
 そして研究者たちの熱い取り組みと同時並行で描かれるのは、熱気とは対照的なアルツハイマー患者とその家族の悲しみとつらさだ。彼らとてただ単にうちひしがれているわけではない。それでも……と感じるのは、「記憶」という自分の分身が冒されていくことの残酷さを受けとめざるをえないからだろうか。



02/10/06/sun

■ちまちま

 締め切りより大幅に早く原稿を書こうとするが、あれこれと資料の準備段階で気持ちが萎えてしまった。やっぱり締め切りにはかなりのモチベーション高揚作用があるのだ。仕方がないので、急遽決まった取材の依頼書など細かいものを仕上げてみる。

 本業を持ちながら他に原稿を書いたりしている人たちを改めて尊敬する今日この頃。まだ日常業務に慣れていないためもあるが、かなりのプレッシャー気分だ。考えてみれば、日評時代にも月刊誌を作りながら頼まれた原稿を書いたこともあるし、えーと、それにその頃は大学時代にやっていた家庭教師を辞めきれずに2人も面倒見ていたのだった。当時は、夜な夜な遊んでいたわけでもあり、よくやっていたなぁ。>自分
 いまじゃそんな怖いこと、とてもできまへん。己の限界が見えきっているからね。遊ばずコツコツと。地味ぃに。


■家事

 【統計局統計センター】が、【統計メールニュース】というのを配信していて、少し前に【平成13年社会生活基本調査>家事関連時間】がまとめられた旨の配信があった。
 それによると「家事関連時間は,男性が33分,女性が3時間45分。平成8年に比べて男性は6分の増加,女性は1分の減少」なんだそうだ。

 うーむ。これって「1日」の家事関連時間だよね。外に出るために「着がえる」とか、持って出るものを「準備する」ってのは家事に入らないよねえ。もちろん同居人のじゃなくて、自分の。どう考えても私の家事関連時間は平均して1日に33分程度じゃないかと思う。男性の平均。男性である同居人の家事関連時間は1日15分くらいかな。いや20分くらいか。
 朝は食わない。昼はたいてい外。夜は半々程度。家で食べるときもNHK「今日の料理」の「20分で晩ご飯」並みの時間しかかけていないからなぁ。準備は主に私がするが、食器を洗うのは主に同居人だし。洗濯は9割方私がやっている。でも風呂・トイレ掃除は9割方同居人。ゴミしばりは私、ゴミ出しは半々くらい。買い物は一緒か、帰りがけに適当に。掃除はホコリが目に付くと拭くけど、あまり目に付かない体になっている。積極的に無視しているというか…。

 あまりに「生活」していないよなぁ、うちら。



02/10/05/sat

■ナブラ

 同居人は、いま船に向けてファックスで送る新聞を作る部署にいる。そこの「教育用ビデオ教材」として置かれていたものを持って帰ってきた。
 タイトルは「ナブラ」。昭和57年だから1982年製作のカツオ1本釣り漁船のドキュメンタリー・フィルムだった。ナブラとは、カツオの群れを指す言葉だ。

 1時間ほどのドキュメンタリーの間に、「共同通信が送るファックスでニュースも読めます」と同居人の関係する仕事については2秒程度だけ紹介があった。ちょうどソ連のブレジネフ書記長死亡のニュースが1面に出ていた(ちなみにファックス・ニュースはたしか朝刊で6面あったはず、現在は)。このニュースが流れたとき、私はちょうど高校2年の秋で修学旅行に出ていたのでよく覚えている。めざとくニュースをチェックし、後継者のチェルネンコの名前を把握していたのは、150人の女子高校生のうち同じ出版業界に進んだIさんだけだった。……大事なことは覚えていないのに、こういうことだけはよく覚えているんだよな、わし。

 チェルネンコはさておき、カツオ1本釣り漁船は三重県の港を出発して2カ月弱の航海に出ていた。乗組員は37人。エサとなるイワシを九州で仕入れ、南の海に向かう。行きはイワシでいっぱいの魚倉が、帰りはカツオでいっぱいになる予定。ただし冷凍されているけれど。
 イワシは生きていないとダメらしい。このイワシが死んでしまうと、金をかけて準備をした漁がパァ。もちろん魚の群に出会えるかどうかにもよるわけで、博打のような仕事だよなぁと感じてしまった。

 このドキュメンタリーでは大漁すぎて冷凍が追いつかず、鮮度が落ちて安くなってしまったものもあったくらいに釣っていた。

 1本釣りのシーンを見ていたら、前々から不思議だったことが説明されていた。漁師は釣り竿を後ろに振って、釣られたカツオを船の上に落とす。いちいち自分の手で外したりはしない。なんで?
 釣り竿が真上に来たあたりで、ふっと力を抜くんだそうだ。そうするとカツオから針が抜け、漁師はそのまま釣り竿を海に戻す。もちろんたまにはずれないものもいるみたいだけど。

 でも、まだよくわからない。途中で力を抜くとなんで勝手にはずれてくれるの? 力学的にも当たり前のことだったりするの? 慣性の法則だろうか。そうはいっても、釣り針って曲がっていたりするでしょ。カツオのは違うのかな。

 私は都会の勤め人の家庭に育ち、海の生活にはなんの知識もなかった。男ばっかり40人近くがせまい船の上で2カ月近くも共同生活を送る。まわりは海だけ。200海里規制で近隣の漁船と情報をやりとりしながら漁をするようになったらしいとはいえ、ほとんどはその1隻が世界となる。
 漁を終えて、焼津の港に船は着く。そこで全国から集まった漁師たちがそれぞれの地元へと帰っていく。半分は地元・三重の人だというが、残りは各地から集まってくるのだ。

 同じ時代に同じ日本にいても、まったく違う世界がある。そんな当たり前のことを、つい忘れがちな自分に改めて気づいた。
 そして、現代の漁はどうなっているんだろうか、とも思う。



02/10/04/fri

■金曜日

 俗に「花金」という言葉があるが、それをしみじみと感じている。

 同居人がお友達である超短編作家【本間祐】さんが上京なさっているので、夜、合流してお茶など。9月に刊行になった本間さんが編者である『超短編アンソロジー』(ちくま文庫)のお話などもちょっと。著作権者がほんとに多い本だから、手間のかかり方は並大抵ではないだろう。こういうあまり類書がないものはなかなか出版社に取り組んでもらいにくいので、今回、まとまったのはほんとうによかった。
 10月6日に江古田で超短編のイベントがあるそうです。


■参考図書

 昨日、宣伝した『広告』11月号(博報堂)の記事のために8月にひたすら読んだ本のメモをいちおう。記憶がだいぶ飛んでいるので、さぁ、たいへん。とはいえ、やっぱり雑誌が出ないと出しにくいしなぁ。……あ、メモだけをリアルタイムで取っておけばいいのかっ。

金子隆一著『ファースト・コンタクト』文春新書
→地球外生命探査のことが一通り把握できる、コンパクトにまとまった内容。98年に出た新書なので場合によっては入手しにくいかも。

【野尻抱介】『SETI@homeファンブック』ローカス
→「SETI@home」プロジェクトに特化しているので、分散型コンピューティング最大の成功例といわれるこのプロジェクトに興味をもった人は必読。もちろん科学的・歴史的な背景などもちゃんとまとまっている。

【井田茂】『惑星学が解いた宇宙の謎』洋泉社新書y
→今年の5月に出た新進気鋭の理論天文学者による新書。最初は欠かせない宇宙論の話(ビッグバンとかそういうやつ)があり、後半に著者の専門分野を中心とした話となる。太陽系外惑星の発見以来、とても盛り上がっている様子が伝わってくる。著者のカラーもあってか熱い印象。

観山正見著『太陽系外惑星に生命を探せ』光文社新書
→井田さんと同じく理論天文学を専門とする著者による新書。こちらは今年2月。ほぼ同じテーマではあるが、著者のカラーのちがいもあって読み比べるとさらに面白い。

マイケル・ホワイト著『宇宙に生命は存在するのか』ディスカヴァー21
→2001年8月に翻訳されたものだが、著者の経歴がとても魅力的。現在はサイエンス・ライターという肩書だが、80年代前半は「トンプソン・ツインズ」というポップグループのメンバーだった。つまりミュージシャンからの転向。日本でもこういう人が出てくれば面白いのに。横国の数学を出たはずのB'zの稲葉某に期待……、できないか。あんだけ稼いだんだからとか思っちゃうけど。あ、坂田明はこのノリに近いか。ミジンコのミュージシャン。マイケル・ホワイトの本は研究者の書くものとはちょっと雰囲気や構成が違って、やはり門外漢にとっての読みやすさでは勝っていると感じた。

大島泰郎著『地球外生命』講談社現代新書
→地球外生命探査で日本発の一石を投じた著者による新書。一部参照しただけなので、全体の様子は不明。

NHK「宇宙」プロジェクト編『NHKスペシャル 宇宙 未知への大紀行 1』日本放送出版協会
NHK「宇宙」プロジェクト編『NHKスペシャル 宇宙 未知への大紀行 3』日本放送出版協会
→Nスペで放送したものの単行本化。本編を見そびれていたので、助かった。元にテレビ番組があるので、ビジュアル的にはやはり強い。さっと目を通せるので、関係者の把握や話題の概要把握などにも便利。



02/10/03/thu

■宣伝

 久々に書店売りされる雑誌に記事を書きました。博報堂から出ている『広告』11月号。特集が「宇宙」なんですが、そのなかの1本で「ドレイク方程式」を中心に地球外生命探査の入り口の話を書いてます。松浦晋也さんの「宇宙開発もうひとつの歴史 米ソ宇宙広告戦」も掲載。
 特集全体は「宇宙にむけて地球をPR」といった趣旨でクリエーターによるページがたくさんあり、ふつうの科学系雑誌とはひと味ちがうものです。

 私の書いたものはほんとうに「なんもしらん人」、つまりこの仕事を始める前の私むけみたいな感じです。新味はありませんけれど、よければ見てやってください。



02/10/02/wed

■すれ違う1週間

 真っ青な空は、台風が空気を掃除してくれた証なんだろうか。ピカピカというほどに気持ちのいい空だった。そんな日なのに朝からトコトコとオフィスに出かけていくのが勤め人なのだと思い知った1日。

 懸案になっていた依頼もどうにか終わり、私の気持ちもやや晴れやかになったかな。しかし、今度は原稿を書かねばいかんのだ。追われる気分は久々だなぁ。

 それとともに感じることは、「すれ違い」。世の中の共働き家庭は、どうなっているんだろう。すれ違いまくっているんじゃないだろうか。共働きじゃないにせよ、ふつうに朝早くからお勤めに出て、残業だの飲みだので夜遅く帰るにしても、家にいる人とすれ違いの生活になってしまうよね。たまたま私は父親が必ず夕飯は家で家族と一緒に食べる家で育ったので、そのへんの感覚がよくわからない。同い年の友人たちには「父親と夕飯を食べたことがない」ケースが多かったので、きっと私の育ったパターンは少数派なんだろう。

 家を空けるようになって1週間余り。これまではおもに私がペースを合わせる役目だったんだなぁと感じる。仕方がないので、すれ違い生活を当面は楽しんでみよう。新鮮に思えることがあるかもしれない。


■訂正とお詫び

 前に『人体市場』(L.アンドルーズ、D.ネルキン著、岩波書店)の著者であるネルキンを科学者と書いてしまいましたが、科学者ではなく科学論者でした。訳者あとがきにも「科学社会学」とありました。
 【粥川準二さん】、ご指摘、どうもありがとう!

 で、紛らわしい書き方をしちゃったようで、お詫びも。この本はまだ読んでいないので、昨日書いた「そこから先なんだけどな」は読前感です。評判や印象から、「そう感じやすいテーマではあるよな」という気がしただけです。なので具体的にこの本の場合の「そこから」を書ける段階ではないのです。ごめんなさい。読んだら、また。

 前になんかで感じた「そこから先」感がどの本のどのへんのことだったかが思い出せず、ちゃんと引き合いに出せなくて……。こっちもごめんなさい。



02/10/01/tue

■目はどこへ?

 台風である。直撃である。

 台風で喜んでいては被害を受けた人に向ける顔がないのだが、それでも今日は、外の様子が気になる。だって直撃なのだから。オフィスでも「早く帰りましょう」なんてアナウンスまであったし。

 早々と家に帰ってきて、つけっぱなしにしていたNHKのニュースで「現在、台風の中心は東京23区上空にあり…」と言った。9時前だったろうか。その瞬間、取るものもとりあえず、外に出る私。でも単なる暴風雨の真っ最中だった。あまりに危険なので、すごすごと家の中に戻る。いちおう見上げてみた空は雲だらけ。なんだか一部黒っぽく見えたりはしたけれど。

 10時過ぎ。ふと気づくと外が静かだった。妹の初出勤を祝う電話をそそくさと切って、窓の外に出てみる。空には雲。でも、雨も風もほとんどない。「今度こそ!」と玄関から外に出てみた。

 ……空はやっぱり雲ばっかり。風はほとんどないものの、雨もポツポツとは降っている。これは目じゃないのだろうか。この台風に目はもうないのだろうか。

 諦めて部屋に戻り、20分余り経った今。確認したら、雨はさっきより強くなっている。さっきまでがぼんやりした目だったのだろうか。それとも台風が通り過ぎた後ってことなんだろうか。昼間だったら、もっとわかりやすかっただろうに。

 私は、目と台風の境目が見たいのだ! こんなにいい機会はめったにないのに!

 同居人が「東京の匂いじゃない」とポツリ。遠くの海の匂いを強い風が連れてきているみたいだ。


■リニューアル

 bk1がサイト・デザインのリニューアルをしたらしい。提携しているサイトから買うとくっつくポイントもルールが変わったらしい。自分のサイトから自分で買ってもポイントがつくようになった。うちの最大の客は私になるってことだな。

 【bk1サイエンスサイト】も様子が変わったようだ。明日にはサブジャンルの手配もつくらしい。インターフェースが変わると、なんであれ最初は戸惑うなー。これは仕方のないことなんだけど。


■読了

酒井邦嘉著『言語の脳科学 脳はどのようにことばを生みだすか』中公新書

→印象は【読中メモ(02/09/25のてくてく)】で書いたとおり「ぴしっと広げた風呂敷」。なんでそう感じたかというと、著者はチョムスキーの元で勉強してきた人で、基本的にチョムスキー派の物理学者だからじゃないかなと思う。

 前に日本語教師の勉強をしていたとき、言語学の基礎でチョムスキーについても少しだけ習った。いくつかのキーワードが出てきたが、その代表格が「言語獲得装置」だ。聞いたことのある人も多いだろう。人が言葉を身につけるために生まれながらにもっていると解説される。そのときこの単語に初めて出会った私は、「装置」という言葉から実体のあるモノとしての装置がイメージとして沸いてきた。物騒な例えで申し訳ないが、爆破装置とかそういうものである。
 もちろん現在の脳科学で私がイメージした箱のような「装置」が見つかっているわけではない。私が習った授業では「概念的なもの」として理解されていたように記憶している(ちょっとちがったかも。資料がすぐに出てこない)。しかし、脳の中に、言語のためのスペースとしての「獲得装置」が実体としてあってもよさそうだという思いが消せなかった。

 人はなぜ言葉を使えるようになるのだろうか。本書を読んで「いつの日か“装置”が実体として提示される可能性を楽しみにしていてもいいかな」と感じている。MRIなど含めて脳研究の進歩は、言語学も従来のスタイルでいることを許さない。もちろん、より精緻な理論と着実な検証が必要ではあるけれど。

 手話やバイリンガルから考えられることなど話題の広がりもあって、興味深く読み終わった。全編を通じて感じる骨太感は、文体ゆえなのか、内容ゆえなのか。両方かな。

 さ、次は『痴呆の謎を解く』(R.E.タンジ、A.B.パーソン著、文一総合出版)かな。これは、ほんと楽しみ。『人体市場』(L.アンドルーズ、D.ネルキン著、岩波書店)は、読み手によってちがうでしょうね。たしかに「そこから先なんだけどな」ということを感じやすそうなテーマだとも思う。私が感じたのは、なんのときだっけかな。遺伝子絡みの本だったかな。




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