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2003年01月のてくてく

03/01/31/fri

■羊まみれ

 今朝、起きたら自分が羊になっていたようだった。性格ではない。体が、だ。何をしても羊のにおいが……。昨日、たらふくというより、腹はちきれんばかりに食った羊のリベンジだろう。午後2時頃まで、お腹がすかなかった。

 というほどたらふく食ったのは、ご近所Wさん、手下K君、頼みの綱Uさん、と同居人の計5人で、「干支を食らう夕べ・ひつじdeしゃぶしゃぶ」だったからだ。いやぁ、美味しかった。お店は新宿三丁目からほど近い東順永。火鍋ではないのだろうと思っていたら、ちゃんと真ん中に区切りのある火鍋形式だった。でも、赤い方を好んでバクバクと食い続ける我々の前に、区切りは役目をなしきれなかった。両方とも似たような状態になる。とはいえ、美味しい。蓮、ゴマ、くさり豆腐の3種類のタレを、自分の好きなように混ぜてタレを作る。これが美味しいの何のって。これまで食べてきた刀削麺荘でのニンニク中心タレとはまた違って、食べまくってしまう。しかも食べ放題。つい、ね。40近くなっても食べ放題には弱い。

 さらに、同居人は下戸なので、残る4人であけた紹興酒はたぶん5.5本。途中までは数えられたけど、最後のほうがごちゃごちゃになっていたのでもしかしたら4.5本かも知れない。よく飲んだぁ。ここのピータンを食べて、この紹興酒を一口すすると、あら不思議。ピータンだけで食べたときとはまた違うおいしさが口の中に広がるのだ。こういう時、まさに至福を感じる。

 食うわ、飲むわ、で、ガンガンしゃべるわ。大いなる雑談とはいえ、あれだけしゃべって気疲れしなかったのは私としては珍しい。あっという間に過ぎ去った4時間半だった。美味しくて楽しかった。ちなみにこのメンツの中で、私はオタ度がいちばん低い(と思う)。なんか悔しい。一つくらいオタクなものを作りたいものだとつくづく感じた。
 しかし、Wさんがあんなに酔っぱらったのは、初めて見た。低音で威厳を保って変なことをボソッとしゃべるWさんが酔っぱらうと、そのギャップがひときわ面白い。Uさんの食べっぷりも見事。ついつられちゃう。


■39998と39999

 【西田さん】が「39998」を踏んでくれたようだ。で、私が「39999」だったから、続いていたのね。私も悪魔のささやき「リロード」を断ち切った。4万は、どこかで人知れず踏まれていったのでしょう。

 39998と39999。昔のニフティだったら、「send」を送ってチャットに……、てな気もするけど、これは全然ちゃうからなぁ。



03/01/30/thu

■今日中に4万かな?

 よくわからないけど、ここのところ1日150くらいアクセスがあるのかな?
 1月30日の午前11時で、カウンタが「39961」だから今日中にだれかが4万をヒットすることになりそう。半年で2万くらいだから、それまでの1年の倍になっている。すごーい。みなさん、ありがとうございます。

[追記] その後、午後3時に1回アクセスしたら、39999だった。一瞬「リロード(再読込)」しようかとも思ったけれど、コソクだよな、と思って辞めた。次の方、踏んじゃいましたね。4万。


■久々の平日午前中

 今日はお休み。るんるん。……古すぎるか。ちなみに私は林真理子は嫌いです。
 平日の午前中、家にいることは珍しいなぁ。秋以降、編集部に向かわないでも、どこかへ出ることが多かったからね。たとえば歯医者とか。てへ。

 昨日の夜、ある瞬間突然眠たくなって日記を書くだけ書いてアップし損ねたので、それとあわせて、嬉しい今朝の心情をメモしてみたりしてます。TBSで昼ドラマの再放送とかやってて、緩い感じがいいなぁ。ほくほく。とはいえ、代筆なのよね。結局、キーボードから離れられない私。

 でもちょっと喉が痛い。編集部では熱がけっこうでる風邪(かインフルエンザ)が順繰りに回っている。まだ私には来ていないのだけど、この喉のかすかな痛みがいやん。今晩は楽しみにしている羊のしゃぶしゃぶなんだもんね。それまでじっとしておこう。


■入手本

イアン・スチュアート著『2次元より平らな世界 ヴィッキー・ライン嬢の幾何学世界遍歴』早川書房
→イアン・スチュアートの新刊は、なんと2次元世界の話だった! けっこう驚き。平面の世界についてはたまに本が出るけど、マニアがいるのかしら。平面での生殖活動はどうするんだろうな?とか、考え始めると面白いのかも知れない。今回は、イアン×青木薫という愉しみもある。いただきました。ありがとうございます。

家正則著『すばる望遠鏡』岩波ジュニア新書
→国立天文台の著者が高校生向けに書くすばるの本。天文台は編集部がけっこうご近所になってしまって、個人的には前よりも親近感を持っている。口絵にはカラー写真も数点。それにカバー袖の部分にも3点写真が入っている! これは、カバーがカラーであることを最大限利用した作りだ。カラーページを1枚増やすと、悲しいくらい単価に跳ね返るのだ。新書だと10〜20円違うと印象が変わるからね。予算との兼ね合いは編集者が頭を悩ませる最大のポイントだものね。いただきました。ありがとうございます。

田中共子著『図書館へ行こう』岩波ジュニア新書
→考えてみたら、東京へ戻ってきてから図書館に行っていない。大阪時代は図書館に恵まれないながらも、必要に迫られて何回か大阪市中央図書館や大阪府中央図書館へ足を運んだ。両方とも遠くて、半日仕事になるのが悲しかった。そう、たいていの場合、私にとって図書館は不便なのだ。必要になるものは中央図書館クラスか専門図書館へ行かないとない。それらは遠いことが多い。しかも時間が限られ、休館日も多い。今、私が「図書館へ行く」と出かけるのは神保町の書店街か、池袋のジュンク堂か、ネットだ。でも、ほんとは、あんまりグループ化していない(つまり自分のところに本がある)、作りも時間帯も使いやすくて、信頼できる司書のいる図書館が身近にあったら嬉しいと思う。そのためにはさんざん使って、さんざん文句を言わないといけないんだろうな、とも思う。いただきました。ありがとうございます。



03/01/29/wed

■ねぇムーミン

 去年12月、突然飛び込んできた特別企画モノの仕事にやっとケリがついたので、今日は早く帰ってきた。明日も、お休みしちゃる。

 で、久々に高田馬場の「夢眠」へ向かった。寒い寒い今日。ついたら、お休みだった。毎週水曜日は、夜の営業はしていないんだそうだ。駅から離れたここでクローズトを食らうと、ちょっと厳しい。それにしてもなんか2回に1回くらい振られている気がする。相性がよくないのだろうか……。

 とぼとぼと帰る途中で、広島お好み焼き屋さんに入った。幸いなことに、ソバを焼くときにソースを絡めないので、くどくなかった。広島焼きでは、何度か、ソバにソースをかけて焼く店に当たったことがある。それはクドくてクドくて。今日の店は、フツーの広島焼き屋さんでよかった。

 夢眠に向かう前、高田馬場で帽子を買っていた。1000円。あんまり寒かったから。たしかに帽子をかぶるとあったかい。ただ、ぴっちり系じゃないので、視界がせまくなる。目深にかぶると、足先から2メートルくらいを見て歩くしかなさそうなほど。信号は完璧に見えない。首をくっと上げて、そっくり返るようにして歩かないと前が見えなかった。
 少しは姿勢がよくなるかもしれないという期待もかかるが、帽子をかぶっての一人歩きは、危険。


■入手本

菅野芳秀著『生ゴミはよみがえる 土はいのちのみなもと』講談社
→とある集まりの課題図書。今度は出席できるかな。したいな。

舘野之男著『画像診断 病気を目で見る』中公新書
→MRIやPET、エコーなどなど、体の外から体の中を見る技術が進んできた。それもけっこうすごい進み方だと漠然とながら感じている。なので、新書で画像診断の本が出たのはちょっとうれしかった。

ヨセフ・アガシ著『科学の大発見はなぜ生まれたか 8歳の子供との対話で綴る科学の営み』講談社ブルーバックス
→出版されて早々に買い物かごへ放り込んで、上記の本と一緒に買った。今日、改めてbk1で確認してみたら、読者書評「★1つ」がついていた。内容はいいのに、翻訳がひどいらしい。うげげっ。その書評でも書いてあったが、訳者が大学で出している講義の学生たちに分割して訳させたらしい。その数、じつに20人。下訳に出すのはいい(それでも20人に訳させるなんて聞いたことがないけれど)。でもそれをそのまま本にするなんてことをされたら、たまらない。きっと訳者も編集者も手を入れたというのだろう。が、上記の読者書評氏は「直訳」とばっさり。  副題は「8歳の子供との対話で綴る」とある。でもぱっと開いて目に付いた219ページなんて、「磁石を北の方角からそらしたんだ」という子供に対して、「われわれは、この作用を押すことだとか、引くことだとか言うことはできない。……」と答えている。拾い読みしてもかなりの訳者が、新聞記者以上の「だったマン」だ。あ、今の新聞記者は「だったマン」というより「ているマン」かな。
 なんか涙が出てきそう。今日、偶然、ある翻訳家の方が出された新刊でどれだけ苦労したかを読んだばかりだったので、なおさらだ。彼女はちょっとしたジョークやダジャレ1つに1日かけてウンウンうなっていた。私は翻訳はできないけど、翻訳をなめるな、という気分になってくる。



03/01/28/tue

■経験値が足りません

 昨日、午後3時頃、化粧をした。喪服でスッピンはあんまりかな、と。4時間後の午後7時頃、顔が苦しい気がしてきた。皮膚呼吸ができてないのか……?

 昨日、午後5時半から午後8時半くらいまで、わずか3時間だけだがハイヒールを履いた。久々である。今朝、通勤途上で気づいた。ふくらはぎが痛い……。

 なんか、大人の女性用アイテムに欠かせない2つを、拾い損ねた気分だ。


■早く決めないと

 もう【独断と偏見で選ぶベストサイエンスブック2002】の締め切りが近い。早く決めないと。結局、『産廃コネクション 産廃Gメンが告発!不法投棄ビジネスの真相』以外に去年刊行の本を新規には読んでいないので、ほぼ【候補本たち(02/12/21のてくてく)】から選ぶしかない。

 『暗号化 プライバシーを救った反乱者たち』(スティーブン・レビー著、紀伊国屋書店)
 『痴呆の謎を解く アルツハイマー病遺伝子の発見』(R.E.タンジ、A.B.パーソン共著、文一総合出版)
 『「無限」に魅入られた天才数学者たち』(アミール・D.アクゼル著、早川書房)
 『人間はどこまで耐えられるのか』(フランセス・アッシュクロフト著、河出書房新社)

 この4冊は決まっていて、あと1冊入れるか、この中のどれかを2点にするかのどちらか。今年は3点入れたい本がなかった。なんか忘れているものないかな。そういえば、『ハーバードの医師づくり』(田中まゆみ著、医学書院)もよかったなぁ。これ、科学書といっていいかわからないけど。正確には医学教育(についての)書だ。

 ……科学書ってなんだろうな。これ、読者対象をどう設定するかで、かなり変わってくるような気がする。そもそも世の中にはいろんな人がいる。それこそ、この森山さんちの企画に投票するような人もいれば、本は読むけど科学書なんて怖くて(または興味がなくて)手が出せないというような人もいる。自然科学系の話題が嫌いな人にとって、たとえば動物ものの軽い読み物は十分、科学書だろう。でも、科学系の研究者だったら? 自分の分野でなくても、きっと物足りないんだろうな。

 まぁ、答えがぱきっとある話ではないけれど、自分にとって「物足りない」と思う内容が「なんで物足りないのか」は気にしておきたいと思う。その原因が本にあるのか、自分のバックグラウンドやすでに得ている知識があるからなのか、は注意したいな。あと、その本がどのへんを目指しているか、も。人によって目指すところは違うだろうし。

 てなことが気になったのは、今朝、出かける前に「はなまるマーケット」の「今日の目玉」が「遺伝子」だったからかも。けっこう大変な感じだった。なんだかよくわからないし、難しいという受け止め方。「もしかしたら、出演者はわかってはいけないのか?」とすら思ってしまった。頭良さそうに見えると人気が下がるのか?
 まぁ、説明がよくない部分もあったとは思う。たとえば「DNAはA・T・C・Gという4つの暗号からできている」という説明をしていて、そのATCGがなんなのかは、私が見ていた限りでは説明がなかった(朝なんで準備しながらだったから)。
 で、その暗号が何かというのが全然イメージできずに苦労している様子だった。「なんでATCGなの?」「BとかSとかじゃダメなの?」と岡江さんややっくんがせっかく言っているんだから、せめて「AGCTは、アデニン・グアニン・シトシン・チミンの頭文字なんです」くらい言ってやれよ、TBSの局アナなんだからさぁ、キムイク。塩基がどうのとなるとさらにやっかいだろうとは思うけど、「なんでBじゃだめなの?」と混乱するよりは、「アデニンという物質の頭文字でA」のほうがまだよかろうに。

 だいいち、ATCGというだけじゃ、アルファベットがDNAに書いてあると思われそうじゃないか。



03/01/27/mon

■忘れられないお通夜

 とてもお世話になっているMさんの身内に不幸があり、必然的にお手伝い要員としてお通夜に向かった。これまで結婚式なら、受付も司会もカメラもスピーチも2次会の幹事も経験あるけど、お通夜のお手伝いは初めてだった。しかも昨日の夕方いきなり「カメラお願いね」と言われて大あわて。お通夜の席で写真を撮るのか? と、それほど多くはない葬儀の記憶を振り返り、「業者さんが撮っている感じのはあったかもしれないけど…」と戸惑う。言われたことには「はっ」と一も二もなく従う家来その2として、即受諾はしたものの、電話を切ってから「はて」と悩んでしまった。

 予定時間の30分前に斎場に到着。いちおう記帳をして、お香典を渡しても、所在なげにするしかない。「控え室が2階にありますので」と斎場のスタッフに案内されちゃって、仕方なく控え室に行ったものの、知った顔がない。私が知っているのは依頼主の本人だけなので、非常に困る。どこでどうすればいいのだ。再び仕方なく、お通夜を行うスペースに向かう。と、途中、依頼主のMさんに会えた。ほっ。受付の方を紹介されて、カメラを近くに置き、結局、受付メンバーの一人となる。しかしわからーん、なんといって受け取ればいいのだ。見よう見まねで記帳をお願いし、引換券を渡したりしていると、だんだん弔問客が増えてくる。列が長くなって不安だったが、仕方がないものだろうとじっと立つ。

 お香典の会計は、後ろで依頼主の同僚がせっせとやっている。なので、実際のところ私の役割は、「ここが記帳場所ですよ」と知らせる立て看板みたいなものだ。ただ立つ。

 が、お通夜が始まるとカメラを抱えないといけない。内々のお通夜なので、こぢんまりとしている。どこに立っても目立つ。仕方がなく、後ろ両サイドからパシャパシャと撮った。でも、わからん。献花する参列者全部を撮る必要があるのだろうか? さすがにそれはうるさい気がする(シャッターの音やフラッシュがどうしてもね)。なんとなく間引いて撮ったのだが、よかったのだろうか。受付の方に聞いてみたら、親戚のお通夜ではほんとに全員の写真を撮っていたケースもあるそうだ。それに角度がほとんど同じだから、代わり映えのしないカットばかりになってしまった。結婚式なら指輪交換とかをアップで撮るためにほんとのほんとに前に進み出られるけど、この場合、御霊前に進み出るのははばかられるしなぁ。難しい。いすに座っていた方がデジカメ(かムービー)を持っていらしたので、そちらの内容に期待しましょう。

 その後、弔問客が一段落したので、雰囲気が少し和やかになった。でも、それはそれで写真に撮りにくいのだ。ファインダーを覗いていると撮りたくなるんだけど、お通夜で表情のあるカットを撮ろうとするのも変だよなぁ、と。つい写ってしまう周囲の人に緊張を強いそうだし。……ことほど左様に、悩みこんでいたのである。うまくとれてなかったらごめんなさい。

 お通夜の撮影が終わって、お香典の会計確認も終わって、遅れて控え室で振る舞われていた食事をいただいた。途中知り合いが一人増えたので、所在なさはだいぶ緩和された。が、ここで前代未聞のことが起こった。依頼主は当然、手一杯になっている。手一杯になっているもの、仕事の段取りをつけなければいけない。関係者にあれこれとお願いをしていた。
 で、私に回ってきたもの。それは原稿の代筆だった。まじっスか? 私は、断れない(=断る権利のない)家来その2。とてもじゃないけれど、勘弁してもらえない勢いの中、「なんか書いてあればいいから。資料は渡すから」と言われて、割り振られてしまった。うきゃー。お通夜に行ったら、〆切ができた。しかも〆切はとうに過ぎているものだったりする……。Mさんってば。
 実際は下書き程度ということになるんだろうけれど、かなり衝撃的なお通夜になってしまった。こういうお通夜はもう、生涯ないと思う。あったら困る。

 ただ、ほんとに大事なことは、Mさんがちゃんと悲しめる環境を得られることだ。葬儀委員長的な役回りに追われているMさんが、心を振り向けられますように。



03/01/26/sun

■確定申告用紙

 昨日、確定申告用紙が届いていた。いつの間にやらそういう季節だ。今年は10月以降、給与所得者となってしまったから、これまでとはちょっと違いそうだなぁ。それでも今年はそれほどやっかいではない(つまり期間が短いので給与をトータルしてもそれほどでもない)けれど、来年からはちと面倒が多そうだ。注意注意。


■九九

 関西と関東の異文化間コミュニケーション例があったので、ご紹介。でもこれテキストだけではかなり厳しい。なので、まだ知らなかった人は周囲の関西人(関東人)をつかまえて、お試しあれ。

  1、2、3、4、5、6、7、8、9、10

 これを声に出して読んでみよう。できれば、お風呂の中でゆっくり数える感じで。はい。「イーチ、ニーィ、サーン、シー、ゴー、ロク、シチ、ハチ、キュー、ジュウ」。でも、関西と関東ではかなり違う。それに大阪では、キューじゃなくてクーが多いみたい。あ、もちろん「シチ」は「ヒチ」ね。これは【ヒチ(02/05/17/のてくてく)】参照。

 東京生まれ横浜育ちの私が、大阪流の数え方を聞いていると、ニョロニョロしていて落ち着かない。数えているんじゃなくて、歌っているみたいに聞こえる。大阪生まれ大阪育ちの同居人にしてみると、東京の数え方は平板に感じるようだ。実際、東京のほうが抑揚は少ないからね。

 同じことが九九でもある。「ニニンガシ」を東京アクセントで言うと「ニにんがし」だけど、大阪では「にニんがし」みたいだ。カタカナは高い音で、ひらがなは低い音でーす。日本語は高低のピッチアクセントだからね。九九全部をやってみたけど、一致している方が少なかった。

 なんかこういう基本的なところで違うリズムやアクセントが出てくると、とても楽しい。



03/01/25/sat

■パブロフCD

 「原稿を書きたいし、書かなきゃいけないし、あとは書くだけなんだけど、どうにも気が乗らない」なんてことがある。これは困る。うだうだー、うだうだー、として無為に時間が過ぎていく。

 でも大丈夫。私には「必殺・原稿書き音楽」があるのだ。「このアルバムをかけると、あなたは原稿が書きたくなーる、書きたくなーる」音楽。結局、書き始めてしまう。私は、ベルが鳴るとヨダレを出すパブロフの犬みたいなもんか。とすると、私が書き上げる原稿は、パブロフの犬のヨダレか? あ、なんかちょっと悲しくなってきた。

 そういう救世主のようなものがいくつかあったが、いちばん効果的なのは「ペンギン・カフェ・オーケストラ」だ。大学生のときに、レンタル・レコード屋さんか、友達に頼んだかもらったかして、「Broadcasting From Home」と「Signs of Life」がテープになっていた。

 フリーになって、原稿を書くことが増えてから、なぜかこのテープを聞くことが多くなった。そのうち条件付けさせられてしまったんだろうな。原稿書き以外でこのテープを聞くと、霊験あらたかじゃなくなっちゃいそうで、いまじゃ原稿を書くとき以外聞けやしない。

 だいぶ前から、このテープに大問題が起きていた。「なんか伸びているね」という同居人の指摘があって、初めて気づいたのだが、長年聞き続けたせいか、ヨレている。慌ててCDを探しましたさ。タワーレコードとかに入ると、一時期は必ずチェックしていた。でも、ない。まぁ80年代中頃のもんだから仕方ないかもしれないけど。

 でも本格的に不安が大きくなってきたのと、せっかくMDウォークマンがあるのに活用できない(結局でかいテレコを持ち歩く羽目になる)ということがあったので、オンラインショップで探してみることにした。同居人がアマゾンでCDを買い始めたことも大きい。
 で、検索してみたところ、あったあった。ほんとに来るのかわからないけど、「7〜8日で出荷」になっている。とりあえず注文できたから、これが届けば、MDに落とせるし、テープが切れても問題なくなる。
 私の〆切のためにも、アマゾンさん、頼んますよ。


■健康診断

 そういえば、私は何年、健康診断を受けていないだろう。血液検査や尿検査ですらほとんどしていない。フリーには、健保のメリットもないし、必要に迫られないと病院なんていかなかいから、「お願いだからたまには健康診断をうけて」と同居人に言われて、「うん、ほんとに」と答えても、なかなか腰が上がらなかった。

 でも11年半ぶりの会社員なので、健康診断ができるみたいだ。なんとなく嬉しい。スケジューリングしてもらえば、出かけていくことはやぶさかではないので、いい機会だ。

 知らない間に年を取っていたらしく、健康診断も「35歳以上」の「1日人間ドック」を選べるようになっていた。初人間ドック。これでバリウム・デビューとなりそう。まだバリウムを飲んだことがないのである。
 人間ドックはいろいろ検査項目がてんこ盛りで、豪華詰め合わせセットみたいだと思った。オプションだけど婦人科検診もある。ありがたいー。そろそろまた調べないとな、と思っていたのだ。

 ただ、なんか無茶苦茶と思うのが、検診の日程をかなり早くから予約しないといけないことだ。いま4〜6月分を受け付ける。3カ月も先じゃん。で、もう少し経つと、1年分受け付けるようになる。なんだかなぁ。そんな先のことを決めろと言われても……。

 「どうやってこんな先のことを決めろというのだ。忙しかったらいけなくなるかも」と、編集部で言ったら、「忙しいって言っても、1日ドックでもつぶれるのは半日くらいだから、大丈夫。入れておけばいいのよ」とのこと。そういうものかー。

 編集部では言わなかったが、もう一つやっかいに思えることがある。毎月毎月、月のもんがあるんだから。かっちりきっちり決まっている人はいいけど、不順だったりしたら、かなり予約も入れにくいだろうな。私も、最初は気軽に「いつがいいかなぁ〜」なんてカレンダーをめくっていたけど、「あっ」と思い出し、「1、2、3、4」「1、2、3、4」と数える。だいたいこの辺かなぁというあたりをつけ、そこを避けて日程を決めないといけない。胸の内は「ずれないといいなぁ」につきる。こんな作業があるのに、半年先の予約なんて入れられっこないぞ。

 たいていのことは生理中でも問題ないはずなんだけど、尿検査がね。あと婦人科検診も。こっちは場合によっては重なった方がいいけど(そういう検査もある)、必ずしも生理中が好ましいとは限らないからね。
 ほんとは尿検査は生理中でも大丈夫のはずだ。が、タイミング次第で、どうしてもね。たしか中学生のころだったかな。定期的に受けさせられていた尿検査(小学生の時に急性腎炎をやっていたので、このころはまだたまに尿検査を受けていた)が重なってしまい、「大丈夫かな」と出したら、やっぱりダメで(尿に赤血球が出ていた)、検査結果を病院に聞きに行ってもらった母親が血相を変えて聞いてきた。「あんた、生理中だった?」「うん」「ならいいけど、赤血球が出てたって」。よく洗えば大丈夫だと言われているけど、当時はウォシュレットもなかったからなぁ。
 この1件以来、どうも健康診断と生理が重ならないかが気になってしまう。

 今回は、いろいろ初モノがありそうだし、楽しみにしておこう。最後に血液検査をしたのは、ええと、96年か。尿検査は……、記憶がない。あ、92年に顎の手術で入院したときはいろいろ調べたんだったっけな。なんであれ、10年くらい経っているじゃん。

 フリーのときに人間ドックを調べたら、けっこうお高くて(5万円くらい)さっさと諦めた。これでやっと同居人も満足してくれるだろう。
 それにね。目標ができるのよ。少しは食べる量を減らして、動く量を増やそうという。これが1年に1回あるのは、けっこういいことかもしれない。和製ラマダーンみたいだと思う。



03/01/23/thu

■我が身には抗えねど

 モケモケしたセーターを着込んで外に出たら、雪だった。寒くなくてよかったが、セーターがモケモケしている上に、コートがハーフコートでしかも昔、母親が父親用に買ってきたものをもらい受けてきているものなのでメンズだ。イマ風のラインではない。

 イマ風ではないどころではない気が、外を歩きながらどこかのビルのガラスに移った我が姿を見て感じた。ボトムスは、わりとぴっちりしたGパンである。

 モケモケゴワゴワセーター+メンズのカジュアルで古いハーフコート+Gパン

 自分で認知した姿は、「あ、鉄人28号だ」だった。もちろんリモコンで操作される鉄人のラインである。ちょっと、いや、かなりショックを受けた。どうしたらいいのだ?

 そうそう。当然のことながら、私はリアルタイムで「鉄人28号」は見てません。そういう年齢ではないのだ。再放送はあったかどうか知らないけど、後々大人になって学習したのだ。「よーいもわるいもリモコン次第。敵に渡すな大事なリモコン」という歌詞があまりに情けなくて、気に入ってしまった。


■暖冬から厳冬で思い出した

 去年の冬は、久々の東京生活だったのであまりわからなかったが、今年は比較対照しやすい。やっぱり寒いよ。近所でそこここが凍っている。去年は道路の水たまりが凍ることはこんなに多くなかったと思う。それが今シーズンは12月からバシバシ凍っている。

 ……それで思い出したのだけど、子供の頃、家の裏側に日が当たらないエリアがあったので、ちょっとしたくぼみにできた水たまりがよく凍っていた。洗濯機とかをおいておくためのスペースなので、とても狭いのだけど、小学生の私は考えた。「ここ一面が凍ったら楽しそうだ」。で、排水用にへこませてある部分をせき止めて、ホースで水を流して寝れば、翌朝には、ちっちゃいスケート場(せいぜい3平米くらい)ができると踏んだのである。

 夜、親に不審がられないように裏へ回った。手にはカマボコの板。何枚も重ねて、排水部分をせき止めるためだ。静かに静かに、水をまく。そんなに厚い氷が必要な訳じゃないから、なんとなくそこら中、水浸しにして、家に戻った。

 ワクワク寝て目覚めた朝。滑って転んだらどうしようなどと思いながら外に出た私は、すっかり乾いた裏の洗濯場を見て、子供心に「自然は甘くない」と思ったものだ。

 あ、スケートしにいきたいな。



03/01/22/wed

■意表をつかれた

 昨日、今日と編集部をふだんより1時間半くらい早めに出てみた。やっぱり家にいられる時間が増えると、少し楽だね。でもその分お外に出るのがイヤになるけど。

 なんてことはさておき、今日、ウケたのはイタリアのアンティノリ医師のリアクション。ハンスト始めたって。不思議だー。わけわからん。ハンストをしても、11月に「クローン・ベビーが1月に生まれる」といったことはなくならんぞ。たしかあのとき33週だったから、もうとっくに生まれてないといけないんじゃなかったか? ラエルばっかりに話題を持って行かれるのがよほど悔しかったのだろうか。そいでもってハンストしたとしか思えんぞ。

 なんてことが、課題本の『クローン人間』(響堂新著、新潮選書)を読了したら起こってしまった。同時課題本は、もちろんこっちの『クローン人間』(粥川準二著、光文社新書)。お間違えなきよう。


■入手本

渡辺正・林俊郎著『ダイオキシン 神話の終焉』(シリーズ地球と人間の環境を考える 02)日本評論社
→「神話の終焉」というサブタイトルからも想像できるとおりの内容で、第6章のタイトルは「つくられたダイオキシン禍」。著者の渡辺先生は、6年くらい前に『逆説・化学物質』(丸善)の翻訳を出したときからずっとこの話題に取り組んできた。「ダイオキシンで死んだといえるかもしれない人は全世界で4人だけなんだよ」と力説されたので、この数字は7年前から覚えてしまった。このシリーズの1巻は『地球温暖化』で、これから『環境ホルモン』『エネルギー』『資源・リサイクル』と続く予定。いただきました。どうもありがとうございます。



03/01/20/mon

■恥ずかしい

 朝、家から駅に向かう途中、信号待ちをしていたら、とてつもなくかわいいワンコがこっちにやってきた。たぶんヨークシャー・テリアのチビちゃんだと思う。飼い主さんが持っているひもをいっぱいにひっぱって、前足は両足とも空中。かわいいったらありゃしない。というわけで、少しなでさせてもらっていた。

 そんなことをしていたからか、改札を抜けたら乗ろうとしていた電車が入線してきた。ふだんなら見送るのだけど(走ってまで乗り込もうという気はない)、ちょっと遅めの電車だったのと、ちょっとだけ走れば大丈夫そうだったので、走った。

 そしたら、それをたまたま同じ電車に乗り込んでいたご近所のWさんに見つけられていたらしい。メールで「ホームを疾駆」する姿を見たと言われ、思わず赤面。自分が相手を認めていないところで、こちらだけ見られているのは、ほんとに恥ずかしいものだね。しかもドタドタドタと走っていたりしたら、ほんとに情けない。ふだん如何に「どうせ誰も私のことなんて見ちゃいないさ」と開き直っているかがバレるわな。


■千鳥書き

 同居人は一時期、放送用のニュース原稿を作る部署にいた。これは、各社共通の話かどうかよくわからないけど、同居人のところでは放送ニュース原稿はアナウンサーが読みやすいように「千鳥書き」というフォーマットを使っていたという。

 その「千鳥書き」とはどういうものかというと……。

  千鳥書きは、主語を頭に
    息遣いに合わせて、
      左下がりで書くのが原則です。

 こんな感じかな。もちろん90度回転するけど。放送系の現場は全然知らないから、とっても新鮮。左下がりだと行を移るときの視点の移動が楽なんだろうか? いちおう、アナウンサーが読みやすくて、誤読をふせいで、段落がわかりやすいというメリットがあるらしい。
 実際は、そんなこと言ってられない殴り書きのニュース原稿を読まないといけない緊急ケースもあるんだろうけどね。

 放送原稿の基本は「音で聞いてわかること」だから、同音異義語のある「漢語」がまず嫌われる。いくつもの漢字の候補が出てくるのはよろしくないというわけだ。つまり、なるべく平易な表現が求められる。ここで「平易」と使ったけど、「へいい」よりは、「わかりやすい」とか「簡単な」とかのほうがいいってことなんだろうな。
 ただ、同居人によるとNHKやTBSのニュースは漢語が多めになっているらしい。時代によっても、基準や聞きやすさは変わっているんだとは思うけれど。

 いくら日本語教師の資格を取ろうとも、やっぱり根っこは「書き言葉」の人間なので、「話し言葉」の世界はいつも新鮮だ。



03/01/19/sun

■ウイルス蔓延中?

 なんだか知らないけど、ここ4〜5日くらい、やたらとウイルス・メールがおいでになる。しかもタイトルが「Returned」とかついていて、「あり? 私からウイルス・メールがいったってか?」と一瞬、不安になったりして。あと、プロバイダーのウイルス・チェックにはねられて返ってきたらしいのもある。ま、クレズ(Klez)だったりしたから、私からというわけではなさそうだけど。それにしても、こういう詐称系のウイルスは、覚えのない身としても若干不安にさせられるのでイヤ。

 ここのところ届くウイルス・メールは、拡張子が「exe」の起動ファイルじゃなくて、「scr」のスクリーン・セイバー用ファイルが多いみたいだ。HTML形式のメール部分を見ると、なんかそのスクリーン・セイバーを使うような設定になっているみたいだ。うちのメーラーはありがたいことにHTMLを解釈してくれないから、タグをじっと眺めるんだけどね。

 クレズじゃなくて新しい「リルバ」(だったかな?)とかいうのが出回っているらしいから、その影響かな。


■両手ジャンケン

 同居人の名前を呼んで、ぱっと振り向いた瞬間、「ジャンケンポン」とやってみた。人は意表をつかれてジャンケンをするとき、パーを出す確率が高いんじゃないかと思ったからだ。

 で、「ジャンケンポン!!」のあと、同居人はどうしたか? 「は?」とただこちらを見つめた。パーどころか、手を出すことすら反応できなかった。つまらん。

 その後、なんとなく流れで「両手一緒にジャンケンをしてみよう」ということになった。「ジャーンケーンポン」。うっ。私は左手と右手、別々のものをだしそびれた。両手ともチョキ。ださい、ださすぎる。いきなり「ジャンケンポン」とやられて「は?」とボケてしまうのよりもださいぞ。反省。

 もう1回やってみた。私は(右,左)=(チョキ,パー)、同居人は(パー,グー)。これ、向き合ってやっていると、お互い、自分の左手の前には相手の右手がある。目の前にある手との結果は、(私の右×同居人の左)=(チョキ×グー)=同居人の勝ち、(私の左×同居人の右)=(パー×パー)=あいこ。
 くーぅ、また負けか。なんかイヤ。ふとこれをクロスさせたら結果が変わることに気が付いた。

 「ジャンケンはお互い右手同士でフツーはやるじゃん。右同士、左同士で勝負だよ」
 だとすると、同じ手でも(私の右×同居人の右)=(チョキ×パー)=私の勝ち、(私の左×同居人の左)=(パー×グー)=私の勝ち。ほれみろ、2勝の圧勝じゃないか。

 こういうケースをあれこれやってみたら、混乱してきた。両手で相手の前とやるだけだと単に2回やっているのと一緒でしょ。その後、クロスも対戦させたら? 4回やるのとまったく一緒か? 同じ手のままだから、そうでもないような気がする。先の例では、正面対戦は同居人の勝ち点1、クロス対戦は私の勝ち点2で、結果、私の勝ちてな感じで考えていたんだけど。一度のジャンケンで4回分できてるだけかなぁ。

 両手いっぺんに出すときの強い組み合わせってあるのかな。両手とも同じ種類を出すのは、かなりよくない作戦なんだろうか? それとも何を出しても変わらないのだろうか? ちゃんと表を作って整理整頓する前に挫折するあたりが、根性なし。


■入手本

マーチン・ガードナー著『奇妙な論理1』ハヤカワ文庫
→社会思想社が倒産して版権が浮いてしまっていた本。早川書房がうまくゲットして、再び世に送り出してくれた。末永く読まれて欲しい本だ。前に入手し損ねていた方、お見逃しなく。私の家にも社会思想社の文庫があるはずだけど、行方不明中。なのでとてもありがたかった。いただきました。ほんとにありがとうございます。



03/01/18/sat

■知はテトリス

 ぷらぷらとご飯を食べに行きながら、「知の獲得」についてヨタ話を同居人としていた。ウラはとっていないけど、クロマニヨン人と現代人の脳みそのサイズはだいたい同じだと彼は言う。とすると、もし現代の人間がクロマニヨン人の子供として生まれたら、クロマニヨン人と同じように考えたり、感じたりしながら、暮らしていくことになるんじゃないか。その逆に、クロマニヨン人がぽっこり現代に生まれて、現代の日本の家庭で育ったら、お受験なんかもふつうにさせられちゃったりして。

 そう考えてみると、今の人たちは同じ脳みそで、昔に比べてなんとたくさんのことを覚えたり理解したりしなきゃいけないことか。大変。そういえば、昨日、編集部で「昔の人は物理学者とか医者とか一人でいろいろやっていたよね」と聞かれ、「その昔とは、いったいいつ頃の昔を言っています?」と聞き返したら、「えー、たとえば17世紀くらい」とのこと。「あー、その時代だったらそもそもこんなに分類されてないですよね」なんて、話をしていた。いまじゃ分割しないと耐えられないほどに、どこもかしこも目一杯な内容を盛り込んでいるからなぁ。

 で、私が生きるのは現代ニッポン21世紀である。こんな脳みそ目一杯そうな状態を振り返ると、もうそろそろ限界にきていてもおかしくないんじゃないか、と不安になる。人間の「知」はもうパンクしちゃいそうな気も、ちょっとする。

 ただ、ふと思い出したことがあった。昔、といっても17世紀ではなく4年くらい前。金融工学の話で、伊藤清・京大名誉教授の業績をいろいろ調べていた。確率微分方程式といわれるものである。「伊藤のレンマ」と呼ばれる、まぁ、公式を作っていたりする。
 ちょうど第二次世界大戦だったころに、伊藤先生はまだほとんど切り開かれていない数学の一分野を開墾中だった。

 その開墾結果を、現代の学生は修士課程くらいで、他のものと一緒にぱっぱと学ばないといけない。伊藤先生たちの当時の産みの苦しみはものすごかっただろうに、なんか50年もたたずに修士課程かぁ、と思った。そして、「そんな内容を修士でやらないといけないのはほんとに大変だ」と、そんな印象をぽろっと言ったら、教えてくれていたK先生は、「でも、新しい世界ができるとそれにあわせて教科書もでき、教え方も整備されますから」というようなことを補足してくれた。「作り出す」ことと「習う」ことは、当然ではあるが、全然違うのだなと改めて感じたときでもある。

 こういうことは、なんかに似ているなぁとぼんやり感じていた。その、なんとなくぼんやり感じていたことが、少し前にはっきりイメージ化できた。
 それは、「テトリスで何段かいっぺんにぱっと消えるような感覚」だった。何もないところからある世界が生み出され、「知」が体系化された途端、ぱっと何段か消えて隙間ができる。で、そこに新しい隙間ができたから、「知の断片」が産み落とされていって、またある時ぱっと何段か消える。そんな感じの繰り返しみたいだ、と。

 そのとき以来、私の中では「知はテトリス」と落ち着いている。ただ、かなり上の方まで詰まっていて、目一杯の危険がわりと近くにあるような気もするけど。当然、個人的にはオーバーフローというか、ゲームオーバー済み。


■まんまるいお月様

 ご飯を食べに行って、気づいたこと。今晩のお月様は、まん丸くて、とってもかわいかった。ぽこっと突然視界に入ってきて、ニコニコ輝いている感じ。ちょっと元気になるお月様だった。



03/01/16/thu

■初体験

 実は、昨日、「えいやっ」と編集部を早く(と言っても6時半だけど)出て、四谷に向かった。休みの同居人と落ち合い、旧「辣辛房(らーしんふぁん)」、現「麻辣房(まーらーふぁん)」に行った。店は何も変わらないのだが、経営者か何かが変わって店の名前が変わったのだ。

 私たちは、まだこの冬、麻辣鍋を食べていない。刀削麺荘のしゃぶしゃぶな麻辣湯もいいけれど、土鍋で煮込むここの麻辣鍋もよい。というわけで、今シーズン初の麻辣鍋だったのだ。

 辛かった。真っ赤にもーえるー、おなべだーからー。
 でも、途中から辛みの中の旨味にはまり始める。鍋の最後になると、真っ赤なスープを飲んでいる二人だった。辛すぎるかな、と思いつつ、その鍋に麺を入れてもらって仕上げた。お店の人が「足らなくないですか? 白いご飯持ってきましょうか。あいますよ」と勧めてくれる。お腹は腹9.5分だったのだけど、つい「白いご飯と麻辣鍋の残り汁」の魅力に負けてしまった。「小ライスで」。

 持ってきてくれたお店の人は、「少しだけかけて食べるとおいしい」といった。レンゲに3杯程度だから、「少し」だよね。かけてみる。想像通り、いける。麺よりあう気がしていたのだ。で、ついツユダクになっていった。ご飯に白いところは当然残っていない。「麻辣猫マンマだね」と同居人。でも、こんな猫マンマ、きっと猫は食べられない。
 半分弱で同居人にバトンタッチ。ツユはさらに増えていく。麻辣おじや状態。赤い夕日に白飯もえーるー。

 すっかり満腹になっていたが、ここの杏仁豆腐はおいしい。1つを二人で分けようと頼んだら、「1つはサービスです」と2つ出してくれた。そんなに辛そうにしていたと思われたんだろうか。うれしいけど苦しい(お腹が)。しっかり食べてしまったけれど。

 で、一晩あけて今日。
 ちょっとお腹が痛かった。朝、冷えたからで、麻辣鍋のせいではないと思う。ただ、これは確実に麻辣鍋のせいで、お尻が辛かった。ひーん。初めてだったよぉ。ほんとにお尻が熱くて辛いのね。


■昔の名前

 ちびちびちびちび『量子力学と私』(岩波文庫)を読んでいる。少し前に、ドイツ留学時代の日記が出てきて、個人的にほぉっと思ったことに出くわした。

 朝永振一郎は、下宿先で雑誌をよく読んでいたようだ。そのなかに「『日本評論』を読む」という記述があった。元勤務先だったりするわけで、そして、私が入社した頃には当然なくなっていた社名を掲げた雑誌だったりしたわけで、それを朝永振一郎が読んでいたわけで、なんだかジ〜ンとしてしまった。勝手な感傷である。でもきっとそんなもんなんだろうな、とも。
 ちなみに『改造』も日記に出てくる。

 私の日記に頻繁に出せる雑誌は、今は、確実にマンガ雑誌だな。電車通勤が苦手なので、徐々に電車のなかで読むものがマンガに切り替わりつつある。もともと家で読んでいたのが電車に移行しただけだけど。
 ついでなので、メモ。去年の秋頃から、女性マンガ誌では『you』(集英社)より『kiss』(講談社)のほうが勢いあるかもしれない。『コスメの魔法』はいうに及ばす、『のだめカンタービレ』とか『離婚記念日』とか、けっこう頑張っている連載が多いからだろうね。いくつかよけいなのが終わっていたのも一因。
 なんだか朝永さんから、遠く離れてしまった……。



03/01/14/tue

■さみしい

 編集部に行って、3連休分の新聞に目を通していたら、元昭和女子大教授の杉田浩一先生の訃報記事を見つけてしまった。

 去年12月、杉田先生のお父様が94歳で亡くなったので喪中のはがきをもらったばかりだった。杉田先生もご高齢ではあるけれど、お父上が94歳の大往生をなさったくらいだからきっとまだまだお元気なんだろうと思っていた。肝臓がんだったという。

 杉田先生には、『科学朝日』で連載した「美味学事始」でほんとうにお世話になった。それこそ、【第1講 さしすせその法則】【第7講 指南役登場!】に出ていただいているくらいで、私の知恵袋だったのだ。94年から95年の間は3ヶ月に1度くらいのペースで相談にうかがっていた。「この辺のテーマで何かないだろうか」や、台所や食卓の「素朴な疑問」をメモしておくと、雑談をしがてらテーマにするコアをうまく引き出してもらえた。ついでに取材先の紹介まで。ほんとうにお世話になった。

 最近は年賀状や移転通知のやりとりが中心だったけれど、いつも「お役に立てることがあればなんでも」と書き添えてくださって、どれだけ心強かったか。「美味学事始」は、私自身、思い出深い仕事であり、力を入れて取り組んだものだった。杉田先生にもおもしろがってもらえたようで、それがうれしかった。

 この連載を立ち上げてくれたMさんも鬼籍に入ってしまった。頼れる相談役だった杉田先生も亡くなってしまった。ご冥福を祈るしかない。

 ただ、なんだかとてもさみしい。



03/01/12/sun

■ぞうさん

 うちの近所はマンション・ラッシュで、クレーンがいっぱい。クレーンだけではなんなので、気分転換に散歩がてら新しいモデルルームを見に行ったりしてみた。年齢的にもそれほど冷やかしとは思われないので、逆に心苦しかったりする。

 今日の発見。最近のマンションはペット禁止ではない。少し前までは「マンション=ペット禁止」だったのだが、「ペットはダメなんですよねぇ」と聞いてみると「規制がありますが、大丈夫です」と言われる。だいたいは共用部分で抱きかかえられるサイズのペットであればOKみたい。「禁止といっても、隠れて飼われる方が必ず出てくるので、最近の主流は種類によって」ということなんだそうだ。

 元々、犬を飼いたくて仕方のなかった同居人としては、一軒家以外もそれなりの候補になりつつあるということだな。だんだん冷やかしじゃなくなってきそうだ。……でもねぇ。35年ローンなんて途方もない数字は二人とも考えられないタイプだしなぁ。無駄に多く返さないといけないのも難。借入金の金額にもよるけど、1.5倍くらい払うはめになるなんてと思ってしまうんだよなぁ。一戸建てならまだしも、35年後のマンションに価値があるとは思えないし、子供もいないし。
 やっぱり宝くじがあたってくれないと、家は買えないタイプだ。

 てなことではなくて、ペットペット。不許可ペットの一覧表があった。そのいちばん上に書かれていたのは……。

  ぞう類 ぞう科全般

 マンションのペットに「ぞう」さんを考える人がいるのだろうか???? 実際はいないけど、いちおうなんだろうな。例の「電子レンジ猫」みたいなノリかな。それにゾウやキリンが庭かなんかにいるテレビCMがあったからなぁ。あ、でも、キリンやウマは一覧表になかった気がする……。なぜにゾウだけ? ちなみに「ぞう類」の次に書かれていたのは、「くま類」だった。その下には想像通り、ライオンやピューマなんかがくる。あっ。この欄はきっとサーカスに出てくる動物たちが念頭におかれているに違いない。

 ……いま気づいたんだけど、「ぞう類」だの「くま類」だのって変じゃないか? 思わず『世界大百科』で検索してしまったよ。やっぱり「長鼻目ゾウ科ゾウ亜科」「食肉目クマ科」じゃん。この子たちはもちろん「哺乳類」。ま、ひらがなで「ぞう類」だからね。ちなみに三井不動産の物件です。

 ただ、思うのだ。テナガザルとかアナコンダとかは書いてあるけど、カメは問題ないらしい。つまりホシガメは禁止されていない。「ワシントン条約で取引が禁止されている動物」くらい、最後に1行つけておけばその見識が評価されるだろうに。



03/01/11/sat

■初刀削麺

 ひっさびさに、火鍋ないし刀削麺を食べようかと神田方面に向かった。刀削麺荘の神田西口店があるので、そこに行ってみようかという算段である。同居人と二人して3時過ぎから6時頃までぐーすか昼寝てしまったので、目覚めてからぼぉっとしているうちに欠食児童状態となっていた午後8時頃。神田なら3連休の土曜日の夜は混んでいないだろうと思ったのが甘かった。行列である。いつからこんな人気店になったのだ、ここ? 去年、あんなに火鍋に投資してやった恩義もすっかり忘れられている…、と八つ当たり。

 あきらめて小川町店へ向かってみる。この2つの店は歩いて移動しても10分とかからないので、よい。が、小川町店も店の前には5人位が空席待ち。ひぇぇぇ、と空きっ腹抱えて仕方なく、淡路町のトプカへ向かってみる。不運は続くよどこまでも。トプカの土日祝の営業時間は午後6時までだった。泣きそうになりながら、吉野家に飛び込みたい気持ちをぐっと堪えて、ここまできたら意地である。神保町の曼陀羅に行ってやろうと歩き出す。とはいえ戻る途中に刀削麺荘の小川町店があるので、再びちらっと覗いてみたら人はいない。「あと5分位」と言われるので、これ以上の移動をする気力はさっさと萎え、じっと待つ。8時30分近くになってやっと夕飯難民から脱せた。

 ちなみに火鍋ではなく、二人だったのにいくつか料理を頼んでしまって食い過ぎ典型例に陥った。なすのピリカラ山椒揚げ(しょっぱいけどビールのおつまみには最高)、シャンツァイとクレソンのサラダ、辛いスープの水餃子、ヤンルーポーモー(ナンみたいなパンを細かくちぎって羊の肉の入ったスープで煮込む。そこそこボリューム)、ユーポー麺(ペペロンチーノ風刀削麺。唐辛子とニンニクなのだ)。満足したけど、しんどくて帰りはタクシー。


■入手本

小林信彦著『名人 志ん生、そして志ん朝』朝日選書

→うちにある落語CDはほとんど桂枝雀さん。同居人が枝雀さんにはまったからである。そんな江戸落語の情報はほとんどない我が家でも、志ん朝が亡くなったときに「これで一度は生で聞いておくべき人がまた一人減った」と思った。志ん朝の死をもっとも嘆いた人の一人であろう著者によるこの本は、江戸落語の流れを知らない私たちに、「志ん朝の死」をそれだけ嘆くことができるのを妬ましくすら思わせる。3分の1ほど読み進み、「芸」と言われるものはどうにかして機会を得て、少しでも多く見て聞いて触れておかなければ、後悔もできないと改めて確認する。深く嘆きもできないこと、それがふがいない。いただきました。ありがとうございます。



03/01/10/fri

■比べちゃいかん

 昨日は何をしていたんだっけ……、と振り返るとやっぱりずっと編集部にいた。ふだんよりちょっとだけ早く帰ったけれど。今日もずっと編集部にいて、ちょっと悲しい。でも前に家で使っていたThinkPad240を持っていったから、少し寂しくないかも。ストレスのかからないマシンが近くにあるとちょっと落ち着く。

 昨日から、少しずつTeXで数式を組んでみている。論文や本の組版ではなくほんとうに1本の数式を組むだけとかなので、じつはけっこう簡単だった。フォントや細かい設定のことをこれから覚える予定だけど、ちょっと気が抜けたくらいに楽ちん。
 比較検討のために、悪名高き「数式エディタ」でも同じ数式を作ってみようとしている。が、TeXなら早々に組み上がった数式を、早々にギブアップしてしまう始末。人をイライラさせるのには持ってこいのアプリだった。ヘルプも極めて使いにくいし、ほとほとほとほとイヤになる。
 2乗がただの2になったりしたままではあるので、似た数式といったレベルまでどうにかこうにかつくってプリントアウトしてみたら、積分記号インテグラルの上と下の数字がインテグラルにくっついていた。3倍くらいじかんがかかっているのに、悲しい。とことん使えないやつだった。

 両方とも、同等に私は初めて触るものだ。なのにこの差はなに?
 打ち出した結果。いうまでもないけれど、TeXの圧勝。

 最後に残る問題は、唯一、フォントなんだな。やっと様子がわかってきた。


■後ろ向き

 いーのよいーのよ、どうせ私なんて。そうやって、無意味にいじける時期なのだ。仕方がない。寝てやる。



03/01/08/wed

■訂正

 【素数に恵まれた10年(01/05のてくてく)】で、素数が4回出てくる10年の特徴として、「末尾は『3と5』と『7と9』の2組」と書きましたが、「3と5」はもちろん「1と3」の間違い。おはずかしや。直前の「双子素数」で「3と5」を出したのだが、それに引っ張られてしまいました。修正しました。

 ご指摘くださった【あらきけいすけ】さん、ありがとうございます。


■箱乗り打ち合わせ

 今日は、移動が多い1日だった。
 午前中、海浜幕張へ行ってK大のW先生と待ち合わせ。午後、金沢へ飛ぶW先生と一緒に羽田空港へ向かう高速バスに乗り込んだ。まるで、移動時に取材をする新聞やテレビのようだ。事典なのに。
 おそれていた渋滞もなくスムーズに羽田到着。引き続き、お昼を食べながら、数学分野の打ち合わせをする。

 もちろん冷や汗をかきながらである。いろいろ大変なのだ。紙の世界で培ってきた組み版の歴史は偉大だなぁとつくづく思う。いや、理系の分野の組み版といった方がいいのだろうか。『数セミ』で産湯をつかった私は、その後、科学系の媒体でも数式はほんとに組めない現実に悩まされ続けてきた。
 そもそもイタリック体(斜体)とローマン体(立体)に意味の違いがあるなんて発想がデザイナーにも編集者にもない。並体とボールド(太字)もしかり。だから、大前提の基本的な組み版で図版内の文字はすべてゴシックとかのベース・デザインにしてしまう。ゴシック体の数式なんて読めるわけないのに。センチュリーでもなんでもいいから、もすこしまともなフォントを使ってくれ。この点は、心の底からどうにかしてほしい。

 てな、ことを含めて「今年はどうしよう」打ち合わせである。T大のK先生と一緒に、3人4脚でやっていければいいなぁと思う。
 そのまま家に帰りたいと思ったが、あきらめて羽田から調布へ向かう。なんだか東京大横断移動の気分だ。


■トモナガ

 地道に通勤時の一部を使って『量子力学と私』(岩波文庫)をまだ読んでいる。ちなみに朝永振一郎著。「ね、ね、このタイトル、ちょっと楽しいでしょ」と前に同居人に見せたら、「アサナガ」と言われ、ガックシきた。ごめん書いてしまった。ノーベル賞受賞者なのだもん。まぁ、自然科学系の受賞者の中では、いちばん忘れられやすい位置にいるかもしれない。湯川秀樹は故人でも忘れようがないし、福井謙一は同時代だし(福井謙一が元気だった頃に京都に赴任していたのもあって親近感があるようだ)、他の方々は存命だし。

 てなことを思い出しながら読むと、さらに味わい深い本である。ドイツに留学中の朝永振一郎が自分のことを「頭が悪い」と嘆いているのである。信じられないことに、「だめだぁ」とほぼ毎日落ち込んでいる。あなたが「頭が悪い」のなら、私は「頭がない」どころではすまないんじゃないかとか思いもするが、後にノーベル賞を受賞するような人でもしんどいのだなぁということに、少し励まされる。

 あとふと思い出したけど、高校自体の国語の先生が途中で「トモナガ」先生になった。つまりトモナガさんと結婚したのである。当時、「相手は朝永振一郎の孫かなんからしいよ」と生徒たちの間では言われていた。ほんとだったのだろうか。


■読了

石渡正佳著『産廃コネクション 産廃Gメンが告発!不法投棄ビジネスの真相』WAVE出版
→不法投棄天国だった銚子市から不法投棄を一掃した産廃Gメンの著者が、産廃がどのように捨てられていくのかを解説。建築廃材、医療廃棄物などなど、家庭のゴミ以上にわかりにくいけれど、毎日毎日膨大な産廃がどこかに捨てられているのが現実だ。それを細かく説明してくれているのでとても大事な本だが、残念ながらあまりスイスイ読める本ではない。そのややこしさと見えにくさ(=身近でない)が原因かなという気もする。でも、何か関連の話題が気になったときにはそこそこ参照しやすいだろう。
 著者も指摘していたが、銚子市から不法投棄ダンプが一掃されたとしても、それは全県でできることではない。不法投棄しなければニッチモサッチモいかなくなるのが実情だからだ。不法と合法の境目がとてもあいまいになっているのが、日本の産廃の現実だということを自覚しなければ、第二の豊島が近々どこかに現れても不思議はない。



03/01/07/tue

■すてきな奥さん

 同居人は休みだった。朝、家を出て、今日はちょっと無理矢理ではあるけれど早めに切り上げて帰ってきた。途中で待ち合わせて、神保町の「カーマ」に寄る。ずっとふられてきた野菜カレーを食べられて満足満足。

 でも、せっかく早く帰ってきたのというのに、チマチマしたブックマーク移動をわざわざ手でやってみたりして時間を浪費してしまった。
 一方同居人はといえば、私が出ている間にいたるところにワックスがけをしてくれている。いたるところといっても窓際中心なのだけど。なぜ窓際かというと、彼は結露を非常におそれる。しかしこの季節に人間が元気に暮らすためには、結露やカビなど気にしないで加湿器を炊いた方がいい。私はそちらを優先するのだが、彼は結露がずっと気になっていたようだ。あまり窓をあけないし、窓際をきちんと確認しなかったので、そのままでやってきていたのだが、一度見てしまったら、それは見過ごせなくなった。その結果、昨日も今日も、私が不在時にワックスがけをしてくれている。

 私が一人で家にいても何も変化がないが、同居人を一人で家においておくと家がだんだんきれいになるのかもしれない。これは絶大なる僥倖だ。


■感謝の意というわけでもないけれど

 ワックスがけの感謝というわけではないが、本屋で彼がほしそうにしていたので、『学研電子ブロックのひみつ EX−150復刻版のすべてがわかる』(大人の科学編集部編、学研)を買ってプレゼントした。

 喜んでくれた。同居人も知らないことがけっこうあるらしい。

 「クニエさん、電波とか電気とか苦手でしょ。この本、いいよ。僕も知らないことが書いてあるし、実際、回路を組み立てながら理解できるからわかるよ!」

と大絶賛。よかったよかった。


■リンク・メモ

 仕事で調べものをしていたら、こんなサイトを見つけた。

 【whonamedit.com】

 読んで字の如しのサイト。英語だけど。医学系だけだけど。ちょっとお役立ち。仕事柄ね。



03/01/06/mon

■マトリョーシカ

 【ビルのてっぺんに取り残されたクレーンはどうやって下ろすのぉ?(01/04のてくてく)】と書いたら、すかさずナカムラ先生が【“ブートストラップ”と呼ばれる機能】があると答えてくれた。いぢわるい引用。ほんとうは、
大型クレーンより小さいクレーンを新たに組み立てて,これで下ろす。そしてその小さいクレーンはさらにそれより小さいクレーンで,というのを繰り返して,最後のめちゃ小さいやつは折り畳んでエレベーターで下ろすそうです。(←これも嘘っぽいが,本当の話。少なくともナカムラは本当の話だとして聞いた。)
 とのこと。うれしい。ありがとうございます。でも、ほんとかなぁ。

 という状態で、仕事始めで編集部に行ったら思い出したのだ。同僚は元・一級建築士だった。……資格剥奪された訳じゃないから、「元」ってのは変か。前に建築関係で働いていた人がいた。そこで「ビルを建てるときにクレーンを使いますよね。あれ、どうやって最後は下ろすんですか?」と聞いてみた。その返事が、

 「あれはね、マトリョーシカ」

だった。ナカムラ先生のお答えは本当だった!

 詳しく聞いてみたところによると、マトリョーシカはマトリョーシカでも、一度にマトリョーシカするわけではないそうだ。上の方になればなるほど建材は軽いものを使うことが多いらしい。つまりクレーンも吊り下げ重量が小さいモノでできるようになる。だから、ある程度上がっていくと、一回り小さいクレーンを途中で引き上げ(周りはもちろん他の作業をしている)、大きいクレーンは解体されて、引き上げたちょっと小さいクレーンで下ろされるらしい。で、何日か(何週間か?)経って、また上にあがったら一回り小さいクレーンを引き上げて、元のクレーンを前回同様に下ろして……、の繰り返し。最後にてっぺんについているクレーンは解体して、たしかに人が持って降りるんだそうだ。

 じつをいうと、できあがったビルのてっぺんに最初の大きなクレーンがあって、それを最後の段階で順次小さくしていく作業をいっぺんにするのかなと期待していた。そしたら、ビルの周りを、大きいクレーンから背の順でぐるりと囲めそうだなぁと想像していたのだ。竣工ビルを囲む功労者クレーンたちの図はなんだかほのぼのするような気がする。

 だから少しずつ上げ下ろししてしまうクレーンは、マトリョーシカでもちょっと残念。



03/01/05/sun

■素数に恵まれた10年

 【竹中明夫さん】のサイトをのぞきに行ったら、4日の記述に2003年は「21世紀最初の素数の年」という説明があって、「あっ、そうか」といまさら気づいた。2001年は3で割り切れちゃうからね。2002年はいうまでもないでしょう。

 さらにさらに竹中さんは、「素数に恵まれた10年」を調べていた。プログラミングができるとこういうことがお茶の子さいさいなのかぁと、ちょっとうらやましくなった。
 この「素数に恵まれた10年」とは、たとえば1990年代の10年間に素数の年がどれだけたくさんあるかで見ている。

 そうすると西暦0年から9年までは、2・3・5・7年の4回。西暦10年代も、11・13・17・19年の4回。でも20年代は、23・29年の2回だけ。こうやって10万年まで調べてあった。

 その一覧表をみてわかったのは、「素数に恵まれた10年」は4年が最高であって、5年はないことと、その4年は必ず、差が2の双子素数(3と5や11と13みたいなもの)が2組あるということだった。当然のことながら(かどうかはよくわからないけど)、末尾は「1と3」と「7と9」の2組。

 とても面白い一覧表をありがとうございます。2080年代は数少ない「素数に恵まれた10年」だけど、そこまで生き延びるのはたしかにちょっと難しそうだ。

 私は、仕事先の編集後記で何を書こうかなぁと思って悩んでいたときに、「2003年版」に目がいき、数学の担当者としてはネタにできるかもと、いちいち計算してこの「2003」が素数かどうか、通勤電車の中で確認した。
 ただし心配になので、カバンから電卓を取り出し(私の持ち歩くカバンはいろんなものが出てくる。出てこないのはお金かな)、電卓で計算する。私のあまり信頼できない暗算能力は2桁くらいが限界だ。
 2003の平方根あたりまでで割り切れなければ大丈夫だったはずだと、まずだいたいのめどをつけた。えっと、出てきた電卓は関数電卓ではないのです。50×50=2500で大きすぎる。40×40=1600で小さすぎる。45×45=2025でやっぱり大きすぎるけど近い。まぁその辺でよしとしよう。

 あとはひたすらポチポチ試してみる。どれもこれも小数点以下がずらっと並んだ。よしっ、2003は素数だ。……というのが、私が2003年が素数だと気づいた経緯である。なので21世紀最初の素数年とか10年で多いときはどれくらい出てくるかとか、一切思いが至らなかった。編集後記のネタを確保してすっかり満足していたのである。いまいち素数に対する愛が足りないといたく反省中。
   あ、そうそう。この冒頭で「2001年は3で割り切れちゃう」と書いたけれど、これは「各桁の数字を足してそれが3で割り切れれば、元の数字は3で割り切れる」という性質を使ったものだ。2001は、2+0+0+1=3。だから3で割り切れる。

 前に同居人と話していて、こういう計算のチップスを使ったらエラく驚かれた。だって、これたしか小学校か中学校で習わなかったか? 私は習ったぞ。大阪の公立学校はちがうのか?

 2で割り切れるかは、偶数か奇数でほぼ自明でしょ。
 5は、1の位が0か5だったら割り切れて、そうじゃなかったらダメ。簡単。
 3は、各位の数字の足し算したものが3で割れるか。
 4は、小さい方はあんまり得意じゃないけど、100以上の大きい数字は「下2桁が4で割り切れたら、元の数も4で割り切れる」。
 6は、忘れた。なんかあったかなぁ。
 7は、あったような気がするけど、忘れた。
 8は、なんだっけ。
 9は、3の応用編だった。各桁の数字を足して9で割れればいいんだっけか。自信がない。

 こうして書き出してみると、ぱっと思い出せるものの方が少ないじゃん。


■思い出した

 昨日の夜、寝付く直前にPGPのパスフレーズに欠けていたものを思い出した。今日、試してみたらバッチリ成功。復号できた。よかった。でもなんでああいう不思議なタイミングで思い出すのかなぁ。バスに乗るステップで証明を思いついたのはだれだっけ? 夢でベンゼン環を理解したという逸話がケクレだったかな。

 ま、なんであれ、パスフレーズはまた忘れそうな気がする。


■インストールはでけた

 懸案のTeXは、やっとこさインストールができた。ここで一悶着あったことはメモ取り最中。ま、不本意なインストールではあったがよしとしよう。



03/01/04/sat

■お知らせ

 年末にお知らせし忘れてました。書店売りしていなんですけど朝日新聞社の『メディカル朝日』1月号で特集を作りました。臨床研修必修化の話です。よろしければどこかでご覧ください(たぶん図書館にはある)。ちなみに12月号では共用試験のことを書きました。医師向けの雑誌なんで一般誌とは少し雰囲気がちがいます。雑誌の最後の方には「医師募集」広告なんてのもあって、ちょっと面白いかも。


■新年早々の疑問

 昨日、買い物に出かけたとき、同居人が聞いてきた。我が家の近所は建築中のマンションだらけである。

 「あのてっぺんに付いているクレーンは、工事が終わったらどうするの?」

 もちろん下ろす。いつまでもオレンジ色のクレーンを乗っけているビルはない。御茶ノ水にある大林組の本社ビルはてっぺんに赤白縞模様のクレーンみたいなものが突っ立っているが、あれはそういうデザインだ。たしか香港開発銀行とかいうのだったっけ、上海あたりにある超有名な建物を設計した建築家が作ったんじゃなかったかな。

 そういうデザインでない限り、クレーンは必ず下ろしている……はずだ。見たことないけど、付いていないし。ただ、「どうやって下ろすの?」という問いには、「分解して下ろすんじゃないかなぁ」「どうやって?」「う。エレベーターとか」。どんどん混乱していく二人の会話。


■ガイシ

 ついでにもうひとつ。昨日、14年間ベッドサイドにおいていたボールランプ(まん丸い形をした照明)を分解していたら出てきたものがある。

 ガイシだ。

 電球をのっけているところの部品で、触っていたら「ガイシだよ」と同居人が教えてくれた。陶器のような感じ。この場合はセラミックといった方がいいのかな。で、「どんな字を書くの?」と聞いたら、

 「えーと。イシはストーンの石で、ガはどんな字だったかなぁ」

 ふーん、そうなんだと思って、調べてみたけどATOKが変換しない。『世界大百科』で「がいし」とひらがなで打って、出てくる一覧を見ても、「石」がつくそれっぽいものはない。「出ないよー」と声をかけたら、横からのぞき込んだ同居人が「これだこれだ」と指した字は、

  碍子

だった。全然ちがうやんけ。ガイ−シやん。しかし、これで碍子なんだ。ふーん。ちなみに『大辞林』によると「電線など、導体をその支持物から絶縁するために用いる絶縁体。硬質磁器や合成樹脂などで作る」ものだそうだ。陶器じゃなくて磁器なのね。『世界大百科』を引かなかったのは、8ページもあって長かったから。なぜか、やたらと力が入っていた項目だった(前はこういうことが気にならなかったのだが、自分が事典に携わるようになったら気になるようになってしまった。職業病だ)。

 じつは、これ、かなり私が気に入ったものである。質感と手触りがよい。この間ファックスを分解したら出てきた歯車と併せて、マイ宝物かな。こんどこの二つを写真できれいさんに撮ってあげよう。


■快適快適

 はっと気づくと、明後日はすでに電車に乗って編集部にいかないといけないのだな。ちょっと悲しい。昨日の夜と今日はちらっと持ち帰ってきた仕事(原稿書きと資料集め)をしていたのだから、できれば普段もおうちで仕事させてほしいと思う。

 仕事の原稿書きもおにゅうマシンのX30で始めた。かなり快適である。もちろん細部の設定はまだうまくいっていないところもあるのだけど、ほぼ満足。あとは出くわしたときに直せばいいわけだし。
 なにより速いっ! 同居人がちらっと触って「はやいー、うらやましいー」と指をくわえていた。ふふふ。いいだろう。「ぼくのマシンだとやたらと重いMozilla(ウェブ・ブラウザ)もOpera(やはりウェブ・ブラウザ)みたいに立ち上がっているよ。Operaいらないでしょ」とまで。ふーっふっふっふ。オペラは細かい動きもサクサクしているから手放さないけどね。平凡社の『世界大百科事典』もチャッチャと立ち上がるよ。いまいちばん起動が遅いのは『エンカルタ』だと思っていたが、体感では違った。小学館の『データパル11年分』というやつをみるための「DTONIC」というビューアがトロい。使い勝手は悪くないんだけどね、このビューア。

 キーボードサイズが大きいのはつらいけど、タッチはいい感じだ。とにかく軽いのが好きな私としては、押したか押していないかわからないNECの大昔のキーボードに近づいてくれるととてもうれしい。慣れたら気分良さそうだ。

 ただ……。オマケでついてきたIBMの光学式マウス。そして私が買ったところではフロッピー・ディスクドライブがついていなかったので後から買った外付けディスク・ドライブ。どれもUSB接続なのはまぁいいけれど、純正なので、真っ黒いところへ「赤緑青のIBMマーク」がデーンとついている。マシン本体のマークを入れると3つも並んでしまう。ちょっとうるさい。



03/01/03/fri

■素数年

 大晦日から「これは書かなきゃ」と思っていながら忘れていた。

  2003年は素数!!

 そういう私は素数歳。いやぁ、なんかめでたいなぁ。

 それに元旦の朝日新聞をみたら「素数スポークスマン」の加藤和也先生が朝日賞を受賞していた。ちゃんと素数の年に授賞するなんて朝日もやるなぁ。
 あ、そういえば、しらない間に加藤先生が京都大学に移っていた。別に私の了解がいるわけではないので、当然のことなのだけれど。【bk1】で書評コラムを書いてくださっている池内了先生も国立大学をわりと移られた方で珍しいタイプだけれど、加藤先生もそうだ。(東大助教授→)東大教授→東工大教授→東大教授→京大教授。

 一度でいいから、加藤先生の授業を受けてみたいなぁ。加藤さんが2年生とか3年生を教えると、東大数学科の学生がみんな数論に行っちゃうとかいう噂を聞いたことがある。お会いしたときに伺う授業の様子もとても魅力的。たしか、開口一番「みなさん、家族の方と永遠の別れをしてきてください。これからやる線形代数はあっちの世界の話です」とか言って授業に入ったとか、ご本人から聞いた。
 こういう感じで数学を教えられた東工大の学生は生物学の学生さんだったはず。極めて恵まれていると思うぞ、その生物の学生さんたち。他校の数学の学生が歯ぎしりしていたに違いない。


■うらやましい

 雑記になってもわりと日記じゃないかと思う【難儀雑記】を読むと、彼の帰省先の関西で「かつみ・さゆり」がブレイクしている様子。いいなぁ、かつみ・さゆりが見られて。こっちに戻ってくるときの心残りのひとつが東京ではおそらく、かつみ・さゆりを見られないことだった。あの危なっかしいやりとりがやけに面白かったんだけどなぁ。いつ漫才が止まってしまってもおかしくない出来の悪さで、ハラハラドキドキさせられるのだ、かつみ・さゆりには。それが面白いんだけどね。


■こまった

 PGPは無事インストールでき、鍵も引っ越しできたのだが、肝心のパスフレーズが思い出せない。どういう感じのパスフレーズにしたかまでは思い出したものの、細部がずれているらしく復号できない……。恥ずかしい……。しばらくパスフレーズ探しの試行錯誤を続けるしかない。


■14年間、私を照らしてくれた

 1ヶ月くらい前から、ベッドの横においておいたボールランプの調子が悪くなってしまっていた。タッチセンサーがついていて、自由に調光できるのが気に入っていたのだけど、ある程度以上の明るさにするとパッと消えてしまうようになった。本を読むにはちょっと暗すぎる程度までしか明るくならず、丸14年使ったこのコともお別れなのかなぁと思っていた。あんなこともこんなことも知られているのだなぁ、このコには。中野で暮らし始めたのとほぼ同時に買ったものだけに、いろいろ思い出深い。遊びに来た後輩が、部屋にはいる早々「えっちっぽい」といったのがボールランプだった。

 で、えいやっと今日、買い換えることにした。でも、その前に。

 ボールランプの基盤表ボールランプの基盤裏当然分解するのだ。ちょっと無理そうであきらめかけていたら同居人が引き継いで解体してくれた。そこから出てきた基盤がコレ。うっとりと眺めるパソコンの基盤と、なんと大きく違うことか。スカスカ。ひっくり返してみると、ハンダ付けの後がボツボツしている。同居人曰く、「非集積回路」。たしかに。ポイントワン障壁とは無縁の世界だ。

 もしも、こんな感じでたとえばこのマシンX30のマザーボードを作ったらどれくらいの面積になるのだろうか? 皇居くらいかかってしまうのだろうか? きっと距離がありすぎて同期ができないとか、そんなことになってしまうんだろうね。集積回路は集積していることにもきちんと意味があるんだろうなと思った。



03/01/02/thu

■ナイスタイミング

 おにゅうX30のセットアップで手一杯になっていたのと、ブックマークの移行をまだできていないので、この年末年始はあんまり普段見に行っているウェブサイトにいけないでいる。昨日、やっとブラウザOperaの設定が一段落したので、【野尻ボード】に行ったらナイス・タイミング。数式組みのことが話題になっているではないですか! こちらはブラウザできれいに数式を見せるための話がメインだったけれど、大いに参考になる。ありがたや〜。


■初詣

 じつは大晦日の夜、友人のUさん&Dさん夫妻のおうちに遊びに行っていた。同居人は大晦日や元旦に友人宅へ行ったり、夜通し遊んだりした経験がまったくないそうで、「いいのかぁ」と不慣れな感じだった。学生時代はそうやって夜中に集まるのが無意味に楽しかったもんだが、そうじゃないケースもあるらしい。

 若手官僚のKさんとNさんも合流して、あれこれ四方山話をしてみたり。仕上げは近くのお寺さんに初詣に出かけた。私も夜中や元旦に行く初詣は経験がないので、二人そろってお上りさんだった。ちゃんと露店もでるのねー。しかもテキヤさんたちがご高齢。中には若い人もいるけれど、おじいちゃんが多いのが印象的だった。大阪に暮らしていた98年から2001年の間は、近くに天神さんがあったりしたのでよく露店が出ていて出くわしたけれど、そこではもっと若いにーちゃんねーちゃん(コブつきだったり)のテキヤさんが多かった気がする。東京と大阪の違いなのだろうか。

 横浜の港近くのいわば観光地で育ったためなのか、あんまりお祭りなどの経験がない。だからテキヤさんもそれほど知らなくて、大人になってからほかの地域で見かけることのほうが多い。テキヤさんワールドは何も知らないだけに、とても気になってしまうようだ。


■残りの作業

 いくつかやらなければいけないことが残っている。

 その1 ブックマークのエクスポートとインポート
 その2 メーラーの変換中の色遣いの修正
 その3 Mozillaでの文字化け解消(文字コードがうまくいっていないらしい)

 そして次の2つが大やっかいなこと。

 その4 PGPの設定

 もうすっかり忘れちゃったよぉ。見栄講座的なPGPだからなぁ。私は一体全体どうすればいいのだ。

 その5 TeXの導入

 えー、「ぷれてくてふ」オープンの折りにはこの導入記をまとめますが、いまいちまだわかっておらんのだわ。

 あとX30以外では、お・し・ご・と。あれとあれ、調べなきゃぁ。



03/01/01/wed

■あけましておめでとうございます

 2003年となりました。今年もゆるゆるとてくてく過ごしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

 1年に1回くらいは大所高所から物事を見て何か書いた方がいいのかなとも思いますが、あまり身の丈にあっているとも思えません。ただ一言、地球上のすべての人と生き物と生き物じゃないものたちが、楽しく過ごせますように。生き物以外も楽しく過ごせますようにというのは、少し変かしら。


■初心表明

 今年は年の初めに、決意を書いておこう。じゃないと、日和そうな気もするので。決意とは……。

   TeXを覚えるぞ!!

 必要に迫られまして候。美文書を考えているわけではもちろんない。目指すは数式組み。数式だけでいいから、ある程度組めるようになるのだ。これを去る12月の終わりに同居人にいったら「それはいいことだ。がんばれ」と妙に応援してくれる。TeXはまんまプログラミング言語ではないけれど、どっちかというとプログラミング系のためだろうか。日本語教師の勉強をしようとしたときは「なんで?」という反応だったのに、コンピュータ系だといきなり旗を振り始める。不思議だ。C言語とかだったらもっと喜ぶのだろうか?

 で、素人さんによるレッツTeX記録を残そうと思っている。そこで「“てくてくTeX(テフ)”ならいいネーミングじゃん」と思ったのだが、残念なことに【そういう名前の本】がすでにあった。仕方がないので、こちらは短縮形の「てくてふ」としよう。まずは「ぷれてくてふ」を近日公開予定。


■前よりはましな苦闘の2日間

 年末29日に更新して以来、日記がアップできなかった。それはなぜかというとおにゅーマシンのThinkPadX30をカリカリとセットアップしていたからだ。ああつらかった。というわけで、今すでに新しいX30で書いております。まだキーボードが慣れなくて、はっきり言って書きにくい。キーボードのタッチは悪くないけど、これまでよりも心持ち大きいのだ。手がそれほど大きくない身としては、かなり限界かも。前の240くらいのサイズのほうがこじんまりしていてよかったかもしれない。特に、ページアップとダウンのキーが独立したのはいいけれど、右上の端っこに追いやれてしまって、使えない奴キーになりつつある。あと、最大のキーボードの問題は、右下のALTキーが小さくなってしまったことだ。こっち側のALTキーはキーボードですべて操作したい場合にとても重要なのに。「ALT+F」でメニューを出すとき欠かせないキーが小さくなってしまって、打ちにくい。となりの「カタカナ/ひらがな」キーを小さくすべきだ。

 当分は、打ち間違いにイライラさせられる日々が続くのだろう。

 それでも今回の乗り換えは前回に比べればだいぶ楽だったと思う。前回のThinkPad345から240の乗り換えは、「とりあえずフォーマットォ♪」とやったら外付けCD-ROMもなにも認識しないから苦労した。345のときはとりあえずフォーマットするしかなかったんだが、時代は変わっていたのだ。CD-ROMを内蔵していないマシンでやったら地獄の苦しみが続いてしまった。……正直に言うと、「あの手この手」でがんばって立ち向かっ(てもらっ)たから、少しだけ楽しかった記憶もある。「あの手この手」はけっこう楽しい。

 今回楽になった要因は2つある。ひとつは「パーティション・マジック」を入れたこと。「システム・コマンダー」でもよかったのだけど、どうせマルチOSにするわけでなし、こっちにしてみたのだ。そしたら再フォーマットも一切必要とせず、大幅な時間の短縮ができたと思う。

 もうひとつは「外付けハードディスク」の存在。去年の秋だったか、40ギガの外付けハードディスクを買っておいた。そこに240で使っていた個人のデータや必要なプログラムが圧縮されたファイルとか、本棚1本半くらいの辞書のたぐいが全部バックアップしてあった。もちろん基本的なアプリケーションソフトはいちいちインストールが必要だけど、それ以外は外付けハードディスクから、ぽいっとコピーすれば済む。なにより自分のデータが一括で移せるのは気分的にとても楽だ。

 一通り入って、私が心安らぐデザインにあれこれとカスタマイズして(これも隣に240というお手本を置いておくと楽)、ほぼ前と同じような環境が構築できた。同じような環境とはいえ、パワーは数段上。現在、我が家でいちばん速いマシンがこれだ。仕方なく入れたワープロソフトもキュインとあっという間に立ち上がる。

 でも何がつらいって、パスワードだのレジキーだのをすっかり忘れていたことだ。ニフティのFTPパスワードはすっかり忘れてしまい、あれこれ試しても全然だめだった。あきらめて変更してみた。これからちゃんといけるか、この日記をアップして確認がとれる。それに加えてやっぱりめんどうだったのは通信関係の設定だ。DOSのころはモデムが鬼門だったから、いつまでたっても通信関連はやっかいなものということかな。インターネット・エクスプローラーを使わず、OperaだのMozillaだのNetscapeだのでなんとかしようというのも面倒さを増している。IEだったらちゃんと自動的にダイヤルアップできるのに、ほかのブラウザだといちいちつないでからじゃないとダイヤルアップしてくれない。これも打つ手はあるんだけど、それがうまくいかなかったのでまたやり直しだ。

 あといくつか残っていることのひとつ。AccessThinkPadとかいうアプリのアイコンをデスクトップから消していいか確認する。これ、ぱっと見はショートカットじゃないんだよね。実際はショートカットなのかもしれないけど、気軽に「デリィートン♪」としにくい。

 それにしても画面が大きい。1インチ違うとこんなに違うのかぁ。すごい差だ。




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